象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位
「ぴゅ・ピュ」



ぴゅぴゅのぴゅっぴゅのコトタマの反応部位は「ぴゅ・ピュ」の解説である。

まあ、なんである、あなたの未来は、とるものもとりあえず決まっているわけである。


どこで何をしてどうなってどのようにお亡くなりになるのかまで決まっているのである。

もちろんあたしの未来も決まっているわけであるが、あたしのこれまでの自堕落でふしだらな人生はあたしの意思ではなく、誰かに勝手にプログラミングされたDNA遺伝子のせいでなるべくしてなったわけである。


それを釈迦てな、ええとこのぼんぼんが暇つぶしに菩提樹の下にお座りしてあーでもないこーでもないと考えた末に、それもこれも含めてこの世の成り立ちを「縁起」ということで喝破したわけである。

いえい。


喝破はもちろん河童とはなんの関係もないが、そんなものは決まっているはずがない、「努力と根性と辛抱で未来は変わる!」なんてほざいても、DNA遺伝子にプログラミングされている以上のことはできないし、死ぬときゃ死ぬし、寿命があれば死にたくても死ねないのである。


そのプログラミングにより、偉人は偉人の人生を歩み、あたしらバカはバカの人生を歩んで終わるわけである。

さらには運気さえDNA遺伝子にプログラミングされているので、運気のいいものは何をやってもうまく行って、巨万の富を築き、社会的地位を得て、酒池肉林の人生を終えるのである。


対して、あたしも含めて、たいして運気に恵まれていないものは、何をやってもとんちんかんな結果に終わり、不遇で社会の底辺を這い回る人生を過ごして野垂れ死ぬのである。

だから、高知能で能力があり運気にも恵まれて富や社会的地位を得ても、それはまったく自慢になることではなく、そのように生まれただけである。


逆に低知能で無能で運気も悪く社会の底辺を這いまわるものも、本人のせいでは一切なく、そのように生まれただけであるので、卑下する必要はまったくないのである。

それではまったく不公平ではないかなんて、不運に生まれたバカ低知能特有のとんちんかんなご不満もあろうとは思うが、どんなに運気のいいものにも、逆に不運なものにも、死は平等に訪れるので安心していただきたい。


安心できるかーっ。

そらそうだ。

まあ、とにかく、人生がうまく行くも行かないも、すべてのことは生まれたときにあるいは生まれる前から決まっているので、あたしらクズに生まれたものはすべてを諦めて、「てきとー、いいかげん、やらないよりマシ」てなことをもっとーに自堕落に緩み切ってゆるゆると生きることが肝要である。


と、これまで頑強に言い張ってきたわけであるが、これがどうも違ってきたのである。

まあ、現在のところは倫理規定なんぞがあって人間の遺伝子ゲノム編集はご法度であるが、この先はどーだかわからんからである。


近い未来に、どこまでたどっても不運満載のクズゴミ家系の両親から、強運を持ち合わせた天才あるいは偉人が生まれることも当たり前になる可能性があるわけである。

まあ、もちろんそれも卵子の段階でのゲノム編集であるので、本人にとっては生まれる前から運命が決まっていることは今と変わりがないのは言うまでもないことである。


これを人生の途中から行えるようになると、まさに神の決めた運命を自分の意思で変える時代が来るわけである。

さらにはあらゆる生命体のゲノム編集が可能になるということになれば、まさに人間が神あるいは悪魔に成り代わる世界が展開されることになるわけである。


ううむ、変な言い回しであるが、めんどくさいので直さないのは言うまでもないことである。

話を戻して、昨今はそのゲノム編集が非常に安価にできるようになってきたところに、さらにはウイルス等のゲノム編集による人類滅亡の驚異も垣間見える今日このごろであるが、それをちゅーごくが武漢においてまさにその端緒を開いたわけである。


それはともかく、たとえば動物実験に代表されるように、科学者というのは倫理という観念にはまったく遠いところにいるろくでもない連中であるので、何をするかまったくわかったもんじゃないのである。


放っとけばとんでもない人体実験だっておかまいなしに行うので、何をするかわかったもんじゃない高知能のクルクルパーどもに枷をかけるために、例えば「ヒト受精胚に遺伝情報改変技術等を用いる研究に関する倫理指針」てな倫理規定を作ったりしてるわけである。


まあ、話は少しずれるが、新型コロナのワクチンの極めて急を要する治験にも各国の国家による大がかりな人体実験が行われているのはご存じの通りであるし、日本もその例外ではないのは言うまでもないことである。


また、近い歴史では、某白人国家が元素の原子核が起こす核分裂反応を使用した爆弾を作って有色人種国家の日本に実際に落としたら「どんなんかなー?」とワクワクドキドキで人間としてあるまじき人体実験をしたのもご存じの通りである。


もちろん科学者というそのろくでもない連中のおかげであたしらは現在の高度な文明社会という極楽生活を享受しているわけであるので、その倫理観なんか屁とも思わない言わば人間のクズの思考形態によってもたらされる利益は人類にとって計り知れないものがあるのも事実であるわけである。


てなことで言いたい放題支離滅裂なつかみの長い尺のHTMLはいずれ編集するとして、「ぴゅ・ピュ」のコトタマの反応部位は胸の中央、胸骨体の上部の周囲である。

経絡経穴でいうと、胴体の前面を通る任脈の玉堂穴の周囲である。


この部位の氣道の状態は肺や気管支に影響を与えるので、この周囲の氣道がストレス等で狭窄すると血流が滞り、細胞に十分な栄養がいきわたらなくなるばかりか神経系統にも影響を与え、呼吸に関する筋肉の硬直を招いて、呼吸困難等あれこれの疾患を併発するなど、気管支も含めた呼吸器の状態に不具合が生じるのである。


呼吸は人間にとって欠くべからざる重要な生命装置であるので、日夜「ぴゅぴゅぴゅのぴゅっぴゅっ」と連呼して、玉堂の周囲の氣道を開き、肺を中心に呼吸に関する臓器の細胞のメンテナンスを心がけ、日本の明日は明日の風邪が吹くわけである。


また、精神的には氣道を通して眉間の印堂から髪の生え際神庭の周囲を開くので、前頭前野の活性化を促し、あたしみたいなものすごいバカも少しマシなバカになる効果があるかもしれないのである。

かもしれないのかよ。


何事も明確に断定しないところに象気功の奥ゆかしさといい加減さがあれこれするわけである。

何言ってるの?

しらんがな。

投げやりかよ。


誰が槍投げだ。

槍投げだけにぴゅぴゅぴゅのぴゅーっ。

象師匠はこんなにでたらめなのに、なぜコトタマの反応部位が事細かにわかるのかというと、神の身体であるからである。


すべては神の碁石である。

<訂正>
碁石→御意思

ああ、いかん、またアタマのクスリを飲み忘れた。

誰かまじめにこれ読んでる人いたら心より深くお詫び申し上げるなんてことは言いません。

なんでやねんっ。

これ、アップしたらまずいんじゃないのかね。

続く。

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