心の奥底 ううむ、まあ、なんだね、この御神託は、何もないところから何かをひねり出すてなことであるわけである。 何もないわけであるから、ホントに何もないときもあるわけである。 まあ、今がそうであるわけであるが、ううむ、そうね、まあ、気功なんかをやって、気をあれこれいじくってある程度のレベルになると、これ、いやおうなく他人の意識感覚とつながるわけである。 これがね、うっとおしいっちゃうっとおしいのである。 その人間に意識が向くと、たとえ100メートル離れていても、その人間の喜怒哀楽が波動となって入ってくるのである。 近いから波動が強くて遠いから波動が弱いというわけではないのである。 目の前にいる人間の波動も100メートル離れた人間の波動も同様の強さでいわば受信するのである。 単一指向のパラボラアンテナみたいなもんであるのである。 これが、まあ、喜怒哀楽の「喜」と「楽」てな波動は、それを受けてもなんら問題はないのであるが、これがね、「怒」と「哀」あるいは、「悲」「憎」「恐」なんて感情の場合は、受ける方は、その波動の不快感たるや、たまったもんじゃないのであるのである。 そんなに不快なら意識のパラボラを向けなきゃいいじゃないかつーご意見もあるわけであるが、これがね、わかっちゃいるけど向いちゃうのである。 向いちゃうと、その瞬間にどどっと不快な波動振動があたしの脳髄をかき回すわけである。 まあ、そんなこんなで相手の感情が手に取るようにわかるので、まあ、考えようによっては、相手の様子を見ながら話を進めたりできるわけであるので悪いことばっかりでもないわけである。 しかし、これを当の会話の相手に知られたりしたら、当然ものすごく気持ち悪がられるので、日常生活では友人知人にも言えないわけである。 まあ、あたしもいいかげん大人であるが、友人知人もいいかげん大人であるので、日常生活では自分の不快な感情を表情に出すことはなくて、相手に不快感を与えないように、常にお話の間中ニコニコと笑顔でお話になるわけである。 しかし、会話の進行状況によってはすぐむかっ腹を立てるし、逆に落ち込んだりもするわけである。 しかし、とにかくあたしも相手もいいかげん大人であるので、それをいっさい表情には出さずに終始ニコニコと笑顔で会話を進めるわけである。 それが人間関係をスムーズにして、仕事にも支障をきたさない大人の浮世の術(すべ)であるわけである。 しかし、顔はニコニコでも会話の内容によっては、ニコニコ顔の裏側では、どなたもハラワタは煮えくり返ったりしてるわけである。 しかしその隠している「心の奥底」を相手に根こそぎ見られていると分かったら、これ、気持ち悪くてとても人間関係なんか保てたもんじゃないのである。 人によっては魔物怪物あつかいになってしまうのである。 だから、あたしにとっての身過ぎ世過ぎは、相手の心の奥底が根こそぎわかっているのに全くわからないふりをして、相手が激怒していても悲嘆にくれていてもニコニコと終始笑顔で会話を進めることであるのである。 史上最強の大霊能者象師匠にも人知れず悩みはあるわけである。 ううむ、今日はこんなとこでどうかね。 どれどれ。 |