象気功

象気功奥義
気をつかむ

神気の通り道3


さて、まあ、「氣」は「氣道」を開けば溢れ出すわけである。

「氣」が出ないという人は「氣道」が閉じているわけである。


こうなると、なにごともしょぼくなって、人生がしょぼくなるわけである。

それで、まあ、前回まで解説したように、その「氣道」は身体に神を宿らせて神の社(やしろ)になれば閉じた人も開くわけであるが、これが、そのままでずーっといくかというとそーでもないところに問題があるわけである。


開いた氣道はとにかく元に戻ろうとするのである。

びんぼー人はいくら氣道を開いても、もとの糸のように閉じて細い氣道に戻ろうとするのである。


だから、たとえば、人生に何度かある、いわゆる神のありがたーい奇跡で、このびんぼー真っ盛りの皆さんにたとえば宝くじ3億円が大当たりなんかしても、怒涛の無駄遣いで数年ですっからかんになる人がほとんどである。


びんぼー人に宝くじが3億円の大当たりなんてことが起きて、それが口座に振り込まれたりすると、皆さんどなたも舞い上がって、すぐ100万200万と試しに引き出して、試しに使ってみるのである。


なにしろ、それまで「金を使いたいだけ使ったこと」なんかないので、一度でいいから「金を使いたいだけ使ってみたい」のがどこのびんぼー人の夢でもあるので、3億円なんて途方もない額の金が入ると、これ、もう、いくら使っても永遠に使い切れない額に思えて、とにかく100万200万なんてのは金に入らないという感覚になって、すぐに引き出して、おにーちゃんなんかの場合はいーろいろはっきりとはいえないあれやこれやに行って大盤振る舞いで、あっという間に使ってしまうのである。


そこで、「ああ、金というものはものすごく簡単に無くなってしまうものだ」と学習できれば、200万の授業料で人生の真理を学ぶことができるわけであるが、これが、ほんのごく一部の運のよろしい人を除いては、その金を使ったときの「気持ち良さ」を脳が学習して、それが止められなくなるのである。


なにしろ、金があると、あれもこれもたいていの気持ちの良いことは実現するので、これ、夢の世界であるので、あぶないオクスリと同じで止めることなんかできなくなってしまうのである。


それであっという間に1億5000万円ぐらい無駄に使ってしまって、「うわあ、これではすぐ無くなってしまう」なんて焦(あせ)りだして、株の信用取引やFXといった、しろーとさんには絶対に儲からない相場に手を出して、あとの1億5000万円もあっという間に雲散霧消してすっからかんのもとのめでたく元のびんぼー人にお戻りになるのである。


それで、中には、元に戻るのを通りこして、追証債権で借金だらけでさらににっちもさっちもいかない人生になったりするのである。


このように宝くじに当たった人の人生がしっちゃかめっちゃかになる人が続出するので、発行元の某銀行では高額当選者にご注意のあれこれを書いたご本を渡したり、カウンセリングをするのであるが、これが、ほとんど効き目がなくて、やっぱり多くの皆さんが元のびんぼー人にお戻りになるのである。


これと同様に、氣道が一時的に開いても、その氣道は元のびんぼー人の状態に強行に戻ろうとするのである。

これが象気功でいう「DNAの範囲内」ということである。


これは、氣道を開くことは神の采配ごとであって、個々の人間にやられては、神のご威光も何もなくなってしまうので、その決められた氣道の範囲内に戻ろうとするからであるのである。


そして、氣道の状態は基本的にはふつーの人間にはわからないようにできているのである。

あたしのようなパ~のほら吹きを除いては、それが閉じているか開いているかさえわからないのである。


それがわかっては神の都合が悪いからである。

氣道の開き具合も、それを修正する方法もわからないから、自分の運命がわからず、個々の人生がしっちゃめっちゃかで、この世が面白おかしくなるのである。


たとえば、気道が閉じていて、極小丹田で、氣が小さく、いじいじうじうじで、へろへろめろめろで、声も小さく、言うこともはっきりとはせず、決断力もないことで、人に軽んじられ、馬鹿にされ、人生の底辺をのた打ち回って苦しんで、その結果として、カルマが刈り取られ、宇宙が進化するわけである。


これが、いきなり、氣がわかって、氣道を操作する方法もわかって、閉じていた氣道が爆発的に開いて、氣が溢(あふ)れ出し、大丹田になって、声も大きく、迫力が出て、どんな圧力、攻撃も跳ね返してしまったのでは、その課したカルマの刈り取りはまるっきりできず、この世に現された意味が皆無になるからであるのである。


人間のこの世に存在する意義はこの「与えられた課題であるカルマの刈り取り」にすべてがあるわけであるから、氣道が容易く変化しては神はお困りになるのである。

神とは宇宙であり、この世、つまり、「存在」そのものであるのである。


「存在」は一時も止まることなく、常に変化しその方向性に向って進行し続けるのである。

何事も止まることはないのである。

過去現在未来永劫にわたって止まることなく変化し続けるのである。


始まりが終わりで終わりが始まりであるのである。

それが輪廻であるのである。

輪廻のために変化があり、その変化のためにカルマがあるのである。

続く。

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