象気功

象気功奥義
氣をつかむ

「速度3」


氣がわかると、ものの見え方が変わるのである。

つまり、DNAの「氣がわかる」と言う部分のスイッチが入るわけである。


しかし、そのスイッチは一度入るとなかなか切ることは困難であるので、氣過敏症、電磁波過敏症、波動過敏症なんて問題が起きる入り口にもなるのである。

まあ、これ、気功なんかをやってるとけっこうこーいった症状でにっちもさっちもいかなくなる人も多いのである。


スイッチが入ると、本人の意思や意向とは関係なく、身体、つまり、脳が勝手に氣や電磁波、電波、音声その他の波動などを捉えるようになるのである。

まあ、そうなればあたしと同様に、氣もわかり、言霊の身体や脳に対する反応もわかり、霊気も神気もわかり、神も霊もわかるわけである。


人の気もわかり、感情もわかり、氣の悪い危険な場所もわかり、ものごとの本質がわかり、迷いがなくなるのである。

もうこれ、氣がわかるためのメソッドである象気功の真髄、神仏の世界へ1歩も2歩も近づくわけであるので、非常にけっこうなことであるわけである。


しかし、そうは感単には問屋が卸してくれないところがこの世浮世の面白さであるのである。

その代償として、人によっては電磁波や波動による激烈な身体、脳の過剰な反応に苦慮しなければならなくなる場合もあるのである。


氣に敏感になりすぎて、必要のない微小な波動も捉えてしまい、身体がのあちこちに異常な反応を感じて、脳も興奮状態となり、日常生活にも支障が出て、本人は死にそうな大騒ぎになるのである。


これ、周囲から見てると大笑いであるが、本人は大真面目で、「なんとかしてくれ、死んでしまう」なんてことで、医者に無理難題を言っても、てきとーにあしらわれて精神安定剤なんかを処方されたりして、さらに症状は悪化の一途を辿ったりするのである。


この世に存在するものごとは何事も陰陽であり、明暗であり、表裏であり、相対であり、楽あれば苦あり、地獄で仏、天国で悪魔であるのである。

さて、そうなるのかどうかやってみなけりゃわからない、なったらなったでしょーがない、なんでもラッキーと捉えて、人生のお楽しみとするための、さらなる「速度」の解説である。


まあ、とにかく、氣がわからないことには始まらんので、手を開き左右にゆーっくりと動かしてみることから初めていただきたい。

両手のひらを向かい合わせて10cmぐらい開いて自分の胸の前に出して、それを左右に開いて行き、開いたら閉じるのである。


また、適当な間隔に開いて、そのままの左右に金魚の尾のように動かしてもいいのである。

あるいは、手のひらを下に向けて、上下に上げ下げしてもよろしいのである。

これは手の甲で氣を受けるということの訓練にもなるのである。


どうしても、しろーとさんの場合は手のひらの中央の労宮(ろうきゅう)にこだわって、左右の手から氣を送ったりして、手のひらで氣を感じようとするのであるが、手のひらと同様に手の甲も氣をつかむのには重要であるのである。


手の甲にも手のひらと同等の氣感を育てる必要があるのである。

また、太極拳の初動動作の起勢(チーシー)でも同様である。


起勢(チーシー)のときに手の甲を上に上げるときも、氣をつかむことが重要である。

そして、このときの「速さ」は氣をつかめむことができる速さである。


その速さをつかめば、歩きながら手を左右に振るだけでも身体の氣道は開かれるのである。

この氣をつかむ速度がわからない皆さんが指導者になったりするから、一部の養生気功のように、単なる体操になったりしてしまうのである。


しかし、この速度は、自分で試して「つかむ」しか方法はないのである。

もちろん、人によってもその「速さ」は違うのである。

ある程度速くてもつかめる人もいるし、そうとう遅くてもまるっきりわからない人もいるのである。


それで、その条件は自分の身体の中に神を想い描くことであるのである。

自分の中から神の氣が溢れ出ていると想うことであるのである。


自分の身体を通して神の気が放出されていると想えばいいのである。

そのことで、全身の氣道が開かれ、自分の周囲の氣の海を実感できるのである。

その氣の海が実感できれば象気功メソッドは完成である。

続く。


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