象気功


象気功奥義

気をつかむ5

「速度2」




神を思えばあなたの中に神が入り、思わなければ神が入ることはないのである。

神が入ればあなたの気道は神によって押し開かれ、あなたの細胞は神の気の奔流により潤されその活性度を高めるのである。

あなたは神の通り道となり、神の気はあなたの外へとその奔流を溢れさせ、あなたの外のものの気道も押し開くのである。

あなたの中に神が入ることにより、あなたに接するもの、あなたが思うもの、あなたを思うものにあなたの神の気が入るのである。

そのときのあなたは神そのものであるのである。

しかし、あなたが神を思わなければ何も起きることはないのである。

あなたとあなたの神との交流が起きることによる奇跡であるのである。

つーことで、ううむ、梅雨明けの猛暑にもかかわらず神のお告げお授け啓示天啓光臨天綸は絶好調であるのである。

さてさて、そんなことはどーでも、あなたに奇跡を起こす「気の速度」を今日もあなたのあそこもここも入道雲よとゆーことで無駄口へらず口も織り交ぜて、おもしろおかしく象源説法の講演講話講義大演説を展開するわけである。

ううむ、どんどん無駄口ばかりになる。

さてさて、まあ、とにかく、神を思い神をあなたの中にいざない、あなたの気道を開けば、細胞の活性度は高まり、生きとし生けるものの喜びを享受することができるわけであるが、まあ、それをさらに高めるためには、速度であるのである。

なんの速度であるかというと、当然、「気をつかむ速度」であるのである。

これはゆーっくりと手を動かして、どのくらいの速度により、次元に充満する気をつかむことができるか試みるしかないのである。

これは遅いほど気をつかめるのであるが、しかし、まあ、そうはいってもほとんど動かないぐらいの速度では、生理的な感覚上無理であるので、そこはそれ、それなりにものすごく遅くということであるのである。

それで、つかめたら、少し速度を速めていけばいいわけである。

そして、その手の動きが丹田、つまり小腸の周囲に影響を与えることを確認しなければならないのである。

「手」は「小腸」であるのである。

「手」が「丹田」であるのである。

手を動かしてこの世に充満しこの世を作り上げている気を捉え、その気によって手の気道が開かれるということは、即ち、丹田を開くことであるのである。

気を高めるには「手の動き」が重要であるのである。

さらに、その手の動きの「速さ」が重要になるのである。

その「速さ」は気を捉えることができるまでは、とにかく遅く、ゆーっくりと気の海の中を動かしてみることであるのである。

これで、気をつかむことができると、あとは自在であるのである。

歩くだけでも気功になるのである。

全身が丹田となるのである。

気功とは、全身の気道を開き、神の気の奔流により細胞の活性度を高めることが目的であるのである。

そのことにより、あなたがこの世に現されたことによる生の喜びをいかんなく享受できるわけである。

細胞が喜べば、あなたも喜ぶわけである。

あなたが喜ぶというのはあなたの神、つまり脳が喜ぶということであるのである。

だから、あなたの中に入る神はあなた自身であるのである。

神はあなたであり、あなたは神であるのである。

この世の総てはその神がお造りになられているのである。

なんつーことで言いたい放題の辻説法もきわまり、猛暑万里の波濤波浪はあたしのおつむを浄化洗浄洗髪しこのままどこへ行くのか行かないのか果たして象気功は絢爛たる神の社(やしろ)なのか朽ちたる廃屋なのか、謎が謎を呼んでなぞなぞの展開膨張増幅は五臓六腑に響きわたり、アイフヘモオスシの思し召しとなるのである。

わははははははーっ

いや、べつに壊れたわけではないのである。

どーかねこんなところでひとつ。

ね。

ううむ、信憑性もなんにも感じられない。

象気功であるのである。

次回、さらに気をつかむ6「速度3」に続く。

ツイートする  

(2010/07/19)




Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact