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象気功

象気功奥義

気をつかむ2





  神を想うと神が入るのである。

これが降臨である。

難しいことではないのである。

想えばいいのである。

想えば誰にでも神は入るのである。

この点では平等であるのである。

その神が入ったかどうかがわかかわからないかの違いだけであるのである。

神が入れば神の世界のことが理解できるわけである。

しかし、これは神が入ったことがわかることが条件であるのである。

神が入ったことがわかると、世界は変わるのである。

それまでの世界とは違う世界に住むことになるのである。

しかし、それは神の世界に住むことになったということであって、それがすばらしい世界であるとか、天国極楽であるとか、神聖な世界であるとか、清浄な世界であるとかではないのである。

神とは情け容赦のない力のみの存在であることを理解することになるのである。

そのことにより人間は究極の苦しみを味わい、昇華し、そのことにより神の進化が行われ、その過去現在未来永劫にわたり永遠に繰り返される輪廻に貢献するわけである。

そのことをわかるために象気功があるのである。

ううむ、なかなかやるね。

つーことで、さてさて、そんなことはどーでも、それで、気をつかむわけであるが、これ、どーやってつかむのか?

さらに、「つかむ」とはいったいなんなのかどーなのかあれなのかこれなのかそれなのかいろいろあーでもないこーでもないとどーでもいいことまで食いついてみるのである。

まあ、つかむ(掴む)とは「手で握り持つ。しっかりと握って離さないようにする。自分の所有とする。手に入れる。遊女などを我が物にする。賄賂を取る。収賄する。誘拐する。かどわかす。機会や重要な点をしっかり捉える」てな意味があると、ブックシェルフの小学館国語大辞典ではおっしゃられているわけである。

まあ、象気功では「手で握り持つ」わけではなく、「自分の所有とする」わけでもなく、もちろん「遊女などを我が物にする」わけでもなく、「賄賂を取る」わけでもなく、もちろん「誘拐をする」わけなんかありませんし、「重要な点をしっかりと捉える」わけでもないのである。

それでは気をつかまないではないかというご指摘はごもっともであるわけであるが、そうは行きません。

何を言ってるんでしょうか、カフェインがオツムをどつくと神のお告げが脳味噌に直撃して何がなんだかわからなくなるので、さらにでたらめな展開になるわけであります。

うううう、だめだ、着地点が見えない。

まあ、それで、ここでいう「気をつかむ」とは、「身体で気を理解する」ということであるのである。

まあ、なんというか、この世もあの世も含めて、人間が感覚で捕らえられる、あるいは認識できる「世界」というものは、「気」でできているのである。

これをヨーガなんかではプラーナといい、物理学ではクォークてなことをいうわけである。

まあ、それで、たとえば、何もない空間には空気が存在するわけであるが、これの元は「気」であるわけである。

まあ、これが真空でも気はあるのである。

真空は無ではないのである。

空気がないだけであるのである。

まあ、とにかく、あなたの周囲は気が充満しているわけである。

このことを簡単にわかり易く言うと、人間は気の海の中に身を浸しているということであるのである。

まあ、つまり、海やプールの中にもぐってその中を動いているということを想像してもらえばいいわけである。

その身体を取り巻く気を身体で理解できれば、動くだけ、歩くだけでも、これ即「気功」であるわけである。

着地点がはるか彼方の霧霞煙茫洋で見当も付かないので、コーヒーを飲んでさらにコーラを飲んでみるわけである。

ううむ、硬くてぜんぜんおもしろくない展開であるのでここでいっぱつギャグを入れてみたいところであるが、おつむのちょーしがぜんぜんアレでこれがアレしてあれも立たずこれも立たずで、くそー、なんとかならんのかねこれは。

まあ、なんとゆーか、その取り巻く気もあなたの神の創造物であるので、その気の海を体感するには、あなたが神になればいいわけであるのである。

あなたの身体の宇宙におわします神さんを無理やり引き出して、高天原に鎮座ましましていただくためには、これ、「そう想う」ことで事足りるのである。

これが、物事の根本であるのである。

「そう想う」ことにより、あなたが存在し、この世が存在し、宇宙が存在し、次元が存在するのである。

想わなければなにも存在しないのである。

だから、大昔のオタクのおじさんが「我思う、ゆえに我あり」なんちゃったのもあながち間違いでもないのである。

想う事により総てが存在せしめられるのである。

その想う事自体が神であるのである。

だから、あなたの中に神を想えば、気の海はあなたの周囲にその存在を現すのである。

それは言葉で想うのではないのである。

神を神としてあなたの中に想うのである。

想えば神は存在し、想わなければ何も変わらないのである。

神を想い、気の海を現し、その中を動けば、それ即、象気功であるのである。

ううむ、なかなかいいね。

つーことで、果たして、こんなわけのわからない事を言ってて気はつかめるのかつかめないのか、手でつかむのか足でつかむのか、臍でつかむのかあそこでつかむのか、象師匠は目算があって言ってるのか言ってないのか、やっぱり口から出まかせなのか、興味シンシンあそこはジンジンあなたもキンキンいててててと次回に続くのである。

「気をつかむ3」に続く。

ううむ、いかんな、ヤキが回ってる。

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(2010/06/14)




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