象気功


象気功


本日の御神託






気の蓄積



細胞外マトリックスがわやくちゃになってるのかね。

細胞外マトリックスっていったいなんだねそりゃ、まあ、なんでもいいが、なんつーのかかんつーのか、この神のお告げと言う名の口から出ませを社会的地位のあるまともな人がけっこう読んでらっしゃって、ぱーの皆さんに混じってときどきお手紙をくださるので、申し訳ないやら恐縮するやらしきりで、その度に「ううむ、アホをからかうだけのでたらめばかり言ってるとしまいには誰かに叱られるだろうから、今日からは心を入れ替えて内容のあることを書こうではないか、うん」と毎度毎度決心するのであるが、そこがそれ、基本的にインフラがお笑いネット芸人つーことで整備されてるだけに笑わせてなんぼつー思い込み食い込み繰り込み練り込み振込め詐欺ってまーだやってるのねってかーってのが強靭強固頑強鉄壁の守りでトテチテターの進軍突撃ラッパも勇ましく、うううう、ホラね、もう、でたらめになってるのである。

まあ、ぱーの皆さんにもまともな皆さんにも分け隔てなくお手紙を頂いたら頂きっぱなしで忙しさにかまけてご返事も申し上げない自堕落ていたらくで、そのお詫びとあれこれのご質問のお答えも兼ねて象源寄席の高座より一席御機嫌をお伺い申し上げるのである。

まあ、つまり、なんだ、あのね、そのね、あのねのねー、ううう、いかん、どこか変になってる、だめかなこれは、まあいい、でね、でねでね、でねでねでね、でねでねでねでねでええええのへへへへへのへ~ってやめんかばあかものおおおおっていつになったら始まるんだこれ?ああ?やる気あるのかねしかし、ない?じゃあしょーがない、人間の細胞にはいわゆる「生命エネルギー」が凝縮集積蓄積されているわけである。

それはミトコンドリアの産み出すエネルギーとは別のもので、「気」の凝縮集積蓄積であるのである。

まあ、それが溢れていて気道に充満していると細胞がみずみずしく活動して、臓器、筋肉、血流、神経組織などがよろしい状態でどなたも元気にお暮らしになれるわけである。

まあ、それの源は人間の細胞の生命活動による素粒子の振動波動であるのである。

もちろん、象気功の冒頭の「気とは何か?」で解説しているとおり、人間の気は主に臓器や筋肉の毛細血管の中の血流により生み出されるわけであるが、それもこれ含めて総ての細胞の生命活動も気を生み出す源であるのである。

それは総ての細胞の組成がこの世に存在するもの総てと同様に素粒子いわゆるクォークてなものであり、その生命活動の振動の波動が気であるからである。

しかし、まあ、これ、電気に例えると、発電しても、そのままでは消えてしまうわけであるので、それを蓄電する必要があるわけである。

その「気」が蓄電されている場所が全身に隈なく張り巡らされた気道経絡の要所要所に造られたチャクラであり、丹田であり、クンダリニーであり、神の社(やしろ)であり、くるくるぱーの源であるわけである。

しかし、その蓄電されたエネルギーがいっきに解放されてしまうと、その量が膨大過ぎて、神経も血管も筋肉も内臓も壊れてしまうので、本来はほんのすこーしずつ小出しにして使うようにできているのである。

まあ、この蓄積された場所はチャクラにしても、丹田にしても、クンダリニーにしても、神の社にしても、くるくるぱーの源にしても、実際には科学的医学的に証明されているてなことではないので、古来より、あたしみたいなおつむと身体がおかしなものがその経験に基づいて言ったもん勝ちで伝承継承してきたものを体系化したものであるので、まあ、その伝承継承された場所だけが凝縮集積蓄積の場所であるということでもないのである。

象気功的には全身がチャクラであり、丹田であり、クンダリニーであり、神の社であるわけである。

その全身60兆の細胞に凝縮蓄積されたエネルギーを人為的に無理やり引き出す方法が、気功であり、ヨーガであり、マントラであり、真言であり、言霊であり、神道であり、修験道などのメソッドであるわけである。

これは核反応に全く似ていて、ゆっくりと反応させれば細胞にエネルギーが満ち溢れて、臓器や筋肉や神経組織の働きがよろしくなり、脳のちょーしもそれなりによろしくなり、元気に楽しく生活できるわけであるが、しかし、これを一気に爆発解放させた場合には、制御コントロールは不可能となり、脳や臓器の神経や血管に損傷を与えたりするてなこともあり、ろくなことにはならないのである。

まあ、それで、たとえばヨーガや周天やマントラや呼吸法でたまさかにチャクラやクンダリニーが解放されても、エネルギーが爆発的に発生するだけで、それで、何か特別な能力が出るわけでもなく、神に近づくわけでもなく、精神が強くなるわけでもなく、宙に浮くわけでもなく、透視ができるようになってあんなとこやこんなとこをうへへのへーと覗けるようになるわけでもなく、その爆発が終わると気の量は徐々に元に戻って、気に敏感になった脳神経が残ったりするだけで、いいことも特になく、間違えると脳や臓器の神経血管に損傷が出て、お医者さんのお世話になることになったりする場合もあるのである。

このように暴発すると制御不能になるやっかいなこのエネルギーであるが、これをほんのすこーしずつ解放するとなーかなかこれがよろしいことになるのである。

臨界をコントロールするようにすこーしずつ反応させて継続的な融合を起こすわけである。

気が適度に充足充満して気道がよろしい具合に開いて、エネルギーが身体の隅々まで行き渡り、毛細血管が開いて栄養が身体の隅々まで行き渡った状態が、体調にも脳にも精神にもよろしい状態であるのはご理解いただけることと思うわけである。

この逆に、適度な「気」の臨界反応が起こらず、それが欠乏すると、気道がしぼんで、毛細血管も縮んで締まって血流も行き渡らず、体調が悪くなり、さらに滞るとあちこち内臓に不具合が出てきて、免疫力が低下して増殖してはいけないものが増殖していろいろおびょーきになり、当然のことであるが精神は不安恐怖で満たされるわけであるのである。

もちろんそうなると、悪い運気がさらに下降一直線になるわけである。

つまり、人間は元気で体調がよければだいたいよろしいのである。

ここが、根本であるのである。

他のことは2次的なことであるのである。

ぱーでも、びんぼーでも、モテなくても、とりあえず元気で健康であれば何よりであるのである。

しかし、そうはいっても、これ、身体がものすごく元気でも、精神状態が不安定で、常に強い不安恐怖に晒されていて、さらには幻覚幻想妄想でお悩みなどでお困りの人も多々おられるわけである。

しかしこれは先祖の祟りでもなく、墓の方角が悪いわけでもなく、悪霊の仕業でもなく、生霊の仕業でもなく、神の試練や罰でもなく、気がどうのこうのでもなく、前世因果がどうのこうのでもなく、いわば「脳のシステム障害」でありますので、まあ、そーゆー場合は口からでまかせのお笑い番組象気功なんかを読んでもなんの解決にもなるわけでもないので、とにかくそのシステム障害を修理メンテナンスしなければならないわけであるのである。

その修理メンテナンスはもちろん専門医師の診断を受けその指示に従い治療するということであるのである。

つまり脳も含めて「具合が悪けりゃ医者に行け」ということであるのである。

間違っても、霊能者だのヒーラーだの気の治療師だの祈祷師だのスピリチュアルカウンセラーだのチャネラーだの神の使いだの手かざしであらゆるびょーき治るだのと言い張ってるおつむのちょーしがナニなぱー専門のご商売の皆さんにご相談申し上げたりするとさらに迷路坂道袋小路行き止まりに迷い込んでにっちもさっちも行かなくなるのである。

しかしまあ、それに頼って人生の迷路坂道袋小路行き止まりに入り込むのもこの世浮世の楽しみ醍醐味でもありますが、いつも言うとおり、ご家族関係者に迷惑がかからない範囲内でお楽しみ頂きたいわけであるのである。

てなことでひとつあたくしのご挨拶とさせていただきたいなんてことでね、おあとがよろしいようで。

ぜんぜん真剣味がねーな。


(2012/02/06)






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