象気功

本日の御神託



氣の密度


気功法や太極拳などを根気よく繰り返していると、ある日とつぜん氣を感じるようになるのである。

言い方を変えると、ある日を境に氣がわかるようになるのである。


それが、明確である場合もあるし、そのことに気がつかなくて、いつのまにか氣がわかるようになっているということもあるのである。

まあ、何もしなくても最初から氣を感じる人もいるわけであるが、これはあまりよろしくないのである。


先天的な電磁波過敏症の可能性があるからであるのである。

その場合は、気功法等の氣に関するメソッド・カリキュラムは行わない方がいいのである。

あらゆる波動に敏感になって、生活に支障をきたすようになる場合もあるからであるのである。


人間は本来、生活に支障の出ない範囲内で波動を感じるようにできているのである。

たとえば、熱であったり、光であったり、音であったりするのであるが、これは皮膚感覚や視覚・聴覚といった感覚器官を通じて脳で捉えられる波動であるのである。


その感覚器官により生命維持に必要である波動だけを捉えることができるようになっているわけである。

しかし、テレビや携帯電話や無線LANの電波の波動や、レントゲン・CTスキャン・MRIなどの波動を捉えることはできないのが普通であるのである。


これを感じるようになって、身体にさまざまな症状が現れてしまうのが、前述の「電磁波過敏症」あるいは「電磁場に起因する特発性環境不耐症」であるのである。

これが酷くなり、路上の電線の波動や電柱のトランスの波動、果ては、住宅に配線されている電線の波動まで捉えるようになると、これはもう、社会生活どころか、生きていくのが困難にってしまうので、そうならないように、必要な波動だけを感覚器官によって捉えるようにできているわけである。


氣はもちろん波動であり、電磁波の類いであるので、氣に過度に敏感になるということは、電磁波過敏症の入り口になるということでもあるわけである。

つまり、氣を感じることは、生命維持のためには必要のないことであるので、基本的には感じないようにできているわけである。

さて、その、生命維持のためには感じる必要のない「氣」を、わざわざ感じるようにすると何がいいのかということである。


まあ、たとえば歩き始める前の乳幼児を抱き上げると、思った以上にずっしりと重いということを感じた人はいるだろうか。

その重さは、体重計で機械的に計測して重いということではなく、体感として重いということであるのである。

これは氣の密度が高いからであるのである。


それが、成長するにつれて、だんだん氣の密度が薄くなり、スカスカになって、しまいにはお亡くなりになるわけである。

つまり、年齢が低いほど、氣の密度が高いということであるのである。

氣の密度が高いということは、氣道内の圧力が高く、毛細血管が開き、血液が体のすみずみまで行き渡り、細胞が活性化し、生き生きと生命活動を営んでいるということであるのである。


逆に言うと、乳幼児は生まれたてに近いので、全身の氣道が開き、毛細血管が開き、氣が溢れているために氣の密度が高いということでもあるのである。

その密度が加齢とともに低くなり、氣道が閉じて、毛細血管が閉じて、血液が隅々まで行き渡らなくなり、枯れ果てて、しぼんで行くのが老化ということであるのである。


ならば、体内の氣の密度を上げれば、老化は防げるではないか、さらには、突き詰めれば不老不死への道ではないか、というようなことに大昔の誰かが気が付いて、気功法やヨーガなどのメソッドができたわけであるが、これが、その行の途中で遭遇するどーでもいい神秘体験ばかりに興味が集中して、ホラ吹きの大ボラを信じて、あいもかわらず難行苦行やお座りをしてるわけである。


まあ、ホラ吹きとそれを信じるパ~へのディスはともかくとして、それでは、氣の密度が高まれば不老不死なのかというと、これがそう簡単にはいかないように人間はできているのである。

眠ると、氣が体内から放出されて元の木阿弥になるのである。


だから、他人の寝室に朝方入ると、ものすごく臭いのである。

自分については、自分の臭いは臭く感じないようにできているので、わからないのである。

これは氣といっしょに身体の不要なものも排出されるからであるのである。


さらに言えば、起きてる間に疲労や病巣から生み出される汚れた氣を排出しているということでもあるのである。

つまり、氣の排便ということであるのである。

昼間に一生懸命に気功法や太極拳やヨーガを行って氣の密度を氣道がパンパンになるほど高めても、夜になってオネムして氣の排便をすると、朝にはすっかり氣が薄くなっているのである。


まあ、薄くなるというは語弊があるが、気功法でパンパンになった氣道が通常の状態に戻ったということである。

まあ、氣は常時氣道から漏れて、身体に充満しさらに体外に排出されるようになっているので、ほっとけば寝なくても通常の状態に戻ろうとするのであるが、眠ると氣道からどどっと放出されて、まあ、氣に関して身体がリセットされるということであるのである。


それなら、眠らなければ氣はどんどん高まるのかというと、もちろん、起きてる間中気功法等をやり続ければ高まるが、ただ漫然と起きて徹夜をしていても、氣道から漏れるのと呼吸その他の生命活動で生み出される氣の量のバランスが、ある一定の密度に保たれるようにできているので無駄である。


まあ、いずれにしても眠らなければ医学的に問題が出てくるので、気功法云々以前のバカげた話であるので、論じること自体がナンセンスであるのである。

通常の生活でもある一定の範囲内に氣は高まり、眠ると汚れた氣を排出して、朝になるとまた新しい新鮮な氣を作り、細胞を潤すということが生命活動の一部でもあるわけである。


だから、誰でも朝はなんとなくテンションが低くて、朝6時ごろに起きる人はだいたい午前10時から11時ごろに絶好調になるのである。


でも、日頃から気功法や太極拳などを行っていると、氣道がそれ以前より太くなっているので、氣の総体は多くなり、また、朝になって気功法等をやれば氣を作りやすくなっているのである。

気功法に熟練していれば、朝起きて気功法の類いを行えば、すぐ氣の密度を高めることができるのである。


だから、本場ちゅーごくでも早朝から公園等に集まって太極拳や気功法やダンスをなさっておられるわけである。

また、日本のラジオ体操もある意味気功法であるので、早朝に行うと氣道が新しい氣で満たされて、爽快になり元気になるわけである。

寝る前の深夜にラジオ体操をやっても疲れるだけで爽快感はないのである。


それはともかく、その際、「氣がわかる」と、どのようにすれば効率的に氣の密度が高まるか明確にわかるのである。

歩くだけ、さらには、座っていても手を振るだけで、氣の密度を高めることができようになるのである。

太極拳も氣が分かる人ほど、型なんかはどうでもよくなるので、太極拳の達人の動きは、氣が分からない人がみると、いいかげんな動きに見えるのであるが、あたしにはそのいいかげんに見える動きがいいかげんでない理由がよーくわかるのである。


しかし、氣がわかろうとわかるまいと、太極拳は優れた気功法としてのメソッドであるので、どんな人でも、ある程度の氣は作れるのである。

だから、氣がわかっているとは思えない多くのわけのわからないセンセイでも、それなりの氣が出るのである。

また、氣がわかると、氣道の仕組みがわかり、体の仕組みがわかるので、いろいろな功法・行法の理由がわかるのである。


さらには、氣がわかると氣や気功法・ヨーガ等に関する出版物その他で巷間に喧伝流布されてることが間違いだらけであることもわかるのである。

だから、あなたの師が正しいのか間違いだらけなのかへっぽこなのか、再検討再確認して修行の道・方向性を決めるのがよろしいのである。


その一番わかりやすい基準は、超能力、透視能力、予知能力、霊能力あるいは神秘体験等を解く師は、へっぽこであるので、早々に変えた方がよろしいということである。

象気功はありがたーい象の大神様からのお告げである。

完。

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