貸本漫画 あたしは子供のころは、漫画を読むのが大好きだったのである。 まあ、誰でも子供のころは漫画が好きであるので、べつにこれ、子供としてとくに変わっていたてなことでもないわけである。 それで、まあ、現在、思いっきりの中年のあたしの子供のころは鉄腕アトムと鉄人28号が全盛で、小学校に上がる前から、「少年」という月刊誌を付録を含めて隅から隅までくまなくお読み遊ばされていたのである。 そのころはゲゲゲの女房にも出てくる貸本屋なんてもんもあって、うちの近所にも駄菓子屋を兼ねた貸本屋があったのである。 そこにやっぱり松坂さんほどではないが妙齢のおばさんがいて、あたしはそのおばさんに釣られたわけではないが、入りびたりで、ハードカバーの貸本や、しばらくすると、くだんの水木先生の一連の作品やさいとうたかおさんのゴリラマガジンや白土三平さんの忍者武芸帖なんてもんをこれでもかと読んでいたのである。 今は一般用語である辰巳ヨシヒロ大先生命名よる「劇画」なんて言葉が貸本漫画の主流になって、それが、なにしろ小学校低学年であるから、大人の世界を描いた劇画の世界は、これもう、ハードボイルド風の探偵だの、ギャングだの、刑事だの、日活風のおねーさんも入り乱れて、これもう、めくるめく世界で、夢中で読みまくっていたのである。 それで、小学生なのに読めない漢字がなかったのである。 小学生が新聞の社会面や、新聞小説もふつーに読んじゃってたのである。 人間、何が幸いするかわかったもんじゃないのである。 そのころ、青少年に有害であるとして、神様手塚先生の作品までPTAの槍玉に上がっていた漫画のおかげで、あたしは小学生低学年から読めない字が無く、新聞も父親の愛読誌の「オール読物」も読んでいたのである。 なにしろ、「オール読物」であるから、青少年に有害もへったくれもあったもんじゃないのである。 小学生のときに「オール読み物」の他にも、もう1誌愛読誌があったのであるが、ああ、たしか「小説現代」だ。 その2誌によって現在のあたしの文学的感性およびナニのご趣味は立派にお育ちになられたわけであるが、なにしろ宇野鴻一郎大先生も川上宋薫超大先生も大活躍であったのでもちろん純文学ではないわけである。 そうとう後になって「文学界」であるから、そらもう、まともな文章を書けるわけも無いのである。 そのおかげかなんなのか、小学5年のときにド近眼の友達の眼鏡をふざけてかけたら、これがまた、世の中がすっきりはっきりくっきり見えて、ありゃりゃ、これはもしかすると自分も近眼なんじゃなかろうかなんて子供心に気がついたのである。 しかし、それまで、視力検査では、他の同級生と同様に先に検眼表を暗記していたので、いつも視力は1.2でぜんぜん近眼じゃないなんて思っていたのである。 それにかてて加えて、もちろん子供であるから、テレビが大好きで、まあ、昭和であるから、茶の間のこたつに寝っころがって至近距離から何時間も放送終了まで見てたりしてたのである。 そのおかげかなんなのか、中学生になったときには、どうも後方の席から黒板の字が読みづらいので、母親と眼鏡屋さんに行って、初めて黒ぶちの眼鏡を作ったのである。 まあ、そのときは眼鏡をかけている同級生が意味も無くなんとなくうらやましくて、眼鏡が欲しかったということの方が眼鏡を作った理由であるのである。 それから、眼鏡は100個以上作ったのであるが、今は近眼を治してしまったので眼鏡はいらないのである。 でも、記念に幾つか残してあるのであるが、そのころは最先端のデザインだと思っていたものが、今見るとおそろしく古臭いデザインであるのである。 |