神様をよいしょ まあ、お寺に参拝するとわかるのであるが、あちこちの寺に神社が併設されているわけである。 これは寺に災厄が起きないように、寺を守るために神社を建てるわけである。 つまり寺には仏様はいても神様はいないので、やっぱり仏様も神様に守っていただかないとまずかろうということであるわけである。 仏教はTeaching of Buddhaつーぐらいであるから、元来が仏つまりお釈迦様の教えを広めるのであって、そこからご利益をいただこうなんて不遜な考えで参拝してはいけないのである。 宝くじに当たりますようにだとか、いい彼氏ができますようにだとか、いい学校に受かりますようになんて、自分勝手な不遜な考えは神様が一手引き受けであるのである。 ところがこれ、神様に不遜なお願いをするとご利益の替りに辛辣な神罰を持ってお応えになるところが、神様の粋(いき)なところであるのである。 神様には何事もお願いしてはいけないのである。 神様は欲には神罰をもってお応えになるのである。 神様にはこれでもかとお礼を言うのが正しい参拝の作法である。 神様はお礼を言われたり、褒められたりするのが大好きである。 神様はよいしょされるのが大好きなおちょーしものであるわけである。 だから、神様を持ち上げてちょーしに乗らせると、あなたに多大なご利益をくださるのである。 つまり、これ、神様にお願いするとあなたの波動の周波数は高くなり、神様によいしょすると波動の周波数が低くなるのである。 神様の存在ももちろん素粒子による波動であるわけであるので、その波動をこよなく受けるにはよいしょであるわけである。 その神様はあなたの中に鎮座ましましておられるのである。 つまり、神様は常にあなたとともにおられるわけである。 だから、あなたの波動に合わせて、いつでもほんのすこーしのご利益を与え、いつでも辛辣な神罰をたーくさん下さるわけである。 ここが神様の素敵なところである。 いやいやどーして、なかなかやるねどうも。 さて、とにもかくにも宝くじを買いに行こう。 |