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名前:太郎 |
いつも楽しく、興味津々で読ませていただいております。
初めて質問させていただきます、よろしくお願いします。
「神降ろし」の最中、身体にはどんな変化が起きているのでしょうか?
ハイな状態、一種の躁のような状態なのでしょうか?
また、「神降ろし」の後には、極度の疲労など身体に反動がきたりするのでしょうか?象師匠はよく、修法を行う者の「身体ができて」いることの重要性を説かれていますが、こういった事も理由の一つなのでしょうか?
それともう一点、「神降ろし」で降臨なさる神様と、返り念障にある「罰と苦難と試練のみを与える」神様とは同じ神様なのでしょうか?それとも前者と後者は、現れる条件も役目も違う、まったくの別物なのでしょうか??
頭でっかちな質問ばかりしてすみません、教えていただけるとありがたいです。
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お答え |
象師匠 |
まあ、なんですねえ、象気功を書いていると、自分ではまるっきり考えたこともないことが際限なく湯水のように溢れてくるので、まあ、「神さんのお筆先」と表現しているわけであります。
まあ、実際には文章をキーボードで打つわけでありますが、自分で書いてる感じはなくて、勝手に指が文章をつむぎ出している感じで、ときには止まらないこともありますから、別に「ハイな状態、一種の躁のような状態」でもありませんねえ。
ですから、神さん任せで自分はなーんにも考えちゃおりませんので、とくに『「神降ろし」の後には、極度の疲労など身体に反動がきたり』という感じはありませんねえ。
普通に文章を書いたのと同じ程度の疲労ですねえ。
ただ、仕事の合間にこれを書いておりますので、仕事で脳がそうとう疲労していて、その上、文章を創作するわけでありますから、自分ではその感覚がなくても脳はフル回転しているわけですから、その結果ものすごく疲れるととゆーことはありますねえ。
まあそれで、象気功をよーくお読みになるとお解りになると思いますが、宇宙、神の分身が大宇宙に生まれるあらゆる生命体にふりそそぎその組成となり、もちろん人間の組成ともなっているわけです。
つまり、人間の組成と宇宙、神の組成は同じであるわけです。
ですから、『「神降ろし」で降臨なさる神様と、返り念障にある「罰と苦難と試練のみを与える」神様とは同じ神様』であるわけです。
とは、言いますが、前述しているように、実際には脳の機能のなせる技であるわけです。
人間は脳により自分の世界を構成し、そのそれぞれの世界の中で、観て、感じて、考えて、生きて、カルマの刈り取りを行い、死に、宇宙に帰り、再び分身となり生命体に降り注ぎ輪廻を繰り返すわけです。
「神降ろし」「お筆先」もその内側にあり、ほんの一部であるわけです。
「神降ろし」により、脳のそこのところ、つまり「神のお筆先」を開始させる部位にスイッチが入るわけです。
その「スイッチ」を入れる方法として、古来より、「神降ろし」と称して、いろいろな法が伝えられてきたのでありますが、それを伝える人間の身体ができておりませんので、なにがなんだかわからず、制作した者の意図ととは無関係に形骸化した儀式がめんめんと伝えられ現在にいたるわけです。
それで、象気功では『修法を行う者の「身体ができて」いることの重要性』は解いておりません。
まあ、あなたの言葉を借りれば、「修法」を行うことにより「身体ができる」ということを解いているわけであります。
ただ、前述のように、その「修法」自体が、それを伝える者の身体ができておらず、権威だけの、「修法」の効果を体現できない者、能力のない者により伝えられておりますので、教祖、グル、センセイの妄言、詐言により妄想だけが先走った「修法」をマニアの皆さんは夢中で修して楽しんでおられるわけです。
まあ、それも人生の娯楽でありますので、いろいろ試してお楽しみいただきたい。
てなことであります。
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Re:
「神降ろし」と神様について |
太郎 |
お答えありがとうございました。たいへん興味ぶかいです。ますます疑問がふえました(笑)
憶測でてっきり神降ろしは危険を伴うものだと決め込んでおりました。
むしろインスピレーションに近いのかなあ、、と思いました。
「神降ろしもまたカルマ刈り取りの一部にすぎない」というのが印象的でした。過剰な期待というか、自分の中で妙に期待していた部分がとれた気がします。
余談ですが、私はIT企業に勤めてますが、コンピュータの仕組みって、知れば知るほど人体の仕組みと似てるなあと感じます。
開発者が医学に詳しい訳でもないんでしょうけど。
あまり関連のなさそうなモノ同士に共通項とか、似たような振る舞いを見つけたりすると、「どんな物事の組成も同じ」ってこういうことなのかなあ、と感じます。
これからも更新楽しみにしてます。
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