象気功

本日の御神託



人生における正邪の逆転


人生は山あり谷あり谷底あり沼底あり落とし穴ありで、時折、思いもよらない酷い目にあったりするわけである。

しかし、酷い目に会ったと思っても、それが後になるとそうでもなくて、逆にそのことで助かったと思えることも多々あるのである。


また、ものすごく気の合わない嫌な奴と思っている人に、窮地を救われることもままあるのである。

つまり、嫌な奴がそうでもなくて、良い奴だったということが分かる場合が、長い人生には少なからずあるわけである。


人生の途上で起きてることや出会うことは、自分の「思い」ひとつで正邪が逆転してしまうわけである。

何が幸いするのか、何が災いとなるのかは、ご臨終の寸前まで、逆転の可能性があるわけである。

多くの場合、今現在の状況を最良と取るか最悪と取るかてなことは、そのときの体調や脳の調子の具合で逆転するのである。


たとえば、急坂の山道を登るにも、体調が最悪で息も絶え絶えであれば地獄の道であるが、体調が絶好調で体力気力が十分であれば、周囲の木々や花々を愛でながらのハイキングになるので、これはもう極楽の道である。

現在の状況の正邪は、その時の体調にものすごく左右されるわけである。


身体頑健なものは、そうとうに困難な状況もたいして苦とは感じないが、虚弱なものはたいていの状況を苦と感じるのである。

これは思考の方向性自体に大きく影響を与えるのは当然で、自己啓発などで、前向き思考だの、積極思考だの、ポジティブシンギングだの、アファメーションだのとのたまわれても、臓器内臓のあちこちに支障があって、起きているのもしんどい場合には、何をどうしようが、悲観的になるのは当たり前である。


これが逆に体調が絶好調で、何をやっても苦にならない場合は、暗く考えろと言っても無理である。

いやがおうでも明るく前向きな思考になるのは当たり前である。

前向きな思考であれば当然ものごとはよろしい方向に向かい、ネガティブであればよろしくない方向に向かうということに否やを唱える気は毛頭ないが、それを「心の持ち方ひとつである」とか「心を変える」なんてことを言われると笑止千万である。


心で心を変えるのはあたしら馬鹿丸出しのぼんくら衆生には至難の業である。

しかし、体を変えることはあたしら能なしでも比較的容易である。

たとえば、まったく運動をしない人が、ラジオ体操を日課として励行するだけで、体は激変するのである。


ラジオ体操を小馬鹿にする人も多々おられるが、氣がわかると、これは世界に冠たる優れた気功法であるということが理解できるのである。

あたしゃべつに全国ラジオ体操れんめーの回し者ではないので、もちろん、ウォーキングしかり、スロージョギングしかり、である。


これらを一日15分程度を楽な範囲内で毎日励行するだけで、何もしない場合と比較すると体は激変するということが、ご経験者はどなたもご理解いただけることと思うわけである。

血行が良くなり、心肺機能が向上し、筋力が向上し、動くことが楽になると、心はいやでも前向きになるのである。


前向きになれば、いやがうえにもよろしい脳内ホルモンが放出されて細胞は活性化し、運気が上昇するのは当たり前である。

体を変えれば心は変わるのである。


健康な体に「正しい心」は必ずしも宿らないが、健康な体に「前向きな心」は容易に宿るのである。

逆に不健康な体には「後ろ向きな心」が容易に宿るのである。


心が前向きであれば運気は上昇し、後ろ向きであれば運気が下降するのは当たり前である。

そのためには、簡単な運動を毎日励行することである。

極端な運動は過剰な活性酸素の発生を促し健康を損なうのは、昨今の常識になりつつあるので、象気功タームの「やらないよりマシ」が寛容であるのは言わずもがなである。


健康な体を造るあるいは維持する基本は、良い食と、良い呼吸と、良い睡眠と、適度な運動である。

つまり、当たり前のことを当たり前にすることである。

この逆に不健康になりたければ、悪い食と、悪い呼吸と、悪い睡眠と、運動不足あるいは過剰な運動をすればいいわけである。


悪い食とは、農薬満載、化学肥料満載、食品添加物満載、過酸化脂質満載、高脂肪、高塩分、高カロリー、大量のアルコール、大量のカフェイン、てなお食事を毎日お召し上がりになることである。

悪い呼吸とは、タバコ、排煙、排ガス、焼却煙、粉塵、ダスト、ダニの排泄物、などを毎日お吸いになることである。


悪い睡眠とは、夜更かし、昼夜逆転生活、恒常的な睡眠不足、てなことである。

それを中高年まで継続すれば、細胞は毒だらけになり、血管は取り返しの付かない状態になるので、めでたく脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、がん、などに罹患して、早めにご臨終の運びとなるのである。


まあ、このことは細胞が活き活きとしているお若いうちはどなたもまったく歯牙にもかけないので、乱暴狼藉な生活をこれでもかと実践なされて、中高年になって気が付くと手術台の上で「あらいやん」とあれこれの恐怖にさいなまれることとなるわけである。


読者の中には、すでに細胞が瀕死の状態でこの話自体が無駄である人も多々おられるとは思うが、細胞は自己再生修理メンテナンス能力いわゆる自然治癒力があるので、「やらないよりマシ」をモットーに、この先の人生の方向性を正すことをお勧めしてご挨拶と致すわけである。

もちろん、DNAの思し召しによる疾患や、神の声が聞こえる等の脳の不健康については、専門の医師の診断と指示に従うのが最善であるのは言うまでもないことである。

完。


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