名前:ままかり |
「開く」と「活性化する」の違いについて。
初めまして、このHPの進行と共にアホになろうと企んでいるままかりです。
早速ですが丹田を開こうと二つの言霊を唱えていましたところ、お腹がスーット広がり腹式呼吸しても気がいくらでも丹田に入っていく感じがしまして、「これは丹田が開いた!」と喜んだのでありますが、翌日になるとほとんど元に戻っておりこれは単に活性しただけなのかと思って多少落胆しております。
私の理解では、活性化する→開く→開きっぱなし となると思うのですがこれでよろしいでしょうか?
また、開閉を繰り返しているうちに自然と開きっぱなしなるものでしょうか?
よろしくお願いいたします。
お答え:象師匠 |
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ううむ、まあ、なんですね、開くでも活性化するでも覚醒するでもふわーでもどーんでもなんでもいいんでありますが、まあ、真言や言霊には各部位にそんな感じの影響があるわけでありますが、それはおっしゃるとおり持続しません。
でも、そこの気道が開く前よりは太くなりますので、開く前とは身体が確実にちがうのであります。
言霊や真言をやめると開いている感じや活性化してる感じはなくなるんでありますが、身体は変化しているわけです。
でも、同じ真言や言霊でも人によってその開き方はさまざまですので、いきなり部位がドカンと開いて頭ぐるぐるで七転八倒の人もいれば、丹田が温かい程度の人もいるのであります。
そのドカンをインドのおじさんなんかは「チャクラ(車輪)が覚醒してぐーるぐる回った」なんておおさわぎするわけであります。
でも、どの場合も、べつにとんでもない開き方をしたからといって、急にそれからものすごい能力が出て超人になるわけではないのであります。
そのへんのことを日本中いやもう世界中の気功やヨーガマニアのみなさんが勘違いしているわけです。
ただ、気道が変化するとともに今までDNAのスイッチの入っていなかった部分にスイッチが入ったりすることもあるのであります。
たとえば、それまでまったく気がわからなかった人が完全に気を感じられるようになったりするのはそのためであります。
だから、思わぬ能力出たり、DNAのちがうスイッチがはいりますので、運命も変わったりします。
まあ、たとえばDNAのスイッチが入らなくても文殊菩薩の真言で足を開いて血行がよくなって、冷え性が治っちゃったりしただけでもかなり運命は変わっているわけであります。
まあ、そーゆーわけで、このおおげさな妄想を売り物にした、「クンダリニーの覚醒」だの「チャクラの活性化」だのは、新興宗教やインチキヨーガの格好な客集めの道具になってみなさん見事にはまっているわけです。
しかし、なにごとも信ずるものは救われるでありますので、それも悪くはないでしょうが、象気功はべつにお布施集めの客寄せではありませんので、あたりまえのことしか言いません。
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