象気功

会陰メソッド


会陰メソッドの根本原理

一切衆生救済2


さてさて、日本はいったいどこへ行くのか、象気功はどこへ行くのか、象師匠のあたまはだいじょーぶなのか、謎が謎を呼んでナゾナゾをひとつ。

パンを2つ食べた人の履いてるものはなーに?

答え・パンツー

だじゃれかよ。

ううう、真夏なのに寒すぎて死にそうだ、だれか助けてくれ。


つーことで、まあ、どんな気功のセンセーでも言うことであるが、気功の大前提は「力を抜く」ということである。

まあ、本来は「緩める」ということであるので、厳密に言うと「力を抜く」とは違うのであるが、気功のしろーとさんの場合は「力を抜く」ことが「緩める」感覚を得る早道である。

気功の究極は「全身の細胞をいかに緩めるか」ということである。


まあ、とにかく、「力を抜く(緩める)」は「筋肉を鍛える」の反対であるのは、そうとうなパ~でもわかることである。

これは、筋肉を鍛えなければ筋肉が衰えて日常生活に支障をきたすではないかてな愚論はあちらに置いといて、気功における氣の養生あるいは氣道・ナディの開発においての話である。

もちろん、日常生活においては、骨格筋も深層筋も重要であるから、それなりに鍛えることが重要であるのは当たりまえである。

論ずる事自体がナンセンスである。


また、格闘技においても、骨格筋も深層筋も強いほうが有利であるのは当たり前である。

しかし、骨格筋を鍛えて肥大させて氣が出るなら、筋肉芸人のなかやまきんに君は気功の大センセーであるし、ボディビルの世界チャンピオンは世界一の気功の大達人で周囲の人をことごとく氣で吹き飛ばしてしまうはずであるが、そんな話は聞いたこともないのである。

バカでも分かる話である。


さらに言えば、気功の達人は筋肉の限りなく衰えた老人である場合も多々あるわけである。



まあ、あまりいい動画がなかったのであるが、この動画の太極拳のセンセーである老人が怒涛の氣を発して、若い人を吹き飛ばしたりしてるわけである。


しかし、骨格筋も深層筋も含めて、毎年1%ずつ筋肉が減少すると言われる老人に筋肉が多いわけはないわけである。

つまり、骨格筋を鍛えて肥大させても、氣の量あるいは氣の強さとは比例しないわけである。

もちろんこれは格闘技としての強さをうんぬんしているのではなく、氣の強さあるいは発する氣の量に関しての話である。


このご老人が若手の筋肉隆々の格闘家と対峙したら、タコ殴りにされて病院に送られるのは当たり前である。

しかし、その筋肉隆々の若い格闘家が健康で長生きかというと、そんなことはなくて、たいていは臓器・内蔵・血管に無理な負担がかかって、心臓病、脳梗塞、腎不全、がんなどを発症して、何もしない人より早死であるのはご存知のとおりである。


また、站樁功を、太ももを鍛える方法であると勘違いしてるとんちきな能無しも多々おられるわけであるが、何度も言うが、太ももを鍛えて氣が出るなら、けーりんの選手は残らず気功の大達人である。

気功道場に行くよりけーりん場で車券を買った方が氣を受けるには効果があるわけであるが、んなアホなことをしてる人がけーりん場には一人もいないのは、けーりんファンならずとも分かる話である。


象形流站樁功で解説しているのは、正しい体重のかけ方により、著しく毛細血管が多いと言われる全身の深層筋を連動させて氣を生み出し、骨格筋も含めて全身の臓器・内蔵に網羅された氣道の圧力を上げて全身の毛細血管に血流を促し健康増進を成就し、長期的には、氣道を育て、氣の相対の量を増やすということである。

站樁功の基本も、まずは全身を「緩める」ということであるが、そのためにはしろーとさんはまず骨格筋の「力を抜く」ということである。


何度も言うが、これは深層筋に負荷をかけて深層筋を鍛えるということではないのである。

要は効率の問題である。

しつこくもう一度言うが、骨格筋の力を抜くといっても、深層筋を鍛えるということではないのである。

全身を緩める一助として、まず、意思で操作できる骨格筋の力を抜くということである。


要は内蔵も含めて全身を緩めたいわけである。

全身60兆の細胞を緩めたいわけである。

もちろん、深層筋も緩めたいわけであるが、姿勢制御を司る深層筋を完全に緩めると寝たきりになってしまうである。

まあ、ヨーガなんかではその状態でさらに全身を緩めて行く方法があるのであるが、氣道を育てるあるいは氣道の開発ということに関しては、立つことによる深層筋の連動を利用して氣を作り、さらに手を利用して増幅し全身の氣道に圧力をかける站樁功などに比較して、寝たきりヨーガは効率が非常に悪いのである。


とにかく站樁功や太極拳などの立位での気功法の目的は深層筋を鍛えるということでもないし、ましてヒラメ筋を鍛えるということでもないのである。氣に関しては、「筋肉を鍛える」という発想から脱しないと先には進まないのである。

だから、「ヒラメ筋が痛い」なんて站樁功は馬鹿丸出しの具の骨頂であるわけである。

ヒラメ筋に負荷をかけるのではなく、いわば立つために連動した全身の深層筋に負荷をかけるのである。


負荷というとまた語弊を生むので言い換えると、テンションあるいは刺激を与えるのである。

テンション・刺激を与えるのであって、鍛えるのではないのである。

ヒラメ筋も含めて立つことに関わる「全身の深層筋」を連動して、毛細血管の血流・血行を促進して氣を生み出し、さらには気功において重要な「手」を利用して氣を増幅し、内蔵も含めた「全身の氣道を開く」ということが站樁功の眼目である。


氣を養生するには「いかに鍛えるか」ではなく「いかに緩めるか」ということである。

緩めないと氣道は育たないのである。

緩めることにより氣道は育つのである。

とにかく、内臓も含めて、全身の細胞を緩めたいわけである。

だから、どの気功の達人も「力を抜け」と教えるわけである。


その極め付きが、以前に紹介した台湾の太極拳の大達人で推手チャンピオンの黄性腎大センセー考案の太極鬆身五法であるわけである。

太極拳を極め、プロレスラーをなぎ倒し、推手でも向かうところ敵なしの黄性腎大センセーにして、氣の極意は「力を抜くこと(緩める)」であると喝破なされたわけである。

ことほどかように、氣の修練には「力を抜くこと」が重要であるわけである。

ところがこれが、このことを正しく理解できたからといって、成果が出るかというと、ものごとはそう簡単には問屋が降ろさないのである。


本題はここからである。

それじゃ、ここまではどーでもいい前振りかよ、てなツッコミをさらりと流して、象形流站樁功を正しく理解し、いくら力を抜いて全身を緩め、全身の深層筋を連動させ、開合功・昇降練気を正しく修練しても、さっぱり氣道に圧力がかからないし、まして怒涛の氣なんか出る気配もないし、気感もさっぱり育たないという人も多々おられるのである。

逆におつむがおかしくて正しく理解できないためにとても気功とは言えないようなわけのわからないでたらめをやっていても怒涛の氣を発する人もいるのである。


まあ、この、氣が出るだの出ないだの、気功の上達だのてなことは、別段の病気もなく、氣の不思議なんてことに興味を持って気功を始めたようなパ~の皆さんにはたいした問題でもないわけである。

しかし、体が弱く病弱であるとか、あるいは何か疾患疾病を抱えた人が健康を取り戻そうとして、本来の目的である健康法としての気功を始めた場合は問題が深刻であるわけである。

体の弱いものはさっぱり強くならんし、疾患疾病を抱えたものはさっぱりそれが快癒の方向に向かわないわけである。


その原因が、「氣の穴」の制御の具合、さらには疾患疾病のために氣道に空いた「氣道の穴」にあるのである。

正しい気功法を行っても、芳しい効果が得られないということになるのである。

なんのこっちゃであるわけである。

そのなんのこっちゃをなんとかしようというのが神のみわざの「会陰メソッド」であるわけであるが、いったいいつになったら実践が始まるんだという苦情はいっさい受け付けないのである。

まあ、象師匠ったらおきゃんなんだから。

おきゃん?なにそれ?

知らんがな。

続く。

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