象気功

会陰メソッド


会陰メソッド実践

尾骶骨を締める


氣は念によりコントロールされるのである。

氣道も念によりコントロールされるのである。

氣の穴も念によりコントロールされるのである。

氣の穴の弁も念によりコントロールされるのである。

念は意識である。


つまり、氣と念の違いが分からないと話が先に進まないのであるが、氣と念の違いについては「念力」の章でこれでもかと解説したので、省略するのである。

つまり、分からない人は放ったらかしで行くのである。

象気功ニワカの人や分かりたい人は「念力」の章を心ゆくまで読み返して、「おお!なるほど!そうだったのか!」と感動していただくと、これから先の話は分かるかもしれないのである。


まあ、それで、分かっても分からなくても、氣道を念あるいは意識でコントロールするには、完全な氣感がないと不可能であるので、会陰メソッドの入り口として、しろーとさん向けに、前回までに、肛門と尿道の括約筋のうちの、意思で操作できる横紋筋を締めるという方法を解説したわけである。

しかし、目的は括約筋を締めることではないのである。

そのことにより、肛門や尿道の括約筋と連動した氣の排出口あるいは放出口である「氣の穴の弁」を「意識」あるいは「念」で締めることが目的であるのである。


肛門と尿道の括約筋を締めることにより、「念」あるいは「意識」で「氣の穴の弁」を「締める感覚をつかむ」ことが目的である。

「意識で締める」という感覚がどうしてもわからない方は、「意識で上に引き上げる」という感覚でもよろしいのである。

意識あるいは念により行うことであるので、「感覚」によるものであって、意思により筋肉で締めることとはまったく違う方向である。


「念」あるいは「意識」により肛門と尿道の氣の穴の弁を「締めっぱなし」にするのである。

それはとりもなおさず、氣の穴の弁を締めっぱなしにして、氣のだだ漏れを防ぐということが目的である。

だから、語弊はあるが肛門や尿道の括約筋のうちの横紋筋は緩んでいる場合もあるわけである。


もちろん、不随意筋として用のあるとき以外は緩まない平滑筋まで緩んだら、便も尿も垂れ流しになってしまうのであるから、それは別の問題である。

あくまで括約筋のうちの意思により操作できる横紋筋についての話である。

また、巷間に流布される肛門の横紋筋をこれでもかと絞り上げたり、締めたり緩めたりを延々と繰り返すとか、尿道の横紋筋をぎりぎりと締めるとかではないのである。


ヨーガの達人と言い張り自分も空中浮揚ができるなんて二番煎じが売り物のどこかの阿呆に乗せられて、肛門を締めたり緩めたりを何千回何万回はては100万回なんてことをやっても、特別な能力が出るなんてことはないし、まして、超能力が出るとか、霊能力が出るとか、神に近づくなんてことがないのは、年齢よりもはるかに老けてぼろぼろの本人をみればわかることである。

気功もヨーガも導引あるいは仙術も、基本は不老長寿・アンチエイジングである。


膨大な時間と労力を無駄にして老化を促進したのでは、なんのこっちゃであるのである。

ものごとは当たり前にふつーに判断することが肝要である。

健康の究極である世界のご長寿者をみればわかるとおり、ご長寿者は気功師でもなくヨギーでもなく仙人でもなく筋肉バカでもなく、例外なく、当たり前の生活をしてきた市井のふつーの人である。


ものごとはすべからく「中庸」が肝心である。

何ごともやり過ぎれば、ろくなことにならないのである。

健康によいとされる気功もやり過ぎれば氣道に炎症を起こして寿命を縮めるし、健康によいとされる運動もやり過ぎれば活性酸素を過剰に発生させて寿命を縮めるし、身体を大事にし過ぎて動かなければ運動不足でいろいろなお病気を発症して寿命を縮めるのである。


常軌を逸した方法や回数で肛門や尿道の横紋筋を締めあげたりあるいは締めたり緩めたり上げたり下げたりしても、障害が出る以外はろくなことにならないのである。

当たり前である。

ただし、加齢・老化あるいは虚弱体質などにより括約筋の筋力が落ちて、尿漏れ・便漏れを起こしやすい方の場合は、適度に括約筋を締めたり緩めたりする運動により、それを改善できるので、適宜、それを推奨する医師あるいは健康体操のセンセーの指示に従って励行することをお勧めするのである。


まあ、とにかく、会陰メソッドの入り口として現在解説していることは、老廃物の排出口である肛門や尿道の括約筋を締めることが目的ではなく、それに連動した氣の排出口であり、「氣のだだ漏れ」の原因である「緩んだ氣の穴の弁」を意識あるいは念により締めることが目的であるのである。

もう一度言うが、肛門や尿道の括約筋を締めることが目的ではなく、「念」あるいは「意識」により「氣の穴の弁を締めること」が目的である。


氣感のないものにそれを解説しても分かりようがないので、しろーとさんにも分かるように、括約筋と氣道の連動ということを利用して氣の穴の弁を締める感覚を掴むということを解説しているわけである。

いずれにしても、目的はだだ漏れしている「氣の穴の弁」を「締めっぱなし」にして「氣道内の氣圧を上げる」ことである。


そのことにより、体力・気力を回復し、また、氣道内の氣圧を上げることにより氣の密度を上げ、患部に空いた氣道の穴に氣を集めて修復し、その穴を塞ぎ、氣のだだ漏れをなくすことである。

まあ、肛門と尿道を締めただけでも、やってみればわかるとおり、体力・気力はそれなりに回復し、炎症あるいは疾病・疾患がそれなりに快癒の方向に向かう場合も多々あるのである。

しかし、肛門と尿道を締めるということにこだわっていると、いつまで経っても会陰メソッドにはたどり着けないのである。


会陰メソッドは括約筋・横紋筋を強化するのための法ではないのである。

つまり、意思で操作できる横紋筋を締めることにより「意識」を反映させ、氣の穴の弁を締める感覚を掴む訓練をするというのが正しい方向性であるが、どうしても氣が分からない人は、適度に、意思により横紋筋を締めるということだけでも意識が働くので氣の穴の弁はそれなりに締まり、効果はそれなりにあるので、それでもやらないやりよりやった方がましという象気功の教義には合致することであるのである。


しかし、本来の目的はそのときの肛門と尿道の氣の穴の弁が締まる感覚を掴むことであるのである。

これは氣の穴の弁が締まる感覚ととともに、氣道の圧力が上がるということでも実感できるのである。

そのときの氣の穴の弁の締まる感覚と、氣道内の氣圧が上がる感覚を掴むことが、会陰メソッドの感覚を掴む際に重要になるのである。


さて、ここからが本日の本題である。

とんでもなく長い前振りである。

しかし、この前振りなしには話が先に進まないのである。

会陰メソッドの入り口として、肛門と尿道の横紋筋を締めることにより、氣の穴の弁を締める感覚を掴んだら、その感覚により「尾骶骨を締める」のである。

もちろん、尾骶骨には横紋筋がないので、意思で筋肉を操作して締めるなんてことはできないわけである。


つまり、「会陰メソッド」は筋肉を操作するとか、あるいは筋肉を強化するという法ではなく、「氣」さらには「氣道」さらには「氣の穴」さらには「氣の穴の弁」を操作する法であるのである。

象気功は気功法であるのである。

気功法は氣を操作する法であるのである。

氣は、念あるいは意識により操作されるのである。


意思で締めることができない尾骶骨を締めるわけであるから、意識あるいは念により締めることになるわけである。

だから意識あるいは念で締めるという「感覚」と、そのことにより「氣道内の気圧が上がる感覚」を掴むことが重要になるのである。


さてさて、ついに始まった会陰メソッドの実践であるが、その冒頭からいきなり締めることができない尾骶骨を締めるとはいったいどーゆーことか、いったいどーするのか、いったいどーなるのか、いったい何がおきるのか、嘘かまことかでたらめか、人類救済の神のお告げ神の恩寵と称する口から出まかせはいったいどこへ行こうとしてるのか、謎が謎を呼んで本日もナゾナゾをひとつ。

ありさんが十匹で言ったことなあに?

答え・ありがとう

おまえ、ばかだろ。

続く。

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