大トッチ日記 1


2000年
11月30日
 最近、精神状態が下降気味である。やはりここ半年以上浮かれ放題だったツケが 回ってきたのだろうか?で、突如として日記など書いてみることにした。
 雑誌四誌買い込む。とあるコラムをニヤニヤ読む。
 著者は僕が知ってる人で、師匠と弟子の関係について色々書いてあるが、師匠のことも存じ上げているので、「高尚なオヤジギャグに包まれた苦言」を読みとるのに苦労 する話とか、よくわかる。僕の師匠の得意技は「適時適宜なイヤミ」だったけど、まあ できない弟子の悩みっつーのは似てくるもんである。
 それにしても、この著者の人は「バツ1の女性」を僕に紹介してくれる、というありがたい話を持ちかけてくれたのは良いんだけど、「まだ離婚してないんだけど、良い?」とゆーオチまでつけてくれたという豪傑である。

うわ、仕事関係ばっかじゃん。

2001年
4月8日
 という日記を一回だけ書いて、はや4ヶ月である。世紀を跨いでしまった。まあ、この間いろいろあったが、楽しかった。(などとお気楽に書くと、とある編集者から呪い殺されそうな気がするが。)
 明日は講義ガイダンス(30分だけ、講義のあらましとか、終了時に単位認定のために要求されるスキルとかを説明する)なのだが、シラバスを配るべきだろうか、ちょっと悩む。
 ガイダンスの趣旨からすると、余計な資料を与えるよりも、講義概要を再度読んでもらって、わかんないところは質問してもらう方がよろしいような気がする。よし、次回配ろう。と、シラバスの印刷が明日までに間に合いそうにないことを正当化してみる。だって、頼りにしていた法学研究所のプリンタが壊れてるんだもん。
 

この日本語の副題は誤解の元だ。やめた方が良かった。インターネットとかプライバイシーとか、そういう狭い射程の本じゃない。立憲主義・法の支配の危機が目前に迫ってるぞ、っていう警告なのだ。ああ、こういう書き方するとトンデモ本みたいだけど、もちろん違う。法学研究科の院生は、専攻の如何を問わず必ず読むべき本。実定法学の大前提が崩れつつあるってことだ。
 校正が終わらない……

4月9日
 講義ガイダンスを3つ。結局、シラバスは配らず。かわりにここのトップページを紹介した。全員がネットにアクセス可能なスキルがあれば、これは便利な方法だと改めて認識。(何を今更!)それにしても、ああいう有様のページなので「十年前のホームページみたいなレトロなところですが、何せ昨日一日ででっち上げたもんなんで……」と言い訳を繰り返す。スタイルシートなんて面倒なもん、使えるはずねえだろ。へん!
 校正が……。

4月11日

 ターザンなんて買ったのは「その腹を、引き締めろ!」というコピーに惹かれて。
その他のものは、ターザンの表紙を隠すためのもの。
まるでエロ本扱いだ。
 校正は順調に進んでいる ^o^

2002年
3月30日
 という日記を書いてから、また1年である。いやあ、月日が経つのは早いものだ。
 前のはいっそ消しちゃおうかとも思ったが、まあ、こういうことをしていたという事実は事実なので、そのままにしておく。

 午前中、排水管掃除の人が来る。絵に描いたように、食事の寸前だった。さて、これからパンを焼きましょうかね、という瞬間。焼き上がってからじゃなくて良かった。その間に新聞屋も来た。クリーニング屋も来るかと思ってたら来なかった。コート出そうと思ってたのに。
 午後から研究会。お題は、2001年商法改正。
 いろいろ考えることはあったが、考えはまとまらない。
 帰りに南口紀伊国屋に寄る。また1万円以上の衝動買いしてしまった。準禁治産者(とはもう言わないが)の資格十分である。
 J-Phoneが文字情報サービスを終わりにしちゃったので、帰りのルートをどうすべきか悩む。結局、東横線経由に。東横は特急ができてから、かえって使いにくくなった。特急と各駅停車との接続が変なのが原因。
 しまった。昨晩買ったひじきを食べ損ねた。ちぇ。

3月31日
 唐突だが、投票日である。選挙には必ず行くようにしているが、今まで投票用紙に名前を書いた候補はことごとく落選している。これはもちろん何か魔法の力がはたらいているせいではなくて、当選しそうな候補にいれないからなのだが、もしかしたら魔法の力かもしれないので、ためしに今回は極めて有力と言われる候補に投票したれとか思わないわけでもない。

 今回の選挙は、泡沫候補1人、泡沫とは言い難いが当選は無理な候補が1人、有力だが良くて接戦で負けそうな候補が1人、常識的には盤石だろうなあという現職候補が1人という取り合わせである。当選は無理な候補のことを泡沫と言えないというのはなぜかというと、言うまでもなく共産党推薦だからである。が、ここら辺は共産党が弱い地域なので、当選可能性はほとんどないということは素人でもわかる。で、死票とわかりきっている票を投じる趣味はないので、選択肢は有力2候補のうちどっちかなのだが、やっぱ四選てのはまずいよね。よっぽど業績が優れているのなら別だけど、まあ無難に(といっても財政は悪化したようだが、これは現状では酷い無能を意味するわけでもないだろうから目をつぶる。)こなしただけの人が16年も役所のトップにいて何か良いことが起きる筈はない。

 と考えると選択肢は1人に絞られるのだが、第1に最初に述べたジンクスがあり、第2に、候補があんまり好きになれないということがある。しかし、第2の問題については、とりあえず人を代えた方が良いよねという判断よりも弱い要素なので、これはクリア。残る問題はやっぱりジンクス。終盤の報道だと、結構競り合ってきたらしいともいうが、こういうときにちょっと弱そうな候補に投票してやっぱり駄目だった、ということの繰り返しなので、非常に悩む。ふふふ、俺の魔法を受けて見ろ、と現職に投票しちゃっても良いのだ。どうしよう。

 などと悩みつつ投票を済ましたのだが、開票は深夜までもつれ、現職が落ち、有力新人が当選。さて、魔法は利いたのか?

4月1日
 都合により昨夜から実家。父が突如、明治時代のお雇い外国人レスラー(昔の人は「ロエスレル氏」と呼んだが、Roeslerなのである)の話をはじめる。ロエスレルというと、旧商法草案の「ロエスレル氏商法」なども思い起こすのだが、大日本帝国憲法起草にも深く関わった人である(参照)。父曰く、レスラーは帝国憲法第1条「万世一系ノ天皇」のくだりに反対したそうであるが、「万世一系」だと神様になってしまうから、クリスチャンとしてカチンときたのではないかと。たぶんそうだろう。フランス流の国民主権の憲法じゃなくてプロシャ風の君主制憲法を持つのはレスラー自身の奨めたこととしても、皇帝を神様にしちまうんでは違和感ありまくりだったはずだ。しかし伊藤はこれを強行した。神格化された天皇を戴いて国会に群れ集う民権派を蹴散らすという構想は、憲法制定当初からの既定路線であり、大逆事件はその当然の帰結だったわけだ。父の考えでは、これは、少なくとも平安中期以降の皇室による統治手法の伝統とは全く異質な、別の天皇制というしかないという。中世の天皇は、その教養(とくに仏教に由来する哲学的な自省・内省の能力)と高度な文化によって野蛮な武士やら地方の土豪連中を畏れいらせ、仲裁者として振る舞うという優雅なやり方を採用したというのが父の持論だ。「万世一系」と称した、まさにそのことによって、千年以上の伝統ある天皇制が終わりを告げたという皮肉。面白いので書き留めておく。

 昨晩の劇場中継「伊賀越道中双六 沼津」は、勘九郎・仁左衛門・玉三郎という豪華な顔ぶれだったが、前半、勘九郎が「七十過ぎの雲助」を楽しんで演じている様子が面白く、つい見とれてしまった。ここで役の人柄が十分に伝わったのが後々まで利いて、後半の義理と親子の情のもつれ合いのやり切れないストーリーにもかかわらず、後味は悪くない幕切れとなった。仁左衛門が玉三郎と出会って文字通り鼻の下を伸ばす表情が実に可笑しく、しかも下品にならないのも感心した。

 夜、8時くらいから眠りこけてしまった。あーあ。

4月2日
 一日中頭が重い。持病の偏頭痛とは違って、痛くない。が、なんか調子悪い。ひょっとして花粉症デビューでしょうか?

 昨日の父の話を読み返して、思いだしたこと。カード会社からの企画の案内で、銀座のマキシム・ド・パリのランチご優待というのが来ていて、これは当然男はジャケット着用なんでしょうなあ、という話になったとき、「あのドレスコードというのは、せっかくその気になって来店した他の客の気分を損ねないためのエチケット」という某嬢の説を紹介したら、母が「お店の体面のためだと思うと良い気持ちじゃないけど、他のお客のためと思えば気分良くでかけられる」と賛同。父もいたく感心して、「そういえば、戦前のその手のエチケットというのは、突き詰めると『天皇陛下の御為』ということになっていた。だから戦後、肝心の天皇の権威がなくなったら、いったいなんのためのエチケットか誰にもわからなくなって、結局エチケットの体系が忘れ去られたのではないか」という考察が披瀝された。天皇陛下の権威というのはまことに便利なものでもあるが、便利すぎて判断能力を損なうという話。ま、ちょっと飛躍がある気もするが、これも面白いので書き留めておこう。

 真上の部屋に若夫婦(たぶん)が越してきて、お菓子をもって御挨拶に。これはどうも御丁寧にとかなんとか。奥さんはちょっとタレント顔の美人なのだが、それで思いだした。隣にいたやはり美人の若奥様と歳の離れたご主人(たぶん)のカップルが、いつの間にか引っ越していて、隣室は今空き部屋である。半年もいなかったのではないか。歳の離れかたと言い、引っ越してきた時期が転勤シーズンからずれていたところと言い、気になっていたが、この素早い退去ぶりでいよいよ正体というか事情が気になる。

 久しぶりにガストで昼食をとる。ドリンクバーに「カフェオレ」という新顔があったので、早速試してみたが、これが大失敗。激甘。いや、たぶん糖分は普通なのだろうが、ふだん砂糖抜きで珈琲を飲むので、おそろしく甘く感じる。そうか、世間ではカフェオレというものは、甘い飲み物なのだ。缶入りのカフェオレとか、自動販売機のカフェオレとか、みんな砂糖入りだし。そういえば、おフランスでも皆さん珈琲には角砂糖をドカドカ入れていたから、これが本場風?

4月3日
 朝5時に目が覚める。と、パンを焼き忘れていたことに気づく。が、慌てず騒がず「早焼きコース」で7時半には焼き上がる。うしうし。早焼きのときには砂糖とドライイーストをやや多めに入れるのがコツのようである。それでも小ぶりになるのは避けられないが。

 黄砂。
 数ヶ月ぶりに自転車で大学まで行くが、走ってるだけで手が埃だらけ。ということは、顔も髪も何もかも埃だらけになってるわけだ。しかし、お天気は大変良く、ちょうど昼時に通りかかった新横浜近くの鶴見川沿いの公園では、近所の会社の人達がのんびりとひなたぼっこしてる。この平和な光景も、6月になると阿鼻叫喚の坩堝と化すのでしょうか?

 大学で、本年度分の時間割と履修ガイドと講義要綱をゲット。これのためにチャリチャリとやってきたのである。なぜかというと、明後日の「クラスガイダンス」というやつで、1年生に履修ガイダンスをしてやらにゃならんので、その予習のため。おおなんたる過保護とお嘆きあるな。最近はどこの大学もそうだと思うが、1年生の履修は「縛り」がきついので、ただでさえ大学の仕組みに不慣れな新入生は、いろいろな間違いをしでかしやすい。これは大学側が押しつけた制約だから、説明責任も当然あるわけだ。もちろん、説明責任を果たした以上あとは自己責任でやってもらうのだが。

 自己責任で思いだしたが、どこぞの弁護士が、国公立に受かった私大合格者の納入した入学金その他一切につき、消費者契約法にもとづいて返還請求訴訟をおこすそうである。いやあ、良いところに気がつきましたね。しかし、学生を消費者と位置づけちゃうことについては、おそらく各方面からいろいろ反響があるであろう。が、ことは飽くまでも消費者契約法の解釈問題なのであって、あまり大学問題一般に敷衍して論じることには慎重でなくてはいかんだろう、という見通しだけ書き留めておく。いまは、そんなこと深く考えてる暇はないのだ。

 今日は入学式でいろんなスタッフが出払っているらしく、食堂関係は休み。しょうがないので、講義要綱その他を握りしめて帰路につく。帰り道には、デニーズ、サンデーズサン、大戸屋などが(この順番で)存在する。どこで食べようかなと考えながらペダルを漕いでいたのだが、デニーズを見た途端に我慢できなくなり、ピットイン。おしぼりがセルフサービスになっているのは、別の店で知っていたが、セルフサービス化のお知らせが見づらいところに掲げてあって、あれでは知らない客はわからないだろうと、いらぬ心配をする。

 険しいが早く着く道と、平坦だが回り道とどっちにしようか考えたが、険しい道を選ぶ。別にストイックになったのではなくて、険しい道の途中にあるスーパーでドイツの岩塩を買うためである。ついでにニューオータニのホットケーキの素も買った。これは非常用。

4月4日
 今日の昼は夢庵。
 北風が強い。どれくらい強いかというと、自転車で風上に走っていて、三段あるギアの一番重いところでは前に進めないくらい強い。アーチになっている大きな橋の中心に向かって昇るくらいの負荷。おまけに埃(黄砂?)もひどくて、口の中がジャリジャリになる。「ジャリジャリとチャリンコで♪」というような詩ともなんともつかない文句が頭に浮かぶ。

 昨晩は徹夜みたいなもんだったのだが、あまり眠くない。むしろハイになっている。が、腰にきてる感じがひしひし、というよりキシキシとする。明日は一日お仕事なのだが、大丈夫だろうか? おまけに明後日は研究会&懇親会で名古屋1泊なのだが。はひ。

4月5日
 1年生履修ガイダンスと、専門演習ガイダンス。
 1年生ガイダンスには、学生ボランティアが一緒についてくれて、学生からも「上手な履修の仕方」の説明がある。要するに教員の説明が頼りないというか品質に問題があると事務方が考えたのだろう。きわめて正しい認識である。

 専門演習ガイダンスには5人しかお客がいなかった。そして実際に応募してくれたのは2人だけだった。要するに、募集要項の文章にも問題があり、口頭説明の仕方にも問題があるわけだ。A先生などは、ゼミの選考に時間がかかりすぎて、委員会の出席に代理をたてるくらいなのである。(何故知っているかというと、代理を頼まれたのが僕だからだ。)A先生に、説明の仕方など伺ってみる必要がある。
 


4月6日
 研究会で名古屋。のぞみは速い。1時間20分くらいで着いてしまう。一度乗るとやめられない。昔は、のぞみなんぞ、よっぽどお急ぎでしかも会社のカネで乗れる出張族以外は乗るもんじゃない、と思っていたのだが。

 名古屋駅から会場までは、地下鉄を乗り継ぎ。地下鉄に乗ったときに妙に違和感があると思ったら、窓にカーテンが。そもそも通勤型の電車にカーテンが付いてるのも珍しいが、地下鉄にカーテンはもっと珍しいと思うがどうか。
 地下鉄駅から会場までの道が複雑で、わかりやすいけど遠回りの道を行こうとしていたら、別の出席者にばったり会って、近道を連れていってもらう。前に来たことがあるそうで、墓場の中をスタスタと歩いていく。「あ、あの渡邊さんと鈴木さんのところの角を曲がるんです」と、手渡邊家の墓と鈴木家の墓の間の小径を。

 報告は2件とも大変興味深く、議論も(いつものように)活発で、(いつものように)面白い研究会だった。もっと頻繁に来たいのだが、いろいろあって来られないことが多い。終わって近くの中華料理屋で年に一度の懇親会。今年はなぜか「ダイエット」がテーマになる。印象に残った話。「私が1964年にドイツに留学したときには、ドイツの学生が1ペニヒの稼ぎにもならないのにわざわざ汗を流しにジムに行くと言うのを聞いて、まったく理解できなかった。私にとっては汗というのは稼ぎを得るために流すものだったから。そしてドイツの友人は、私が理解できないというのが理解できないようで、これがまたショックだった。」

 静岡なら日帰りで良いのだが、横浜だとひょっとして帰れなくなるかもしれないと思い、予めホテルアソシア名古屋ターミナルに予約してあった。ところが、東京から来た報告者のF先生は、同じアソシアでもマリオットの方に泊まるという。マリオットホテルは、名古屋駅の超高層駅ビルのホテルなのである。おお僕は高い場所大好きなのに予約満杯でとれなかったんですよ羨ましいおやそうですかじゃあちょっと寄っていきますかどうせ一人で寂しいしおやそうですかではちょっとお邪魔しますかね、と、静岡のH先生と一緒に41階の部屋に押し掛ける。F先生がアメ横で700円で買ったというバーボンの小瓶を三人で飲み干す。せっかく懇親会ではお酒を控えたのに……。しかし良い部屋である。F先生によればサービスも大変よろしいそうだし、全体の雰囲気が非常に好感を持てる。JR東海ツアーズを通すと、新幹線往復とセットで安く泊まれるのだそうだ。次からそうしよう。

 結局9時頃から始まって、1時まで話し込んでしまったが、F先生の波瀾万丈の青春期などうかがい、楽しく過ごした。H先生は、静岡へ日帰りのはずだったのだが、もちろん終電…とは言わないか新幹線は…えーと、最終列車はとっくに出ていて、ターミナルホテルに空き部屋があったので泊まっていくことに。

4月7日
 もちろん2日酔いである。僕の2日酔いは別に頭が痛くなったり吐き気がしたりということはない。そうなるまで飲んだら、たぶん2日良いどころか永遠に目が覚めなくなるだろう。こだまで帰るH先生と朝食を一緒に摂り、ひとしきりまたおしゃべり。ホームで別れて、のぞみで新横浜まで。帰り着いてからは、hors sol 問題に取り組む(謎)

4月8日
 今日から授業開始。しかし、春と言うよりは初夏めいていて調子が狂う。気分は盛り上がらず。
 
 学部長から電話があり、あまり気が進まない学外の仕事を引き受ける。学外の仕事だから気が進まないのではなくて、仕事の内容というか仕事先というかそこの業界とあんまり関わりたくないというようなことなのだが、大学に来た依頼らしいし、学部長もお困りのようなので、やむなし。西部邁が何かに書いていた「学内行政の仕事は“ひとつ返事”で引き受ける」を拳拳服膺しているのだが、これは学内じゃないというのを自分への口実にして、就職して初めて、この手の話でちょっとだけゴネてみた。が、後味は悪い。とはいえ、やっぱり「筋の良し悪し」について自分なりに基準があるということはどこかでアピールしておかないと、ずるずるべったりになるので、後味は悪くても、間違ってはいないと思う。間違っているとすれば、結局最後に引き受けたことであるが、そこら辺は「ノーと言えない」性格の問題で、今後も要検討事項。

 類は友を呼ぶと申しますか弟子は師匠の悪いところにしか似ないと申しますか、ゼミ生も打たれ弱いというか対人交渉が苦手なのが多い。3年生で一人、若い身空で「石が出た」という奴がいた。結石で「担ぎ込まれた」そうである。「自分でも『俺ってそんなに弱虫だったのか』って驚きました」「そうなんだよ。カラダは正直なんだよね」「そうっすねえ」と頷き合う。いや、石が出たことはまだないが、きっと出るタチだ。4年生は4年生で、2月に頑張って就職説明会にあちこち出たら、熱が出て倒れてしまい、3月はまったく棒に振ったとか、その手の「プチ引きこもり」がぞろぞろ。こういうのが「自己啓発セミナー」なんかのカモになるんだろうが、どうしたものか。取り敢えず「自分1人で考え込んでていても答えがでるはずがないんだから、まず話を聞くだけと思って、いろんな人に会うしかないんじゃない?」とは言ってみたのだが……。

4月9日
 スランプかもしれない。花粉症かも。
 と思っていたが、どうもそうじゃなくて、いろんなことがプレッシャーになっていて、それにやられているようだ。
 と気がついたら、ちょっと楽になったかもしれん。

 スランプスランプ俺はスランプどうせスランプと唱えながら「アリー」のビデオを見る。企画意図が非常に鮮明な回だ。なるほど、要するにこの3人にバリー・ホワイトで踊らせたかったわけね。それにしても、ネルはどんどん影が薄くなって行く。

4月10日
 会議の日だが、その前に講義。
 曜日と時間を変えてみた効果だろうか、受講者が急増している。これを逃す手はない。今週はガイダンス週間なので、今日は講義の方針とか評価方法とかの話をするだけなのだが、講義内容の説明を急遽変更。どういうことをやるのか、より分かり易い説明をその場で考える。こんな感じ。

この講義でやりたいことの柱は次のとおり。

これらが柱だが、証券が電子化されたときの問題とか、支払決済システムの法的問題などにも話を拡げていきたい云々。

月曜日に2部でやった説明よりも、我ながら格段に良くなっていると思うが、どうか。ゼミ生に「どう、キャッチーだった?」と尋ねてみたが、わかんないってさ。うむ。

4月11日
 服を着たままベッドに倒れ伏していて、2時頃はっと気づく。パンを焼いていないことに。
 パン製作にいそしみつつ、ラジオを聴く。ぼそぼそしゃべるおじさんと、ネット古書店をやってるおじさんの、面白い話。これがJ-WAVEの深夜放送とはちょっと信じられない。20年以上前にFM東京(当時)でやっていた、片岡義男の「きまぐれ飛行船」という深夜放送に雰囲気が似ている。来週も聴きたいけど、時間帯が深すぎるよ。02-04時だもんなあ。それに、わざと頭悪そうなしゃべり方をするヒップホップ兄ちゃんの番組がその前にあって、あれがとっても気に障るし。いや、そういえば、あれ、番組改編期を乗り越えたのか確かめてないな。乗り越えられてなかったら良いなあ。
 うう変な時間に作業したから眠れない〜と思っていたが、ラジオを聴きながら眠り込んだらしく、8時頃にまた目覚める。お湯を沸かし、同時に卵も鍋に放り込んで火にかけ、パンを切り、湧いたお湯でトマトの湯剥きをして紅茶もいれて、パンをトースターに放り込み、トマトとキュウリを切って盛りつけ、3分半の半熟を鍋から取り出し、トースターからパンを出してマーガリンと蜂蜜を塗りたくって食す。トマトがもう甘くなっていて、良く熟したチーズと合う。満足。
 昼は、ワンタンと御飯のランチ。
 夜は、ちゃんこ。元霧島関(陸奥親方)の実物を見た。ついでに酔った。大満足。

4月12日
 朝目が覚めると、凄い勢いで左肩が凝っている。しかしこれでも昨日より改善しているのだ。昨日は痛みも感じないくらいに凝っていた。というより麻痺してたわけだ。四十肩というのとは又違いますよねえこれ。
 また昼御飯に中華を食べてしまう。ラーメンと野菜炒めと半ライス。量が肉体労働者または学生向きだ。それを全部食べるのもいかがなものかと思うが、育ちが良いもので食卓に出されたものはつい全部食べてしまいますのよおほほほほ。
 そういえば、昨日の昼御飯の記述は不正確である。正確には、ワンタンと鰻御飯のランチ。鰻御飯とは、広東風鰻丼という得体の知れない物である。食べてみたら、どこが広東風なのかよくわからない。タレも普通だし。違うのは、御飯が白い御飯じゃなくて、中華風ちまきにはいってるような奴だということくらい。粽って広東なのか? 味は……。やっぱり鰻そのものの良否っていうのが問題なんだろうな、という感想も普通の鰻丼に対する批評と同じ。ワンタンは非常に美味かった。次に来るときはワンタンだけにしよう。
 5時から実は会議である。「メンバー以外の方も関心のある方はどうぞ」とか座長がいうもので、つい自分は任意参加と思っていたが、よく考えると僕はメンバーなのだ。引き続き6時から8時まで授業法研究会だそうだが、晩飯抜き(微量化)ダイエットをしている僕は全然構わないのだが、他の皆さんは晩御飯どうするつもり?
 と思っていたのだが、案の定というか、飲みにいくらしい。が、疲れたので帰ってきた。
 しかし、法学未習者を3年間できっちり司法試験に受かるレベルまで教育するためには、やっぱり相当丁寧にやらないと駄目なのはわかるのだが、あんな調子で休みなしにやったら、学生の方も絶対オーバーワークで「燃え尽き」ちゃうのが出てくると思う。最初から4年制でっていうわけにはいかないだろうか?

4月13日
 今朝は時間に余裕があったし、卵の賞味期間が切れたので、久しぶりに、キャペツを炒めて上にサニーサイドアップを乗っける「トッチ君スペシャル・ブレクファースト」(今そういう名前をつけた)にした。昼は面倒になって、スパゲッティ。6分茹での麺なので、5分間茹でて、市販のトマト系のソース(レトルトの)を暖めたやつをぶちまけ、フライパンで混ぜ混ぜして、えくすとらばーじんおいるとかいうものを更にぶっかけたものをいただく。

 とあるメールマガジンを読んでいて急に考えたこと。中学理科では「進化」の「し」の字も教科書に書けないらしい。高校教科書じゃないと「進化というのを科学的に考えるとこうなるのだね」ということが書けない。しかし、ポケモン世代の子供達には、小学校段階でちゃんとDNAのことは教えておいた方が絶対良い。連中、変態と進化とが区別つかないに決まっているのだ。教科書調査官には子供がいないのか?

 隣でハウスクリーニングをしてると思っていたら、錠前を取り替えていた。ピッキングしにくいやつ。通称「ユダヤ錠」だとかいう話を父がしていたが、本当か? なんかちょっと人種偏見が入っていそうでイヤな気分がするのだが。

4月14日
 今朝も「トッチ君スペシャル」。キャベツがなくなるまではこれになりそうだ。昼は大戸屋で唐揚げ。我ながら鶏肉好き。たしか、11日のちゃんこ屋でも手羽先の唐揚げを山ほど食ったはずなのだが、全然構わないのである。

 寝室の蛍光灯に合うサイズがないぞないぞと思っていたが、勘違いしていたことが判明した。30型と38型というのだと思いこんでいたのだが、32型と40型であったのだ。38なんて、どこの電気屋にもないので、どうも変だとは思っていたのだ。FCL40EX/D38 と書いてあって、尻尾の「38」しか見ないで「38型」だと思ったのだが、38Wの40型なのである。ううむ、やられた。しかも、今よくよく見たら、ちゃあんと40形とゴチックで書いてあるではないか。こういうとき口の悪い母方の一族なら「カエルの目玉!」と嘲るのであろうなあ。

 おっと、明日の講義の準備が全然できていない。困った困った。

4月15日
 朝、妙に焦ってガストで朝食。ガストの朝食セットは、厚切りできっちり焼いたトーストがついているのが大変良い。目玉焼きとソーセージ。10時半からゼミ。12時から院生と面談しつつお弁当。生協の唐揚げ弁当。性懲りもなくまた鶏だ。書類をとってきたりとかして、夕方の講義のプランをちょっと考えている間に、2時半になり、またゼミ。見学したいといって2人来る。割と本格的なゼミをやったので、ひょっとして怖じ気づいたかもね。1人は、日本が占領されてたこと知らなかったし。今さら驚きはしないが、呆れる。はぁ。それにしても、先の大戦が終わった年をすぐに言えないっていうのは、やはり問題ではないかと思うのだが、ひょっとして、僕が日露戦争の年をちょっと考えないと言えないのと同じで、無理もない側面があると言うべきだろうか。ゼミは四時半頃に終わり、6時からの講義に備えてレジュメを印刷したりコピーしたり。6時から講義。客が少ない。初めから少ないというのはどうしたことか。そんなに評判悪いのか。7時半に講義終わり、引き続き大学院。マンツーマン講義。9時に終わって、30分ほど研究室の中で呆然とし、帰途に。さすがに腹が減って目が回るので(本当にくらくらした)、コンビニで「のりん棒」とかいう、形は海苔巻きだが中身はおにぎり(鮭と沢庵)のものを買って、食べながら歩く。高校時代、帰宅途中に食べながら歩いていたら、後ろからすたすたと抜いていった校長と教頭の2人組に注意されたことがあったな。そういえば明日は歯医者なので、自宅に寄らずに実家に。

4月16日
 昼は最近両親が行ったバス旅行のお土産のほうとう。「ほうとうというのは、パスタの名称か、料理の名称か」という問題が話し合われるが、答えは出ず。

 今日から授業開始なので、午後は中大。ゼミになかなか学生が集まらないので4月募集をかけたら、一挙に六人集まる。しかも優秀そうである。どうして10月募集であぶれたのかわからん。NゼミとかFゼミとか、よっぽど人気があって超優秀学生が集まっているのであろう。優秀な新人を一挙に大量補強できて、非常に心強い。「教師が寝ていられるゼミが理想のゼミだ」というのは、静岡時代にお世話になった故本間重紀先生が常々おっしゃっていたことであるが、理想のゼミに一歩近づいたかも知れない。

 夜も食べた。筍御飯と鶏唐揚げ。また鶏唐なのだ。わははは。
 夜の講義は最初なので50分くらいで切り上げた。客が少ない。去年の半分以下ではないか。初回だから来ないのでしょうか?シラバスの書き方が悪かったか? うむ。

4月17日
 昨日は初日で緊張してたらしい。ベッドの上で気を失っていて、気がつくと未明4時。着替えてからもう一度寝て、目が覚めると9時。で、パンが焼けなかったし、朝も遅いので、ガストの朝食をブランチ替わりに。昼近くになってフラフラと出かけ、1時から講義。学生がたくさん入っていて驚く。噺家なら「え〜、一杯のお越しで」とか言いそうである。曜日と時間の設定の問題か? おかげで、ちょっと上がってしまったことである。レジュメも足りなくなったし。うーん、知らないうちに少人数相手の講義に慣れきっている自分がちょっと悲しい。

 講義終了後、3年の担任クラスの学生から履修単位数のことで相談。法学部は一年間の履修単位数の上限42というのがあるので、学生によっては2年生が終わった段階で既に4年間での卒業は不可能という場合が出てくる。そこら辺についての相談だった。一年間33単位ずつとれてれば卒業は可能なので、そこに大幅に足りないということは、やっぱり法学とちょっと相性が悪かったということかもしれない。最近は、入るのだけじゃなくて出るのも難しくしましょうね、というようなことがあちこちの大学で話し合われているようだが、この単位数上限制度もその趣旨の一環であると考えればよいのだろうか。とはいえ、じゃあさようならと冷たく退学させるというのも、教育機関としてはいかがなものかという考え方も当然あるだろう。ロースクールみたいに一定の覚悟があって入るのが当然というようなところならまた話は別だが(日本版の方の話でも、無理そうな学生には速やかに退学勧告すべきであろうというような議論もある)、学部では最後の最後にはなんか救済手段があっても(もちろん、本人が相当努力するというのが前提だが)良いのではないかとも思うのだが、もっとよく考えてみないといかん。

 4時まで1年生の履修ガイダンスとかいろいろ仕事。7時から国際競技場でサッカーだから、その混乱に巻き込まれないうちに帰るべく、4時過ぎにはさっさとずらかる。が、地下鉄駅前で力尽き、デニーズでディナー。ミートソースとシーザーサラダ。

4月18日
 焼きたてのパンはやはり美味しい。トマトもずいぶん甘くなってきた。もうプチトマトではなくて良いようだ。甘いトマトの見分け方というのを静岡のリストランテ・アクアヴィーテのシェフに教わったのだが、スーパーで売っているやつは、それが判らないように包装されているのである。これもプロの仕事でせうか。が、見分け方を駆使しなくても甘いのなら、まあそれはそれで良いとするか。

 気に入ると同じメニューを続けてしまうのは親譲りの性癖かもしれない。昼は、またしてもスパゲティ。しかもボロネーゼ(つまりミートソース)。大学近くのこの店に最近ご無沙汰だったのを思いだしてどうしても行きたくなり、行ってみたらBランチがミートソースだったので、つい食べ比べをしてみたくなったのだ。デニーズと比べるなど大変失礼なのはわかっているのだが、どれくらい違うものかと思って……。そして、やはりお話にならないくらい違うものだということがわかった。ソースといい、パスタの茹で加減といい、やはり専門家が作るものは全く違うのである。当たり前だ。デザートには、小さいバニラアイスにパラパラとチョコレートをかけたもの。これにスープと自家製パンと紅茶をつけて税込み990円だから、大変お得である。が、カロリーのことなどを考えると、毎度毎度来るわけにもいかない。

 昨日から、1年生の担任クラスの履修相談兼履修届受付。さすがに、あれだけ丁寧に説明した甲斐があって、ほとんど問題ない。が、同一教科(担当者が違う)を二重に登録しようとしたとか、細かいところに気を配らないと、思いもよらない間違いをしている場合もある。まあ、間違いというのは、大抵のばあい「思いもよらない」ことだからこそ起きるのだが。初めから起きるとわかっていてしでかしたミスは「間違い」とは言わない。じゃ、なんて言うか。もちろん、決まっている。

「仕様です。」

「あの、電気料金が二重に引き落とされてますが。」
「仕様です。」
「あの〜、給与が振り込まれていないんですが」
「仕様です。」
「あの、なぜチーフ・エグゼクティブ・オフィサーが3人もいたのですか?」
「仕様です。」

これですべてが片付くと良いですね。

4月19日
 今日が履修登録受付の締切。10時から研究室で、ということになっていたのだが、9時50分頃に到着すると、既に十人くらいが廊下に座り込んでいた。話を聞くと十時半から英語の授業があるらしい。その後も続々と学生達がやってきたが、なるほど十時半を過ぎたらぱたりと来なくなった。が、締切は正午なので、その後もぽつりぽつりとは来る。そして、正午過ぎにまた小グループがやってくる。まあそういう連中なので、まだ履修科目が固まりきっていない。しょうがないので、研究室で登録申請の清書をさせつつ、相談にものる。がやがやと40分くらい部屋で作業をして出ていったが、それにしても、こちらの言うことをいちいち素直に聞くので怖くなる。まだ高校生っぽさが残っているのだな。

 結局1時まで学生を待ってから、書類にまとめてハンコを押し、教務に提出。ついでに本部最上階の食堂でハンバーグ定食。登録締め切り日なので、いつになく混み合っており、皿が出てくるまで20分以上待たされた。が、眺めが良いのであまり退屈しなかった。

 しかし、2時半にもなってやっと持ってくるんなら、言い訳のひとつもしたらぁ?「大学に来る途中で宇宙人にさらわれまして」とかでも良いからさあ。

4月20日
 昨日「風邪で大学に来られない」とお友達を通じて連絡してきた1年生がいたので、そのお友達に「じゃあ、明日の昼に研究室で待っているから」と伝言を頼んでおいた。1時過ぎくらいに来る方に100ガバスほど心の中で賭けていたのだが、昼前に登場。まだ治りきっていないそうで、ちょと辛そうだった。月曜日まで待ってあげるべきだったかもしれない。すまん。

 昼御飯は、むらむらと牛丼を食べたくなったので、最近六角橋商店街のはずれにできた「すき家」で、キムチ牛丼セット+生卵。キムチの辛みが卵で具合良くまろやかになり、大変美味しい。しかし、カウンター席なのに、注文を取りに来るのも遅ければ、出来上がったものを届けるのも遅い。盛りつけが済んだ牛丼が虚しく湯気をたてて奥の調理用カウンターに乗っているのをずーっと(約3分)見ているのは、あまり良い気持ちがしないものだ。冷めたりはしていなかったが。こういうことになるのは、調理場と客席カウンターとテーブル席との配置に際して、店員の動線への配慮を不当に軽視した本部(?)の責任である。配膳とキャッシャーと片づけの動線が入り乱れるものだから、3人の店員の動きがものすごく無駄の多いものになっているのが、素人目にも明らかである。牛丼屋はスピードが命なのだから、ほとんど致命的ミスだと思うが。

 食べ終わってから都心某所に移動して研究会。蛇の目ミシン事件一審判決評釈と、ドイツのコーポレートガバナンスの近況。ドイツ人もCorporate Governanceは敢えて翻訳しないことにしたのであるな。

 懇親会は、会場近所の家庭的なおフレンチ。しかし、真鯛を焼いた奴と肉料理(牛ヒレまたは子羊のポワレ。僕は子羊を選んだ)の二つのメインディッシュに、前菜の温野菜、ポタージュ、添え物として自家製パン三種、さらに、デセールにムースとタルトとアイスクリームの盛り合わせにコーヒーという、まったくもって正統的なコースであった。O先生は事前に「僕は最近カロリー過多だから研究会は欠席だ」とおっしゃっていたそうで、実際欠席されていたのだが、なぜ懇親会じゃなくて研究会まで休むのかというツッコミはともかく、気持ちはわかるというか……。

[追加分]
U先生は、いかなるインチキ魔法を使われたか今年の「こんぴら歌舞伎」のチケットをゲットして(御本人曰く「わたしは普段の行いが良いので」)、超過密スケジュールの合間を縫って見てらしたそうだ。仁左衛門が良かったとか、来年は勘九郎だとか言う話で盛り上がる。この前の『沼津』の劇場中継も見たそうな。「いや、最近は仁左衛門づいていて、この前の『義経千本桜』の通し狂言も見ましたし、自分が仁左衛門になったような気分です」と暴言を吐かれ、仁左衛門ファンの某先生(女性)に非常に冷たい目で睨まれていた。いつお話ししても面白い先生だ。 

4月21日
 昨日の日記にわざわざ追加をしたのは、仁左衛門の話を書きたかったからではなかったことに今頃気がついた。
 U先生の発言。「自主ルールから法律化するというのは、イギリスでは厳格化ではなく、格下げです。自主ルールの方が厳しくやってるし、権威も高いんですから。わざわざ法制化しなくちゃならないような国は程度が低い
 思わず「激しく同意します」と言いそうになった……。あぶないあぶない。じゃなくて、懺悔します。ええ。あんなところとかこんなところとかもう読みません。でもなくて、そう、これは拳拳服膺すべき言葉である。「いやあ、わざわざ規則に書かなくても、そこは運用でうまくやれば」とかいう、どこかの国でありがちないい加減なやり方を推奨しているわけではなく、むしろその正反対の立場であることは言うまでもないことだが、一応一緒に書き留めておこう。

 新宿って、あんなに若者が多い街でしたでしょうか? 僕が学生だった頃でも、学生とオジサンとが入り混じっているような所だったと記憶してますが、思い切り平均年齢が下がっている。とはいっても、一時の渋谷ほど下ではない。大学生ばかりウロウロしている。しかも凄い数。

4月22日
 朝から晩まで仕事。昼は生協の筍御飯弁当。夜抜きにすると目が回るし胃にも悪いということが先週わかったので、夜も軽く食べることにして、生協で買った、パックのざるそば。

4月23日
 歯医者の後、実家で昼食。カマスの干物など。中大に移動して、ゼミの名簿やら今日のレジュメやら作って印刷しようとしたら、講師控え室の印刷機が壊れている。きーっ。他の非常勤の先生は、来てみたら図書館が閲覧停止になっていたそうで、やっぱりキーキー言っている。

4月24日
 1時からの講義に引き続き会議。たったこれだけのことを決めるのに3時間もかかるとわ。と思うのだが、まあ、あれを1時間で決めようと強引な議事運営をやると紛糾して5時間になる、とかいう事情もひょっとしてあるのかもしれない。で、昼なんだか夕御飯なんだかわからない御飯を生協で食べる羽目に。鮭のグリルとその他お総菜類など。本当は、今日開店というビラが地下鉄に貼ってあった横浜そごうの紀伊国屋書店に寄ってみたかったのだが、時間がなくなったじゃないか。

4月25日
 朝御飯は朝食バイキング。といっても洋食だとひどく選択肢が貧しく、目玉焼きとコールスローとハムとパンとコーヒーしか持ってこられない。腹いせにパンをいくつかむんずと掴んでバッグに詰め込んでおいて、おやつ用。昼はオーソドックスに蕎麦。セットだと茸御飯と野沢菜がつく。野沢菜が美味しい。いや、もちろん蕎麦は大変美味しい。夜は中華。かと思ったら和食。タラの芽の和え物に始まって、鰆のたたき風とか、鍋(味噌仕立て)に蕎麦をぶちこんで暖めていただくとか、やや変わり種のメニュー。「茶碗蒸しに、マイタケを入れてはいけない。卵がまったく固まらず、恐ろしくまずい代物になるから」という面白い話を聞いた。

4月26日
 朝食は、ベーコンとスクランブルエッグ(卵2個)と小さいサラダとトースト(お代わり自由)とコーヒー。ジャムはニュージーランド製。きっちり甘くて満足。ジャムの国から来たジャム星人なので、甘くないジャムなどジャムと認めない。

 そこら辺をフラフラと歩いている内に、ようやく明日の研究会の報告骨子が固まる。レジュメはもう作っちゃったのに、順番が違うがしょうがない。同時に、今書きかけの論文を初めからやり直さなければならないことに気づく。とはいえ、ここまで書いてあったから、報告骨子の見通しもちゃんとたったのである。書かないと考えがきちんと前に進まない。にしても、もう少し効率の良い論文の書き方はできないものか。我ながらアタマ悪くて嫌になる。

 ふらふらしてる間に、怪しげな中華料理屋で怪しげな丼。味もアヤシゲ。カロリー過多になってるので、散歩しようと心に誓う。

 しかし、夕食はさらに豪勢なのであった。シェフ自ら朝採ってきた季節の野草なども色々とあしらったおフレンチ。しかも、大変古典的なフレンチで、こってりソースがとっても美味しいうえに、デザートも四種盛り合わせというわけで、いや、散歩なんかでは取り返しがつかないと思う。

4月27日
 朝食は、半熟とソーセージとトースト。昼は、買ってきた蕎麦を茹でて、ざるそば。

 市ヶ谷の中大大学院校舎で研究会。代表者は留学中なのであるが、僕の個人的都合で継続的開催。「代表臨時代行」とか名のろうかなあと思っていたのだが、「座長」と呼ばれることになったようだ。芝居小屋みたいで良いかもしれない。報告はあんまり出来がよくなかった。というか、報告している最中に、致命的欠陥に自分で気がついてしまったのだ。でも、おかげで今後のかっちりした方針は考えついたので、それで良いのである。盛り上がったし。

 夕食は新宿ルミネであさりの釜飯。

4月28日
 朝寝坊してしまった。主義に反するが、朝御飯抜き。ミルクをガシャガシャ攪拌してコーヒーに流し込むとあーら不思議泡立ちミルク入りのカフェラテの出来上がり、という便利グッズで簡易カフェラテ。おお、美味いでわないですか。昼は卵丼と蕗。つゆの素大活躍。 
 夜は明太子スパゲティ。無塩バターを使うんですかそうですか。なるほど、有塩のだと、味付けが濃すぎちゃうかもしれませぬ。つけあわせのサラダ用にオリーブ油を買ってきたのだが、棚を開けたら、一か月前に買ったばかりのとご対面。そういえばそうでしたね。さほど頻繁に使わないから、切らしたのだけ覚えていて、買い足したのを忘れてたのさ。

4月29日
 せっかく無塩バター(カルピスバター)を買ったので、パリジャンを気取ってフランスパンと一緒に食すことにして、今朝はフランスパンを焼いた。食パン形にしか焼けないのがアレだが、しかし美味しい。紅茶じゃなくてコーヒーにすれば良かった。

 あまりにも天気が良いので、近所の大倉山公園まで散歩。大倉山記念館は市の重要文化財なのだそうだが、実を言うと、和洋折衷のいかにも成金趣味の変な建築物。大倉精神文化研究所という名称も、なんだかなあという気はする。いや、そういう方面のことに金を出し惜しみしなかったのは偉かったと思うのだが。

 昼御飯はチキンライス。真っ赤な御飯が食欲をそそります、って、なんか紋切り型の感想だけど、だって好きなんだもん。そういえば無塩バターはバナナケーキ製作のために買ってきたものであったのだが、昨日作ったバナナケーキを冷蔵庫から取り出し、デザートに。おお、焼きたての暖かいやつより、冷たくした方がかえって美味しいかもしれません。

 晩御飯は、突然むらむらと食べたくなったので、お椀一杯文分余っていた御飯を暖めて、納豆と卵でわしわしとかき込む。さすがにそれだけだとつまらないので、付け合わせにがんもどき。また、にんべんの出番。

4月30日
 ここ2日間ほどネコにかまけていたりしたのだが、今日は平日につき仕事に邁進。

 朝はトッチ君スペシャルとトマトと簡易カフェラテとフランスパン。

 昼は、一昨日の卵丼で使用したオオバの処理をどうしてくれようか考えていたのだがそういえば豚肉と相性が良いというような話があったかもしれないと思い、豚モモの中に巻き込んで焼いてみることにした。中身がオオバだけでは寂しいが、いきなりチーズ巻きとかいうのもリスキーなので、やはり卵丼の名残でもあるタマネギを軽く炒めたやつをオオバと豚肉で巻いて、楊枝で止め、塩胡椒してオリーブオイルで焼き、ケチャップとウスターソースを混ぜたもの(つまりトンカツソースだ)でいただいてみた。なるほど、オオバの強い香りにも、豚肉なら負けていないので、ちゃんと調和した味になっている。これならチーズ巻きでも良いかもしれない。タマネギは焼いている最中に中から飛び出してきちゃったりして、扱いが難しい。味噌汁も作って、中身はナメコ。ナメコは水でぬめりをとると良いいう話もどこぞで聞いたことがあるような気がしたので流水でちょっと洗ってみたら、今まで過剰にぬるぬるしてたのが、適度なぬるぬる感になったような気もする。昨晩のがんもどき、今日も食す。

5月1日(水)
 綱島駅まで歩いていく道々、あまりにも田舎臭い道なので、「1970年から突然タイムスリップしてきた人になったつもりで、ここは本当に21世紀なのかどうか周りを観察してみる」ごっこを始めてみた。70年というと小学3年生頃なので記憶が怪しいこともままあるのだが、それにしてもここら辺は30年ほど時が止まっているように見えるためである。

(1)駅に着くまで篇
 結論から言うと、「これは一体何なのか見当もつかない」ものが、2つ。「いかなる事柄であるかは理解できるが、なるほどこれは21世紀っていうか未来の風景なのだなあ」と感心したものが、3つ。「いくら何でも冗談としか思えない。これは21世紀じゃなくて、出来の悪い映画のセットなのでは?」と呆れたものが、1つ。

 「これは一体何なのか見当もつかない」ものは、意外なものだった。
 ひとつは、川辺に建っていたうらぶれた町工場の古びた看板の文句。「弱電設備、工事、検査、ソフト」と書かれている。「ソフト」っていったい何? 町工場でソフトクリーム売ってるんでしょうか?
 もうひとつは、家々のベランダに取り付けてある超小型パラボラアンテナ。あの形はたしかにパラボラアンテナだが、あんな小さくて機能するのか、そもそもいったい何のために個人の家庭にパラボラアンテナが取り付けてあるのか。テレビアンテナはちゃんと屋根に立ててあるのだから、テレビ用ではないはずだし、方向がバラバラだ。(もちろん、BSアンテナとCSアンテナでは方向が違うのである。)

 「なるほどこれは21世紀」は、いずれも生活習慣というかファッションというか、そういうこと。
 ひとつは、若いお父さんが小さい子供を連れてベビーカーを引いて歩いていること。お母さんはどうしているの?
 ふたつめは、どう見ても大学生のお兄さんが、半ズボンをはいて歩いている。ひょっとして、30年のうちに日本人はおバカになっちゃったの?
 みっつめは、みんなが乗っている自転車がすごく軽くて楽にこげるらしいこと。
 (あ、自動車のデザインも格好良いと思ったし、たぶんファッションもずいぶん違うけど、自動車のこととか着る物のこととか、昔から良くわからないのでパス。)

 駅前にたどり着くまでに気がついたことは、以上の5項目のみ。
 「結論としては、綱島に21世紀はほとんど訪れていないっていうことで良いかな」と思っていたが、最後の最後、駅前にオチが。

 駅前のビルの看板に「三井住友銀行」。。。。う、嘘くさ〜。

 その他、牛丼屋だのドラッグストアだの見慣れない種類の店は散見されたが、70年代から見た未来っぽい店ではない。「ブレードランナー」を見た後の81年位だったら「おお、これこそ近未来」って思ったかもしれないけど。途中、ケータイを手にした人と1人もすれ違わなかったのが、綱島にとっての最大の敗因だろう。いやあ、近頃珍しい街であるということを再認識してしまったのである。

 長くなったので、「電車に乗って」篇は明日にでも。

 平日だから昼間は空いているだろうとおもって、旧五島プラネタリウムのJ-WAVEのイベントに行ってみたら、2時間待ち。新宿の映画館の「パトレイバー3」を見ようとして2時過ぎに行ってみたら、6時半の回まで満席。その他、そこら中人だらけである。やっぱり黄金週間を舐めたらあかん。昼時の店もあちらもこちらも、ビジネスパーソンではない風体の人々で満席である。しょうがないので、比較的高い店を狙う。新宿南口高島屋タイムズスクエア14階にある「人形町 今半」で、「すき焼き弁当」。なんだか、単にすき焼きを食べに外出したようなもんである。しょうがないので、久しぶりに新宿通りの紀伊国屋書店本店に寄ってみる。うーん、狭い。南口店の方が良いみたい。

 紀伊国屋でゲットしたもの。

5月2日(木)
 昨日買った『太陽の簒奪者』読了。これは野尻抱介の(これまでのところでは)最高傑作では。ファーストコンタクトものって、どうも過度に思弁的になっちゃう傾向があってそこが嫌なんだけど、ギリギリのところで踏みとどまっている。雨に濡れる淵野辺駅前の描写が泣かせる。

 朝は、チキンブイヨンでキャペツスープ。昼は、たぶん日曜日にケーキを焼いた影響でオーブンを使いたくなったので、ピーマンに挽肉を詰めたもののオーブン焼き。豚挽にタマネギとシイタケの細切れを混ぜ混ぜして塩胡椒とオールスパイスで味付けしたものをピーマンの中に詰め込んでアルミホイルで包んで250度のオーブンで30分。包みを開けてみたら若干火の通りが足りないような気がしたので、包まないでもう10分。ナスの味噌汁と、がんもどきの残り(まだあった。これが最後)とシラス干し。おお、今日は油を使ってないですね。

 で、昨日の続きで、21世紀を探す・電車に乗って篇

 いきなり微妙なのが、自動改札。えーと、70年っていうと、まだなかったよね。でも、75年頃には確実にあったからなあ、まあ、これは21世紀的っていう感じじゃないですね。近未来かなっていう程度。それよりも、新幹線でもないのに、駅ホームに昇るのにエスカレーターを使うっていうのは、結構未来的かも。でも、エスカレーターに「自動」って書いてあるのは意味不明。手動エスカレーターなんてどこにもないでしょう。

 電車は各駅停車なのに緑色のやつじゃなくてステンレス製で、クーラーが付いている。車内に謎の表示がある。トランシーバーの絵の上に「進入禁止」のマークが重なっている。なんだろうと近寄ってみると「車内での携帯電話の通話は御遠慮下さい」と書いてある。「携帯電話」! これは衝撃的な単語だ。

 車内では茶色の髪の人が目立つ。顔つきはガイジンじゃないけど、まさか男の人も髪を染めてるの? それに、髪は染めてないスーツ姿の男の人がコンパクトみたいなものを覗き込んでいるけど、お化粧するのかなあ。あ、あれが携帯電話だ。でも、どうして通話しないで機械を見つめているんだろう? まさか、まさか、ウルトラ警備隊みたいに、テレビ電話になってるの? 

 沿線にビルがとっても多い。でも古びているのが多くて、やっぱり21世紀っていう感じじゃない。渋谷に着くと、一層そういう感じが強い。駅の周りのビルはみんなすごーくボロ。文化会館もあるし、東横デパートもあるじゃないか。でも、ハチ公の方と青山通りの方に、もの凄く高いビルが建っている。やっぱり未来なんだ……。

 山手線の中では雑誌の広告を見てみたけど、さすがに意味がわからない記事が多い。「トルシエ監督、W杯はこう闘おう」なんて記事があるけど、えーと、テニスのデビスカップのことをデ杯なんて言うから、きっとワールドカップだな。けど、何のワールドカップなんだろう。卓球? それに、トルシエってフランス人みたいな名前だけど、なぜフランスチームの応援を日本の雑誌がしてるの? ここまでわけわかんないと、さすがにこれは21世紀かなと思う。

 新宿駅南口、ここは凄い。これは確かに未来だ。日本だとも思えない。エンパイアステートビルみたいなのまである。だいたい日本語の看板がほとんどない。Yahoo JAPAN! って何だろう?「ヤッホー、日本!」って意味ですか? 新宿通りがごみごみしてるのは変わってないけど、紀伊国屋書店の隣がCITI BANKって外国の銀行になっている。おまけに24時間営業してるらしい。銀行が24時間やってるなんて、さっきの三井住友銀行といい、21世紀って冗談きついよ、まったく……。

 それはともかく、バナナケーキはオーブントースターで4分ほど暖めていただくと美味しい。

5月3日(金)
 またパンを焼き忘れていた。しょうがないのでパンケーキ。ホットプレートを使って綺麗に焼いて美味しくいただいた。
 昼は、この前実家で教わった“イタリア風オムレツ”の変形版。タマネギとピーマンとナスとシイタケを細切れにしたのをオリーブオイルで炒めているところへ更に豚の挽肉を放り込んで(要するに、全部昨日の残りものの食材である)塩胡椒で味を調える。そこへ、砂糖を大さじ半分ほど入れてかき混ぜた卵をじゅじゅじゅとかけ入れ、中火で全体をゆっくりかき混ぜる。以上である。あっ! 本当はトマトを入れなければならないのだが、今の今まで忘れていたぞ。これでは、単に「無精モンのオムレツ」ではないか。まあ、それでもこのまま食べて十分美味しい。お好みでケチャップなどかけてもよろしいが。これにナスの味噌汁(昨日と同内容であるが、昨日の残りではない。出汁をとるところから新たに作った)。

 うらうらと横浜駅前まで出かけてみるが、あまりの人混みに酔いそうになる。
 大学生の男2人組の1人が、車と人が交錯する信号のない狭い交差点で
「信号設置を激しくきぼんぬ」
 と逝って言っているのが聞こえてきたが、もちろん「激しくきぼんぬ」とは何の事やらさっぱりわからなかったのは言うまでもない。

5月4日(土)
 まだピーマンとシイタケとタマネギが残っていて、処置を考えつつスーパーを徘徊していたら、ホタテを売ってた(しかもバター付きで)ので、ホイル焼きにした。材料を全部入れたホイルをガスレンジのグリルのところにぶちこんで30分。概ね火は通ったが、ホタテがどうもまだ怪しいので、ホイルの蓋だけ開けてもう3分。これで出来上がり。塩も胡椒も入れてないが、バターとホタテの出汁で十分美味い。ちょっと醤油なぞたらすともっと良い。最後にのこった汁には御飯を混ぜ、醤油もさらに数滴たらして食べる。

 そういえば、昨日は新装なった横浜そごうにも寄ってみたのだ。紀伊国屋書店が出店しているというのが話題になっていたからだが、同じフロアにLoftも入っていて、嗚呼そごうも西武系列になったのだなあとしみじみ思う。紀伊国屋は、もちろん新宿の本店や南口店と比べれば狭いのだが、横浜の本屋としては相当な広さである。贔屓目に見てるかもしれないが、専門書の品揃えにも力が入ってるように思える。南口店よりは劣るが、本店よりはむしろちゃんとしてるかもしれない。これは便利になった。それに、窓のスペースが空けてあって外の景色(当然、ベイブリッジ)が見えるようにしてあるのが好印象。めぼしい本の物色に疲れた目と心が安まる(っていうような客はあんまりいないと思うけど)。というわけで、またゲットしたブツあり。

5月5日(日)
 ふらふらとフリーマーケットを見に行く。でかい。素人だけじゃなくて、業者も出店している。仏像150万円とか、新車400万円なんてものまで売っていたが、あれも値切れるのか? 昼は、30匹分くらいをまとめて丸焼きにしているのにつられて、ローストチキンの店で買った、チキン&ライス。これまたでかかった。フリーマーケットで買ったものは、これだけである。夜は、アジア料理各種。満腹で満足。あ、千曳屋でパフェ大盛りも頼んだな。さすがフルーツが美味しいが、食い過ぎ。一日暑かった。このまま夏になるの? それはちょっと嫌です。

 そういえば今日は子供の日で端午の節句だが、よく考えると一昨日は憲法記念日であったのである。憲法記念日について何らコメントがないのに、子供の日についてコメントするのも悔しいので、何も書かないことにする。

5月6日(月)
 一日憂鬱なのは、休みが終わるせいであろうか。おまけに昼に手抜きしてマックで食べたら胸焼けはするわ後味は悪いわで、ついにジャンクフードは受け付けない身体になってしまったのだろうかと悲しくなる。夜は実家でビーフシチューと初鰹のお刺身と筍の「底」の硬いところを細切れにしてごま油で揚げたものという、普通の家ではあまり見られないだろうが母の献立ではさして珍しくない和洋中全部取り合わせの食事をとったら、胸焼けも後口もなおった。ひょっとして、こっちの方が胸焼けしそうな献立だろうか?

 昨日は真夏日だったらしいが、今日は一転して涼しい。夏にならないでよかった。といっても、今日は立夏であるらしいのだが。しかし立夏というのは「これから夏になりますよ」という意味であって、言い換えれば「春の中でも最も春めいた日」ということであるのだから、やはり夏みたいでは困るのだ。

5月7日(火)
 朝は、橡川家いつもの朝食。パンとサラダと自家製ヨーグルト(バナナ入り)と半熟卵。昼は、アジの干物。車で中大に行ったら、大工事中で駐車スペースがない。体育館の裏手にひっそりと止める。帰りは夜9時過ぎなんですけど〜。ちょっと怖いんですけど〜。しくしく。ゼミは1時間以上時間オーバーしてまだ時間が足りなかったのだが、講義の時間が迫っているのでやむなく次回まわし。そのまま講義に臨む。人数は少ないのだが、妙に反応が良い。いや、反応が良いのは大変嬉しいのだが、やっている本人はあんまり満足していないので戸惑ってしまう。クビをひねりつつ、慎重運転で帰宅。

5月8日(水)
 昼は生協食堂で、豚生姜焼きと、ひじきと、ほうれん草のおひたしと。3コマ目の講義は、連休明けで受講生が減るかとおもっていたのが、全然減らない。プリントを刷っても刷っても「売り切れ」になってしまう。おまけに、実に真剣に聴いているので緊張してしまうではないか。昨日の中大の講義といい、どうも調子が狂うな。こちらの講義技術が突然向上したとは到底思えないのだが、いったいどうしたことなのでしょうか。教授会その他6時半頃まで。教授会に出席するたびになんとか委員の職が一つ増えるというのも困ったものだ。あ、今日は一挙に3つ増えたか。組合の役員をやっているS先生に「なんか最近負担過重なんじゃないですか。組合の代議員は交代することにしたらどうです?」と気遣って貰う。うう、どうもありがとうございます。でもまだ大丈夫です。ていうか、他の人も似たような状態だし、そうおっしゃるS先生自身が僕よりずっと負担の重い仕事やってるのだ。それにあまり大きな声で言えないが、静岡大学の頃よりずっと楽なのだ、これでも。

 帰りがけによったスーパーでちょっと我慢できなくなったので、寿司を買ってしまった。昨日食べなかったから良いでしょう。

5月9日(木)
 床屋に行き、ついでに大戸屋で「味噌チキンカツ定食」。味噌カツのように、味噌味のとろりとしたソースがかかっているチキンカツが出てくるかと思っていたら、味噌ベースの出汁で作ったカツ丼の具(つまり「煮カツ」)が、御飯と分離されて出されてきた。あてはずれ。味はそこそこだったけど、僕は衣がパリパリしたチキンカツを食べたかったのである。素直にチキンカツ定食にすればよかった。

新書3冊ゲット
 


食事をしながら「心の専門家……」を半分くらい読む。
「心のケア」とか「カウンセリング」って、大事そうではあるけど、反面何となくうさんくさげなところもあり、もやもやしたものを感じていたのだが、そのうさんくさげなところを、平易且つ明瞭に言語化している。要は、カウンセリングはカウンセラーとクライエントの間の権力関係(医師と患者の権力関係とほぼ同じ)を基礎に行われるのに、それは構造的にクライエントから隠蔽されざるをえないのが、うさんくささの正体らしい。「構造的」ってことは、つまり、権力関係を隠蔽することなくカウンセリングを「成功」させることは不可能だ、ということだ。権力関係なんていうのはそこら中にあるから、そのこと自体は問題ではない。それを隠蔽しないと成り立たないってことが問題なのだ。隠蔽はどうやって行われるかというと、あらゆる問題がクライエントの「内面」の問題にすりかえられてしまう(「どうしたら良いのでしょうか?」→「あなたはどうしたいのですか」→「先生はどう思いますか?」→「私の意向が気になりますか」という具合に、カウンセラーは自分の意見を決して明らかにしないが、しかし、明らかに「カウンセラーが望んでいる反応」として「クライエントが自己の内面に向き合うような態度」が想定されており、問答はそこへと誘導されていく)ことによって、クライエントの関心がカウンセラーを含めた「外部」に向かないようにし向けられることで。そしてまさに、あらゆる問題を「内面に向き合って」「自分の力で」解決させるように導くのがカウンセリングの要諦なのであるから、これは構造的と言うしかないだろう。

権力関係が隠蔽されることで、クライエントはそれと気づかずに管理され支配されることになり、しかもそれが「成功」すれば、そうした「見えない管理」に依存する人格が出来上がる。カウンセラーが流行るっていうのは、そういう「他人への依存傾向」が世の中にはびこるってことだ。これは、まことに具合が悪い。おまけに、クライエントのみならず、カウンセラー自身もそうした権力の隠蔽を自覚していない可能性が大きいということも指摘されている。「社会的自己欺瞞」装置なのかもしれない。オーウェルの「1984年」みたいだ。

でも、人間って、そうやって「自分を誤魔化してやりすごす」しかない問題に直面しちゃうことってありますわな。だからカウンセリングはやっぱり必要で、ただその弊害をわきまえていれば良いって話のような気もするのだが、問題は、この本を読んで「弊害をわきまえて」しまうと、「カウンセリングで問題を誤魔化す」っていう手法それ自体が無効になっちゃうかもしれないこと。手品の種明かしを聞いてからはその手品は楽しめないっていうのと似た理屈で。どうする?

5月10日(金)
 寒い。あまり寒いので中華料理屋に行く。なんだか暖かくなれそうな気がして。肉ネギ炒め定食というのがあった。「ネギ」と言えば長ネギのことだと思っていたのだが、タマネギだった。ボリュームはたっぷりだったし美味しいので文句はないのだが。近所の魚屋の親父さんらしい人とお店の人が世間話。房総の方では鰹の刺身に血合いのついたやつを好んで食べるが、横浜では血合い付きのは売れないから魚屋も血合いを嫌う、とか、鰹のたたきは柵ごとフライパンに乗っけてあぶれば十分で、氷水で冷やすと旨味が溶け出しちゃうからそのままゆっくり冷やせば良いとか。

 で、昼にボリュームたっぷりだったので、久々にフィットネスクラブ。会費がもったいない状態なので、もっとちゃんと来なければ。

 『法科大学院』は、いったい誰に向けて何を説明したい本なのか?

5月11日(土)
 やっぱり寒い。朝、ソーセージを焼いたので卵は無しにしたら、なんだか生卵が無性に食べたくなる。そこで、昼はこの前非常時用に買ってきた吉野家の冷凍牛丼レトルトを暖めて食すことにする。しかし、吉野家のは僕の好みから言うとちょっと辛口な感じなので、暖まってからいきなり丼にあけずに、鍋にあけて日本酒と醤油と砂糖をそれぞれ少量混ぜて暖めなおす。こうすると、牛丼というよりはすき焼き丼という感じの味になり、かつ「つゆだく」な牛丼になる。これを丼飯にぶっかけ、最初のうちは汁の味でわしわしと食べ、ちょっと食べ進んでからおもむろに卵を割り入れ今度は肉ごとわしわしと食べる。うーん、すごく偏った食事だけど、明日修正しよう。

 困ったな。カレーを食べたくなったぞ。それもインスタントカレーを。。。。

5月12日(日)
 国立劇場小劇場、文楽菅原道真没後1100年(!)記念通し狂言「菅原伝授手習鑑」前半。二段目(「杖折檻の段」「東天紅の段」「丞相名残の段」)は歌舞伎でも見たことがあるが、菅丞相や覚寿の悲哀は、生身の役者がやるより人形の方がよく伝わるような気がする。役者がやると殺伐とした場面が生々しく(おまけにこの後「寺子屋」の子供殺しが待っていると思うと)、悲哀まで辿り着けない感じ。昼は特製弁当。こういうところのお弁当にしては薄味なのが意外。夜は青山学院裏手にある「ポンテ・ヴェッチロ」。メインディッシュの塩焼き魚の豆スープ仕立てはとっても幸せな料理。合鴨といんげんにパルメザンチーズという取り合わせも素敵だった。姉妹店で、ピッツェリア・ポンテ・ヴェッチロという店が西麻布に、テオという店が梅ヶ丘に、そして古橋亭という店がなんと茨城県は大洗にあるらしい。うーむ、サーファー向けの店なのか? ピザも食べてみたいところだが、満腹にて

5月13日(月)
帰り往く〜。(←文楽の口上の「ヲクリ」の真似。)

 さても寒き一日かな。と、まだ昨日の余韻が残っている感じだが、朝から晩まで授業授業授業授業。こういうスケジュールにしたのは自分なので誰を恨むわけにも参らぬワイ。昼は神大弁当。のり弁に唐揚げとか小さなハンバーグとかちょっと野菜とかそんな感じ。そのまま何も腹に入れないで夜の授業に突入するとどうも胃に悪そうなので、しょうゆ味ラーメンさっぱり味を極力スープを飲まないようにしつつ補給。

 中華街で万珍楼が全焼と知り少し驚く。一ヶ月ほど前にランチを食べたばかりなのである。と思ったが、よく考えてみると、横浜に住んでるんだから、最近中華街で食事したことがあるのは客観的には別に驚くべき事でもない。まだ横浜住まいの身体になってないのかも知れぬナア。とはいえ、石川町はやはり遠い。

 文楽を見惚けている間に、リンクしましたというメールを頂戴していたようである。おや酔狂な。いえ、どうぞどうぞ。返事せねばと

5月14日(火)
思えどかなわず。(眠くて)

 今日はまた一転して蒸す。風邪ひきそう。昼は、唐揚げネギ醤油かけとカボチャと切り干し大根。あら、また唐揚げ連続攻撃か。4時半から7時半までゼミ。7時50分から9時20分まで講義。慎重運転にて今夜は両親宅へ。ふにゃ。

 そう大したニュースとも思えないことで何故か新聞もラジオも大騒ぎしているのを不思議に思っていたのだが、テレビニュースが映像を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し流しているせいで頭に血が昇った俄人道家多数が国家主権至上主義者と化しているらしいということが今日になってようやくわかった。子供の喧嘩じゃあるまいし、わざわざ領事館の門の所の映像に赤い線をひいて「ここから治外法権」なんてアホなコメント入れて煽ったりする悪質な局もある。だいたい日本政府が亡命希望者にも難民にも極端に冷淡なのは昨日今日にはじまった話でもなくて、僕も含めて大方の日本人は「まったく外聞の良い話じゃないけど受け入れの覚悟も用意も何もないんだしそりゃ大量かつ積極的に受け入れましょうなんて議論はとうてい無理だわなあ」というような感じでなんとなくそうしたやり方を容認というか黙認というか放置してきたんではないのか。それが突如豹変して人道主義者の集団になるっていうのはアンビリーバボーである。どうせ韓国が引き取ってくれるしぃっていう甘えがあるんでしょ、というのが中国政府の主張であろう。まことに耳が痛い。

5月15日(水)
 父と文楽話。桂文楽の話ではない。父は円生が好きで、文楽はあんまり評価してない。現役の落語家だと米朝が好きという人である。それはともかく、菅原伝授は歌舞伎だと少々血生臭すぎてというような話をしていたら、谷崎がそういうことを書いていたとか。教養の足りなさに恥じ入るばかり。国立劇場はプログラムと一緒に台本を丸ごと載せたものをくれて、あれは便利だったが、父は事前に図書館で“予習”してから歌舞伎や文楽を見に行ったものだそうである。それにしても、女房殺しに婿殺し切腹に果ては子殺しとはまことに穏やかでない仕儀だが、平安時代最大の怨霊の話なんだから当然といえば当然か。

 昼はマスを甘辛に煮たもの。夜も食べてしまった。ミニステーキとポテトサラダ。

5月16日(木)
 昨日落語の話を書いたら、夕刊に小さんの死亡記事。米朝師匠、どうぞお身体にお気をつけて。

 昼は、シシャモを焼いたのと納豆。

5月17日(金)
 寒い。雨。朝、久しぶりにガストで食べようと思ったら、改修中。やむなくデニーズへ。ターンオーバーと健康野菜のコンソメ。昼は面倒になって『青の洞窟』ポモドーロ。これが非常に美味いので驚く。細目のパスタに合うのかもしれない。

 そろそろ後期の中大・国際企業関係法学科の「アメリカ会社法」の講義案も考えはじめるべき頃合いだが、あまりアイディアが浮かばない。国際企業関係法学科という学科についてもどうも今ひとつ趣旨が理解できていない。この学科ができたばかりのときに、とある学生さん(今は立派な社会人である)が「友達が『国際企業関係法ってどういうことをするの?』っていうから、『国際とかぁ、企業とかぁ、それカンケーの法律、って意味じゃないの?』って答えておいたんですけど〜」と言っていて、非常にウケた覚えがあるが。それ方式で「アメリカ法とかぁ、会社法とかぁ、なんかそっち系」の講義をやってもよろしいでしょうか?(誰に訊いてるんだ?)

 ゴン・秋田当選。清水からは4人。さて、この記述だけで、十年後にこれを読んだ人に何のことだかわかるでしょうか?

5月18-19日
 いろいろあった。楽しかった。おわり。

5月20日(月)
 毎日つけると決めたわけでなし、良いでわないの。

 いつもの月曜日。昼はお弁当。さすがに唐揚げはやめて、トンカツ弁当。しかしいくらなんでも、あれは不味い。夜は、かけうどんで威勢をつけ……たのは良いが、教室に入ってみたら学生1人。5分待って3人。その後パラパラと来て、結局7〜8人。寂しい。しかし、講義はどういうわけか快調。でも、自分では快調だと思っているときほど、怖いんだよな。

5月21日(火)
 金曜日の日記で誰にともなく質問をしたら、驚いたことにお返事が帰ってきた。いやあ、訊いてみるもんだ。それどころか、こんな辺境のサイトにわざわざリンクをして下さった奇特な方がいるのである。ありがたや。ついでに、中大の方の講義の客が少ない理由もわかってしまった。フレックス制とやらで、昼でも夜でも好きな方の講義が履修できるようになったため、昼に流れているのではないかということである。つまり競争講座っていうわけですな。うーむ、しかしH先生やM先生と競争というのはやや気が引けるのですが。何しろ学部や大学院で教わった先生方ですからねえ。いやいや、相撲界の「恩返し」と同じ精神で行かねば。(註:稽古で世話になった先輩力士を土俵で負かすことを「恩返し」と言うのである。)

 昨日のリベンジで、とんかつ屋のヒレカツ。ソースが極甘。しかし、どうせキャベツにかけるだけなので、大した問題ではない。とんかつ本体にはソースをかけない主義なのである。本当は食塩を振りかけたいところだが、食卓に食塩を出しているとんかつ屋というのはあまりないので悲しい。

 中大からの帰りの電車でゼミのK君と一緒になり、司法試験予備校のいわゆる「論点ブロック」などを見せて貰ったりして、予備校推奨の勉強法などについていろいろ教えて貰う。K君1人からの聞き取りでしかないので、これだけで結論に飛び付くのは早計ではあるが、まさかここまで「バカを量産する試験」になり果てていたとは、というのがその場での印象。いろいろ書きたいことがあるが、ここに書き込むのはちょっと自粛しておこう。いや、K君、有益な話を聞かせてくれてありがとう。

5月22日(水)
 ところで、講義中に僕が口走ったエピソードから、僕がKO大学の出身だという勘違いがもしかして中大方面で拡がっているかもしれないが、僕は「KO大学に入学金を払いに行ったことがある」と言っただけでなのである。人の話は注意深く聞きましょう。

 昼は会議をしつつ弁当。昼休み中の会議に出席すると当然のように弁当が付いてくる、という慣行は、この大学に着任してから経験した事柄において、これまでのところ最も驚いたことである。いまだに驚きがやまない。今日もあやうく食事をしてから会議に出てしまうところだったではないか。弁当の中身は驚愕の余りほとんど覚えていない。鮭の切り身の塩焼きと、こんにゃくが入ってたような気がする。それから海藻、または海藻のように見える山菜。会議の中身は、ゼミ生がお世話になっている教育実習先の学校へのお礼参りお礼と御挨拶を兼ねた訪問指導出張の打ち合わせ。その後講義。その後、別の会議。第2の会議は謎の会議。なにが謎かというと、組織の位置づけが謎。どうも法人と教学の関係というのがまだ呑み込めないのである。国立大学はその点簡明で良かったなあ、全体がお役所だから。

 今夜九時から絶食して、明日の朝も抜かなければならないので、夜も補給。「夢庵」でトリ照焼き丼。

5月23日(木)
 朝からバリウムなど飲むと一日の食事が狂いっぱなし。変な時間に、さっぱりカルビマックなどという変なものを食べたりする。けっこう美味しいのは認めるけど、マクドナルドのアイデンティティは何処へ行ってしまうのだろうか。こういう系統のものを食べたくなったら、普通はマクドナルドじゃなくてモスバーガー、あるいはちょっとひねったところでフレッシュネスバーガーあたりに行くと思いますけど、というようなものが出てきた。

 下剤は効いたけど白いブツが全部出るまでに12時間以上かかる。そのせいもあって目が覚めて、BSの「真夜中の王国」を見たら、「七色の風」を歌っている連中が出ていた。(バンド名ど忘れ。ああ、キンモクセイだ。)メンバーのキャラクタのことなんかどうでもいいから、音楽面の話をちゃんと聞きだしてほしいぞ、司会者。ナイアガラサウンドって、君たちくらいの年齢(20代の真ん中あたり)の男の子にはどう聞こえるのよ、とか。しかしミュージックビデオに出てくる「下手くそなテニスに興じる女子大生(乙葉なんですけど)」なんて、おじさんには涙ちょちょギレもんだ。その頃自分では至って淡々と生きているつもりだったが今振り返ってみると結構悶々としていた大学時代など突然思いだしてしまったではないか。あっ、古川登志夫が爽やかにナレーションをやってたテレビ東京の「DO! SPORTS」なんて番組まで思いだしたぞ。

5月24日(金)
 昼はオムライス。夜は牛ヒレ肉のストロガノフ。あれ、そういえば両方ともデミグラスソース系ですな。どうしてこういう食べ方しちゃうかなあ。

5月25日(土)
 スランプ。改修後のガストへ。今まで狭くて便所の脇だった禁煙スペースが、備え付けの大型テレビも見られる主要スペースの方に移転。喫煙スペースが便所脇に。やれうれしや。樽町のデニーズにも見習って貰いたい態度である。エビフライと牡蠣フライの盛り合わせ。御飯の炊き方がゆるい。

 夜、とあるところから「池袋で行列のラーメン屋にわざわざ並んで食べたのに、味は今イチだった」と報告。ご苦労様です。考えるに、行列だけでラーメンの良し悪しを推し量るっていうのは、株価の動きを表すケイ線だけから会社への投資価値を推し量ろうというのと似ているかもしれない。まったくの見当違いなやり方というわけでもないのだが、情報に「雑音」が入りすぎていて、一回こっきりの投資でリターンを狙うときには不適当な判断方法と言わざるを得ない。とはいえ、他に方法がないってこともあるわけですよ。いや、株の話じゃなくてラーメン屋の話ね。腹が減っているときは四の五の言ってられないわけでして。貧すれば鈍す。あれ、うーん、やっぱり株の話……。

5月26日(日)

ここに書き込むのはちょっと自粛しておこう
とか言ってもったいつけてないでもっとちゃんと書きやがれゴルァ!(←橡川が「超訳」しております。本当はもっと礼儀正しい文章)というメールを頂戴した。「バカを量産」なんて書いておいて「これ以上自粛」っていうのもいやらしい書き方でしたね。反省します。えーと、あんなことを書いたのは、K君から聞いた勉強法というのが、勉強の過程になんの発見も驚きもない、したがって学びの喜びが感じられるとは思えない勉強法だったからです。ちゃんとした頭のある人なら、そんな不毛な道に足を突っ込んで人生を無駄にしたりしないでさっさと別の道を探そうと思うはずで、そうだとすると、予備校っていうのはひょっとして入り口でバカだけ選択してそれ以外は排除する特殊なフィルターになってるんじゃないか、と思ってぞっとしたわけです。ま、しかし、今の大学生って、人生の大半を塾だの予備校だのと付き合ってきたわけだから(って、僕の世代も既にそうだったのだが)、予備校の言うことも適当に聞き流して良さそうなところだけ取り入れるっていうくらいの智恵は働きますわなあ、きっと。たぶん。おそらく。だと良いな。ああ、そうであってくれ。

 ところで、浦和美園駅から埼玉スタジアムまで、試合のある日は一時間くらいかかるんでしょうか? 改札を出るだけで30分かかったという報告もあるんですけど。と謎の言葉を残しつつ、昼はまた「青の洞窟」でお茶を濁す。あ、前に買っておいたアメリカンチェリーは美味かった。

5月27日(月)
 パンを焼き忘れ。岸根公園のデニーズでデニーズブレックファースト。食べている間に雨が降り雷がゴロッと鳴り雨が止み晴れた。最終的には雲一つないお天気。たった30分の間に忙しいことだ。

 月曜の昼はお弁当と決めてある。昼休みをオフィスアワーにしてあるので、外に出られないから。今日のお弁当は「洋風カツ丼」を試してみる。真っ赤なチキンライスの上にカツが乗っているという大変チープな見かけの弁当であるが、期待に違わず味もチープ。

5月28-29日
 なんかバタバタ忙しいぞ。

5月30日(木)
 ふう。一息つく。つきすぎて、自動車税を払うのを忘れた。明日が期限なんだが、月末だから混むだろうしなあ。げっそり。

 ゴーヤチャンプルーなど作る。作り方。シンプルなのだが、ポーク缶詰とゴーヤとの相性が出来上がりを左右する。が、なかなか良いのに巡り会えない。「SPAMメール」の語源であるところのSPAMが一番宜しいという説もあるのだが、市販されているところを見たことがないのだ。単に肉の缶詰なんてコーナーを巡回しないせいかもしれないのだが。うーむ、SPAMSPAMSPAMSPAMSPAM!

 ところで、今週の中大の講義の後で「先生が創造説みたいな説明を始めた途端に後ろに座ってた奴が帰っちゃいましたけど」とゼミ生N君が言ってましたが、僕はあれは時間が延びちゃったせいだと思ってたんですが、どうなんでしょうね。でも言われてみると、今までにも、始まって三十分ぐらいで帰っちゃう人がいた回があるんですよね。なんで帰っちゃうんだYOって問いつめたいような気持ちに襲われることもあります。A美T洋先生みたいに聖橋まで走って追いかけたりするつもりはないですが。もし自分の説(っていうより使っている教科書だかデバイスだかシケタイだかの説)以外の異説については聞く耳持たないぞ耳が穢れて洗いたくなるから、と心に堅く誓っているんでしたら、僕の講義は「こっちの学説はこうなんですけどあっちの立場っていうもんもありますわなあ、といって、じゃ間をとって六本木で会いましょうっていうようなわけにもいきませんし、そもそもこれはこういう問題でもあるわけでさて困ったもんですなあわっはっは」的無駄で詰まっていますので、多分出ない方が良いです。でも一言忠告しておくと、よっぽど頭が良いなら別ですが、並みの頭の持ち主なら、異説に耳を傾けておいた方が却って理解が早く深くなると思うんですけどね。だいたい、俺、創造説じゃないし。

 さて、来週は国民的行事が6時キックオフなのですが、私は講義やりますよ。ええ、やりますとも。

5月31日(金)
 実家。冷凍庫を漁ったらカチンコチンの餃子12個が出てきたので、解凍した後、フライパンにて焼く。ピーマン一袋が未使用のまま出てきたので、これを具にして味噌汁も。両親は留守なのだが、配管掃除が来るときだけ留守番。留守番しつつ、明日の報告原稿をせっせと書く。

 夜、思わずフランス−セネガル戦に見入ってしまう。アンリ君の目が可愛いのでちょっとお気に入り。それにしても、アンリのHは有音のHだろうか無音のHだろうかなどと変なことが気になってしまう。今辞書で調べたら無音のHということになっているが、「てやんでぇ、家は先祖代々有音のHでぃ、べらぼうめ」というような偏屈なアンリ君というのはいないんでしょうか。あ、もっと基本的な疑問が。アンリって、un nom de familleなの?(←誰に訊いてるの?)

6月1日(土)
 昼に一昨日のゴーヤーチャンプルーの残りを暖めなおして食べる。正直に書こう。とーーーってもマズイ。しくしく。まずさの原因は明らかで、使ったポーク缶詰が駄目だったのだ。本物を食べたのはずいぶん前なので、味のイメージが全然湧かないんだよう。今度、ちゃんとした沖縄料理屋で本物を一度食べてみよう。ああ、でも沖縄料理屋でアルコールを飲まないっていうのは、もしや、焼鳥屋で酒を飲まないくらい変な振る舞いなんではないだろうかと思うと、ちょっと足を踏み入れ難い。

 研究会。飲んだ食った笑ったの三拍子揃ってしまいヘロヘロになって帰宅。

 そうだ、手形話をしてきたついでに思いだしたこと。私の学生時代、某予備校は「創造説」の牙城でしたね。ゼミの後輩がその予備校の答案練習会で師匠の説(いわゆる通説)で答案を書いたところ、ぬぁんと0点がついたという。ま、たぶん択一合格かなんかの腐れ採点者には理解できなかっただけだろ、あんな馬鹿なところの答練受けるとそういう目に遭うのか怖いねえ、てなことでおしまい。あの後輩は、たしか卒業1年目か2年目で受かったはずだが、今頃何をしているのか。任官志望じゃなかったから弁護士なんでしょうけど。ところが話はこれで終わらず、その翌年だったか翌々年だったか、同期の友人が本番の口述試験で師匠の説で答えたら「そんな説はあり得ない」と面接官に面罵され、蒼白になって帰ってきたという逸話がある。最終合格はしたので、これもまあ半分笑い話で済んだのだが、もちろん師匠は怒った。怒って法律専門雑誌にその話をぶちまけ、非常に強い調子でその面接官(といっても名前はわからないのだが)を非難した。おお、そこまでやりますか師匠、とゼミ生の間では非常に話題になったのだが、後で聞くと、ほとんど発行即日、当の面接官(弁護士さんだったそうだ)から電話があったそうである。その話を披露したときの師匠は大変嬉しそうな顔だったので、きっと謝らせたんだろうなあなどと想像したものだが、実際はどうだったのだろう。