WORKS1999〜2001

●1999年から2001年にかけて、角川「短歌」公募短歌館で選を受けた作品を中心に構成しました●

《秘密》

あたらしいキッチンのそと七輪で黒豆を炊く祖母がいました

触れられぬ闇を孕みて冷蔵庫ゴトリ、とひとつ震えて黙る

旧姓の三文判を抽斗の奥に見つけてまた戻したり

なぜいつもわたしだけがと濁り水ごぼりと溢れる黒き穴より

冥土まで持ち去る秘密椀の中口を閉ざした貝ひとつあり


《春》

暗闇は嫌じゃ嫌じゃと雛の声箱に封ずる宴の終わり

点滴の床より見ゆるひとひらの空にも神話の時ぞながるる

三月の雨やわらかく木々に沁むとどまることを春は許さず

春まひるひかりの中で子の名呼ぶざざざと風が草揺らしゆく

花も実もあかき石榴は若葉まで朱きと知りぬ春の曇り日

吾のおくの闇より水は夜にあふれ君が濡れゆく、夢。雨の音


《夏へ》

はつなつの音階ひびくゼブラゾーン駆ける少女のくるぶし眩し

六月の雨打ち叩く土の中眠る幾多の蝉の子の夢

紫陽花を掬う手の皮膚撫でてゆくうすあおいろのいきものの呼吸(いき)

夏葱のつんつん痛い畑の道こぼさぬように涙を運ぶ

百円のいちごアイスを買ってやるわたしの中の夏の子供に

蔦紡ぐみどりのゆめにみずからのかたちをわすれ溶けてゆく家

口梔子の垣添いゆけば<天国>と白きチョークで書かれたる木戸

訪ねれば無人の家のゆずの木のふかみどりより飛ぶ黒あげは


《おちる》

にゅるりんとどこから押し出されたのだろういつもの部屋に目覚めたわたし

滑り落ちたコップが割れてぽっかりと口あけたままおさなごが泣く

まだ誰もさわれない死だ死にたての蝉ださわれば指焦がす死だ

少年が小鳥を隠す抽斗に壊れた時計、人形の首

真夜中に青い蜜柑の皮を剥くふかづめの指じくじく熱い

夕空は今巨大なる溶鉱炉 銀の機体が静かに墜ちる


《冬へ》

ぶらんこも金の銀杏もゆっくりと闇に傾きながら冷えゆく

金の葉の散り敷く道にぽつぽつと紅き葉血の色残り火の色

捨てられて錆びゆく車 助手席にゴミにまみれて「ノルウェイの森」

尋ね人の貼り紙を読む元日の故郷の駅に迎え待ちつつ

きらきらと冬の真昼のまぶしさに踏み入れば誰か唾吐きし音


《夏の背中》

夕立に濡れ黒々とひき緊まる欅を夏の背中と思う

都市のみる夢にじみいづ路地裏のホテルの壁にみっしりと蔦

焼け死にはしないだろうが本日の最高気温38度

蜜のごと首すじに汗ひからせて少女は死んだ金魚を埋める

南国の海を背に笑むポスターの女の臍に白き蛾のいる

夕映えに灼かれるひとへ向日葵の種握らせて告げるさよなら

《からまって、秋から冬》

失ったこころの部品かも知れぬ砂地に錆びた一本のネジ

電柱のまんなかあたりで朝顔の蔓からまって空はもう秋

臍という消えぬ傷痕隠し持ち都市を流るる人々の群れ

落ちてゆくソーダのびんが砕け散る瞬間虹は放たれるだろう

通勤の鞄の底のくしゃくしゃの青いハンカチ わたしの空だ

キムチ鍋真っ赤に煮えて嫌なのはあやまればすむと思った自分

懸命に殻むくゆびがぼろぼろにゆでたまごのはだ傷つけており

締まらないネジが落ちた きみの顔思い出そうするほど虚(うつろ)

水たまりの空を覗けば天窓の底よりわれを見上ぐるまなざし

冴ゆる夜のひとり歩きは電線に三日月の弧をすべらせながら

●WORKS 1999〜2001●


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