ナースのひとりごと

   働くママさんナースのひとりごと
  

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   九里宮 天子(くりみや てんし)  元・千葉県私立病院看護師
                          現・ケアマネージャー

                        

プロフィール : 私は、働くママさんナースです。家族は、夫と子供三人と里親会から譲られた柴犬Mix(最近雑種とは言わないそうです。)ミント♀の、5人+1匹です。
 『家事と仕事の両立』を、モットーに自宅近くの病院に勤めています。
  毎日の生活や、仕事の中で日々思うことを『ナースのひとりごと』と題して書いていきたいと思います。

目 次
せん妄に女優?を演じるナース
避けられない最期に思うこと 
特効薬は梅干し   
様々な入院風景-清拭
様々な入院風景-臍箱 
様々な入院風景-顔と年齢 
様々な入院風景-それぞれの入院  
様々な入院風景・・・終の家(すみか) 
様々な入院風景・・・某介護付き有料老人ホームでのお話
様々な入院風景・・・認知症患者を持つ家族からのお話    
様々な入院風景・・・閉ざされた家 
老老介護と認認介護   
若年性認知症を発症した人の願い   
貯金は貯筋・・スポーツジムで出会った、しのちゃん  
ツインリサーチ(ふたご研究)・・・51年目の真実  2014年1月5日 

【1】 せん妄に女優?を演じるナース2003年2月23日掲載

 せん妄とは・・・ 意識、認知(思考、判断)、知覚の変化が一過性かつ可逆的に急速に現れる状態であり、それまでの機能レベルが突然低下するものです。
 皆さんのなかで、入院中「おじいちゃん おばあちゃんが、変なこと言ったり見えたりしておかしくなって大変だったよ。」と言う話を聞いた事はありませんか?
 具体的には、[点滴を抜く][ベット柵を乗り越えて転倒してしまった][子供の頃に戻ったような会話になる][夜中に朝だと思い込んで行動し、昼間は自分で起き上がれないが、夜になると起き上がり、歩こうする][病室と自宅を間違える]etc. この様な事をせん妄状態とよびます。

 私が出会った、印象深い患者さんを紹介します。  

 Aさん(80代 女性) 脱水 肺炎 うっ血性心不全 で持続点滴中。禁食中でした。入院当日意識レベル正常でコンタクト OK。入院2日め突然点滴を抜き、ベットから降りようと必死になっています。
 
 ナース    「どうしたんですか?Aさん。」と身体を押さえました。
 
 Aさん     「今日は配給があるんだ。こんな所に寝てられない、並ばなければ行けないんだよ。子供に食べさせなきゃ可哀想だろう。お腹すかせているんだよ。子供の世話を誰がしてくれるんだろうか?」突然時代が遡ってしまいました。
 
 ナース    「今日の配給はなんですか?」
     
 Aさん     「お饅頭だよ。」(配給と言えば、米しかないだろうと思っていたので意外でした。本当にお饅頭が、配給されていたのでしょうか?・・・)
 
 ナース    「お饅頭なら私がAさんの変わりに並んでもらってきます。子供さん達は、お姉さんがみていますから大丈夫ですよ。美味しいお饅頭だといいですね。Aさんは、風邪をこじらせてお医者さんの所にいるんです。静かにして良く休んでいれば、早く家に帰れますよ。」
 
 Aさん     「お饅頭と、子供達のこと よろしく頼みますよ。」と、落ち着いてきました。
 
 この様な会話で落ち着くのは、軽いせん妄状態のときです。
 会話は、現実に沿ってはいませんが、会話の中からせん妄状態の中での不安を見つけ問題を解決する事が、重要になるのです。
 私が、もし、新人ナースで初めてこの様な事に遭遇したら、
驚いて真顔で、「ここは、病院です。配給なんてありません。Aさんの子供さんは、お孫さんもいらっしゃる60歳ですよ。」と、真実を一生懸命説明するでしょう。Aさんはきっと不安が増し、家に帰ろうとベット柵から転倒し、骨折や頭部疾患を合併する事が考えられます。
 
 女性患者さんのせん妄は、子供,食べ物に関したことが多いです。子育てが人生の中心だったのでしょうか?

 Bさんは、荷物をまとめ布団をたたみ「子供の食事の支度するので帰ります。」と、丁寧に挨拶をし、帰る動作を繰り返すので家族を呼んだことがあります。集まった子供達を見てこんなに大きくなってと驚き、家族との会話の中で、徐々に今の自分を思い出しました。
 この様な時、家族からどの様に接したら良いか?相談をうけます。「ずっとよくわからないままでしょうか?」と、最初に聞かれます。
 「この様な状態は、一時的なもので突然の環境の変化などで適応するのに時間がかかるからです。はっきりするまで怪我をしないように注意してあげましょう。言動を否定するのではなく、現実への適応を促す為にさりげなく会話の中に現状を示してみましょう。あせらず,ゆっくりと・・」と、話します。
 
 夜勤の時のことです。Cさんは、夜間いつもお世話をしてくれるお嫁さんの〔まりこさん〕を探していました.。不安が強いため、この時はまりこさんになりきり、Cさんのお話に耳を傾けていました。その後安心して入眠しました。
 
 男性患者さんのせん妄は、仕事、女性、趣味に関したことが多いです。
 
 せん妄発症の割合は、入院患者さんの約10〜30%と、言われています。高齢者、癌患者さん、手術後の患者さん、末期患者さんでは、高率となる為ナースが遭遇する率も高くなります。患者さんのせん妄の程度〔ニーチャム、スケール〕により対処の仕方は、違いますが初期であればナースの言葉のマジックと、患者さんが必要としている人を演じれば、安心感を与えることが出来、高次のせん妄に移行する率は、少なくなると思っています。
                                                                      
 

【2】 避けられない最期に思うこと2003年3月30日掲載

  
初めての最期
 
 皆さんにとって初めて人の[最期]に出会ったのは、いつ頃ですか?私が初めて出会ったのは、小学生の頃で祖父の最期でした。祖父の死化粧された顔が、幼い脳裏に焼き付いて離れませんでした。突然祖父が別世界に行ってしまい、恐怖心にさらされたのを覚えています。それは[最期]が私にとって未知の出来事で、タブー視されていたからでしょう。その頃天寿をまっとうされた最期でさえ、[医療の敗北]とされていた時代でした。
                                                                   
祖母との思い出たまごひよこ 
 
 
 先日、祖母の法事を知らせる葉書が届きました。その知らせが改めて[最期]を考えるきっかけとなりました。 読経のなかでは、優しかった祖母との思い出がよみがえってきます。そして祖母への看護も、まるで昨日のことのように思い出されます。祖母に付き添い痰を吸引した事、点滴がもれて腫れた部位を温湿布したこと・・・。
 私に残された最後の祖母が脳梗塞により亡くなったのは、私がナースになりたての頃でした。親類の中で唯一のナースだった私は、突然ベテランナース扱いされ戸惑っていました。私はまだ一年生。それに資格があれば即、十分な働きができるわけではありません。新卒後プリセプター[指導係]がつき、様々なことを教え込まれます。生命の尊さ、看護技術、疾患等、配属された科の専門的分野などです。看護学生時代は、実習と授業で全科の知識や技術を浅く広く身につけるだけ。資格取得後、それからが本当にナースとしてのスタートなのです。そのため、ナース1年生は別名[ひよこ]、学生は、[たまご]と言われていました。
 実習中最期を迎える患者さんに接する機会もありましたが、どう対応したら良いのか千差万別でつかみきれず苦手でした。講義の中で、キューブラ.ロス博士が死への過程は、5段階パターンありほとんどの人がその過程を経る事を知りました。
【否認と孤立.怒り.取引.抑うつ.受容】その段階を見極め適切な看護の必要性も学びましたが、答えがはっきりでない問題のようでした。今はこの諸段階は、死だけに関係するものではなく仕事や、恋を無くした人など大小様々な喪失に関する通過過程と考えられているそうです。
 
最期を避けたくて
 
 看護学校卒業後、初勤務場所の希望は、産婦人科にしました。新しい生命が誕生する、幸多い勤務場所だから、また、私自身女性なので勉強になると思ったからです。しかし、ここでは、突然鼓動が止まった新しい生命や、誕生を迎えることが出来ない悲しい生命と出会いました。幼い子供を残し旅立って行った母親もいました。私もその母親と同じ頃の年齢になり、心情がわかるようになりました。ここには、天寿をほぼまっとうした、スムーズに受容出きる最期はありませんでした。
 
避けられない最期だから
 
 命あるものすべてが迎える出来事だから、きちんと、自分らしく考える方向になってきています。
 もちろん家族とまたは、代わりになる人と相談してください。差し迫った場合は、主治医にご相談ください。
 天寿をまっとうされるような場合、急変時に備え、[気管内挿管][人工呼吸器]装着の有無を十分な説明の元で確認させて頂く事が、あります。多くの場合は、自然に、そして苦痛の除去中心、を希望される場合が多いです。点滴・酸素は、されますが、後は患者様の回復力に任せる事です。もちろん回復力が増すように、主治医を始めスタッフ一同治療、看護にあたります。
 医療の現場では、この事を[終末医療の確認]と、言う事があります。けして医療の敗北ではありません。
 
最後に、祖母へ                
 
 ナースとして仕事をして13年。子育ての為に仕事を、離れていた時もありました。今となればそれも私の仕事の上で、とてもプラスになった事です。[育児]は、子供を育てるだけではなく、自分も育てる[育自]と言いますね。おばあちゃんは、鉛筆工場を祖父と経営しながら家事もして、10人の子供を育てました。すごいですね。
 いつも優しかった祖母に今、尋ねてみたい事があります・・ あなたの孫は、あれからナースとして成長しましたか?




【3】 特効薬は、梅干し?−プラセボを考える2003年10月4日掲載
 プラセボとは?      

 元々は、「安心する」といった意味のラテン語で日本では、偽薬と呼ばれています。乳糖、でんぷん、生理食塩水、など薬理作用のないものが、もたらす症状効果として使います。
                                      
 
最近印象に残った事例
       
 
患者さん 看護婦(看護師)さんお願いがあるんだけど。こんな事頼んでいいかしら?この頭痛にはこれを貼ると治ると思うの、家でもしていたから、、、、貼ってくださる?
                  
 
     湿布かな?と思い、振り返ると梅干し入りの容器があった。
            
 患者さん  この梅干しをこめかみに貼ってもらいたいの。

      頭痛に梅干しが、聞くのですか?何か特別な梅干しですか?

  ナースの仕事をしていてこの様な頼まれ事は、はじめてでした。

 患者さん  いいえ  何処にもある普通の梅干しですよ。

 この様な会話を聞いていた同室者から、笑い声があがりました。

 私は、その日の看護記録を以下のように記しました。(S=自覚症状、O=他覚所見、A=評価、P=計画)

  S)  頭のこの辺の(右前額部から頭頂部)鈍く重い痛みが、約3時間続いています。こめかみに梅干し貼 ってくれませんか?家でこうすると治っていました。
  吐き気ありません。食事はいつもどおり食べました。

  O)  BT=36.4℃  P=72  BP120/72  すっきりしない表情あり。顔色普通。

  A)  バイタル問題なし。精神的な問題?プラセボ効果期待するため否定する言動は、避ける。

  P)  患者さんの希望あり。右こめかみにバンドエイドにて梅干しを貼用する。症状変化のチエック必要。
        

 患者さんは、左上腕骨骨折の70代後半の女性です。保存的治療中のため自分で貼ることは出来ませんでした。何年も前から時々おきる右前額部からの頭頂部痛に悩まされていました。
 もちろん一連の検査異常もなく、常時内服している薬の調整をしましたが、頭痛は同じように不規則な時間帯におきました。痛み止めの効果もはっきりしませんでした。

 1時間後  S) 少しずつ良くなりました。

 翌朝    S) すっかり良くなりました。
       O) 自分で梅干しはずしている。笑顔あり。
       A) プラセボ効果あり。             
       P) 上記の件続行する。


       
 たとえば頭痛の場合、検査をして原因を見つけ、治療を開始します。痛み止めの使用もしますが、精神的な原因が考えられる場合、プラセボを、試す事があります。
 今回は、患者さんからのプラセボ依頼でしたが、実際患者さんにはプラセボだとは知らされません。
 患者さんが、必要とされている薬(プラセボ)をタイミングよく肯定の言葉かけで内服すると良い結果が得られます。

          
 近年、高齢社会の中で核家族化が進み、老夫婦のどちらかの入院が多く見られるようになりました。家族と同じ住所でも別棟で一人で生活している事もあります。
 精神的な不安からくる症状もあり原因を探りつつプラセボを使用する事があります。不安発作による動悸、気分不快に、分包された(1回分ずつの袋)乳糖を、頓服します。
 患者さんには、「今の症状を和らげるお薬です。前の時もとても良く効きましたよ」と、説明します。
 この時の効果はありました。

 薬は「両刃の剣」とも言われ副作用もあります。効果的なプラセボ使用により副作用軽減につながるのではと思います。

 この様な文を書いているとき祖母を、思い出しました。巣鴨のとげ抜き地蔵尊に何でも効くという和紙で出来たお札があった事。小さな和紙にお地蔵様の絵が、書いてありました。今でもあるかな?お腹が痛いとき飲んだり、頭痛時貼ったりしていたことがありました。子供心に良く効いた思い出があります。この有り難い不思議なお札は、まさにプラセボだったのですね。
 私自身も、お世話になりました。



【4】様々な入院風景・・・清拭 2004年2月1日掲載
  
 午前中の病棟は比較的穏やかな時を、感じます。突発入院が無ければ、入院患者さんのケア時間に充分あてる事が出きるからです。保清援助、注射等直接関わる事は、看護師にとって貴重な時間の一つです。その中から、患者さんの状態変化がわかるからです。
 たとえば蒸しタオルでの清拭は、まず、患者さん自身に出来る範囲でしていただき、その後看護師が清拭します。
 
 患者さんの家族から「せっかく入院しているのだから遠慮しないで看護婦さんに最初から全部拭いてもらったら良いのに」と、言う声を聞くことがあります。が・・・・

 たかが清拭、されど清拭なんです。
 
 患者さん自身が、蒸しタオルで清拭する事で、どの位手が上がる様になったかな?手指の動きは?衣服の着脱は?麻痺の程度は?等の観察ができます。
                 
 最後に介助しながら清拭の仕上げです。熱めの蒸しタオルで背中を包みこむ様に拭くと、ホッとしてかポロッと本音を聞くことが出来ます。
 その本音が、医療上の問題点で在れば、家族の協力を得ながら医療スタッフは解決策を実施します。
 
 患者さんのポロッとでた本音とは・・・

 最初の言葉は 黙っていたんだけど、  実は、  何でもないと、言ったんだけど本当は、  で始まります。
 
 糖尿病の患者さん  血糖コントロールとインスリンの自己注射の為の入院中。
 
 毎日先生や、看護婦さんに「何か変わったこと、気分が悪くなったりした事ありませんか」と、聞かれて言う程の事でも無いと思って「特にありません」と、言ったのだけど・・・本当は、ここ2〜3日明け方に何か頭の中がフワフワする感じがして、眼がさめてしまうの。横になっているだけなのに変でしょう? 歩いているわけでもないのにね。と、不思議そうに話しました。
            →  低血糖症状
 
 心疾患の患者さん 実は、昨日の夕方胸がもやもやしたので、いつも持っている薬をなめました。もう治ったので大丈夫と思い先生には、言いませんんでした。
       →  狭心症発作
         
 大事な情報を得る事が出来ました。患者さんに、何故すぐナースコール押さなかったですか?と、尋ねると、「こんな時間じゃ悪くて  先生、看護婦さんいそがしそうで  そんなひどい症状でなかったので 」   と言う返事を聞くと患者さんが、遠慮している様子が、わかります。
       
 病気を、治す為に入院されているのですから遠慮は、いりません。相談して下さい。
    
 私たちも、患者さんから気軽に相談を受けられるような心がけが、必要だと思いました。
 


【5】様々な入院風景・・・臍箱2004年4月11日掲載

 たんすの奥に、桐の箱で出来た古い臍箱を見つけました。これには、母と私の名前が書いてあり、生命のつながりを感じました。
 何時の時代からか、母児の絆 成長への願いを込めて・・・・出生後、5日前後で脱落する臍帯を桐の箱に入れて大切に保管し、嫁ぐ時に持たせる。という言い伝えを思い出しました。
 歳月が過ぎ私も母親になりました。3個の臍箱を各々の子供にみせ、命の尊さ、赤ちゃんの頃の様子を話す良い機会になりました。しかし、私は臍箱を見ると自分の子供との思い出よりも、ひよこ時代の産科病棟での出来事を思い出すのです。

 今から20年程前、公立の総合病院に新卒の看護婦で勤め始めた時のことです。50床ある病棟は、産科と婦人科に分かれ毎日必死で緊張しながら仕事をしていました。
 産科は、分娩係り、産褥婦係り、ベビー係に分けられていました。あの出来事は、私がベビー係の時におきたのです。昨日まで付いていたはずの臍帯が、どこかで臍脱して行方不明になっていたのです。沐浴ノートを見ても昨日は、確かに臍(+)。大変!どうしょう・・・先輩看護婦に相談して、臍脱した行方不明の臍帯を探す事になったのです。
 沐浴用のバスタオル、衣類、オムツ、ベッド周囲等思い当たる所スタッフ総動員で探しましたが、見つかりませんでした。婦長さんが、説明し謝罪しましたが、「代々続く旧家の家系の長男に臍の緒を持って帰れないのも困ります。嫁ぎ先の家の者に良く言われません」と、納得されませんでした。さて困った!!!  その時定年間近の助産婦さんが、名案を出してくれました。その赤ちゃんの胎盤が、冷凍庫に残っているからそこからの臍帯を使ったら?と、・・・・
 ・・・・・・・これを読んでいる皆さん、何故冷凍庫に胎盤があるのか?と、思うでしょう。もちろん医療用冷凍庫です。分娩後胎盤を観察することで間接的に、母児の情報がわかります。その後ビニール袋に名前の札を付け冷凍されます。専門の業者が取りに来て、医薬品 化粧品の原料の一部になるのです。
 早速冷凍庫に行き、間一髪、業者が来る前でした。名案の助産婦さんが、時間をかけてきれいな臍の緒ができました。まぎれもなく正真正銘、臍の緒が行方不明になってしまった赤ちゃんのものです。母親には、すべて婦長さんから説明を受け納得されての退院になりました。

 今考えると患者さんへの説明が、きちんとされていると思いました。説明し同意を得て物事を進めていけば、トラブルは少なくなると思いました。



【6】 様々な入院風景   顔と年齢2004年9月23日掲載

 年齢には、身体年齢、精神年齢、脳年齢、実年齢等様々な表現の仕方がある。
 実際よく使われるのは、誕生日から計算する実年齢である。小さい頃は見た目には年齢差があまりみられないが、年を経るうちにかなりの差がみられる。
 私は、何故かいつも不思議に思っていた。きっかけは、入院中の同室患者さん3人が偶然にも同い年で、横1列に並んだベッドに入院されたことから始まる。勤務室には、ネームプレートがあり氏名、年齢、主治医等が記載されたものが、勤務者から見える所にマグネットで取り付けられている。3人共ちょうど90才の女性の患者さん。それぞれの人生をどの様に歩まれたか・・・・わかる様なお顔立ちである。
 いつも不平不満ばかり言う人、他人を疑ってばかりいる人、いつも感謝の思いを忘れない人、表情となり、私達に物語って下さる。人間40才過ぎたら自分の顔に責任を持て・・・と言う言葉通り、自分の生き方が表情として物語ると言う事を思い出した1日でした。

 その、90才の女性の子供達が見舞いに訪れた。子供の年齢は70才前後で、男女合わせて5人、「私は長男の○○です」等皆さんから、挨拶を受けた。この様な時は、患者さんとの関係が良くわかりますので戸惑う事はありません。
 しかし、突然家族が訪れた時、高齢であればあるほど、見た目に家族関係がわからず失礼な事を言ってしまった事を思い出します。実の息子さんをご主人様、実の娘さんを姉妹と聞いてしまって気まずい思いをしたことです。もちろん先生からの病状説明、急変時等大事な時は、必ず本人との関係を尋ねますが、御家族様との何気ない会話の中では、若く見える呼び方に、気をつけて変える様にしています。そうした方が家族との会話がはずみ、様々な患者さんの情報を得る事が出来るからです。
 私もそうですが、若く見えると嬉しいのは皆同じなんですね。


【7】 様々な入院風景  それぞれの入院2005年9月4日掲載

 入院の種類にはいろいろある。
 手術、検査治療等を目的とした予定入院(あらかじめ入院する日が決まっている)。緊急に処置や手術が必要な緊急入院(突発的な入院、緊急度が高い)。介護の為の入院(社会的入院と言われている。在宅介護困難で介護保険により、医療との分離をはかっている。)転院(他の病院から専門的な治療を受ける為に入院する事) 等。

 患者さんは入院する前は、父、母、就労中の人、学生等様々な背景がある。入院という制約を受けると自分の社会的立場により、入院生活が変わってくる。

 父親は、家事より仕事が気になる様で、パソコンや携帯で会社の人と連絡をとっている。手術前はタバコは禁止の為ガムを噛んだり、ウロウロし落ち着かない。術後タバコがOKになると吸いたいが為に動くと、手術の創部痛があるので創部を押さえ必死に喫煙所に行く。本来なら禁煙のままの方が身体には良いのですが・・・

 母親は、入院前に家の用事を片づけ、疲れた状態で入院する場合が多く、とても良く寝ている。「こんなにゆっくり休めたのは久しぶり」と話され、残してきた家族の為に、日常生活が困らない様に様々な準備をしてくる。ゴミの日は?衣服の入れ替えetc、それでも心配で電話をする。術後のリハビリも意欲的で早く家に戻る事を望んでいる。 

 今年入社し始めて一人暮らしした男性は、突然の意識障害で緊急入院。何が起こったのだろう?母親も駆けつけ、少し見ない間に身体が太った感じと話される。原因は高血糖。水分をすべてペットボトルジュースから飲水していた様子。彼の居室には弁当、スナック菓子、ジュース類が散乱していた。食生活が原因でした。

 受験前の夏休みに入院した学生さんは、盲腸で緊急手術。手術は無事に終了するも何故だか親は浮かない表情・・・。原因は盲腸の為夏期講習に初日から参加できなかった事。本人はマンガを読んだりスッカリ、リラックスしていましたが、親の心子知らずですね。母親には「受験時期に盲腸にならなくて不幸中の幸いですね」と、話かけると「考え様によっては本当にそうですね」と笑顔がみられました。

 腹痛を訴え意識レベル低下で夫が付き添い入院された女性。主治医より子宮外妊娠を告げられると、「単身海外出張で1年ぶりに昨日帰国したのですが・・・」と、この疾患にならなければ表面化されない問題だったかもしれない。

 入院時には入院に至った経過既往歴を聴取すると、その患者さんの人生の凝縮された話しを聞く事ができる。様々な人生を傾聴し自分には体験できない人生を学ばせて頂いていると、常に思っています。



【8】 様々な入院風景・・・終の家(すみか)2006年1月8日掲載

 2000年に介護保険が発足し、昨年5年後の見直し時期から施設入所の居住費、食事代を在宅生活者との格差を埋める為自費扱いとなり、又今年4月から介護予防に力を入れる対策が盛り込まれる様になりました。

 私は2年前病院での看護師生活を辞め、介護支援専門員(ケアマネージャー)免許取得後、現在は介護保険調査員として様々な場所(自宅、介護老人福祉施設、介護老人保健施設、介護療養型医療施設、医療対応病院、グループホーム、ケアハウス、特定施設等)を訪問しています。

 本人、家人、施設職員からの聞き取りと、可能な限り安全範囲の中で実際に動いて頂き、歩行、関節等の動きから日常生活にどの様な支障や介護を受け生活しているか、記憶認知部分からの情報も集め、介護保険認定の為の調査票を作成する仕事をしています。

 1日4〜5件初対面の対象者からお話を聞かせて頂き、家族背景や本人の考え、住宅環境により、かなり老後生活は変わってくると思いました。

 まずは住居、バリアフリー、手摺設置により自宅内での転倒骨折は減少し、車椅子生活も可能で、電磁調理器なら火事の心配も少なくてすみます。手摺り、自助具等を使いかなり自立した生活が維持出来るケースが多いのです。が、その様に整備されている家は、現実に極少数であると思います。

 車椅子使用可能な廊下有効幅は780mm、廊下に面した開口部の有効開口寸法は950mm以上必要とされていますが、早速我が家を測定してみると、廊下はぎりぎりの幅があるにしても、開口部寸法は780mmと車椅子使用困難な住宅である事がわかりました。介護保険では手摺り、段差解消等住宅改修で必要が認められれば、上限20万円までのうち、1割の工事費負担で改修出来るのですが、廊下幅、間口を広げたりする工事は自費分が必要となり、大がかりな工事となってしまいます。

 若い時に購入した我が家も、数十年後の為に大がかりな建て替えが必要と考えていましたが、やはり住居だけでなく、介護して下さる方がいなければ、在宅生活は成立しませんね。

 まずその前に、自分自身健康な精神と身体が必要で、毎日切磋琢磨する事が必要なのかもしれません。介護予防に力を入れる今年4月からの介護保険新メニユーが楽しみですね。


【9】 様々な入院風景・・・某介護付き有料老人ホームでのお話2006年5月14日掲載

 様々な入居風景と、題名を変更し、某介護付き有料老人ホームでのお話し。

 特定施設に指定されている介護付き有料老人ホーム入居の案内が新聞等に載っているのはめずらしい事ではなくなりました。入居一時金○百万円〜○千万、月額利用料○十万円、他に、介護保険利用の1割負担分、衛生材料、習い事費等、また、病院受診等規定以外のお金が必要になります。終身で利用の場合いくら必要になるかは、神様のみ知るばかりです。

 最近ロイヤルケアという、手厚い介護、快適な居住空間を唱う豪華ホテル級の特定施設(あるドラマの撮影現場になリました)へ夜勤専門看護師としてアルバイトを始めました。介護認定を受けている要支援から介護度5まで、今までハイレベルな暮らしをされていた様々なお客様(こちらでは、居室を購入していただき介護者が基準より多く配置されています。入居者と言う呼び方では無く、お客様とお呼びする方針との事。)が医療、介護、を受け余暇活動をしながらその人らしい生活を送っています。もちろん癌疾患でクール入院続けながらこちらを住居とされている方や、認知症の方もいらっしゃいます。毎月お誕生会が開かれますが、今までのイメージから歌を歌ったり少し豪華な昼食ていどと考えていましたが、こちらでのお誕生会は華やかなパーティでした。

 認知症のある主賓は、「今日、娘は来るかしらね」と、不安そうに何度も同じ話しを繰り返していましたが、専任の美容師がお気に入りのドレス、メークを施し徐々に自信に満ちた表情に変わってきました。素敵な黒のカクテルドレス、バッグと靴はお揃いで、ドレスの裾をなびかせながらの気品のある歩き方です。パーティ担当職員もメイドさんの服装に換えワイン、ダンス、社交界のようです。更に娘さんも訪れますます笑顔になりました。今日の主賓は元貿易会社社長夫人で夫の仕事関係から各国の人々と交流が多く人生の中の一番良い時間だったのでしようか、、、主賓にマイクが向けられると、今まで誰も聞いた事が無いような流暢な英語でのスピーチが始まりました。

 認知症の方は短期記憶障害がみられますが、昔の記憶は鮮明に覚えている事が多くその事を認知症進行予防に役立てる療法があります。回想法や手続き記憶療法では以前調理師だった方に一緒に魚をさばく事で、昔を思い出し自信を持つ事が進行防止に役立つと聞いた事を思い出しました。


【10】 様々な入院風景・・・認知症患者を持つ家族からのお話2007年1月3日掲載

 介護保険の認定調査員の仕事をして早3年が過ぎました。月に平均50件の訪問をさせていただき、自宅、施設、病院等様々な生活場所で暮らしている本人、家族から聞き取ります。
 認知症のある方の問題となる行動は、その方の生い立ちが、大きな基盤になっている事が多いように思います。

 昔、洋裁店を営んでいたご主人は、認知症が進行し自分の名前、食事摂取の有無も、家族関係もわからず、コタツの中で寝ています。調査の為話しかけても全く辻褄があわず、暴言ともとれる発語が続き、妻、嫁からの聞き取りが中心となりました。
 昼夜の区別がつかず、自分が起きたときが朝で、窓を開ければ、空が海に見え魚を取りに行くと言い(親類が漁師で子供時代にお手伝いしていた)、普段は歩けないのに、自分の思いが強い時は、何故か階段も降り外に出てしまう(お店の鍵を開けていた)。
 ハサミをみればカーテン、紐を等分して切ってしまう(洋裁店経営していた)。名前を問うも名前の意味がわからず、返答にはならなかったが、正月の天皇家の一般参賀のテレビをみては床にキチンとすわり、頭を下げて私の名前は○○です、今年も宜しくお願いしますと、キチンと答えていたそうです。

 認知症の問題行動はそれなりの理由があると言う事がわかりました。

 又、主婦の認知症初期の症状に、買った物を忘れ同じものを買い、冷蔵庫の中には同じものが並んでいる事があります。購入した食品を適所に入れられず、野菜を冷凍庫、冷凍物を普通の冷蔵庫にいれてしまう事や、調理の味付けが極端に変わったり、適量が作れなくなる事も早期発見の一つとも聞きます。

 先日進行している認知症の方から、とうとう風呂の水がはれなくなったと聞きました。何故だかトイレの水を頻回に流しては、風呂に貯まると思い込む様になったそうです。又、以前は髭剃りはきちんと出来ていたが、最近は髭剃りで髪の毛を剃ったり、便器の中の水で顔を洗ったり等がみられる様になり、家人も生活一つ一つに見守り、援助が必要になってきた話しを聞きました。

 家族の方も介護ストレスをためない様に、グループホーム、デイを利用し、ご本人にも個々にあった認知症対応を受けて、本人の持っている力を引き伸ばして欲しいと思います。



【11】 様々な入院風景・・・閉ざされた家2008年2月10日掲載

※ ネグレストとは⇒保護の怠慢・放置・拒否。高齢者虐待防止法では、与える食事を著しく減らしたり、長時間放置して高齢者を衰弱させること。あるいは、養護者以外の同居人による虐待を放置するなど、高齢者の養護を著しく怠ることと定義されている。

 介護保険申請は、親族からの介護に関する相談から申請に繋がる事が多くあります。独居でない限り家人がいれば、ある程度の生活の見守りがされているはずだからです。先日、緊急搬送された病院の担当医から地区のケースワーカーに「意識消失で救急搬送された患者さんの身体にネグレスト疑いがある」と通報あり。「妻、長男夫婦と同居しているのに何があったのか・・」と、思いながら介護保険調査員の私はケースワーカーと入院先を訪問しました。

 ネグレストであれば自宅退院する事は危険で、まずは当面の生活場所を介護度に応じ、ショートステイ、施設入所等を緊急避難先として利用すべきだからです。介護保険は申請日に遡り利用する事は可能ですが、認定結果は約1ヶ月かかるので、その間は暫定プラン利用となります。

 連絡を頂いた翌日に状態確認訪問するも、頂度市内の一般病院に転院した所でした。緊急搬送先の大学病院で3日間の急性期治療を終え、やっと食事摂取可能な状態となったからです。

 到着し、困惑気味の看護師から病室に案内されました。現在入院中の主は70歳、男性。顔色は浅黒く眼は眼窩に落ち込み、つなぎ型の寝巻きを身につけ病院のベッドで横になっています・・・・過度の静臥床、無動、身体が不自然な程真っ直ぐに硬直したまま寝入る姿に違和感がありました。お名前を呼んで反応を確認してみようかと思うも躊躇してしまう。躊躇する原因は、主がどんな反応されるかがまったく予測つかないからです。

 以前も別の調査時に名前を呼んで、「寝ている時に何する」と急に怒られたり、「介護保険の事で、お体の様子を伺いに来ました」と話しかけると、「保険はいらん」と追い出されそうになり大変な目にあった事がありました。勿論相手の方は理解力は低下された人でありましたが・・・。

 入院の経緯、家庭状況等の情報も必要な為、看護師長から先に話しを伺う事にしました。

 看護師長からの話し  主が救急病院に搬送されたのは、低血糖からの意識消失発作が原因。身体には何層にも垢がつき眼脂から開眼不可能であった様子、栄養失調状態で、好発部位に床ずれがあり処置開始中である。昼間は全く動かず寝ている為、起こして声掛け食事摂取を促さないと動作が止まってしまう。

 夜間は過度に覚醒し、意味不明な独語や、奇声を発し、ベッド上で活発な動きや暴言もあり、夜勤の看護師は昼間の様子と違い精神疾患を疑ったほど。入浴は昼間に入ったので大きなトラブルなかった様子。昼間は名前や年齢等はゆっくり返答するも、他の質問の詳細部分は食べ物の話しになってしまう。早急に専門病院受診予定との事でした。

 妻からの話し   以前からアルコール依存症があり、数年前から自宅2階自室に閉じこもり昼夜逆転生活。妻が助言すれば主から暴力を受ける為、なるべく関わらず生活してきた。食事の好みも変わり、おにぎり、みそ汁なら摂取する為、主の寝ている昼間に自室に運び、夜間にまとめて主が摂取していた様子。入浴を嫌がり、不衛生な失禁跡多数ある布団での生活であった。

 以前からこの様な生活が続き特別な状況とは思えなかった、向き合わない事で暴言暴力を避ける事が精一杯だったと話されました。

 又、主の兄弟が同じ様に昼夜逆転、暴力、アルコール依存症生活を送っていた事も、家人にとって日常的状況と思ってしまう一因であった様です。

 状況が分かったところで病室に向かい主に声を掛けてみました。うっすらと開眼し、私の問いかけに躊躇する事なくゆっくり名前を返答します。場所を問うと、食べたい食べ物の名前を羅列し疲労感を浮かべ、閉眼してしまいます。関節可動域確認の為「両手を上に上げて万歳してください」等簡単な指示を何回も繰り返すと、ゆっくり反応するも寝入ってしまいます。

 夜間の徘徊に関わらず、昼間の過度の静臥床、低栄養、不衛生な環境が床ずれを発症させ、主の兄弟にみられる極端な生活行動、妻、息子のやや理解力低下等様々な要因が重なり、今回の状況に繋がった様です。

 意識を失い救急搬送された事で、閉ざされた家から専門病院での治療が開始されました。心身ともに回復する事を願っています。



【12】 老老介護と認認介護 2009年2月8日掲載

 高齢者夫婦が寄り添いながらお互いを介護したり、高齢の子供がもっと年老いた親の介護を行う事を老老介護。介護される側だけでなく介護する側も認知症である場合を認認介護。

 介護保険認定調査員の私は、病院、施設、自宅等、高齢者の生活場所に伺い、家人含めて様々な話しを聞く機会があります。核家族化と就業率も高くなり、仮に家族と同居していても日中は高齢者のみとか、あるいは完全に高齢者世帯又は独居の方が多くみられます。生活パターンが異なる家族はお互い負担にならない様に、あえて同居を選択せずにいる事もある様です。

 身体的な衰えは、一つ一つの身体動作で確認する事が出来ますが、認知的な衰えは、初期には波があり(俗に言う まだら)普段会わない人の前では緊張し正常な会話や認識力を発揮し、見過ごされてしまう事から、突然不意打ちに訪問する事で、意外な発見につながる事もあります。

 どんな世の中でも「子供には心配かけたくない」という親の気持ちから、小さな出来事も話さない事があります。

 数日間連続して訪問する機会があった娘さんからの話しです。

 母が最近「電気製品が壊れて困る」と言うので家の中を見ると、黒電話がファックス付の電話に、解凍、暖め専用レンジが多機能レンジに変わっています。風呂場の湯音度調節も壊れたと言うので風呂場に行くと、脱衣室には二層式洗濯機に代えて大型全自動ドラム形が設置され、洗面所が使えない程塞がれていました。温度調節は以前から台所で設定するタイプで風呂場での設定は出来ないはずなのに・・・、何故壊れたと言うのだろうか・・・?

 独り暮らしに大型洗濯機は必要ないし、これでは洗面所が使えない。風呂場に入るドアが半分しか開閉しない。新しい家電も使い方が覚えられず、「壊れた」と購入先の電気屋さんに何度電話をしても、使用方法が覚えられない。電気製品が立て続けに壊れる訳がなく、今まで使っていた物の使い方がわからなくなってしまったのです。

 以前の母とは違うと専門医を受診し、娘と同居し見守りをうけながら専門薬の内服開始、介護保険デイサービス等利用中です。娘さんから電気屋さんに苦情を伝え消費者センターに報告したそうです。

 夫婦で住んでいても、お互いの認知力が低下していて、薬内服の有無を忘れ、お互いに声掛け合っても重ねて飲んでしまう、足の不自由な妻を認知力低下した夫がトイレに連れて行き、迎えに行く事を忘れてしまう事もありました。二人暮らしであるとなかなか詳細に立ち入る事は難しいのですが、目的を持って生活をみると見えてくる事があります。

 意図的に電話を掛けて、伝言が伝わるか?受診日がわかるか?出来事自体を忘れていないか?をチェックし、気になる事は早期に受診し、認知力低下の原因を見つけ適切な治療を開始しましょう。



【13】 若年性認知症を発症した人の願い 2010年1月10日掲載

私は介護保険認定調査員の仕事をしています。窓口や電話で相談後申請受理、訪問日時調整し自宅、病院、施設等に調査に伺っています。

 1号被保険者(65歳以上の人)からの申請が圧倒的に多いですが、2号被保険者(生活に支障となる疾患が特定16疾病の中であれば、65歳以上(1号被保険者)に達しなくても、40歳〜64歳の対象者が申請出来る。)からの申請相談が多いのが「がん末期」と「初老期における認知症」と思います。

 今回は若年性認知症本人と家人から伺った話しです。

 妻と主との2人暮らし、早期退職し駐車場管理のアルバイト的仕事を始めた所でした。今まで温厚で常に他者に気配りしていた主であったが、自宅で時折易怒性始まるも、慣れない仕事が原因と妻は考えてました。

 突然「俺の稼いだ金だ。自由に使うぞ。」と言い、本当に全額使ってしまったのです。購入した商品は何を見ても必要な物ではなく、絵画、釣り竿(釣りの趣味はない)、小さくて着れないコートやかばん等、、どれを見ても首を傾げる物ばかり、、ホテルに行き「脚立を配達してくれ、カメラ下さい」等支離滅裂な行動から、妻は主の休職手続きを取りクリニック専門医を受診しました。

 若年性認知症疑いから内服開始するも、幻覚、幻聴が始まり窓に向かい「今行くから」と俊敏な動きで家から出てしまう、仕事の打ち合わせがあると思い込んでいる様子。携帯電話持たせるも徐々に使い方がわからず、止める妻を振り払い出て行く為、妻は疲労困憊し介護保険で主の見守り(デイ、ヘルパー)希望し申請の電話が掛かってきました。

 自宅で主に会うと自分の名前は正答するも、日時や短期記憶は不機嫌さも加わり曖昧、「今から出掛けるから」とコートとかばんを持ち外出する事に必死である、窓ガラスに映る自分を誤認しているのか?問いかけている。妻から、外出すると交通ルールを無視した歩き方で危険だが、外出させないと怒り出しどうしたら良いかわからない、興奮した時に飲ませる薬もあるが飲んでくれないと途方にくれている。

 調査には別宅居住中の娘さん立会いもあり、地区保健師やケースワーカーと連携し主治医相談後、内服薬調整と主の安全確保の為入院になりました。

 数ヶ月後、自宅に退院した主と話す機会がありました。妻からは内服中で主を興奮させない様に主治医から指示を受け生活しています、以前の様に急に外出してしまう事はないが動作緩慢で頭の中がすっきりしないと常に言ってます。認知症の原因には血管性、アルツハイマー型、ピック、レビー小体型等がありますが、主がどのタイプかは今後の状況みながら診断を受けるとの事でした。主はゆっくりした口調で数ヶ月前に私達が訪問した事は全く覚えてないが、今一番に何をしたいですか?との問いに「以前と同様に働きたい、役に立ちたい」と話されました。

 若年性認知症は働き盛りに発症する為本人の苦悩だけでなく、就労出来ず家庭生活や子育てにも影響及ぼします。配偶者の就労が必然的になるのでデイ、ショート利用するも、本人の身体機能的には問題なく俊敏に行動する為精神・行動障害を阻止する事が容易でなく、若年性認知症専門の適切なケアが出来る場所が求められています。

 先日「働きたい」と言う気持ちを尊重し、工務店形式のデイの話しを聞きました。専門のスタッフと一緒にペンキ塗りや掃除をする事で感謝の言葉をもらい、意欲的に前向きに生活する事が疾患の進行予防に繋がると言う内容でした。

 この様なデイは、まだ数少いですが、今後期待される介護保険サービスの一つになります。「働きたい、何か役に立ちたい」と言う気持ちを大事にし、町ぐるみで見守る「認知症サポーター」の養成活動も5年目を迎えたそうです。



【14】 貯金は貯筋・・スポーツジムで出会った、しのちゃん 2012年11月4日掲載

 お金ではなく、筋肉を貯筋する・・・「貯金は貯筋」と言う、面白いキャッチフレーズは思わず目を引きますね。筋力低下予防の為に筋肉をつけて早めに貯筋しょうと言う啓発活動に使われます。

 更に、早く始めれば早いほどよく貯まるのがお金と筋肉。辛抱強くコツコツと長きにわたって 貯め続ければ老後に幸せをもたらしてくれるのだと言う説明も、なるほどと頷いてしまいます。

 1年以上前からスポーツジムに行き始めた私は、貯筋をしている人生の大先輩達と話す機会が増え長年健康に留意している方々なので継続的に運動する姿には尊敬します。

 皆が「しのちゃん」と呼んでいる80歳位の女性は円背で杖とリュック姿で電車を乗り継ぎ、スポーツジムでは水着に着替え自分の出来る範囲でアクアビクスと水中運動を行います。自分のペースを保つ事が長続きの秘訣でしょうか?

 水着も帽子も明るい色調でお洒落です。小柄なのでプールの水深が浅い端の前方のインストラクターの動きが見え易い場所が定位置で、お気に入りのインストラクターのレッスン日は張り切って参加しています。皆は「しのちゃんの様に元気で長く続けたいですね」と言う言葉を挨拶代わりにして、しのちゃんと話す事が楽しみになり、しのちゃんも元気をもらっている様です。

 しのちゃんの娘さんと知人の方からの話しでは、「母はプール行く事で、電車に間に合う様に支度し、年相応程度の物忘れはあるけれど生活の張りが続いてます。ジムの人達に声を掛けてもらい感謝しています」と、話されていたそうです。

 ある日、しのちゃんがスポーツジムのロッカーの鍵が見当たらず困っていたら、自然と皆が探し始めました。結局はうっかりリュックの中から出てきましたが、皆にお礼を言っていたしのちゃんは素敵な笑顔でした。

 何歳位迄プールに通えるかしらと言う質問をインストラクターに投げかけたしのちゃんの問に、「自分で来て、一人で着替えて参加出来れば大丈夫よ。頑張ってね」との返答に力強く頷いていました。

 長年続けていた運動を休んでしまうと自分の身体が動かなくなってしまうのではと心配になり、今日も無事にいつも通りの運動が出来たと安心するのよと、話してました。今日も、前向きに貯筋しているしのちゃんに会うのが楽しみになりました。




【15】 ツインリサーチ(ふたご研究)・・・51年目の真実 2014年1月5日掲載

 私は双子。

 母から「貴女達は産まれる迄双子とわからなかったの…、一人生まれて(私)それでもまだお腹が大きくて…、先生やお産婆さんが、もう一人いると大騒ぎになり10分後に妹は生まれた。お産婆さんが胎盤が二つあったから二卵性だよ。二卵性は姉妹が一緒に生まれたのと同じと話していたの」

 その出生のエピソードは事ある度に聞き、二卵性双子と私達も両親も信じて疑わず半世紀過ぎた。私は看護師、妹は保育士になり、結婚して子供が私が三人、妹が二人、皆女の子でしたが双子はいませんでした。

 昨年の夏、職場の回覧の中で「ふたごボランティア募集」の見出しが瞬時に飛び込んできた。

 関西の大学内にふたご研究(ツインリサーチ)の機関があり、「一卵性及び二卵性のふたごペアの方々の似ているところや異なっているところを学術的な観点から調べ、予防医学などの人間科学の発展に貢献することを目指す研究分野です」と記載されていた。

 妹と一緒に夏休みに一泊二日の検査を受ける為関西に出掛けた。生活習慣等に関する問診等前日から大学の宿泊施設に泊まる事で、血圧や脈拍を指定された時間毎の測定、遺伝情報含む採血、骨密度や動脈硬化、口腔内や皮膚状況、記憶のテスト等様々な検査を受ける事ができました。

「骨密度の数値がほぼ一緒だから一卵性の可能性ありますよ」

と言われ、私達は驚いた。母から事ある毎に聞いていた出生のエピソードが頭の中を駆け巡り、担当者に即座に問いかけた。

「50年前の事だから…、その時代の医療では胎盤が二つというより二つに見えて…、実は胎盤は一つという事もあり、以前このセンターで検査して真実がわかった方もいますよ」

と、検査の中に卵性診断を加えてもらいました。

 数ヵ月後の結果は「一卵性」、母親も私達もずっと二卵性と信じていた為真実がわかった喜びが強く、私達姉妹は一卵性の特別な姉妹になりました。

 又、今回の検査で私だけが甲状線の疾患がわかり、2ヵ月後には生まれて始めて手術を受ける事になりました。

 目にとまったツインリサーチから、もしかしたら知り得なかった真実を教えてもらい、今後の姉妹の関わり方が変わっていく予感がしました。

 私達は同じ遺伝子を持っているのですから。


<続く>