広葉樹(白)   
バックナンバー2017/1/8〜2017/12/13

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2017年1月8日 掲載
緩和ケアの患者・介護者それぞれへの効果は?
【デキる人の健康学】寝たきりにならないための生活習慣 中高齢期の食習慣と運動が重要
【上手な死に方を考える】「がん終末期」宣告…患者は何をするべきか
「終末期医療を考えるために 検証 オランダの安楽死から」 日本の終末期医療のあるべき姿を考える
がんで亡くなるのは医療の敗北ではない。緩和ケア最前線 尊厳に満ちた終わり方を迎える方向に
Dr.西&Dr.宮森の「高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです」 第3回 身体抑制した患者に緩和ケアはできるのか
「在宅死」を現役医師が必ずしも勧めない理由 家族の疲弊を考えれば病院死も選択肢に入る
2017年2月6日 掲載
日本全国で「がん難民」が生まれる深刻な理由 「専門医を見つけたから安心」という勘違い
「犬を見た途端、初めて笑顔を見せた」 アニマルセラピーはがん患者の緩和ケアに有用と岩国医療センターが報告
がんの苦痛を和らげる緩和ケアで血液がん治療後のうつ症状をセーブ
残された時間、生きた証 ステージ4のがん患者に奇跡は起きるのか
ソフィアメディ、自宅で療養生活を送る人向けに「アロマ看護サービス」をスタート
がん生存率0%から「治ったワケ・治せるワケ」?患者と医師が明かす 再発・転移であきらめるな!
ここが知りたい!高齢者診療のエビデンス [第10回]終末期の輸液,どう判断する?
「看取り」から「見送り」へ−終末期ケアは誰のためのもの?
我慢強さは捨てるべし
看護師直伝 がん治療と笑顔で付き合う あなたの主治医は? 緩和ケア研修終了医はバッジに注目
連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」 緩和ケア病棟か在宅か、喫煙で悩む療養の場
2017年3月8日 掲載
連載: 患者と医師の認識ギャップ考 在宅での最期を願う患者、無理だという往診医
がんの「緩和ケア」を受けると何が起こる?経験者が語る恐怖と実態 71人から話を聞いた研究
欧米の安楽死と違う「尊厳死」広まるが法案は国会提出されず 安楽死を巡る議論が進まぬ理由は
病院で行なわれている過剰な延命治療の大半は家族の希望 延命治療についての理解はまだまだ浅い
終末期患者に一切の治療を行なわない「平穏死」提唱の医師 終末期医療の現状は
どのように生き、死ぬか 日本人としての生き方そのものを見直さないと、医療や介護の問題は解決しない
医者のジレンマ,患者のジレンマ 知っていますか? “アドバンス・ケア・プランニング”
音楽回想法で安らかな最期を―死に逝く人に起こる「回想」とは? 死と向き合う患者を音楽でサポートする
終末期、死に直面した親。子どもが下すべき3つの決断とは?
連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」 NHK『クロ現+』も問題にした在宅医療の質
2017年4月7日 掲載
緩和ケア病棟でも禁煙を 禁煙学会が厚労省に要望書を提出
がん再発の恐怖と戦う24歳 笑顔で締めた日本初戦
「人生において重要な仕事」は厳格な締切設定によって達成される
緩和ケアと言わずに緩和ケアをするために
末期がん患者にもウオーキングを 「生活の質」が改善、気持ち前向きに
「自分らしい最期を」 終末期医療、ノートで希望共有
「多死社会」時代に死を学ぶ 終末期に胃ろうは必要か?
子宮頸がんと闘った女性、自分の命を犠牲にしながら双子を出産
2017年5月7日 掲載
ステージ4のがん患者が、死をあえてシュミレーションして分かったこと
ドクター元ちゃんの僕の話を聞いてみまっし! 第6回:緩和ケアを考える
終末期の鎮静をめぐる新しい局面
終末期に大切にしたいものは 「もしバナゲーム(TM)」の受注をスタート 介護福祉施設のレクリエーションに
がん終末期はどう迎えたいですか?緩和ケアが促した対話 350人の治療で比較
死ぬ間際によくある後悔「お金・子供編」
医師が思う「死ぬかもしれない」はどういう意味なのか サプライズクエスチョンの研究の調査から
2017年6月9日 掲載
がん緩和ケア、効果的な取り組み事例を公表
末期の胃がんと闘う 「がん専門医」が描く“理想の医療”
ゲーム音楽の第一人者から、終末期の人に寄り添う音楽プロデューサーに 日比野則彦さん
多死社会で終末期医療が変わる 2020年「日本の姿」
デザイナー、ステージ4の乳がん患者 ステージ4のがん患者としての人生、新しい趣味を楽しんでいます
【インタビュー】患者の“今”に向き合う医療者に 緩和ケアの視点から バルフォア M. マウント氏(マギル大学名誉教授)に聞く
進行がんの37歳社員の会社への思い、社長はどう受け止めたか
日本人の死因第3位の肺炎 苦しむ高齢者に緩和ケアも選択肢
日本集中治療医学会「DNAR指示のあり方についての勧告」 救命の努力を放棄しないために
2017年7月7日 掲載
まだ26歳。女性のがん患者が、おしゃれやメイクを楽しむ本当の理由
なぜ看護師はがん患者を「モンスター」と呼んだのか オピオイドの適正使用のために
入院患者に寄り添う 県内初「臨床仏教師」森脇さん(松山)、心のケアに取り組む
オピオイド誘発性便秘薬を新発売 塩野義製薬の「スインプロイク錠0.2mg」、既存治療と異なるアプローチで症状改善
連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」 在宅を望む本人と入院望む家族、どちらに立つ?
2000人以上の終末期がん患者に寄り添った医師による『死ぬとき…
快刀乱麻 心肺蘇生不要の「DNAR」、その見直し論を考える
「第二の患者」ってどういうこと? "がん患者を支える人"の悩みや本音、マンガ家が教えてくれた
連載: Dr.西&Dr.宮森の「高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです」 第10回 DNARの落とし穴
2017年8月8日 掲載
一人を究める本特集
痛みに強い 心身の苦痛克服をサポート、トータルケア普及に尽力 国立がん研究センター中央病院の支持療法開発センター
オランダでは安楽死が「転倒する不安」「認知症」で認められる
「緩和医療学会レポート〜疾病と共に生きる為の折れない心〜」 2017年緩和医療学会・レポート
<2025年問題>住み慣れた土地・人間関係の中で人生の終焉を! 在宅医療25年の“出前医師”が看取り改革を訴える
認知症の家族による終末期ケア、初期段階でやっておくべきこと
終活のお片付け 早めに始めることをおススメするワケ 前向きに終活に取り組むことが大切
第22回日本緩和医療学会開催
小笠原文雄・上野千鶴子対談 「持続的深い鎮静」は抜かずの宝刀
"緩和ケア"は生きる知恵だった がん治療中の私が、QOLを保つためにしている4つのこと
ヘルスケアELOA安楽死尊厳死 米カリフォルニア州、末期患者の死ぬ権利容認 半年間で111人が死を選ぶ
「病院で死ぬ」ということは不幸なことなのか? 病院だからこそできる終末期の医療
Progressing Palliative Care:進化する緩和ケア ヨーロッパ緩和ケア学会第15回世界大会報告
“死に方を選べる社会“アメリカに学ぶ最期の迎え方とは?
2017年9月10日 掲載
がん患者の治療中止、「適切な時期」はいつか 約半数が治療中止時に予後説明なし
麻央さん典型と考えないで 乳がん経過で米教授
15%がうつ、がん遺族には心の治療が必要だ 苦しむ遺族が訪れる「遺族外来」の実態とは?
あなたが死ぬ前に書く手紙は? 大反響のNスペ『人生の終い方』まとめ
がんで変わったのは髪の毛だけ。それを多くの人に知ってもらいたい。 「がんをむやみに怖がらない」という選択肢
直腸がん末期の80歳男性はなぜ家に帰れなかったのか 南相馬市から症例報告
“死別の悲しみ”支える 「グリーフサポート」の輪
現役のがん専門医が語る 思いやりのある子どもに変わる「がん教育」の必要性とは?
5人の有名人のキリストにある「終活」 込堂一博著『人生の先にある確かな希望』
2017年10月10日 掲載
飯塚病院緩和ケア科の柏木秀行氏に聞く 緩和医療専門医から見た心不全緩和ケアの課題
がん早期からの緩和ケアで患者と家族を支える 日本緩和医療学会2017レポート
飯塚病院緩和ケア科が取り組む意思決定支援の教育 終末期におけるコミュニケーション力を磨く
心不全学会が多職種による緩和ケア導入を提言 厚労省も「循環器疾患の緩和ケア」に本腰 緩和ケアチームの体制についても検討を開始
美しく仕立てられた“物語”じゃない。これが がん患者の「リアル」 特集「今こそ身に付けたい『患者力』」第5回
「治さない肺炎」と新診療ガイドライン これからの肺炎診療を展望
悲嘆・苦悩のケアにあたる「臨床宗教師」来年3月に資格化 日本臨床宗教師会、認定制度実施へ
Dr.西&Dr.宮森の「高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです」 第11回 誤嚥性肺炎の絶食・抗菌薬、本当に必要?
緩和ケア病棟入院患者の機械浴、状態不安指数を有意に低下−京都府医大
がん患者の緩和ケア、家族内の葛藤も
アジア大洋州医師会連合(CMAAO)総会で意見まとまる 積極的安楽死や医師による自殺幇助に反対で合意
がん患者の緩和ケア 医療従事者にも多い「5つの誤解」
小林麻央さんも最期は自宅で……「家で死ぬ」を叶えるために必要なものとは
がんはハンデのひとつ。ハンデがあっても、やれることをやろう! それでも、生活がなくなるわけじゃない
大切な人失い喪失感受ける人向けの「遺族外来」「家族ケア外来」
終活は50代で始めていいと言える3つの理由 自分も親も満足できる「ハッピー終活」とは?
安楽死という選択
短期入所者も看取ります 負担少ないケアを追求(岐阜の特養)
終末期医療の症例、3学会合同で登録開始へ 延命治療の現状把握も
2017年11月19日 掲載
人生の最終段階の医療、国民にどう普及啓発するか2017年度内に意見まとめ 厚労省検討会
ホスピスケア(緩和ケア)で日米に明らかな違い なぜ米国は「死の直前から」利用が多い?
現役医師が警告 米国で深刻化する「医療用麻薬」乱用の深い闇
2018診療・介護報酬同時改定 緩和ケア担う病院の在宅医療・訪問看護の提供を評価か
ケミカルコーピングと偽依存 疑いの目を持ちつつも寄り添う気持ちが,嗜癖(精神依存)から患者を救う
第21回日本心不全学会学術集会 98%が「心不全患者の緩和ケアは必要」 緩和ケアが必要な症状は呼吸困難、不安、抑うつ
日本の病院ではなぜ「老衰死」ができないのか?
延命医療決定法 施行へー韓国
「最悪」すい臓がんに画期的な治療法発見! 抗がん効果が1000倍アップ、圧倒的に安い
2017年12月13日 掲載
IT活用の自宅葬儀、新潟に拡大 カヤック
「母が大嫌い」という激しい感情が、溢れでてきてつらい【心屋仁之助 塾】
がん診療に携わる医師の緩和ケア知識・困難感を調査 7年で知識スコア14%増、困難感スコア6%減 緩和ケア研修会の効果も明らかに
日経メディカル 書籍紹介 苦い経験から学ぶ!緩和医療ピットフォールファイル
歳をとったら、がんより「フレイル」の方が怖い!? フレイルとは、筋力の低下と、それに伴って心身の活力が低下した状態です
橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い
第30回日本サイコオンコロジー学会 第23回日本臨床死生学会合同大会開催
「緩和ケア」が病院の質評価の基準の1つに
地域完結型の医療と介護の連携を目指す、恵庭コミュニティビレッジピッセとは?

緩和ケアの患者・介護者それぞれへの効果は?
 末期患者への緩和ケアは、患者QOLや症状負担を改善する可能性があるが、介護者の転帰への効果は明確ではないことが、米国・ピッツバーグ大学のDio Kavalieratos氏らの検討で示された。研究の成果は、JAMA誌2016年11月22・29日号に掲載された。重篤な病態の患者のQOL改善は国際的な優先事項とされ、緩和ケアの焦点は、QOLの改善と、患者および家族の苦痛の軽減に置かれている。米国では、65%以上の病院が緩和ケアの入院プログラムを持ち、地域および外来ベースの緩和ケア提供モデルも増加しているが、実際の効果はよく知られていないという。

23試験のメタ解析で、QOL、症状負担、生存などを評価

 研究グループは、末期患者への緩和ケアが、患者およびその介護者のアウトカムに及ぼす影響を評価するために、文献を系統的にレビューし、メタ解析を行った。

 2016年7月までに医学データベース(MEDLINE、EMBASE、CINAHL、Cochrane CENTRAL)に登録された文献を検索した。末期的病態の成人患者への緩和ケアによる介入を評価した無作為化試験を対象とした。

 2人のレビュワーが別個にデータを抽出した。すべての試験について記述的統合(narrative synthesis)を行った。ランダム効果モデルによるメタ解析で、QOL、症状負担、生存などを評価した。

 QOLは、Functional Assessment of Chronic Illness Therapy-palliative care scale (FACIT-Pal)に換算した。0〜184点(点数が高いほどQOLが良好)でスコア化し、臨床的に意義のある最小変化量(minimal clinical important difference:MCID)は9点とした。

 症状負担は、エドモントン症状評価システム(ESAS)に換算した。0〜90点(点数が高いほど負担が大きい)でスコア化し、MCIDは5.7点であった。

 43件(56論文)の無作為化試験に参加した患者1万2,731例(平均年齢67歳)と介護者2,479例が記述的統合の対象となった。メタ解析には23試験(30論文)が含まれた。

生存は改善せず、エビデンスの質は低い

 35件の試験は対照として通常ケアを設定していた。14試験は外来、18試験は在宅、11試験は入院患者を対象とし、介護者の評価は15試験で行われていた。

 30試験にはがん患者が、14試験には心不全患者が含まれた。HIV患者に限定した試験のほか、COPD、間質性肺疾患、運動ニューロン疾患、末期腎不全、脳卒中、認知症の患者を含む試験もあった。

 1〜3ヵ月の患者QOLは、緩和ケアにより、統計学的に有意かつ臨床的に意義のある改善効果が達成された(15試験、標準化平均差[SMD]:0.46、95%信頼区間[CI]:0.08〜0.83、FACIT-Pal平均差:11.36、異質性検定:I2=94.8%)。4〜6ヵ月の患者QOLには有意差を認めなかった(12試験、SMD:0.12、95%CI:−0.03〜0.28、I2=61.4%)。

 1〜3ヵ月の症状負担も、緩和ケアにより、有意で臨床的に意義のある改善が得られた(10試験、SMD:−0.66、95%CI:−1.25〜−0.07、ESAS平均差:−10.30、I2=96.1%)。4〜6ヵ月の症状負担にも有意な改善効果が認められた(6試験、SMD:−0.18、95%CI:−0.31〜−0.05、I2=0.0%)。

 バイアスのリスクが低い試験に限定した解析では、1〜3ヵ月の緩和ケアとQOLの関連は減弱したものの有意差を保持していた(5試験、SMD:0.20、95%CI:0.06〜0.34、FACIT-Pal平均差:4.94、I2=0.0%)のに対し、症状負担との関連では有意な差はみられなかった(4試験、SMD:−0.21、95%CI:−0.42〜0.00、ESAS平均差:−3.28、I2=42.1%)。

 緩和ケアと生存には関連を認めなかった(7試験、ハザード比[HR]:0.90、95%CI:0.69〜1.17、I2=75.3%)。また、緩和ケアは、事前ケア計画(advance care planning)や、患者および介護者の満足度を改善し、医療資源の活用を抑制した。一方、介護者のアウトカムは試験間で一貫性がなかった。高い異質性のため、本研究のエビデンスの質は不良であった。

 著者は、「改善効果を認めたアウトカムの多くは、バイアスのリスクが低い試験に限定すると有意差が消失した」とし、「最終的には、患者に加え介護者を支援する至適な緩和ケア提供モデルの確立が必要である」と指摘している。

(医学ライター 菅野 守)

原著論文はこちら
Kavalieratos D, et al. JAMA. 2016;316:2104-2114.


CareNet 2016年12月5日

【デキる人の健康学】寝たきりにならないための生活習慣 中高齢期の食習慣と運動が重要
 百歳を超えて元気な高齢者の研究を百寿研究と呼んでいる。厚生労働省の発表によると、2015年の日本の百寿者は6万人を超え、世界的にも日本はトップランクの長寿国である。しかし、日本の百寿研究の第一人者である慶応大学医学部の広瀬信義博士によると、元気に暮らしている百寿者は2割未満に過ぎず、残りの8割の百寿者は寝たきり状態だったり介護が必要な状況に置かれている。

 広瀬博士の研究によると、元気な百寿者はまさしくエリート的存在、生活が自立しポジティブ思考を持ちあわせ、幸せ感が高いという特徴がある。もちろん、百歳を超えて元気な人には遺伝的背景もあるだろうが、中高齢期の生活習慣も大きく高齢期の生活の質や要介護状態に影響を及ぼしている。

 米国ハーバード大学の公衆衛生学教室のアン・ニューマン博士らの研究チームは、米国で『心血管健康研究』に登録した65歳以上の男女5888人を対象に25年間に渡り追跡調査を行い、中高齢期の生活習慣と終末期の要介護状態の関連性を検討した。その結果、喫煙、飲酒、肥満度、健康的な食事、運動、社交性などの生活習慣の中で、終末期の障害期間に最も悪影響を及ぼしたのは肥満度で、BMIが30を超えると標準体重の人に比べて健康寿命(寿命から終末期の障害期間を差し引いた期間)が7.3%も短縮していることが分かった。

 また、不健康な食習慣を持つ人は健康的な食習慣の人に比べて健康寿命が3.7%短縮、運動に関しては1週間に25ブロック歩くごとに健康寿命が0.5%延伸するメリットがあることが分かった。喫煙は健康寿命を短縮する傾向を認めたが、飲酒や社交的習慣は健康寿命や終末期の障害に影響を及ぼしていなかった。終末期に障害なくピンピンコロリの人生を目指すには中高齢期の体重管理、食習慣と運動が重要だ。

白澤卓二

しらさわ・たくじ 1958年神奈川県生まれ。1982年千葉大学医学部卒業後、呼吸器内科に入局。1990年同大大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。1990年より2007年まで東京都老人総合研究所病理部門研究員、同神経生理部門室長、分子老化研究グループリーダー、老化ゲノムバイオマーカー研究チームリーダー。2007年より2015年まで順天堂大学大学院医学研究科加齢制御医学講座教授。2015年より白澤抗加齢医学研究所所長。日本テレビ系「世界一受けたい授業」など多数の番組に出演中。著書は「100歳までボケない101の方法」など300冊を超える。


izaイザ 2016年12月5日


【上手な死に方を考える】「がん終末期」宣告…患者は何をするべきか
 医師から“終末期”と宣告された時、がん患者は何をすべきなのか。

 「家族とよく話し合って、自分の希望を共有しておくこと。準備すべきことは、いろいろありますが、希望の共有さえきちんとできていれば、話し合った通りになるかどうかは別としても、納得につながる」と語るのは、東京医科歯科大学医学部附属病院がん相談支援センター相談員で医療ソーシャルワーカー(MSW)の山田麻記子さん。

 ここでいう「希望」とは、治療や場所の選択、どんなことをして過ごしたいか、そして、死後のこと。しかし、山田さんはこうもいう。

 「実際に終末期になってしまうと、冷静に話し合うことが難しくなるものです」

 これまで小欄で繰り返し書いてきたとおり、終末期に至っても、がん性疼痛の治療をきちんと行えば、普段通りに近い日常生活を送ることができるケースは多い。そうした状況では、患者も家族も「病状悪化」を想定して話し合うことを避けようとするもの。「まだしばらくは大丈夫だろう」という希望的観測にすがり、大切な話を先送りにしてしまう。しかし、これが危険だと山田さんは指摘する。

 「それまで体調が安定していた人が急速に身体機能が低下して、そのまま亡くなることが多いのが、がんの特徴。そう考えると、元気なうち、話ができるうちにきちんと希望を家族に伝え、お互いに理解しておくことが何より重要になってきます」

 がんの終末期には、身体機能が低下してくる兆しが見えることがある、と山田さんは指摘する。

 「昨日より少し調子が悪いと感じる、先週より横になることが増えた、公共交通機関での通院が難しくなった−などの“変化”があれば要注意」

 最期を病院の緩和ケア病棟で過ごすにしても、申し込みから入院までは1カ月程度の期間を要する。在宅を選ぶなら介護ベッドや福祉用具のレンタル、何より在宅医療を受けるための手続きなど、療養環境を整える必要がある。いずれも「今日頼んで明日から」とはいかないのが実情だ。

 物事すべてに「段取り」があるように、死にゆく道筋にもそれはある。そして、その準備は、死を間際にしてからでは間に合わない。

 元気なうちに死の準備をしておく−それは人生を有意義なものとして完結させる最後の仕上げであり、残していく家族に後悔をさせないための、最後の思いやりなのだ。

ZAKZAK 2016年12月6日

「終末期医療を考えるために 検証 オランダの安楽死から」 日本の終末期医療のあるべき姿を考え
 オランダとベルギーでは、2012年に前後してに安楽死法を施行し、オランダでは2015年に5,516件、ベルギーでは、2,021件の安楽死の届け出がありました。安楽死を考えるということは、苦痛の中で苦しむ末期がん患者のケースだけではなく、「生きるのに疲れた」という患者にとっての実存的苦悩をも考える対象とすることではないでしょうか。

 本書は、オランダで耳鳴りによる耐えがたい苦痛から、安楽死を望み永眠した女性のケースを取り上げ、患者の死ぬ権利、医師の側における死の介助を拒否する権利など、さまざまな見地から検討されてきたオランダの安楽死法制定に至る背景を検証しています。そしてまた、生命終結のありかたをめぐる、日本における終末期医療のあるべき姿について考えるために書かれた一冊です。

■目次
プロローグ

第1章 オランダ安楽死の現状――二つの委員会報告
1・1 医療上の生命終結の三つのタイプ
1・2 レメリンク委員会報告
1・3 安楽死審査委員会(RTE)報告
1・4 オランダ安楽死の最近の動向と現状のまとめ

第2章 オランダ安楽死法の原理
2・1 「注意深さの要件」
2・2 「思いやり・ケアリング」

第3章 安楽死審査委員会
3・1 安楽死審査委員会(RTE)――透明性
3・2 安楽死後の手順
3・3『実施手引書』(Code of Practice 2015)

第4章 家庭医制度――信頼性と安楽死クリニック
4・1 家庭医と信頼性
4・2 安楽死クリニック(SLK)

第5章 オランダにおける現在の課題
5・1 認知症/精神疾患のケース
5・2 安楽死の宣言書

第6章  耳鳴りのケースの裁定 
6・1 耐え難い苦痛の問題
6・2 耳鳴りのケース

第7章 「華ちゃんのケース」との比較
7・1 華ちゃんのケース
7・2 尊厳死と安楽死
7・3 究極の問い

エピローグ――『人生の終焉』法
おわりに
資料
付録



終末期医療を考えるために
検証 オランダの安楽死から
盛永審一郎 著 ベイツ裕子 編集協力
定価 本体2,600円 +税
2016年12月発売





丸善出版ニュース 2016年12月7日

がんで亡くなるのは医療の敗北ではない。緩和ケア最前線
尊厳に満ちた終わり方を迎える方向に

山口武兼・公益財団法人東京都保健医療公社豊島病院院長


 現代の医療では、まだがんをすべて治すことはできません。完治するにこしたことはありませんが、残念ながら、がんで死亡する方は年々増えています。2015年度の人口動態統計でも、主な死因の第1位は悪性新生物によるものです。

 従来の医療は病気と闘うことで、患者さんの死は医療の敗北という考え方が強くありました。がんという病気と闘うことに最大の努力を払うことはあっても、がんを持つ人間に対し配慮が欠けている面がありました。

 しかし、最近医療の側でも考え方は変わってきています。治せない病気は厳然としてあるけれど、大事なのは患者さんの生活で、心であるということです。がんを持つ人の苦痛を和らげることで、QOL(生活の質)を改善することができるようになりました。

 こういう考え方を基に緩和ケアは日本でも少しずつ広がっています。1981年、聖隷三方原病院に初のホスピス病棟が設置されました。

 ホスピスの名称には、がんの末期の患者さんを入院させるという印象が強く、緩和ケア病棟という名称が使われるようになりました。都立病院では、98年に豊島病院に初の緩和ケア病棟が設置されました。

 緩和ケアという言葉は一般的ではないかもしれませんが、終末期医療(ターミナルケア)と同じではありません。

 WHO(世界保健機関)は、緩和ケアを、「生命を脅かす病気による問題に直面する患者さんの痛みを取り去るだけではなく、その家族に対しても、心理的、社会的な問題、さらに宗教を含む心の問題にも対応すること」と定義しています。病気だけでなく、病気を持つ人間に焦点を当て、患者さんおよび家族の持つ苦しみを和らげることが目的です。

 しかも、できるだけ早く対処することが望まれています。緩和医療は、がんの診断時に始まり、根治治療、保存的治療、症状緩和治療へと治療目的が変化するごとに、段階に応じて緩和ケアの役割を意識的に大きくしてゆくことが望ましいとされています。

 豊島病院の緩和ケアでは疼痛(とうつう)緩和を主眼とし、在宅の先生と連絡を取りながら、自宅に帰られる人は自宅に帰っていただくようになっています。また、疼痛から解放されて、余命も確実に伸びています。

 まだ、緩和ケアは発展途上で、がん診断時からスタートするというような理想的な状況ではありません。人間がその最期をその人らしい尊厳に満ちた終わり方を迎えるようにできる方向に進んでいます。

日刊工業新聞 2016年12月9日

Dr.西&Dr.宮森の「高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです」
第3回 身体抑制した患者に緩和ケアはできるのか

西智弘(川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター)

 前回、おしっこ問題で病棟を騒がせた、88歳の肺癌・多発骨転移の男性患者のサタケさん。高齢だが認知機能の低下はほとんどなく、奥様を数年前に亡くされてからも、ひとりで生活をしてきた。元々は植木屋を営んでおり、あるお大尽の大邸宅の松を任されていたのが彼の自慢である。しかし、2年前に肺癌を患ってからは、徐々に足腰も弱り、癌による痛みもあるため入院していた。

 その後、痛みは取れておしっこ問題も解決し、療養を続けてきたのだが、やはり自宅に戻るのは難しいという判断がされ、緩和ケア病棟で引き続き療養を続けることになっていた。

 緩和ケア病棟に移った後も、看護師の介助でなんとかトイレに移れており、症状も落ち着いて安寧に過ごせているようだった。ただ、病気の進行からか、最近はぼーっとすることが増え、病院を自宅と間違って認識したり、会話の内容もやや混乱するようになってきていた。

 そんなある日のこと、Dr.ニシの元に看護師が慌てたそぶりで相談に訪れた。

看護師 ニシ先生! サタケさんが……!

Dr.ニシ うん? サタケさん……? どうかしたの?

看護師 サタケさんがベッドから転落しそうになっていて。かろうじて気づいて対応したのですが、ヒヤリハット事例として報告するべきだという指摘を受けていて……

Dr.ニシ えええっ! サタケさんは大丈夫なの? 大変だ!

 ベッドサイドに駆けつけてみると、サタケさんは無事な様子。看護師からしっかりと指導を受けたようで、少し申し訳なさそうな顔をしていた。

 ホッと胸をなで下ろし、ナースセンターに行くと、看護師が集まって神妙な顔をして話し合っていた。どうやらサタケさんは、看護師を呼ばずにトイレに行こうとして、ベッドから落ちかけていたらしい。たまたま通りすがった看護師が気付き、転落を防げたのだとか。

Dr.ニシ もし転落していたら……

 万が一、サタケさんが転落していたら、大腿骨頸部骨折を生じていた可能性が高い。そうなれば、大急ぎでX線を撮影し、すぐに整形外科の医師にコンサルトして手術の可否を確認し、さらにはその後の治療や退院計画も全て練り直すことになっていただろう。

 骨折を起こせば、身体を動かすことも不自由になる。自力でトイレに行くことにこだわっていたサタケさんも、ベッド上での安静を余儀なくされていただろう。

転落事故を防ぐための第一選択は何か

 サタケさんの転落未遂事件は、病院内で大きな問題になってしまった。医療事故やヒヤリ・ハット事例の原因を究明し、再発を防ぐ院内医療安全の部門のスタッフからは、転倒や転落事故が起こりかねない状況を改善すべきとして、詳細な状況報告が求められた。

 医療安全の観点から強く指摘されたのは、「なぜ、身体抑制をしていなかったか」という点である。通常、転倒転落や点滴抜去などのリスクのある患者さんでは、看護師が「転倒転落スコア」を評価し、ある一定以上のリスクがあれば看護師による注意深い観察、ベッドセンサー(衣服などに着け、患者さんが動くと外れてナースコールが鳴る器具)などを用いて対応する。これらの対応を実施しても転倒転落のリスクが高い場合は、手足や体幹をベッドにくくりつける「身体抑制」を一時的に行うことがある。

 当院ではこれまで、緩和ケア病棟に入っている患者さんにはできる限り身体抑制を行わないよう徹底する方針をとっていた。しかし、今回の事例が起きたことからその点について「安全管理がなっていない」「例外なく身体抑制を検討した方がよい」と糾弾されてしまったのである。緩和ケア病棟の看護師たちもその指摘にうまく反論できず、改めて今日はこの件を振り返るカンファレンスが行われた。

Dr.ニシ サタケさんには悪いですが、緩和ケア病棟といえども身体抑制は必要だったのではないでしょうか。もし、転落していたらサタケさんは骨折していた可能性が高いです。そんなことが起これば、苦痛を緩和するための緩和病棟で苦痛を与えることになってしまいます

 Drミヤモリが黙って様子を見ている中、Drニシは自身の主張を一気にまくし立てた。看護師は一様に下を向いて黙っていた。

Dr.ミヤモリ まあまあまあ、ニシ君。そんなご無体なことは言わずに……

Dr.ニシ はぁ(また“ゴムタイ”かぁ……)

Dr.ミヤモリ ニシ君、そうは言っても手足や体を縛られた患者さんに緩和ケアをするのは難しいよ。ベッドサイドに行って、「この縛っているのを外してくれ!」と怒る患者さんに、それを外す以外にどうやって声をかけるの?

Dr.ニシ うっ……

Dr.ミヤモリ 一般的に言われる傾聴のテクニックのように「そうですね、縛られてつらいですよね」と言うのも白々しいし、「これはどうしてもあなたにとって必要なことなんですよ」と説明すれば納得してもらえるものでもないよね

Dr.ニシ でも、厚生労働省が2001年に発行した『身体拘束ゼロへの手引き』でも、拘束がやむを得ない条件として、「切迫性、非代替性、一時性」の3要件が挙げられています。身体拘束は、安全を確保する具体的な必要があり、他の手段ではそれを達成できない場合に、最小限の時間、程度、方法に留めるべきであるという要件です。

 法的拘束力はありませんが、身体拘束が不当と訴えた最高裁判所の判例でも、この要件に当てはまるかどうかを基準に医療者側が勝訴した例もあります(一宮身体拘束裁判、2010年)。適切な身体拘束をせずに患者さんがケガをしたとして、病院側の過失を認めるような判例もあります(広島高等裁判所岡山支部平成22年12月9日判決:判例時報2110号47頁)。サタケさんはこれに当てはまると僕は思います

Dr.ミヤモリ ふむ。確かに、そうだったかもしれないね。ただ、サタケさんは癌の進行のせいで今の状態になっていたのだから、一度身体抑制をはじめてしまったら、短期間では解けず最期まで拘束を外せなくなるんじゃないかな。それだと、「一時性」の原則に当てはまらないよね。身体拘束をして、寝たきりを作ることが緩和ケアといえるのかな?

Dr.ニシ 確かにそうですけど……

Dr.ミヤモリ それに、身体拘束が転倒の防止につながるかと言えば、その話には全くエビデンスがないんだ1)。それどころか、拘束をすることで脚の筋力はさらに衰えてしまうし、関節は固まってしまうし、よけいに転倒のリスクが高まるということが複数の研究で示されているよ2、3)。これは、身体拘束やベッド柵による拘束だけでなく、ベッドセンサーによる拘束でも使用することで転倒が予防できるといったエビデンスはないんだ4)。動かさず関節が固まってしまえば、拘縮痛のような新たな痛みも生むしね

患者の希望とリスク予防、どちらを選んで対応する?

Dr.ニシ でも、そうは言ってもリスクはリスクですし……。現実にはどうすればいいんですか?

Dr.ミヤモリ うーん……。看護師さんたちはどう思っているのかな?

看護師ちだって、できるなら抑制なんてしたくありません……。でも、こういったリスクを目の当たりにしてしまうと、ニシ先生がおっしゃるように、結果的に患者さんに苦痛を与えかねないと感じて、すごくつらいんです。だから、抑制するのも仕方ないのかな……って思ってしまいます

Dr.ミヤモリ そうだね……。海外の報告だけど、ナーシングホームでの1ベッドあたり転倒の回数は1.5回/年、リハビリテーション病院のセッティングでは、3.5回/年と言われているよ5、6)。入院患者さんの中でも脳虚血発作の方や、高齢者では転倒の率は高くなるし、癌患者さんではもっと高率に発生すると言われている7)。そうした中で、身体抑制をゼロにするのは現実的には難しいと思うし、仮にこの病棟みたいに身体抑制をゼロにした場合に転倒転落もゼロにしなさい、というのも現実には無理だと思うんだ。だとしたら、患者さんがどのように生きたいかを考えないといけないんじゃないかな

Dr.ニシ なるほど。安全を重視するか、自由を選ぶのかを選んでもらうと……

Dr.ミヤモリ サタケさんは家族がいないけど、家族がいる場合はその意向も聞かないとならないよね。ゼロリスクをとるか、QOLをとるか。どちらかが「善」か「悪」かと割り切れるものではないよね。ただ個人的には、「QOLはリスクを超える」のではないかと思っているよ。緩和ケアを行う上で、ゼロリスクを追求しすぎるとQOLがどんどん落ちていくことがある。リスクを恐れずにQOLを高める選択をすることも大事だと思うんだよね

 スタッフが大きく頷く。

Dr.ミヤモリ もちろん、環境調整や薬剤の見直しは必要だよね。できれば患者さんのバランスや筋力のトレーニングといったアプローチを組み合わせて、転倒の予防を図ることも大事だよ。薬物療法としてはビタミンDの摂取が転倒予防に効果的という無作為化比較試験を含むいくつかの研究がある8)。ビタミンDの摂取が筋力の増強に影響する、というのがその理論的根拠みたいだけど

Dr.ニシ 環境調整というなら、自宅に戻るという選択肢も、本当であれば考えたほうがよかったんでしょうか。自宅なら畳の上に布団を敷いて寝ていたとおっしゃっていたから、それなら転落するリスクもなかったかも……

Dr.ミヤモリ もちろん、それもひとつの手だね。サタケさんは家族がいないけれど、介護サービスなどを複数使えば、在宅も絶対に無理ではなかったかもしれない。ただ、自宅だからといって転倒しないというものではないけどね

Dr.ニシ でも、もう少し考えてみるべきでした

Dr.ミヤモリ では、サタケさんには、現状でできる範囲のケアを行っていきましょう。また、今回のことを教訓に、病棟の運営や安全管理については今後も議題に挙げていきましょう。緩和ケア病棟に入る前に、患者さん本人がどのような生き方をしたいのかということを、患者さんや家族とお話しして、それがこの病棟の目指すところと合致しているのかどうか、きちんとアセスメントしていくことも大事だね

【編集部注】本症例は架空の事例となります。実際の川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター緩和ケア病棟では、ベッドセンサーは用いていますが、開設当初より体を固定する「身体抑制」は行わない方針で診療に取り組んでいます。なお、病的骨折を除き転倒骨折は一度も生じておりません。

ポイント

・身体拘束をしている患者に、緩和ケアを提供するのは根本的に困難

・身体拘束することが、転倒防止につながるというエビデンスはない

・QOLはリスクを超える

・身体拘束ゼロ&転倒転落ゼロ、を達成することは困難。本人や家族の意見を調整し、「本人がどのように生きたいか」と、それに伴うリスクを天秤にかけて療養環境の調整を検討する

参考文献
(1)Capezuti E,et al.J Am Geriatr Soc 2002;50:90-6.
(2)Castle NG,et al.Med Care 2009;47:1164-73.
(3)Capezuti E,et al.J Am Geriatr Soc 1996;44:627-33.
(4)Shorr RI,et al.Ann Intern Med 2012;157:692-9.
(5)Rubenstein LZ,et al.Ann Intern Med 1994;121:442-51.
(6)Nyberg L,et al.Stroke 1997;28:716-21.
(7)Hendrich A,et al.Appl Nurs Res 1995;8:129-39.
(8)Kalyani RR,et al.J Am Geriatr Soc 2010;58:1299-310.

著者プロフィール

西智弘(川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)●にし ともひろ氏。2005年北海道大学卒。家庭医療専門医を志し、室蘭日鋼記念病院で初期研修後、緩和ケアに魅了され緩和ケア・腫瘍内科医に転向。川崎市立井田病院、栃木県立がんセンター腫瘍内科を経て、2012年から現職。


BPnet 2016年12月16日

「在宅死」を現役医師が必ずしも勧めない理由
家族の疲弊を考えれば病院死も選択肢に入る

香山 リカ :精神科医 / 南 杏子 :医師

 理想の看取りとはどのようなものでしょうか。デビュー作『サイレント・ブレス』(幻冬舎)で終末期医療のあり方を問いかけた現役医師で作家の南杏子さんと、精神科医で、自らも父親を介護し、在宅で看取った経験を持つ香山リカさんの対談後編。

医師として「最期は在宅で」と勧められない理由

南 杏子(以下、南):今回の私の『サイレント・ブレス』は、病院ではなく在宅で亡くなっていく方々の最期を書いたのですが、香山先生も、お父様を在宅で看取られていますよね。でも、そのご経験から介護や看取りのあり方について考察された『看取りの作法』(祥伝社新書)では、在宅介護は「基本的には『医療の拒否、医療の否定』にもつながる」ので、医師としては「病院に行かずに在宅で」とは言えない、と書かれています。

香山 リカ(以下、香山):私の父の場合は、命を終えるぎりぎりのタイミングで病院から連れ帰り、最後の半日あまりを自宅で過ごしただけなので、「在宅で看取りました」と胸を張って言えるようなものではありませんが、私も母もそうしてよかったと、心から思っています。

 ただ、個人としてその選択に悔いはないのですが、医師としてはどうしても、「これからは積極的に在宅看取りを勧める活動をしよう」という気になれないんです。

 私の専門の精神医療と終末期医療とは事情が違いますが、それでも、自分が診ている患者さんが「病院にはもう来ません。薬もけっこうです」とおっしゃったら、「そんなことは言わずに通ってください。薬もきちんと飲んでください」と、医療を強く勧めると思うので。

 それともうひとつ。理由としてはこちらのほうが大きいのですが、もし「病院死」よりも「在宅死」のほうが正しい、好ましいとしても、家族にとっては負担が大きい。誰もがそれを実行できるわけではないと思うからなんです。

介護保険もない頃の介護で苦労したこと

:そのとおりですね。私も大学3年生のときに、在宅で父方の祖父を看取ったことがあるので、本当にそう思います。

 何年間も在宅で看ていると、やはり家族が疲弊しきってしまいます。ご本人やご家族が在宅を望み、それができる環境ならばいいとも思いますが、それ以外の選択肢として、最期のときを笑顔で安らかに過ごせる、信頼できる病院が理想なのかなと思います。

「つらい」と言えなかった、若き日の介護体験

 弱音を吐けず、助けを求めることもできませんでした


香山:おじいさまは南さんが介護していたんですか?

:祖母と2人で看ていました。私の父は転勤族で、私が東京の大学に合格したとき、自宅は地方にあったんです。それで、東京の祖父母の家から大学に通うのがいいということになり、私1人で上京しました。当時、祖父は脳梗塞でもう10年ほど寝たきりだったので、その介護も手伝うということで。

香山:まだ介護保険もない頃ですよね。大変でしたね。

:はい。両親からは、「住まわせてもらっている分、ちゃんとお手伝いするように」と言われていましたし、くたくたになっている祖母を見て、私自身も、しっかりお世話をしたいと思いました。でも、実際に自分で介護するようになると想像していた以上に大変で。祖父が、「おーい!」「むつき(=おむつ)!」と叫ぶ声は、今でも耳に残っています。

香山:せっかくの学生生活なのに、「こんなはずじゃなかった」と思いませんでした?

:正直、苦しかったです。毎日、自分の分担でやらなくてはいけないことが決まっていたので、サークル活動や友人との付き合いで帰りが遅くなるのもダメでしたし。

 「祖父母の家を出たい」と言っても両親にはわかってもらえず、同時に、疲弊している祖母を見捨てて家を出たいと思う自分はなんて悪い孫だろうと、自分を責めてもいました。

 誰にも弱音を吐けず、助けを求めることもできず……。あのときは、これはわが家だけの問題だと思っていて、介護が社会問題だなんていう発想がなかったのはもちろん、自分たちの窮状を世間様に訴えようなどと、思ってもいませんでした。

「Personal is political.」

香山:女性が受けるDV(家庭内暴力)や性暴力、セクシャル・ハラスメントなどの被害を、ジェンダーの問題としてとらえて、心理的にサポートしたり、法的に支援したりする「フェミニスト・カウンセリング」という活動があります。この活動での基本的な考え方は、「Personal is political.」です。

 つまり、どんな個人的な問題に見えることであっても、背景には社会や政治の問題があるという考え方です。

 たとえばDVを受けた女性は、「これはうちの夫婦の問題なんだ」「私にいたらないところがあるから、夫は私を殴るんだ」と思いがちなのですが、そうではなくて、それは、社会全体に根強くある、男性‐女性の支配‐被支配関係や、それに基づいた制度、ひいては政治の問題に起因するんだという視点から、解決していくやり方です。

 南先生が経験された介護の話も、まさにそういう問題ですよね。

:そう思います。そういった活動を知らなくても、せめて、あの頃の私が香山先生の『看取りの作法』を読んでいたら、それだけで、もっと気持ちが楽になっていただろうなと思います。

死んだ祖父の体に触れなかったことへの後悔

 介護の経験は、医療の道に進むきっかけとなったんでしょうか?

香山:おじいさまは、ずっと在宅で看ていたんですか?

:基本的に在宅です。祖母があまりに疲れてしまうと、1〜2週間、検査入院という形をとらせてもらったりしていましたが。

 大学に行っているときに、祖父の死の知らせを受けたのですが、「ああ、終わった……」という感覚になって、呆然としながら電車に乗って家に戻ったことを今でもよく覚えています。

香山:南さんは、大学卒業後、会社勤務を経て医師を目指されたわけですが、そのときの介護の経験は、医療の道に進むきっかけとなったんでしょうか?

:そうですね。医学部に入ろうと思ったときは、はっきり意識していたわけではありませんが、「自分がどうしたら病人の役に立てる人間になれるのか」という思いの根っこには、祖父との体験があったのだと思います。

理想の看取りとは

香山:それはやはり、おじいさまを納得して看取ったというよりは、もっとこうすればよかった、こうできたんじゃないかという思いですか?

:はい、そうだと思います。祖父の死の知らせを受けて家に戻ったとき、祖母が、「まだ温かい」と、祖父の体を愛おしそうに何度も何度もなでていたんです。でも、私は祖父の体にほとんど触れることができませんでした。

 祖父が死んで、さぞかしホッとしただろうと思っていたのに、祖母があんなに悲しんだことや、私は死が怖くて祖父の体に触れられなかったことなどを、小説を書きながらあらためて思い出しました。今回の小説は、整理がつかないまま抱えていた当時の思いへの、自分なりの答えのようにも思います。

香山:『サイレント・ブレス』を読んでいて、すべて実際の話のように、また、まるで自分の身に起こったことのように思えてしまうのは、南先生のそのようなお気持ちが込められているからなんです。

「病院死」「孤独死」……多様なスタイルの「よき死」

 最後にあらためてお尋ねしますが、在宅介護の経験者として、また医師として、南先生の考える理想の看取りとはどのようなものですか?

:そうですね、私が勤務医だということもあるのですが、在宅でなくても、もっと病院でも、家族に見守られた穏やかな最期を迎えられるようになればいいと思っています。
『サイレント・ブレス』(幻冬舎)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

 そのために、医師として、狭い意味での「治療」にとらわれるのでなく、患者さんとご家族にとっての幸せとは何なのか、自分たちにできることは何なのかを、見極めていきたいと思います。

 そして、看取りに臨まれるご家族には、これが実はとても難しいのですが、年老いた親に最期のときが近づいていることを受け入れていただき、ご本人もご家族も、残された日々を幸せに過ごしていただきたいと思っています。

香山:これからは、子どもや配偶者などの家族に看取られることなく死んでいく人が増える時代ですよね。私自身は、いわゆる「孤独死」も、不幸な死だと思っていないんです。どんなライフスタイルを選択しても、その人にとって「よき死」が迎えられる社会であってほしいと思います。

 私の最期のときには、ぜひ南先生の病院でよろしくお願いしますね。

:はい、大歓迎です(笑)

東洋経済オンライン 2016年12月21日

日本全国で「がん難民」が生まれる深刻な理由
「専門医を見つけたから安心」という勘違い
加藤 眞三 :慶應義塾大学看護医療学部教授

 「がん難民」という言葉をご存知ですか。全国各地のがんセンターや大学病院などの高機能病院で、治療ができなくなったがん患者が、医師から見放されてしまい、行き場をなくしてしまうという問題です。
がんセンターで「がん難民」が発生している?!

 高機能病院には、一般的な病院にはないような高度な治療機器があり、専門医がいます。一見治療が困難な患者を受け入れてくれそうなイメージがあるのにも関わらず、患者が「難民」になってしまうのはなぜなのでしょうか。その理由を理解するには、専門医の思考法を知ることが必要になります。

 現代の医師が患者を診療するとき、その思考法にもっとも影響を与えているのは、言うまでもなく「科学」です。言い換えれば、医師は科学者として教育され、働いているのです。

 科学者としての医師に期待されるのは、@論理的である(理屈が通る)、A実証的である(科学的手法により確率・統計的に証明できる)、B普遍的である(世界のどこでも、誰にでも当てはまる)、C客観的である(冷静である)ことです。そして、そのような医師を育てる医学教育が行われます。このことによって、ある一定以上の医療水準を維持することにつながっている面もあります。客観的である(冷静である)ことであり、そのように医学教育がなされます。これによって、ある一定の医療水準を維持することにもつながっている面もあります。

 こうした科学を主とする現代医療は、「医学モデル」と呼ばれます。医学モデルでは、病気には(1つの)原因があり、その原因の結果として病気が生じていると考えます。そして、病気の原因を見つけ出して、それを取り除くことが医療の目標となります。感染症であれば、細菌やウイルスを薬により除去すること、がんであればがんの組織を手術で切り取ったり、放射線でたたいたり、薬でつぶすといった具合です。そして、このモデルにおいて医療を行う主体は、専門家である医療者となります。

医療の「専門分化」の弊害

 こうした科学的な医学においては、専門分化が進んできました。医学の進歩とともに、知識と技術の範囲が広くなり、奥が深くなってきたための当然のことです。医学全般を1人の医師で全てをカバーすることなど、とてもできません。専門医として、専門分野を決めてカバーする範囲を狭くすることで、その専門分野における知識と技術に精通することができるのです。
専門医は専門分野に対して責任を持つ

 専門医は、自分が専門分野とする病気に対して責任感を持ちますが、専門でない分野の病気に対しては、自分には関係ないし、責任もないと考えがちになります。そして、専門分野の病気であっても科学的に治療効果などのエビデンス(科学的証拠)が積み上げられた問題の範囲内で、医療をしようとします。治療法が確立していない病気や治療が望めない進行度になると、どうしても興味を失いがちになります。

 例えば、私が過去に経験したこんなケースがあります。ある日救急外来に来た患者さんは、主に心不全の症状が見て取れました。そこで、私は循環器内科の医師に、この患者さんを診てくれないかと依頼しました。しかし、その医師は、一般内科で診てもらえばよいと、その依頼を断りました。彼の発想はこうです。心臓カテーテルなどによる治療が必要な心筋梗塞や狭心症であれば、その専門である自分の出番だけれども、そうでないならば自分が診なくても良い、という考え方をするのです。

 話だけ聞くと、ずいぶん了見の狭い医師のように見えますが、これは専門医にとってけっして珍しい考え方ではありません。患者が専門医を受診すると、専門医はまず、自分の専門分野の対象となる患者かどうかを判断するものです。そして、対象から外れてしまうと、関心を失ってしまいます。専門外のことはよく解らないから、なるべく関わりたくないと逃げ腰になるのです。

 自分の専門の範囲内の患者であることが解れば、次に、命に関わる病気かどうかを判断します。そして、命に関わらないものであれば、まあ放置しておいて良いのではないかと考えがちです。専門医は、原因を明らかにして対処する「原因療法」を第一と考えますから、症状を抑えておくだけの治療は「対症療法」として軽視しがちになります。

 したがって、血液検査や画像検査で異常が見つからなければ、とりあえずは命に関わる病気ではないと判断し、「検査をしたけれども、どこも悪いところは見つからない」と答えてしまいます。

 また、専門の範囲内ではあっても、自分が治せない、あるいは治せなくなった患者とは関わりたくないという気持ちが働いても不思議ではありません。医師にとって、治せないことは「敗北」となるからです。

医師にとって「治せない」ことは敗北だ

 医師という職業は、自分が提供した医療によって治すことのできる患者が相手であれば、治療が成功したあかつきには喜ばれ、感謝されます。しかも、医師不足の状態が続いていますから、治療の可能な患者がいつも沢山待っている状態にあります。そんな状況の下で診療をしていると、治せない、あるいは治せなくなった患者とは関わりたくないという気持ちがはたらいても不思議とは言えません。

 冒頭で紹介したように、現在全国各地のがんセンターや大学病院などでは、治療ができなくなって患者が医師から見放されてしまうという「がん難民」の発生が問題になっています。これは、上に述べてきたように治すことのできない患者が医師の「自己効力感」を打ちのめすことを避けようとする、医師側の心理の問題でもあるのです。

治せる患者を優先して診療、という使命感の裏返し

 ただ、これは単に医師が敗北を嫌うだけではなく、治せる患者を優先して診療しなくてはならないという使命感の裏返しでもあります。重装備の医療機器を備えた急性期病院であるほどそう考えるでしょう。また、重装備の病院では、重装備を必要とする医療を行わなければ無駄が出てしまう、という医療経済や保険診療上の問題もあるのです。つまり、「がん難民」の発生はある程度仕方がない面があるのです。

 では、それを避けるためにはどうすれば良いのでしょうか。高機能病院がその規模を大きくして、治療ができない進行したがんや難病の診療を行う部門をつくることは解決法の1つです。しかし、それはおそらく医療経済的にも実現は難しいと思います。また、進行したがんの患者が、家族のいる自宅から離れた場所で医療を継続して受けなければならないという問題も生じます。私は、その様な方向に医療が進んでいくことは理想ではないと考えています。

 それに代わる解決法は、患者ががんセンターや大学病院などの医師に頼りすぎず、「かかりつけ医」をほかに持つことです。高機能病院はあくまで、その機能を患者が利用するだけの場所であると割り切ってしまい、自分が心から頼りにできる主治医は別に持つのです。そうすれば、高機能の病院での医療の対象とならないような病状になっても、その後の医療について相談できることができます。

よい主治医を持つこと

 つまり、高機能病院から離れることになっても、自分は「がん難民」とは感じないような仕組み作りをすることが必要なのです。高度な専門医は、その機能を利用するだけだ、と患者側が見限ることが1つの解決法です。

 さて、ここまで専門医に頼りすぎないようにということで話は進めてきましたが、もちろん専門医の中にも素晴らしい医師が沢山いることは事実です。治療の難しい病気であればなおさら、専門医の中からよい人を見つけることが一番大切になります。

 『治るという前提でがんになった』(幻冬舎)の著者、高山知朗さんは、40歳代前半に悪性脳腫瘍と白血病という2つのがんを発症しましたが、IT関連会社を立ち上げたその経験と能力、そして人脈をフルに活用して、両者を克服してこられました。患者学を自然に身につけているお手本となる方です。

 高山さんは、治療法に関する情報の収集を行い、どの病院が良いかを的確に判断し、良い主治医に巡り会っています。脳腫瘍を治療した脳外科医も、白血病を治療した血液内科医も、専門医でありながら高圧的な態度をとることはなく、患者の自律性を重んじ、患者の気持ちをとても大切にしておられるようです。

 両方のがんが治ったからこそ、「がん難民」にならなかったと言うこともできますが、おそらく高山さんなら高度機能病院での治療法がなくなったときでも、その病院にしがみつくことなく、別の道を探されるのではないかと思います。

 専門医の悪口(本当は悪口を書こうとしているのではありませんが、悪口のように聞こえる人もいるでしょう)をさんざん書いていながら、専門医にもこんなに人間的な医療を提供する医師がいることを知ることで、ホッと胸をなでおろす気持ちになりました。

患者が医者を見限ることも大切

 加えて、わたしが研修医だった30年以上前にはごく当たり前な存在だった患者に高圧的な医師は、今では少数派になっています。時代とともに医師の側も変化してきています。

 そのような変化の時期だからこそ、自分に合った医師を主治医として選択することが、よい医療を受ける上で決定的に大事となるのです。

 医療者に変化を促すのも患者の力です。高圧的な医師は見限ってあげれば次第に絶滅機種となっていくのですから。

東洋経済オンライン 2017年1月2日

「犬を見た途端、初めて笑顔を見せた」 
アニマルセラピーはがん患者の緩和ケアに有用と岩国医療センターが報告
 犬の訪問に備え意欲的に服薬され、介入を拒んでいた看護師と話す――がん患者の身体、精神的苦痛の緩和ケアとしてアニマルセラピーを実施している国立病院機構 岩国医療センター(山口県岩国市)が導入実績を公開し、安全衛生面で問題はなく、患者やその家族は癒しを感じ、医療者とのコミュニケーションの改善が得られたと報告しました。アニマルセラピーは、緩和ケアの一環として有用な手段であるとしています。

 同センターでは2013年からNPO法人 日本アニマルセラピー協会のサポートを受けて緩和ケア病棟でのアニマルセラピーを実施しています。2016年9月までに73回実施し、487人の患者と321人の家族が参加しました。参加者からは、「犬のぬくもりが良かった」「次はいつ来るの」「痛みが和らいだ」「気分転換になった」「久しぶりに犬に触って幸せ」「犬に触ってパワーをもらった」といった感想が出ました。

 アニマルセラピーは、医療者が治療を目的とし、計画的に動物が参加する場合は「動物介在療法」とされますが、触れ合いよる癒やしやQOL(Quality Of Life:生活の質)の向上が目的となる場合は「動物介在活動」に分類されます。岩国医療センターの事例は後者に該当し、当日は3匹のセラピー犬が訪問し、触れ合いと語り掛け、写真撮影の3点が1時間掛けて行われました。

 参加した70歳代のある男性は、参加前はがんの脳転移による右半身麻痺、言語障害による意思疎通困難といった症状が見られ、眉間にしわを寄せ、笑顔を見せない状態でした。しかし、セラピー犬を見た途端、初めて笑顔を見せ、声を出そうとしたり、麻痺した手で犬をなでようとしました。

 別の70歳代の男性は、参加前は手足のしびれと胸痛があり、「休まれん。死んでもいい。憂鬱。放っといて」といった発言をし、看護師とのコミュニケーションが難しい状況でした。しかし、セラピー犬の訪問にそなえ意欲的に服薬し、看護師に「犬が好き、癒やされる」と話し掛けるといった行動の変化がありました。

 患者が笑顔で犬に触り、話し掛けるなど癒やしの効果があっただけでなく、家族や医療者とのコミュニケーション機会が増し、和らいだ患者やその家族の表情によって医療者側の癒やしにもつながったとしています。
導入後、特に問題事例は発生せず

 訪問したセラピー犬は、日本アニマルセラピー協会で訓練された犬たちで、1匹に付き1人のセラピストが付き添って安全性を確保します。また訪問前にはシャンプーを行い、排泄は入棟前に済ませます。動物アレルギーについては、事前の問診でアレルギーの有無を確認し、入棟の際も職員用通路や業務用エレベーターを用いることで回避しました。

 導入当初は毎回医師が参加したそうですが、安全性が確認されたことから医師の参加は必須ではなくなり、導入後4年間で特に問題事例は発生しなかったそうです。岩国医療センターは、セラピー犬の訪問は、訪問する側と迎える側が注意すべき点を守れば、がん患者の緩和ケアの一環として有用な手段であると結論付けています。

ペトこと 2017年1月7日

がんの苦痛を和らげる緩和ケアで血液がん治療後のうつ症状をセーブ
 がん治療の中で、痛みなどの症状を楽にする緩和ケアは欠かせません。血液がんの治療後の患者を対象に、緩和ケアを強化することが生活の質(QOL)やうつ症状に与える影響が検討されました。

造血幹細胞移植後の緩和ケアの効果

 アメリカの研究班が、がん患者に対する緩和ケアの研究を医学誌『JAMA』に報告しました。

 緩和ケアとは、病気による痛みや精神医学的苦痛などに多面的に対応して、苦痛を和らげ、生活の質(QOL)を改善する治療です。がん治療では、治療開始から終末期まで、余命を延ばすための積極的治療と同時に、適切な緩和ケアを続けることが大切です。

 この研究では、血液のがんがあり、造血幹細胞移植(自家移植と同種移植を含む)を受ける患者が対象とされました。造血幹細胞移植は強力な化学療法(抗がん剤治療)とともに行われるため、抗がん剤による副作用が出やすい時期もあり、苦痛をともなう治療です。

 対象者はランダムに2グループに分けられました。

 緩和ケアを強化するグループでは、造血幹細胞移植のために入院する期間に、最低でも週に2回は緩和ケア担当の医師が診察をすることと決められました。緩和ケアでは一般に、社会経済的な苦痛や宗教的苦痛も重要とされますが、この研究では身体的苦痛と精神医学的苦痛を重視した緩和ケアが行われました。

 比較のため標準的な治療をするグループでは、患者がそのつど求めれば緩和ケア担当の医師に診てもらえることと決められました。

 効果を判定するため、2週間後に質問票を使って生活の質が調査されました。

緩和ケアでQOL・うつ改善

 次の結果が得られました。

 ベースラインから2週後までの報告されたQOLの低下は、対照群の患者(ベースラインの平均スコア106.83、2週後のスコア85.42、平均変化量-21.54)に比べて介入群の患者(ベースライン110.26、2週後のスコア95.46、平均変化量-14.72)のほうが小さかった(群間差-6.82、95%信頼区間-13.48から-0.16、P=0.045)。

 2週間後に、両方のグループで平均して生活の質が悪化していました。しかし、緩和ケアを強化したグループのほうが、悪化の幅が小さくなっていました。

 どちらのグループでもうつ症状の頻度が増えていましたが、緩和ケアを強化したグループのほうが増加量が少ないという結果でした。

 不安症状も緩和ケアのグループのほうが抑えられる差が見られました。疲労症状には差は見られませんでした。

重視される緩和ケア

 緩和ケアを強化することで生活の質が改善される結果が得られました。

 がん治療は、生存期間を延ばすことだけが目的ではありません。世界保健機関(WHO)も全世界に向けて緩和ケアの意義を訴えています。緩和ケアが苦痛を和らげることによって、積極的治療にも前向きになれる場合もあります。緩和ケアを「治癒が望めない末期がんの治療」と受け止めるのは誤解です。

 また、ここで紹介した研究では身体的苦痛と精神医学的苦痛が重視されましたが、緩和ケアにはもっと多様な面があります。家族が協力して患者を支えることも、その家族を医療従事者がサポートすることも緩和ケアの一環です。詳しくはほかのページでも解説していますので、関心のある方はあわせてご覧ください。

 日本人の2人に1人ががんを経験すると言われる時代に、緩和ケアの意義は改めて認識されています。緩和ケアについての研究も積み重ねられ、よりよい緩和ケアが目指されています。

medley 2017年1月12日

残された時間、生きた証
ステージ4のがん患者に奇跡は起きるのか
 不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平と申します。

 妻と小学生のこどもを持つ、一般的な37歳男性です。

 「ステージ4のがん」であることを除いては。がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと・・・相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

 それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ〜こどもをもつがん患者でつながろう〜」を、2016年4月に立ち上げました。

 子どももいて、地元には親もいる。仕事やお金......心配は尽きません。そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

36歳の末期がん患者が、娘に残すために始めた「最後の仕事」

 セカンドオピニオン――もともとは、積極的にやってみようとは考えていなかった。が、知り合いからの紹介もあり、抗がん剤の投与中止も重なり、主治医からも話を聞きにいってみても良いかもしれない、と言われていた。

 胆管がんは抗がん剤の種類も少なく、治療方法が多くはない。通常は、リンパ節や腹膜への転移がある場合には、抗がん剤での治療が主となるが、年齢も若く、体力もあり、抗がん剤治療の成果も一定程度認められる状態で、一歩踏み込んだ治療をするかどうか探ることが、このセカンドオピニオンのポイントになる。つまり、積極的な治療として、手術をするかどうかということ。

ひとつの抗がん剤にアレルギーが出て、治療方針の変更を余儀なくされる

 紹介されたのは、国内でも最大規模のがん専門病院。話を聞くのは、消化器系の分野に多数の実績をお持ちの医師であった。まずはその病院の巨大さに圧倒され、そして、ここにいるすべての患者の方が「がん」であると思うと、何か複雑な思いがした。

 通院している病院から預かってきた資料を手渡し、待ち時間に病院内をウロウロ。とにかく、人が多い。患者だけでなく、病院に勤務している方も多い。また、エントランスから近い大きな広場では、もうすぐイベントがあるようで、準備に追われているようだった。アーティストのコンサートを見にきた観客になったようだ。

医師はびっくりした表情で、ぼくを二度見した

 30分ほど待った後、部屋に通され、医師との会話が始まる。医師は目の前にいる人間が、この資料に書かれた人間かと疑うような目で、ぼくを二度見した。そして、その驚きを隠すこともなく、「西口さんですよね? びっくりしました。信じられない」と。

 標準的な治療の話から、患者個々のケースであればどうか――話はそういう流れで進む。基本的には、転移がある時点で、抗がん剤のみの治療となり、2種類の薬を併用して投与するというもの。ぼく自身も、その治療を例に漏れず行ってきた。抗がん剤の効果もあり、胆管にあるがん細胞は小さくなっている(大きくはなっていないだろう)様子。

 もともとの転移は小さなものであっただけに、画像には写らず、開腹して初めて発覚したほどだ。そこでの仮説として、転移しているがん細胞も縮小(消失)し、当初の治療と考えていた「手術」ができるのではないか、というもの。

手術は難しい、と告げられた日

 結論としては、手術は非常に難しいということだった。今の抗がん剤による治療を続けていきましょうと言われた。手術には大きなリスクも伴う。そのリスクを最小限にするためには、転移がなくなっていることが条件になるが、その可能性は非常に低く、開腹して、転移があれば、またお腹を開いただけになり、体への負担も大きい。開腹前に内視鏡での検査もできるが、いずれにしても難しい。

手術は非常に難しく、今後も抗がん剤治療のみしかない

 つまり、手術という選択肢は、現時点では考えにくいということであった。まあ想定していたとはいえ、ここまで大きな病院の、実績のある医師から言われたことで、動揺はあった。そして、主治医からもいろいろ聞いてこいと言われていたので、質問をぶつけてみた。

「余命について、ぶっちゃけ、どうなんですか」。

 最初に医師がなぜそんなに驚いていたのか、ここでわかることになる。胆管がんの予後(※)は悪く、しかも転移があるならなおさらで、5年生存率は極めて低く、数パーセントとのこと。発見から1年以上経っていたぼくを見て、ここまで元気な姿でいることに対し、医師はびっくりしたのだという。

今、奇跡が起きている理由、そして、これからどう生きるか

 奇跡である、と。

 治療をしなければ、半年の命であったのではないかとも。ただし、今から4年後(つまり、発覚から5年後)については、やはり楽観視はできず、依然として厳しい状態であることには変わりないと。余命は明確には告げられなかったものの、相当タチの悪いものを抱えているということは十分に理解できた。いよいよ準備をしないといけないかもしれないと。

 病院を後にしたぼくは、厳しい状況を理解しながらも、今奇跡が起こっているのなら、これからも奇跡は起こると思った。奇跡を起こし続けてやる、と。

 そして、その奇跡の裏側にあるのは、自身の病気を公表し、同じ病気で苦しむ方々のために何かできないかと、行動してきた結果なのではないかとも思った。行動すれば前向きになり、体にも良い影響を与え、奇跡とやらを起こせるのではないか。何のエビデンスもないが、それであれば、自分自身が実験台になってやろう。

 その後、いつもと変わらない顔で会社へ戻ったが、仕事への向き合い方や働き方について、大きな転機となったことは間違いない。言い方を変えれば、やりたいことがハッキリしたのだ。命の長さとは何か、残された時間をどう生きるか、生きた証。そんなことで頭がいっぱいになり、その日の仕事は手につかなかった。

※予後
今後の病状についての医学的な見通しのこと。病気の進行具合や治療の効果、生存できる確率など、すべてを含めた見通し。これから病気が良くなる可能性が高いか、悪くなる可能性が高いかの見通しを指す場合もある。


Huffpost Japan 2017年1月12日

ソフィアメディ、自宅で療養生活を送る人向けに「アロマ看護サービス」をスタート
 城南4区(目黒区、品川区、世田谷区、大田区)、川崎(元住吉・川崎)で、25ヵ所の訪問看護ステーション、2ヵ所の在宅療養支援診療所(訪問診療クリニック)などを展開するソフィアメディは、「生きがい」や「幸福感」といったQOL(生活の質)向上に寄与する新たな事業の一環として、看護師による訪問アロマをスタートした。

 2025年問題、後期高齢社会に向け、自宅で療養生活を送る人は今後ますます増加することが予測されているが、ソフィアメディでは、一人ひとりに合ったケアで、自分らしく豊かな在宅療養生活を送ってもらうことを目指して活動を行っている。今回、心身の苦痛を和らげるケアとして医療の現場でも注目されている「アロマ看護サービス」を提供することで、精神面を含めた生活全体の豊かさを実現するサポートを行う。

 訪問看護を中心として在宅医療サービスを展開するソフィアメディでは、「顧客の自己重要感を高め、生きる喜び・生き甲斐の創造に寄与する」ことを経営理念として掲げ、住み慣れた地域・家で安心して生活を継続してもらうための環境整備に取り組んでいるという。

 団塊の世代が75歳以上となる2025年に向け、行政主導で住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」の構築が急がれる中、ソフィアメディでも、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、介護系事業等、在宅療養支援のインフラ整備を推進し、利便性の高い地域医療環境の構築を目指している。一方で、自分らしく豊かな在宅療養生活を送るためには、自分は大切な存在であるという実感を持ち、人生の幸福感を味わうための生き甲斐を創造することが必要であり、そのためには、介護保険制度内での最低限必要なケアだけではなく、じっくり時間をかけたプラスαのケアを実現することも求められている。

 「アロマ看護」は、がんによる苦痛を和らげる「緩和ケア」に用いられるなど、薬物療法や外科的措置だけでは補えない部分を補うものとして医療の現場でも注目されており、ケアを行いながら一人ひとりとじっくり時間をかけて関わることで、不安やストレスを取り除く効果があるといわれている。また、認知症の予防やむくみの改善にも効果があるといわれており、生活者が求める質の高い療養生活を支援するサービスの一つになると考えている。

 「アロマ看護サービス」では、アロマを活かした看護で自宅や施設への訪問実績が数多くあるアロマ看護ケア協力のもと、アロマセラピストの資格を持つ看護師が自宅を訪問してケアを行う。具体的には、メディカルチェックを行った後、各自の疾患や行っている治療の内容を考慮しながら、目的に応じたエッセンシャルオイルでメディカルアロマトリートメントを行う。

 サービス内容によって三つのコースを用意しているが、家族のためのハンドトリートメントや、家族から顧客へいつでも行ってもらうことができるアロマトリートメントのプチレッスンが含まれる「絆」コースでは、自宅で介護をしている家族へ癒しを届けるとともに、顧客と家族がスキンシップを図ることで、さらに絆を深めてもらえる時間を提供する。また、ヘッドスパやマニキュア付のネイルケアなど、いつまでも美しく活き活きと生活したいという想いを叶えるメニューも用意されている。

 ソフィアメディでは、「アロマ看護サービス」の提供を皮切りに、在宅医療サービスで培ったノウハウを生かしながら、自宅で療養生活を送る人々のニーズを見極め、介護保険制度内では補うことのできない新たなサービス(公的保険外サービス)の提供を行っていく予定だ。とくに、介護をしている家族の精神的・肉体的負担を軽減するサービスに力を入れていくことで、自宅で安心して療養生活を送ってもらうための環境を整備していくという。

ソフィアメディ=http://www.sophiamedi.co.jp/

マイライフニュース 2017年1月15日

がん生存率0%から「治ったワケ・治せるワケ」?患者と医師が明かす
再発・転移であきらめるな!
 余命3ヵ月、全身多発転移から、治したお医者さんと治った患者さんの「がんと闘う対談」、『このまま死んでる場合じゃない!』が話題となっている。

 治らない理由がわかれば、治る理由がわかる。希望は常識の向こうにアリ! 本書の中から、冒頭部分を特別公開します。

医師:岡田直美さん(放射線医学総合研究所病院医長、腫瘍内科医)

患者:善本考香さん(女性がん患者中心の患者会NPO法人「SmileGirls」代表。1971年生まれ。2011年、子宮頸がんがみつかり、がんとの闘いがはじまる)


余命3ヵ月宣告を受けてから3年

善本 今日は、私たちが日頃話しているがん治療の理想像を皆様にもご紹介したいということで、このような場を設けていただいたんですけど、その理想というのは?

岡田 闘うがん治療です。治るため、治すために闘うがん治療です。がんが再発したり、転移したりすると、医師から「もう、治りません」と言われます。これが今のがん治療の限界です。

善本 私の場合、あとから地元の主治医に聞いたら、「3ヵ月もてばいいと思った」と言っていました。

 でも、余命3ヵ月の状態から3年半経たった今もぴんぴんしています。がんという病気は、一昔前だったら、かかったらもう治らない病気。最近は早期発見、早期治療できる人も増えて、治る病気になってきたと言われていますが、それでも再発・転移したら助からない病気。

このような考え方が一般的ですが、岡田先生に言わせると?

岡田 あきらめることはありません。再発しても、あちらこちらに転移しても、治る可能性は十分にあります。それこそ、善本さんは、まさに身をもってこのことを体験していますからね。

善本 今のがん治療を考えると、再発・転移しても治るなんて「信じられない」「ウソだろう」と思う人もいるかもしれません。

 私は再発を繰り返して、首の付け根から骨盤まで全身あちらこちらに転移がありました。バリバリのステージW(全身多発転移)です。

 それでも、治りました。最後の治療が終わってから3年になりますが、がんはいまだに出ていません。

岡田 私はこれまで「治らない」と言われてしまった、さまざまな種類のがん患者さんを治してきました。

 その中には、肺に18ヵ所も転移していた大腸がんや、腹膜播種、つまりお腹の腹膜にまで転移してしまった胃がん・大腸がん、同様に胸膜播種の肺がん、進行した膵臓がんなど、重度の患者さんも多く含まれます。

 でも、善本さんは、その中でももっとも困難な患者さんでした。

善本 私だけでなく、先生がこれまで治してきた患者さんのなかには、権威ある病院で「治らない」って宣告された患者さんもたくさんいらっしゃいますよね?

 いったいどうして先生は、治すことができるのでしょうか?

岡田 最初からずばりと聞いてきますね。でも、これは、この本のテーマでもありますから、ゆっくりお話ししていきますが、一言でいうと「治る」「治せる」カラクリがあるのですよ。

善本 カラクリ? マジックみたいですね。今日は、先生のマジックのタネ明かしをしてもらえるということですね。楽しみです。

現代医療なら、がんは治せる

岡田 では、どうして再発したり転移したりしたがんが治るのか、ということを善本さん自身の病歴にそって治療の話をしながら解説していきましょうか。

 そして、話の合間にがんという病気について私のほうから説明する。こんな感じでどうでしょう?

善本 いいですね。それで行きましょう。先生、今日はいい感じですね。いつもは、天然ボケ炸裂しながら話すのに(笑)。

 先生の趣味ってなんでしたっけ?

岡田 治らないがんを治すこと(笑)。

善本 ただ、がんを治すことしか頭にないから、保険会社に提出する書類を忘れたり、治療以外の面では大変なことも多いですけど……すごいことができる先生でもあります。って、まずは、私たちのことを紹介しないといけませんよね。

 私は、善本考香(としか)といいます。先ほどお話ししたとおり、余命3ヵ月から、完治の状態まで回復しまして、現在はSmile Girls という、女性を中心としたがん患者のための患者会を立ち上げ、活動しています。岡田先生との関係は、先生が先ほど紹介してくださったように平たく言ってしまえば、医者と患者ですね。

岡田 そうですね。今は、友だちを超えて、妹みたいに思っていますけど、最初の出会いは患者さんと医師ですね。

 私、岡田直美は、放射線医学総合研究所病院(旧重粒子医科学センター病院)の医長として、転移性肝がんを含む肝腫瘍に対する重粒子線治療をさせていただいています。

善本 でも、重粒子線治療だけをするわけではないですよね?

岡田 重粒子線治療については後ほど解説しますが、その治療のみにこだわっているわけではなく、手術、放射線、抗がん剤など、患者さんごとに治すための最適解を導き出し、いろいろな治療を組み合わせて実施していくというのがもっとも得意なところですね。

 もちろん、私は内科医なので、手術や重粒子線治療以外の放射線治療など、私にできない治療は、ほかのお医者さんにお願いしますけど。

善本 その、ほかの先生にお願いするスピードがすごいんですよ。

 私が岡田先生に診てもらっているときは、あっちの病院に行け、今度はこっちの病院に行けと、飛ばされまくってましたから。がん治療の弾丸ツアー!

岡田 大変でしたね。って、私が行かせたんですけど(笑)。まあ、その辺の経緯も含めて話してください。私は、合間、合間にがんの仕組みについて話していきます。患者さんの中にもがんについて詳しく知らない方も多いので……。

善本 わかりました。では、2008年からお話しさせていただきます。と、その前に、ひとつだけ言わせてください。「再発・転移したがんでも治る」と言っても、怪しい治療法を紹介するわけではありません。岡田先生の治療は、重粒子線治療(厚生労働省が認めた先進医療・一部保険適用)以外はすべて健康保険の適用内での治療法です。

 がんが再発したり、転移していると、多くのお医者さんがあきらめてしまいます。これが現代医学の常識です。

 でも本当は、現在の医学なら十分治すことができるのです。

 私たちが、多くの患者さん、そしてその主治医に願う「治るための闘うがん治療」とは、あきらめずにがんと闘うという意味だけではなく、医学や医療の常識とも闘っていただきたい、という思いが込められています。

なぜ、常識と闘わなければいけないのか?

 それは、この本を読んでいただければ、だんだんとわかっていただけると思います。そうですよね、先生。

岡田 そうですね。医療の世界も保守的ですからね。がんの治療には、がんができた臓器とその進行度ごとに治療が決められている「標準治療」というものがあります。今は、この標準治療でがん治療をすることが常識で、それ以上のことをやろうとすると、とたんに異端児扱いされてしまいます。

善本 先生が、ジャンヌ・ダルク先生と言われていた所以ですね。

岡田 この本がでたらジャンヌ・ダルクみたいに、炎上してしまうかもしれませんね。

「全身転移説」への疑い

善本 炎上しますかねぇ? だって、いい治療法というか、今の医学でできることを紹介するだけですから、喜ばれることはあっても、文句を言われることはないと思いますけど……。

岡田 歴史的にみて、どの分野でも、常識とされている学説に異論を唱えると、その説が正しいか正しくないかにかかわらず、大きな抵抗を受けます。

 今、常識とされているがん治療は、「転移が1ヵ所でもあったら全身に無数に転移している」という全身転移説≠とっています。

 一方私は、転移をしても必ずしも全身無数に転移しているわけではなく、限定的に転移しているだけ、という少数転移説(オリゴメタ説)≠前提にしています。

 少数転移説を前提にすることが根治の必要条件となるからです。

 突然、難しい話になったように聞こえるかもしれませんが、「全身転移説」と「オリゴメタ説(少数転移説)」は、本書で繰り返し出てきますので、今、わからなくても心配しないでください。ここでは「オリゴメタ」という耳慣れない言葉が出てきたとふんわり思っていただけたらと思います。

 ただ、このオリゴメタが、私が再発・転移がんを治すことができるカラクリ、マジックの大切なタネになっています。

現代ビジネス 2017年1月15日

ここが知りたい!高齢者診療のエビデンス
[第10回]終末期の輸液,どう判断する?
 高齢者は複数の疾患,加齢に伴うさまざまな身体的・精神的症状を有するため,治療ガイドラインをそのまま適応することは患者の不利益になりかねません。併存疾患や余命,ADL,価値観などを考慮した治療ゴールを設定し,治療方針を決めていくことが重要です。本連載では,より良い治療を提供するために“高齢者診療のエビデンス”を検証し,各疾患へのアプローチを紹介します(老年医学のエキスパートたちによる,リレー連載の形でお届けします)。

玉井 杏奈(台東区立台東病院 総合診療科)

症例

 93歳女性,重度認知症で2年前から介護老人保健施設に入所。現在は寝たきりで発語もない状態。時折,ペースト食を数口摂取する程度となった。「このまま穏やかに」と長女は望んでいたが,「点滴もしていないとはどういうことか」と親戚から責められたという。

ディスカッション

◎終末期における輸液に,予後延長や脱水による症状緩和といった医学的意味合いはあるのか?

◎気道分泌物増加,浮腫の増悪などの有害事象は起こるのか?

◎適切な輸液の量は? 投与か差し控えかの判断はどうする?

 終末期の患者の多くで経口摂取量の低下がみられ,その要因は食欲低下や嘔気嘔吐,認知機能低下,せん妄など多岐にわたる。人工的水分(以下,輸液)投与の実施には医学的,倫理的,法的側面が影響する1,2)。患者本人が意思決定できない場合も多いからこそ,可能な限りのエビデンスを把握したい。なお,今回はあえて胃瘻や中心静脈栄養などについては触れない。

医学的必要性よりも心理的負担に配慮

 終末期における輸液の実態を見てみると,老年医学会会員への調査では,末期認知症に対して約半数が「末梢輸液を継続し,自然経過に委ねる」と回答した。理由としては,医学的必要性よりも家族や医療スタッフの心理的負担への配慮が多く挙げられた。輸液を差し控えると回答したのは1割程度であり,多くの回答者が実施にも差し控えにも倫理的問題を感じていることがわかった2)。

 末期がんについてはどうだろうか。国内の緩和ケア病棟に入院している患者のうち,輸液を受ける患者の割合は最期の2週間で徐々に増加し,直前48時間には67%に上った。一方で1000 mL/日以上の輸液を受ける患者の割合は徐々に低下していた。緩和ケア医は多くの末期がん患者に輸液をするものの,量は徐々に絞っていく傾向にあることがうかがえ
る3)。

末期がん患者への輸液の医学的利点は限定的

 輸液の医学的利点としては,主にQOLの向上と生存期間の延長が期待される。しかしながら,2014年のコクランレビューでは,双方に関して明確な結論を出すだけのデータが不足しているとされている4)。末期がん患者を1000 mL/日の補液群と100 mL/日のプラセボ群とに分けて比較した最新のRCTでも,脱水による症状緩和,せん妄・ミオクローヌスの減少,QOL向上,生存日数の延長いずれの効果も認められていない5)。一方で,がんによる消化管通過障害があり,予後が限定的ではあるもののPS(Performance Status)の良い患者においては,輸液はQOL向上につながるというデータもある1,6)。

 有害事象については,腹腔内臓器がん患者の観察研究で,死亡前の3週間以内に1000 mL/日以上の輸液を行った場合,輸液非投与群と比較して浮腫,腹水,胸水の増悪を認めた7)。気道分泌物の増加については,この研究では有意差がなかった。一方,緩和医療学会の「終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン(2013年版)」では,複数の観察研究結果を踏まえ,輸液量を1000 mL/日未満に絞ることで浮腫や気道分泌物の増加は起こりにくくなると結論付けている6,8)。非がんについては,輸液の効果・有害事象ともに,エビデンスが圧倒的に不足している。予後予測や効果判定,研究実施自体の難しさなども影響しているだろう。

 そもそも終末期には炎症反応による細胞膜の透過性亢進や,低タンパクによる膠質浸透圧の低下がみられる。そのため,輸液によって血管内脱水が改善されにくい反面,体液貯留症状が増悪しやすいと考えられる9)。既に腹水や胸水などを認めるがん患者においては,より慎重になるべきであろう。
患者・家族の価値観を加味し,継続的な評価を行う

 末期認知症患者において輸液を差し控える決断は,肺炎や尿路感染症といった急性期疾患が契機になることが多い10)。表情や筋緊張などの評価で不快度を数値化すると,差し控えが大きく不快につながることはなさそうである。多くの患者が傾眠傾向となり,半数が1週間以内に亡くなっていた。また,生存日数は自力で摂取できる水分量におおむね比例していた10)。終末期患者の口渇感については,少量の水分摂取や氷片,適切な口腔ケアで十分対応できるとのデータもある11)。

 末期がんではホスピス入院中の患者・家族の8割が「栄養が不足する」ことを心配していた。半数以上が輸液によって苦痛が増大する可能性があることを認識する一方で,8割強の家族は輸液中止によって死期が早まると考えていた12)。

 老年医学会および緩和医療学会のガイドラインでも,患者を個別化して包括的に益と害とを検討すること,患者・家族の価値観や人生を加味して十分話し合った上で,全般的な治療目標に沿って決定と継続的な評価を行うことを最優先としている6,8,13)。とかく医学的介入の差し控えには,介入開始時よりも丁寧な説明と信頼関係が必要となることも覚えておきたい。

 以前,「終末期患者への輸液を中止した後,より頻繁に訪室するようになった」という研修医がいて感心した。方針にかかわらず,患者・家族のグリーフケアにも気を配りたい。

症例その後

 体液貯留症状もないことから,長女と親戚と相談の上,500 mL/日の輸液を開始した。3日目,覚醒度など状態に変化はないが,静脈ラインの確保が難しくなり皮下輸液に変更。7日目,自己抜針を防ぐためには拘束が必要な状況を踏まえ,家族の総意で輸液を中止した。その10日後に亡くなった。

 末期がん患者に対して輸液がもたらす医学的利点は非常に限定的である。一方で,比較的多量の輸液は,体液貯留症状を起こしやすい状況にある患者のQOLを損ねる可能性がある。

 認知症患者の終末期においては,輸液を差し控えても,比較的穏やかに最期を迎えられることが多い。
 
 患者・家族の輸液に対する価値観にも配慮して,益と害のバランスを考え,継続的評価を行う。

一言アドバイス

●家族からの「点滴しなくても大丈夫ですか?」の問いに対しては,まずその真意を探りたい。多くは「脱水や口渇で苦しんでいないか」という心配から。問いの真意をつかんだら,それを承認し理解を示した上で,医学的見解を説明して共に考える。家族も積極的にかかわることができる口腔ケアなどのケアは,家族の満足度も上げる。(関口 健二/信州大病院)

●がん患者の終末期の化学療法はQOLが改善されないばかりか,悪化する危険もあり,より蘇生処置を受ける傾向にある。輸液と同様に,本人や家族と事前によく話し合うことがかかりつけ医に求められている。(許 智栄/アドベンチストメディカルセンター)

(つづく)

【参考文献】
1)Curr Opin Support Palliat Care. 2012[PMID:22801468]
2)会田薫子.認知症末期患者に対する人工的水分・栄養補給法の施行実態とその関連要因に関する調査から.日老医誌.2012;49(1):71-4.
3)J Palliat Med. 2016[PMID:27463530]
4)Cochrane Database Syst Rev. 2014[PMID:24760678]
5)J Clin Oncol. 2013[PMID:23169523]
6)Jpn J Clin Oncol. 2016[PMID:27521369]
7)Ann Oncol. 2005[PMID:15684225]
8)日本緩和医療学会.終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン(2013年版).2013.
http://www.jspm.ne.jp/guidelines/glhyd/2013/pdf/glhyd2013.pdf
9)森田達也,他.死亡直前と看取りのエビデンス.医学書院;2015.53-4.
10)Arch Intern Med. 2005[PMID:16087820]
11)JAMA. 1994[PMID:7523740]
12)Am J Hosp Palliat Care. 1999[PMID:10661058]
13)日本老年医学会.高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン――人工的水分・栄養補給の導入を中心として.2012.
http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/proposal/pdf/jgs_ahn_gl_2012.pdf

週刊医学界新聞 第3207号 2017年1月16日

「看取り」から「見送り」へ−終末期ケアは誰のためのもの?
佐藤由美子 米国認定音楽療法士

 私はアメリカのホスピスで10年間音楽療法士として働いた後、3年半前に帰国しました。日本での活動をはじめた当初、多くの人に聞かれた質問があります。

「今まで何人を看取りましたか?」

 私には最初その質問の意味がわかりませんでした。「看取り」は日本語独特の表現で、英語にはない言葉だからです。

 アメリカをはじめとする欧米諸国でよりよいケアについて考えるとき、その焦点はあくまで患者さんにあります。彼らのニーズや権利、といったことが最も重要なテーマなのです。私が「看取り」に違和感を覚える理由は、そこに患者さんではなく、医療者や家族など、ケアする側を主体としたニュアンスがあるからです。

 先日、いつもお世話になっている在宅医の千場純先生と電話で話をしていたら、先生が思いがけないことを言いました。

「僕は『看取り』より『見送り』を広めたいと思っているんです」

 千場先生は横須賀で在宅医療をされていて、何十年もいわゆる「看取り」をしてきた人です。その彼もやはり、「看取り」に違和感があるそうで、その理由は私が感じていたことと同じでした。

 ホスピスケアのみならず、医療における主人公は患者さんです。そういう意味で、私たち医療者や家族はあくまでも脇役。だからこそ「看取り」より「見送り」の方が、しっくりくるのです。

 人の死に立ち会うことは、赤ちゃんの誕生に立ち会うことに似ている。新しい命をこの世に迎えるように、亡くなる人が次のステージへと向かう手助けをすることが求められるからだ。その感覚は、「看取る」というよりは「見送る」に近い。 〜『死に逝く人は何を想うのか』より

 単なる言葉の問題だと思う方もいるでしょう。でも実はこれは、終末期(エンド・オブ・ライフ)をめぐるさまざまな課題と関係していると思います。

 信じられないことかもしれませんが、現在日本では、自分の意思ではない延命治療を受けている人がたくさんいます。また、治る見込みもないのにいつまでも治療を続けて、その副作用に苦しみ息絶える人や、十分な疼痛ケアを受けられず、激しい痛みとともに旅立つ人も大勢います。

 その理由はさまざまですが、その大きな要因として、日本では患者さん本人が何を望んでいるかということよりも、周りの意見が重要視される点が挙げられるでしょう。患者さんはあくまで家族の一員であり、大事なことは家族が決めるという考えは、文化の違いによるものだと思います。

 「欧米諸国と比べたとき、終末期になっても、家族が後悔しないためにどういった『看取り』をするかが大きなテーマになっていることは驚くべきことだ。本来であれば、いかに患者さんが穏やかな最期を迎えるか、それを周りがどのようにサポートするか、が焦点となるべきではないだろうか?」 〜『死に逝く人は何を想うのか』より

 死に逝く人が何を想っているのかを彼らの立場になって考え、彼らが必要としているサポートを提供することこそ、本当の意味での「後悔のない看取り・見送り」につながるのではないでしょうか?

 終末期をめぐる問題は難しく、その答えはひとつではありません。大切なことは、健康なうちから家族と会話をしていくことだと思います。

 ハフィントンポストの読者の皆さんの中には、まだ自分の死など考えられないような若い年代の方も多いと思いますが、死を考えることは生を考えることと同じです。どうすれば良い最期を迎えることができるか、という問いに対する答えは、どうすれば良い人生を歩むことができるか、という問いから生まれるはずです。

『死に逝く人は何を想うのか 遺される家族にできること』(ポプラ社)

Huffpost Japan 2017年1月17日

我慢強さは捨てるべし
中川恵一 東大医学部附属病院放射線科准教授

 我慢強さは、日本人の美徳といわれます。しかし、これが病気の治療、特にがん治療では、邪魔になることが少なくありません。今回は、がんの痛みの治療と心のサポートに関係する緩和ケアについて紹介します。

 厚労省は、終末期のがん患者の実態を調べるため、初めて遺族を対象とする大規模調査を行う方針を打ち出しました。終末期の治療や緩和ケアについては、患者への聞き取り調査が難しいためで、どんな治療や緩和ケアを受けたか、満足度などを聞くといいます。

 なぜ、このような調査が行われるかというと、緩和ケアが十分行われずに苦しんで亡くなる患者が少なくないためです。がん治療は、47都道府県にある約400のがん診療拠点病院が担っています。ところが総務省の調査では、その拠点病院でさえ痛みを和らげる専門医が常駐していないなど、7割が緩和ケアを行う医療体制が不十分だったのです。

 がん患者の6割は、がん診療拠点病院で治療を受けます。現状は、緩和ケアは心もとないといわざるを得ませんが、だからといって患者は決して痛みを我慢してはいけません。緩和ケアは、余命をも左右することが明らかなのです。

 転移のある肺がん患者151人を対象に、「通常の抗がん剤治療を行うグループ(74人)」と「抗がん剤と緩和ケアを併用するグループ(77人)」に分けて症状や生存期間を比較した研究があります。その結果、緩和ケアグループは、通常グループに比べてうつなどの精神症状が有意に少なく、生活の質が保たれていた上、生存期間が3カ月勝っていたのです。

「3カ月」は大したことないと思われるかもしれませんが、最新の分子標的薬でも延命効果は3カ月程度。緩和ケアの効果は特筆ものです。

 その素晴らしい効果を十分得るには、がんと診断されたらすぐに治療と並行してケアを受けることが大切。研究でも、緩和ケア併用群は、治療開始から3週間以内に緩和ケアチームが面談。その後は月に1回以上、痛みの治療や精神的なケアを行っています。

 何度も言います。がんの痛みの苦しさも、精神的なつらさも、我慢することはないのです。緩和ケアの外来や専門医が不十分だとしても、麻酔科やペインクリニックには痛みの治療を行う医師がいますし、精神科には精神科医がいます。患者や家族は、主治医や看護師につらい症状について相談することです。

 2年前、トヨタの米国人役員が麻薬取締法違反で逮捕されました。米国から医療用麻薬を密輸したためです。医療用麻薬というと、日本人は“麻薬”の恐怖感から避ける傾向があります。しかし、逮捕容疑となった薬は、米国では歯痛や腰痛、生理痛など慢性の痛みに広く使われるありふれた鎮痛薬です。

 そこからも分かるように、医療用麻薬をイメージで避けることはありません。日本でも、使える薬を適切に使う限り、安全に治療できます。がん治療についていえば、我慢強さは捨てるべきです。

中川恵一 東大医学部附属病院放射線科准教授

1960年生まれ。東大医学部医学科卒業。同院緩和ケア診療部長を兼務。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。

日刊ゲンダイDIGITAL 2017年1月20日

看護師直伝 がん治療と笑顔で付き合う
あなたの主治医は? 緩和ケア研修終了医はバッジに注目
 「がん対策基本法」成立の2年後に当たる2008年から、がん診療にかかわるすべての医師に緩和ケアの重要性を理解してもらうための試みがスタートしました。

 それは「緩和ケア研修」で、緩和ケアの基本的な知識の習得を目指しています。現在8.5万人を超える医師が研修を修了しており、いまでも修了者は増え続けています。

 しかし、患者さんやご家族からよく「どの医師が研修を修了しているのか分からない」と聞きます。「主治医に聞くのは抵抗がある」とも。

 緩和ケア研修を修了した医師にはピンバッジが配布されています。持っていても着けていない医師もいますが、一つの目安にするといいでしょう。バッジのデザインは、緩和ケア普及啓発事業のホームページ「緩和ケア.net(緩和ケアドットネット)」をチェックしてみてください。

 がんの拠点病院には、緩和ケアチームの設置が必須となりました。拠点病院以外の病院での緩和ケアや地域連携についてはまだまだ整備が必要な状況ですが、看護師向けにも「エンド・オブ・ライフ・ケア」の研修が普及し始め、今後はいつでもどこでも「緩和ケア」が受けられる世の中になっていくことでしょう。

 緩和ケアとは、病気に伴う心と体の痛みを和らげること。2月5日の日曜日には、札幌で緩和ケア普及啓発の街頭イベントが開催されます(「サッポロファクトリー」にて)。緩和ケアをもっと身近に感じてもらうように、がん医療に携わる看護師としてこれからも発信を続けていきたいと思っています。

日刊ゲンダイDIGITAL 2017年1月23日

連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」
緩和ケア病棟か在宅か、喫煙で悩む療養の場
廣橋 猛(永寿総合病院)

 皆さん、今年も病院と在宅の二刀流で緩和ケアを頑張っていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

 さて、先日気になる報道がありました。2020年の東京オリンピックに向けて受動喫煙対策を進めている政府が、飲食店やオフィスを施設内禁煙として罰則規定も設ける方針であるというものでした。

 また、当然のことですが医療機関は敷地内全面禁煙となります。自分は癌診療に携わる医師として、禁煙には全面的に賛成の立場ですので、この方針に異存はありません。しかし、自分の関わる患者のことを考えると、少し複雑な気持ちになります。というのも、余命が短い患者にとって、たばこを吸うことが数少ない喜びという方も少なからずいらっしゃるからです。

 緩和ケア病棟は比較的自由に過ごせる空間とされていますが、それでも医療機関である以上は原則禁煙です。当院の緩和ケア病棟に入院されている方で、どうしてもたばこを吸いたいという場合は、家族に付き添っていただき、院外の喫煙所まで行ってもらうしかありません。まだ外出する元気がある病状ならよいのですが、それも叶わない病状になると、もう喫煙を諦めるしかありません。緩和ケア医として、患者の願いを叶えたいという想いがあるけれど、こればかりは規則の壁でどうしようもなく、やるせない気持ちになります。

 一方、在宅医療の現場では、当然喫煙に対する規制は緩くなります。自宅であれば制限されることはありません。ですので、たばこを吸うことが残された人生において非常に大切である、という価値観を持つ方には、病院の事情を話し、できるだけ自宅で過ごせるようにしています。

その人らしく最期まで過ごせるような支援こそが緩和ケアの神髄

 自分は二刀流の緩和ケア医として、病院でも在宅でもどちらでも希望する場で療養できるようにするということを一番大切にしているので、たばこ問題により療養の場が決定されるということも、少なからず経験しています。苦痛を緩和することだけが緩和ケアではありません。患者がその人らしく最期まで過ごせるような支援こそが、緩和ケアの神髄だと考えています。

 では、在宅ではたばこの心配はいらないか、というと必ずしもそうではありません。体調が悪くなってくると、寝たばこや火の消し忘れなど、火事の心配も出てきます。最近は独居の方も多いですので、注意喚起を重ねて行わなければなりませんし、どうしても危険であると判断される場合は、誰か人が訪問するときだけ許可するといったことも必要になります。また、在宅酸素療法を要する病状の方の場合、酸素を吸いながらたばこの火をつければ爆発しますので厳禁となります。自宅で好きに過ごすのは良いけれど、糸魚川市の大火のように、周囲に迷惑をかけることだけは絶対に避けてもらわなければなりません。

 もともとたばこ自体を否定的に考える自分からしてみたら、「たばこを吸わなければ癌にならなかったのでは?」という疑問を感じることもあります。でも、その取り返しのつかない疑問は患者の前では封じるしかありません。もしかしたら、患者自身もたばこを吸ってきたことを心の中で後悔しつつ、でも残された時間が限りある状況ではたばこを吸いたいという、矛盾した感情と闘っているのかもしれません。その気持ちに寄り添うことが、大切な緩和ケアだと信じています。

著者プロフィール

廣橋猛(永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長)●ひろはし たけし氏。2005年東海大学医学部卒。三井記念病院内科などで研修後、09年緩和ケア医を志し、亀田総合病院疼痛・緩和ケア科、三井記念病院緩和ケア科に勤務。14年2月から現職。


BPnet 2017年1月25日

連載: 患者と医師の認識ギャップ考
在宅での最期を願う患者、無理だという往診医
村松 静子(メッセンジャーナース・在宅看護研究センターLLP代表)

 十数年も前のことです。82歳の末期癌の男性が、カラスの鳴き声が気になるからと、緩和ケア病棟から3日間の外泊目的で我が家へ帰りました。医師からは「いつ戻って来ても良いですよ」と言われていました。医療行為が多く、往診だけでは無理という医師同士の話し合いから、私たちナースも訪問看護に入ることになりました。

 呼吸困難があるものの酸素吸入は頑として拒否、医療者が勧めようものなら怒り出す始末です。何事も自分で決めて実施していきました。

 外泊の2日目の夜のことです。呼吸状態が最悪となり、往診医が駆けつけました。「家ではもう無理。病院へ戻った方がいい。在宅ではこれ以上は無理だ」と息子さんに説明し、息子さんは納得されたようでした。しかし本人は、「病院」という言葉を聞くと呼吸がさらに荒くなり、妻の腕をつかみ、首を横に振って拒否を示します。「夫がここにいたいというなら最期までそうしてあげたい。でも、医師も息子も病院へ連れて行けと言う。自分だけでは看切れない。娘は手伝うと言ってくれたけれど……」。妻の心は揺れ動いたといいます。

 傍らにいた訪問看護師から私が電話を受けたのは、夜の9時近くでした。

「奥さんが本人の希望を叶えてあげたいと言うんです。できることならこのまま在宅療養を続けられないものでしょうか。だからといって、私にはどうすることもできません。奥さんと代わって話してもらってもいいですか」。

 電話を代わった妻は「先生に言ってください。主人は家にいたいんです。私もそうさせてあげたいんです。娘もそう言っていますから」と、すぐに往診医に代わってしまったのです。あまりに突然のことで一瞬たじろいだ私でしたが、往診医には、妻の心情に加えて、緩和ケア病棟の医師からは最期まで家にいられるならそれでもいいと言われている旨を伝えました。

 「そんなの無理だよ。在宅はもう無理。病院にはいろいろ医療機器もそろっているし、病院でも待っているんだ」。

 強い口調で一気に思いを吐き出した医師に対して、私はこう尋ねました。

「先生、ご本人はどうなんでしょうか」。

「いや、本人は病院のことを言うと呼吸が荒くなるよ」。

「もしご本人がこのまま家にいたいようでしたら、私たち看護師が極力付き添う体制をとらせていただくこともできますが」。

「あっそう、じゃあちょっと待ってて、息子さんと話してみるから」。

 それから5分後、「本当に付いてくれるんだね。じゃあ、家にいさせることにするって」(往診医)。

 ご本人の思い、奥さんと娘さんの思いが医師と息子に伝わったのです。すでに往診医が手配し到着していた救急車はそのまま引き返したといいます。それから2日後、この男性は安らかに逝きました。

 後に自ら電話をくださった往診医がおっしゃいました。「いやぁ、正直、私は在宅では無理だと思っていたんですよ。それができた。あなたたちの活動は素晴らしい。ありがとうございました。一言お伝えしたくて」。

 「在宅死」を遂げられるには、本人の思いとそれを支えようという家族の思いが医師に正しく伝わることが必要です。スムーズにことが進まない時、その懸け橋になるのがメッセンジャーナースなのです。

■著者紹介

村松 静子(むらまつ せいこ)
日本赤十字社医療センターICU初代看護師長。「在宅看護」という言葉すらなかった時代、その道を開拓しつつ、ひたすら看護の原点を模索し続けてきた。現在、その集大成として、メッセンジャーナースの育成と連携プロジェクトの構築に取り組んでいる。

BPnet 2017年2月6日

がんの「緩和ケア」を受けると何が起こる?経験者が語る恐怖と実態
71人から話を聞いた研究
 がんを告知され、「痛みを緩和(かんわ)する治療をしましょう」と勧められたらどうしますか?緩和ケアには悪いイメージを持っている人もいます。実際に利用した人たちから話を聞いた研究の結果が報告されました。

緩和ケアに対するイメージの研究

 カナダの研究班が、がんの治療を受けた患者と家族などを対象に緩和ケアをどう思うか尋ねた研究を、医学誌『CMAJ』に報告しました。

 この研究は、緩和ケアが生活の質を改善する効果の研究にあわせて行われたものです。

 対象者として、進行がんと診断され、余命が6か月から24か月と推定されていて、全身の状態が「歩行可能で自分の身のまわりのことは全て行え、日中の50%以上はベッド外で過ごす」かそれ以上に元気な患者が選ばれました。

 患者ひとりに対して、家族などで主に看病をしている人(介護者)がひとり選ばれ、患者自身とともに研究対象とされました。

 研究には24か所のがん治療施設が参加しました。施設ごとに、治療方針をランダムに2グループのどちらかに分けられました。

 患者が早い段階で緩和ケアチームに紹介され、最低でも月に1回の外来通院で緩和ケアを受けるグループ(介入群)

 患者は通常のがん治療を受け、希望すれば緩和ケアを受けることもできるグループ(対照群)

 4か月の治療の結果、介入群のほうが生活の質が改善したことが以前に報告されています。今回紹介する報告は、この研究で治療を受けた対象者から面談で話を聞いたものです。

 どちらのグループでも4か月の治療後におよそ60分の面談が行われました。面談では、決められた質問によって、緩和ケアについてどう感じたかが聞き取られました。

 介入群の患者26人と介護者14人、対照群では患者22人と介護者9人がそれぞれ面談を受けました。

死の恐怖と反発

 緩和ケアを紹介されたときの印象について次のような回答がありました。

頭に浮かんだのは、寝たきりで、死の床にあり、終わりを迎えるということでした。(対照群の患者)

治療薬を禁止して楽にするケアだけをすることだと思いました。(介入群の患者)

緩和ケアをするというのは、もうほかにできることがないということだと思いました。(対照群の患者)

緩和ケアというのはもうかなりそこまで来ていて、自分のことを自分でできなくなったときのことかと思いました。(介入群の患者)

緩和ケアがどういう意味なのか知りもしませんでした。(介入群の患者)

 緩和ケアに対して、自分の最初の反応を振り返ってもらうと、次のような回答がありました。

「嫌です、嫌です、戦います。緩和ケアなんかしません」と言いました。怖かった。本当に怖かった。(対照群の患者)

「うわっ、思ってたより悪いらしい」と思って…とても驚きました。(介入群の患者)

もっとずっと悪くて、生きているだけで家族の負担になるとかいった状態だったら、緩和ケアを考えたかもしれませんが、ちょっと…。そうでもなければ、緩和ケアにならないためにはほとんど何でもやろうと思いました。(対照群の患者)

実を言うと、考えたこともありませんでした。私の頭の中は楽観的なので。(対照群の患者)

ケアには満足したが、名前の印象が悪い

 介入群の患者と介護者に、早期から緩和ケアを受けた後の印象を尋ねると次のような回答がありました。

詳しく知れば知るほどだんだん怖くなくなって、心配でもなくなってくると思います。緩和ケアで前より快適になります。(介護者)

最初は「うわっ」と思ったけど、2-3週間やそこらで死ぬわけではないとわかって、とても、とても、役に立つものになりました。(患者)

そうですね、本当は、緩和ケアは人生の終わりを宣告するものではなくて、全体的に症状を管理することで、何でも…できることがあるならあらゆる面から症状を管理することですね。そのことを知りませんでした(患者)

 
「緩和ケア」という呼び方について次のような回答がありました。

今は知識がついて、理性的に、緩和ケアは最後の段階ではないとわかっていますが、感情的には「緩和ケア」という言葉は、少し怖い言葉かもしれません。(患者)

他人には「薬物治療の専門家」に診てもらうと言っていました。ときどきもう少し詳しく尋ねられたときは、その医師は確かに緩和ケア診療部にいるのだけれども、少し手を広げて私のような患者も診ているのだと言いました。…理由ですか?「緩和ケア医師」に診てもらうと言ったら、あと数週間か数か月で死ぬと思われてしまうからです。(患者)

なぜか、ケアを受けても緩和ケアに対する感情は変わっていません。緩和ケア医師は私に素晴らしいケアをしてくれましたから。あの医師がしてくれたことを緩和と呼ぶ気持ちになれません。(患者)

実際に目指されていることを正しく描写できる名前をぜひとも考えなければならないと思います。緩和ケアは命の最後の日々を送る人のためのものではないのです。(患者)

ほかの呼び方は思いつきません。何と呼んだとしても、議論が難しくなる問題だし、実際にも難しい、だから名前はそれほど影響がないと思います(介護者)

言い換えよりも、腫瘍内科医が座れる場所で一対一で緩和ケアについて話してくれて、「誤解しないでください。あなたが明日や近い将来にも死ぬからではありません。緩和ケアはこれから通過する段階に立ち向かう助けになるからです」と言ってくれるのがいいと思います。…だから、比較的経験豊富で訓練を積んだ腫瘍内科医、緩和ケアの訓練を積んだ腫瘍内科医に、「きっとやってみたほうがいいですよ!」と言ってもらいたいです。(患者)


緩和ケアとは?

 緩和ケアについて、体験する前と体験した後の印象を語った声を紹介しました。

緩和ケアはよく誤解されています。実際の緩和ケアはどんなものでしょうか。

緩和ケアは末期がんだけでなく、がんと診断されたときから受けることができます。

緩和ケアを勧められても「余命が短い」という意味ではありません。

余命を延ばすための治療と緩和ケアは同時に行われるべきものです。

抗がん剤の副作用を抑える薬なども緩和ケアの一種です。

苦痛があることで治りがよくなりはしません。苦痛を減らすことも大切な治療です。

苦痛が除かれることによって、積極的治療に前向きになれる人もいます。

緩和ケアに使うモルヒネなどの薬で意識がなくなったりすることはありません。

緩和ケアに使う薬は副作用も把握され、リスクを管理しながら使われます。

モルヒネの主な副作用は吐き気・便秘などです。人格が崩壊するようなことはありません。

緩和ケアは身体的苦痛だけでなく、精神的苦痛などさまざまな面から苦痛を和らげます。

緩和ケアは患者だけでなく家族や周りの人もケアの対象とします。

緩和ケア病棟に入院することも、自宅で在宅の緩和ケアを受けることも自分で選べます。

緩和ケアは、一人一人の患者が生活の中で大切にしたいことを実現する助けをします。

 自分ががん治療を経験する前には、実際の緩和ケアを詳しく知る機会が少ないかもしれません。「末期がん」という言葉の恐ろしさにとらわれてしまうと、テレビや本の情報も怖いものばかりが目に入ってしまうかもしれません。しかし、緩和ケアをよく理解することは、いざ自分ががんになったとき、自分らしい治療生活を送るために大切なことです。

 日本人の2人に1人が一生に一度はがんを経験します。いつか自分にも来ることだと思って、緩和ケアについてよく知ったうえ、もしものときにはどうするかを身近な人と話し合ってみてください。

Medley 2017年2月8日

欧米の安楽死と違う「尊厳死」広まるが法案は国会提出されず
安楽死を巡る議論が進まぬ理由は
 世界では安楽死容認の動きが広がりつつあるが、40年以上前に問題提起されながら具体的な議論が遅々として進まない“安楽死後進国”の現状と課題とは──。安楽死は、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」のふたつに分類される。前者は「医師が薬物を投与し、患者を死に至らす行為」。後者は「医師が治療を開始しない、または治療を終了させ、最終的に死に至らす行為」と定義される。

 そして、「安楽死」とは別に「自殺幇助」という方法による死に方もある。こちらも、安楽死同様、「積極的自殺幇助」と「消極的自殺幇助」のふたつに分けて考えられる。前者は、「医師が薬物を投与するのではなく、患者自身が投与して自殺する行為」。後者は「回復の見込みのない患者に対し、延命措置を打ち切ること」で、一般的に日本語で表現される「尊厳死」がこれに当たる。

 前提として、日本では「安楽死」は認められていない。1991年に起きた東海大学付属病院事件では、末期状態の患者に対し、医師が家族の依頼を受けて患者に薬物を注射し死亡させたが、医師は殺人罪で有罪判決を受けた。たとえ患者本人が望んだとしても、安楽死を認める法律がないため、医師が罪に問われる可能性がある。

 日本の安楽死をめぐる議論は1976年、医師や学者らが安楽死協会を設立したことに始まる。同会は1978年、「末期医療の特別措置法案」を策定した。第1条にはこうある。

〈この法律は、不治かつ末期の状態にあって過剰な延命措置を望まない者の意思に基づき、その延命措置を停止する手続きなどを定めることを目的とする〉

 ところが、反対派が文化人らを中心とする「安楽死法制化を阻止する会」を立ち上げ、「治療や看護の意欲を阻害し、患者やその家族の闘病の気力を失わせるものだ」、「命ある限り精一杯生きぬくことが人間の本質である」と主張。そうした倫理的観点からの反対論が強く、法制化は立ち消えになった。

 入院患者の9割以上を高齢者が占める木村病院・院長の木村厚氏が解説する。

「安楽死協会の求めた法律は延命措置の停止であり、欧米で行なわれている積極的安楽死とは全く別物でしたが、日本では安楽死という言葉自体に“殺人”のイメージが付きまとい、議論が深まらなかった。そこで日本では、欧米の安楽死とは違う、終末期における『尊厳死』という考え方が広まっていきました」

 尊厳死とは、治療の見込みのない不治や末期の患者が死期を延ばすためだけの延命措置を拒否し、緩和ケアなどで苦しまずに自然な死を目指すというもので、安楽死協会も1983年に日本尊厳死協会と改称した。

 2003年には、尊厳死協会が「尊厳死の立法化を求める請願書」を厚労大臣に提出。そして2005年、超党派の衆参両院議員60人からなる「尊厳死法制化を考える議員連盟」が発足した。現在は「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」と改称し、参加議員数も約200人を数える。

 しかし、いまだ法案は国会に提出されていない。同連盟会長の増子輝彦・参院議員(民進党)が言う。

「法案(『終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案』)はすでに作成済みです。法案上程の最終段階にありますが、慎重派の声にも耳を傾ける必要があるため、拙速は避けています。個人的な希望としては、今国会中に上程したいと思っています」

NEWSポストセブン 2017年2月9日

病院で行なわれている過剰な延命治療の大半は家族の希望
延命治療についての理解はまだまだ浅い

 91歳になる脚本家の橋田壽賀子氏が、月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)に「私は安楽死で逝きたい」と寄稿したことが大きな反響を呼んでいる。日本ではいまだ安楽死も、尊厳死も法的に認められていないが、患者の望む最期を助けるべく、医師たちは戦っている。

 安楽死は、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」があり、前者は「医師が薬物を投与し、患者を死に至らす行為」。後者は「医師が治療を開始しない、または治療を終了させ、最終的に死に至らす行為」と定義される。

 そして、「安楽死」とは別に「自殺幇助」という死に方もある。こちらも、安楽死同様、「積極的自殺幇助」と「消極的自殺幇助」のふたつに分けて考えられる。前者は、「医師が薬物を投与するのではなく、患者自身が投与して自殺する行為」。後者は「回復の見込みのない患者に対し、延命措置を打ち切ること」で、一般的に日本語で表現される「尊厳死」がこれに当たる。

 「尊厳」とは言いつつも、家族の存在が患者の「穏やかな最期」の妨げになりかねないと話すのが、これまで2000人以上を看取ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏氏だ。

「チューブだらけになっての死は人間の尊厳を損ねているので、私は過剰な延命治療を問題にしてきました。

 しかし、仮に患者自身が拒否しても、家族が延命治療を求めた場合、医師が拒めば殺人罪で訴えられる可能性がある。一般の病院で行なわれている過剰な延命治療の大半は家族の希望によるものなのです」

 長尾氏は、家族が安楽死と尊厳死の違い、それぞれの正確な意味や内容を知らず、誤解をしていることも混乱の原因になっていると話す。

「ただ、何が過剰で、無駄な延命治療かの判断は非常に難しい。脳死でも生きていることに意味があるという家族は沢山いる。だから、私も毎日、『自分がやっている医療が患者の利益になっているのか』と葛藤しているのです」(長尾氏)

 長尾氏のように、家族の意思を尊重するという医師は少なくない。『看取りの医者』の著者で、ホームオン・クリニックつくば院長の平野国美氏もその一人だ。

「私は自分から患者さんに対し、終末期の延命治療を拒否するという意思を文書で示す『リビング・ウィル』を求めたことはない。なぜなら、治療が必要になった時、実際に延命治療を行なうかどうかの判断をするのは家族だからです。

 亡くなるのは患者さん自身ですが、死ぬ時になって家族も“これで良かったんだ”と納得できるようでなければ、私は『穏やかな死』というものは成立しないと思っているからです」

 誰もが安らかに死にたいという思いを持っている。だが、理想通りにいかないのが現実である。だからこそ、死に携わる医者たちは、日夜、苦しみ、葛藤し、患者と向き合うのだ。

NEWSポストセブン 2017年2月10日

終末期患者に一切の治療を行なわない「平穏死」提唱の医師
終末期医療の現状は
 日本では安楽死が法的に認められておらず、終末期における尊厳死をとりまく現状も、法整備がすすまないまま医師が逮捕される事件がたびたび起きるなど、厳しい。

 なお、安楽死は「積極的安楽死」と「消極的安楽死」のふたつに分類される。前者は「医師が薬物を投与し、患者を死に至らす行為」。後者は「医師が治療を開始しない、または治療を終了させ、最終的に死に至らす行為」と定義される。

 そして、「安楽死」とは別に「自殺幇助」という方法による死に方もある。こちらも、安楽死同様、「積極的自殺幇助」と「消極的自殺幇助」のふたつに分けて考えられる。前者は、「医師が薬物を投与するのではなく、患者自身が投与して自殺する行為」。後者は「回復の見込みのない患者に対し、延命措置を打ち切ること」で、一般的に日本語で表現される「尊厳死」がこれに当たる。

 そんななか、患者の望む「穏やかな最期」を助けるべく、医師たちは、様々な葛藤や迷いを抱えながら日々、戦っている──。東京・西多摩にある日の出ヶ丘病院の小野寺時夫医師は、ホスピス医になったきっかけをこう振り返る。

「私は40年以上、がんの外科手術を行なってきました。しかし、いくら治療しても、苦しんでやがて死を迎える末期がんの患者の姿に胸を痛め、『自分が行なっている治療は本当に患者のためになっているのか』という疑問を抱くことがしばしばあったんです。

 その後、自分が57歳で咽頭がんを患ったことをきっかけに、限られた人生をいかに有意義に過ごすかを考えるようになった。私は、残りの人生は末期がん患者に寄り添い、『苦しまずに最期を』という望みを叶えるための努力をしていきたい」

 小野寺氏は現在、86歳という高齢ながら、終末期医療の最前線で週2回、患者を診ている。

「誤解を恐れずにいえば、私は患者が望めば、延命治療を中止する尊厳死だけでなく、薬で死に至らせる安楽死も認めていいと思っている。少なくとも自分が死ぬ際は尊厳死を選ぶつもりです」

 小野寺氏の終末期医療は、患者の意思を最優先する。その一環として、稀ではあるが、強く希望された場合に施すのが『終末期鎮静』である。

「これは、耐え難い苦痛を取り除くために睡眠薬や麻酔を用いて、患者に眠ったまま最期を迎えさせる処置です。

 鎮静は、本人が希望しても家族の反対があるとできません。痛みに呻き苦しんでいる患者を見ると、いたたまれない気持ちになることもあります」(小野寺氏)

 終末期の患者のために、あえて一切の治療を行なわない選択をする医師もいる。『平穏死という生き方』の著者で、特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医の石飛幸三氏だ。

「私は尊厳死と呼ばずに、7年前から“平穏死”と呼び、提唱しています。年老いた体が食べ物を受け付けなくなるのは“人生の終わりのサイン”。だから、食べたくないなら、無理に食べさせなくていい。積極的に薬を投与して死に至らせる安楽死とは全く異なるものです」

 同施設では入所した段階で、延命措置を施さないことに対するコンセンサスが入所者とその家族にはかられている。だが、いざ辛い状況を目の前にすると心変わりする家族も少なくないという。石飛氏が続ける。

「病状が変わるたび、家族とわれわれ職員で、たとえ口論になっても、何が本人のためかを徹底的に話し合う。私は平穏死が本人のためになると確信しているから、一切、迷うことはありません」

NEWSポストセブン 2017年2月12日

どのように生き、死ぬか
日本人としての生き方そのものを見直さないと、医療や介護の問題は解決しない
 運動する習慣や医療費を予防医療にシフトさせていくことの重要性を述べた上念司氏。「胃ろうは絶対にしないでほしい」などと、自身の考えをすでに家族に伝えている氏には、日本における終末期医療の問題点や、戦後日本に広まった価値観に対する考えをストレートに語ってもらった。

日本の終末期医療は歪んでいる

 みんなの介護 前編、中編では、運動習慣をつけたり予防医療にシフトしたりすれば、日本の医療費が増え続けることにストップをかけられるのではないか、といったことを伺ってきました。

上念 さらに言えば、日本の医療そのものの問題もあるでしょうね。特に、終末期医療が歪んでいると思います。

みんなの介護 上念さんが思われる、日本の終末期医療の問題とは?

上念 日本では、例えば胃ろうをするリスクやQOLがどうなるかといったことはまったく説明を受けないで、“とにかく生かしてくれ”とやるわけです。このような終末期医療をヨーロッパで行うと、その医師は虐待で捕まります。本人が「胃ろうを設置してくれ」と希望しない限りは、海外では絶対にやらないそうなんです。

みんなの介護 “生かす”ことを最優先にして、本人のQOLを維持するといった視点が欠けている…と。日本における終末期医療を改善する余地はあるということですね。

上念 どう死ぬかって、かつての日本人は独特のものを持っていたと思うんですけどね。今はなんだか、死を受け入れることを避けているというか…。むしろ、外国のほうが潔いですよ。オランダなんかは死ぬ権利を持っていますし。

 例えば、普段介護をしていない遠い親戚が、いざというときに飛んできて非難するのも問題ですよね。他人がそうやって他人の死に方に介入するというのは良くないことだなと。“胃ろうをしないで安らかに”と言うと「そんなことをしたらおじいちゃんが死んでしまう!」と。普段から家族の面倒を見ているほうとしては「お前は面倒を見ていないだろう」と言いたいわけですよ。

みんなの介護 遠い親戚にとっては普段顔を合わせることが少ない分、動揺してしまうというのもあるのかもしれません。

上念 動揺してしまうのはわかりますが、もう少し本人の意向をくむべきだと思いますよ。それから、誤った言霊(ことだま)信仰は捨ててほしいですね。
「賢人論。」第32回(後編)上念司さん「「死に方」について遺した公正証書に効力をもたせるような、法的な枠組みの見直しも行うべき時期にきている」

自分の命を自分自身でどうにもできないというのはおかしい

みんなの介護 誤った言霊信仰…というと?

上念 例えば、年老いた親が病気になったときに、「胃ろうをするかしないか」「どのような死に方を望んでいるのか」といった親の意向を知っておけば、いざというときに「あなたはおじいちゃんが死ねばいいと思っているの?」なんてズレたことを言われるのは減ると思うんですよ。

 そのためには、もし親がそうなったときに「どちらにするか?」という本人の意向をしっかり表明してもらわなければなりません。私ももう、子どもに言おうと思っています。「もし俺に胃ろうをしたら、1円もお前に相続しないからな」と。

 死ぬのは確かに怖いけれど、みんな、死からは逃れられません。できれば、年齢の高い人が自ら“どう死にたいか”をしっかり書き残すだとか、法的に有効になるような枠組みを作ってほしいですよね。“認知症になったらここを読め”とかね。逆に、胃ろうをしてまでも長生きしたい人はすればいいでしょうし。

みんなの介護 下の世代からはなかなか言いづらい部分はあると思います。現状では、本人が胃ろうを望まないと書面を残していたとしても、家族がそれを無視して胃ろうを望むといった実態もあるようです。

上念 家族の言う通りにしなければ、施設の人が訴えられてしまいますからね。公正証書に残すことで効力を発揮できるような、今の法的な枠組みも見直す必要はあるでしょう。やっぱり、自分の命や死に方を自分自身でどうにもできないというのはおかしいですよ。

 今の60代の人はしっかりした考えを持っている人が多いから、苦しみながら死ぬことを望んでいる人はそれほど多くはないと思うんです。私の親は70代だけれど、「胃ろうは嫌だ」と言っていますから。

医療や介護の問題も、まずは生き方そのものから考え直すところから

みんなの介護 上念さんご自身は、いざというときのためにご家族に意思を伝えたりなさっているのでしょうか?

上念 私は、家族のことに関しては本人の意思に任せる、と言っています。「家族のことになると延命治療をしないなんて…」と言っている人は、いい人ぶっているんですよ。本人がそうしたいのなら、そうするしかないんです。助からないんだったらね。

みんなの介護 死はリスクを伴うもの、延命することは安全、といった思い込みから来るものでしょうからね

上念 “実は延命治療にもリスクがある”ということをきちんと理解していかないと。“延命治療が絶対”だと思っている人って、医師の手にかかって“治療”すればどのような医療でも安全だと思っているのかもしれませんが、いい人になろうとする人がたくさんいると、本人はどんどん不幸になっていく。それが現実です。日本人って、昔はわりとリスクテイカーだったはずなんですけどね。

みんなの介護 いつ頃まではそういった傾向があったんでしょうか。

上念 やはり戦前までじゃないでしょうか。最近よく耳にする“伝統的な家族観”って、戦後の高度経済成長のときに生まれた変な幻想から来たんでしょうね。実際は、伝統でも何でもないんですよ。

みんなの介護核家族で、お父さんが働きに出てお母さんが専業主婦というのが主流だった。

上念 それは1950年代に生まれた価値観であって、大正時代までは夫婦共働きが当たり前だったんですよ。本来、日本の伝統的な家族観は夫婦共働きだったんです。

 医療や介護の問題も、働き方を含めた生き方そのものから考え直さないといけないと思います。まずは運動を含めた生活習慣、精神に関する考え方、それから、「どのように生きたいか」というところから考え直すべき時期に来ていると思いますね。

livedoorニュース 2017年2月13日

医者のジレンマ,患者のジレンマ
知っていますか? “アドバンス・ケア・プランニング”
安藤 大樹 岐阜市民病院総合内科・リウマチ膠原病センター

 ヒトはいいけど要領はイマイチな研修医1年目のへっぽこ先生は,病棟業務がちょっと苦手(汗)。でもいつかは皆に「頼られる人(reliance=リライアンス)」になるため,日々奮闘中!!……なのですが,へっぽこ先生は今日も病棟で頭を抱えています。

 先生! Aさんの呼吸が止まっています!――慌ただしく心肺蘇生が行われましたが,88歳のAさんの心拍は戻りません。入院した際に急変時の対応を奥さんに確認してはいたものの,「自然な形が一番だけど,私だけじゃ決められないし……」といった返事でうやむやになっていました。30分間の蘇生処置が行われた後,ご家族が来院されました。「もう十分です。一生懸命ありがとうございます」。死亡診断書を書き終えたへっぽこ先生,病棟の隅で物思いにふけっています。

セワシ先生 お疲れさま。あとはお見送りだけだね。しっかりお見送りしてあげようね。

へっぽこ先生 Aさんの状態は確かに良くありませんでしたけど,最近は少し落ち着いていたんです。急なことだったので救命処置をしてしまいましたが,本当によかったのか……。心臓マッサージで肋骨も折れてしまいましたし,僕たちはむしろ悪いことをしちゃったんじゃないでしょうか?

セワシ先生 その疑問,すごく大切なことだからこれから先も常に意識してほしいな。あと,入院時に確認しようとはしていたみたいだけど,そこで終わりにしちゃったのがマズかったかもね。へっぽこ先生は“アドバンス・ケア・プランニング”って知ってる?

へっぽこ先生 “アドバンス・ケア・プランニング”?

 医療技術の進歩は目覚ましいものがあります。それはもちろん素晴らしいことですが,その分,生きること,死ぬことに関する選択肢が増えたとも言えます。それに反比例するかのように,現代の日本人は「死」を考える機会が減っていると言われます。戦後間もないころの日本では,多くの方が自宅の畳の上で最期を迎えました。子どものころから,家族の「死」を目にすることが当たり前の文化だったのです。現在は「病院死」が約80%に上る時代です1)。さらに,核家族の増加に伴い孤独な「在宅死」が増えています。

 医師は「死」を扱うプロフェッショナルでなければなりません。「死」を考えるきっかけとして,今回は“アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning;ACP)”について考えてみましょう。
アドバンス・ケア・プランニングって?

 ACPは「意思決定能力を有する患者の死生観や価値観を,家族や医療チームが相互に理解・共有し,尊重していくプロセス(筆者訳)」と定義されています2)。患者さんの価値観を確認し,個々の治療選択だけでなく,患者さんのQOL維持や,介護者の社会的・心理的負担が軽減するよう,全体的な方向性を明確にすることを目的にしたケア全体を指します。よく語られるDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)もACPの一部です。急変時の対応も含めた事前指示(Advance Directive)を導き出す過程の全てがACPに含まれます。

どんな患者さんに行うべきか

 病気の進行パターンは,@突然発症型(健康な人の急変),A慢性進行型(悪性腫瘍,心・肺・腎疾患末期等),B緩徐進行型(認知症,老衰等),C判断力保持型(ALS等の神経難病)の4つに大きく分けられます。もちろん,全てのパターンにACPを行うことが理想ですが,現実問題として@は難しいでしょう。また,Cにはかなり高度な医学知識や倫理観が必要になりますので,難易度が高くなります。皆さんに主に行ってほしいのは,AとBの患者さんに対してです。具体的なACPの進め方は以下の通りです。

1)終末期医療の“今”を知る

 クリニックなどで診療をしていると,「もう年も年だし,コロッと逝きたいわ」なんて会話は日常茶飯事ですが,研修中はそうした生の声を聞く機会はなかなかないと思います。でも,社会における「死生観」の現在のトレンドを知っておく必要があります。メディアの情報でもいいですし,書店に行って医療コーナーをぶらぶらするだけでも結構です。こうした“肌感覚”を持つことで,あなた自身の死生観を養ってみてください。

2)現時点での“見立て”を行う

 死生観を語るばかりでは,プロとしては不十分です。医学的知識や客観的データに基づき,患者さんの今後の“見立て”を行いましょう。さまざまな見立てが必要ですが,少なくとも治療可能な状態か,治療の目的は完治か維持か延命か,どの程度まで回復するか,治療による利益と不利益はどの程度あるか,治療介入によって予後はどのように変化するか,状態悪化時に救命処置の有用性はあるかといったポイントは押さえておきたいところです。

3)過去に表明された意思の情報を集める

 死に際に関する問題は,「そんな縁起でもないことを」と避けられがちであることは事実です。でも,知り合いが亡くなった際などに「死ぬときは○○がいいなぁ」なんてひと言をつぶやいている場合もあります。そうしたわずかな情報まで拾い上げることが大切です。また,開業医の先生の中には,かかりつけ患者さんのリビングウィルを確認している先生もいるので,情報提供を求める際に確認してみてもいいでしょう。

4)患者さんの意思決定能力を確認する

 意思決定能力の評価は,難しいこともあります。病気に関する情報や治療による利益・不利益を理解しているか,選択した内容に合理性があるかといった情報から,総合的に判断する必要があります。意思決定能力があれば,その意思が最も優先されるべきですが,ない場合は代理意思決定者(key person)を選ぶ必要があります。

5)現時点の見立てを説明する

 われわれの見立てを伝えます。患者さんとご家族に一緒に伝えることが理想ですが,患者さん自身が受け止められないような精神状態であったり,患者さんから「家族には伝えないでほしい」と言われたりすることもあります。医療チーム内で話し合い,誰に伝えるかを確認しておきましょう。

6)病気に直面している“今”の意思を確認する

 人間なんて弱いものです。たとえ過去に意思を表明していたとしても,いざ現実的な「死」を突き付けられると,気持ちが変わることも珍しくありません。ご家族に伝えていた過去の意思も,もしかしたらご家族への気遣いや強がりであった可能性があります。あらためて意思の確認を行いましょう。

7)ご家族の“本音”を確認する

 「集中治療室で治療されても,お金が払えません」「本人は家に帰りたいと言っているけど,介護する人がいません」など,患者さんの前では言えない本音をご家族が抱えている場合もよくあります。もちろん,優先されるべきは患者さん本人の意思ですが,ご家族の声もACPの大切な要素です。

8)定期的に見立てを伝え,意思の再確認を行う

 病状の変化に伴い,当初の見立ても変わってきます。また,入院が長引くと患者さんの頭にさまざまなことが浮かびます。日々良くなっていく体調を実感して前向きになることもあれば,先行きの見えなさに不安を強くしていくこともあるでしょう。可能な限り新しい見立てを伝え,患者さんとご家族の意思を確認しましょう。

9)プロセスが適切か,医療チームで評価する

 そのプロセスは,あなたの独り善がりになっていませんか? 臨床現場では医師の意見が強く反映されがちですし,そうでなければならない場面が多いことも事実です。でも,ACPにおいては,それが弊害になることがあります。現在のプロセスが本当に患者さんにとって最良であるかを,患者さんにかかわる全員で再評価する習慣をつけましょう。

 こうした意思決定プロセスは,元気なとき,つまり入院前にゆとりを持って行われていることが理想です。研修医の皆さんがACPの概念を持って地域医療に携われば,終末期医療の未来は今よりもっと明るいものになると思います。

セワシ先生の今月のひとこと

 医療の専門家であるわれわれは,「死」に対してもプロフェッショナルでなければなりません。研修医時代にACPのプロセスを考えることは,「死」を考える第一歩。目の前の患者さんの満足度を上げるだけでなく,今後出会う患者さんの未来も明るくするかもしれませんよ。

【参考文献・URL】

1)厚労省.人口動態統計年報 主要統計表(最新データ,年次推移)――死亡第5表 死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移.2011.
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii10/dl/s03.pdf
2)BMJ. 2010[PMID:20332506]

週刊医学界新聞 第3211号2017年2月13日

音楽回想法で安らかな最期を―死に逝く人に起こる「回想」とは?
死と向き合う患者を音楽でサポートする
佐藤由美子 米国認定音楽療法士

 回想(ライフ・レビュー)という言葉を聞いたことがありますか?

 回想とは、簡単に言えば人生を振り返り、自身を省みることで、人生の危機に接したときに起こる現象です。

 死とは、言ってみれば人生最大の危機ですから、末期の病気を患う患者さんは、必ず回想を経験すると言えるでしょう。

 本人が意識してもしなくても、これまでの人生で起こったことや、健康だったころはあまり考えなかった昔の思い出が自然とよみがえってくるのです。

音楽で感情を呼び起こす「音楽回想法」

 高齢の方が昔の話をするとき、一般的に「また思い出にひたっている」とか「現実逃避している」などと否定的に見られがちですが、アメリカの精神科医ロバート・バトラーは、回想には極めて大きな役割があると唱え、その重要性を世に広めました。

 人は、過去を振り返り、自らを省みることで人生の意味に気づき、現状を乗り超える力を得ることができます。また、回想によってやり残したことをやり遂げたり、逆に「やり残したことはない」と実感する人もいる。

 だからこそ、回想という過程は、死と向き合う人が穏やかな最期を迎えるにためにとても重要なのです。

 私はホスピスを専門とする音楽療法士として、多くの人々の回想の過程に関わってきました。というのも、音楽には、記憶やそれに伴う感情を呼び起こす力があるからです。

 皆さんも昔よく聴いた曲を耳にして、当時のことが鮮明に思い出された経験はないでしょうか? 当時の気持ちがまるで昨日のことのように感じられることが。

 こういった音楽の力を使うのが私の仕事なのですが、音楽を用いて意図的に回想の過程をサポートすることを「音楽回想法」といいます。

 ただ音楽を聴いてもらうこともあれば、一緒に唄ったり楽器を弾いたりすることもあり、そのようなアプローチが回想につながることがあります。

『トロイメライ』がよみがえらせた過去の記憶

 2016年、青森の緩和ケア病棟で荒井さん(仮名)という末期の肺がんを患う85歳の患者さんと出会いました。

 元看護師で退職後も活動的だった彼女にとって、寝たきりの生活は想像以上に苦痛なものでした。明るかった彼女は怒りっぽくなり、「まるで別人のようになってしまった」と家族は嘆いていたのです。

 ある日、私が彼女を訪問すると、荒井さんは『トロイメライ』が聴きたいと言いました。それは昔、彼女の父親がバイオリンでよく弾いていた曲でした。

 次の週、私がハープで『トロイメライ』を弾くと、彼女はシーツで顔を覆って静かに泣きました。

 その曲とともによみがえったのは、子どものころに過ごした旧満州での思い出だったのです。

「昔はあまり考えなかったけどね、今はあのときのことが頭に浮かんで眠れない日もあるの......」

 過去の記憶に悩まされていた荒井さんは、病棟に滞在した3カ月の間、何度も満州での出来事を語り、つらかった過去の記憶をたどりました。

 その中で唯一、彼女の支えとなったのは、父親の思い出でした。『トロイメライ』を聴くたびに、彼女は目を輝かせ、幸せそうな笑顔を見せたのです。

患者さんが安心して回想できる環境を

「今でも父が弾いていた曲を聴くたびに、まるで父がそばで見守っていてくれるような気がするのよ」

 荒井さんは、「死ぬ前に『トロイメライ』を流してほしい」と家族に頼み、その後安らかに息を引き取りました。

 このケースからもわかるように、回想によってよみがえる記憶は必ずしも楽しいことばかりではありません。悲しい思い出や考えたくない記憶ほど、人生の最期に思い浮かぶものなのです。

 だからこそ、音楽によって記憶を刺激するだけでは不十分で、患者さんがつらい過去と向き合うとき、安心して気持ちを表現できる環境をつくることが大切です。

回想は死と向き合い、生きるための力になる

 回想は死に直面した人にとって自然なプロセスであり、荒井さんのように他界した家族との思い出や、その姿かたちが鮮明に思い浮かぶことも稀ではありません。

 すでに亡くなった人だとしても、愛する人の存在を近くに感じられることが、死と向き合いながら生きるという現状を乗り越えるための力になるのです。

 このテーマについては新刊『死に逝く人は何を想うのか』(ポプラ社)で、他の患者さんのケースと合わせて詳しく紹介していますので、参照いただければと思います。

【佐藤由美子】

 ホスピス緩和ケアを専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州シンシナティのホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国。帰国後は青森県在住。15年からは青森慈恵会病院の緩和ケア病棟で音楽療法士として働いている。著書に『ラスト・ソング』(ポプラ社)、『死に逝く人は何を想うのか』(ポプラ社)がある。

Huffpost Japan 2017年2月14日

終末期、死に直面した親。子どもが下すべき3つの決断とは?
 『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(著:高口光子・講談社)

 この本は介護施設で人を看取ることができるようになった今、その場所で人がどのように死を受け止め、死を迎えたのかを追い、それぞれの死を考えたものです。と同時に、彼ら彼女らを看取った介護士が直面した出来事を綴ったドキュメントです。

──病院で死ぬということは、懸命な治療の結果として亡くなるということ。自宅で死ぬということは、住み慣れたわが家で家族に囲まれ、家族の一員として亡くなるということ。それでは、介護施設で死ぬとはどういうことか。──

 高口さんはその問いに対してこう答えています。

──病院で死ぬということは、病名で死ぬということです。施設で死ぬということは、職員との人間関係をもって、ただひとつの“私”の名前で見送られるということです。そこで尊重されるのは、父や母という家族の中での立場だけでなく、今、あるがままの“私”という立場です。──

 誤解をおそれずにいえば施設では、患者という一般的・抽象的な存在ではなく、顔のある個人が他者との関係の中で生き、死ぬということなのだと思います。施設は「生活支援の場」です。施設ではその人らしい生活を最後まで送らせようとします。「生活支援の場で人の最期を見届ける」ということです。重要視されるのは「個人の尊厳・尊重」ということです。これはQOL(生活の質)を守ることにつながります。そのために介護施設では3つの基本方針をあげています。

1.入居者を寝たきりにしない・させないこと。

2.入居者が培ってきたこれまでの生活習慣を大切にすること。

3.その人の持てる力を活かしていくこと。

──それは「寝たまま食べない」「寝たまま排泄しない」「寝たまま入浴しない」ということです。──

 長期入院の経験がある人でしたら、起きること、歩行することがどれだけ回復に役立つかを実感したことがあると思います。ここでは「どんな動作ができないのか」を知り、それを介助することが肝心になります。

 入居者には病院よりはるかに個人というものに寄り添ってくれていると思える施設です。ですが、実際にターミナルステージ(終末期)に入った時、入居者やその家族はどのようなことに直面するのでしょうか。

 ターミナルステージにさしかかったときには、高口さんたちは「ターミナルケアの方針」を家族と確認しあいます。その際、大事なポイントは3つあります。

1.口から物が食べられなくなってきたときに、チューブを入れるかどうか。

2.状態が急変したときに、救急車を呼ぶかどうか。

3.施設でターミナルケアを行う場合、ときには死後発見になってしまうことがあるかもしれないということ。

──「食べ方」はそのまま「生き方」につながります。つまり、チューブを入れるか入れないかは、その人の人生に残された時間をどう生きるかに関わる選択です。これは親の生き方を子どもが決める、きわめて重要な場面と言えます。(略)残念ながらこの段階にきたらお年寄り本人が判断することは難しいケースがほとんどです。──

 大事なことは「子どもが考え抜いた末に決めたかどうか」なのです。判断ができなくなった親に変わって決断すること、それはターミナルステージではさまざまなところで直面することになります。

 2の状況も同様です。

──最近は無駄な延命治療はせず、人間としての尊厳を保ちながら亡くなりたいという考え方の人が増え(略)「最期は何もしなくていい」という声をよく聞くようになりました。──
けれどいくら本人がこのような意思を示していても、苦しむ本人を目の前にしたときはそう思い切ることはなかなか難しいと思います。

──「少しでも楽になるのなら、できることはしたいけれど……」と家族の心は揺れます。それは揺れて当然なのです。──

 平静なときには病院の延命治療や措置を見て苛酷に思え、本人も家族も「最期は何もしなくていい」と決めていても苦しむ本人を目の前にするとそのようにできるものではありません。家族の感情に翻弄されてしまう施設の職員のようすがこの本に描かれています。いくら本人の意思とはいっても本人が元気なときの言葉がほとんどです。

 では何をすべきなのでしょう。

──元気なときの本人の言葉がすべて絶対ではなく、そのときの自分の意思を自分の言葉で伝えきれないほど弱り果ててしまった場合は、家族がその都度、それまでの本人の気持ちを大切にして、自分たちが思う正直な気持ちで対応していけばいいと思います。──

 死を考えることと、死に直面したときの違いです。死は確かに“個”として本人だけに訪れるものですが、“死ぬ”ということは“関係”として“関係の喪失”としてあらわれてきます。ですから残された者も“死の当事者”となります。まして本人の意思が不明な場合、最期に対する意思は、本人と関係を持ち、その“関係の喪失”に直面している者たちの意思であると考えていいのではないでしょうか。

──私たちはどんなに疑問や反省の残るターミナルケアであったとしても、家族には「これで良かった。大丈夫です」とあえて言葉にしています。対応として、仕事として反省するのは、私たちの問題です。家族に対しては、「良かった」と言い切ること、それが家族以外の第三者の務めだと思っています。──
この強い意思は高口さんが死をあくまで関係の中で考えていることを証しているように思えます。

 介護の実際の大変さ、看取る家族たちの心のありようを含め、この本は“死”というものを見つめ直すためにきっと役に立つと思います。

 ところで、終活ビジネスも2兆円に近いところまで伸び、さらには最近では死後啓発というものにも次第に関心が集まっています。死後啓発とは、自己啓発から転じて、死後の世界について思いを凝らし、死後の世界のイメージを提供するというものです。これもまた終活ビジネスを大きくする一助になっています。もっともこのようなビジネスには功罪なかばするものがあるように思います。

 もともと終活には元気なうちに身の回りを整理し、残されたものに負担をかけないといったことや、人生の終わりを少しでもよりよいものとするためにという思いが込められています。もしそう思われるなら、なによりもまずこの本を読んでほしいと思います。

レビュアー 野中幸宏

今回ご紹介した本

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(著:高口光子・講談社)

 介護保険が導入されて以降、介護施設で人を看取ることが、法的にも認められるようになりました。しかし自分の親のこととなると「世間体が悪い」とか「最後まで十分な医療を受けさせたい」などの理由から「最期は病院で」と考える人が多いのが現状です。

 本書は、ターミナルケア(終末期ケア)に力を入れてきた著者が、ターミナルステージ(終末期)では何に直面するのかなどを詳細伝えた報告書であると同時に読者に生き方・死に方を深く考えるきっかけを与えてくれるものです。親が終末期にさしかかっている人はもとより、親の介護のことを考え始めた人、自分自身の最期の迎え方が気になる人の必読書です。


music.jp 2017年2月25日

連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」
NHK『クロ現+』も問題にした在宅医療の質
廣橋 猛 永寿総合病院

 2月16日、NHKの報道番組『クローズアップ現代+』で「終の棲家で何が? 問われる在宅医療」と題した特集が放送されました。国は「病院から在宅へ」という大号令の下に、在宅医療の推進に取り組んでいますが、果たして質が伴っているだろうかという提言です。これまで、在宅医療はただひたすら素晴らしいというスタンスの報じられ方が多かったのに対して、あえて否定的な投げかけをしたという意味で、画期的な番組だったと感じています。

 故大橋巨泉さんが自宅退院し在宅医療を受けることになったとき、いきなり在宅医から「大橋さん。どこで死にたいですか?」と死ぬ場所ばかり聞かれ、自宅での療養に希望を持っていた巨泉さんや家族は、非常に大きなショックを受けたという振り返りから始まりました。また当連載の記事「巨泉さんモルヒネ報道の悪影響を懸念する」でも記したように、医療用麻薬の不適切な使用により往診医への不信感も高まりました。細かい事情は分かりませんが、この在宅医の対応が適切でなかったのは確かなようです。

 次いで、別患者の遺族の意見として、在宅医が専門分野でない領域について対応が遅れたせいで、認知症に対するケアが十分受けられずに施設入居を余儀なくされた事例や、悪化した褥瘡により下肢を切断しなければいけなかった事例が紹介されました。自信がないにもかかわらず、在宅医が自分で抱え込んでしまったために、残念な結果になってしまったと遺族は悔いておられました。これらは在宅での緩和ケアにおいても実際によくあることで、癌患者が自宅で適切な苦痛緩和策を講じられずに、苦痛に耐えきれなくなり病院へ搬送される、もしくは苦しむように自宅で亡くなったと家族が悔いる……そういったことを少なからず耳にします。

在宅医療の研修をせずに名乗れる在宅医

 これらは、在宅医療を担う医師のスキル不足による問題です。実際に同番組の放送では、ある在宅医の気持ちとして「自宅では医師1人で対応しなければならず不安でたまらない」と表出されていました。在宅医療を担う医師の教育が、絶対的に不足しています。在宅医療は医師免許さえ持っていれば、明日からでも担当することができますが、実際にそんなに甘いものではありません。手術を、これまで切ったことのない内科医がいきなりできますか? 同じことです。在宅医療とは立派に専門性のある領域であり、必要な研修を経て初めて一人前にできるものです。

 放送では司会者がコメンテーターに、医師は在宅医療をどのように研修しているのかと尋ねたところ、コメンテーターは「初期研修では、地域医療実習の中で在宅医療が組み込まれているところもある」という回答でした。しかし真実は、わずか1カ月の地域医療実習で、かつ一部の医療機関で、かつ事実上見学しているだけですよ! この回答こそ、在宅医療の適切な研修がほぼないことを裏付けています。

 最近は若手医師も在宅医療に関心を持ち、将来の生業として考えている医師も増えてきました。とても良いことだと思います。ですが、中には初期研修を終えてわずかな期間で、いきなり在宅医療に飛び込んでくる医師もいます。都市部に増えている在宅医療を専門にするクリニックは、在宅医が不足しているために、そういった若手医師に対しても病院で働くより高額な給与を提示します。その給与が魅力的で在宅医療をしたいという若手医師の声も多く聞かれます。そういった経験の未熟な医師でも在宅医を名乗れますが、果たしてそれで良いのでしょうか。

 もちろん、しっかりした在宅医療研修を行っている施設も少なからずあります。例えば、日本在宅医学会では専門医制度を確立し、準拠する研修プログラムをホームページで公開しています。ここでは、在宅医療に起こり得る様々な病態に対応するスキル、多職種での協働に必要なコミュニケーションばかりではなく、病院での内科研修、緩和ケア研修も必須となっています。こういった研修を経て1人立ちしている在宅医は、本当に素晴らしい医師ばかりです。他にも、家庭医や総合診療医を育成する日本プライマリ・ケア連合学会でも類似した研修制度を行っています。

 では、なぜ経験のない医師が、在宅医として働くことを容認されるのでしょうか。それは在宅医療を受ける患者が増加していて、一方で在宅医が不足しているからです。言葉が悪いですが、質を担保する前に、往診医の数の確保が優先されています。

 ただし、ここで別の観点から考えるべきことがあります。在宅医療を受ける患者にとって、本当に在宅医療が必要かというポイントです。精神科外来に通院していたある軽度認知症患者が、老人ホームへ入居することになったとします。その施設では、全ての患者が提携している在宅医に診てもらっており、外来で診ていた精神科医に紹介状を書いてほしいと言ってきました。その患者は完全にADL自立しており、1人で外出して演劇を観に行かれるなど優雅な生活を送っています。その患者に在宅医療について聞くと、「施設の決まりみたいだけど、病院だとだいぶ待たされるし、往診してくれるのは便利。診察が終わったら、演劇を観に行く予定なの」と感謝するような口ぶり。でも、これで良いのでしょうか。

 外来診療で対応できるような状況の患者が、在宅医療を受けている事例を多く耳にします。国の方針により、在宅医療に関わる医療費は高額となりました。患者は楽だからと喜び、在宅医療に関わる医療機関も楽な患者なのに収入が増えると喜びます。在宅医療のニーズが増え、在宅医の給与も増し、質が担保されない在宅医が誕生します。でも、医療費は税金で支払われているのです。国もこの点については問題に思っているようで、今後は恐らく在宅医療を受けられる患者に、何らかの基準や制限がかかってくると予測されます。

 また、地域性の問題も絡んできます。番組では、鹿児島で医師1人しか診療していない地域に住んでいる患者が、在宅で最期まで過ごしたいという希望を叶えることができなかったという内容がありました。都市部で従事する人からすれば、主治医が十分に対応できなくても、多職種でチームを組めば何とかなるのでは……と思う人もいたようです。

 ですが、医療過疎地域では医療資源が全くないところも少なくありません。自分がかつて勤務していた房総半島では、訪問看護が全く存在しない地域もありました。このように現実的に地方によっては、在宅医療を受けたくても受けられない地域、さらには過疎化が進んでしまい在宅医療の資源を整えるのが事実上難しい地域もあります。無理に全ての地域で質の高い在宅医療を受けられるようにと取り組むと、結果的にコストの方がかさんでしまうという可能性も出てくるでしょう。全ての地域において、一元的に病院から在宅へ、だけでは難しいのが現実です。

在宅医療の問題点を指摘されても、がっかりする必要はない

 今回の放送を観て、在宅医療に携わる医療・介護者は、否定的な内容にがっかりした人が多かったのではないかと思います。そして、自分の書いたこの記事にも抵抗感を感じる人もいることでしょう。その気持ちもよく分かります。番組でも取り上げられていましたが、グループで研鑽を積み、システムとして質の向上に取り組むなど、素晴らしい取り組みをしている方々を数多く知っています。また、自分の地域も含めてですが、個々では質の高い在宅医療を実現している人が多くいます。

 これまで在宅医療についてマスコミで取り上げられるときは、どちらかというと肯定的なものばかりでした。実際、都市型の大規模な在宅医療専門クリニックの取り組み、医師会が中心となりかかりつけ医でネットワークを作る取り組み、地域の多職種で催す研究会をきっかけに連携して患者を支える取り組みなど、数多くの活動があります。住み慣れた自宅で最期を迎える、在宅看取りの素晴らしさを伝えるものもありました。そう、個々で見ると優れた取り組みが多くあります。

 そして、これまでのマスコミの取り上げられ方は、「在宅医療は素晴らしい、病院の医療に問題がある」が前提でした。しかし、今回の放送ではあえて「在宅医療の問題点や課題」に切り込むという、新しい取り上げられ方をされました。個々では素晴らしい取り組みがあっても、日本における在宅医療という大きな視野に立つことで、少なくない問題点や課題があることは明白です。

 在宅医療は何でも素晴らしいという時代ではなくなり、その質を問われるようになる。これは決して悲しむべきことではなく、在宅医療の成熟を意味すると考えています。国は在宅医療がどのような患者に必要かを適切に評価する義務がありますし、また提供する側の医療者も専門分野としての在宅医療を学ぶ体制が必要であり、その質は何らかの形で担保されなければなりません。「質の高い在宅医療が、在宅医療を本当に必要とする人に提供される」という、ある意味当たり前のことが実現される日本であるために、在宅医療のことを愛してやまない自分としては、今回の放送の取り上げられ方をうれしく感じたのでした。
 
著者プロフィール

廣橋猛(永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長)●ひろはし たけし氏。2005年東海大学医学部卒。三井記念病院内科などで研修後、09年緩和ケア医を志し、亀田総合病院疼痛・緩和ケア科、三井記念病院緩和ケア科に勤務。14年2月から現職。


BPnet 2017年2月28日

緩和ケア病棟でも禁煙を
禁煙学会が厚労省に要望書を提出
 厚生労働省が今月1日に公表した受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法改正案(原案)では、医療機関では建物内を禁煙とすることとされた。しかしこの案に対し、「終末期医療を行うホスピスや緩和ケア病棟では、個室では吸えるようにするなど、一部を例外とすることを検討している」と一部報じられていることに対し、日本禁煙学会は2日に厚生労働省に要望書を提出。「緩和ケア病棟は、例外とすべきではない」と主張したことを、同日に開催された記者会見で同学会理事長の作田学氏が報告した。

 日本ホスピス緩和ケア協会は昨年(2016年)10月31日、厚労省の受動喫煙防止対策強化検討チームワーキンググループ公開ヒアリングにおいて、「生命予後の短いがん患者が多数入院する病棟の現状から『原則建物内禁煙(喫煙室設置可)』として頂きたい」などと要望した。

 同協会はこの要望の背景として、同協会が実施した調査では、3割近い病棟がなんらかの形で生命予後の短い患者の喫煙習慣に配慮して喫煙を許可していることを報告している。

 この報告に対し、日本禁煙学会は約7割もの病院が既に敷地内禁煙の実施をしており、厚労省はそれら多数の緩和ケア病棟が日々努力している実態と現状を評価すべきである、と要望した。

 作田氏は「入院している患者の多くは喫煙していない。受動喫煙の毒性には閾値がなく、喫煙区画、換気、空気清浄機などの解決策では受動喫煙を防ぐことはできない」とした。また同学会理事の宮崎恭一氏は「末期の肺がん患者でも喫煙をやめると呼吸が楽になる。『かわいそうだから吸わせてあげたい』といったことは全く臨床に適さない」と述べた。

 なお同記者会見では、九州看護福祉大学リハビリテーション学科教授の川俣幹雄氏らの共同研究グループによる受動喫煙に関する日本国民の意識調査の結果も報告された。国民の73%が厚労省の受動喫煙防止法案に賛成であることなどが明らかになったという。近日中に詳細を掲載予定。

MedicalTribune 2017年3月2日

がん再発の恐怖と戦う24歳 笑顔で締めた日本初戦
 「やっぱり5年は心配ですね」。今季から日本ツアーに主戦場を移した韓国のイ・ミニョンは、そう心情を吐露した。来週13日に25歳になるイは、若くしてがん再発の恐怖心と戦っている。

 病魔に襲われたのは、2015年3月。中国で開催された欧州女子ツアー「ワールドレディスチャンピオンシップ」の際、急に激しい腹痛に見舞われた。血尿が出て「どんどんお腹も痛くなって耐えられなかった」と棄権した。「昔から風邪もひかないほど元気」という健康自慢だったが、強い異変を感じ帰国後すぐに病院に行った。

 腎臓がん−。予想もしていなかった診断結果に言葉を失った。他の病院にセカンドオピニオンを求めたが、同じだった。自然と目から涙がこぼれ、両親に「こんな病気になってごめんね」と口にした。「死ぬのかな?」。その意識は脳裏から離れなかった。

 進行度はステージ1で「手術をすれば90%助かる」と医師に言われ、メスを入れた。10日間の入院中は「本当に生きていられるのか」と眠れない日々が続いた。

 リハビリを経て約1カ月で韓国ツアーに復帰した。「3カ月は休んでほしい」と医師や両親から言われたが、「ゴルフをしているのが幸せ」と自らの意思を貫いた。スイングをすると腹部に痛みは出たが、「やっぱり楽しい」と恐怖心をまぎらわすことができた。順調に回復し、16年7月には韓国ツアーで勝利した。

 同ツアーでは計4勝。世界で活躍する同年代の韓国選手のように、かつては米国挑戦を夢見た。だが、「病気になっていつ再発するかもわからない中で、韓国から遠い米国に行く選択肢はなかった」と断念。「日本なら近いし、挑戦してみたい」と、昨年末の最終予選会を4位で突破した。

 沖縄での日本デビュー戦は、通算6オーバー35位に終わった。「難しかったけど、楽しいツアー。これまでは結果を欲していたけど、今は結果よりもゴルフをできている喜びを感じる。昔は嫌いな人もいたけど、今はみんなと仲良くしたい。病気になって、色々考え方が変わった」と笑った。

 それでも再発への恐怖心はある。「この病気は5年経過しないと安心できない」。笑顔の裏で、見えない敵との戦いは続いている。

ゴルフダイジェスト・オンラインGDOニュース 2017年3月5日

「人生において重要な仕事」は厳格な締切設定によって達成される
 Crew blog:緩和ケア看護師のBonnie Wareさんが、人生に残された時間はあと数週間という患者さんたちに、「人生で最も後悔していることは何ですか」という質問をしたところ、次の5つが回答としてよく挙がりました。

・他人の期待に応える人生でなく、自分が本当に望む人生を歩む勇気をもつべきだった

・仕事をこんなに必死にするんじゃなかった

・自分の気持ちを表現する勇気を持つべきだった

・友人たちとのつながりを維持すべきだった

・もっと幸福感を感じられるようにすべきだった

 
上記の5つの後悔について、私は仕事をしながら考えてみました。

 私の毎日もご多分に漏れず緊急のことがたくさんありますが、その多くは、メール、会議、情報共有、電話などの些細な作業です。

 それはまるで金利の高いクレジットカードを完済しようとしているかのようで、身を粉にして働いてもほとんど焼け石に水の状態です。1週間を振り返り、自分が何か有意義なことを成し遂げたか思い出そうとしても、何1つ思い浮かびません。いったいどうしてこんなことになるのでしょうか。

 Evernote社CEOのフィル・リービンさんがスタンフォード大学で講演した際、まさにこの問題を取り上げて、人生において緊急なことと重要なことの識別の仕方について論じました。

 「緊急な作業」とは今すぐ対処が必要な作業のことです。

 たとえば、かかってきた電話を取る、締切が迫っている作業をするなど、素早い対応を要する状況にある作業のことです。メールの返信も、それをする必要がある場合は、通常は緊急作業です。

 「重要な作業」とは、長期的なミッションや目標に貢献する作業のことです。

 書きたい本を執筆する、プロモーションのために作成したいプレゼンを作成する、創業計画中の会社の設立準備をするなどがそれにあたります。

 問題は、普段は重要な作業より緊急な作業を優先させてしまうことです。1日24時間という限られた時間の中で、重要な作業のために時間を取り分けるにはどうしたら良いのでしょうか。

判断マトリックスを使って重要なことを見極める

 何が重要か見極める1つの方法は、アイゼンハワーの判断マトリックスを活用することです。

 

緊急

非緊急

重要度高

方針:今すぐ実行する

方針:いつやるか決める

 

実行する日時をスケジュールに入れる

例:
本日分の記事を書く

:
エクササイズをする
家族や友人に電話する
記事を調べる
長期的ビジネス戦略を立てる

重要度低

方針:他人に委任する

方針:ToDoリストから削除する

誰にやってもらうか決める

 

例:
面接をスケジュールする
フライトを予約する
コメントを承認する
特定のメールに返信する
記事を共有する

例:
テレビを見る
ソーシャルメディアをチェックする
ジャンクメールを整理する

アイゼンハワーの判断マトリックス。「重要なことが緊急であることはめったに無く、緊急なことが重要であることもめったに無い」とは、このマトリックスを編み出したアメリカ合衆国第34代大統領 ドワイト・D・アイゼンハワーの言。



 米陸軍元帥、第二次世界大戦下の欧州連合軍最高司令官、コロンビア大学学長、アメリカ合衆国大統領(2期連続)を歴任したドワイト・アイゼンハワーが編み出したこのシンプルな表は作業を4つのカテゴリーに分類しています。

 上段左の箱(重要かつ緊急)には、危機的事項、締切、問題を入れます。

 上段右の箱(重要だが緊急でない)には、人間関係、長期的プロジェクトの計画、リクリエーションが入ります。

 下段左の箱(重要でないが緊急)には、中断、会議、活動が入ります。

 下段右の箱(重要でも緊急でもない)には、時間の浪費になること、娯楽的活動、その他の些末な作業が入ります。

 重要でも緊急でもない作業は、簡単に削除できます。頭を悩ます必要もなければ、なるべく時間をかけたくないことだからです。 重要かつ緊急なことには、真っ先に取り組まなければならないことも明白です。

 では、残りの2つに関してはどのように優先順位をつけるべきでしょうか。そこが難しい点です。 ほとんどの人は自然と緊急な作業を先にしてしまいます。問題は、常に緊急な作業ばかりしていると、重要な作業はできなくなることです。緊急な作業は常に次から次へと出てきて、どれほど頑張っても、全部こなすには時間が足りません。 「○○は本当に重要なのに、今、それをする時間が無い」とつぶやいたことはありませんか? そうつぶやくたびに、重要な作業と緊急な作業の間でトレードオフをしているのです。

 時間は作るものだ。「時間が無い」と言うことは、「時間を作る気が無い」と言っているようなものだ。──老子

 明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。──ピカソ

本当にやるべき「重要な作業」を「緊急な作業」にする方法

 重要な作業を緊急にする最も簡単な方法は、締切を設定することです。 緊急な作業は締切があってこそ緊急になり、すぐにその作業をしなければならないということに他なりません。締切が無いと重要なこともまるで重要でなくなることがよくあります。そのうちにやろうというレベルのことに成り下がってしまうのです。

 たとえば、月末までに家賃を払わなければならないとしましょう。この場合は月末が締切です。その締切が近づくほど、支払いという作業はどんどん緊急性を増します。

 一方で、身体を鍛えるという目標があっても、それはまったく緊急ではありません。月末までにジムに行く必要があるでしょうか。多分違いますよね。 ですから、重要な仕事を成し遂げたいと思うなら最初にすべきことは、締切を設定することです。重要な仕事は細かい作業を山のようにたくさん伴うことが多く、締切を設定するには、細かい作業に分解してその1つ1つに締切を設定する必要があります。 私が好きなアプローチは、David Allen氏が自著『Getting Things Done』に書いている次の問いかけです。

 この作業を進めるには、次にどんな具体的な行動を取るべきだろうか?

 締切を設定する必要がある作業は、この問いかけの答えとなる作業です。 さて、いよいよ肝心かなめの部分に入ります。というのは、締め切りを設定するだけでは不十分だからです。

厳格な締切が必要な理由

 緊急な作業を緊急たらしめているもう1つの性質は、交渉の余地が無い厳格な締切がある点です。 その手の締切を守らないと、深刻な結果を招くことになります。

 たとえば、家賃の不払いがこれに当たります。まず大家に呼び出されて怒られるでしょう。社会的なプレッシャーに弱い人なら、これだけで期日にきちんと家賃を払うことになるはずです。そうしないと、最後は法廷に呼ばれて、追い出されることになります。これは、たいていの人にとって十分深刻な話です。 重要な作業の締切を設定する際の問題点は、その締切が自動的には厳しいものにならないことです。月末までにジムに行くこと、と設定して、その締切を守らなかったとしても、基本的に何ら困ることにはなりません。

 では、どうしたら締切りにもっと意味を持たせられるのでしょうか。そのコツをいくつかご紹介しましょう。

1. 公言する

 締切に厳しさを持たせる方法の1つは、そのことを公言することです。周囲に対して締切に関する報告責任が発生すると、自分をごまかしているだけでは済まなくなります。逆に言えば、締切の日を公言して設定すると、本当にそれを守った方がよくなることです。自分であまりにも野心的に設定してしまった締切の厳守を迫られるときのストレスのようなものは一切ありません。

2. 飴と鞭を設定する

締切の厳しさを増す別の方法としては、締切を守れたときのご褒美と守れなかったときのペナルティを設定することです。先にこうした飴と鞭を設定しておき、それを執行するのは自分以外の人にしましょう。たとえば、自分が大嫌いな政党宛てに2000ドルの小切手を書いて友人に託し、自分が締切を守れなかったときは、友人にその小切手をその政党に送ってもらうように頼んでおきます。

3.他人に説明責任を持たせる

 チームのメンバーなどの他人に締切の説明責任を持ってもらうには、あなたにとってその締切がどれほど重要かを相手に認識させることが大切です。あなたは締切破りは許せません。ということは、途中チェックしますし、締切が守られない場合は気まずいことも言うということです。これをしないと、当然のことながら、周囲はその締切がそこまであなたにとって重要だとわからないかもしれず、先延ばしや締切を守らない頻度がどんどん高くなるかもしれません。

4. 自分で着実なリマインダーを設定する

 着実なリマインダ―が無いと締切りを忘れてしまいがちです。緊急の作業だと、友人や配偶者がお尻を叩いてくれたりして、自然とリマインダーがくっついていることが多いものです。重要な作業に関しては、自分でリマインダーを設定しなければなりません。デスク周りにメモを貼る、スケジューラーにリマインダーをセットする、バスルームの鏡にメモを貼る、など、必要なことは何でもしてみましょう。

 いかがですか? ここにご紹介したことはものすごく大変そうでしょうか? 最初はそうかもしれません。でも、段々と楽になり、ストレスもそれほど感じなくなるはずです。 緊急の作業で丸1日を、丸1週間を、丸1年を、あるいは下手すると一生をバタバタ追われて終えてしまうかもしれません。しかし自分のエネルギーの大半は重要な仕事を達成するために注ぐべきであり、少なくとも人生の終わりに時間が無くてやり残したことを悔やむことが無いようにすべきでしょう。

Urgent vs important: The simplest way to stay productive and do the right work | Crew blog

Jory MacKay(訳:春野ユリ)

lifehacker 2017年3月7日

緩和ケアと言わずに緩和ケアをするために
 皆様こんにちは。川崎市立井田病院の西智弘です。

 病院では、緩和ケア・高齢者ケア・在宅ケア・地域連携を統合的に提供する「かわさき総合ケアセンター」に所属し、腫瘍内科/緩和ケア医として、がんの患者さんを中心に診療を行なっています。当センターは患者さんのQOLを維持するため、地域社会の中で身体から心までのケアを提供していくことを目的としています。

 私自身も家庭医を指向していることもあり、個人的にも様々な取り組みを行なっています。例えばカフェでがん患者さんとそのご家族、医療者が対話するという順天堂大の樋野興夫先生が提唱されている「がん哲学カフェ」を地域で実践しています。

 このたび、病院の仕事やそうした取り組みのほかに、川崎にて「暮らしの保健室」を中心とした事業を展開することを計画しています。その事業の立ち上げに際し、クラウドファンディングに挑戦しています。

[外部リンク]キャンプファイヤー:川崎市で、みんなのつながりをつくる「暮らしの保健室」を開きたい!

 是非、こちらをご覧いただいている医療者の方々にもご支援をいただければと思っていますが、川崎近郊の方でなければ、これに支援をする動機がわかないという方ももちろんいると思います。

 しかし、これは私としては「緩和ケア分野におけるひとつの研究」と位置付けていまして、得られる結果は、多くの先生方にも還元できるものと考えます。もちろん財団などに研究としての援助も今後依頼していく予定ですが、ひとつの「社会実験」として、日本の医療者の皆様からのご支援もいただきたいのです。

早期からの緩和ケアは、どのように実践が可能なのか?

 私が、今回の取り組みを「緩和ケア分野におけるひとつの研究」と位置付けるには理由があります。その大きなカギは「早期からの緩和ケア」にあります。

 2016年末に成立した改正がん対策基本法には、「がんと診断されたときからの緩和ケア」が明記されました。これを誰が提供すべきなのか?という議論もありますが、進行・再発癌に限った話で言えば、診断後早期から専門的緩和ケアサービスが介入していくことは、世界的にも数多くの検証がされ、概ね良好な結果が報告されています。ASCO(米国臨床腫瘍学会)でもそのガイドラインで、全ての癌種に対して入院中だけではなく外来でも「早期からの緩和ケア」を行っていくことを勧めています(1)。

 そういった流れの中、私は川崎市立井田病院において、他院で抗がん剤治療中の患者さんに外来で緩和ケアを提供するための「早期からの緩和ケア外来」を2015年8月に開設しました(2)。この取り組みは実際の患者さんから好評をいただくことも多かったものの、この外来を1年運営して私が抱いた思いは「この取り組みでは届かない患者さんがいる」ということでした。

緩和ケアにおける「レイヤー」を乗り越えるために

 「緩和ケアのレイヤー(層)理論」というのは、私自身が考え出した造語です。つまり、緩和ケアが提供されるそれぞれの層、具体的には「在宅」「病棟」「外来」において、患者群が異なるという事実です。それぞれの間には少なからず「壁」があります。「病棟」しか見ていなければ、外来→在宅という流れの患者さんを目にすることはありませんし、その患者さんの「緩和ケア病棟にだけは行きたくない」という声を聴くこともありません。逆に、在宅だけを見ていれば、「絶対に家には帰りたくない」という患者さんの声を聴くこともないでしょう。

 このように、「診断時からの緩和ケア」と一言で言っても、そこから終末期に至るまでには様々なレイヤーに分かれており、その境界を越えられない患者さんは、他のレイヤーで働いている医療者には見えていないだけで、実際にはたくさんいるのです。

 まして健康診断で「がんの疑い」と言われ、精密検査の結果を待つまでの不安に対するケアなどに至っては、法律でもカバーされない領域なわけです。

 私は、このレイヤーを少しでも無くすことができるよう、前述の「早期からの緩和ケア外来」や「緩和ケア病棟から訪問診療に行ける仕組み」そして「エンベデッド緩和ケアモデル」と呼ばれる、腫瘍内科と緩和ケアが完全に統合された診療システムを構築してきましたが、それでも届かない患者さんが多数いるのです(3)。

緩和ケアという言葉を使わずに緩和ケアをする

 その結果として、私が考えたのが「暮らしの保健室を拠点とした地域緩和ケアチームの設立」です。既存の「暮らしの保健室」の仕組みとは異なり、拠点を構えて「相談者を待つ」だけではなく、地域の中に積極的に入っていき、その中からの緩和ケアニーズを掘り起こすという仕組みです。

 前述のような「がんと診断される前の不安」に対応することもできますし、診療報酬などにとらわれないチームなので、看護師が患者さんに付き添って病院へ行き、医師とのコミュニケーションのサポートや、意思決定支援、精神的ケアなども行います。必要な医療介護資源と患者さんや家族をつなぐ、医療コーディネーターとしての役割もそうですが、よりインフォーマルなソーシャルキャピタルと患者さん・家族をつなぐことでQOLの向上を目指す「社会的処方(Social Prescribing)」も行います。

 これまでの医療や緩和ケアの枠を越え、医療者と市民が気軽に、そして緩やかなつながりを持つことができる仕組みの構築を考えています。

 こういった取り組みを通じて、大きな病気に診断される前から、そして診断されたのちも、住民に積極的に関わって地域全体をケアしていくことが「緩和ケアという言葉を使わずに緩和ケアをする」、つまり専門的緩和ケアサービスをわざわざ医療機関に赴いて利用しなくても、早期からの緩和ケアを受けたことと同等のアウトカムが得られるのではないかと予想しています。

早期からの緩和ケアの本質

 早期からの緩和ケアの本質とは、「つながりの再構築」にあるのではないかと私は仮定しています。これまでのがん治療の軌跡は断絶の連続でしたが、早期からの緩和ケアが入ることでその断絶を和らげ、人生に向き合っていけるのではないかと考えます。

 そのためには、医師だけでも看護師だけでも限界があり(4)、それら職種がチームを組んで、早期から関わっていくことが必要と考えています。

 今回の私たちの取り組みが評価されれば、多くの患者さんにとって希望の一つとなることが予測されます。この取り組みについては学会や学術誌でも発表をしたいと考えています。もちろん、現時点では仮説の積み重ねが多い点や、費用対効果の面の検討が甘いといった要素もあります。その点についても、今後活動を続けていく中で量的に評価を行い、発表と修正を行っていく予定です。

 ぜひこの「研究」に、皆様のご支援を頂けると嬉しく存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

(参考文献)
1)Ferrell BR, et al. Integration of Palliative Care Into Standard Oncology Care: American Society of Clinical Oncology Clinical Practice Guideline Update. J Clin Oncol. 2017;35: 96-112.
2)西智弘, ら. 早期からの緩和ケア外来の実践に関する後方視的研究. Palliative Care Research. 2017; 12: 901-905.
3)Hui D, et al. Models of integration of oncology and palliative care. Ann Palliat Med. 2015; 4: 89-98.
4)Bakitas M, et al. The project ENABLE II randomized controlled trial to improve palliative care for rural patients with advanced cancer: baseline findings, methodological challenges, and solutions. Palliat Support Care. 2009; 7: 75-86.

西 智弘(にし ともひろ)

川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科/緩和ケア内科 医師

2005年北海道大学卒。室蘭、川崎で家庭医療、内科、緩和ケアを研修後、2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科。2012年から現職。緩和ケア、抗がん剤治療や在宅医療に携わる。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。

医心の声 2017年3月10日

末期がん患者にもウオーキングを
「生活の質」が改善、気持ち前向きに
 ウオーキングにがんの予防効果があることは知られているが、末期がんの患者の「生活の質」(quality of life、QOL)を改善し、前向きに生きる気持ちを高めることに役立つことが明らかになった。

 英のサリー大学とロンドン大学の合同研究チームが英医師会誌「BMJオープン」(電子版)の2017年3月号に発表した。

ウオーキングは13種類のがんの発症リスクを下げる

 「生活の質」の改善とは、患者の身体的な苦痛を取り除くだけでなく、精神的、社会的活動を含めた総合的な活力、生きがい、満足度を高める意味がある。がん治療を受けている患者は、病気の進行に伴う体調不良に加え、抗がん剤の副作用や手術後の機能低下に悩むことが多い。その中で、いかに自分らしく前向きに生活をするかが、「生活の質」の向上だ。

 ウオーキングに関しては、最近、がん予防で驚くような効果があることが明らかになっている。たとえば、米国立がん研究所・同衛生研究所・米国がん学会の合同チームが、2016年5月に「ウオーキングなどの運動を習慣にすると、13種類ものがんの発症リスクが下がる」という研究を発表した。144万人の大規模な健康調査の分析からわかった。それによると、ウオーキングなどの運動を週に5日以上行っている人は、ほとんど行なわない人に比べ、がん全体の発症リスクが7%低くなった。具体的に13種類のがんの発症リスクの低減を効果が大きい順から示すと次のとおりだ。

(1) 食道がん(42%)
(2) 肝臓がん(27%)
(3) 肺がん(26%)
(4) 腎臓がん(23%)
(5) 胃がん(22%)
(6) 子宮体がん(21%)
(7) 骨髄性白血病(20%)
(8) 骨髄腫(17%)
(9) 結腸がん(16%)
(10) 頭脛部がん(15%)
(11) 直腸がん(13%) (12) 膀胱がん(13%) (13) 乳がん(10%)

 なぜ、ウオーキングががんの発症リスクをこれほど下げるかというと、運動をすると血糖値が下がるので、がん発症の一因となる「インスリン値の乱れ」が正常になる。また、運動にはがん細胞の発生を誘発する「活性酸素」を除去する働きがあり、体全体の免疫機能を高める効果があるからだ。

「ソファーに座るだけだった私が、外に出たくてたまらない」

 さて、「BMJオープン」誌の論文によると、研究チームはウオーキングが、がんがかなり進行した患者の「生活の質」の改善にも効果があるかどうか調べた。これまで末期がんの患者の運動効果を調べた研究はほとんどないという。再発・転移性の乳がん、前立腺がん、胃がん、結腸がん、子宮体がん、血液がんなど65歳以上の患者42人の協力を得て、次の2つのグループに分けた。

(1)少なくても一日おきに30分以上のウオーキングをすることを24週間続ける19人。また、毎週1回、ボランティアがウオーキングを指導するグループ講習会に参加する。

(2)通常の身体機能維持の治療・療法を24週間続ける23人。

 参加者全員には毎週1回、インタビューを行ない、体調、食欲、気分、幸福度、満足度、不安など「生活の質」に関する質問をした。調査期間中に病状が悪化して2人が死亡、2人が参加できなくなった。その結果、ウオーキングの患者の方が様々な項目で「生活の質」が明らかに向上した。それまで、1日に数分間しか歩けなかったのに、2〜3時間も歩く人が出た。歩数計の数字が伸びるのがうれしくなり、菓子や糖分を多く摂(と)る食生活を改め、やせる人もいた。ウオーキング組12人のうち9人が「歩いてよかった」と答えた。見舞いに来た家族や知人と一緒に歩くようになった女性は研究者のインタビューにこう語った。

「ソファーに座ることしかなかった私が、外に出たくてたまらなくなるなんてびっくりです」

 研究者たちにとって「うれしい誤算」も出た。ウオーキング効果の比較対照のためだった「歩かない」グループの人の中に、ウオーキングの人々を見習って歩き始める人が出たのだ。このため、研究の「有効性」の数値が揺らぐ結果となった。いずれにしろ、ウオーキングが末期がん患者に希望を与える効果があることは確かで、研究チームは論文の中で「ウオーキングはタダで、いつでもできる運動です。進行がんの患者にも勧めていきたい」とコメントしている。

がん治療中に運動すると、化学療法の効果が上がる

 日本の医療関係者もがん患者にウオーキングを勧めている。一般社団法人「あきらめないがん治療ネットワーク」のウェブサイト「がん治療中・治療後の生活の質(QOL)を高める運動療法」では、ウオーキングの重要性をこう説明している(要約抜粋)。

「がん治療を受けるために、安静にして体力を温存しなければならない場合もあります。しかし、近年の国内外の研究により、がん治療中や治療後の患者さんも適度な運動を行うことで、体の代謝が活発になって免疫機能が高まり、ストレスが減るため、QOLを高めることがわかってきました」

「つらい治療を受けていると、気持ちが落ち込みがちになります。そして不活発になり、体力が低下する悪循環になります。治療を受けるためにも運動は必要です。米国がん学会のガイドラインでも、がん治療中に運動すると、化学療法の完了率が上昇することが報告されています。治療の面でもいい効果を及ぼします。治療前に運動をしていた人はぜひ再開しましょう。がんになる前に運動習慣のなかった人は、これを機に運動を生活習慣にしましょう」

 ところで、がん患者が運動をする場合、どんな点に注意したらよいだろうか。国立がん研究センター・がん対策情報センターが発行した小冊子「がん療養とリハビリテーション」(ウェブサイト上でも公開)では、ウオーキングやエアロバイクなどの有酸素運動1回20〜30分間を週3〜5回、ストレッチなどの軽い筋肉トレーニングを合わせて行なうことを推奨している。その際、次のような場合は、注意することが必要だと指摘している。

(1)貧血が強い場合。貧血が良くなるまで、日常生活以外の運動は控える。

(2)免疫機能が低下している場合。白血球数が安全なレベルに回復するまで、スポーツジムや多くの人が集まる場所に行くのを控える。

(3)放射線治療を受けている場合。プールで塩素に触れると皮膚症状が起こる恐れがあるので水泳は避ける。

(4)カテーテルを留置している場合。感染を起こす可能性がある水中や細菌で汚染した場所での運動を避ける。また、運動中にカテーテルがはずれないように注意する。

 (3)と(4)は主に水泳を行なう場合の注意点だ。(2)も人があまりいない場所なら心配は少ない。いかにウオーキングが有効な運動かわかるだろう。

J-CASTニュース 2017年3月12日

「自分らしい最期を」
終末期医療、ノートで希望共有
 人生の最期に、希望する医療や介護を受けたい−。こうした思いを受け止めようという動きが群馬県内の医療機関を中心に広がっている。終末期医療に臨む患者だけでなく、家族や医療従事者らも交えて話し合い、その方法を一つの書面にまとめる。法的拘束力はないものの、本人の意思を尊重できる一助になると関係者は普及に力を入れている。

 今月10日、西毛地域の医療・介護従事者約40人が公立富岡総合病院(富岡市富岡)に集まった。「人生の最終期」に医療を受ける患者の希望を共有するための「想いをつなぐノート」の現場への導入や活用を話し合うためだ。

 病院が作成したB5判のノートには、病名告知や延命治療について患者の意思を書き込む。希望する方法のチェック項目の下に話し合った内容を記す。患者と家族、医療・介護従事者との対話で意思決定することを重要視している。 佐藤尚文院長は、患者のみで作った生前指示は、本人が意思表示できなくなると「家族の『生かしたい』という意向に押され反映できることが少なかった」と指摘。ケアに関わる地域の人を巻き込んだ計画作成の重要性を説く。

 西毛地域は高齢者を支援する従事者同士がよく顔を合わせ、都市部と比べて取り組みやすいという。ノートは4月から希望する高齢者施設などに配布する。佐藤院長は「高齢化が進むのに伴い、必要性は上がってくるだろう。5年後には当たり前になっていることを願う」と期待する。

 自治体と医療関係者との連携も始まった。前橋市や市医師会などは、人生の最期に希望する医療や介護の方法を自分で記入する「事前指示書」の共通書式化を目指し、このほど完成した。2万部印刷し、近く市内の医療機関などで無料配布する。

 指示書は「私の人生ノート」という題名をつけた小冊子。介護が必要になった際に施設で暮らしたいかや、積極的に延命治療を受けたいかなどを選ぶ。法的拘束力はないが、医師らは内容を尊重して対応するという。

 市と市医師会、市内の医療機関など計10機関が参加するワーキンググループが作成した。4日に市内で披露され、グループ班長で市医師会理事の下田髢轤ウんは「オール前橋で作ることができた。普及に向け協力してほしい」と呼び掛けた。

上毛新聞ニュース 2017年3月20日

「多死社会」時代に死を学ぶ
終末期に胃ろうは必要か?
 口から食べられなくなった患者さんのお腹に穴を開け、カテーテルを通して直接栄養剤を送る「胃ろう」。一度つけたらなかなか取り外せない、意識もなく、ただ生きているだけの患者さんをつくるだけ、などの批判がある。医療現場でも賛否の声が上がる。

 その医療コストは、病院施設か在宅かによって開きがあるが、自己負担金は大ざっぱにひと月4万〜6万円である。

「胃ろうを一時的につけることで元気になる人もいる。そういう人は大いに活用すればいい。しかし、高齢者がつけると寝返りも打てず、黙ってじっと横たわっているだけ。病院にはそうした高齢者が20万〜30万人いるといわれています。終末期の高齢者に、こうした過剰な延命医療を施すことは、本人にとって、果たして幸せなことでしょうか。むしろ、本人を苦しめることにならないか。私はもっと自然に、安らかな死を迎えさせてあげたいと、早くから『平穏死』を提言してきました」

 こう言うのは特別養護老人ホーム「芦花ホーム」(東京・世田谷)の石飛幸三常勤医師だ。

 石飛医師は血管外科医としてドイツの病院や「東京都済生会中央病院」(退職時、副院長)で長年、患者を治療してきた。現在の「芦花ホーム」の常勤になって12年を迎えるが、現在も毎日、老衰の胃ろう患者と向き合っているという。

「芦花ホームに、胃ろうをつけた80代の女性が入居してきました。息子さんの希望もあって、このおばあちゃんから胃ろうを外しました。息子さんはすぐに亡くなると思ったようですが、それから3年生きて、その後、安らかにお亡くなりになりました」

 医師は患者を治療し、1日も長生きさせることが第一の使命である。胃ろうもそのための治療のひとつだ。だが、「人生最終章の医療判断として、何を選択することが本人にとって最も幸せか、その心も考えるべきではないでしょうか」と石飛医師は言う。

■取り外すことで元気になるケースも

 93歳の女性がホームに入居してきた。病院に入院中に胃ろうをつけられ、十数種類の薬を処方されていた。

「私は、その十数種類の薬をすべてやめさせました。それで、口から少しずつ食事を与えました。すると、意識が戻ってきたのです。まあよくしゃべられるようになりました」

 都市部の総合病院に、くも膜下出血で入院したAさん(82)は、胃ろうを装置したまま、もう5年が経過している。意識はない。

 毎日のように2人の子供が見舞いに来ているが、胃ろうをつけるときに子供たちの間で意見が割れた。50代の長男は、医療費の負担も考慮して、病院に「胃ろうは必要ありません」と訴えた。ところが長女は、「母を見殺しにはできない。絶対に胃ろうをつけて!」と泣きながら長男と病院側に懇願した。胃ろうをつけても、母親が元気を取り戻す確率は1%もないことは分かっているのにだ。

 子供たちの存在さえ分からず、大きく口を開け、寝たきりの母親を見ながら、長男は「生きるとは、どういうことでしょうか」と、自問自答を繰り返している。

日刊ゲンダイDIGITAL 2017年3月20日

子宮頸がんと闘った女性、自分の命を犠牲にしながら双子を出産
 カリフォルニア州フレズノ出身のジェイミー・スナイダーさん(30歳)は、双子を妊娠している時に、子宮頸がんの再発がわかった。

 スナイダーさんには2歳の娘がいる。以前にも子宮頸がんを発症したが、治療を受けて克服した。

 その時の治療で、スナイダーさんは卵巣を一つ取り除かなければいけなかった。しかしその後、スナイダーさんは新しい命を授かることができた。

 ところが喜びもつかの間、妊娠直後に子宮頸がんが再発していることが明らかになった。

 妊娠しながらのがん治療は難しい。化学療法が、お腹の赤ちゃんに影響を与える可能性があるからだ。スナイダーさんはスタンフォード大学メディカル・ケア・センターで、子供に影響がないよう慎重に化学療法を受けた。

 スナイダーさんのきょうだい、クリス・スナイダーさんは、治療の様子をサンフランシスコのテレビ局KGO-TVのインタビューでこう語っている。

「胎児の成長に影響を与えないよう、化学療法を抑えざるをえませんでした。彼女は赤ちゃんの命が失われないよう、とても気をつけていました。自分の命と赤ちゃんの命を引き換えにしたのです」

 厳しい状況での治療だったが、赤ちゃんを帝王切開で産む直前、スナイダーさんは医師から、再びがんを克服したと告げられた。

 そして3月16日、スナイダーさんは双子のカミラとニコを産んだ。

 妊娠33週で生まれた赤ちゃんは、3.5ポンド(約1590グラム)の未熟児だったが、健康状態に問題はなかった。新たに2人の子供の母親になったスナイダーさんは喜びにあふれていた、とニュースサイト「インサイド・エディション」が伝えている。

 子宮頸がんの可能性を取り除くため、スナイダーさんは赤ちゃんを産んだ後に子宮を全摘出する手術を受けた。

 しかし出産し子宮を取り除いた翌日、スナイダーさんは亡くなった。原因は心不全だった。

 「我が子の顔を見ることができ、彼らをほんの少しだけでも抱けたことが、せめてもの救いです」と、スナイダーさんの友人ロリーナ・カンパニーレさんがKGO-TVのインタビューで答えている。

 双子の赤ちゃんはすでに退院して、今はフレズノにあるスナイダーさんの実家にいる。移動できるくらい大きくなったら、父親と姉の住むニューハンプシャー州に行く予定だとフレズノ・ビー紙は伝えている。

 がんと闘いながら、なによりも赤ちゃんの命を優先させたスナイダーさん。彼女のお別れ会が、3月30日にフレズノで開かれる。彼女の友人や知人が、スナイダーさんの家族を助けるための費用や、お別れ会を開くための費用を、クラウドファンディングサイト「Gofundme」で募っている。

 ハフィントンポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。

Huffpost Japan 2017年3月27日

ステージ4のがん患者が、死をあえてシュミレーションして分かったこと
広林依子 デザイナー、ステージ4の乳がん患者

 デザイナーの広林依子と申します。私は現在29歳の、ごく普通の女性で、独身です。友達とカフェでワイワイ話したり、おしゃれを楽しんだり、ときには海外旅行に出かけたりしている普通の生活を送っています。他の人と違うのは、3年前の26歳のときに乳がんを宣告され、そのときすでに骨に転移しており、それからステージ4のがん患者人生を送っていることです。

 このブログでは、デザイナーの私が考えた、【ステージ4のがん患者のライフデザイン】の1例を紹介していきます。今回はがん患者が最悪の状況と向き合うことについて書いてみます。

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・最悪の状況をシュミレーションすると、いいことしか起こらない

 ステージ4のがんは、現代医療では完治が難しいといわれています。そのため、ステージ4と診断された人は、死に対する恐怖で絶望的な気持ちになってしまうことも多いです。私自身も、"生きている限り永遠に治療しなければならない"という現実は、非常に重いものでした。

 乳がんになって1年経った頃、経営者の卵の友人から、ある課題解決メソッドを教えてもらいました。それは「課題に取り組むときは、あえて起こりうる一番最悪のケースを具体的にシュミレーションするといい。すると最悪よりはいいことしか起こらない」というものです。

 この話を聞いて、私は「ステージ4のがん」という課題解決に取り組むにあたっての最悪のケースを考えてみました。

 言うまでもなく、最悪のケースとは【死】です。だから、死をあえて具体的にシュミレーションするようになりました。もちろん、最悪の状況をシュミレーションするというのは、非常にメンタルを使う作業です。死を想像する気力が満たないときや、死を考えたくない人にはおすすめできません。

 一番最悪のケースは死。死をイメージしていれば、死ぬよりはいいことしか起こらない。そう考えていくと、死にもいろんなメリットがあるのかもしれない......。そこで私は、死について視点を変えて前向きに考えてみることにしました。

・死にもメリットはある

 そもそも死ぬということは、暗くて可哀想というイメージなのでしょうか?普通に暮らしていると、そういう価値観が一般的なように感じますが、本当にそうなのでしょうか?

 まず、死ぬ状況が近いことのメリットを挙げてみることにしました。意外と沢山思い浮かびます。

・将来の年金を気にしなくていい

・老後の貯金をしなくていい

・未来への不安がない

・病気の痛みや苦しみから解放される

・リスクを恐れず本当にやりたいことにチャレンジできる

・余計なしがらみを一切気にしなくていい

・やりたい仕事だけしているので早起きしなくていい

・遊びたいときに遊ぶことに抵抗を感じなくていい

 病気の苦しみから解放されること、やりたいことに集中できること、人間関係の悩みを気にしなくていいこと、日本の社会で生きる不安を気にしなくていいこと......。逆の発想をすれば、将来を悲観するのではなく、「今」を大切に生きていくことができるのではないかと思えました。

・最悪の状況と、本気で向き合って分かったこと

 もちろん、自分が死んだら親や友達は苦しむことになります。実際に、すでに同病の友人が何人か亡くなっており、その時は非常に心が引き裂かれるような思いになり、かなりの時間引きずりました。

 【さくらさん】というTwitterで知り合った同病の女の子と、彼女が亡くなる1カ月前まで、私が背骨を骨折して辛かったときや彼女が輸血で苦しんでいたときに、励まし合っていました。お互いに、治療に前向きに取り組む心の支えにしていたのです。

 彼女は厳しい治療にも明るく向き合い、好きなゲームなどで適度に息抜きをしながら、読んだ人が優しい気持ちになれるような闘病記録を発信し続けていました。ツイートからも人柄の良さがにじみ出ていて、周りの家族や友人への感謝への気持ちを言葉にできる、非常に前向きで心優しい女性でした。私が辛い気持ちを吐き出したときも、彼女だから言える心からの「頑張ってくださいね!」という言葉をかけてくれ、痛くても頑張ろうと思えたのです。

 しかし、1カ月ほど連絡が途絶えたので、どうしたのかとメッセージを送ったら、お父様からお亡くなりになったとのご連絡をいただきました。その後、お父様のSNSを見ていると、娘を思うあまり、ずっと悲しみに暮れている姿やお言葉を沢山拝見し、胸が締め付けられるような思いがしました。

 彼女の死後、「すこしでも彼女が生きていたことを感じたい......」と桜の木の下に埋める樹木葬を行ったり、彼女が愛用していた椅子と向き合って乾杯してお酒を飲んだりされています。本当に娘を愛していた様子が伝わってきます。

 「もし、私が彼女の立場になった時、家族や友人は同じような思いになるのだろうか......」と考えると、本当に心が締め付けられる思いがして、涙が出そうになりました。きっと私の家族や友人も悲しむでしょう。

 私自身も、決してまだ死にたいわけではありません。本当は、デザイナーとして、女性として、もっともっとやりたかったこともあります。デザイナーとして羽ばたいて沢山の作品を発表したかったし、結婚だってしたかったし、子供だって産みたかった----。

 それでも、デザイナーである自分の目線で考えれば、「死には意外といいこともある」と思えました。

・作れば作るほど、私という"生"は生き続ける

 2015年あるイベントで、京都の有名寺院の僧侶の方とお話する機会がありました。その時に、私は「死が近い生き方を、どう捉えていけばいいのでしょうか?」と率直にご相談したのです。

 すると僧侶の方は、とてもいい仏教の考え方を教えてくれました。

 「死というのは、貴方を知っている人が全員死なない限り、本当の意味では死んだことにはならない。歴史上の人物も、そういう観点ではまだ生きていると捉えられる。そして現世で行った努力や活動は無駄にはならず、来世に何らかの形で引き継がれ、無駄にはならない」とお話してくれました。

 ということは、「私が何かを発信し続けて残していけば、その分私を知る人が増え、観念的には"生き続ける"ことになるのでは」と思いました。

 これはクリエイター冥利に尽きる考え方だなと感じました。「作れば作るほど、私は"生"を延長できる可能性がある。肉体があるないの問題ではないのではないか?」そう思えるようにもなったのです。

 最悪の状況である自分の死と向き合ったことで、生の可能性にも触れることができたのです。もちろん死にたくはないけれど、死ぬことに対する強烈な恐怖は取り去ることができました。

 考え方、気持ちの持ちよう一つではないでしょうか。

 日本人は外国とくらべて、死をタブー視する傾向が強いといわれていますが、その割に死に対する教育はあまりなされていないと思います。ですが、死と向き合うことは生きることと向き合うことではないでしょうか。

 死と向き合ったから、私は今を生きることに向き合えています。本当に好きなことに自分の時間を使えています。大好きな美術館に行ったり、ニューヨークへ旅行に出かけたり、着物を着てお茶の時間を楽しんだり、大切な人と自分の好きな時間を過ごせています。死にも意外といいことはあるのです。

広林依子さんをTwitterでフォローする: www.twitter.com/yoriko_hiro1111

Huffpost Japan 2017年4月6日

ドクター元ちゃんの僕の話を聞いてみまっし!
第6回:緩和ケアを考える
 がんと診断されるとどうしても「がん=死」、もしくは「がん=痛み」という意識が先走り、がんの患者には緩和ケアが必要という文脈で考えがちです。それでは「緩和」とはなんでしょうか? 国語辞典では『厳しさや激しさの程度を和らげること、もしくは和らぐこと』と定義されています。

 従来、緩和ケアというとがんの病状が進んで痛みなどが出た後、もしくはできる治療が全て終わった後の症状コントロールのように使われていました。それが最近では、がんと診断された段階から始まるがんに付随したさまざまなことに対処することが緩和ケアといわれています。

 しかしながら、がんと一口に言っても対処すべき事柄は多彩であり、がん側の要因(種類、部位、程度など)と患者側の要因(年齢・性、家庭・社会的背景など客観的に評価できる因子と、身体および精神面のどちらかというと患者の主観的因子)の組み合わせ、それに治療の状況と経過を考える必要があります。対処する側は、これらさまざまな要素を踏まえた上で介入していく必要があると思います。

本当に必要なケアとは?

 それでは緩和ケアとはどんなことを指すのでしょうか。

 国立がん研究センターがん対策情報センターが制作した『患者必携 がんになったら手にとるガイド』では、

 「がんと診断されたときには、ひどく落ち込んだり、不安で眠れないこともあるかもしれません。治療の間には食欲がなくなったり、痛みが強いことがあるかもしれません。『つらさを和らげる』という緩和ケアの考え方を、診断されて間もない時期から取り入れることで、こうしたつらい症状を緩和しながら日々の生活を送ることができます。(中略)痛みや吐き気、食欲不振、だるさ、気分の落ち込み、孤独感を軽くすること、自分らしさを保つことや、生活スタイルの確保など、緩和ケアではそれぞれの患者さんの生活が保たれるように、医学的な側面に限らず、幅広い対応をしていきます。」

と書かれています。

 この文章に書かれていることを額面通りに行うことができれば、何も問題はありません。ただし当然ながら、こうしたことを実践できる環境であることが前提ですが、その上で患者にとって本当に必要なケアをコミュニケーションの中でいかに探っていくか、緩和ケアはこのことにかかっているといっても過言ではありません。

 現状そして今後の展開の予測だけでなく、過去そして当然ながら人となりなどを把握することが重要です。もしかしたら本人になりきらないと本当の意味での緩和ケアは不可能なのかもしれません。一般的な患者は医学的知識が十分とはいえないので、医療者からの緩和ケアに関するさまざまなアドバイスは非常に重要だと思います。ただ、知識を補っているだけで緩和ケアを実践していると勘違いしているように見受けられる医療者もいるのではないでしょうか? 患者によっては、病院関係者のみならず家族、友人、各種社会サービスによる支援が必要なケースも当然あるでしょう。

 一方で社会的、生活的観点では医療者がこれでいいと思っているからといって、患者が同じでいいとは限りません。がん患者は心理的に疎外感、排他的、自虐的な感情を持っており、さらに相手に完全に理解されないと思っているような気がします。もし"相手の全てを理解できる"という医療者がいるとすれば非常におこがましいと思います。相手がある意味命がけであるということを考えると、その後の信頼感の在り方にもつながるので、「相手の全てを・・・」などとは少なくとも軽々しく口にすることではないと思います。ただ理解しようという態度は重要だと思いますが・・・。

実際に患者として受けた支援

 それでは実際に、どのように対応することが重要なのでしょうか?自分自身ががんと診断されてから身体的、精神的につらかったことを振り返り、それまでがんと分かる前に医療者として考えていたこと、実践してきたこと(医)、と今回患者となって見えたこと、経験したこと(患)を比較して、緩和ケアを含めてどのような支援があれば良かったかを検証してみたいと思います(ただし自分自身が医療者ということで、一般の患者さんとの違いが前提にあることはご容赦ください)。

◇まずはがんと診断されたとき

(医)患者は多分、死ということで頭がいっぱいになるだろう

(患)(時間的に余裕のあることが理解できるため)まずは事務的なこと、いろいろなことを伝えるだけで頭がいっぱいになる

◇症状

(医)症状があればそれに対応

(患)貧血などを含め医療者にお任せ

◇治療方針の決定

(医)インフォームド・コンセントを含めて医療者のさまざまなアドバイスが必要

(患)知識があったため医師の提案通りに進む

◇治療に付随する事務的なことなど

(医)適時対応・・・患者ごとに対応が異なるためか受け身の対応が多い

(患)はっきり言って医療者である自分でも分からないことが多く、とても効率的に動けたとはいえない。治療費の問題も絡んでいるため、精神的なストレスになることもありうるため注意を要する
◇抗がん薬治療

(医)薬剤師、看護師、栄養士による支援が必要

(患)医療者によるさまざまな支援に加えて、視点が異なる家族、友人の支援が非常に役立った

◇手術、ならびに術前・術後

(医)多職種による支援が必要

(患)多職種による支援が有効。ただし、支援をしてもらいたいときに即支援してもらえないと、いろいろなことが積み重なりうっ積してしまい、かなり気分的に落ち込む可能性がある。特にICU在室中など先が見えないときには医療者、家族以外の友人なども含め多数で介入してくれることで安心感につながった。また、医療者でありながらうまく痛みや精神的な状況を言葉として伝えることの難しさを実感。この点をどう医療者が捉えてくれるか期待したい

◇治療がうまくいかず先が見えなくなったとき

(医)症状に応じて医療職、場合によっては精神科医が関わる

(患)精神的なストレスと身体的な症状がつながっていることも実感。単にそれぞれの症状に投薬で対処するだけでなく、時間も含めて集学的な対処の重要性を経験。その中で何か実現可能そうな目標を設定して、それに向かうことも有効であることを実感する

◇医療というより生活に近いところでのアドバイス

(医)医療職ごとに対応するも各人の経験により差がある

(患)医療者以外に家族、友人ならびに経験者からのアドバイスが非常に有効。逆に医療者へフィードバックしたことも多々あり

 現時点で書けるのはここまでです。これ以上を想像で書くと事実と異なっていく可能性もあるのでやめておこうと思います。後日この先を経験した段階で、また筆を持ちたいと思います。

これから必要な支援は?

 がん患者としての人生を旅に当てはめると、現時点は後半の道半ばぐらいにいるような気がしています。ただ、今までは装備も十分で、気力と体力が結構ある中での道中でしたが、これからは道も険しくなり、疲れも目立ってくると思います。治療方針の変更、さまざまな症状、そして人生の終わりに向けての準備など、いろいろな節目と経過という山や谷も待ち受けています。その中で、周囲からの緩和ケアなどの支援があると、後悔のないゴールにたどり着けるような気がしています。

西村 元一(にしむら・げんいち)

1958年金沢市生まれ。1983年金沢大学医学部卒。同大学病院や富山県立中央病院などを経て、2008年金沢赤十字病院消化器病センター第一外科部長、2009年から同院副院長を兼務。2015年3月に進行胃がんが見つかり、闘病しながら精力的に啓発活動を続けている。がん患者や医療者が集う「がんとむきあう会」代表。ブルーリボンキャンペーン・アンバサダー。


MedicalTribune 2017年4月7日

終末期の鎮静をめぐる新しい局面

森田 達也(聖隷三方原病院 副院長・緩和支持治療科部長


 この20年,徐々にではあるが確実に,安楽死(euthanasia)または医師による自殺ほう助(physician-assisted suicide;PAS)を合法化する国や地域が増えている1)。米国オレゴン州1997年,オランダ・ベルギー 2002年,米国ワシントン州2009年,米国モンタナ州2009年,ルクセンブルク2009年,米国バーモント州2013年,カナダケベック州2014年,コロンビア2015年,米国カリフォルニア州2016年,カナダ2016年(施行)。豪ビクトリア州でも,今年後半に法案提出の動きがある。

 安楽死とは,患者の希望に従って医師が麻酔薬(通常はバルビツール酸系薬)で患者を昏睡に導いた後に筋弛緩薬で死をもたらすことを指す。PASとは,患者の求めに応じて,致死量の薬物(通常は10 g程度のバルビツール酸系薬)を医師が処方することを言い,実際に使用するかどうかは患者に任せられる。実際に服用する患者もいるし,お守りのように持っていて結果的には服用せずにホスピスケアを受けて亡くなる方もいる。

 いずれも「明確な患者の要請に応じて」であって,日本での「安楽死事件」のように患者の希望があいまいな場合は安楽死やPASには該当しない。また,延命治療の中止を消極的安楽死と表現している文献も散見されるが,国際的には治療の差し控え・中止(withholding/withdrawal of life-sustaining treatment)であって,安楽死ではない。多くの国において患者の要請に従った延命治療の中止は合法であるとの立法化がなされてきた。アジアでは台湾が2000年に,韓国が2016年に法制化している。

緩和ケアでも取れない苦痛――取り得る3つの選択肢

 世界に広がる安楽死・PAS――この事実は何を意味しているのか? 1967年開設の英国セントクリストファーホスピスが近代ホスピスの実践的基盤を作り上げ,1970年代にかけて世界中に広がった。今や緩和ケア・ホスピスケア・在宅ケアが世界中で実践されているにもかかわらず,安楽死とPASが立法化されるのはどうしてだろうか。

 最も明快な回答は,「緩和ケアでは取れない苦痛がある(多くはないとしても)」――これに尽きる。「疼痛は90%緩和できる」とは「痛みの10%は緩和できない」ということだ。痛み以外の身体的苦痛,例えば,呼吸困難については有効な緩和治療が明確にされていない。寝たきりで排泄の世話を人にしてもらうことは尊厳がない,人生で価値を置いていたことができず楽しみがない,自分のことが自分で決められなくなるのは自分ではない──こうした精神的苦痛は,最も適切だと考えられる緩和ケアを受けたとしても生じることを日本を含む世界中の実証研究が示している2, 3)。

 では,緩和できない苦痛に対して私たちは何を選択し得るのだろうか。おおよそあり得る回答は,@安楽死やPASのように患者の生命を終わらせることで苦痛をなくす,A鎮静(セデーション)によって患者の意識を低下させて苦痛を感じなくする,B苦痛を受け入れて過ごせるように支援する,の3通りである。3つ目はわかりにくいかもしれないが,例えば,生きている意味がないといった精神的苦痛は,もともと人間が終末期だけではなく持ち得る根源的な苦悩なので,医学介入によって対応しようとすることが間違っているという主張に代表される。現在のところ,日本国内で合法的であると考えられる選択肢は,後2者である。

最終手段としての鎮静

 本格化する安楽死・PASの論争の中で,鎮静の意味が今問い直されている。

 鎮静は,苦痛を緩和するために少量の鎮静薬を投与して患者が苦痛を体験しないようにするものである4)。あまり知られていないが,現代でいうところの鎮静が初めて医学雑誌に登場するのは,WHO方式がん疼痛治療法作成の中心人物であったイタリアのVentafridda Vの論文である5)。1990年に彼は,WHO方式がん疼痛治療法を確実に実施したとしても在宅ケアサービス患者の約50%に何らかの鎮静が必要であったと報告し,死亡直前に十分に緩和できない苦痛が生じて鎮静薬を投与するということは世界中で(こっそりと)行われているが,現実から目を背けずにしっかりとした学術的議論をするように提案した。

フランスで「持続鎮静法」制定

 それから26年後の2016年,フランスで「患者及び終末期にある者のための新しい権利を創設する法律」が可決された。これは,終末期の患者の苦痛が緩和されないときに鎮静薬を死亡時まで投与することが合法であることを明文化したものである。対象は必ずしも死亡「直前」の患者とは限らず,鎮静を受けていなければもう少し長く生きられた患者が含まれる可能性があり,ゆっくりとした安楽死(slow euthanasia)と呼ぶ専門家もいる6)。

 鎮静は苦痛緩和を目的として死亡直前の患者に実施する分には生命予後を短縮させないことを多くの実証研究が示してきた7)。しかし,これはそもそも鎮静の対象は全身状態が相当に悪い患者であり,各国でPASの対象となっているような死がそれほど迫っていない患者に持続鎮静を行えば生命予後が短縮するのは自明である。これまで鎮静と安楽死は,医師の意図(目的が苦痛緩和のための就眠か,患者の死亡か)によって区別しようとしてきたが,鎮静と安楽死の間にグレーゾーンが存在することが明らかにされつつある。

鎮静を妥当とする条件

 鎮静(と言ってもさまざまな方法があるが)が許される条件を考える上では,相応性(proportionality)の概念が重要である8)。簡単に言えば,鎮静が許されるのは,患者の希望や価値観の確実さ,苦痛の強さ,苦痛を緩和できる見込みがないことの確実さ,生命を短縮する可能性や程度のバランスによるという考え方である。患者の希望が安定して確実であればあるほど,苦痛が強ければ強いほど,苦痛を緩和できる見込みがないと確信を持って判断できればできるほど,生命を短縮する可能性や程度が小さければ小さいほど,鎮静は妥当である。

 この考え方は臨床的には理にかなっており,わかりやすい。しかしながら,どのくらいの苦痛なら,どのくらいの生命予後なら妥当かという点は,個人個人で違ってくると予想され,医療者のみならず国民的議論が必要である。

鎮静ではなく,「少量ミダゾラム持続注入療法」になる?

 定義があいまいな現状では,「ミダゾラムを使用した場合は全て鎮静に当たる」という意見もあり,「ミダゾラムは症状緩和のために使っているので鎮静ではなく,症状緩和の副作用で眠気が増えているだけだ」という意見もある。もともと英国の緩和ケア専門医は鎮静という概念に懐疑的である。彼らはミダゾラムを高頻度に使用するが,患者の意識が低下したとしても,それは苦痛の程度に応じて(proportionalに)薬物を使用した結果であり,「結果として」患者が就眠したに過ぎないと主張する6)。一方で,終末期の呼吸困難に対して,モルヒネ単独vs.モルヒネ+ミダゾラムの持続投与のランダム化比較試験では,ミダゾラムを併用したほうが,患者の意識は変わらず苦痛の緩和ができたとも報告されている9)。となると,もはや,ミダゾラムを投与することは鎮静ではなく,呼吸困難を緩和している治療ということになる。これほどに,鎮静の概念はあいまいな,移ろいやすいものである。

学術的基盤をもとにした議論を


 日本国内で臨床に携わる場合,安楽死・PASそのものを経験することは(ほとんどの医師にとっては)ない(はずである)。緩和困難な苦痛を目の前にしてまず直面する課題は,鎮静を行うのか,いや,そもそも今から行う行為は鎮静と呼ばれるのかどうかわからないがそれを実施してもいいのか,である。苦痛を体験している患者にとって,「緩和できない苦痛に対してどのような方法があるか」は切実な問題である。この先5年,10年,終末期医療をめぐる中で鎮静に関する議論が学術的基盤をもとにわが国においても行われることを期待したい。

◆参考文献
1)JAMA. 2016[PMID:27380345]
2)J Pain Symptom Manage. 2004[PMID:14711468]
3)Palliat Med. 2006[PMID:17060268]
4)日本緩和医療学会緩和医療ガイドライン作成委員会.苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン2010年版.金原出版;2010.
5)J Palliat Care. 1990[PMID:1700099]
6)J Pain Symptom Manage. 2017[PMID:28188822]
7)Lancet Oncol. 2016[PMID:26610854]
8)J Pain Symptom Manage. 2017[PMID:27746197]
9)J Pain Symptom Manage. 2006[PMID:16442481]

森田 達也(もりた・たつや)

1992年京大医学部卒。94年聖隷三方原病院ホスピス科,2003年緩和ケアチーム医長,05年緩和支持治療科部長,14年副院長。12年より京大臨床教授。近著に『終末期の苦痛がなくならない時,何が選択できるのか?――苦痛緩和のための鎮静〔セデーション〕』(医学書院)。

週刊医学界新聞 第3220号 2017年4月17日

終末期に大切にしたいものは 「もしバナゲーム(TM)」の受注をスタート
介護福祉施設のレクリエーションに
 プラスは、4月19日、介護福祉施設専用デリバリーサービス「スマート介護」で、亀田総合病院の医師監修によるカードゲーム「もしバナゲーム(TM)」の受注を、4月21日からスタートすることを発表した。

今を大切に生きる契機に

 「もしバナゲーム(TM)」は、終末期医療における医師や患者のコミュニケーションツールとして米国で開発されたゲームを日本語に翻訳し、アレンジを加えたもの。

 「もしも余命があと半年と言われたら」と想定した際の「もしもの話(もしバナ)」を、身近な人たちと話し合うためのカードゲームで、4人を基本として、1人から5人までゲーム可能である。

 遊び方は簡単。まず、余命わずかの想定で、自分が人生最後に大切にしたいと思うものを、35枚のカードから選択する。次に、そのカードを選んだ理由を、参加者同士で話し合うことで、互いの価値観の相違を理解し、自身の考えの幅を広げ、深めていくことにつながるという。

このゲームにぜひとも親しんで

 このゲームは、家族には言えない本音を言える、繰り返し使えて、環境の変化に応じて選ぶカードが変わってくるといった面白さのほか、スタッフとのコミュニケーションツールとしても役立つと位置付けられる。

 なお、販売先は全国の介護福祉施設。購入には「スマート介護」への登録(無料)が必要で、価格はスマート介護販売価格として1,800円(税抜き)だ。

プラス プレスリリース
http://www.plus.co.jp/news/201704/001601.html

けあnews 2017年4月20日

がん終末期はどう迎えたいですか?緩和ケアが促した対話
350人の治療で比較

from Journal of clinical oncology : official journal of the American Society of Clinical Oncology

 がん治療に欠かせないのが緩和(かんわ)ケアです。根治目的の治療が難しくなった段階では特に緩和が大切になります。緩和ケアを強化することでがん患者が得られる効果の研究結果が報告されました。

肺がん・消化器がん患者の強化緩和ケアによる効果

 アメリカの研究班が、がんの緩和ケアを強化することで生活の質(QOL)などを改善する効果を検討し、結果を『Journal of Clinical Oncology』に報告しました。

 肺がん、膵臓がん、食道がん、胃がん、肝臓がんなどを診断され、根治目的の治療が難しい状態の患者が対象とされました。

 350人の患者が参加しました。参加者はランダムに2グループに分けられ、強化緩和ケアのグループ、通常ケアのグループとされました。

 強化緩和ケアのグループでは、研究参加から死亡まで最低でも月に1回、緩和ケア担当者が面談しました。入院治療となった場合、院内の緩和ケアチームが入院期間のすべてを通じて関与しました。

通常ケアのグループでは、患者・家族・主治医から希望が出されたときにだけ緩和ケア担当医の診療を受けられることとされました。

 効果判定のため、研究参加から12週後、24週後の生活の質の変化などが評価されました。生活の質の評価には患者が記入するアンケート用紙が使われました。

24週でQOL改善、終末期について話し合うことが増えた

 次の結果が得られました。

 介入群の患者は、ベースラインから24週の間のQOLにおいて通常のケアよりも大きい改善を報告したが(1.59 vs -3.40、P=0.010)、12週時点では差がなかった(0.39 vs -1.13、P=0.339)。

 介入群の患者は、通常ケアの患者に比べて、腫瘍内科医と死が近付いた場合の希望について話し合うことが多かった(30.2% vs 14.5%、P=0.004)。

 12週後の生活の質には強化緩和ケアによる差がありませんでした。24週後の生活の質は、強化緩和ケアのグループのほうが改善していました。また、参加者が腫瘍内科医と、死が近付いた場合の希望について話し合った割合は、通常ケアのグループでは14.5%でしたが、強化緩和ケアのグループでは30.2%に増えていました。

緩和ケアと対話

 緩和ケアの効果についての研究を紹介しました。

 がんがある程度まで進行するとしばしば強い症状が現れます。緩和ケアによって苦痛を減らすことが、生活の質を維持するためにとても大切になります。当初目標とされた12週という短期間では強化緩和ケアによる効果向上が確かめられませんでしたが、24週時点で差が出ていることから、役に立つ場面もあると考えられます。

 世の中では緩和ケアが誤解されている場面もあります。実際の緩和ケアはどんなものでしょうか。

 緩和ケアは末期がんだけでなく、がんと診断されたときから受けることができます。

 緩和ケアを勧められても「余命が短い」という意味ではありません。

 余命を延ばすための治療と緩和ケアは同時に行われるべきものです。

 抗がん剤の副作用を抑える薬なども緩和ケアの一種です。

 苦痛があることで治りがよくなりはしません。苦痛を減らすことも大切な治療です。

 苦痛が除かれることによって、積極的治療に前向きになれる人もいます。

 緩和ケアに使うモルヒネなどの薬で意識がなくなったりすることはありません。

 緩和ケアに使う薬は副作用も把握され、リスクを管理しながら使われます。

 モルヒネの主な副作用は吐き気・便秘などです。

 緩和ケアは身体的苦痛だけでなく、精神的苦痛などさまざまな面から苦痛を和らげます。

 緩和ケアは患者だけでなく家族や周りの人もケアの対象とします。

 緩和ケア病棟に入院することも、自宅で在宅の緩和ケアを受けることも自分で選べます。

 緩和ケアは、一人一人の患者が生活の中で大切にしたいことを実現する助けをします。

 上に紹介した研究では、緩和ケアを強化することで終末期の希望について話し合うことが増えた点も報告されています。現代の医学でもがんは難しい病気です。完全に症状も消えて治療を完了できる人がいる一方で、がんによって亡くなる人が多いのも現実です。終末期を自分らしく過ごすために主治医の協力を得ることはとても大切ですが、通常ケアのグループで話し合えていた人は14.5%にとどまっていました。ここにも緩和ケアが果たせる役割があるのかもしれません。

文 大脇 幸志郎

medley 2017年4月22日

死ぬ間際によくある後悔「お金・子供編」

「悔いが残らない人生を送りたい――」

 私たちは内心、こう思って生きている。ところが死ぬ間際になると、多くの人が自分のこれまでの生き様に対して悔しい思いをするという。

 誰しもが、人生の締めくくりに後悔などしたくない。だが、死は誰にとっても初体験ゆえ、何の準備もないまま最期のときを迎える羽目になる。後悔先に立たず、だ。しかしできることなら、元気なうちに準備をして、気持ちよく死にたいではないか。

 そこで先人の経験に学ぶべく、数多くの終末期の人々を看取ってきた3人の識者を訪ねた。

 日常的に人の死に際に立ち会っている緩和医療医の大津秀一氏、ビハーラ僧の三浦紀夫氏、ホスピス医の小澤竹俊氏の話は、我々がまず聞く機会がないことばかりだ。人生の先達たちが最期にどんな後悔を口にし、亡くなっていったのかを知ることで、我々にいつか平等に訪れる「死」に備え、後悔のない人生を送るための貴重な資料としようではないか。

死ぬ間際によくある後悔【お金・子ども編】

 元気なうちは仕事やお金儲けに邁進してきた人も、死期が間近に迫るとお金の力が大して意味をなさないものだと気づく。しかし、死に際になってもなお、解決しなければならないカネの問題がある。そのひとつに自身の医療費がある。

 高度な治療を受けて入院が長引けば、そのぶん医療費がかさむ。預貯金が底をつくと、十分な治療が受けられない事態に陥ってしまう。そんなときの頼みの綱は保険だ。「今は元気だから」「目先のお金が必要」と解約すると、病気になったとき後悔する。

 逆に、金銭的に余裕があったらあったで厄介なのが遺産相続だ。遺言を残しておこうと思いつつ、先送りにしている人も多いだろう。いざ病を得てから金融機関に相談しようにも、もはや体の自由は利かず、自力で窓口を訪れることはできない。かといって、電話1本で気軽に解決できるものでもない。

 一方、病に伏せて身に染みるのは、なんといっても家族のありがたさ。家庭を顧みなかったことを悔やむ声も多いという。そんな負い目もあるのだろうか。三浦氏によれば、子どもが見舞いに来てくれないと嘆く人は多いが、それを子どもに直接言ったりはしないものらしい。最期まで親の心子知らずとは、寂しいものだ。

●銀行窓口にだって、もう行けやしない
――銀行から「相続の手続きは、電話では対応できない」と言われ、「自分のカネなのに」と病床で憮然とする。

●カネで家族がバラバラになるなんて
――相続に関するいざこざは、家族離散のもと。病床で子どもたちの不和に嘆く羽目になってはつらすぎる。

●生命保険、解約するんじゃなかった
――家のローンや教育費で出費がかさみ、生命保険を解約してお金を捻出。しかし病気が見つかってから、解約を悔やむ。

●カネなんて当てにならない
――どれほど多くの預貯金があっても、健康を取り戻すのには何の役にも立たない。

●本当は孫の顔を見たかったね
――子どもは未婚。面と向かっては言えないが、孫と過ごす幸せも味わってみたかった。

●もっと伸び伸び育てればよかった
――「勉強しろ」とばかり言っていた。病気になってみれば、学歴なんて関係ないのに。

●もっと子どもたちと一緒に過ごせばよかった
――仕事ばかりで家庭を顧みなかった。父親として何も残してやれなかったのではないか。

●まったく見舞いに来ないんだ
――義理堅い人間に育てたつもりなのに、どうして子どもたちは見舞いに来てくれないのか。

文 小島和子

PRESIDENT 2017年4月22日

医師が思う「死ぬかもしれない」はどういう意味なのか
サプライズクエスチョンの研究の調査から

from CMAJ : Canadian Medical Association journal = journal de l'Association medicale canadienne

 重病患者の余命を医師が察知することは、終末期の苦痛を緩和(かんわ)するために重要になります。余命を医師の主観で予想したときに予想通りになる割合について、これまでの研究の調査が行われました。

サプライズクエスチョンは患者の死亡を言い当てるか?

 カナダのトロント大学の研究班が、サプライズクエスチョンの予測能力を調べ、結果を医学誌『CMAJ』に報告しました。

 サプライズクエスチョンとは、治療にあたる医師が自分自身に「この患者が1年後に亡くなったら私は驚くだろうか?」と問いかけることで、患者に対する総合的な印象を言葉にし、緩和ケアに重点を置くべきタイミングを計る方法です。

 サプライズクエスチョンは患者の何かを計測しているわけではありません。医師の主観を言い換えたものです。しかし、医師は多くの経験から、患者が死を迎えるまでの様子を詳しく想像できます。検査値などに表れる以上に、患者の見た目などの小さな特徴を総合して、死が近付いていることを察知できているかもしれません。

 この研究は、サプライズクエスチョンが緩和ケアに適した患者を選び出すために役立つかという観点から、過去に行われたサプライズクエスチョンの研究の報告を収集して調査したものです。

 予測能力の評価のため、サプライズクエスチョンによる予測に対して、患者が実際に6か月から18か月の間に死亡したかどうかを基準としました。

「亡くなっても驚かない」ときの37%

 条件に合う16件の研究が見つかりました。心不全の患者、がんの患者、透析治療中の患者などを対象とした研究がありました。得られたデータから次の結果が得られました。

 6か月から18か月の間の死亡に対して、プールした予後特性は[...]陽性的中率37.1%(95%信頼区間30.2%-44.6%)、陰性的中率93.1%(95%信頼区間91.0%-94.8%)だった。

 データを統合すると、医師の予想で「亡くなっても驚かない」とされた場合の37.1%が実際に死亡し、医師が「亡くなったら驚く」と予想した場合の93.1%が実際に生存していました。

 患者の病気によって分けて計算すると、がん患者に対しての予想のほうが、がん以外の患者に対する予想よりも正確でした。

 研究班は、「亡くなったら驚く」という予想が93.1%は的中したことに対して、「この結果は主に調査に含まれた研究の中で死亡した人が少なかったことによる。たとえば対象者の12%が死亡する場合には、コインを投げて予想しても、死亡しないという予想は88%的中する」と解釈しています。

 結論としては「サプライズクエスチョンは死亡を予測する手段としては働きが悪いかまたは軽度であり、がん以外の病気に対してはより悪かった」と述べています。

医師の主観は外れるもの?

 サプライズクエスチョンについての研究を紹介しました。サプライズクエスチョンによって、つまり医師が自分の心に問いかけることによって、余命が短い人を正確に言い当てるのは難しいのかもしれません。

 サプライズクエスチョンが診断的に役に立つ可能性には限界があるかもしれませんが、ここで示された推計値についてはいろいろな受け止め方ができます。

 たとえば、医師は実際に亡くなる人よりもかなり多くの人を「亡くなっても驚かない」と予想しています。「亡くなるだろう」という予想ではなく「驚かない」という予想は、そもそも予想が難しいことを背景にしています。医師は予想外の出来事で急に亡くなる患者も時に目にするため、急変の可能性はごく小さいと考えていても、「亡くなっても驚かない」と答えるかもしれません。患者の立場で耳にすると不安になる発言が、実は「生きられる見込みのほうが大きいと思うが…」という含みを持っている場合はあるかもしれません。

 反対に、1年以内の余命を正確に予想するよう医師に求めるのは現実的でないとも言えるでしょう。難しい病気の診断を受けて余命を知りたくなる人は多いですが、それは医師にもわからないことです。

 予想に考えを縛られなくても、「正確な予想はできない」という前提で治療を考えることができます。たとえばここで紹介した研究は「緩和ケアを重点的に提供する患者を選び出す」という観点を持っていますが、緩和ケアは余命に関わらず、苦痛があれば和らげるものとして提供されるべきです。余命がわからなくても症状の重さに基づいて緩和の必要性を判断するという考え方も成り立ちます。

 予想は外れるものです。医師の能力が足りないせいではありません。今の状況でできる一番いいことは何かを考えることが大切です。

文 大脇 幸志郎

◆参照文献

The "surprise question" for predicting death in seriously ill patients: a systematic review and meta-analysis.


medley 2017年4月30日

がん緩和ケア、効果的な取り組み事例を公表
 厚生労働省は、「がん患者と家族に対する緩和ケア提供の現況に関する調査」の結果を公表した。地域がん診療連携拠点病院(拠点病院)のうち、効果的な緩和ケアを推進する病院への調査結果をまとめたもので、診断時や入院時、在宅療養へ移行する際などの支援に関する好事例を紹介している。

 緩和ケアについては、現行のがん対策推進基本計画で、がんと診断された時から推進することが重点課題とされている。しかし、治療中や療養中のがん患者のうち、苦痛が十分に緩和されていない人が一定数おり、推進に向けた対策が求められている。

 こうした状況を踏まえ、厚労省は昨年8月から9月にかけて、拠点病院のうち、効果的な緩和ケアに取り組む病院を訪問し、関係者からヒアリングをした。

 調査結果によると、聖隷三方原病院(浜松市)では、がんと診断された時から患者らの不安などに対応している。同病院の「がん看護外来」で、がん看護専門看護師や緩和ケア認定看護師、がん化学療法看護認定看護師らが、緩和ケアチームと協力して患者や家族の精神面をサポート。例えば、患者の家族から、「子どもが親のがんを知り、精神的に不安定になってしまった」と相談を受けた時は、臨床心理士と共に子どもに説明する方法を案内している。

 緩和ケア外来における支援体制に関しては、川崎市立井田病院(川崎市)で、患者が主治医による化学療法に痛みや不安を感じた場合、緩和ケア内科の医師が疼痛管理を実施。疼痛の状態が落ち着いた時点で、主治医による治療を再開するといった「がんの治療と緩和ケアの併診」を行っている。

 入院中の支援では、日本海総合病院(山形県酒田市)の取り組みを紹介している。同病院の緩和ケアチームが、身体に極度の苦痛を感じて精神的に不安定になっている患者をサポート。心身に苦痛を感じている患者に対して、身体症状の緩和に携わる医師と精神症状に携わる医師が診察し、適切な薬剤の処方や精神療法などをしている。さらに、患者の状態に強いショックを受けている家族に対して、緩和ケア認定看護師が対応している。

 患者が在宅療養へ移行する際の支援としては、川崎市立井田病院で、緩和ケア内科の医師が訪問診療をするとともに、医療用麻薬の点滴に必要なポンプなどを使った在宅での医療ケアを継続して行えるよう支援している。

 また、市立豊中病院(大阪府豊中市)は、地域の開業医や介護施設との連携を強化するため、院内外の医療職や介護関係者を対象とした研修会を積極的に開催。在宅療養に携わる職種間の相互理解を深めている。

MedicalTribune 2017年5月3日

末期の胃がんと闘う
「がん専門医」が描く“理想の医療”
 金沢市の中心部、兼六園の近くにがん患者とその家族・友人などが集まり、専門家の支援を受ける開かれたスペース「元ちゃんハウス」がある。オープンして約5カ月で訪問者は延べ500人。足を運ぶと、陽光の差し込む室内で十数人がテーブルを囲み、抗がん剤の副作用や術後の経過などについて話していた。表情は皆、穏やかだ。

 人の輪の中で「うん、うん」と何度もうなずきながら話を聞いているのは「元ちゃん」。金沢赤十字病院副院長を務める大腸がんの専門医・西村元一さん(58)で、胃がんの患者でもある。同ハウスは、がんになったからこそ見えた「がん患者に必要な支援体制」を体現した場といえる。患者になった医師が思い描く理想の医療とは?
 
 西村さんは2015年3月26日、肝・リンパ節転移を伴う胃がんの診断を受けた。病期はステージIV。青天のへきれきである。気分が悪くなりトイレに駆け込むと、タール便が出て、吐き気がした。診断が出るまでの過程では、症状から冷静に分析を進める医師の視点を失っていなかった。

 6年間、胃がん検診を受けていなかったとのこと。医師として可能な限りの時間を割いて患者に向き合い、学会で全国を飛び回っていた。休日もがん予防に関する公開講座の講師を務めたり、医療・介護関係者の勉強会・交流会に参加したり……。理由はいろいろあるが、「結局、がんを人ごとだと考えていた」という。その末に受けたがん宣告だった。

「医者の不養生とは、このことだね……」(西村さん)

 乾いた笑いに、後悔がにじむ。とはいえ、どんなときにも喜怒哀楽の「喜」と「楽」を忘れない「元ちゃん」。がんになっても変わらない明るいキャラクターは健在である。

 西村さんと初めて会ったのは12年10月である。「金沢一日マギーの日」というがん患者の支援を進める催しだった。「マギー」とは、英国のがん患者支援施設「マギーズセンター」を指す。西村さんは13年3月に「金沢にマギーを」との目標を掲げて「がんとむきあう会」を創設した際の中心メンバーだった。「議員さんや行政に、どう働きかければいいか?」などと構想を巡らせ、活発に動き回る日々。当時、西村さんは次のような思いを力説していた。

「手術を担当した自分が、その後もじっくりと話を聞いて患者に寄り添っていければいいが、なかなか難しい。また、治療以外の部分では分からないことも多い。看護師、栄養士、カウンセラーなどさまざまな専門職が常駐し、多方面からがん患者の悩みにこたえられる相談の場が欲しい。患者や家族が自由に集まる所が必要であり、金沢らしさを備えた、ゆったりと過ごせる空間ならば、いうことはない」

 14年10月に医療・介護関係者の勉強会で再会し、西村さんはその後の食事会にも顔を出した。短い時間だったが、「金沢マギー」の意義を熱く語り、合間にスマートフォンでメールチェック。ほとんど食事は口にせず、退席したと記憶している。思えば後ろ姿には、疲れ以上の重苦しさがあった気がする。その場にいた全員が「お忙しそうですね」と声を掛けて見送った。

 西村さんは15年3月にがん宣告を受けた後、抗がん剤、手術、放射線と主要な治療を経験し、免疫療法も受けて今に至っている。肝・リンパ節転移が疑われた後は、「手術をすべきかどうか?」と迷ったこともあったが、前のめりでがん治療を続けてきた。「自分が外科医だから手術をしたけれど、腫瘍内科医なら抗がん剤治療を選んだかも」という。医師としての人生を、患者として肯定していく重い選択である。この結果、初診では「余命半年」だったが、発症から2年以上が経過し、「元ちゃんハウス」の主として頑張ることができている。

 西村さんは治療を受けながら、基金を設立し、講演を行うなどして寄付金を募ってきた。「金沢にマギーを」という一心で奔走してきたところ、支援施設の名称案はいつの間にか「マギー」から「元ちゃん」になっていた。英国の女性がん患者の名前である「マギー」を冠したのがマギーズセンターだったのだから、「金沢なら『元ちゃんハウス』がいいだろう」と、支援者から自然に声が上がるようになっていった。皮肉だが、がんの発症が構想を後押しし、実現を早め、16年12月1日に「元ちゃんハウス」はオープンしたのである。

 「元ちゃんハウス」は、がん患者や家族が自由に立ち寄り、医療者ら交流できる場所である。平日は午前11時から午後3時まで看護師ら専門職が1階で訪問者に対応する。また、第2・第4火曜日と第1土曜日は午後1時から4時まで3階でがん患者らが交流する。料理教室や勉強会なども随時開催している。

 ふと見ると、80代の女性が西村さんの手を取り、ソファに身を沈めて、がんが疑われる肉親について相談していた。親しみやすい「元ちゃん」は医師の顔に戻り、たまたま担当医が知り合いで患者自身から「聞いてきて!」と頼まれてきたとのことだったので、すぐに電話して病状を把握。女性へ簡単に状況を説明した後、「緊急性はないようだから、しばらく経過を見ればいいよ。安心してと伝えて」と話した。

 「元ちゃんハウス」ではスタッフ一同、できる範囲で「患者ファースト」のがん医療の手助けが実現するよう心を砕いている。

 西村さんが語る「病院や医師を選ぶ時のポイント」はこうだ。

●まずは最寄りのがん診療拠点病院に行くべきだが、遠慮せずセカンドオピニオンも受けてみよう。

●医師との相性が合わなければチェンジする勇気も。看護師、薬剤師との連携ができているかも重要。

●家族のサポートが得やすいよう、病院がどのエリアにあるかを考慮しよう。

●治療を受ける病院で困ったことがあれば医療相談室に聞いてみよう。

 これらは裏を返せば、がん患者と向き合う医師の心得ともなる。西村さんが北陸にある国立大学付属病院で現職の医師を前にした講演を聴いたことがある。そこには「元ちゃん」本来の陽気さよりは、医師としての厳しさが見て取れた。患者となった心境を赤裸々に語った後、時間をいっぱいに使い、パワーポイントで現在のがん医療を取り巻く現状やその問題点を次々と指摘していった。

 例えば、抗がん剤治療による味覚障害で甘さを強く感じた時に、甘みの強い薬を飲まされた不快感などを紹介した。

「自分も患者さんに何度も処方してきた薬だけど、飲めたものではなかった」(西村さん)

 このほか、体験しなければ分からない治療の苦しさや戸惑いを列挙した。言外には「患者の身になって考えよ。そうでなければ、患者の信頼は得られないぞ!チェンジされるぞ!」との思いをたっぷりと盛り込んだ提言である。後輩医師への叱咤激励、自身への反省を込めた苦言といえる内容だった。

「今の時代、ネット上にがんに関する情報があふれ、患者は玉石混交の内容に振り回されている。ネットから得た治療を要求する患者の声を医師が突っぱねたり、切り捨てたりしてはいけない。ちゃんと説明できるようにしなければいけない。また、患者も安易な情報をうのみにせず、病院や元ちゃんハウスのような場所を活用してがん経験者や専門家の助言から学ぶ必要がある」(西村さん)

 医師と患者、双方を生きる西村さんの姿に「天命」という言葉が浮かんだ。辞書によると、(1)生まれた時から定まっている運命。宿命。(2)天から授けられた寿命。天寿。(3)天の命令。天から与えられた使命……とある。

 がんという運命を受け止め、寿命が続く限り、使命を全うする……元ちゃんハウスで忙しく相談に応じる医師・患者である西村さんに、人生をかけてがんと向き合う覚悟を見た。

ライター・若林朋子

dot.オリジナル 2017年5月4日

ゲーム音楽の第一人者から、終末期の人に寄り添う音楽プロデューサーに
日比野則彦さん
 いのちの最後の日、どんな音を聞いていたいだろうか。心身が壊れそうなほど傷ついているときに、癒やしてくれるのはどういう音なのだろうか。「天上の音楽〜ハートケア・コンサート」(株式会社日比野音療研究所主催)開催を前に、総合プロデューサーの日比野則彦(ひびの・のりひこ)さんに話をうかがった。

 戦略諜報(ちょうほう)アクションゲーム「メタルギアソリッド」(コナミデジタルエンタテインメント)シリーズや「龍が如く2」(セガ)の作曲を手掛けた日比野さんは、2005年にゲーム音楽の作曲にフォーカスした会社、ジェム・インパクトを立ち上げ、その後も商業音楽の第一線で活躍してきた。

 そんな日比野さんが癒やしの音楽に軸足を移すようになったのは、際限なく刺激を求める商業音楽に対して、「音楽はもっと人にプラスになるのではないか」という思いが膨らむようになったからだ。そして、決定的だったのが、友人であるイラストレーターのクリバリユミコさん(著書『乳がんだって生きていくあたし』いのちのことば社)が末期がんになり、それまで好きだったレゲエ音楽も弱った体で聴くのがつらいと知り、それに代わる音楽を探しているうちに亡くなってしまったことだった。音楽を専門にしながら、何もできない自分に直面し、「何かしなければいけない」という思いだけで08年に日比野音療研究所を開設した。

 開設当初は何をすべきなのか試行錯誤の日々だったという。ただ、日比野さんは音楽プロデューサーとして商業音楽に15年近く携わり、作曲・アレンジ・演奏・収録・ミックス・再生環境まで加味してトータルで音楽を作ってきたと同時に、経営者として多くの人を雇ってきたのでホスピタリティーの部分でも経験を持っていた。その意味ではできることはいろいろあった。

 そんな中で出会ったのがハープセラピストのリンダ・ヒル=フェニックスさんだ。リンダさんが余命2週間と言われている人の枕もとでハープを奏でるのを見て、自分のこれまでの音楽の演奏の仕方と全く違うことに非常に驚いたと日比野さんは話す。

「音楽は、演奏者が聴き手に提供するものと考えてきましたが、リンダさんの演奏では、主体が聴き手で、その人の呼吸に合わせてテンポをとる。その人のうめき声に合わせてピッチをとる。時には、その人の国の伝統的な音楽を入れ、その人に落ち着きがなければ、悲しげな曲からだんだん優しい曲にするなど、患者さんの状態に合わせて演奏を作っていくというもので、僕らがやってきたこととは発想が逆でした」

 リンダさんの演奏こそ、自分たちがやるべきことと確信した日比野さんは、2010年から、終末期を迎える人やそれを意識し始めた人、介護・ケアをされる人・する人に心の平安といのちの希望を届けようと、「天上の音楽コンサート」を始めた。そこでは、人が生まれてから天国に還(かえ)っていくまでを綴(つづ)った映像と合わせて、「君は愛されるため生まれた」「アメージンググレイス」などの賛美が奏でられる。観客は、信仰のあるなしにかかわらず、人が生きている間に自分がどれだけ多くの人から愛を受けて生きてきたか、そして天国に還るとはどういうことなのかを感覚的に感じられるような構成になっている。

「コンサートで一番届けたいのは、自分たちのメッセージではなく、自分たちの演奏の中に神様が入ってきてくださり、それによって何かを感じてもらうことです」

 14年頃からは、コンサートに来ることのできない終末期の人たちのために出前コンサートも始め、介護施設、ホスピス、個人宅などで演奏を行うようになった。ボランティアとして行くことも多いという。

 ただ、出前コンサートも行ける数は限られている。日比野さんは、ライブの演奏に近い形で音を届けるにはどうしたらいいかを考えるようになり、株式会社光を立ち上げて、ヨット型の音響装置「凛舟 RINSHU」を開発した。これは、帆から船体に至るまでのすべてが振動し、人間の可聴外高域成分を豊かに含む世界最高水準の技術で作られた170曲に及ぶ楽曲が聴けるという仕組み。素材は桐(キリ)と檜(ヒノキ)だ。

日比野音療研究所が開発したヨット型の音響装置「凛舟 RINSHU」。帆の先端は十字架になっている。(写真:日比野音療研究所提供)

「病を持つ人は、スピーカーから流れる音波の振動が体にとってしんどく感じることがあります。でも、凛舟は楽器と同様、湾曲した檜と桐の船体の微振動により音を発生しているので、聴き疲れしません。加えて、収録されている楽曲はすべて、届ける人の顔を思い浮かべながら祈りをもって作られています。また、リクエストにも対応し、楽曲リストや構成は届ける方の必要に合わせて変えています。これまで音楽を作ってきた経験をすべて注ぎ込んで凛舟を作ってきましたが、結局そこに働くのは神様です。弱さを感じている時に、また意識がなくても聴覚は失われていないので、凛舟から流れる音楽を通じて神様を感じてくれればと思っています。コンサートがリアルなアプローチだとすると、凛舟はバーチャルなアプローチですね」

 この4月には、一番大事なことにフォーカスするため、ジェム・インパクト、株式会社光、日比野音療研究所の3つの事業体で行っていたことを1つの組織「株式会社日比野音療研究所」に集約した。日比野さんは「神様に委ねていくしかない。これまでやってきた音楽の経験を総動員させて、自分ができるベストのことをしているだけです」と語るが、その根底には「神様の働きをしたい」という熱い思いがある。

 日比野さんは、クリスチャンになった母親の影響で、2001年にキリスト教会福音センター(万代栄嗣主任牧師)で洗礼を受けたが、日比野さんにとってリアルに信仰の問題が入ってきたのは、自身の事業でつまずいた時だったという。「それまでは教会でメッセージを聞いていても血肉にはなっていませんでした。自分の弱さが見えた時に、かたくなな心が引き剥がされていくというか、御言葉がすっと入り、祈る人も周りに集まるようになりました。特に妻からはたくさんの影響を受け、そのおかげで信仰が深まっていったのだと思います」と、ソプラノ歌手でもある愛子さんの存在の大きさを語った。

 今回開催される「天上の音楽?ハートケア・コンサート」では、終末期より少し前の段階、「いのちの輝き」に焦点を当てる。オランダの精神科医ケン・タナカさんや、「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」で知られる木村弓さん、東京交響楽団次席チェロ奏者の黄原亮司さん、星野富弘さんの詩画集を朗読する橋圭子さんなど、日比野さんのビジョンに共感した専門家と一緒に、美しい映像と音楽、メッセージによって、「人のいのちは、その人が神の愛のうちに生きる時に、最も輝いていく」ということを、ノンクリスチャンの方々にも抵抗なく自然と感じられるように伝えたいという。

 「天上の音楽〜ハートケア・コンサート」は、5月12日(金)午後7時(開場6時半)から、渋谷区総合文化センター大和田4Fさくらホール(渋谷区桜丘町23−21、渋谷駅南口徒歩5分)で。入場料は前売り3千円、当日3500円。

 公演に関する問い合わせは、電話:050・7303・7567(平日午前9時〜午後4時)、FAX:025・250・5233(24時間受け付け)、メール:info@hstl.net まで。

Christian Today, Japan 2017年5月4日

デザイナー、ステージ4の乳がん患者
ステージ4のがん患者としての人生、新しい趣味を楽しんでいます
 デザイナーの広林依子と申します。私は現在29歳の、ごく普通の女性で、独身です。友達とカフェでワイワイ話したり、おしゃれを楽しんだり、ときには海外旅行に出かけたりしている普通の生活を送っています。

 他の人と違うのは、3年前の26歳のときに乳がんを宣告され、そのときすでに骨に転移しており、それからステージ4のがん患者人生を送っていることです。

 このブログでは、デザイナーの私が考えた、【ステージ4のがん患者のライフデザイン】の1例を紹介していきます。

 今回は、人生を豊かにする趣味について書いてみます。

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・治療を始めた直後、新しい趣味に出会う

 がんと診断される直前、私はデザイナーとしての幅を広げようと、デザイン会社を退職して転職活動に本腰を入れようといました。

 しかし、抗がん剤治療を開始した直後は心も身体もボロボロで、とてもじゃないけど新しい会社に転職する元気はありませんでした。

 そんなときに、たまたま依頼をいただいた煎茶の茶袋のデザインをすることなりました。

 私はお酒があまり強くなく、「飲む」ことを楽しめなくて残念に思っていたのですが、「煎茶」を知っていくうちに、煎茶にも色々な種類があって、淹れ方を工夫すれば同じ茶葉でも違う味が楽しめたりするなど、奥深い世界があることが分かりました。

 茶道に比べて敷居が低くお手軽ということもあって、お酒を色々飲み比べするような感覚で煎茶にハマっていきました。

 日本で流通している緑茶の90%以上は「やぶきた」という品種なのですが、他にも沢山の品種があります。

 まるでマカロンを食べた後味のようなお茶もあったり、非常に濃厚なお茶もあったり、やぶきたの味しか知らない人がかわいそうだと思ってしまうくらいに様々なお茶を味わいました。

 今は、朝起きたときに、熱々で飲める番茶をゆっくり飲んでいますし、疲れたときは旨味の強い70度くらいのお茶を飲んだり、病院から帰ってきたときは甘みの強い冷たいお茶を選んだり、気分に合わせてお茶を選んで楽しんでいます。

 入院するときは、お気に入りの茶葉を持っていくことにしています。

 急須と湯沸かしと湯さましさえあれば良いので、いつでもどこでも煎茶でリラックスできます。冷茶なら作って持ち運ぶこともできます。

 ステージ4のがんを患って絶望を味わったのに、まだこんなに美味しいお茶の世界を新しく知ることができるんだ、とがんライフを楽しむ心の余裕もできました。

・新しいことを学べる嬉しさ、着物と茶道も始める

 煎茶をきっかけに、まだ新しいものを学ぶ時間があると知った私は、茶道を学び始めました。縁あって着物を楽しむ友達もできました。

 着物はパーツが多く、着物に合わせる帯と帯締めなどのコーディネートを考えるのが非常に楽しくて、どんどんハマっていきました。

 コーディネートを選ぶのは、まるで絵を描いているような気分。普段は着ないような色や柄を着てお出かけする楽しみもあります。

 着物の所作を学んだことで、昭和の映画に出てくる艶やかな女優たちの着物の着こなしや、美しく魅せる所作、足腰の強さなどにも興味を持つようになりました。

 新たな女性の魅力を発見し、着物を着ている時間が本当に楽しくて仕方がありません。

 着物で、お茶事の体験もしています。お茶事は、非日常を楽しむ静かな時間。

 そこには、大好きな美術館に似た静けさや、作法や精神性を重んじる文化があり、私の心を引き締め生活にスパイスを与えてくれます。茶道の魅せる所作、手の動き......一つひとつがとても美しい世界です。

 「道」は日本特有の文化。日本人の非価値なものに心を込めて極めるという精神性は世界的に見ても貴重です。

 日本人に生まれてよかったなぁと思える文化です。

・もっと色んなことにトライしようと思えるように

 新しい趣味は、まるで私に新しい人生を与えてくれたように感じました。もっと色んなことを知りたいと思えるようになり、今までやったことのないことをやってみたいと思える気力が湧きました。

 長野県を旅行したときに、乗馬体験をして、馬に飛ばされ危うく落馬しかけたのもいい思い出です。秋の澄んだ空気の中、魚を釣ってBBQをしたり、日本酒を飲み比べたり、大きな湖を眺めたり。標高1800メートルほどの山で満点の星空を眺めたり......。

 ワインのラベルに10年後の夢を書いてストックし、10年後に開けて飲もう、という遊びもしました。

 ステージ4のがんになったことは、本当に大きな人生の転機でした。しかし、その後も、新たな趣味のおかげで、今まで分からなかった人生の楽しみを知りました。私はまだ20代で、知らないことばかり。もっと多くのことを知りたいという気持ちに溢れているのです。

 がんになったら人生は終わりではなく、新たな人生は続いていて、いつでも新しく学び始めることができます。

 がんという病気や治療に向き合うのも大切ですが、思い切って自分のやりたいことを始めて、新しい自分になってみるのはいかがでしょうか。

 人間は成長を続けることができます。

 がん患者としての人生を、新たな学びを楽しむことで、よりかけがえのないものにしてみてはいかがでしょうか。

 最後に、友人が長野旅行のときの私の様子を書いてくれた詩を紹介したいと思います。命の灯をともして進みたいと思います。

雲梯 詩・sacrum

光の道を右手に
鈴の音を鹿の足音にあわせて
進め

たまった埃を吐き出して
涙を乾かすほどの
乾いたこの空気を
胸いっぱい吸うの
肺を洗って背筋を伸ばし
朝をやり直す
きっとまたここで呼吸を始める

雪の下
結ぶこぶし
桜の花を握り
開くときを待つよ

春を握りしめた小さな種
命の灯をともして
時を待て

広林依子さんをTwitterでフォローする: www.twitter.com/yoriko_hiro1111

Huffpost Japan 2017年5月4日

多死社会で終末期医療が変わる
2020年「日本の姿」

石飛 幸三(医師)

 東京が56年ぶりの五輪を迎える2020年、政治や経済、国際関係はどう変化しているのか。スポーツや芸能、メディアや医療の世界には果たしてどんな新潮流が――。各界の慧眼が見抜いた衝撃の「近未来予想図」。

 今回は、団塊世代の高齢化が進み、認知症患者は600万人に上るとも言われる2020年の終末期医療のあり方を、石飛幸三医師が語る。

胃ろう治療の激減

 2010年、自然に任せて穏やかな最期を迎える「平穏死」を提言してから6年が経ちました。その間、終末期医療の現場は大きく変わりました。中でも特筆すべきは、胃ろうで栄養補給をしている認知症高齢者が、56万人から20万人に激減したことでしょう。

 胃ろうは、消化管が機能している患者に対する人工栄養の方法のひとつです。私が「特別養護老人ホーム 芦花ホーム」の常勤医となった2005年頃は、重度の認知症高齢者に胃ろうを造設するのは当たり前のように行われていました。

 平均年齢90歳、認知症率9割のこのホームに赴任して、私が衝撃を受けたのは、胃ろうをつけられ、ものも言えずにただ寝たきりになっている高齢者の姿でした。彼らはこのような延命を望んでいただろうか。自分たち医師は何をやっているのだろうと、ハタと気づいたのです。

 問題は他にもありました。人間は老齢になるにしたがって、次第に食べる量が減り、自然に苦痛を感じにくくなる生理的メカニズムが働き、死の準備をしていきます。しかし、胃ろうの場合、十分な栄養カロリーを摂取してもらうため、必要以上に栄養液を投与することになり、最期を迎える準備をするどころか、逆流して誤嚥性肺炎が起こってしまうことが度々ありました。

 このような終末期医療の実状を知る医療・看護関係者は、私同様、胃ろうをはじめとする経管栄養の在り方に疑問を呈するようになりました。そうした声に後押しされたのか、2014年、胃ろう手術の診療報酬が4割削減され、安易に胃ろうを造設する流れが減少に転じたのです。

 ただし、今も胃ろうの代わりに、「中心静脈栄養」や「経鼻胃管」といった形で、静脈や鼻から管を通して栄養剤を投与する「経管栄養」という名の延命が続けられています。胃ろうが悪いのではなく、高齢者に必要以上の栄養液を投与し続けることに問題の本質があるのですが、その点は未だ十分に理解されていないのかもしれません。

医療に「老衰」を止めることはできない

 胃ろう問題に限らず、こうした本質を見誤った医療が平然とまかり通っているのは、医療が「老衰」の本質を捉えられていないからです。ちなみに、胃ろうは、1人あたり年間約500万円の医療費がかかります。

 それが56万人ともなると、日本では年に3兆円ものお金が湯水のごとく使われていたことになります。

 2025年、日本は団塊の世代が後期高齢者となり、4人に1人が高齢者という超高齢社会を迎えます。2020年代に入るまでに、老年医療・終末期医療における治療の一つひとつを、本当に患者のために役立つ医療か否かを仕分ける「曲がり角」が来ているように思います。国民医療費が40兆円を超え、国家の財政も破たんしかねないとなると、問題を先送りしてきた日本人も目を覚まさざるを得ないでしょう。

 がん、動脈硬化、そして認知症。これらは病気であると同時に、その原因は老化です。がんは免疫の減衰であり、動脈硬化は血管というパイプの目詰まり。こうした体の不調は、車の部品と同じで「耐用年数」が近づいているということなのです。芦花ホームで終末期医療の現実を知るにつれ、病を治すはずの医療が、「老衰」と闘う医療になってしまっているのではないかと疑問を持つようになりました。医療に「老衰」を止めることはできない。死を敗北とするならば、「負け戦」が続くのは当然です。では、負け戦にどこまで医療費を注ぐのか。我々一人ひとりに節度が求められています。

過剰の医療は患者を苦しめる

 1969年、美濃部亮吉都知事は、70代以上の高齢者の医療費を無料化し、喝采を浴びました。しかし私も後期高齢者の1人として思うのは、高齢者は「若者よりも我々に手厚い医療を」とは、誰も思っていないということです。

 医療とは、人を病気やケガから救うためのものです。病院は人生の途上にある人たちのための身体の「修理工場」。なのに、「老衰」を「病」に含めて、病院は本来の仕事以上の業務を抱え込み、パンクしています。

 死の間際まで様々な医療装置に繋がれている人は、皆険しい顔をしています。「平穏死」で亡くなった人が穏やかな死に顔をしているのとは対照的です。寿命が来て、人生の終着駅に近づいている人に“死なせない”ための医療を施すことは、自然の摂理に反しています。過剰の医療は、患者本人を苦しめ、尊厳を奪うことになりかねません。

終末期医療を考えることは生き方を考えること

 日本では8割が病院で亡くなっていますが、今後は、在宅や老人ホーム等の施設で亡くなる人の割合が増えていくでしょう。その時に必要なのは、施設や在宅における看護師や介護士の充実です。高齢者には身体のケアよりもむしろ、心のケアが求められるからです。

「人間の終末期には、医療ではなく、むしろ福祉ケアが必要だ」

 いまから20年ほど前にそう主張したのは、社会学者の広井良典氏でした。『社会保険旬報』に「死は医療のものか」と題した論文を発表したのです。しかし、これを読んだ医師たちからは大反発が巻き起こりました。彼の議論はいわゆる「みなし末期論」と呼ばれ、「方法がある限り延命治療をすべき」と考える当時の医師たちには到底受け入れられなかったのです。

 それから20年経ち、医師主導の治療から、患者本人の意思を尊重した看取りが受け入れられるまでに変わりました。世の中の終末期医療に対する意識の変化を肌で感じ、隔世の感があります。私はいま、長年終末期医療のあり方を考え続けてきた集大成として、これまで看取った方々から学ばせていただいたことを『「平穏死」を受け入れるレッスン』という1冊の本に、書き綴っています。

 終末期医療を考えることは、生き方を考えることです。日本人は、西行法師が「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠み、その歌の通り、満開の桜の木の下で最期を迎えた「生きざま」に共感する独自の死生観を持っています。

 私たちはこの20年、医療は「老衰」とどう向き合うべきか、迷い道に入り込んでいました。いま、「このままではいけない」と、終末期医療の現場から、熱いエネルギーがマグマのようにくすぶっているのを感じています。老衰を受け止めて穏やかな死を迎える。方向性は、4年後によりはっきりと見えてくるのではないかと期待しています。

BLOGOS 2017年5月5日

【インタビュー】患者の“今”に向き合う医療者に
緩和ケアの視点から
バルフォア M. マウント氏(マギル大学名誉教授)に聞く

<聞き手>土屋 静馬氏(昭和大学横浜市北部病院内科/マギル大学Center for Medical Education, MA in Health Professions Education)

 1975年,カナダ・ケベック州モントリオールにあるマギル大ロイヤル・ビクトリア病院内に,世界初の緩和ケア病棟(Palliative Care Unit)が開設された。それから40年余り,今や緩和ケアの概念は世界中に浸透しつつある。その一方で,現場レベルでは,ケアをどのように考え,どのように実践すればよいのか,医療者が担うべき役割は何かといったさまざまな議論が続いている。これからの緩和ケアにおいても創成期から変わらず重要な視点とは何か。「北米の緩和ケアの父」と呼ばれるバルフォア M. マウント氏(マギル大名誉教授)に,現地で全人的ケア教育を学ぶ土屋静馬氏が聞いた。

「緩和ケア」の創成期

土屋 マウント先生が緩和ケア病棟を設立した経緯をまず教えてください。

マウント きっかけは,著書『死ぬ瞬間』で有名なエリザベス・キュブラー・ロス氏の講演を,同僚が聞いたことでした。強く勧められて本を手に取り,感銘を受けました。

 私は当時,泌尿器科医でした。日々の診療で“死にゆく患者”に対して自分ができる限りのことはしているつもりでしたが,その苦しみに十分に目を向けられていないのではないかと気付かされました。ロイヤル・ビクトリア病院の終末期患者を調査したところ,症状のコントロールを含めた適切な医療が提供されていないことが明らかになりました。患者へのインタビューでは「なぜ医師たちは死を扱うことを恐れているのか?」なども語られていました。

土屋 そうした問題の解決策を求めて,『死ぬ瞬間』に論文が多数引用されていたシシリー・ソンダース氏の下に学びに,英国に渡ったのですね。

マウント はい。セントクリストファーズホスピスの全てのケア現場とカンファレンスに参加し,彼らが「何」を「なぜ」しているのかを一週間かけて一つひとつ学びました。

 がんに伴う疼痛コントロールはもちろん,便秘などの随伴症状も徹底的に観察し,症状の改善が試みられていました。スタッフはよく教育され,スキルもあり,ケアのためにできるあらゆることを積極的に取り入れていました。スタッフ一人ひとりだけではなく,チーム全体として機能していました。

 チームをまとめていたのが,シシリーです。シシリーは,医師,看護師,ソーシャルワーカーという多職種の資格を持っていたこともあり,視野が広く,聡明で,エネルギーにあふれていました。課題となっている問題や,そこで必要とされる考え,プランを言語化する能力にも優れていました。それは,新しい取り組みのリーダーとして大切な能力です。ユーモアセンスもありました。あの一週間が私の人生を変えたのです。

土屋 学びはすぐに実践できましたか。

マウント 想像できると思いますが,保守的な大学病院において,終末期医療を行う風土は皆無でした。ただ,当時ケベック州は経済危機下にあり,どの科も運営資金獲得に難渋していました。一部の病棟は閉鎖せざるを得ない状況の中で,州政府はいかに予算を抑えて医療の質を上げるかに強い関心を示していたのです。これはチャンスだと考え,「終末期医療の質の改善のために」と題した提案書を出しました。そして,2年という期限付きでしたが,予算を獲得できたのです。

土屋 最初に取り組んだことは?

マウント @院内を自由に活動できるコンサルテーションチーム,A地域の医療機関と連携したホームケアプログラム,B終末期の患者に専門的なケアを提供できる病棟の設置です。

 今でこそ刺激的な創成期の物語ですが,当時は短期間で結果を出さねばならないプレッシャーと不安がありました。ただ,提案書のおかげで12床の病棟は確保できていましたし,Family physicianのDr. Ina Amejian,後期研修を終えたばかりのDr. John Scottといった仲間を得られたことで,次第に成果を発表できるようになりました。

Let the patient do the talking !
Let the patient do the teaching !

土屋 マウント先生が診療の中で最も大切にしていたことを教えてください。

マウント 患者やその家族と話すことです。シシリーは,「Let the patient do the talking! Let the patient do the teaching!」といつも言っていました。患者と話し,“今”目の前にいる人がどういう人なのかを知ることから始めなさい,と。

 例えば,脊椎転移による圧迫骨折により下肢麻痺となり,誰とも話そうとしなくなってしまった乳がんの40代女性がいました。しかしある時,彼女の好きな音楽をきっかけに,時間を掛けて話を聞く機会が持てました。その時彼女は,ゆっくりと探るように,“今”の彼女自身についても話し始めたのです。語りを通して“過去”から“今”の自分へと意識が移ったかのように,話し終えた彼女の雰囲気は変わっていました。“今”の自分を省察することで,新しい視点で生きる意味を考え始めることができたのではないでしょうか。

土屋 患者の病状や客観的状況は変えることができなくても,医療者にできることはあるということですね。医療者が“今”ここにいる相手に集中することで,患者さん自身も“今”の自分に意識を向けられるようになる。

マウント 最終的に,医療者にどういう話をするかは患者本人が決めることです。医療者に必要なのは,いつでも話に耳を傾けられるよう,準備ができていることです。

医療者が担う“Healer”の役割

土屋 マギル大は,医療者の役割の2本柱として「Professional」と「Healer」を挙げて教育を行っています。Professionalは医師のCurer(治療者)としての役割のことですよね。Healer(癒やし人)とは何なのでしょうか。

マウント 本学は「Healing」を「A relational process involving movement towards an experience of integrity and wholeness(土屋訳:人生の意味が統合され,その全体性が見えてくる体験のプロセス)」と定義しています。

 死にゆく患者をケアする仕事に従事する中で,私の研究的な関心は,死という避けがたい状況に直面する人たちの苦しみはどこから来るのか,何が人生の質,QOLを変えるのかということでした。研究を進める中で,困難な状況にあっても,病気や出来事の意味を見いだし,人生全体の意味を統合させていく人がいることがわかりました。その際に重要となることの一例が,“今”を生きること,そして自分と周囲のつながりに気付くことです。“今”を生きる患者に目を向け,彼らの「人生の意味統合」の旅の仲間として,役に立つこと,それがHealerの役割です。

土屋 現在の世界の緩和ケアの動向について,どう感じていますか。ここ40年余りで大きな広がりをみせた一方で,医療的な面が強調され過ぎているという指摘もあります。

マウント 緩和ケアにおいて医療的な側面は非常に大事です。しかし,緩和ケアの考えがこれだけ広く浸透していながら,現場ではまだ十分なレベルの医療が提供されているとは言えません。ですから,これからもどんどん,使い得るあらゆる方法をもって,苦痛をなくす努力をしなければなりません。

 一方で,私たちが緩和ケアを行う上では,シシリーも大切にした「人間全体」,その苦しみ(社会心理的,実存的,スピリチュアルな苦痛など)に目を向けるという姿勢も常に重要です。そのための第一歩は,やはり,「Let the patient do the talking! Let the patient do the teaching!」だと思います。

インタビューを終えて

 3時間におよぶインタビューはまさにマウント先生のライフレビューでした。常に“今”の患者と向き合い,医療者としてできることを情熱を持って実践するロールモデルと言えます。先生は当初から,緩和ケアを特定分野だけでなく,医療全般の基礎となる臨床の場に発展させることをめざしてきました。その姿勢は今後の日本の医療者教育全般においても重要だと考えます。


Balfour M. Mount氏
カナダ・クイーンズ大,マギル大などを経て,1975年マギル大ロイヤル・ビクトリア病院にて世界初の緩和ケア病棟を開設。現代ホスピス運動の祖であるシシリー・ソンダース氏にホスピスケアを学ぶ。「緩和ケア」という名称の発案者であり,緩和ケア活動の初期から「医療者はCurerであるだけでなく,Healerであるべきだ」と述べている。なお,「palliate(緩和する)」の語源は,ラテン語の「pallium(体を覆い隠せるほどのマント)」。苦しみから人を守るケアのイメージと,ICUのような専門性を意識した「Care Unit」の言葉を合わせて「Palliative Care Unit(緩和ケア病棟)」と名付けたという。

つちや・しずま氏
2002年昭和大卒。卒後より同大横浜市北部病院内科にて,腫瘍内科医としての診療と,研修医・医学生向けの教育プログラムの開発に従事。15年よりカナダ・マギル大医学教育学修士課程に留学,医療者に向けた全人的ケア教育プログラム(Whole Person Care Program)の研究・開発を行っている。

週刊医学界新聞 第3222号 2017年5月8日

進行がんの37歳社員の会社への思い、社長はどう受け止めたか
 求人サービス会社エン・ジャパンでは、進行がんになった37歳の社員が働いている。鈴木孝二社長は、この社員からある申し出を受けた。それを社長はどう受け止めたのか――。『週刊ダイヤモンド』の5月13日号の特集は「がんと生きる 〜仕事 家庭 家計 治療」。がんになったとき、会社と社員はその関係を試される。

すずき・たかつぐ/1971年、愛媛県生まれ。大学卒業後、エン・ジャパンの前身である日本ブレーンセンター入社。2000年1月、エン・ジャパン設立と同時に取締役営業部長に就任。08年3月常務取締役、同年6月より現職。

――新卒で2002年に入社した西口洋平さん(37歳)が15年、最も進行した進行度IV期の胆管がんであると診断されました。西口さんはグループ会社のエンワールド・ジャパンを16年に退職し、グループの中核であるエン・ジャパンでパートタイム社員として働いています。なぜ雇用形態が変わったのですか。

 かつて大阪拠点を立ち上げたときのオフィスは小さくてぼろぼろの雑居ビル。電話で営業すると、部屋が狭すぎて自分の声が壁に反響し、相手の声か自分の声かよく分からなくなる。だから壁に段ボールを貼ったりして、まさに“ドベンチャー”。西口はそんな時代からの社員です。社員数も数十人で、採用面接のときのことも、入社してきたときのことも、よく覚えています。

 がんになった西口は「ステージ(進行度)が進んでしまっているので、いつ何があってもという状況で今考えています」と私に言い、グループ会社(エンワールド・ジャパン)を辞めて、キャンサーペアレンツ(子供を持つがん患者をサポートするウェブサービス)という社外の活動に本腰を入れるという決意を明かしました。

 そのうえで「無理でしたら全然いいんですけど、エンに何かを残したい」と言った。私は「分かった。探してみる」と返し、人事に話したところ、社員採用を担うチームへ来てもらおうということになったんです。

――申し出を受けたとき、即座に任せる仕事があると思ったのですか。

 思いました。拠点の立ち上げや新規開拓といった幾多の苦労を共にしてきた。出向を通じてまったく異なる風土で奮闘していることも聞いていた。その経験から(グループの中核である)エンがいかに恵まれているかを実感して「他の風土に触れたことがないエンの社員に、もっと伝えていきたい」という思いがあることも知っていた。グループ会社で人材紹介事業に携わっていたので、採用業務の実務経験もある。そうした経験、実績から、時間を限定してもパフォーマンスは担保できると思ったんです。

情けで特別扱いはしない。彼には信頼の貯蓄があった

――がんになってなお、仕事をきちんとしてもらうことが前提だった?

 そうです。情や哀れみの中でなんとかという思いは双方になかった。彼も「自分が活かせる場がなければないでいい」というスタンスで、権利の主張があったわけではない。無理やり役割を作るのではなく、彼がいることで会社にプラスになるものをフラットに探しました。

――特別扱いをせず?

 彼にだけ特別に何かをというような感覚はなかったですし、報酬は彼以外をパートタイムで採用するときと同じ(社会保険はフルタイム社員と同様の扱い)。西口に対し個人的な気持ちがないかといえば、ありますよ、当然。でも、意思決定の中にそうした感情を入れることはしていません。それをやってしまうと、双方がしんどくなってプラスにならない。

 もっとも、個人的な思いだって、結局はそれまでの仕事ぶりや生き方から引き起こされたもの。酒を飲みに行って楽しい奴だからどうのこうのというのではなくてね。要は、彼は過去において信頼や貢献を貯蓄していたんです。

 特別扱いしなかったというのは、制度で一括りにして杓子定規に対応を決めたということではありません。人によって病気の程度や仕事における制約も異なります。西口はレアケースで、生きる糧として会社へ藁をもつかむ思いという方も多いとは思いますが、なんにせよ本人が置かれている状況、どういった思いで何をしようとしているかという意思を知ることが第一です。

 西口はキャンサーペアレンツというプラスアルファでやりたいことがあって、そのためにも時間を使いたかった。では、どのくらいの時間働けるの?どれくらい稼がないといけないの?医療費がどれくらいで、保険はどうなっているの?体調はどうなの?信頼関係がありましたから、率直に聞きました。そのうえで、互いにウィンウィンになれることは何かを考えました。

制約の中でやってほしいこと、会社と社員のウィン・ウィン関係

――小さなベンチャーだったエン・ジャパンも、今や約1000人の社員を抱えています。今、西口さんのようなケースが100人出てきたら対応できますか?

 正直、対応できるような体制になっていません。会社とともに社員も年齢を重ね、家庭を持ち、彼らの親の年齢も上がっていく。本人が病気になったり、育児だったり、親の介護が必要になったり。社員が増えるほどに、それだけ社員に紐づいた変化、予期せぬ事態も増えてきています。

 個別事例をどう一般化していくのか、広めていくのか。本人が努力して信頼を積み重ねるだけでなく、どういう環境になっても仕事ができる人材に育成するよう、受け皿を用意しておくよう、会社側も変わっていかなければなりません。

――2016年12月に改正がん対策基本法が成立し、がん治療と仕事を両立できるよう、企業などの事業主に対してがん患者の雇用継続に配慮する努力義務を課しました。この4月に本誌(週刊ダイヤモンド)編集部ががんになった社員を支援する制度について企業へアンケートを実施したところ、企業の担当者からは「オープンにすることを避けたい」というような声が寄せられました。制度はあっても、実際は社員ごとに対応の中身も変わってくるからと。

 一律に論じるということをできるだけやりたくないというのは当然でしょう。がんであれば、発見したときの進行度も部位もそれぞれ。会社として制度化する難易度は高い。

 大事なのは、そういった状況になった本人が働き方を選べるような状態をいかに作っておくかということではないでしょうか。当社で言えば、法に準ずる制度を整備するにせよ、本人と会社とお互いウィン・ウィンの関係になることが大前提です。

働き方の選択肢を広げていきたい

 会社のみんなが成長を追求している中で、西口がもし「自分はこうなったんだからしょうがないよね。これは権利だよね」と被害者意識を強調していたなら、職場の雰囲気は乱れたかもしれません。社会にかかわってなんらかを生み出していく組織にいるのだから、「自分がここまではやります。やれます」と本人が会社に伝え、会社が「その制約の中でこれをやってくれ」と求める。そういう関係でないとうまくいかないと思います。

――こうしたケースが増えてもウィン・ウィンでいくために、会社は具体的にどう変わっていく?

 いろいろな働き方が当たり前になっていく中、「がんになって制約があるので、この仕事のこの部分を請け負います」というのも選択肢の1つなんだと思います。

 がんになったために、過去の仕事の経験やスキルが何らかの制限が課される。それは時間であったり、働く地域であったりする。制限が出ても、やれる仕事が十分にある状態を作る。働く場所や時間にこだわらずとも成果を上げてもらえるような働き方の選択肢を広げていきたいです。

 そのためには職務そのものの切り分け方や評価の仕方をブラッシュアップする必要があります。「この人でないとできない」という人に紐付いた仕事ばかりになると、制約がある人に渡せない。目の前にいることを評価するといった何かに従属した仕事のあり方や評価も障壁になります。

 また、制約がある中でも「やってほしいことがある」と思われる人材であるためには、何も制約や制限のない状態のときから力を養い、自立した仕事の進め方、責任感の持ち方ができるようにしておく。会社として、そうした力が身につけてもらえるような環境を作る。つまり開発する能力の方を変えていくことも必要でしょう。

――エン・ジャパンを含め、ベンチャーから急成長した人材系は一生涯働く会社ではないという印象もあります。

 一定期間働いたら、どんどん外に出てほしいとも思っているわけではありません。より長く意欲的に会社で働ける環境をどう作るかを考えています。終身雇用をうたっていないし、うたえる状況でもありませんが、どんどん卒業してと言っているわけではない。どこでも活躍できる力をつくろうということは言及しています。

 縁があって入社してくれた仲間です。甘やかすとか、仲がいいという意味ではなくて、プロフェッショナルとしてお互いが厳しく要望し合ったうえでの仲間でありたい。何かあっても信頼して任せられるような能力や本人の働く意思があるならば、会社側も受け皿となる選択肢を広げていくことで、何か起きたとしても仕事との両立は成立しやすいはずです。

DIAMOND online 2017年5月9日

日本人の死因第3位の肺炎 苦しむ高齢者に緩和ケアも選択肢
 日本呼吸器学会は2017年4月21〜23日、東京で開催された学術集会で、肺炎を繰り返し衰弱している高齢者や肺炎を併発した終末期のがん患者に対し、積極的な治療を控え苦痛を和らげる緩和ケアを行うことも選択肢になるとした新ガイドライン「成人肺炎診療ガイドライン2017」を発表した。同学会がJ-CASTヘルスケアの取材で明らかにした。

 肺炎にも緩和ケアを導入すべきとの議論は数年前から起きており、2016年5月には同学会から「積極的治療を行わない」と明記したガイドライン案が公開されている。

何が何でも治す、ではなく苦痛を与えないという選択も
ワクチンが効かない誤嚥性肺炎


 厚生労働省が発表している最新の「人口動態統計」によると、2015年時点でがん、心疾患に続き日本人の死因第3位となっているのが肺炎だ。日本呼吸器学会のウェブサイトでは、肺炎で死亡する人の94%が75歳以上と記載されている。

 なぜそれほど死亡者数が多いのだろうか。同学会によると高齢者の肺炎の70%以上が「誤嚥(ごえん=食べ物が気管に入ってしまうこと)」に由来する「誤嚥性肺炎」だという。ワクチンの定期接種では、空気中などに存在する肺炎の原因菌を吸い込むことによる感染リスクは下げられる。一方、誤嚥性肺炎は気管で発生した細菌が唾液などと共に肺に流れ込み、体内で増殖するためワクチンの効果が期待できない。

 誤嚥性肺炎は細菌の発生源が体内となるため再発を繰り返しやすく、抗菌薬を頻繁に投与する必要がある。だが、菌が薬に耐性を持ってしまうため効果が薄れてしまう。同学会も、

「(誤嚥性肺炎は)優れた抗菌薬治療が開発されている現在でも治療困難なことが多い」

とし、2017年1月に新ガイドラインへのパブリックコメントを募集した際には「再発によって繰り返し苦しんだ末に亡くなってしまう例も少なくない」とコメントされている。

 誤嚥が起きないようにできないか。J-CASTヘルスケアが都内の介護事業者に取材を行ったところ、「完全に誤嚥を防ぐのは難しい」と語り、こう説明した。

「流動食にしても、そもそも高齢者は加齢によって『嚥下反射』という口の中のものを食道まで送る動きが低下しているので、知らないうちに誤嚥を起こしていることが少なくありません。介護が必要な状態の高齢者であればなおさらです」

 雑菌などが発生しないよう高齢者の口腔ケアに気を注意し、食後すぐに横たわらないようにするなどの対応はしているものの、誤嚥性肺炎のリスクをゼロにするのは困難だと苦慮する様子を見せた。

「見ているこちらがつらくなるほど衰弱」

 誤嚥性肺炎に限らず肺炎の特徴的な症状は「発熱」「せき」「たんが出る」などが挙げられるが、患者を特に苦しめるのは酸素低下による呼吸不全だ。高齢になるほど身体機能の衰えも大きく、人工呼吸器がなければ呼吸ができないほど悪化する例も少なくない。末期がんの父親が肺炎も併発して苦しんだという60代の女性は、「見ているこちらがつらくなるほど衰弱していた」と話す。

「直接の死因はがんでしたが、ただでさえがんで体力が低下しているところに肺炎でさらに弱ってしまい、もうろうとした状態で苦しみながら亡くなった姿を思い出すと、もっと早い段階で緩和ケアなどを考えてあげればよかったと思うこともあります」

J-CASTニュース 2017年5月8日

日本集中治療医学会「DNAR指示のあり方についての勧告」
救命の努力を放棄しないために
丸藤 哲(日本集中治療医学会倫理委員会委員長/北海道大学大学院医学研究院侵襲制御医学分野救急医学教室教授)

誤解・誤用に基づくDNARと安易な終末期医療への危惧

 DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)は,心停止時に心肺蘇生(cardiopulmonary resuscitation;CPR)を実施しないことを意味する。1991年公表のAmerican Medical Association指針は,「DNARは,医師のみならず関連する全ての者がその妥当性を繰り返して評価すべきであり,心停止時のCPR以外の治療内容に影響を与えてはいけない」と明言した1)。

 心肺蘇生法指針であるGuidelines for CPR and ECC(emergency cardiac care) は,この内容を忠実に踏襲した。CPR以外の全ての医療を遅滞なく速やかに実施すべきこと,ICU入室のほか酸素,鎮痛・鎮静薬,抗不整脈薬,昇圧薬,栄養・輸液など具体的治療名を挙げて,「DNARにより自動的にこれらの不開始,差し控え,中止をすべきではない」と繰り返し記載している2〜5)。

 DNAR(当時はDo-Not-Resuscitate;DNRと呼称した)は,“蘇生を行わないという指示”として1980年代に本邦に紹介された。しかし,その正しい解釈,「心停止時にCPRを行わないがその他の医療・看護行為は全て実施する」ことを理解し実践した医療従事者は20%程度であったとの調査結果が公表されている6)。

 1995年に横浜地裁で判決が下された東海大安楽死事件(有罪;懲役2年,執行猶予2年)以降,DNARの議論は下火となり,マスメディアを含む世間の関心は人工呼吸器中止の是非を主体とした終末期医療に移行していく。その後二十数年をかけて終末期医療のあり方に関する理解と合意形成がなされ,患者の尊厳を無視した延命医療の継続は大きく減少した。しかし,1990年代の誤解と誤用が現在も残り,DNARの下に基本を無視した安易な終末期医療が実践されている,あるいは救命の努力が放棄されているのではないかとの危惧が,最近浮上してきた。

DNARに関する現状・意識調査

 日本集中治療医学会は,会員施設および医師・看護師会員を対象にDNARの現状・意識調査を施行した結果に基づき,DNARの正しい理解に基づく実践のためには表1の諸点に留意する必要があることを勧告した7)。

表1 DNAR指示のあり方についての勧告(日本集中治療医学会)


 現状・意識調査の結果7)は,適応外と考えられる者(認知症,高齢者,日常身体活動能力が低い,身寄りがない,緊急入院など)に,1人の医師が,1回の説明と同意のみで,あるいは患者(患者家族)の意思確認なしでDNARを決定し,酸素投与から生命維持装置に到る治療の不開始,差し控え,中止を日常的に実施している現状を浮き彫りにした(表2,3,4)。

表2 DNR(DNAR)で差し控えを考慮する医療行為(複数回答可)


表3 後期高齢者ということのみでDNR(DNAR)を考慮することがあるか


表4 患者の入院前のADLが低い(寝たきり,全介助でコミュニケーションがとれない)ということのみでDNR(DNAR)を検討するか


 さらに,看護師対象の調査7)では,DNARについてジレンマや困難感を感じた内容(自由記述式回答)として,「本当に終末期なのか,救命の可能性があるのに医師の判断でDNARが決定される」「DNARだからと全ての治療が差し控えられる」などが挙げられた。心ある看護師が心理的葛藤を抱き,悩んでいる状況がうかがえる。

終末期医療とDNARの正しい理解を

 終末期医療では「開始した治療(例えば人工呼吸器)の中止は困難かつ不可」であるがDNARでは「容易に可能」,という誤った解釈が全国的に敷衍している(この状況下での日本版POLSTの導入は,DNARの誤用がさらに進む危惧がある)。

 解決策はあるのか。日本集中治療医学会勧告の周知徹底は当然として,厚労省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」8)などの終末期医療指針のさらなる普及が必須である。加えて,医学・看護学生,全ての医療従事者への臨床倫理教育や,(正しいDNARのあり方を包含した)終末期医療に関するマスメディア・一般市民への普及啓発が必須かと思料する。

 日本集中治療医学会は「法的制裁をおそれるがあまりに患者の尊厳を無視した延命医療が行われていないか」という問いへの回答を模索し「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン〜3学会からの提言〜」を公表した9)。その過程で「尊厳死,延命医療拒否の錦の御旗のもとに救命の努力が放棄されているのでは,との危惧がある」と問い掛けた10)。残念ながら,この危惧は現実のものとなっているようである。

◆参考文献
1)JAMA. 1991[PMID:2005737]
2)JAMA. 1992[PMID:1404774]
3)Circulation. 2000[PMID:10966661]
4)Circulation. 2005[PMID:16314375]
5)Circulation. 2010[PMID:20956219]
6)新井達潤,他.終末期患者に対するdo-not-resuscitate order(DNR指示)はどうあるべきか――日本蘇生学会,日本集中治療医学会,日本麻酔学会評議員に対するアンケート調査.麻酔.1994;43(4):600-11.
7)日本集中治療医学会.Do Not Attempt Resuscitation(DNAR)指示のあり方についての勧告.2016.
8)患者の意思を尊重した人生の最終段階における医療体制について.
9)日本集中治療医学会・日本救急医学会・日本循環器学会.「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン〜3学会からの提言〜」の公表.2014.
10)丸藤哲,他.急性期の終末期医療に対する新たな提案――第36回日本集中治療医学会学術集会合同シンポジウムより.ICUとCCU.2009;33(11):799-801.

がんどう・さとし氏
1978年北大医学部卒。大阪府立病院救急専門診療科,市立札幌病院救急医療部などを経て99年より現職。


週刊医学界新聞 第3224号 2017年5月22日

まだ26歳。女性のがん患者が、おしゃれやメイクを楽しむ本当の理由
広林依子 デザイナー、ステージ4の乳がん患者

 デザイナーの広林依子と申します。私は現在29歳の、ごく普通の女性で、独身です。友達とカフェでワイワイ話したり、おしゃれを楽しんだり、ときには海外旅行に出かけたりしている普通の生活を送っています。他の人と違うのは、3年前の26歳のときに乳がんを宣告され、そのときすでに骨に転移しており、それからステージ4のがん患者人生を送っていることです。

 このブログでは、デザイナーの私が考えた、【ステージ4のがん患者のライフデザイン】の1例を紹介していきます。今回は、女性のがん患者にとってのおしゃれやメイクの意義について書いてみます。

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・落ち込んだ気分を上げてくれるのは、メイクやおしゃれ


 ステージ4のがん治療とは基本的には生きている限り治療を続ける「エンドレス治療」になります。私の場合、抗がん剤の投与を続けると、副作用の影響で髪が抜けたり顔が黒ずんだり痩せたりするなど見た目の変化が生じました。鏡で見た自分の姿は、まるで年老いたおばあちゃんのようでショックを受けた経験があります。

 「まだ26歳なのに、もうおばあちゃんみたいに生きなきゃいけないの?」。同世代のまわりの友人は、恋愛、結婚、妊娠に人生を謳歌していました。女性としての人生を楽しめる時期なのに、なぜ私だけ......。本当に落ち込み、家にひきこもっていた時期もありました。

 そんなときに私の気分を上げてくれたのは、メイクやおしゃれでした。ファンデを塗ってチークを入れるだけで肌色はうんと明るくなります。特に入院中はメイクするだけで気分が上がりました。お気に入りの服を着ると気分良く一日を過ごせます。抗がん剤治療の影響で髪が抜けたら、自分に合ったウィッグをして眉毛やまつ毛にポイントメイクをしたりしてみましょう。女性にとっては、メイクやおしゃれを楽しむことは、本当に力になると思います。

 誰でも鏡で見る自分がキレイに見えるとテンションが上がると思いますが、治療中には生きる糧になります。精神的なものでなく、見た目の変化がビジュアルで見えることはとても効果的です。メイクやおしゃれをちゃんとしていると、周りも「がん患者」とは思いませんし、ちゃんと接してくれるので人間関係も良好になりました。

 ポイントは、【がん患者であることを隠すため】にメイクやウィッグをするのではなく、【なりたい自分になる】ためにすることです。「私は自分自身が充実した人生を送っている」と自分自身を錯覚させて気分を上げるためにするということ。病気を隠すためではなく、なりたい自分になるためにメイクやおしゃれを楽しむことです。これで、心の持ちようがワンランク上がります。

・メイクやおしゃれの力で、自分自身を錯覚させる

 私は、実は治療のことを「負けゲーム」と呼んでいます。根治の難しいステージ4のがんなので、がんの進行スピードに違いはあっても、進行が止まることはありません。実際に抗がん剤治療を続ければ続けるほど、体に副作用は出てきます。この状況を受け入れるのは簡単なことではなく、かなりの精神力が必要です。ステージ4のがんを治療している方の多くは、この現実に苦しんでいらっしゃるのではないでしょうか。

 私は、この「負けゲーム」を、「勝ちゲームをしていると自分を錯覚させる」ことで自分を取り戻しました。自分自身を錯覚させるのに、メイクやおしゃれの力はとても効果的だったのです。

 ちょっと体力がないときや時間がないときは、アイラインや頬などのポイントに差し色を入れるのが効果的です。そうすれば、強調したいところに目が行くようになります。学生時代にデザインの先生から「服を選ぶように色を選びなさい」と教わりました。デザインのおける色の使い方のポイントは「差し色」。だいたい、【3:7=差し色:非差し色】くらいの割合で、配色を考えデザインします。

 今はこの考え方をメイクにも応用して、血色の良い自分を見せたいと思ったら、鮮やかな色のチークを頬にのせています。服選びでも顔を見せたい時は首に差し色を使ったり、手を見せたいときは、手首に差し色のある服を選んだり指先にネイルをしたりしています。また、全体に明るい印象に見せたい時は、明るい色のウィッグや服を選びます。

 頬のチークだけでもいい。人に見せたい自分の好きなパーツを作ること。そのようなパーツを意識するだけで、自分にちょっと自信が湧いてきます。そうしてひとつ自信をつけると、自然と考え方もポジティブになれました。

 絵を描くときに「どのような絵を描きたいか」を考えるのと同じように、メイクやおしゃれも、「どのような自分になりたいか」を思い浮かべることが大事だとわかりました。

・生きる目的を見つけて、生活に「差し色」を

 メイクやおしゃれにかぎらず、「がんになった自分がどうなりたいか」について明確な目標を作ることは、前向きに治療を続けるうえでもとても大切です。やりがいのある仕事をするのもいいし、新しい趣味を始めるのもいい。そうすると生活に「差し色」ができて生活にメリハリが出てきます。

 私はメイクアップした自信のある自分の姿を、定期的に「遺影」として撮ってもらっています。「遺影」と聞くと縁起が悪いように思いますが、自信のある自分を写真に収めることは、抗がん剤治療を頑張った自分へのご褒美になり、とても元気が湧きました。

 そしてもう一つ、今は入院中に頂いたお見舞の花を描いて、その絵をInstagramにアップするようにしています。すると世界中の人からお褒めのコメントを頂き、病室に居ながら世界中と繋がれて、やりがいを感じています。

 私の人生は、「差し色」によって彩り豊かになりました。私だけでなく、がんになる前よりも生き生きと暮らしている方も多くいらっしゃいます。時には「がんになってよかった。がんになる前よりも今のほうが幸せ」とおっしゃる方も。それはきっと、がんになった後の生活に「差し色」を見つけたからではないでしょうか。

Huffpost Japan 2017年6月5日

なぜ看護師はがん患者を「モンスター」と呼んだのか
オピオイドの適正使用のために
 がんが進行して強い痛みが出た場合、緩和ケアが欠かせません。ところが、治療薬に悪いイメージを持っている人もいます。アメリカの医師が、オピオイド鎮痛薬の適正使用に向けた考察を著しました。

オピオイド鎮痛薬とは?

 オピオイド鎮痛薬は痛みを和らげる強力な作用のある薬剤です。モルヒネ、オキシコドン、フェンタニルなどがオピオイド鎮痛薬に分類されます。

 オピオイド鎮痛薬はがんの痛みなどに活用され、患者が治療中の生活を維持するために欠かせない役割を持っています。がん治療の中で、オピオイド鎮痛薬を含む緩和ケアが近年特に重視されています。

 オピオイド鎮痛薬は副作用として、吐き気・嘔吐、便秘、眠気、呼吸抑制などを引き起こす場合があります。また、まれに薬物依存を引き起こします。

 医療用の目的を離れてオピオイド鎮痛薬を不正に使用することは薬物乱用として問題にされます。アメリカではオピオイド鎮痛薬の乱用に対して社会から強い関心が向けられています。

「モンスター」と呼ばれたがん患者

 ペンシルベニア州立大学ミルトン・S・ハーシー医療センターで緩和ケアを専門にしている医師のスーザン・グロッド氏が、医学誌『The New England Journal of Medicine』に寄稿したエッセイで、「別の犠牲者たち」への配慮を訴えました。

 このエッセイは、グロッド氏が担当していた患者が、オピオイド鎮痛薬を使うことに妨げがあったことを記しています。その患者はジェリーという名前で、がんが広い範囲に転移して激しい痛みを起こしていました。

 ジェリーはがんを診断される前にコカインを乱用したことがありました。ジェリーが痛みを感じてがんを診断され、緩和医療クリニックでグロッド氏の診察を受けました。

 ジェリーは痛みの治療に規制物質を使うことに強く反対しました。その後数か月のあいだ、神経ブロック治療や鎮痛補助薬だけでなく、マッサージやレイキ(霊気)まで使って痛みの治療が試みられました。痛みが激しくなり、抗がん剤の点滴を打ってもらいに行くこともできなくなったとき、ジェリーはオピオイドを使うことに同意しました。

 ジェリーには小さい娘と10代の息子がいました。抗がん剤治療にもかかわらずがんは肝臓、肺、脊椎に転移しました。ベッドから起き上がるためにオピオイドの増量が必要になりました。ジェリーは病院に通うと過去について繰り返し尋ねられ、なぜそれほど多くのオピオイドを要求するのか疑いの目で見られるという理由で、通院に苦痛を感じていました。

 痛みが激しくなり、嘔吐して受診したとき、オピオイドの点滴は自宅で飲んでいた量に比べてわずかな量しか使われていませんでした。

 グロッド氏はジェリーの痛みを和らげるために薬剤をオーダーし、担当の看護師に説明しました。すると看護師は薬剤の量が多いことに疑問を示し、「彼が中毒患者なのはご存知ですね」と答えました。そこは病室のすぐ外で、ドアは開いてあり、ジェリーに会話は聞こえていました。グロッド氏が痛みを治療する必要があることを説明すると、看護師は「そうやって私たちはモンスターを生み出すんですよ」と答えました。グロッド氏が病室に戻ると、ジェリーは泣いていました。

オピオイドはなぜ嫌われるのか

 グロッド氏は、アメリカで最近20年ほどのうちにオピオイドを使った痛みの治療が重視された結果「オピオイドの流行」が社会の関心を集めるようになったことを指摘し、患者がオピオイドを恐れるあまり「命の終わりに近づいたとき、薬物依存の可能性がある治療を試すよりも寝たきりになることを選ぶ患者もいる」と記しています。

薬物乱用をした人は「モンスター」なのか

 薬物乱用は社会全体で立ち向かうべき問題です。しかし、ただ乱用を悪として扱うだけでは解決しません。適切な医療用目的のオピオイド鎮痛薬は、がん治療には欠かせません。乱用の経験があるかどうかにかかわらず、必要なだけの緩和ケアを受ける権利が侵害されるべきではありません。まして患者を医療者が「モンスター」と呼ぶようなことはあってはならないことです。

 薬物依存を治療する観点からも、乱用をした人を責めるのではなくサポートすることが重視されています。ほかの研究では、麻薬乱用者への聞き取りの中で、家族から責められるとむしろ再び薬物乱用をしてしまう傾向が指摘されています。またアメリカでオピオイド鎮痛薬を乱用した人を対象に行われた調査では、治療を受けていた人が26%にとどまっていたことが報告されています。

 薬物乱用は間違ったことです。しかし、乱用をした人も人間です。乱用を反省したり、依存の症状に耐えて再び乱用しないよう努力することは、人間としての意志があってはじめて可能になります。その意志は、オピオイド鎮痛薬が必要になったのに使用をためらうことにも結び付きます。

 激しい痛みがあるときに有効な薬が提供されることは、最低限の医療の一部です。「オピオイド依存は悪いこと」という考えにとらわれて、人間としての患者の感情と痛みを想像できなくなってしまうことは、正しい医療とは言えません。

 グロッド氏はエッセイの中で「振り子」という表現を使っています。オピオイドは良いか悪いかという思考を往復するだけでは解決は見えてきません。どんな薬にも良い面と悪い面があります。どちらかの面を価値判断に置き換えてしまう考え方ではなく、人間としての良心によって目の前の状況をとらえることが、誰にとってもますます重要になっているのではないでしょうか。

執筆者 大脇 幸志郎

参考文献

The Other Victims of the Opioid Epidemic.

N Engl J Med. 2017 June 1.


MEDLEY 2017年6月8日

入院患者に寄り添う
県内初「臨床仏教師」森脇さん(松山)、心のケアに取り組む
 終末期医療などの現場で心のケアに取り組む「臨床仏教師」として、松山市別府町の浄明院副住職森脇宥海さん(45)が4月から活動を始めている。傾聴技術や専門知識を身に付けた仏教者で、県内では森脇さんが初めて認定された。緩和ケアチームの一員として週1回、市内の病院を訪れ、生老病死にまつわるさまざまな思いを抱く入院患者に静かに寄り添っている。

 5月下旬、松山市南梅本町の四国がんセンター緩和ケア病棟。ゆったりとした病室に脊索(せきさく)腫を患う80代の男性が横たわっている。森脇さんはベッドのそばに座り、そっと語り掛けた。

 「1週間どのようにお過ごしでしたか」「ありがとう。今日はいつもと格好が違うなあ」。和やかな雰囲気の中、たわいない会話を交わす。男性はこの日体調が悪く、森脇さんは20分ほどで病室を後にしたが、男性は「来てくれるんを楽しみにしとんよ」と穏やかに話した。

 臨床仏教師は仏教教団の協力でつくる全国青少年教化協議会(東京)が提唱。宗派を超えた僧侶たちが仏教の精神に基づき、人生の最終段階などにある人々の孤独や悲嘆、恐怖を受け止め、心のケアを行う。布教は目的にしていない。欧米で一般的な教会以外の施設で活動する聖職者「チャプレン」などをモデルに、2013年に養成講座を開設した。

 森脇さんは、近年寺や僧侶が縁遠い存在となり、苦しい状況にある人々を支えられていないと感じ、臨床仏教師を志した。14年から講座を受け、社会問題を学ぶ座学、傾聴技術を習得するワークショップ、病院などでの実践研修に約2年間取り組んだ。考査合格後の今年3月に資格を取得。全国で11人しかいない認定者の1人だ。

 緩和ケア病棟に入院する患者は末期がんで60〜70代が中心。入院日数は平均20日程度のため、森脇さんが病室を何度も訪問して対話を重ねることができる人は多くはない。面談を約束していた人が亡くなってしまうケースもあった。

 この2カ月で向き合ったのは10人ほど。同年代の男性患者からは仕事ができないつらさや家族への申し訳なさ、幻視に悩まされる不安を打ち明けられた。じっくりと話を聞いて思いを受け止めたところ、ほっとした表情を見せたという。

 森脇さんは「もっとほかの話ができたのではないかなどと今は反省ばかりしているが、訪問を待ってくれる人がいるのはうれしい。相手の気持ちを尊重し素直に寄り添うことで、苦しみを少しでも和らげたい」と力を込める。

 四国がんセンターの成本勝広緩和ケアセンター長は医療者だけでは十分に行き届かない心のケアを臨床仏教師が担っているとし、「森脇さんとの会話の中で患者が生きる意味や新しい目標を見いだしてくれれば」と期待している。

愛媛新聞 2017年6月8日

オピオイド誘発性便秘薬を新発売
塩野義製薬の「スインプロイク錠0.2mg」、既存治療と異なるアプローチで症状改善
 塩野義製薬株式会社は6月7日、オピオイド誘発性便秘症(OIC:Opioid-induced constipation)治療薬「スインプロイク(R)錠0.2mg」(一般名:ナルデメジントシル酸塩)について、同日に発売したと発表した。

 オピオイド鎮痛薬は、がん性疼痛治療の中心的役割を果たしているが、その副作用が治療目標の達成や治療継続の障害となっている。なかでも便秘は、オピオイド鎮痛薬の治療を受けている患者の40〜80%に認められており、身体的負担が大きい。このことから、オピオイド鎮痛薬の副作用の中でも、疼痛管理の妨げとなっているといわれている。

 スインプロイクは、塩野義製薬が創製し、同社が単独でグローバル開発を進めた初めての医薬品。国内でOICに対する適応症を取得した唯一の末梢性μオピオイド受容体拮抗薬であり、既存のOIC治療とは全く異なるアプローチでOICの症状改善が期待される。

 OIC患者対象の国内第3相臨床試験の結果では、プラセボとの比較で、いきみや残便感を伴わない自然な排便の回数を有意に増加した。

 安全性については、OICを有するがん患者対象の国内臨床試験で、安全性評価対象症例224例中、副作用(臨床検査値異常変動を含む)は67例(29.9%)に認められた。主なものは、下痢49例(21.9%)、腹痛5例(2.2%)であったという。また、OICを有する非がん性慢性疼痛患者対象の国内臨床試験では、安全性評価対象症例53例中、副作用(臨床検査値異常変動を含む)は17例(32%)に認められた。主なものは、下痢10例(19%)、腹痛3例(6%)だったという。

m3.com 2017年6月12日

連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」
在宅を望む本人と入院望む家族、どちらに立つ?
廣橋 猛(永寿総合病院)

 アメリカのトランプ大統領が「アメリカファースト」を掲げ、様々な新しい政策を繰り出しては、波紋を広げています。東京都の小池百合子知事が初登庁時の職員への訓示で強調したのは「都民ファースト」でした。今回、緩和ケア医として私が掲げたい公約は「本人ファースト」です。

 「これから、どこで、どのように過ごすか」というテーマ。終末期、もしくはその状態が迫る癌患者を診療している医療者であれば、誰もがそれを考えざるを得ない事態に遭遇するではないでしょうか。そして、これは癌患者だけに限りません。治癒困難な病気を抱える全ての患者や家族にとって、大きな問題です。

 先日、このようなことがありました。緩和ケア外来に通院されていた癌患者が、急激な体力低下を実感され、不安に感じて相談に来られました。病状的には予後も限られてきており、そろそろ緩和ケア病棟へ入院されてもよいし、まだ自宅で過ごしたいならば在宅医療を受けた方がよいとお話ししました。

 本人は在宅医療を受けてでも、もう少し自宅で頑張りたいという気持ちを表明されました。一方で家族は、介護者が不在のため一人で過ごさせる時間があり不安であるという理由から、入院させたいという気持ちを示されました。

 似たような状況として、次のような場面によく遭遇しないでしょうか。入院されている終末期の癌患者が、比較的苦痛症状は落ち着いているが、体力は低下しつつある状況。本人は自宅に帰りたいと希望しているが、家族は介護が難しいからと退院に難色を示すケース。

 いずれも本人は自宅で過ごしたいと希望しているが、家族は入院させたいと考えています。このようなとき、医療者はどうすればよいのでしょうか。

 一番良くないのは、先に家族とだけ話をして外堀を埋めておくことです。「この状態では自宅で過ごすのは無理でしょう。介護だって大変ですよね? 本人には『もう少し良くなって帰れるように頑張りましょう』とお話ししておきます」と話が済んでいて、本人には帰れるように希望を残しておく方法。もちろん、良くなることはないのに。自宅での介護など考えられない家族も確信犯になります。これ、人権侵害だと思いませんか?

本人が示した意思をかなえることを最優先に

 医療における最も大切な権利の一つに、自己決定権があります。患者は自分のことを知り、自分で決めることが権利として定められています。当たり前のことです。でも、この終末期の療養の場を決める意思決定において、しっかりと守られているでしょうか。

 医療者はまず患者と家族と一緒に、今後どのように過ごすかの相談を行う必要があります。どちらかだけの味方になるべきではありません。そして、今後どのようになっていくかという情報を伝えつつ、患者がどう過ごしたいと考えているか、家族がどう過ごさせたいと考えているかの気持ちをみなで共有することが大切です。まず、ここからです。

 患者と家族の気持ちが共有できたら、それぞれの想いを整理していきます。患者が自宅で過ごしたいという希望を実現するために、自宅で介護の支援を受けられる具体的なプランをお話ししてみてもよいでしょう。どのようにすれば自宅で過ごせるか、という提案をしてみます。一方で、不安や負担に感じる家族の気持ちを知って、患者がどう考えるかという心の揺れにも気を配ります。家族がそこまで心配しているのであれば、外泊を繰り返すのでもよいかなと考え直す患者もいるかもしれません。

 そして、ここで「本人ファースト」です。本人が明確な意思表示をしている以上、まずそれをかなえるためにはどうしたらよいか、という発想から入るべきなのです。もちろん現実的に難しいこともあるのですが、それでもまずは「本人ファースト」です。そこから話し合いを始めて、全員で考えて方針を決定していく作業に意味があります。ちなみに、患者本人が自分の意思を表出できない病状のときは、次にその意思決定を代理する誰かを決めておく必要があります。

 本人の意思を尊重した治療や療養が最期まで続けられたという事実は、その方を亡くされた遺族にとっても大きな支えとなります。本人が望むようにさせてあげることができた、という保証は満足感にもつながります。

 少し前に、自分が在宅医療で看てきた慢性疾患の患者が急に亡くなりました。でも、以前から本人は自宅で苦しまずに逝きたいという意思を表出されており、ご家族とも共有することができました。そのため、もちろんご家族は急な最期にショックは隠しきれない様子でしたが、その一方で本人が望むように最期まで自宅で苦しまずに看られたという安堵の気持ちをお示しくださいまして、そのおかげで診てきた私も救われたのです。

 まずは本人の気持ちや希望がどうか。本人の意思を大切にしましょう。

 「本人ファースト」ですよ。
 
著者プロフィール

廣橋猛(永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長)●ひろはし たけし氏。2005年東海大学医学部卒。三井記念病院内科などで研修後、09年緩和ケア医を志し、亀田総合病院疼痛・緩和ケア科、三井記念病院緩和ケア科に勤務。14年2月から現職。


BPnet 2017年6月16日

2000人以上の終末期がん患者に寄り添った医師による『死ぬとき…
 旭屋書店による1億人の本と本屋の動画投稿サイト「本TUBE」のスペシャル企画として、大津秀一著・『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』発売を記念した著者インタビューを実施!大津さん自身に、今回の新刊についてじっくりと語っていただきました。

◆本編再生はコチラ!
http://www.hon-tube.com/pc/movie.php?movieid=2000

 旭屋書店では、新刊『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』をピックアップし、インタビューを開催した。著者である大津秀一さんは、緩和医療や終末期医療を専門とする医師として、終末期がんの患者を2000人以上も診療してきた一方で、講演や執筆活動を通じて緩和ケアや死生観の問題等について問いかけを続けている。主な著書に、30万部突破のベストセラー『死ぬときに後悔すること25』をはじめ、『「いい人生だった」と言える10の習慣』、『死ぬときに人はどうなる 10の質問』、『傾聴力』などがあるが、最新刊へかけた想いは一体どのようなものだったのだろうか?

 まずは作品の根底にある、大津さんの専門分野・緩和ケアについてお話を伺ってみる。
「緩和ケアというのは、主にがんの患者さんの心身の苦痛を和らげる治療です。終末期というイメージがあるかもしれませんが、現在ではがんを患った時から、しっかり『痛い』とか『辛い』といった症状を和らげることが重要と言われていますので、薬物治療を行ったり、お話を聞いて、辛い原因を突き止めて対応をする、症状を和らげる治療を指します。」

 職業柄、多くの亡くなっていく方の話を聞く機会がある大津さんは、死を前にしている方の話を聞く機会もあるのだとか。『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』はまさに、死を目前にし、健康な時に大切と思っていたものに対して「ちょっと違うんじゃないか?」と気づいた方のエピソードを33編集めたものとなっている。

「例えば印象的だったのは、子育てでいがみあっていた夫婦が、ご主人の方が末期のがんということが分かってしまったことがきっかけに、色々な紆余曲折を経て和解し、一丸となったという話です。その時に、おっしゃっていたのが、『これまで役割という事にしばられていた、自分自身も思い込んでいたし、他の人にも強制してしまっていた。ちょっと変わることによって、愛で繋がっているのが家族なんじゃないか』と、最後に気が付かれたんです。」

 このエピソードから分かるように、本著には「終末期」という言葉などから連想されるような悲壮感はなく、現代人の抱える悩みをふっと楽にするような話が集められているのだ。

 この本には、普段生きにくさを感じている方が自由になれる示唆があるのではないか、と大津さんは述べる。この本の中で見つめているのは、人の“死”ではなく、“生”であり、健康な方も、そうでない方にとっても、尊い日々をさらに輝かしいものにしてくれる、この上なく前向きな一冊なのである。ちなみに大津さんご自身も、「仕事はしっかりしながらも、やりたいこと、楽しいことは後回しにしない」という信条を持っているという。緩和ケアを通して大津さんに託された、患者さんたちの生きた証を、ぜひ見届けていただくことで、あなたの中のポリシーに変化や進化が訪れるかもしれない。

単行本: 205ページ
出版社: 幻冬舎

◆本TUBEとは・・・
著者出演動画数は国内最大級!動画で気軽に”本”と出会える、本屋が作ったコミュニティサイトです。

読んでみたくなる本が動画で見つかる、読んだ本の記録や整理できる本棚機能など、
毎日の読書がもっと楽しくなるコンテンツが盛りだくさん!
http://www.hon-tube.com/


時事ドットコム 2017年6月16日

快刀乱麻 心肺蘇生不要の「DNAR」、その見直し論を考える
 「延命の努力をどこまで行うべきか」という問題は、安楽死問題と並んで古くて新しいテーマであろう(延長線ではないという議論も承知しているが、区別・整理の意味でも両者はあわせて論じられることが多い)。週刊誌では、今でも「無駄な延命」は医者の金儲けの手段にすぎないといった陳腐な論調が中心で、がんに罹患したものの延命治療を拒否して亡くなった有名人などが美化して取り上げられることも多い。

 厚生労働省も医療費節減の格好の材料だとばかりに、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年)を出していたが(これなどは「終末期」の定義すら曖昧であった)、2014年に日本集中治療学会と日本救急医学会、日本循環器学会の「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン 〜3学会からの提言〜」、厚労省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」が相次いで出たことは記憶に新しい。

 このようなガイドラインの誕生で、安心して(?)「Do Not Attempt Resuscitation(DNAR)の指示」ができるようになったからでもあるまいが、最近、DNARに対して厳格な運用を求める声が日本集中治療学会などから挙がっているようである。日本老年医学会の2010年度(平成22年度)調査によると、認知症の末期患者へのAHN(人工的水分・栄養補給)を差し控えることについては、倫理的に問題があると考えている医師が半数を占め、「意思決定に困難を感じた」という医師は9割にも達しているとのことであったが、日本の医師も、日本人であり一方向に走るのが好きな人たちであるから一気に宗旨変えしたのであろうか。

見直し論の代表は日本集中治療学会の勧告

 見直し論の代表が2016年12月日本集中治療学会「Do Not Attempt Resuscitation(DNAR)指示のあり方についての勧告」であり、同勧告は、心肺停止以外はDNARの対象ではないとしている(関連記事)。

 確かに「急変」と「心肺停止」とは本来は区別されるべきであるし、DNARを取っているからといっても血圧が急に下がったときのICU入室なども差し控えるのは行き過ぎとの批判が勧告ではなされている。

 しかし、実際の現場で、DNARの指示がある患者が、ICUで「スパゲッティー症候群」になっていたら、文句を言う家族もきっといるだろう。もちろん、延命のための診療行為を個別具体的に説明し、どこまでの範囲なら行うのか契約を交わしておけば、その範囲だけを行う、あるいはそれを超える診療行為は作為義務がなくなるといえるだろうが、そもそもDNARは意思決定能力がしっかりしているときに患者本人の了解を得て決めておかなければ法律的には無効なはずである。これは現場にとっては難題である。確かに、意見交換しやすい家族の意思でDNARにするという法律構成(第三者のためにする契約)も不可能ではないだろうが、家庭裁判所の選任した成年後見人ですら、延命の是非など、医療判断に関しての患者の自己決定権の代行はできないというのが一般的な法律家の考え方である。

家族は本人の最大の利益相反者

 ましてや、早く患者が死んだら遺産がもらえ、無駄な医療費を払わなくてよい家族の意向というのは、利益相反以外の何物でもない。医師は、利益相反というのが、本来の意味を離れて、製薬メーカーとの付き合いを制限するものとしか捉えていない節があるが、最高裁昭和48年4月24日判決(?集民 第109号183頁)は、母親と子供の間でも相続財産の分割について利益相反を認め、「子を思って」などといった主観は無関係で、外観だけで利益相反を判断するとしている。家族は患者との関係では最大の利益相反者なのである。家族の口車に乗ったわけでもないだろうが、積極的な生命短縮行為を医師が行い、遺族がはしごを外したため、結果殺人犯に仕立てられた事例は幾つもある。

 また、日本集中治療学会の調査では、患者本人に判断能力があって意思表示が可能な場合は「患者本人の意思確認が必須である」が88.7%、「家族の意思確認が必須である」は69.4%であったというが、家族の意思は訴訟や刑事告訴を考えれば最大限尊重するべきであろうが、患者本人の自己決定権の尊重という名目を延命中止が失えば、たちどころにslippery slopeに陥る可能性がある。ナチスの優生学の教訓を忘れてはならない。

 また、医師が社会的に確固たる地位を築いていられるのは、生命が尊い、無限の価値があるというテーゼがあるからで、費用効果を厳密にやり過ぎれば、単なる三流修理工に成り下がる。この点でも、DNARは限定的にという集中治療学会の精神は評価しうる。

延命中止をマニュアル化する是非

 また、同提言では各施設でのDNAR基準と終末期マニュアルを別につくれといっているが、終末期の生きざまが、なんとか委員会のつくった「マニュアル」に従って行われることを、果たして国民は希望するのであろうか。基準による運用だからといって、その運用指針は法律の明文ではないので、本当に医師にとってsafe guardになる保障はない。むしろ、どうしても文章にするとなれば、法律家を使って上手な抜け道をつくっておかないと、杓子定規なことになるような気がするが、抜け道があることが許されないという真面目な方も医師の中には多い(医療安全・医療事故調査などを得意技にしている方にはそのような傾向があるような気がする)。

 例えば、気管内挿管をしないで胸部圧迫だけのPartial DNAR指示は心肺蘇生ではないとの見解も出されているようであるが、BMJ(2012; 345: e6122)によれば挿管しない蘇生も有意に救命率を向上させるエビデンスがあるらしい(一般市民による病院外の救命処置はもちろん非挿管だからそれはもっともである)。うかつに胸を押したら生き返って、DNARに反したと恨まれたり、中途半端な蘇生だったから助からなかったといって訴えられたりするリスクはもちろんある。

 日本集中治療学会は3学会ガイドラインや勧告などの遵守を呼びかけているが、ガイドラインは法律そのものではないので、裁判所の判断でいつでもひっくり返る可能性がある。院内の死亡は「死亡診断」であって、死体検案ではないから医師法21条違反にならないと厚労省のマニュアルを信じていたら最高裁で否定されたケースも記憶に新しい(最高裁平成16年4月13日)。昔は「あうんの呼吸」というものがあったが、年間100万人が医療機関で死亡しているが、殺人罪だといって騒がれるのは数年に1回である。事後的な検証で違背が明確化される「ガイドライン」や「マニュアル」が本当に医師を守ってくれるのかどうか、ことは直接の人の生死だけに慎重に考える必要があると思われる。「基準」は両刃の剣である。確かに、守っていることが力強い武器になる場合もあろうが、逆に、法的拘束力のないガイドラインや院内のマニュアルにすぎないとっても、これに違背していることが、弁護士にとっては最大の錬金術のツールたるエメラルド・タブレットとなるし、警察・検察にとっては医療者に突き付けて自白を取る道具になる可能性がある。

 なお、このような勧告が日本集中治療学会から出されている点は興味深い。実際のDNARは慢性期医療の現場で実施されていると思われるからである。集中治療の現場では、救命のための最大限の努力を行っているのであろうから、一般病棟に転棟した途端に、些細なことでなんの救命努力をしないで患者が死亡するのは残念なことであろう。日本集中治療学会の会員以外でも、医師の多くは、患者のために「何かしてあげたい」という気持ちがあり、それを善として行為規範としているようなところがある。医療事故調の報告要件でも、厚労省が通知でわざわざ「原病の進行」や偶発症を報告対象外、すなわち、病気で死んだら報告対象外としているのに、心筋梗塞の見落としを報告させようとするガイドラインなども見られているのは、医師の性というべきであろうか。

MedicalTribune 2017年6月20日

「第二の患者」ってどういうこと?
"がん患者を支える人"の悩みや本音、マンガ家が教えてくれた
 大切な人が「がん患者」になったその日から、支える側の家族もまた「第二の患者」になる。

「ごめんね。僕、大腸がんだって」

 入籍前日、恋人から告げられた衝撃のひと言。最初のうちは「私がついてるから大丈夫」と力強く言えていたはずなのに、気づけば支える側も不安とストレスに絡め取られて……。

 マンガ家・青鹿ユウさんの『今日から第二の患者さん がん患者家族のお役立ちマニュアル』は、がんになった家族を支える側の悩みを描いた実録コミックエッセイだ。

 看護に戸惑い、疲れ、追い詰められた青鹿さんがたどり着いた「第二の患者」というキーワードとは? 患者本人の抱えるつらさとは異なる、患者家族だからこその悩みについて聞いた。

風邪ひとつ引かない健康な彼が、30代半ばで「がん」に

――『今日から第二の患者さん』では、入籍直前に婚約者(漫画では「オット君(仮)」)の大腸がんが判明した場面から始まります。当時のおふたりの状況は?

 私もオット君(マンガ家の神崎裕也氏)も同業で、そのときは同棲2年目くらい。当時、私は30代前半、彼は30代中盤で、結婚の話はその前から出ていて、お互いの実家への挨拶も済ませていたんですね。

 でもちょうど私の連載が始まったことで入籍が延び延びになってしまって。がんがわかったのは、その連載が終わって「じゃあそろそろ籍入れようか」と話し合っていたタイミングでした。

――籍は入れていなかったけれど、パートナーとして「支えよう」という意識はすでにあった?

 私はそういう意識でしたね。一緒に暮らしていたし、実質は結婚しているも同然だったので。ただ彼のほうが「籍を入れるのはちょっと待って。この先、自分がどうなるかわからないから」と言い出したので入籍はいったん白紙になりました。

 でもそのときはまだ、私も看病というものの大変さを全然わかっていなかったんですね。「手術をすれば大丈夫。100%前と同じ日常に戻れるはず」とそのときは何の疑いもなく思っていました。

善意からのアドバイスに追い詰められて

――がんと向き合うオット君を支える青鹿さんがストレスや不安で余裕をなくしていく様子も描かれています。「私、支えるひと。彼、労られるひと」という立場が揺らいできたのはいつ頃からでしたか。


(『今日から第二の患者さんより)

 最初の頃は「私は支える立場なんだから、しっかりしないと」という意識があったんです。でも友人や仕事相手に彼ががんになったことを告げると、「あなたがしっかりしないと」「(漫画を描き続けるオット君を)ちゃんと休ませてあげなきゃダメじゃない」と強い言葉で言われることが多かったんですね。

 もしくは、身近な家族の経験を教えてくれる人も多かったですね。「かわいそう。がんで亡くなったうちのおじいちゃんも最期は壮絶だったよ。お母さんが寝ずに看病していたよ」とかウルウルの涙目で言われると、「え、そんな怖いことが起きるの?」「私もそうしなきゃダメなの?」という風に感じて追い詰められていきました。

 それぞれ心配の気持ちからの言葉だとはわかっているんですが、一人ひとりからそういう改善と反省を強いるアドバイスを言われ続けると、だんだん自分が責められている気になってしまう。

 同世代でがんを経験している友人が身近にいなかったので誰とも悩みを共有できないし、(当時は)がんの知識がなかったので、どこに頼っていいかもわからなかった。

 でも「一番つらいのはオット君(仮)」という気持ちがあったから、「私だってつらいのに」なんて誰にも言えなくて。そんなときに「家族は第二の患者」という言葉を知ったんです。

支える側の家族もまた「患者」である

――がん患者の家族は看病の不安やストレスで悩まされ、その心の負担は患者と同じかそれ以上。患者同様にケアされるべき存在として「第二の患者」とも呼ばれている、という意味ですね。

 ネット検索でこの言葉に出会ったときは、もう本当にこのコマみたいに集中線がビカーッ!ってなった感じでした。患者ではなくて「私」についての話をしてくれている、そういうサイトがあったことがすごく嬉しかった。

 それまで、がん患者に向けの本はあっても、「がん患者を支える家族」について触れている本は見つからなかったんですね。すごく探したんですけど、患者向けのがんの本の中で数ページあるくらいで。それも「家族は寄り添ってあげましょう」というふわっとしたことしか書かれていなくて。

 「丸々1冊、がん患者の家族に向けた本があればなあ」と当時すごく思っていたので、それがこの本を描く動機にもなりました。

――支える側もまた「2番めの患者」だと。

 「第二の患者」という言葉を知っているのといないのとでは、やっぱり支える側の意識はまったく違ってくる。だからこの言葉自体がもっとたくさん広まっていけば、きっとそれぞれの「支える人に合った悩みへの向き合い方が見つかりやすくなるのではないでしょうか。

大声で暴れる彼を見て、「逃げ出したい」と思った

――ただ、家族が「第二の患者」だとわかっても、つらさや恐怖がゼロになるわけではない。手術終了後、パニックを起こすオット君(仮)に恐怖を感じて「逃げたくなった」という本音もマンガの中で吐露していますね。

 あのときは本当に恐ろしかったです。普段はすごく穏やかで、つき合い始めてからの5年間、一度も声を荒げたことのなかった彼が、いきなり大声で叫んで暴れ始めてしまって。恐怖から頭が真っ白になって「逃げ出したい」と思ってしまいした。

 看護師さんがすぐ来てくれて「術後の不調や麻酔の影響で一時的なものですよ」とは教えてくれたんですけど、「このまま人が変わってしまったらどうしよう」「相手とこの先もずっと一緒にいられるんだろうか」とか色々考えてしまって、すごく怖かった。でもそういった感情も全部ちゃんと描こう、と思いました。

 担当編集者は「ここまで描いてしまって大丈夫ですか?」と心配してくださったんですけど、実際に本が出たら、ここに共感したという感想がすごく多かったんです。

 「私も逃げ出したいと思ってしまいました」「言っちゃいけないと思って口に出せなかったけど、そう思うのは自分だけじゃないんだとわかって安心した」という声が本当に多く寄せられて。「逃げ出したいなんて、思っても言ってもいけない」という、がん患者の家族への世間の圧力のようなものを強く感じました。

――がん患者の家族への理解も大切ですね。

 がんに限らず、闘病中の患者を支える家族って、「一番つらいのは患者なんだから」という言葉をすごくたくさんかけられるんですよ。

 でも本当は、つらさに一番も二番もない。「第二の患者」の人たちだってやっぱりつらいんです。そういう自分の感じるつらさ、しんどさをないがしろにしないでほしい。

 「第二の患者」だからこそのつらさにきちんと向き合っていけば、きっといい解決策は見つかるはずだと私は思っています。

Huffpost Japan 2017年6月27日

連載: Dr.西&Dr.宮森の「高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです」
第10回 DNARの落とし穴
西智弘(川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター)

 連日の当直勤務になったDr.ニシ。今夜は特に忙しく、救急外来にはひっきりなしに患者が訪れていた。ふと気が付くと夜の2時。一度仮眠を取るかと大きくあくびをしたところ、またしても救急搬送の電話が鳴った。

看護師 78歳の男性。当院かかりつけの患者さんです。胃癌、腹膜播種の方で、5日前に外科のヨシダ先生の外来にかかっており、その時は特に問題なかったようですが、1時間ほど前に急に腹痛が始まって、普通じゃない痛がり様とのことで、ご家族が救急車を呼んだそうです

Dr.ニシ なるほど……。じゃあ来てもらってください
 その患者(オオモリさん)は、10分後に救急室に到着した。確かにかなりの痛みのようで、お腹を押さえてうめき声をあげている。

Dr.ニシ お腹の痛みですか? ちょっと診せていただきますね
  腹部を診察すると、明らかな筋性防御と反跳痛を認めた。X線で確認したところ、free airを認め、消化管穿孔と診断できた。

 カルテを見ると、3カ月前まで抗癌剤治療を行っていたが、効果に乏しくなり、今後は緩和ケア科に紹介する方針だったようだ。確かに、CT画像を見ても腹膜播種病変は広範に広がっており、腹水も溜まっている。当直の外科医にも相談したが、手術の適応とは言えないという判断だった。

Dr.ニシ 保存的に、疼痛緩和を最優先として診ていくしかないか……。とりあえず入院は必要だな
 救急病棟に入院し、モルヒネ皮下注を開始したことでオオモリさんの痛みはやや和らいだ様子だった。しかし、血圧も低下傾向で意識も混濁してきていた。

Dr.ニシ ご家族への病状説明がまだだったな…
 時計を見ると、もう4時になろうとしていた。疲労もピークではあるが、ご家族には厳しい病状であることをきちんとお伝えしなければならない。もしかしたら数時間の間に呼吸が止まる可能性もないわけではない状況だ。

看護師 この方、DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)の説明をされていないようです

Dr.ニシ DNAR? まあ、急な話だったし、ヨシダ先生の外来ではあまりそういった話はしないだろうからね……

看護師 きちんと話して、DNAR承諾書にサインをもらってくださいね
 初対面でDNARの話をするのは気が重いなと思いながら、説明室に向かう。そこにはオオモリさんの妻と長男が、心配そうな面持ちで待っていた。

妻 先生、主人は…
 Dr.ニシは画像を見せながら、これまでの経過や現在の病状について詳しく説明した。

Dr.ニシ ……という状況ですので、ご主人はいつ急変してもおかしくない状態です

妻 そんな。昨日までは何とか歩けていたのに

長男 何とかならないんでしょうか?

Dr.ニシ 外科の先生にも相談したのですが、今の病状で手術をすることは、命を縮め、苦痛を増やす可能性が高いと考えられます。今は、少しでも苦痛を緩和することを最優先にしたほうがよいと考えています

長男 そうですか……

Dr.ニシ そうした病状ということもあり、この書類を見ていただきたいのですが……
と、Dr.ニシが「心肺蘇生の制限についての同意書」と書かれた書類を家族へ手渡す。

Dr.ニシ 先ほども申し上げた通り、現在の病状ではいつ呼吸や心臓が止まるかが分からない状態と言えます。そのように病状が悪化したときに、いわゆる人工呼吸器をつけるかどうかを考えていただきたいのです。どちらにしましょうか

妻 人工呼吸器…

Dr.ニシ ええ。呼吸が止まったときに人工呼吸器を付けることで、その機械が肺を動かしてくれます。できることは全部やるという選択もありますが、口から管を入れたり、心臓マッサージをすることは本人の苦痛を増すことにもなってしまうため、何もしないという選択肢もあります

長男 そんな……できることは何でもやってください!

Dr.ニシ えっ……。ただ、様々な処置をしたとしても、生きられる時間がそれほど延びるわけではなく、オオモリさんの苦痛が強くなるだけですよ……

長男 それでも何もしないよりは、できることがあるならしてください!親父もそう願っているはずです

Dr.ニシ いや……でも。奥様はどうお考えですか?

妻 えっ、そんな……。ヨシダ先生を呼んでいただけませんか? ヨシダ先生と相談したいです……
 結局、その場ではDNARの承諾を得ることはできず、ヨシダ先生が来院するのを待つ方針となった。

Dr.ニシ ……というのが、先日の当直中の話でした

Dr.ミヤモリ それはお疲れ様。それで、どう思いましたか?

Dr.ニシ うーん……。率直に言えば、理解の悪いご家族だなと……

Dr.ミヤモリ おや。ん〜。夜中で先生も疲れていたんでしょう。ちょっとコミュニケーションが荒いですねえ

Dr.ニシ そうですか? いつもこんな感じでお話ししているのですが

Dr.ミヤモリ そうですか……。でも、君がオオモリさんの息子さんや奥さんに尋ねたのは、人の生死にかかわること。「人工呼吸器をつけますか、つけませんか」なんて聞いても「ナスにしますかトマトにしますか」とは違いますし、夕飯の献立みたいに簡単には決められないよ

Dr.ニシ でも、まさか癌があれだけ進行している方に、心肺蘇生を希望されるとは思わなくって

Dr.ミヤモリ ふむ。厚生労働省による2013年の調査では、末期癌に罹患した状態と仮定したときに人工呼吸器の装着や心肺蘇生を希望するか、という質問に対し、一般の方の約10〜15%が「希望する」と回答していたんだ1)

Dr.ニシ 結構いるんですね

Dr.ミヤモリ そもそも、DNARの希望は、終末期に向けた話し合いの一環として、平時から患者や家族ときちんと話し合っておくべきだという意見があるよ。
 その一方で、そういう話し合い自体を患者や家族とするべきではないという意見もある2)。心肺蘇生を行うことが「医学的に無益」と評価される状況であれば医療行為として行うべきではないと判断されるから、患者や家族に判断させることなのか、という考えだね

Dr.ニシ 確かに、僕の中では最初から結論ありきだったのだから、その判断を伝えずに、「ご家族が自由に決めていいですよ」というのは不適切だったのかも。ご家族は医学的な視点での状況判断はできないですしね。しかも、無理やりご家族が選択していたというのに、自分の判断を押し付けようとしていたんだ。やってしまった……

Dr.ミヤモリ 患者や家族にDNARについて話し合ってもらうために、医療者がどのような伝え方をすればよいのかということも実はよく分かっていなかったりするよ。
 米国では緩和ケア外来に通院中の78人の患者を対象とした無作為化比較試験が行われていたよ。DNARの希望について「患者に尋ねる」というアプローチと、「DNARをお勧めします」と伝えるアプローチとで2群に分けてDNARの取得率を見たんだ。どちらが好ましいアプローチかを見るための研究だね。
 でも、結果はどちらのアプローチでもDNARの取得率は変わらず、医師に対する印象も変わらなかったんだ3)。日本の場合は、医療制度の仕組み上、心肺蘇生についての希望を家族が決定しなければならない場合が多く、DNARについて同意することは、「命に関することを自分が決めるような負担感」「大切な人の命を終わりにしてしまう自責感」を感じるとされているんだ。だから、医師側は家族の心の準備状況に合わせて気持ちや心配していることを尋ねながら、ある程度パターナリスティックに話を進めるほうがよいのでは、という考えもあるよ4)

Dr.ニシ 確かに、最初に私の判断を伝えるべきだったかもしれません

Dr.ミヤモリ あと、ニシ君の発言で気になったのは「できることは全てやる」という表現だね。そういった聞き方は避けるべきと、ガイドラインにも記載されているよ5)。「全てを行う」ことを希望しないと回答した場合、それはイコール「何もしない」のと同じではないか、と患者や家族に与えかねないからというのが理由だよ

Dr.ニシ そうですね。よく分かりました。しかし、そうは言っても、なんて声を掛ければいいのやら……。ミヤモリ先生はどのように声掛けをしていますか?

Dr.ミヤモリ 平時に話ができそうだったら、患者本人に「まだ先のことですが、病気が進行してしまったときに、心臓の動きが弱くなったり、呼吸が弱くなったり、ということが起こりえます」と切り出し、「そうしたときに、口から管を入れて人工呼吸器につないだり、心臓を無理に動かすマッサージをする、処置をするかどうかを事前に考えていただきたいと思っています。これまで、そういったことを考えた経験はありますか?」と尋ねます

Dr.ニシ どのくらいの方が答えてくれるものなんでしょう?

Dr.ミヤモリ 約4割の方が、「心肺蘇生について家族内で話し合ったことがある」と回答したという報告もあるから、この段階で「それは……」と返してくれる方もいます1)。
 考えたことがない方であれば、「もしそうなったときにそうした処置をしても、大きく寿命が変わるわけではありません。また、あなたにとっては苦しい処置となってしまうので、私としては基本的にはお勧めしていません。いかがしましょうか」と、「心肺蘇生をしないこと」をデフォルトに設定した問いかけをするかな。
 ご家族に入院時などに話すときも、基本的にはこうしたスタイルだね。ただ、在宅などでは改めて「心肺蘇生しますか、しませんか」といった話をするのもちょっと違うかな、と思うんだ。もちろん状況や家族の心持ちにもよるのだけれど、「苦痛を取ることを最優先にお看取りをしていきましょう」という話を家族だけにして、あえてDNARの承諾書を取らない場合もあるよ

Dr.ニシ えっあえてDNARを取らないんですか…? そうなると、いざとなったときに、ご家族は救急車を呼んでしまったりしそうな気がしてしまいます……

Dr.ミヤモリ もちろん、事前に丁寧な説明は必要だよ。「最期のときが近くなってきていること」「苦痛を取ることを最優先にすること」「呼吸が止まったら救急車は呼ばずに私たちに電話をするよう伝えること」をあらかじめ伝えておくんだ。在宅の現場ではこういったことをしっかりやっておけば、あえてDNARを取るための会話をしなくても事足りると思っているよ。当然ながら、在宅でも予測不能な状態変化をたどるケースもあるから、そうしたときは救急車を呼ぶことになるけれど、そうした例はまれだよ

ポイント
・DNARについてエビデンスの高いコミュニケーション方法は確立していない。だが、医療者が患者や家族に判断を丸投げする態度は避けるべき

・DNARについてあえて話さず、看取りが近くなってからも明確な言葉を用いず、家族に意思を確認するというアプローチもあり得る


著者プロフィール

西智弘(川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)●にし ともひろ氏。2005年北海道大学卒。家庭医療専門医を志し、室蘭日鋼記念病院で初期研修後、緩和ケアに魅了され緩和ケア・腫瘍内科医に転向。川崎市立井田病院、栃木県立がんセンター腫瘍内科を経て、2012年から現職。

参考文献
1)厚生労働省「人生の最終段階における医療に関する意識調査」
2) Manisty C, et al. BMJ. 2003; 327: 614-5.
3) Rhondali W, et al. Cancer. 2013; 119: 2067-73.
4) 木澤義之. 「心肺蘇生に関する望ましい意思決定のあり方に関する研究. 遺族によるホスピス・緩和ケアの質の評価に関する研究3 (J-HOPE3)」,日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団, 2016.
5) Clayton JM, et al. Med J Aust. 2007;186:S77,S79, S83-108.


BPnet 2017年6月30日

一人を究める本特集
 昨今、なにかと肩身の狭い「ひとり」という単位。単独行動者を揶揄し、友達の数=人間の価値になりかねない時代だからこそ、「ひとり」の意味を究めてみてはどうだろう。そこで今回は、ひとりというテーマにこだわった本5冊をご紹介!

 いまや、ひとり暮らし世帯は珍しいものではないのに、ひとりでいると落ち着かない、間がもたないと感じる人々に向けて書かれた、ひとりで楽しい時間を過ごすためのヒント集。「家族と一緒にいるのが本当なのに……」「本当はパートナーと一緒にいるはずだったのに……」などという知らない間に自分が抱えている思い込みから自由になることで見えてくる、ひとりだからこその利点に焦点を当てている。

「ひとり上手」岸本葉子著


 本書は特に、途中でつれあいを亡くして元気や生きがいを失っている人に向けて「ひとりであることは義務からの解放でもある」というメッセージを送る。家族のために食事などの一日のスケジュールに縛られなくてすむことや、自分自身の趣味や興味をとことん追求できる自由さなどを改めて提示。さらに、不安への対処法として、具合が悪くなったとき用に枕元に置いておく「困ったとき用セット」や「特定の人に依存しないがゆるい近所とのつながりを持つ」などの方法も紹介。(海竜社 1300円+税)







「ひとりぼっちの辞典」勢古浩爾著

 「ひとり=寂しい」という定型パターンにすべて落としこもうとする世間に疑問を呈し、人間の基本ともいえる「ひとり」について、独自の視点から問い直した辞典形式の「ひとり目線エッセー」。「あ行」から「わ行」まで、ひとりと関連がありそうな言葉をセレクトし、著者独自の解釈をユーモアたっぷりにつづっている。

 たとえば、「た行」に入っている「図書館」は、@「ひとり」にとっては必要不可欠の場所Aただし、本好きにかぎる。外出のきっかけにもなる。図書館に向かっているときはなんとなくうれしい――と定義。ほかにも、「現実」「物欲」「夕日」「吉本隆明」「わかってくれない」など、思わずニヤリと笑ってしまう言葉がずらりと並ぶ。

 ひとりのマイナス面ばかりを強調する社会に「群れるな、危険!」と立ち向かい、「ひとりこそ人間の基本」と訴える。外(世間)ばかり見ずに自分の内を見よ、ごく普通の顔をして自由に「ひとり」を生きていけという強いメッセージが心に響く。(清流出版 1500円+税)

「孤独死ガイド 一人で生きて死ぬまで」松田ゆたか著


 年をとって身寄りがなく一人暮らしをしている場合、(自分は誰にも知られないまま死んでしまうのではないか)という不安を感じることは少なくない。現在、日本では約3万人が孤独死を迎えているといわれており、孤独死は決して他人事ではないからだ。本書は、人の死を身近に見てきた医師がつづった、孤独死のためのガイドブック。「孤独死」には、実はいい面があると説いているのが秀逸だ。

 孤独死のメリットとして、人を悲しませずに死ねる、派手な葬式も必要なく出費がない、突然の葬儀で生きている人を振り回さない、相続争いが起きない、残された者の行く末を心配しなくていい、死後の評判を気にする必要がない、死ぬまでの日々を誰にも邪魔されない、余計な延命措置を受けなくて済む――の8つを挙げている。

 孤独死が嫌なのではなく、死体が発見されず放置されたままになることが問題になるのだとして、きれいに生きてきれいに死ぬためにどんな準備が必要なのか、詳しく解説している。(幻冬舎メディアコンサルティング 1100円+税)

「わが家で最期を。」千場純著


 たとえ家族と暮らしていても、人の死は誰にも代わることができない極めて個人的な最後の体験だ。家族が、そして自分が在宅での死を望んだとき、どうすれば後悔することなくあの世に旅立つことができるのか。

 本書は、在宅死率全国1位という横須賀でみとり医をつとめる医師が、今まで出合った「在宅死」の事例から学んだ、後悔しない在宅での死に方術を紹介している。

 たとえば、家族をみとる立場の人には、もしものときの選択肢として救命措置と延命措置があること、家でみとるつもりでいても終末期の区別がつかず救急車を呼ぶべきかどうか迷う例などもあげ、事前に医師や訪問看護師に助言を得ておく必要性を訴える。

 また死に目に会えるかどうかにこだわる理由として、残された家族が「世間さま」に後ろ指をさされないために過ぎないことも指摘し、大切なのは生きているときに寄り添う気持ちだとバッサリ。

 死を考えると、おのずと生き方を考えざるを得なくなるパラドックスに気づかされる。(小学館 1300円+税)

「ひとりで闘う労働紛争」橋本忠治郎・平賀健一郎・千葉茂著


 経済優先の規制緩和が進むなか、労働者の置かれた環境は悪化の一途をたどっている。1%の勝ち組の対極には、長時間労働や雇い止め、降格、減給、過酷なノルマなどに追われる労働者の姿があり、いつのまにかうつ病や過労死に追い込まれてしまうケースも少なくない。本書は、底なし社会といわれる今の労働環境のなかで、不当な解雇などの問題に巻き込まれたとき、どのように対処したらいいかを説いた書。

 ほとんど労働組合が機能しなくなっている今の時代、誰かが改善してくれるだろうといった人まかせの姿勢では改善は期待できない。不当な状況下で泣き寝入りしないために、労働者一人一人が声をあげるにはどんな手順を踏む必要があるか、Q&A方式で解説。ひとりで闘うためにはどんな法律を知っておく必要があるか、相談先はどこにあるか、働きかけ方のポイントは何かなど、孤独になりがちな労働者の強い味方になる情報が満載。(緑風出版 1900円+税)

日刊ゲンダイDIGITAL 2017年7月2日

安達純子 病院探訪
痛みに強い 心身の苦痛克服をサポート、トータルケア普及に尽力
国立がん研究センター中央病院の支持療法開発センター
 がんと告知を受けて治療を受けるときには、がんになったショックや治療に伴う痛みなど、心身の苦痛を伴うが、それらを和らげる方法はある。

 手術や化学療法、放射線療法の副作用対策を「支持療法」といい、がんに伴う痛みなどには「緩和ケア」、心理的な側面へのアプローチは「サイコオンコロジー」という。それらのトータルケアを開発し、実践普及に尽力しているのが国立がん研究センター中央病院の支持療法開発センターだ。

 昨年、多施設共同研究を行う日本がん支持療法研究グループ(J−SUPPORT)を設立し、臨床研究やエビデンス(科学的根拠)に基づく治療法の開発を行っている。

 「超高齢化社会の中で、がんになる患者さんは増えています。早期がんであっても治療の副作用は多く、手術のキズに伴う痛みを強く感じることはあります。再発による不安など、患者さんのQOL(生活の質)の低下を防ぐことが、今後、さらに求められると思います」

 こう話す内富庸介部門長は、サイコオンコロジーの第一人者で、トータルケアのモデルとなるシステムの開発・普及を行っている。

 たとえば、肺がんのステージIIの手術を受けて、術後の疼痛(とうつう)に悩まされる患者がいるとしよう。身体が痛むため「どうせ、自分のがんは再発するのだから」とひどく落ち込み、さらなる治療を拒否したときには、担当医だけでの対処は難しくなる。

 「がんは、インフルエンザのように、人生の中で何度も発症する病気ではありません。そのため、患者さんはどのように対処していいのか、わからないことが多いのです。それをセルフで克服していけるようにサポートすることが、これからの医療には必要といえます」

 2016年の「がん対策基本法」の改正で、医師、看護師、臨床心理士、薬剤師、栄養士、理学療法士など、患者の状態に合わせたトータルサポートの重要性が増した。同病院では、病棟の8階に患者サポート研究開発センターを開設。さまざまなことについて相談でき、行動活性化療法や、リラクセーション法などのセルフサポートで問題解決できる態勢を整えている。

 「患者さんの誰もが、どの医療機関でもサポートを受けられるようにするには、一般の病院が大きな投資をしなくても、簡便に行える方法が重要です。それは決して難しいことではありません。将来的には、がんのみならず、心筋梗塞や脳梗塞、高血圧、糖尿病など、あらゆる病気に対して応用できればと思っています」と内富部門長は話す。

 患者の治療に伴う心身のセルフサポートが当たり前になる日は近いのではないか。

(安達純子)

■カツラやメークをサポート

 がん治療では、手術の傷あとや薬の副作用に伴う脱毛・湿疹など、見た目に関わる悩みが患者を苦しめることがある。そんな外見に関わる支援を行うため、国立がん研究センター中央病院では、2013年、アピアランス支援センターを開設した。

 アピアランスは外見や容姿の意味。カツラやメーク法などにより、患者が簡便に悩みを解決できるようにサポートしている。男性限定の外見相談も設置し、誰でも相談しやすいのが特長だ。がん患者を数多く治療する同病院ならではの支援といえる。

〔所在地〕東京都中央区築地5の1の1/(電)03・3542・2511

zakzak 2017年7月4日

オランダでは安楽死が「転倒する不安」「認知症」で認められる
浅川澄一:福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)

高齢者の病院死亡率が世界最低のオランダ

 オランダの高齢者ケアの視察を毎年のように続けている。今年6月もアムステルダム、ライデン、ホールンなどを1週間にわたり回った。

 世界の高齢者ケアの現場をいろいろ見てきたが、オランダが最も先端を走っていると見極めたからだ。その指標は、病院での死亡者割合が世界で最も少ない国であることだ。

 何処で亡くなるかが、その国の高齢者介護・医療への考え方やシステムを明確に示している。「大病院・大施設から在宅へ」という基本的な潮流は多くの先進国で共通している。「Aging in Place」というスローガンで示され、日本では「地域包括ケアシステム」と呼ばれる。

 そのための施策として在宅医療と在宅介護がある。在宅医療と在宅介護が国中に浸透していれば、病院など医療機関での死亡率が下がる。

在宅医療・在宅介護が普及している国ほど病院死亡率が低い

 日本では80%弱の人が医療機関で亡くなる。とても多い。「病院信仰」が根強いためだ。欧州諸国では、ほぼ50%前後である。福祉先進国と言われるスウェーデンでは42%。その中で、オランダは30%を下回る唯一の国である。

 病院の他の死亡場所は施設と自宅である。ただ、施設と言っても、最近の欧州では、自宅にいる時とあまり変わらない環境や部屋づくりで、引っ越した「第2の自宅」になりつつある。

 つまり施設の「自宅化」で、「自宅死」の多寡はあまり指標にならない。「医療機関(病院)」での死亡率の低さで、その国のケアレベルを図ることができる。そこで選ばれるのが、病院死亡率29.1%と、世界最低のオランダなのである。

世界で初めて安楽死法を法制化

 今回のオランダ視察で、最も印象に残ったのは「安楽死」のあり方だった。安楽死とは、自分の死を自分の自由意志で決めること。延命治療を断り、緩和ケアを受けて旅立ちを待つのは尊厳死で、安楽死とは異なる。

 オランダは世界で初めて安楽死法を法制化した国である。がん末期患者の苦しみを解放するため、が元々の理由だった。その後、終末期の枠が外され、精神的苦痛も加味されたと聞いていた。

 ところが、今回、安楽死に立ち会った医師から、「歩き出すとすぐ転んでしまう。でも車椅子は利用したくないし、入院、入所も嫌」という高齢者が望みどおりに安楽死した事実を知らされた。さらに、認知症でも安楽死できた人の話も聞くことができた。

車椅子を拒否して安楽死を選ぶ

 「許容範囲が広がり、ここまで受け入れられているのか」と驚いた。いずれも少数事例かもしれないが、事実は事実である。本人の意思、判断を第一に尊重する社会ならではと思う。家族任せ、医者任せの日本とは隔世の感がする。

 首都のアムステルダムから北へ車で1時間弱のヘイロー市。3人の医師で開業している診療所を訪ねた。診察室は、ベッドがなければ医療機関とは思えない洒落たオフィスのような雰囲気。壁に10歳前後の2人の子どもの写真が大きく飾られている。その母親で院長のソニア・ボスキルさんに、最近手がけた安楽死について聞いた。

転倒不安で安楽死

 今年に入って、家庭医(GP)として3人の高齢者の安楽死に付き合ったという。まず、ナーシングホーム(特別養護老人ホームに近い施設)に入所していた93歳の男性。

 いろいろな老人性の病気を持っていたが、一番問題なのは身体が弱ってよく転ぶこと。ボスキルさんが会いに行くと、いつも「手助けは要らない。ひとりでやるから」と言い放つ、頑固な性格だ。

 ところが、ある日。朝9時に起きて着替えを始めたが、午後3時になっても靴下をまだはいていない。衰弱が進んだためだ。彼は、以前から「私が自分で満足に体を動かせなくなったら、安楽死をしたい」とよく話していた。

 去年の9月に続けて3回転んだ。その時も「もう安楽死したい」と言ったが、老人科の専門医師に診てもらうと「まだ早い。身体の訓練をしては」と言われ、ボスキルさんの紹介でリハビリセンターに連れて行った。そこでしばらくリハビリをして自宅に戻ったが、歩き出すと転んでしまう。

 本人は「これ以上転ぶのは嫌だ。車椅子は使いたくないし、病院にも行きたくない。安楽死したい」と言い募る。何度話しても同じ答えだった。彼の息子にも状況を説明し話し合った。そこで、「私は彼の考えを受け入れることにした」とボスキルさん。

 息子の考えが親の思いを代弁することはない。親は親、子どもは子ども。それぞれ独立した人格というのが常識だからだ。

 安楽死を定めた法に従って、もう一人の別の医師にも彼は会って、安楽死の意思を伝えた。その医師も了解した。その後で、ボスキルさんは安楽死を「いつ、どのようにしましょうか」と彼に問いかけた。

 2月のその日になると、息子がとびきり上等の服を買ってきて、彼に着せた。そして、いよいよベッドに横たわり、その時を迎える。と、彼が「ビールを飲みたい」と頼んできた。ゆっくりビールを飲み干してから、ボスキルさんが致死薬を投与。彼は亡くなった。

 安楽死の条件として、終末期だけでないことがよく分かる事例である。車椅子を拒否して、安楽死を選ぶというのは、初めて聞いた。個人の意思を尊重する社会的規範が確立していればこそであろう。

 これまでにも、アムステルダムの安楽死協会の本部を訪ねて話を聞いてきたが、これほど具体的に医師の言葉で直接に語られることはなかった。ボスキル医師は、このあと一連の経緯を検証委員会に報告して、安楽死であることを認める報告を待った。「3ヵ月も待たされて不安だったが、きちんと認めてもらえました」という。

 というのも、安楽死は犯罪であるが、法に定めたルールに則れば罪とならないからだ。

認知症で安楽死を望む

 もう一人は認知症の人である。生物学者だった93歳の独身女性。10年前に「安楽死を望みます」という書類を書いていた。その時は健康だったが、次第に認知症が進み出していた。ほかの病気はなかった。

 この1〜2年は、専門の生物の写真や絵を見ても理解できなくなった。新聞を読むことが難しくなり、活字も分からなくなった。いつも周囲に「安楽死したい」と話していた。時折、「戦争が起きる」と言い出すこともあった。だがボスキルさんは「それは妄想ではない。意識が正常になる時もあった」という。ボスキルさんとは別の医師も、安楽死に賛成した。

 安楽死の日が近づくと、音信が途絶えていた息子が遠方からやってきた。様々の書類を整理するための来訪だったが、「これほど母親と仲良く過ごしたのは初めて」と喜んでいた。本人は致死薬を「自分で飲む」と言って、その通りにした。

 10年前に書き上げた安楽死の要望書は、その後、チェックされなかったが、本人の意思ということで、安楽死が認められた。

 ボスキルさんは「このように、ナーシングホームに入りたくない、自宅で安楽死したいと言う高齢者は多い」と話す。たとえ、認知症になっても、その前の健康な時に意思表示しておけば有効だという。

 オランダで安楽死した人は、2016年に6091人に上る。亡くなった人の4%である。安楽死を選んだ人のうち、がん患者が最も多いのは今も変わりなく68%、4137人だった。認知症の人は年々増えており、同年には141人で安楽死者の2.3%となった。5年前には49人で、同1.3%に過ぎなかった。

安楽死に大きく関わる「家庭医」という存在

 オランダで安楽死法(正確には、要請による生命の終結及び自死の援助審査法)が成立したのは2001年。それまで30年以上にわたって議論されてきた。

 1971年に「私の終末期を助けて」と、半身まひの母親に頼まれた女医のポストマさんが、モルヒネを投与して死亡させ、大騒動になった。裁判では有罪を宣告されたが、執行猶予付きの禁固1週間。実質的には容認された。

 この事件を機に「議論を公開の場で」と世論が盛り上がる。1973年に「安楽死協会(正確には自由意志による生命の終結協会)」が設立され、王立医師会も認めて連携が図られる。1994年になると、最高裁が精神的苦痛を理由とする安楽死も認める。これによって、終末期という必要条件がはずれる。

 安楽死法が施行された2002年以降は、7つの条件を満たせば安楽死と認められ、罪に問われないことになった。

 それは、(1)本人が死を望んでいる、(2)家庭医が病状を正確に伝える、(3)家庭医でないもう一人の医師も承認する、(4)死後に検視官(医師)が問題がないか調べる、(5)死の経緯を検証委員会が調査――などである。

 2011年には、死者13万6000人のうち、安楽死は3695人で2.7%。翌年は、安楽死が4188人で3%に上った。それが、2016年には4%だから、次第に増えてきていることは確かだ。必要条件から分かるように、安楽死には医師の関わりが欠かせない。まず、日常的に接している家庭医。そして第2の医師、最後に検視官である。なかでも最初の家庭医の判断が最も重要である。

 オランダでは、全国民が自宅近くの地域の家庭医(診療所)に登録し、その家庭医からどのような症状でも診察を受ける。内科、外科、耳鼻科、皮膚科、小児科……と、歯科を除くすべての診療が同じ家庭医によって行われる。

 その家庭医には、家族ぐるみで登録していることが多く、医師は普段から家族の健康状態をしっかり把握している。患者の人生の歩みやライフスタイルを家庭医は熟知しており、その延長線上で安楽死が問われる。

 家庭医の紹介がないと大病院には受診できない。どの医療機関でも勝手に、自由に診察を受けられる日本のような「フリーアクセス」ではない。欧米や豪州ではオランダと同様な家庭医制度があり、日本がむしろ例外といえるだろう。

 当事者と家庭医との長年の信頼関係は、こうした医療制度が土台にあることで成り立っている。

医師の「負担」

 ボスキルさんの診療所があるヘイロー市に隣接するベルゲン市で、家庭医を引退したアイケ・スモーク医師からも話を聞いた。同医師は「医師と患者が上下関係ではなく、対等の水平な関係になっていないと、じっくり話を聞けないし、安楽死につながらない」と強調した。

 それでも、目の前で「死」に関わるのは医師にとって大きな負担だという。

 ボスキルさんは、「安楽死の実施日の前の晩は寝られません」と打ち明ける。この10年間で平均すると毎年4人ほど安楽死に出会っている。

 断ることもできるが「私はプロですから。長年診てきた患者の意向を無視することはできません」ときっぱり言い放つ。この心構えはさすがだと思った。

 でも、中には断る家庭医も少なからずいる。そんな時には、安楽死協会に相談すると、自宅周辺の診療所や医師を紹介してくれる。あるいは、最近立ちあがった「End of Life Clinic(終末期診療所)」(本部ハーグ)に連絡すると、登録している医師たちに辿り着ける。

 「End of Life Clinic」には、安楽死を実施する医師が登録されているほか、安楽死に関わる情報センターの役割も果たしている。アイケ・スモーク医師は「家庭医が勉強する場になっていて、なかなかいい組織だと思う」と話す。

 2016年に安楽死で亡くなった6091人のうち、家庭医が自宅で看取ったのは5167人と85%に達する。次いで多いのが、やはり自宅だが家庭医でなく「End of Life Clinic」の486人で8%である。残りの331人、6.4%が病院と高齢者施設を合わせた数値である。「End of Life Clinic」の割合が年々高まっており、安楽死全体の絶対量を増やしていると言えそうだ。

 世界で、安楽死を制度として認めているのは、欧州ではオランダの隣国のベルギーとルクセンブルク、それにスイス。カナダも最近加わり、米国では、ワシントン、オレゴン、カルフォルニアなど6州に及んでいる。

福祉ジャーナリスト 浅川澄一

DIAMOND online 2017年7月5日

「緩和医療学会レポート〜疾病と共に生きる為の折れない心〜」
2017年緩和医療学会・レポート
 オンコロの赤星です。鍼灸師として働く傍ら、オンコロのWebサイト更新やメディカルイラストを担当しています。6月22日、23日に横浜で開催された緩和医療学会に行ってきました。緩和医療の中でも補完代替医療、心のケアに興味がある私が昨年との比較をしつつ、レポート致します。

緩和医療学会とは

 がんやその他の治癒困難な病気の全過程において、人々のQOL の向上を目指し、緩和医療を発展させるための学際的かつ学術的研究を促進し、その実践と教育を通して社会に貢献することを目的とした学会です。(日本緩和医療学会HPより引用)

そもそも緩和医療(緩和ケア)とは

 厚生労働省は、2002 年のWHOの定義、「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患によ る問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、さらにスヒ?リチュアル な問題を早期に発見し、的確な評価と 処置を行うことによって、苦痛を予防し和らけ?ることて?、QOLを改善する行為」を以って本邦の緩和ケアの定義とすると明言しています。
(日本ホスピス緩和ケア協会より引用)

昨年からの変化・進歩

音楽療法

 まず昨年の学会テーマは「〜あなたらしさに寄り添って〜”愛と思いやり…そしてユーモア…”」でした。今年のテーマは「集い対話する 疾病と共に健やかさを生きるために 社会の中で活きる医療となるために」です。

 昨年からの変化として、補完代替医療・教育・AYA世代の対策が深められ、地域社会・共存・対話がより重視されていたと思います。

 まず「補完代替医療(CAM)」では、使用実態や発表関連要因について、また音楽療法、宗教団体が運営する緩和ケア施設での僧侶の関わりについての研究発表がありました。

 注目すべき点は、患者がCAMに期待するものは、進行抑制より免疫力向上や緩和を目的としたものであるという事です。使用を開始するきっかけは、インターネットより家族や友人のすすめが多い事、またCAMを使用する人は高学歴・女性・若年層で多い事が分かりました。患者家族も、高学歴・心の状態が低下している・付き添いなどが毎日できない人にも多い様です。

 音楽療法は、苦痛尺度や呼吸脈拍等が優位に改善したとの報告がありました。

 僧侶によるスピリチュアルケアは、教え導く事がない様子、医療者ではない人と生死を深く話せる事が喜ばれていました。

 また、ポスター発表では鍼灸師による鍼灸治療の発表が増加していました。漢方では、精神科の医師による東洋医学に基づいた脈診などを取り入れた、具体的な処方が紹介されていました。これは注目度が高く、聴講人数も多い発表でした。

 「教育」に関しては、緩和ケアに関わる医療者の教育と、がんの親を持つ子供に対するサポートがより充実していました。昨年まではパンフレットしか有りませんでしたが、書籍化されていました。

 近年取り上げられる事が増加しているAYA世代については「AYA世代にはいい子が多いが、彼らにはその役割認識はあるのか。また、それはいい事なのか(過剰適応ではないか)」等、より一層患者理解に繋がるテーマも扱われました。

 つぎに、今年は「地域社会・共存・対話」がより重視されていました。地域社会と関わりを持ち、コミュニティー(共同体)で死をとらえる必要性や医療・社会と共に生きる必要性(共存)が提案されていました。

 死を隠さない事。看取りをする経験がないと、今後死をみていけない。受け止められなくなる恐れも生じる。鋼の様に強い力ではなく、柳の様に柔軟な力〜レジリエンス(折れない心)〜を育む必要がある、と述べていました。

 対話に関しては今年初となる「ケアカフェ」が開催されました。ケアカフェとは、医療者・介護者・福祉者か?「顔の見える関係」を作り、「日常の相談こ?と」を話し合う場 て?す。1テーブル4?5人で話しあい、1人を残して他の人は次のテーブルに移り、会話を続けるというものです。普段街で見るカフェでの井戸端会議の様な雰囲気で、「生死」「痛み」などテーマに話し合われていました。この様な場が医療学会に設けられ、PAL参加として患者ネームカードを付けた方も多く参加していた事は、大きな進歩だと感じました。

人間に対してのケア・ユマニチュード

ユマニチュード

 数多くあった発表の中で、私が感動したものをひとつご紹介します。ユマニチュードとは、フランスで生まれた包括的認知症ケアの手法です。フランス語で「人間らしさ」の意味で、具体的な手法で構成されています。介護者、被介護者とのコミュニケーションの改善を目的としています。

 今回は、入院ベッドの上での入浴技術が実技として舞台上で披露されました。シャワーヘッドに袋状のタオルを被せ、水圧や水音の恐怖感を失くす、タオルを患者の体の下に敷き、息のあったタイミングで力を入れずに体位変換をする、顔を見ながらずっと優しくしゃべりかける等沢山の技術が盛り込まれていました。

 モデルになった男性は、「とても気持ちがよく、毎日でも受けたい」と言っていました。ICU(集中治療室)や意識がない方にもこの手法を用いた入浴を行うと、頬の赤みが出たり反応や発語が出るそうです。緩和ケアとは「片脚を棺桶に突っ込んでいても、もう片方の出ている脚を踏みつけてはならない」と定義していました。

参加してみて

 CAMに関しては、行い手と主治医の連携や質の向上が重要だと感じました。患者の治療状況について理解し、行うケアについても取り敢えず取り入れるのではなく、患者が満足できる上質なものを提供する必要があります。

 地域社会に関しては、まだ課題は残ると感じました。芸能人ではがん告白をする人がいますが、一般人では未だ病気を告白しずらい環境です。死はイベントや美談でもなく、基本的にはやはり悲しいものです。だからこそ、深い話も気分転換できるようでるな話も受け止めてくれるような環境があると有難いかもしれません。

 ユマニチュードに関しては、近年の入浴介護の動画が流され、患者の泣き叫ぶ映像に思わず涙が出ました。「生きている人・人間として扱うケアをするという信念のもと、技術を磨き工夫されたケアに変わる事で、ケアの時間はリハビリや喜びにも変わる」という主張は、実際に舞台上で見せて頂きました。

 ケアとは本来最も古い医療であり、動物が生まれたての赤ちゃんの体を舐める様な行為である。それは、生物学的にも、社会的にも自分は人間であると感じるものであるそうです。

 私の考える緩和ケアは、特別に効く薬だけでなく不安な気持や辛い体が楽になる全てだと考えます。それは、生きる為とは言え辛い思いをさせている体と心にしてあげられる、ねぎらいやご褒美です。

 今回の学会に参加して、ケアを実際の現場に届ける為には信念を忘れず、技術を磨き続けなければいけないと痛感しました。患者だけでなくケアに携わる人にもレジリエンス(折れない心)は必須です。病気と向き合っている人にも、心がほぐれる時間を感じて貰うのが私の目標です。

赤星未有希

デザイン業界を経て現在は、鍼灸師として働く。自身の病気の経験から偏った情報ではなく、がん分野を正しく学び・伝え、鍼灸に生かし緩和ケアを実践する為にオンコロに入職。オンコロでは、主にWebサイトの更新、メディカルイラストを担当。がん情報ナビゲーター取得。


がん情報サイト「オンコロ」2017年7月6日

<2025年問題>住み慣れた土地・人間関係の中で人生の終焉を!
在宅医療25年の“出前医師”が看取り改革を訴える
 2017年7月5日、在宅医療支援システムを推進している医療法人「アスムス」(栃木県小山市)の太田秀樹理事長が日本記者クラブで会見。団塊世代が75歳以上になる「2025年問題」を乗り越えるために、在宅医療を推進し、「なじみの土地でなじみの人間関係の中で人生の終焉を迎えられるようにすることが重要だ」と、“在宅看取り率”を引き上げるよう訴えた。発言要旨は次の通り。

 団塊世代が75歳以上になる2025年問題を乗り越えるために、厚生労働省は、高齢社会に応じた医療や介護の仕組みを整えようと、市区町村が主体となる地域包括ケアシステムの整備を推進している。住み慣れた地域で最期をどう迎えるのか、高齢者だけでなく、その子どもたちの世代にとっても重要な課題と言える。

◆地域包括ケアシステム推進を

地域包括ケアシステムとは、今後のヘルスケアシステムの新たな枠組みになる。「年取ったら住み慣れた地域で暮らせるようにする」ということであり、なじみの土地でなじみの人間関係の中で人生の終焉を迎えるということだ。

 人生の終焉には、法的な死と生物学的な死があるが、いずれにしろ医師が関係しないと死ねない。医療のかかわりはどうしても必要になる。尊厳ある生がなければ尊厳死は存在しない。お年寄りは本当に尊厳ある生活をしているのか。「ぴんぴんころり」と死ねるのは10人に1人ぐらいで、特に男性に多い。女性は寝たきりになっても長生きできる。人生の終末期では、性差が大きい。

 昔は、死にそうになったら病院に行って徹底的に治療をした。その結果、3カ月でも長く生きたら医学に対してありがたいと思った。命を閉じるときに、しっかり治療をして最善を尽くして死んだと言うことが幸せなことだと感じた。

 しかし、医学は技術として大きく進歩した。食べられなくても息ができなくても患者は生きられる時代。私が医学部に入学した昭和40年代は、医学の進歩の象徴のような意味合いとして語られていたことが、40年経ったいま、ただ生きていて意味があるのかとみんなが議論するようになった。手足をしばられ、チューブで栄養を送られ、笑顔もなく、楽しみもなく、人との関係性もなく、生きていて意味があるのかと、国民の側から疑問視するようになってきた。

◆変わる終末期医療

 医師も、延命だけを目的とした治療が医学として正しいのかと言い出すようになった。終末期医療の姿も大きく変わる。死を認めざるを得ないことが共有されつつある時代になった。
 
 少子高齢化が進行し、病院に行けば、患者の多くが高齢者で占められる。私が医学部に入学した昭和40年代は、高齢化率がまだ5%とかいう時代だったが、今は高齢化の割合が4人に1人になった。若年人口が減少、若い人はあまり病気にならないので、疾病の概念が変わった。専門的にいえば、高齢者の虚弱を意味する「フレイル」とか、年齢とともに全身の筋力が低下していく「サルコペニア」といった疾病概念だ。日本老年医学会が、フレイルの概念を明確化した。要介護状態になる前段階の状態で、要介護にならずに済むための適切な医療介入について研究している。

 研究が進むと、体のフレイルの前に、心のフレイルがあるということが分かってきた。例えば息子の死や友達の死など喪失体験の連続により憂鬱(ゆううつ)になる。やがて食欲が低下して食が細り、弱くなっていく。どういう医療が必要なのか、提供された医療の妥当性を考えるのは医者だが、社会にフィットした医療をどうやって提供するかは医療行政の問題だ。
 
 高度経済成長時代に移住してきた人が多い東京近郊の地域は、今後、急速に高齢化する。これを乗り切る手段の一つは、終末期医療の考え方を変えていくことだと思う。例えば、高齢で口から食べられなくなって衰弱した人に、どこまで人工栄養を使って治療をしていくのか。排泄介護にもかかわる問題で、終末期医療の変化に社会が合意すれば劇的に介護が変わると思う。

◆尊厳ある死を迎えるために

 在宅看取り率は、自宅と老人ホームなど施設を含めても全国平均20%程度で、後は病院で最期を迎える。一方、6割近い人が自宅で最期を全うしたいという希望を持っているという。医師会と市ががっちり取り組めば在宅看取り率を上げるのは可能だ。
 
 私は、自宅で死ななくてもいいと思う。将来、独居になる高齢者が増えるので、自宅で最期を迎えることが無理になる場合もでてくる。グループホームでも老人ホームでもいい。大事なのは、尊厳のある生活が守れるかという点。尊厳的な生活の中で看取られることが大切で、施設のケアの在り方も重要だ。終末期医療に対する国民の期待が変われば変革できる。

 生産年齢人口の減少のため、若い世代に医療や介護を手厚く援助してもらうことは困難だ。現在の日本社会は、わずか3人が1人の高齢者を支えている騎馬戦型社会である。

 加齢により生物学的な個体差はますます顕在化し、85歳を超えてもなお自立した暮らしができる人がいる一方、70歳でも介護サービスを必要とする人がいる。すでに65歳で命を落とす人もいる。世代間で解決するいわゆる「互助機能」についても真剣に模索すべきで、仮に認知症になっても、徘徊が散歩に変わる地域であれば、安心して暮らし続けることができる。市民が現状を正しく理解し、地域の文化を変えるぐらいの気概をもって取り組まねばならない。

 市区町村といった基礎自治体は、公益性、公共性の高い団体として信頼が厚いので、地域の社会資源をつなぐ役割を果たすことが大切だ。さらに介護事業者は社会問題を解決する民間企業であるという自覚を持つことが重要である。

Record China 2017年7月7日

認知症の家族による終末期ケア、初期段階でやっておくべきこと
 認知症は、機能低下や認知機能低下を特徴とする進行性の神経変性疾患である。英国において、認知症者への終末期ケアの質は良くないといわれている。認知症者へのケアに関して、たとえば合併症のマネジメントのために、終末期においていくつかの困難な決断が生じることがある。

 英国・ロンドン大学のKethakie Lamahewa氏らは、認知症者の終末期における医師や家族の介護者による意思決定の困難さについて検討を行った。Health expectations誌オンライン版2017年6月22日号の報告。

 本検討は、フォーカスグループ、半構造化インタビュー、主題分析法を用い、定性的方法で実施した。2015年英国認知症ボランタリーグループより認知症者の終末期ケアの経験を有する家族の介護者4人、現在認知症者の終末期ケアを行っている家族の介護者6人を対象とした。認知症の終末期ケアにおける幅広い専門知識と経験を有する医療従事者24人をサンプルとして抽出した。

 主な結果は以下のとおり。

・4つの主要テーマが以下のように特定された。

◆ダイナミックなシステムで一貫したケアを提供することへの課題

◆意思決定者間の不確実性

◆意思決定者間の内面的、外面的な葛藤

◆終末期への準備不足


・認知症者や意思決定者自身の役割に対するコミュニケーション不足、不確実性や葛藤などの重大な困難は、終末期における意思決定を特徴づけることができる。

 著者らは「本研究は、認知症者の終末期において、意思決定が改善される可能性があることを示唆している。認知症の初期段階において、より多くの会話によるアプローチを進めることで、終末期に対する準備と家族介護者の期待を高めることができる」としている。

(鷹野 敦夫)

原著論文:Lamahewa K, et al. Health Expect. 2017 Jun 22. [Epub ahead of print]

CareNet 2017年7月12日

終活のお片付け 早めに始めることをおススメするワケ
前向きに終活に取り組むことが大切
 「終活」という言葉が定着してきましたが、あなたは「終活」と聞いて、どのような行為を思い浮かべますか?一言で終活といっても、資産継承や遺言書の事から施設への入居などの生活スタイルの事、介護や終末期医療の事、お葬式やお墓の事、など多岐に渡ります。

 もちろん死に向かって暗く考える必要はなく、「何をどう次の世代に引き継ぐか?」「最後まで自分らしく安心して暮らす」為にも前向きに終活に取り組む事が大切です。

気力・体力・記憶力・判断力のあるうちに片付けを

 昔と違い、1人の持ち物の量は格段に増えています。核家族化や独居高齢者の増加で、1人の方が亡くなった後に不要となる物も増えました。

 大きな郊外のお宅に、子供たちが独立した後も、ご主人が亡くなった後も何十年も前から溜め込んだモノが使われることなく、家の中を埋め尽くしているお宅も少なくありません。

 「もったいない」「思い出が…」と思いがちですが、どこかで誰かが片付けなければならないのです。そして、片付けてみると意外な発見があったり、探し物が見つかる事もあります

 年を取るとなかなか出来なくなってしまうのが、お片付けです。足腰が弱る、やる気が出ない、毎日の身の回りの事で精一杯になります。ですから、気力・体力・記憶力、そして何より判断力のあるうちに、片づけに取り組む事が必要です

安心・安全に暮らすための片づけ

 地震や火事などの防災面を考えても、棚の上置きのモノが落ちてくる危険があります。あるいは、床置きのモノにつまずいて転んでしまい、入院して要介護になってしまうということもよくあることなのです。家を安全で安心して暮らせる居場所とするためにも、早めのお片付けに取り組み、スッキリとした暮らしを手に入れましょう。

自分が亡くなった後で周囲が困る事とは?

 自分が亡くなった後で一番困ってしまうことは、残された家族にとって大事なモノが見つからないということです。整理されていないことで、大事なモノが有るのか無いのかさえ分からないということもよくあることです。

 貸金庫を借りていたり、へそくりなどのタンス預金があったり、大切な貴金属の鑑定書はあるのに指輪が無い、ということで探す羽目になることもあります。せっかく溜めた資産を、引継げずに捨ててしまったりする事の無いように、大事なモノを管理把握し、引継げるように伝える手段を残しておきましょう。

 そして、何より残された人の負担になるのは、モノの量が多い事、です。時間的・経済的・精神的な負担になり、手に取ってもどうすれば良いか迷ってしまったまま何年も放置してしまい、空き家になるケースも少なくありません。自分たちで処理できず業者に頼んだが、法外な料金を取られ「全て捨てられた、持って行かれてしまった」等の被害もあります。

 「捨てる」という判断を家族に委ねてしまうのではなく、自分の所有してきたモノに向き合い、思い出は心にしまい、モノと決別していく事も終活のお片付けでは必要になりますね。

毎日5分でも良いので少しずつ片づけていく

 整理するということは棚に詰め込む事ではなく、不要なモノを取り除く事です。そうは言われても、「なかなか捨てられないのよね」と言いたくなりますね。

 今まで何十年も溜め込んで捨てて来なかった方に、「捨てて」と言われても、そうそう上手くいかないのが現実です。人は習慣になった事をしてしまうので、今現在が「仕舞い込む習慣」であるのならば、これから「手離せるように溜め込まない習慣」に少しずつ変えて行くようにしていってはいかがでしょうか?

 そして、出来れば毎日5分でも、一か所ずつでも片付けるようにしてください。例えば、引き出し一つ、棚一つ、机の上だけ、で良いので、少しずつ始めてみて下さい。棚の上や重いモノなどは、足を滑らせたり腰に負担になったりします。

 お片付け中にケガをしては元も子もありません。押入れや納戸などの大掛かりな場所を行う際は、確認作業も含めて、家族などで一緒に行う方が良いかも知れませんね。

 ご家族は「捨てて」「こんなもの」とは言わずに、少しずつ一緒に手伝ってあげて下さいね。

大事なものを書き出してみる

 「資産」の部分を引き継ぐ事が重要なのですが、意外に困るのがそれ以外のモノです。絵画や掛け軸の価値が不明だったり、貴重品や貴金属などの所在の有無、印鑑や通帳・有価証券類・タンス預金・土地の権利証などを探す事も少なくありません。家財道具や思い入れのあるものなども処分すべきかどうか判断に迷います。

 また、何年も経ってから遺言書が見つかってしまうのも困りものです。片付けと同時に、大事なモノを自分自身でも忘れないためにも、エンディングノートや目録などに書き出してみる事で、頭の整理も進むのではないでしょうか?

 今後はデジタル遺品と言われるネット上の資産や痕跡の事も考える必要が出てくるでしょう

お片付けを早めに始めましょう!

 お片づけを早めにすることが、自分の歴史を振り返る良い時間にもなります。いつかやろう!と思っていた事を思い出した方もいらっしゃいます。

 また、片付けたことで部屋がスッキリとして家族が同居する事になり、仲良くなったという方もいらっしゃいます。広過ぎた戸建てを売り、駅近で安心な暮らしになった、部屋が広くなり、人を呼べるようになり、性格も明るくなったなど、『いつかやらなければ』と気になっていた事が出来ると安心して暮らせるようになります。

 モノは持つ人を映す鏡、と言いますね。最後まで自分らしく、安心した暮らしを送るためにも遺された人に負担にならないように、次世代に本当に大事なモノを引き継ぐためにも、元気なうちから、早めのお片付けに取り組まれてはいかがでしょうか?

(古川 めぐみ)

マイナビニュース 2017年7月14日

第22回日本緩和医療学会開催
 第22回日本緩和医療学会学術大会(大会長=帝京大・有賀悦子氏)が6月23〜24日,パシフィコ横浜(横浜市)にて医師・看護師ら8857人の参加者を集め開催された。本紙では,二人主治医制を実施する意義と,在宅における医療用麻薬の使用推進について議論された2つのシンポジウムについて報告する。

患者に伴走する二人主治医制

 がん治療を受ける患者に対しては,生活全般を見る視点が欠かせない。シンポジウム「腫瘍内科と緩和ケアが力を合わせて伴走する二人主治医制」(座長=あおぞら診療所・川越正平氏,千葉県がんセンター・坂下美彦氏)では,初めに座長の川越氏が趣旨説明を行った。がん患者が早期から必要としている支援例として,@疾病や症状に関する理解の助け,A自己管理の方法を知り,日々の生活に活かすこと,B情報収集を支援してもらい,質を吟味すること,C患者家族の不安や相談を受け止めてもらい,孤立を防ぐこと,DAdvance Care Planningに関する継続的な支援の5つを提示。「腫瘍内科医は患者に対し,化学療法施行の早期からかかりつけ医を持つことを推奨してほしい」と述べ,切れ目のない支援の必要性を強調した。

 続いて登壇したのは,腫瘍内科医の菓子井達彦氏(富山大病院)。在宅緩和ケアにおける在宅看取りの要因を明らかにする氏らの研究から,在宅看取り率の変化,在宅看取り・自宅で過ごした割合への影響因子に,在宅医・訪問看護師の緩和ケア継続教育プログラム「PEACE」の受講があると報告した。地域連携パスの使用が自宅で過ごした割合に影響を与えることも判明しており,質の高い在宅緩和ケアの達成に「PEACE受講と連携パス作成はgood factorになる」と話した。

 「最期まで患者を困らせない,見放さないことが大切」。こう語った廣橋猛氏(永寿総合病院)は,外来から在宅へ移行する「連携」は患者にとって大きな不安になるため,二人主治医制による「並行」の関係が重要と指摘した。二人の医師に診てもらうことで患者も意思決定ができ,「見捨てられるのでは」という不安の払拭につながると意義を語り,二人主治医制には医師同士の役割分担や相互連絡を密に行うことが不可欠と強調した。

 森清氏(村山大和診療所)は,在宅医として二人主治医制にかかわる。化学療法の効果が乏しくなった段階での在宅への移行は,患者・家族に不安や戸惑いを与えることもある。一方で,療養の場が自宅になることで,在宅医の他,訪問看護師やケアマネジャーら多職種のかかわりや配慮が増えるため,患者は病院にいるときに比べ自分の人生の方針を決めやすくなるという。「家に帰ることが“当たり前”になるよう,連携,調整,統合を進めてほしい」と呼び掛けた。

在宅緩和ケアの医療用麻薬使用推進には「病診薬」の連携を

 在宅緩和ケアのニーズが高まる一方で,緩和ケアに欠かせない医療用麻薬の在宅での使用には,病院とは異なる課題がある。シンポジウム「在宅医療における医療用麻薬の使用推進を考える」(座長=東女医大東医療センター・伊東俊雅氏,愛知県がんセンター中央病院・立松三千子氏)では,訪問看護師,在宅医,薬局,病院薬剤師の立場から議論がなされた。

 在宅緩和ケアを実施する訪問看護師の岩本ゆり氏(楽患ナース訪問看護ステーション)は,「麻薬」という言葉に患者・家族が抱くイメージの課題を紹介した。初めての訪問薬剤管理指導(以下,訪問薬剤)が医療用麻薬使用開始時のことが多く,顔なじみの訪問診療医からの説明では気にならなくとも,初対面の薬剤師に言われたことで不安になることもある。特別な薬剤であることを過度に強調した扱いを医療者がしないこと,取り扱いの誤りも生じ得るため交付翌日は必ず訪問することを訴えた。

 在宅での医療用麻薬の処方経験が豊富な小林徳行氏(ホームケアクリニック田園調布)は,一般の調剤薬局は医療用麻薬の取り扱い経験が少ないことを指摘した。特に予期せぬ進行や突発的な痛みが生じた際の処方は間に合わないことが多い。病状の進行を考えた余裕を持った処方,在宅に適した処方選択,訪問薬剤を手掛ける薬局との連携が重要だと述べた。

 在宅基幹薬局からは前田桂吾氏(株式会社フロンティアファーマシー)が登壇。氏は病院勤務時に,医療用麻薬を交付できる薬局がないために患者の退院希望を断念した経験を語った。調剤薬局は人手不足で在宅訪問をする余裕が乏しいこと,医療用麻薬は高価かつ不良在庫が多いこと,金庫管理が必要なことといった課題を挙げた。氏は,地域に必要な薬剤を供給するためには,薬局の機能分化を図り,薬局同士の連携により支える体制が必要だと見解を示した。

 病院薬剤師の谷口雅彦氏(東女医大病院)は,在宅に適した処方設計支援,保険調剤薬局との薬薬連携,麻薬に対する不安を解消するための服薬指導を行うことで,退院困難な医療用麻薬使用患者にも在宅医療の選択肢を用意しているという。在宅では薬の管理を主に介護者が行うことになるため,介護者が管理しやすい種類や投与デバイスに変更することで,在宅での継続が可能となり,患者の苦痛を和らげることにつながる。在宅での医療用麻薬の現状を知った上で,患者の症状や病態に合わせた薬物療法の最適化と介護者負担のバランスを考慮した退院調整が必要だと呼び掛けた。


写真 特別企画「『優しさを伝える技術:ユマニチュード』の緩和医療への導入とその実践」の模様
ステージ上に移動式シャワー機材が用意され,Yves Gineste氏らによるシャワー浴の実演から,「見る,話す,触れる」ことで優しさを伝えるユマニチュードの技法が紹介された。










週刊医学界新聞 第3232号 2017年7月17日

小笠原文雄・上野千鶴子対談 「持続的深い鎮静」は抜かずの宝刀
 社会学者・上野千鶴子さんと、『なんとめでたいご臨終』の著書がある日本在宅ホスピス協会会長・小笠原文雄さんが対談。在宅医療の大問題を語り合った。

上野:私が小笠原さんと知り合った後で気がついたのは、小笠原さんがペインコントロールのプロ、モルヒネ使用の熟練者だということでした。

小笠原:ありがとうございます。在宅医療を行う上で、ぼくがいちばん大切にしているのは、「痛みを取ること」と「痛みへの不安を取ること」なんですね。そのためには、モルヒネの特性を熟知することが大事なんです。

上野:今回の『なんとめでたいご臨終』では、その熟練者に、「夜間セデーション(鎮静)」と「持続的深い鎮静(終末期鎮静)」の違いについて非常に詳しく書いてもらったのは、とてもよかったと思います。この2つは全く別ものですね。

小笠原:はい、同じくセデーションといっても、「持続的深い鎮静」は鎮静薬を使って患者に永遠の眠りを与えることで、耐えがたい苦痛を取る医療です。それゆえに“安楽死”と間違われることもあります。一方の「夜間セデーション」は、夜、不安や痛みで眠れない患者が、睡眠薬でぐっすりと眠れるようにし、朝が来ると目覚めるという、あくまで人間らしい生活を送るための医療です。

上野:今だから明かしますが、実は小笠原さんから最初に夜間セデーションの話を聞いた時、素人ながらこれはやばいと思って書かなかったんです。私だって、聞いたことを全部書くわけじゃありません(笑い)。それなのに先生は、講演などで気軽に話されるので、ひやひやしていました。誤解されませんか?

小笠原:その2つの違いを知らないかたには、「小笠原内科はセデーションばっかりやっている」とか「ガイドラインに沿っていない」とか、誤解されているかもしれませんね。

上野:ほら、やっぱり! でも今回、その2つがはっきり違うということがわかった。しかも「持続的深い鎮静」を「抜かずの宝刀」と書いていらっしゃる。この言い方、うまいです。座布団一枚(笑い)。

小笠原:ありがとうございます。

上野:宝刀は、やっぱり抜かないことに価値があります。

小笠原:抜いちゃおしまいです。

上野:驚いたことに、その抜かずの宝刀であるべき「持続的深い鎮静」を、末期のがん患者の7人に1人が受けているというデータがあります。

◆家族が後悔することもある

小笠原:2016年1月、ぼくがコメンテーターとして出演したNHK『クローズアップ現代』で発表されたものですよね。非常に驚きました。

上野:「持続的深い鎮静」をすると、患者は二度と目覚めませんね。

小笠原:その通りです。「持続的深い鎮静」をされた患者さんは二度死にます。一度目は「持続的深い鎮静」をかけられた時、二度目は実際に死んだ時です。「苦しみから解放してあげるため」というと、一見聞こえはいいですが、それを家族が同意・決断すると、後で「私たちが死なせてしまった」と深い後悔を生むことが多いんです。

上野:医者は、自信がないから使うんですか?

小笠原:ぼくが思うに、病院で「持続的深い鎮静」をいつも行っていた医師が、そのまま在宅医療でも使っているんじゃないか、と。

 在宅ホスピス緩和ケアは、医師が主体となって行う緩和医療ではなく、医師、看護師、ヘルパーなどの総合力でやる「チーム医療」です。医師免許がないとできないことは、もちろん医師がやりますが、主力は現場の看護師さんやヘルパーさん。彼らが患者さんの生きる力を引き出すんです。そうすれば、「持続的深い鎮静」を行う頻度が劇的に減ります。

 だけど「持続的深い鎮静」を行う医師は、どうも看護師さんとかヘルパーさんのそういう力を信じてないようで。医療と介護の連携ができるはずがないと、公言しているドクターが多いと聞いています。

上野:あら、そうなんですか?

小笠原:そういう考えだと、医療と介護の連携ができず、家族の負担を増やすばかりか、結局、患者さんの痛みのコントロールができないんですよ。その点、「持続的深い鎮静」をすれば、医師は患者さんが亡くなるまで、ある意味何もしなくていいようなものですからね。

 在宅医療は家族が大変だと思われがちですが、ヘルパーさんや訪問看護師などの公的制度を使えば、ご家族の負担も減って、結果的に患者さんの痛みも減るんです。つまり家族ケアが得意で、モルヒネの使い方が上手な医師のチームで在宅ホスピス緩和ケアを行う場合は、「持続的深い鎮静」をやらなくて済むんです。「持続的深い鎮静」をされた患者さんは、「愛してる」とか「ありがとう」は言えないですからね。

上野:つい最近、緩和ケアをやっているドクターが書いた『その鎮静、ほんとうに必要ですか』(大岩孝司・鈴木喜代子著)という本を読んで、すごく面白かったんです。疼痛を、「感覚と情動の合成物である」と定義していました。

小笠原:なるほど。名言ですね。

上野:私も深く深く納得しました。感覚と情動の両方、もしくはどちらかをコントロールできれば、緩和できるとあって。

小笠原:そう、できるんですよ。痛みを我慢したり、痛みが取れないと、同じ痛みでも2倍、3倍に増え、耐えがたい痛みにパニックになることもあります。一方で、痛い・つらい・苦しいという患者さんが退院して自宅に帰れたことだけでも、痛みがかなり取れるんです。それだけ家は癒やしの空間なんでしょうね。

NEWSポストセブン 2017年7月18日

"緩和ケア"は生きる知恵だった
がん治療中の私が、QOLを保つためにしている4つのこと
広林依子 デザイナー、ステージ4の乳がん患者

 デザイナーの広林依子と申します。私は現在29歳の、ごく普通の女性で、独身です。友達とカフェでワイワイ話したり、おしゃれを楽しんだり、ときには海外旅行に出かけたりしている普通の生活を送っています。

 他の人と違うのは、3年前の26歳のときに乳がんを宣告され、そのときすでに骨に転移しており、それからステージ4のがん患者人生を送っていることです。

 このブログでは、デザイナーの私が考えた、【ステージ4のがん患者のライフデザイン】の1例を紹介していきます。今回は、私がQOLを保つためにしている"緩和ケア"について書いてみます。

・がん治療においてQOLを保つことは非常に大事なこと

 がん治療をするにあたって、次の2つからどちらかを選ぶ必要があります。それは、「生きる長さ」を重視するか、「生きる質」(QOL)を重視するか。

 残念ながら長さと質の両方を同時に重視することはできません。私の場合は、「生きる質」を重視し、出来るだけ質の高い生活を送れるように身体に優しい治療を選んで治療を受けています。

 質と長さ、どちらを選ぶにしても「治療におけるQOL」は考えていく必要があります。私がQOLを保つためにしたことを、緩和ケアを中心にお伝えしたいと思います。

 以下の3つはこれまでのブログで書いてきましたが、私がQOLを保つ上でとても大切にしていることです。詳細は過去記事を読んでください。

・一人暮らしで精神的なQOLを保つ(関連記事リンク:余命1ヶ月を宣告されて、人生に一切の迷いがなくなるまで。

 私の場合、がん治療前と出来るだけ同じ生活を続けることは、がんに生活を支配されず、しっかりと自分の生き方を持つために必要なことでした。なるべく、がんになる前と同じ生活を続けることをオススメしたいと思います。

・メイクやおしゃれを楽しむ(関連記事リンク:まだ26歳。女性のがん患者が、おしゃれやメイクを楽しむ本当の理由

 抗がん剤治療の副作用をカバーするため、むしろ以前より良い印象に見せるため、メイクやおしゃれをよく研究しました。きれいな自分を鏡で見て「きれいな自分でいられる」と自信を持つことで、治療中も外に出かけ人に会う活発な生活が送れました。

・チーム患者を結成する(関連記事リンク:「チーム医療」があるなら、がん患者は「チーム患者」を作ろう

 一人で溜め込まず、無理をせずどんどん人を頼って欲しいと思います。私は、生活面は家族、愚痴は友人A、治療方針は友人B、息抜きは友人D といったように、様々な相談を別の人にすることで一人あたりの負担を減らす方法をとっています。

・緩和ケアを大切にしよう

 4つめは、緩和ケアです。がん治療で一番大切なことは、何より身体のQOLを保つことだと思います。その上で、強い味方になったのが、緩和ケアでした。

 緩和ケアとは、身体的・精神的な苦痛をやわらげるためのケアのこと。一般的に、緩和ケアいうといわゆる「治療の最後に行くところ」という誤解がまだ強く、抵抗感を感じてかからない人が多いのですが、実はがんと診断されたときから行うことなのです。

 私は腫瘍内科と緩和ケア外来に通っています。緩和ケアは、標準治療が終わってからするものではありません。私が通う病院の緩和ケア外来は、QOL管理を大切にする治療を上手く担当医と調整してくれ、「もっと早くかかっていれば良かった」と思うほどQOLが改善しました。

 緩和ケア外来は、抗がん剤治療を行う主治医だけではカバーしきれない細やかなQOL治療を提供してくれています。そして、精神的な悩みや相談事などの話もよく聞いてくれますので、安心感が生まれます。

 私が入院した時には、毎日体調を聞いてくれて、その都度薬を調整してくれました。

 がん治療の最初から緩和ケア外来にかかっていると、標準治療を終えて緩和ケアに移行する場合も、すでに信頼関係が築けている医師に抵抗感なく見てもらえるメリットもあります。

■20代の私が緩和ケアを受けはじめたきっかけ

 私は今、緩和ケア外来から医療用麻薬を処方されて生活しています。いわゆるモルヒネの仲間とされる薬も飲んでいます。

 これらを飲むのに抵抗感を感じる人が多いのですが、医療用麻薬に依存性はありません。私はモルヒネのような薬を飲んで、普通にお出かけしたりしています。

 最初は、私も緩和ケアを受けることに抵抗がありました。まさか20代で緩和ケアを受けるとは思わなかったですし、他の患者さんは年配の方ばかりで、最初は心理的な抵抗がありました。

 そんな私が緩和ケアを受けるきっかけになったのが、背骨の圧迫骨折でした。背中の真ん中や腰の痛みがひどく、歩くこともままならず、杖生活を送っていました。「このままでは下半身麻痺になるかも知れない」と言われ、放射線治療を受けていたときのことです。

 このとき初めて緩和ケア外来を紹介され、痛みに関する処方を受けたところ、劇的に症状が改善しました。医療用麻薬の副作用である「眠気」がネックになるのですが、上手くコントロールしていただき、普通に生活を送れるようになったのです。

 日本では医療用大麻を自宅に隠し持っていたとして逮捕された有名人のニュースが報じられたこともあり、医療用麻薬に対するネガティブなイメージが独り歩きしていますが、合法化されている国もあります。

 アメリカも合法化されている州も多いです。オシャレな内装のショップで気軽に購入が可能で、がん治療などでQOLを保ちたい人などが利用しています。日本でもアメリカのサプリメントを輸入して飲む人もいます。

・緩和ケアをどんどん利用してほしい

 緩和ケアというと、「もう積極的治療でなく、死に向かうために症状を緩和するためのもの」と思う方も多いようです。

 たしかに、ステージ4の治療で手術不能で、かつ標準治療で手立てがなくなってしまうと、もう生きるのを諦めないといけないように思えるかもしれません。でもそれは違います。

 「まだ元気だから」と緩和ケアを避けてしまうのではなく、どんどん利用してほしいと思います。

 病院側でさえ「まだかかれません」と言ってしまうところもあるようで、病院側、患者側の双方でまだまだ理解が進んでいないのが現状です。これからどんどん理解が深まってほしいと切に願います。

・緩和ケアは、最善の生きる知恵だった

 「手術が出来ない」ということは、「手術しないほうが長生きできる」という意味であり、それはより長く生きる知恵なのです。だから諦めるのではなく、生きるための手段の一つだと捉えるべきです。緩和ケアは、そのための積極的治療であり、生きるための治療なのです。

 「標準治療で手立てがありません」という医師もいます。病状によっては、抗がん剤治療をすることが逆に身体を痛めつける結果になり、死期を早める結果になることもあります。

 私はがん発覚時にステージ4だったので手術をしていませんが、3年間生き延びています。その間、緩和ケアを受けながら、放射線治療や抗がん剤治療、ホルモン治療に取り組みました。

 緩和ケアとともに治療を受けたことが、私にとって最善の生きる知恵だったように感じています。だからみなさんも、もしがんになったら緩和ケアを出来る限り早く取り入れてほしいと思います。

・QOLを上手く保って、より良い生活を

 QOLを保つことは、自分の自尊心を持って生きる自信につながります。がんになったら人生は終わりではなく、そこからまた新しい人生が始まります。実際、私もがんになってからの3年間は、治療もプライベートもぎゅっと凝縮した濃厚な人生を送ってきました。

 3年間を過ごしてみて、がんにならなければなれなかった自分に出会えたと思いますし、そんな自分は好きです。そう思えた理由の一つがQOLを保つことだったと確実に思います。緩和ケアを受けながらQOLを保って、あなたらしい人生を送りましょう。

広林依子さんをTwitterでフォローする: www.twitter.com/yoriko_hiro1111

Huffpost Japan 2017年7月18日

ヘルスケアELOA安楽死尊厳死
米カリフォルニア州、末期患者の死ぬ権利容認 半年間で111人が死を選ぶ
 2017年6月27日、末期状態で治療の見込みがない患者の「死ぬ権利」を州法で認めたカリフォルニア州で、2016年6月9日から12月31日までに111人が自らの意志で死亡したことが確認されたと同州公衆衛生局が発表した。

 CNNなどは「自殺のほう助ではないか」とする意見も取り上げているが、同法を提案した元州議会議員らは「自殺とも安楽死とも異なる」としている。

安楽死でも尊厳死でもない選択

 カリフォルニア州では昨年6月に「End of Life Option Act(ELOA、終末期選択法)」という法律が施行された。同州公衆衛生局のプレスリリースによると、この法律は同州に住む18歳以上の成人で今現在治療の見込みがない病気にかかっており、すでに末期状態となっている患者が対象。自らの意志で死ぬ時期を決めたいと患者が希望する場合、医師に致死性の薬物を請求できるというものだ。

 もちろん「死にたい」と言ったから薬がもらえるというわけではなく、「不治かつ終末期である診断が出ている」「患者は口頭で15日以上期間を空けて2回医師に希望を伝える」「薬の服用は医師、看護師、家族、友人などが手伝ってはならず自分自身で服用する」「薬を服用する48時間前には患者が自分自身で服用する意志があることを示す」などの条件はある。

 公衆衛生局のレポートによると、半年の間に薬を希望したのは258人で、201人が医師から薬を処方され服用前に21人が病気で死亡。59人は服用状態が不明で、111人が薬の服用によって死亡したことが確認されている。死亡者の大半は白人でホスピスや緩和ケア施設に入院しており、65人が末期がんだった。

 ところで、こうした行為は「尊厳死」や「安楽死」にあたるのだろうか。6月29日付のCNNの報道によると、米国では50州すべてで安楽死は禁じられており、実施した場合医師が殺人罪に問われるため、そもそも安楽死ではない。

 安楽死とELOAが決定的に異なるのは、安楽死は患者が死に至るうえで医師など第三者が処置するのに対し、ELOAでは医師はあくまで請求を受けて薬を用意するだけで、服用するか否かはもちろん服用する行為自体もすべて患者が行う点だ。

尊厳死に含まれるかについては解釈によって異なる。日本尊厳死協会などは尊厳死を

「不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のこと」

と定義し、「積極的に命を絶つ行為」は尊厳死に含まれないとしている。米国でもELOAは治療の拒否などとは異なり尊厳死でも安楽死でもないのなら、単なる自殺のほう助ではないかとする意見があるとCNNは伝えている。これに対し、同法の提案者である元州議会議員や元上院議員らは「自殺などではない」と否定。

 「痛みに苦しむ末期患者が鎮痛剤などを処方されるのと同じように、緩和ケアの一環として自らの死期を決めるという選択肢が用意されているに過ぎない」とコメントしている。

日本では尊厳死も扱いが微妙だが

 米国では、延命治療や無意味な治療を拒否し死を迎える意味での尊厳死は法的に認められている。尊厳死を推進している米国のNPO「Death with Dignity National Center」によると、患者が冷静かつ明確に延命などを拒否しているのに、医師が強引に措置を行ったり、家族が患者本人の意志を無視した治療などを要求した場合は、罪に問われたり裁判所に差し止めを依頼することができるという。

 日本の事情はどうか。まず安楽死は日本でも違法だ。過去には例外的に一定の要件を満たせば必ずしも違法ではないとする司法判断も出ているが、原則的には殺人と見なされる。尊厳死については微妙なところで、尊厳死を推奨するような法律などは存在しない。

 前述の尊厳死協会などは尊厳死が憲法で保障されている基本的人権のひとつ、幸福追求権に含まれるとして「法的に認められている」との立場を示している。医療の限界や回復の見込みがない場合には、治療中止が認められるとする司法判断は確かに示されているが、医師や家族が治療続行を希望した場合に止めるような強制力があるわけではない。

 日本でも米国でも、尊厳死やELOAのように患者が積極的に死を選ぶことが容認されれば安易な自殺を推奨することにつながりかねないとし、安楽死はもちろん尊厳死に反対する団体も存在する。

 もし自分が治療の見込みがない末期の患者になったとき、どのような選択肢があることが理想的だろうか。

J-CAST 2017年7月23日

「病院で死ぬ」ということは不幸なことなのか?
病院だからこそできる終末期の医療
 諺に「来年の事を言えば鬼が笑う」というのがあるが、2020年の東京オリンピックを迎えた後にやってくる「2025年問題」は、呑気に構えていられない喫緊の課題だ。約800万人いるとされる1947年〜49年生まれの団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)となり、社会保障の費用の急増による財政バランスの崩壊が懸念されるとともに、現在でも慢性的な人材不足を解決できないまま医療施設はもちろん介護施設も足りなくなる事態が予測されている。

 そうなると、家族が介護をするために離職を余儀なくされ貧困に陥るケースも考えられる。『ラストディナー高齢者医療の現場から』(老寿サナトリウム/幻冬舎)には、在宅での介護も介護施設への入所も難しい場合の第三の選択となる「療養病床」を持つ病院で、人生の最期を迎えた患者と家族の“8編のストーリー”が紹介されている。

 本書の舞台となっている病院の特徴は、タイトルからも想起される食事へのこだわりだ。胃に直接栄養を入れる方法の一つ「胃ろう」を造設すると、認知症が進んでしまうという。食べることへの興味を失うばかりでなく、人と一緒に食べるコミュニケーションが減ることが原因のようである。そのためこの病院では、胃ろうの患者さんにも顎や頬の筋肉を動かすトレーニングを行ない、果汁やコーヒーなどを含ませて凍らせておいた綿棒を唇や舌に当てて五感を刺激し「食べたい」という意欲を呼び覚ますようにしている。

 「うどんパーティー」といった特別なイベントのさいには、麺と具材をミキサーにかけて、麺は麺の形に、具材は具材の形に再形成して見た目にも普段食べるうどんを再現してみせるこだわりよう。他の病院で「もう食べられない」と宣告された患者さんが好物の「お好み焼き」を食べられるようになった事例や、鼻から栄養を取る寝たきりの患者さんが食事をとれるようになることで、トイレでの排泄までも可能になった事例が紹介されており、食事が人間らしく生きるのに必要なことなのだと改めて思わされた。

 ところで、療養病床とは手術や高度医療機器を使用した積極的な治療は行なわずに、投薬や検査など一般的なリハビリを行なう長期療養機能を持つ病院のことだそうだ。急性期病院では国が定める診療報酬の関係で90日以内の退院を求められ、その後に国が認める回復機能を持つ病床へ移ったとしても、そこは介護施設へ入所したり在宅に向けて準備を行なったりするための場所で、最長でも入院は180日まで。しかし、患者さんの身体機能が一人では生活できないほどだと、受け入れてもらえる施設は高額な費用を必要とすることが多いという。さりとて、リーズナブルな料金で面倒を見てくれる特別養護老人ホームとなると空きが少なく、50万人以上が順番待ちの状況なのだとか。

 そして本書に記載されている内閣府の調査によると、55歳以上の人を対象にした「最期のときを迎える理想の場所」について半数以上の人が自宅を希望しているのに対して、実際には約8割の人が病院で亡くなっているそうだ。ただし、それは在宅介護をしていても容態が急変すれば救急車を呼ぶことになり、介護施設で対応しきれなければ病院へ移送するからという事情がある。

 だからこそ、救急車を待たずに治療に入れる療養病床が第三の選択となるというわけだ。また、本書では介護する家族の休息のための短期入院を提案している。介護者が一時的にでもリフレッシュすることで、介護疲れによって起こりがちな患者さんとの軋轢も緩和されることが期待される。

 残された時間を患者さんが精一杯生き、最期を看取った家族が再出発するためのケアまで含めて、医療の専門家が常に見守ってくれている環境だからこそできるサポートがあるのなら、病院で亡くなるのは決して悪いことではないのかもしれない。

文=清水銀嶺

この記事で紹介した書籍:ラストディナー高齢者医療の現場から
作家:老寿サナトリウム 出版社:幻冬舎 発売日:2017/6/2


ダ・ヴィンチニュース 2017年7月28日

Progressing Palliative Care:進化する緩和ケア
ヨーロッパ緩和ケア学会第15回世界大会報告
加藤 恒夫(かとう内科並木通り診療所院長)

 ヨーロッパ緩和ケア学会(European Association for Palliative Care;EAPC)の第15回世界大会が2017年5月18日から20日にかけてスペインのマドリードで開催された。筆者は,2005年にドイツで開かれた第9回アーヘン大会以降,継続的に参加しながら,ホスピス・緩和ケア発祥の地であるヨーロッパの緩和ケアの変化を観察し続けてきた1〜3)。

それぞれの大会を踏まえて,継続的に発展するEAPC

 これまでに筆者が観察してきたEAPCの特徴は大きく2つある。まず1つは,それぞれの大会がそのテーマを,変化する社会や医療を反映したものとして取り上げ,回を重ねつつ,一貫性と継続性を持たせながら取り組むことである。

 もう1つは,時代の変化に対応するための公約(commitment)や憲章(charter)を採択し,それらを参加各国の国内組織に持ち帰らせ,2年後の大会で各国での取り組みの成果が確認されることである。

2017年マドリード大会の特徴――変化する社会とともに

 今大会は,「進化する緩和ケア(Progressing Palliative Care)」をテーマに開催された。総合討論(plenary session),並行討論(parallel session),自由討論(free communication)などの各セッションは分野ごとに統合され運営された。さらに,政治的・社会的に激動するヨーロッパ社会におけるEAPCのこれからの課題として,「ボランティア憲章(Volunteering Charter)」が採択され,今後の活動の方向性が提唱された。

 初日のplenary 1では,Diane Meier氏(Ichahn School of Medicine at Mount Sinai,USA)が「Progressing Palliative Care:Current Perspectives and Future Directions」と題して基調講演を行った。Meier氏は今後の緩和ケアを左右する因子として@医療の技術的進歩と高額化,A高齢者や死亡数の増加,B地球規模での人の移動,C経済・社会的格差などを挙げた。今後の社会保障の財政破綻を防ぐために,どのようにコスト削減するかが重要な課題であると述べた。財政負担の大きな一因は死亡直前のコスト増であり,その対策として,死亡の時期が6か月以内と予測される場合,緩和ケアに切り替えて在宅での看取りの準備を進める必要があると指摘。こうすることで医療費の大幅削減が可能なことは実証済みだという4)。

 講演の最後にMeier氏は「医師としての自分たちは,医学教育で人の死と死んでいく過程(death and dying)について学んだ経験がなく,今後の医学教育の課題となるだろう」と結んだ。Meier氏の基調講演はまさに,現代社会が直面する課題を見据えており,激動期のヨーロッパ社会にEAPCがどう関与するかという,学会としての意図が反映されたものであった。

「ボランティア憲章」――社会資本としてのボランティア活動の推進

 次に,今大会で採択された「ボランティア憲章」を,大会最終日のparallel session「Primary and Community Care」より読み解いてみる。この憲章は,「公衆衛生的アプローチとしての緩和ケア」5)の考えを踏まえた2013年のPrague Charter「人権としての緩和ケア宣言」を引き継いだものである。前回大会以来,「健康問題の解決策としての社会資本の育成(Social Capital and Health)」6)を導入することによる,さまざまなレベルでの活動が提案された。実際,今回のマドリード大会の多くの分科会で「社会資本(Social Capital)」という言葉が頻繁に聞かれた。

 また,Libby Sallnow氏(St Joseph’s Hospice/North London Hospice,UK)らによる発表「The Impact of a New Public Health Approach to End-of-Life Care:Results from a Systematic Review and Mixed Methods Study」により,社会的孤立が健康障害と死亡の主要な要因であることが確認された7)。

 これを踏まえ,新しい公衆衛生的対処法として,「地域の問題は地域で解決する力をいかに養うか」「慈しみある地域社会(Companionate Society)をいかに作り上げるか」などが提案された。そして,以下の3点を今後の行動目標に設定した。

1)健康問題における専門職と地域住民の実践上の役割分担(区分)を明確にする

2)地域社会での健康問題に対する個人的な成長をめざす

3)地域の健康問題への対処能力を開発する

 これらは,今後の高齢化社会(高齢者の孤立)と人の大規模な移動(移民・難民)による社会格差への対処策として語られたものであり,そのために,地域ボランティアの組織化が要求され始めたことを意味する。さらに,地域に最も近いプライマリ・ケアの能力開発が重視されたものでもある。

 しかし,これらはまだ概念上のプランであり,今後の実践モデル開発とそれを通じた研究が待たれている。これらの開発・研究には@運動の開始者:initiator,A推進者:promoter,B支援者:supporter,C評価者:evaluatorの4者が必須である。この中で@initiatorとApromoterとは,問題意識に基づく社会・組織的活動の開始者(地域における意識ある緩和ケアの活動家)であり,Bsupporterはそれぞれの国の学会レベルの緩和ケア組織を,Cevaluatorは学術団体,とりわけ大学組織を指している。

 今回採択された「ボランティア憲章」は,緩和ケア推進における,地域と学術団体の協働による科学的根拠の確立を基にしたボランティア活動の推進とCompanionate Societyの実現を憲章化したものだと言えよう。

日本への教訓――統合の場の創造と継続的議論を

 翻って日本の緩和ケア関連諸団体についてはどうなのか――。これまでの活動を筆者は継続して見ているが,それらの年次大会での社会的課題の取り上げ方や問題の解決に向けた活動には「継続性の不足」を感じざるを得ない。

 死に直面した時には,患者・家族・地域の社会的問題が凝縮して出現してくるものである。その意味で緩和ケア関連諸団体は,単に緩和ケアのみを対象としていればいいのではない。社会問題そのものと直面しているに他ならないのである。したがって,緩和ケアに関連する専門職は,社会的変化に最も近い位置に存在し,その解決の先駆者たり得る役割を担う(担うべき)職業的責務がある。

 そのためにも,国内の関連諸団体が一堂に会して緩和ケアをめぐる社会的問題を探ると同時に,今後の社会と健康問題(より良き生と死)の解決策を,それぞれの団体の特性に合わせて科学的根拠に基づき提案し,必要とあれば政治とも協議することが要求されている。

◆参考文献

1)加藤恒夫.Connecting Diversity──多様性を継ぎ合わせる ヨーロッパ緩和ケア学会第10回大会報告.週刊医学界新聞.2007;2742.
2)加藤恒夫.Palliative Care――the right way forward 人権としての緩和ケア:ヨーロッパ緩和ケア学会第13回大会報告.週刊医学界新聞.2013;3035.
3)加藤恒夫.〈第18回日本在宅医学会大会 第21回日本在宅ケア学会学術集会 合同大会 特別講演3〉人権としての緩和ケア.緩和医療研究会機関誌.2017;24(1).
4)Milbank Q. 2011[PMID:21933272]
5)J Pain Symptom Manage. 2007[PMID:17482035]
6)イチロー・カワチ,他.ソーシャル・キャピタルと健康.日本評論社;2008.
7)Palliat Med. 2016[PMID:26269324]

かとう・つねお氏

1973年岡山大医学部卒。1993〜2009年日本プライマリ・ケア学会評議員,2000〜04年日本死の臨床研究会国際交流委員長,07〜09年日本緩和医療学会評議員などを務める。現在,英国緩和医療学会(Association for Palliative Medicine of Great Britain and Ireland)およびヨーロッパ緩和ケア学会(European Association for Palliative Care)会員。


週刊医学界新聞 第3234号 2017年7月31日

“死に方を選べる社会“アメリカに学ぶ最期の迎え方とは?

■「リビング・ウィル(生前の意思)」で蘇生&延命の拒否も一般的に


 あなたは、最期をどこで迎えたいか、考えたことはあるだろうか。「終活」という言葉が定着してきた日本だが、世界と比べて、まだまだ遅れているのが現状だ。

 アメリカには、「DNR(=Do Not Resuscitate)」、日本語に訳すと「蘇生拒否」という制度によって幸せな最後を迎えることができるという考え方がある。

 実際に「DNR」で身内を看取った人がいる。元フジテレビのキャスターで、ワシントン在住の笹栗実根さんだ。

 「私の母の姉で、35歳くらいでアメリカに渡り、現地の男性と結婚、40年以上カリフォルニアに住んでいた。子どもがなかったので、いつも仲良く2人で海外旅行に出かけるなど人生を本当に楽しんでいた」。
 
“死に方を選べる社会“アメリカに学ぶ最期の迎え方とは?

 2012年、そんな伯母・キョウコさんが、血液の癌で余命幾ばくもないことがわかった。「最期は家で過ごしたい」と考えたキョウコさんは帰宅。数カ月後、日本にいた笹栗さんの元に、危篤を告げる連絡があった。

 すぐさまキョウコさんの自宅へと駆け付けた笹栗さんの目には、ベットで苦しそうにしている伯母の姿が飛び込んできた。しかし、なぜか救急車は来ていない。事態が呑み込めず、焦る笹栗さんは、介護士は「状態が悪化していても救急車を呼ばないのは、あなたの伯母さんの希望なんです」という信じられない言葉を聞かされた。介護士が指をさした先の冷蔵庫には「DNR指示書」が貼られていた。

 生前に書くこの指示書で、キョウコさんは無理して生きながらえるのを自らの意思で拒否、自然な死を迎えいれようとしていた。そして、笹栗さんの到着から8時間後、静かに息をひきとった。

 「伯母はアメリカに渡ってから、ずっと一人で全てやってきた。周りに身内がいないこともわかっているし、迷惑をかけたくない。癌になってからも『お見舞いに来なくていいから、大丈夫だから』って言っていた」。

 伯母の最期に接し、笹栗さんは「これが尊厳死なんだと感じた」という。これを機に、アメリカの尊厳死の制度について調べ始めた。

■「国も患者さんもウィンウィンな仕組み」

 「アメリカの場合、まず、6カ月以内の命だと判断されたら、『このまま治療を続けるか』『治療を拒否して自宅に戻って最期を迎えるか』『自分が最後にどうしたいのかを書くリビング・ウィル(living will、生前の意思)』という3つの選択をする」。

 心停止した際に蘇生措置の拒否を提示する「DNR指示書」のほか、医療的な処置、介入をしてほしいかどうか、その度合いをどこまでするかをお願いする書類を「POLST(ポルスト)」。日本語版も用意されている。

 「最大限の処置をしてほしいのか、緩和を中心に、とにかく痛みを抑えたいか。あるいは、その中間か。また、人工的な栄養の補給(日本でいう胃ろう)を行うのか、行わないのか。また、1年ぐらいやってみて、それでダメだったら治療を止めるということも選ぶことができる」。

キョウコさんの書類

 そしてもう一つ、「リビング・ウィル」だ。

 「州によって呼び方は違うが、患者本人が元気な時に書くもので、意思表示ができなくなった場合にどうしてほしいのか、自分の気持ちをまとめておくということ。医療機関は患者に対し『リビング・ウィルはあるか?なければ書く権利がある』と確認しなければならない。各州に法律とフォーマットがある。法的拘束力を持っているので、書いてあることは必ずやらなければいけない」。

 アメリカでは、延命治療の拒否、在宅介護の充実で「自宅で幸せな最期の時を迎える」ことを実現する人が増えている。「ホスピス」という制度は、大きな病を患い、余命を宣告された多くの人たちのケアを行い、一人ひとりが考える「幸せな最期の迎え方」の手助けとなっている。

全米ホスピス緩和ケア協会のイド・パナックさん

 全米ホスピス緩和ケア協会のイド・パナックさんは、ホスピスについて「終末ケアのひとつの形で、命の終わりを看取るというよりも、患者さんがまだ命のある間に、可能な限り快適に生活して頂く場を提供するということ」と説明する。

 オペラが好きだったアーサーさんの場合、寝たきりとなった彼のために、家族や友人を集め、一緒にプロが歌うオペラを聞く場所を提供した。その3日後、アーサーさんは亡くなった。また、肺癌で余命わずかのデニスさんの“娘の結婚式が見たかった“という願いを叶えるため、ウェディングドレスで一緒にダンスを踊る機会を作った。ただ緩和ケアをするだけではなく、幸せな最期を迎えるための手伝いもしているのだ。

 アメリカでこうした仕組みが推奨されている背景について、笹栗さんは「アメリカは個人の気持ちを大事にする。ほとんどの人が家で最期を迎えたい。かたや、すごく医療費がかかるので、最期まで病院にいるとなると、国が払わなければいけない費用も膨大なものになる。ホスピスという制度が発展してきたのは、国も患者さんもウィンウィンだからだ」と話す。

■在宅での緩和医療、日本でも

 アメリカでは“自宅で最期を迎える“という選択がしやすくなるような取り組みが整備されている一方、日本の現状はどうなっているのだろうか。

 ある調査では、人生の最終段階を過ごしたい場所を「医療介護施設(病院・ホスピスなど)」と答えた人が27.2%となっているのに対し、「自宅」「その他(施設外)」と答えた人は71.6%となっている。しかし、実際の死亡時の場所別内訳をみると「医療介護施設(病院・ホスピスなど)」が85.2%、「自宅」「その他(施設外)」は14.8%と、人々の希望が叶えられているとはいえないことがわかる。

「やまと診療所」院長の安井佑医師

 厚生労働省も在宅医療を推進する中、新たな取り組みを始めている診療所がある。板橋区にある「やまと診療所」院長の安井佑医師は「我々は、在宅診療を中心にやっている診療所。外来と入院っていうのが今まで一般的な形だった。我々は自宅に出向いて医療をさせていただく」と話す。

 「癌の末期の患者さんが半分をしめている。余命が限られていると、残された時間を病院ではなく自宅で過ごすという選択をする方が増えている。我々、法人の理念が『自宅で自分らしく死ねる、そういう世の中を作る』。自宅で自分らしく死ねるということは結局、最期まで自宅で自分らしく生きられるということ」(安井医師)

 医師とは別に患者さんに寄り添い、お世話をする在宅医療PAと呼ばれる人材の育成にも力を入れている。

 「PA(フィジシャン・アシスタント)、直訳すると『準医師』というのは、アメリカやイギリスでは国家資格として認定されている資格。自分らしく生きるために、やっぱり家で過ごして欲しい。技術の進歩によって、在宅でも緩和医療が提供できるようになっている。家で過ごして頂く時間を増やしたい」(安井医師)

■健康保険証の裏面に、尊厳死について記入する欄を

 日本でも少しずつ広まりつつある“幸せな最期を迎えられる“ための環境づくり。笹栗さんは、アメリカになくて日本にあるものが、さらなる推進に役立つ可能性があると指摘する。それは「健康保険証」だ。

 「日本では健康保険証を全員が持っている。こんな書類はアメリカにはない。裏面には、臓器提供をするかどうか書いてある。ここに一言でいいので“私は尊厳死をしたいです“あるいは“したくないです“と書く欄があればいい。特に若い人の場合、親がどう判断するか、ものすごく難しい。だからこそ、全員が考えなければいけないこと」。

 死にゆく自分のためだけではなく、周りのことも救うという「リビング・ウィル」。

 笹栗さんは「“自分の最期はこうしたい“っていうのが、みなさんにあると思う。“まだ若いから“、“病気じゃないから“、そうではない。それは健康なうちから明確にしておくべきこと」と訴えた。

Yahoo!ニュース 2017年7月31日

がん患者の治療中止、「適切な時期」はいつか
約半数が治療中止時に予後説明なし
 がん治療が目覚ましく進歩している現在でも、「切除不能」と診断された固形がん患者の予後は不良であり、多くの患者は原病死に至る。そのためいったん開始された化学療法については、なんらかの理由でいつかは治療中止の判断を迫られることになる。しかし、その中止判断は医療者にとって難しい決定の1つである。

 東京女子医科大学化学療法・緩和ケア科の近藤侑鈴氏らは、同科での切除不能進行がん患者を対象にした後ろ向き観察研究から、約半数の症例では治療中止時に患者本人へ予後説明が行われていなかったことなどを第22回日本緩和医療学会(6月23〜24日)で報告した。

全身状態悪化・副作用による中止例では、本人への「説明なし」がより多い

 抗がん薬治療中止の基準は原則、@治療無効による病勢増悪A毒性B患者希望―である。しかし、その基準は明確ではなく、担当医に判断が委ねられているのが現状であり、実臨床においては中止決定に苦慮することも多い。

 そこで近藤氏らは、終末期における抗がん薬治療の現状を把握するため、同科での抗がん薬治療の中止理由と治療中止時における患者本人への予後説明の有無について検討した。

 対象は、2014年4月〜15年11月に同科で抗がん薬治療を開始し、その後治療中止となり死亡した切除不能固形がん患者144例である。全例において治療開始時に治癒不能であり、治療目的は「延命・緩和目的」であることが説明されていた。これらの症例に対して、後ろ向き観察研究により、抗がん薬治療中止の理由、治療中止前後における終末期の余命説明の有無、治療中止から死亡までの期間などについてカルテ記載から情報を収集。抗がん薬治療の中止理由については、@画像上明らかな病勢増悪(PD)A全身状態(PS)悪化B有害事象(AE)C患者希望ーの4つに分けて解析した。

 144例の患者背景は、年齢中央値が67歳(33〜88歳)で、うち男性が102例(70.8%)を占めた。がん種別では大腸がんが44例(30.6%)で最も多く、次いで胃がんが27例(18.6%)、胆膵がんと肺がんがいずれも24例(16.7%)であった。最終レジメン開始時のPSは0〜1、2、3〜4がそれぞれ84%、13.2%、2.8%であった。

 その結果、抗がん薬中止の理由は、「画像上明らかなPD」が61例(42.4%)と最も多く、次いで「PS悪化」42例(29.2%)、「AE」29例(20.1%)、「患者の希望」12例(8.3%)であった(表)。

表.結果(144例)

 抗がん薬中止から死亡までの期間中央値は55.5日(2〜574日)で、治療中止から死亡までの期間が30日未満であったのは34例(23.6%)であった。

 また治療中止時に患者本人への余命説明があったのは約半数の79例(54.9%)で、同氏は「予想より少なかった」と報告した。

 治療中止の理由別に予後説明の状況を見ると、「PS悪化」および「AE」では、本人への説明が行われてない症例がより多かった。また希望中止を除いては、15%前後の症例では家族のみへの説明が行われていた。「説明なし」とされた症例については、カルテ記載が発見されなかったものも含まれるため、現状ではもう少し予後説明が行われている可能性があるという。

 これらの結果から、同氏は「PS悪化中止とAE中止では抗がん薬中止時に本人への余命告知を含む終末期の病状説明がなされた症例の割合は少なく、また生存期間は短い傾向にあり、有効な抗がん薬治療がある場合の中止判断は難しいことが示唆された」と考察した。またAEは発症予測が困難なこともあり、oncology emergencyに至ることも少なくない。救命治療が優先されるべき病態のAE中止時にはいわゆる終末期の予後説明は行われていないことが多いと考えられるという。

 さらに、同氏は「急激な状態悪化の際には本人への病状説明が躊躇されている可能性が考えられたが、患者の意思決定支援については十分に配慮する必要がある。抗がん薬治療の適切な中止時期とはいつかということについて今後議論を深めていく必要がある」と指摘した。

MedicalTribune 2017年8月1日

麻央さん典型と考えないで 乳がん経過で米教授
 著名人のがん闘病は社会へのインパクトが大きい。乳がんを患い、6月に死去したフリーアナウンサー小林麻央さん(34)が、亡くなる直前まで病状などをつづったブログは特に注目を集めた。

 米テキサス大MDアンダーソンがんセンターの上野直人教授は、麻央さんのブログが進行がんの闘病への関心を高めたことは大きな功績としつつ「乳がんが進行すると、誰もが彼女のような経過をたどると誤解した患者さんが多いのではないか、気掛かりだ」と話す。

 上野さんは抗がん剤治療のエキスパートである腫瘍内科医で、進行乳がんの治療を手掛けることが多い。上野さんが治療や助言で関わった日本人患者の多くは麻央さんのブログを読み「自分もいずれ麻央さんのような症状が出るのか」などと上野さんに問い合わせてきたという。

 上野さんは「医学的情報が不足しているため麻央さんの治療の中身については判断できない」と前置きした上で「進行がんで必ず特定の症状が出るとか、必ず入院が必要かと言えば、そんなことはない」と指摘する。

 症状の出方は個人ごとに大きく異なり、不快な症状もかなりコントロール可能になった。病状が進んでも社会生活を続け、入院せずに終末期も在宅で過ごす人が米国では珍しくないという。「日米の医療制度の違いはあるが、患者支援などの条件が整えばそれも可能だと知ってほしい」

 上野さんは「ブログはあくまで1人の例として距離を置いて読むことが大切。医療者も症状や経過は多様であることをきちんと説明すべきだ」と強調した。講演などのため6月下旬から7月上旬にかけ来日していた。

47NEWS 2017年8月1日

15%がうつ、がん遺族には心の治療が必要だ
苦しむ遺族が訪れる「遺族外来」の実態とは?

なかの かおり : ジャーナリスト

 愛する家族との死別を経験した遺族には、心のケアが必要です。10年前から「遺族外来」をスタートさせた埼玉医大の大西秀樹医師に、遺族外来の実態と、遺族に必要なケアについてインタビューしました。

 小林麻央さんが乳がんで亡くなってから、夫の市川海老蔵さんや2人の子どもたち、姉の小林麻耶さんら遺された家族を心配する声も絶えない。

 日本でがんは2人に1人が直面する病気で、死因のうちいちばん多い〔厚生労働省「平成27年(2015)人口動態統計」〕。それだけ遺族も多く、死別の苦しみに心のバランスを崩す人も少なくない。

 苦しむがん遺族には心のケアが必要だと、10年前に「遺族外来」を始めたのが、埼玉医大国際医療センターの精神腫瘍科教授、大西秀樹医師だ。いったい、どのような診療が行われているのだろうか。大西医師に聞いた。

家族との死別は人生最大のストレスだ

――遺族外来というのは、ストレートな名前です。どのようなきっかけで始めたのですか。

 苦しむ遺族に来てほしいから、わかりやすい名前にしました。精神科というとピンとこないし、ハードルが高いので。

 精神科医として勤めて10年ぐらい経ったとき、がんの患者さんや家族の診察が多くなったんです。亡くなった後、よりよく喪に服せればいいのですが、周りの対応に傷つけられる例は少なくありません。

 ある女性は、家族と死別語、相続をめぐって家を追い出されてしまいました。診察を通じてサポートし、生きていく力がついて元気に暮らしているのが救いです。

 別の女性は夫をがんで亡くし、自身も乳がんになりました。その後に仕事を辞めたら、うつ病になった。死別は人生最大のストレス。さらに病気や退職のストレスが重なり、治療が必要になったんです。こうした出会いが続いたので、埼玉医大に赴任した後、がん患者さんの心のケアをする「精神腫瘍科」の中で、2007年から遺族外来を始めました。

医療保険が適用される

――外来の様子を教えてください。

 遺族外来には、年に平均して20〜30人が受診します。そのうち、この病院(埼玉医大)に通っていた患者さんは1割ほどで、9割は院外からです。遠くは広島、三重などからも来ます。配偶者を亡くした人が6割と多く、4割が親や子どもを亡くした人です。なお、診察には医療保険が適用されます。

 診察の流れは、こうです。初めに臨床心理士が話を聞いて、精神科の診断基準に沿って質問します。表情や服装などを観察しながら20〜30分、話を聞き、次の予約を入れます。おカネや生活の悩みも多く、弁護士や専門家につなぐ場合もあります。

 「つらいから話を聞いてほしい」という遺族が多いですね。周りの人に話せないことを話しにくる。「子どもを亡くしてつらいけれど、時間が経って言いにくい」「いつも同じ話と思われる」「守秘義務のある医療者がいい」と言われます。

 訴えの7割は、「治療はあれでよかったか」とか、「こう接すればよかった」とか、がんの治療に関する後悔です。私たちは、がんの患者さんに接している専門家ですから、治療の内容も理解しています。最期に苦痛が取れないとき、モルヒネや鎮静の薬を使うのですが、そのせいで死期が早まったと後悔している遺族に、「医学的にベストな選択でしたよ」と説明すると、楽になるそうです。

 新聞で遺族外来が紹介されると、記事を握りしめてやってきた女性がいました。母を亡くして何をする気も起きず、電車に飛び込もうとして止められた。遺族外来という文字を見て、「これだ」と思ったそうです。話をよく聞くと、うつ病を発症していました。抗うつ剤がよく効いて元気になりました。

 がんの患者さん向けの外来も併設していて、年に200人以上が受診します。患者の家族の外来もあります。病棟に出向いていくことも多くあります。

遺族の「悲しみ」を当然視するのは危険だ

――なぜ、遺族外来のような場が必要なのでしょうか。

 大切な人を亡くした後、一時的に悲しみの反応が起きます。中には話すだけでよくなっていく遺族もいますが、大事なのは、うつ病の見極めです。うつ病は一般的に人口の3〜7%がかかりますが、死別して1年で15%の遺族がかかるという調査があります。うつ病が認められ、どうにもならない苦しみから死にたいと思う人もいるので、治療が必要です。ただ、周りは「死別を経験したんだから当たり前」と症状を見過ごしてしまう。

 また、死別のストレスから生活の質が下がり、自身の病気に気づかなかったり、心臓病で亡くなる率が高くなったりという問題もあります。回数や期間はそれぞれですが、継続して受診してもらい、「愛する人がいない新しい世界」に適応していくサポートをします。

どんな悲しみがあっても、人間には適応力がある

――「新しい世界」への適応ととらえるのですね。

 10年間、遺族外来を担当して感じるのは、「つらい別れがあっても、人間には適応して成長していく力がある」ということ。私も、たくさんの遺族や患者さんとの出会いで、成長させてもらっています。本当に大変な状況の遺族が来たとき、「今はつらいけどこのままじゃないから」と、明確に言えるようになったのはここ数年です。

 17歳の息子を亡くしたあるお母さんは、「この壁を乗り越えられない」と言っていました。同じ立場の人としか話したくないと、ボランティアで病気の子の家族を支える活動を始めました。それでも傷が癒えなかったので、つらくなって外来を受診。うつ病を発症していました。ボランティアを辞めて治療しましたが、父を亡くしてまた体調を崩した。

 それでも、彼女はよくなりました。そして、息子さんが好きだった服で作ったぬいぐるみを見せてくれました。思い出の布でぬいぐるみを作る会を始めたそうです。つらいながらも新しい生活を始めている一例です。

よかれと思った支援で、かえって傷つけることも

――身近な人は、遺族とどのように接すればいいのでしょうか。

 遺族の訴えのうち、後悔に次いで多いのが、「周りの人の言動に傷つく」というもの。よかれと思っても、役に立たない支援というのも少なくありません。

 たとえば、死別によるうつ病の状態がよくなってきたのに、近所の人に根掘り葉掘り聞かれ、ぶり返す患者さんもいます。「がん家系なの?」「検診に行かなかったの?」「あなたよりつらい人がいる」「私はわかる」などは、言ってはいけない言葉です。元気を出すよう鼓舞する、死別に触れずに陽気に振る舞うのも、遺族を傷つけるといわれています。もっとも、悪気があるわけではなく、知識の欠如だと思います。身近な人には、そばにいて話を聞いてほしいのです。

 どのような援助がよかったのかを聞くと、「近所の人が煮物を作って持ってきてくれた」「『かける言葉がないのよ』と言ってくれた」というものがあります。私も、診察で遺族に「私の気持ちがわかりますか?」と聞かれた場合は、「わからない。だから話を聞いて少しでも理解に努めるのです」と返しています。「あなたから聞いたことしかわからない」と正直になるのも大事です。

 遺族サポートの形は層をなしています。まず身近な人が耳を傾ける。さらに、「つらいならこういうところもあるよ」と遺族会や医療機関の情報を伝える。遺族会に行って、吐き出すのも効果的です。症状があれば、近くの医療機関に行く。さらに必要なら、遺族外来や、がん拠点病院にいる精神腫瘍科医(心の専門家)にかかるというステップがあります。

――先生も、同僚を亡くされたと伺いました。

 今年、子育て中の同僚ががんで亡くなりました。彼女は生前、お子さんにも周囲にも、自分の命が限られていることを優しく伝えていました。だから、子どもたちも母親の死を十分に理解していたようです。立派な先生でした。

 がんになった段階から、家族ケアが必要なんです。残される子どもにも、年齢に応じた言葉で「治らない病気になっている」と話しておいたほうがいいですね。大人がひそひそ話すと、自分が悪いことをしたと思ってしまう。話の輪に入れるようにするのが大事です。

 国は、がん患者や家族の心のケアを進めるように言っていますが、実際は追いついていない。身近な人ができることや、社会的な資源として何が活用できるのかを、前もって知っていれば、実際に死別に直面したときの対応は違ってきます。これを伝えていきたいですね。

大西 秀樹(おおにし ひでき)/1960年生まれ。精神科医。横浜市立大、神奈川県立がんセンターを経て現職。10月、東京都内で開かれる日本臨床死生学会大会長を務める。著書に『遺族外来―大切な人を失っても』(河出書房新社)(撮影:尾形文繁)

週刊東洋経済 2017年8月5日

あなたが死ぬ前に書く手紙は?
大反響のNスペ『人生の終い方』まとめ

■レビュワー 野中幸宏

 『人生の終(しま)い方』というとすぐに“終活”という言葉を思い浮かびます。エンディングノートや遺言、さらに葬儀や財産分与などを事前に、残された人に伝えておくという人が増えているそうです。そのような終活の中にこの本を置いてみると、この本の特長が浮かび上がってきます。

──人それぞれに「生き方」があるように、人それぞれに「死に方」、すなわち、「人生の終い方」がある。最後の時間をどう生きるのか。最後の瞬間を誰とどこでどのようにすごすのか。「終い方」にはその人ならではの「生きざま」が色濃く反映される。そして、その「終い方」はのこされた人の「生き方」、「終い方」にも影響を与えるのではないか。──

 終活がどこか区切りを付ける、迷惑をかけないためという色合いが強いのに対して、この本が注目したのは、なにかを伝える、なにかを残していく、ということの大事さではないかと思います。

 読み進んでいくと「ディグニティ(尊厳)セラピー」というものが取り上げられています。ディグニティセラピーとは「終末期患者の心理社会的および実存的な苦悩に対処することを目的とした精神療法的アプローチである。人生の終末期を迎えた患者が、自分の歩んできた道を振り返り、大切にしてきたこと、達成できたこと、家族に憶えておいてほしいことなどを語る」(「日本緩和医療学会ニューズレター Nov 2008  41」より)というものです。

 具体的には9つの質問を使って人生を振り返り、その内容を聞き取った医療従事者が後日、家族など本人にとって大事な人にあてた手紙のかたちにまとめて、本人に手渡すというものです。これは遺言ではありません。“ラストレター”です。

1.あなたの人生の中で、一番思い出として残っている出来事、あるいはあなたが最も重要だと考えていることはなんですか? あなたが人生で一番生き生きしていたのはいつのことですか?

2.あなたが大切な人に知っておいてもらいたいことや憶えていてほしい、何か特別なことがありますか?

3.あなたが人生で果たしてきた役割(家族内での役割、職業上の役割、地域社会での役割など)のうち、最も重要なものは何ですか? なぜそれはあなたにとって重要なのですか? そして、それらの役割においてあなたが成し遂げたことは何ですか?

4.あなたが成し遂げたことの中でもっとも重要なことは何ですか? 一番誇らしく思ったことは何ですか?

5.大切な人達に言っておく必要があると思いながらもまだ言えてなかったこと、あるいは、できればもう一度言っておきたいことがありますか?

6.大切な人達に向けてのあなたの希望や夢は何ですか?

7.あなたが人生から学んだことの中で、他の人達に伝えておきたいことは何ですか?(息子、娘、夫、妻、両親、その他の人達)に残しておきたいアドバイスあるいは導きの言葉は何でしたか?

8.大切な人の将来に向けて役に立つような、伝えておきたい言葉、あるいは教訓めいたものはありますか?

9.この半永久的な記録を作るに際して、他に追加しておきたいことがありますか?

 この本では定年直後にがんを発症した桑原さんというかたのセラピーが取り上げられています。

 家族に最後の手紙を渡すまでの桑原さんの気持ち、手紙を受けとった家族の心の内、静かな筆致が読むものの胸にしみてきます。

 残されたものに何かを伝えておく……幸せだった記憶、感謝の気持ち、時にいたわり……さまざまな思いが最後の手紙には込められています。

 35歳の若さで「人生の終い方」に向き合わざるを得なくなった小熊さんのこんな言葉が記されています。

──自分が自暴自棄になるというか、何のために誕生したのかもわからない。誰が悪いじゃなく、俺が悪い。生きていても死んでも迷惑をかけてしまう。どうしたらいいのか。──

 この葛藤の末につかんだ言葉は……「子どもたちに教えたいことは、立ち向かうこと、あきらめないこと」というものでした。

──もう自分は、これまでのように、子どもたちのそばにいて一緒に生きていくことができない。まだ幼い子どもたちがこれから成長し、さまざまな壁にぶつかることも少なくないはず。しかし、そのとき自分はもういない。何か解決策を示したり、励ましたりすることはできない。だからこそ、どんなときも「立ち向かい」「あきらめない」で生きていくことの大切さを伝えたいと考えたのだ。──

 「人生の終い方」には自分が「伝えたいこと」に直面するときです。「終活」にはピリオドというイメージがありますが、この「終い方」は少し違うのではないかと思います。

 「人生の終い方」を知り、考えることは最後の「生き方」を考えることのように思えます。

 この本のもととなったTVドキュメントで進行役となった桂歌丸師は「人生の終い方」をこう考えているそうです

──「終い方」なんて偉そうなことは考えちゃあいませんよ。ただ私は落語をやるだけ。強いて言えば死ぬまで落語をやることが私の「終い方」ですかね。──

 この強い落語への意思には盟友だった故・三遊亭圓楽師匠(5代目)からの一言がありました。亡くなる直前の圓楽さんから「歌さん、頼むよ」という電話があったといいます。一門、TV番組、もちろん落語のこれからなど、万感の思いを託した圓楽さんの一言でした。圓楽さんの『終い方』、それを引き受けた歌丸さん。その上での歌丸さんの『終い方』ではないかと思います。

 さらにまた、死が残されたものの問題になることを教えてくれるのが、水木しげるさんの『終い方』です。過酷な戦争・戦場体験を経た水木さんが何よりも大切にしたものは「家族との穏やかな時間」でした。それを永遠にとどめようと写真を撮り続けました。写真に写された笑顔、それがどれほど大事なのかは、戦争をくぐり抜けた水木さんには痛いほどわかっていたのです。水木さんの『終い方』は笑顔を残すことでした。

 終活というブームで最期を考えるのではなく、生きるということの中で『終い方』を考えなければならない、そんなことを思わせる感動的な1冊です。


エキサイト ニュース 2017年8月6日

がんで変わったのは髪の毛だけ。それを多くの人に知ってもらいたい。
「がんをむやみに怖がらない」という選択肢

・がんを過度に怖がらないためのイベント開催

・がん患者がモデルとなって、プロたちがポスター制作

・「がんになったら何もできなくなる」というイメージを変えたい


「がんになってから始めたことの方が多い」

「がんになっても、実際は変わらない部分の方が多いんですよ。見た目にしたって髪の毛は抜けましたけど、いきなり太って、着ていた服が全部着られなくなるわけでもないし」

 モデルのひとり、中島ナオさんは終始笑顔だった。中島さんは乳がんのステージ4。頭につけている布がとてもオシャレで印象的だ。

「基本は、私は私のまま。がん治療のせいで思い通りにできないこともありますけど、私の場合は、がんになってから始めたことの方が多いんです」

 中島さんは、がんをきっかけにデザインをさらに学ぼうと大学院に進み、一般の人でもオシャレに使える『ヘッドウエア』のデザインと制作を始めた。そのほか、漆のお椀のデザインを手がけている。さらに、来月からは大学で教えることも決まったという。

 中島さんのように「がんになってもイキイキと暮らしている人」がたくさんいる。それを広めるための取り組みが広がっている。

がん=不治の病?

 がんの診断技術や治療法の進歩によって、がん患者の生存率は向上し、がんと共に生きる時代が到来しつつある。しかし、多くの人のがんに対するイメージは「がん=不治の病」のまま。がん患者に対する偏見も少なからず存在している。

「がんになってもイキイキと暮らしている人がたくさんいることを知ってもらい、がんになったら何もできないのではないか、というイメージを変えたい」

 そんな思いに賛同した人たちが集まり、8月19、20日の両日、「LIVING WITH CANCER MAKEUP & PHOTO」と題したイベントが開かれた。

 イベントの内容はプロのメークとカメラマンによる撮影会で、モデルは一般公募のがん患者やがん経験者。アートディレクターとデザイナーがその場でポスターに仕上げてくれる。

 モデルのがん患者やがん経験者たちは、まずプロによるメークを受けて、撮影の臨む。

 撮影の待ち時間には、それぞれ「熱中しているもの」を記入する。その手書きの文字が「○○ WITH CANCER (がんと共に○○する)」という標語になって印刷される。

 トラベル、フットサル、ウクレレ、モデル、ミセスコンテスト…。言葉のイメージからは、がんと結びつかないものが並ぶ。

 「Yoga WITH CANCER」というポスターを作った小山紀枝さんは乳がん。がん患者のためのヨガ教室を開いているという。

「小林麻央さんの言葉を借りるならば、病気が人生のすべてではない。がんになって得るものもあるし、人生は楽しんでいいと思うんです」

 「検診に行かなくちゃ」と思うのももちろん大事だが、病気のことばかりを考えるのではなく人生そのものを楽しみたいという。

 同時に開かれていたがんに関するセッションでは、がんを告知されてパニックになり、すぐに仕事を辞めてしまう人の話が紹介されていた。がんに関する情報を調べても、とにかくネガティブなものが氾濫しているため、パニックになる人が多いのだという。

 セッションの中では「辞めることは簡単だけど、戻るのは大変。パニックになっている時は判断しないことが大事で、辞めたりしない方がいい」とアドバイスがされていた。

 今回のイベントでは、2日間で約60人がポスターを制作した。どのポスターも病気の怖さや悲惨さは微塵も感じさせないものだった。

 乳がんと4年間闘っている介護福祉士の佐藤妙子さんは「人生を楽しもうと思っているのが、自分だけじゃないんだとわかってとてもよかった」と笑顔を見せた。

 がんになるとどうしても閉じこもりがちだというが、病気と闘っているのが自分だけではないとわかるだけで安心できるという。

 ただ、冒頭に紹介した中島さんはこんなことも語っていた。

「私は患者として名前と顔を出して、がんだって言うのは正直抵抗があった。今は目的があってやっているけど、みんなにそうして欲しいとも思っていないし、これが正解とも全く思っていない。社会の目とか仕事場とか、『がん患者はこうあるべき』みたいなものが多いけど、全部ケースが違うわけじゃないですか。だから、選択肢として増えていけばいいなって」

 がんを怖がるばかりの選択肢ではない。社会や企業を巻き込んだ取り組みがいま広がっている。

ホウドウキョク 2017年8月20日

直腸がん末期の80歳男性はなぜ家に帰れなかったのか
南相馬市から症例報告
 がん治療には周りの人からの支援も欠かせません。福島県南相馬市で直腸がんを診断され、終末期は自宅で過ごすという希望を叶えられなかった男性の例が報告されました。

進行直腸がんがあった80歳男性

 南相馬市立総合病院の尾崎章彦医師ほかの著者らが、社会的に孤立した状態で進行直腸がんの治療を受けていた80歳男性の例を、専門誌『Journal of Medical Case Reports』に報告しました。

 この男性は2016年6月に血便・めまいを訴えて南相馬市立総合病院に紹介されました。

 2015年5月に血便を自覚し、大腸がんかもしれないと思っていましたが、出血が少なくほかに症状がないので1年以上診察を求めませんでした。めまいが出てから医師に相談しました。

 血液検査ではヘモグロビン7.4g/dl、平均赤血球容積78flと、かなりの血液が失われていることが疑われました。大腸内視鏡と腹部CTで進行直腸がんが見つかりました。

なぜ1年以上放置していたのか?

 この男性は、がんの診断は怖くなかったと言っていました。42歳で離婚してからは独居でした。2人の子供とも会っていませんでした。2011年の東日本大震災の前は近所の友人で集まることが多く、健康について話すこともあり、大腸がんで血便が出ることがあると知ったのは友人の集まりででした。

 震災後は近所の人が避難して友達とほとんど会わなくなり、症状を感じてから病院に行く前には誰にも症状の話をしていませんでした。

手術、抗がん剤治療とその後

 2016年6月に手術が行われました。しかし、がんの広がりが強く取り切れませんでした。7月から抗がん剤治療が開始されました。残ったがんの影響でしだいに臀部の痛みが現れました。

 痛みを和らげるために放射線治療が提案されましたが、結果として放射線治療は受けないことに決まりました。放射線治療のためには60km以上離れた病院に通う必要があり、自動車は持っていないこと、送ってくれる人もいないことが理由でした。

 終末期は自宅で過ごしたいと希望し、ソーシャルワーカーなどと何度も相談しましたが、家族や近所の人から十分な支援を得られず、退院ができませんでした。2017年1月に長期ケア施設に転院となり、2月に亡くなりました。

 報告の著者らは考察の中で「災害後の状況では孤立を減らすことを公衆衛生上の決定的な問題と考えるべきである」と述べています。

震災と孤独

 直腸がんの診断と治療に、震災による社会的孤立が影響したと思われる例を紹介しました。

 がんかもしれないと思ってから受診まで1年以上の間隔があったこと、放射線治療を断念せざるをえなかったこと、亡くなる前の期間を自宅で過ごせなかったことのどれも、孤立していなければと思わざるをえません。

 この報告の著者らはほかにも、乳がんの症状に気付いてから受診までが遅くなった人が震災後に増えたことを報告しています。

 こうした例が全体に当てはまるかどうか、また震災がなければ違っていたと言えるかどうかは、確かめられない部分もあります。しかし、震災・津波と原発事故のあと、生活環境が大きく変わった人は実際にいます。

 生活環境の変化、特に孤立は、震災後の医療にとって大きな課題と言えるのではないでしょうか。

執筆者 大脇 幸志郎

参考文献

Social isolation and cancer management - advanced rectal cancer with patient delay following the 2011 triple disaster in Fukushima, Japan: a case report.
J Med Case Rep. 2017 May 16.


MEDLEY 2017年8月24日

“死別の悲しみ”支える 「グリーフサポート」の輪
 家族や友人など親しい人を亡くして深い悲しみを抱えた人たちを支援する「グリーフサポート」と呼ばれる取り組みが全国で広がりを見せています。深い悲しみと向き合いながら同じような境遇にある人たちの支援に取り組む女性を取材しました。

 8月19日、東京・港区で、自殺のない社会の在り方や、家族や友人など親しい人を亡くした人たちの支援を考える市民講座が開かれました。この講座を主催したNPO法人理事長の森美加さんは10年前、当時13歳の長男を学校でのいじめによる自殺で亡くしました。

 参加者を前に、森さんは「長男が亡くなって11年を迎えるが、私は(亡くなった)子ども宛てに手紙を書いたことがなかった。書ける余裕がなかったというのが正直なところ」と語りました。

 森さんは「どういうふうに子どもを亡くし、どう過ごしてきたか。正直、覚えていることも忘れていることもある。ただ、グリーフに関して言えば『息子を亡くした悲しみは抱いていいんだ』と思えるようになった」と語ります。

 悲しみや喪失感など、さまざまな気持ちが混ざった心の状態は「グリーフ」と呼ばれています。「深い悲しみ」を意味するグリーフは、強い孤独を感じ、引きこもったり体調を崩したりすることもあり、専門的なケアが必要となります。

 森さんはこれまで、ケアマネジャーとして医療機関で患者や家族の相談に乗ってきました。そして、自分もグリーフに直面したことで、これまでの経験を同じようにグリーフを抱えた人たちの支援に役立てたいと思うようになったといいます。その思いに共感した人たちが集まり、NPO法人の設立が実現しました。メンバーは社会福祉士や薬剤師など、心や体についての専門家です。

 このNPOに参加する薬剤師の浜地優作さんは「仕事上、終末期の患者と触れ合う機会が多い。そういう場で得た経験を患者だけでなく地域の人たちにも還元して、自分が役に立てないかと思って参加した」と話します。

 森さんたちはグリーフを抱えた人たちから相談を受けるとともに、一緒に活動をするボランティア集めに力を入れています。森さんは「私がグリーフをどうコントロールしているかというと、友人など人に会うことに加え、食べ物や旅行などで自分のケアをしている」と話します。

 地道な活動が実り、森さんは11月、グリーフを抱えた人たちが安心して話し合えるカフェをオープンさせる予定です。森さんの活動を知った地域の人が、場所を提供してくれることになったのです。カフェの場所を提供することにした小林和子さんは「ここで話をした後、リラックスして『生きていこう』という力強さがプラスされるようなカフェになってほしい」とエールを送ります。

 森さんは「自分も(グリーフについて)誰かに話したいという気持ちがあったので、同じような気持ちの人たちが共感したり、気持ちが大切にシェアできるようなカフェにしていきたい」と語ります。

 深い悲しみと喪失を経験してグリーフを抱えた人たちが安心して話せる場所づくりに取り組む森さんの思いに、共感する支援の輪が広がっています。

https://youtu.be/jliiN0JCL5E

TOKYO MX NEWS 2017年8月24日

現役のがん専門医が語る
思いやりのある子どもに変わる「がん教育」の必要性とは?

『「がん」になるってどんなこと?』(林 和彦/セブン&アイ出版)

 フリーキャスターの小林麻央さんが乳がんの闘病の記録をブログに残し、自宅で家族に見守られながら旅立ってしまったニュースは、記憶に新しい。在宅医療を受けることを決め病院から自宅に戻ったママの車椅子を花で飾りつけ、むくんだママの足をさすってあげた4歳の長男。そばで聞いていたママの病状と注意点をそのまま暗唱した5歳の長女。

 病気を治そうと本人も家族もみんなでがんばっていたのに、ある日突然目の前からいなくなってしまったママのこと、大切なママを奪った病気のことを、小さな子どもたちがどんなふうに小さな心にしまっているのかを思うと心が痛む、と多くの人がコメントをよせた。

 日本人の2人に1人が生涯のうちに「がん」になるという今の時代、若い父親や母親が「がん」になってしまうことだってあるだろう。そうなってしまったら、幼稚園児でも小学生でも、思春期の中学生でも反抗期の高校生でも、「がん」と向きあわなくてはならない。

 そんな今だからこそ手にとってほしいのが、『「がん」になるってどんなこと?』(林 和彦/セブン&アイ出版)である。著者は、現役のがん専門医であり、さらに「がん教育」のために教員免許までとり、小・中・高で授業も行っている。本書は、その授業のために自ら作った教材をもとに「がん教育」の内容をまとめたものである。

「がん」のことを正しく理解している人はとても少ない

 著者が「がん教育」の大切さを痛感したのが、抗がん剤を使った治療中に髪が抜けてしまった患者さんにそのお孫さんが「おばあちゃん、気持ち悪い」と言ってしまったのを目撃したことだったという。子どもは、教えられなければ、知らなければ、状況を理解し相手を思いやることはできない。大人だって、「がん」のことを正しく理解している人はとても少ないのだ。

 本書では、3つの実話が紹介されている。子どもの気持ちと「がん」になった親の気持ちが日記で交互に描写されていて、読んでいくうちに両方の気持ちを理解しながら、その時の状況に合わせた解説でがん医療の知識や情報も得られて、とてもわかりやすい。

 たとえば、「お母さんが突然乳がんになった」の章では、お母さんの様子がいつもと違うと感じた小6の女の子の日記の次に、今日乳がんの詳しい検査を大きな病院で受けなければならない母親の気持ちを書いた日記が続く。そこに「がんがわかるまでの検査と診断」の解説があるので、その時の状況がよくわかる。その後、乳がんだとわかった日、手術を受けた日、まだ治療が続く日々、というように母娘それぞれの心の動きが日記にあらわされ、並行して「どんな治療をするの?」「治療はつらいの?」「これからどうなるの?」といった情報が紹介されていく。他の2つの実話も「大腸がんの父と子」「肺がんの祖母と孫娘」と違う状況への理解が深まる内容だ。

 「授業の中で『みんなの笑顔や声かけが、がん治療の大きな力になる』ということを話すと、子どもたちの目の輝きが俄然ちがってきます」と著者はいう。さらに、紹介されている子どもたちの授業後の感想からも「がん教育」の必要性がひしひしと伝わってくる。

 「『がん』について知っておきたい10のこと」「予防と検診の話」など、子どもたちだけではなく、がん教育を行う学校の教員や医療関係者、さらには保護者をはじめとする大人にも役立つように構成された本書。

 「人生に、正解はありません。がんになってからの治療法の選択や生き方についても同じです。未来がどんな状況になろうとも、子どもたちが優しさを忘れずに、それぞれの人生をたくましく生き抜くことができるように、願ってやみません」という現役医師の深く熱い想いがつまった、これからの時代に必要な、おすすめの1冊である。

文=秋月香音

この記事で紹介した書籍
「がん」になるってどんなこと?-子どもと一緒に知る-
作家:林 和彦
出版社:セブン&アイ出版
発売日:2017/02/25


ダ・ヴィンチニュース 2017年8月25日

5人の有名人のキリストにある「終活」
込堂一博著『人生の先にある確かな希望』

人生の先にある確かな希望
込堂一博著『人生の先にある確かな希望』(イーグレープ)

 2013年、旭川めぐみキリスト教会牧師を65歳で定年退任した込堂一博(こみどう・かずひろ)さんの新著『人生の先にある確かな希望』が4月、イーグレープから発売された。5人の有名なクリスチャンの終末期の過ごし方から「終活」のヒントが与えられる、伝道にも使いやすい小冊子だ。

 まず登場するのは上智大学名誉教授であるアルフォンス・デーケンさん。妹が4歳の時、白血病を患い、召天。彼女は死の間際、「お父さん、さようなら」「お母さん、さようなら」と家族一人一人にあいさつし、「また天国で会いましょう」と言って間もなく息を引き取ったという。その時、8歳だったデーケンさんは次の御言葉を実感した。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)

 家族全員が彼女と天国で再会できることを確信し、深い悲しみの中にも希望を見いだして生きていこうと心に決めた。この経験からデーケンさんは「死生学」をライフワークとして研究する道に進んだという。

 また、フジテレビのニュースキャスターだった山川千秋さんは1988年、食道ガンの手術後に併発した腎不全で55歳の若さで召天した。山川さんがガンの宣告を受けた時、妻の穆子(きよこ)さんは、「末期のガンになった主人に残された希望の支えは信仰しかない」と確信し、祈り続けたという。

 宣教師が病室を訪ね、イエスの十字架と復活、そして「死は終わりではない」ことを告げると、山川さんは涙を流して話を聞き、イエスを救い主として受け入れた。その後、御言葉に触れるようになってからは落ち着きを取り戻し、明るい表情になったという。妻に宛てた遺書には、「すべてを主にゆだね、二人の息子を信じてたくましく生きてください」と記されていた。

 サイコセラピストで教育学博士の近藤裕(こんどう・ひろし)さんは、「天国からのメッセージ」として、毎年、誕生日を迎えるたびに自分の「お別れのことば」を録音し、翌年の誕生日に更新するという作業を繰り返していた。実際に近藤さんの葬儀で流された言葉は次のように結ばれていた。「本当にありがたいお一人おひとりとの出会いでした。ありがとうございました。では、これで、天国に向かって旅立ちます。また、天国でお会いできることを楽しみに、お待ちしております。さようなら」

 日本福音キリスト教会連合岩井キリスト教会牧師だった井戸垣彰(いどがき・あきら)さんは、死の間際、妻が詩編23編を朗読し、祈りつつ召された。「造り主なるあなたの御手にゆだねます」という祈りが井戸垣さんの最後の言葉だった。後に妻の弥生さんは、「心電図がついに止まった時、主が死の陰の谷を共に渡ってくださったと感じた」と語る。

 最後は、三浦綾子さんの夫である光世さんの証し。込堂さんが旭川めぐみキリスト教会牧師に就任したのは91年4月。その頃、三浦夫妻は、教会から徒歩2分ほどの場所に住んでおり、全国のファンからの贈り物のおすそ分けにあずかっていたほど、三浦夫妻とは親しく交流を重ねた。

 光世さんは生前、「死んだら、罪を犯す心配もないし、天国に入らせてくださるという約束はあるし。天国では、もう死ぬこともないんだからね」と輝く笑顔で語っていたという。

 99年10月、綾子さんが召天。光世さんは深い悲しみを乗り越え、綾子さんが残した仕事の整理、三浦綾子文学館館長としての働き、執筆や講演活動などで多忙な日々を送った。また、全国の教会で行われている三浦綾子読書会にも参加し、著書の創作秘話、裏話などを参加者と分かち合った。

 やがて晩年の光世氏は講演活動もほとんどしなくなり、文学館に出向くことも少なくなっていた。そして綾子氏の召天から15年後の14年10月30日、90歳で、愛する妻のいる天国へと旅立っていった。

 込堂さんはこの証しを以下の御言葉で結んでいる。

「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙示録21:3、4)

 死を間近にして恐れや不安を抱えながらも、天国でイエスとまみえる日を思い、平安を与えられて召される幸い。副題に「天のふるさと」とあるように、そのふるさとに愛する者を送った遺族と、ふるさとに帰った召天者たちの証しに深い感動を覚えた。

込堂一博『人生の先にある確かな希望』
2017年6月10日初版
イーグレープ
定価500円(税別)


Christian Today 2017年8月28日

飯塚病院緩和ケア科の柏木秀行氏に聞く
緩和医療専門医から見た心不全緩和ケアの課題

聞き手:三和護=編集委員

 日経メディカル Onlineで連載「実践・心不全緩和ケア」を始めるきっかけとなったのが、2016年7月16日の九州心不全緩和ケア深論プロジェクトの発足だった。連載開始1周年を機に、プロジェクトの共同代表を務める飯塚病院(福岡県飯塚市)緩和ケア科の柏木秀行氏に改めて、緩和医療専門医から見た心不全緩和ケアの課題を聞いた。

―― まず、久留米大学医学部心臓・血管内科部門の柴田龍宏氏とともに共同代表となっている「九州心不全緩和ケア深論プロジェクト」を立ち上げた意図を聞かせてください。

柏木 九州心不全緩和ケア深論プロジェクトは、心不全緩和ケアの普及を目指して立ち上げました。心不全患者の急増を受けて心不全緩和ケアのニーズが高まっています。しかし、心不全緩和ケアの先駆的な試みがある一方、なかなか普及に至っていないのが現状だと思います。循環器内科医師はもちろん、総合診療医師や在宅医療従事者、コメディカルらが、真正面から心不全緩和ケアを議論する場が必要と考えたのです。

―― 厚生労働省も、昨年6月に立ち上げた「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会」(座長:聖路加国際大学学長の福井次矢氏)で、非癌領域でも緩和ケアの普及に向けた議論を進めています。9月4日には「循環器疾患の患者に対する緩和ケア提供体制のあり方に関するワーキンググループ」を立ち上げ、具体策の議論に乗り出します。

柏木 九州心不全緩和ケア深論プロジェクトや連載「実践・心不全緩和ケア」で発信されている現場の声が具体策に反映されてほしいと思います。

■「もう難しい VS. まだいける」からの脱却を

―― 緩和医療専門医から見た心不全緩和ケアの課題として、まず、一般的な緩和ケア医の役割についてお話しください。

柏木 一般には「緩和ケア医=がん末期の患者を診る医者」というイメージだと思います。実際、緩和ケアに関わる多くの専門スタッフは、緩和ケア病棟やがん拠点病院で緩和ケアチームとして診療に携わっています。がん拠点病院では緩和ケアチームの設置が施設基準となっていますから、主治医として癌患者に緩和ケアを提供するのではなく、緩和ケアチームのコンサルタントとして緩和ケアを実践している緩和ケア医も大勢います。

―― コンサルタントとして関わるというのは?

柏木 コンサルタントとしての緩和ケア医の役割は、主治医や他の医療スタッフ(主治医チーム)が緩和ケアを実践することの支援が中心です。具体的には、薬物療法のアドバイスをすることもあれば、患者・家族へのケアに直接参加することもあります。また、緩和ケアを実践する上で困難さを感じているスタッフのサポートも、重要な役割の1つです。もちろん、私たち緩和ケアの専門スタッフが介入すれば解決できるというものではありません。緩和ケアに関連する困難な状況を、主治医チームと一緒に悩みながら関わるといった感じが妥当なイメージと思います。

―― 緩和ケア医の立場から見て、心不全緩和ケアは癌の緩和ケアよりも難しいと思いますか?

柏木 昨年、緩和医療専門医を中心とした緩和ケア専門家に対して、非癌患者の緩和ケアに関するアンケート結果が公開されました。日本緩和医療学会が実施したものです。結果を見ると、緩和医療に専門的に関わるスタッフの約80%が「過去1年間での非癌の終末期患者の診療・ケアの経験は10症例未満」と回答していました。また「非癌疾患の緩和ケアは、癌と比較して難しい」と感じている人は約50%にも上りました1)。

―― 心不全などの非癌の緩和ケアの経験は少ない上、経験者の半数もが癌と比べて難しいと感じているわけですね。

柏木 患者に関して緩和ケア医は、疾患経過を多く見てきた経験を基に、「この状況なら、抗癌剤治療は本人の意向に沿った治療だろう」といった意見は言えます。一方、心不全を代表とする非癌疾患については、治療経験が乏しいことや、最新の治療知識に追い付けていないことにより、各科の先生方と議論の土台が共有できないこともしばしばです。それが「非癌の緩和ケアは難しい」の背景にあると思います。

―― 「議論の土台が共有できていない」とは?

柏木 日本では2010年に、日本循環器学会をはじめとする合同研究班から「循環疾患における終末期医療に関する提言」2)が出されました。それによると、循環器疾患の末期状態とは「最大の薬物療法でも治療が困難な状態」をいい、終末期とは「繰り返す病状の悪化(慢性心不全など)、あるいは急激な発症(急性心筋梗塞など)により死が間近に迫り、治療の可能性のない末期状態」とされています。ここに書かれた「最大の薬物療法」の認識は、医療者間でもすり合わせることが難しいのです。このため緩和ケア医が「もう難しい」と考えていても、一方の循環器医は「まだいける」と思っている場合があり、ここに対立構造が生じます。こういった医療者間での認識のズレは、癌診療でもしばしば見られますし、非癌の方が悪性疾患よりも治療の効果予測が難しく感じます。

―― 医療者間での認識のズレは、どうやったら解消するのでしょうか?

柏木 実際の臨床では想定したよりも治療効果が不十分だったり、肺炎など別の疾患を合併したりすることも経験します。そんなとき、「もっと早く緩和ケアを主体とした治療に移行した方が良かったのではないか?」という、臨床医としては如何ともしがたい結果論が頭をよぎります。各症例にどのように緩和ケアを提供するかは、個別性が高くて一概には説明できません。症例ごとに、緩和ケア医が「その時」と思った段階で、循環器医と緩和ケアに向けた具体的な話し合いをすべきだと思います。

■心不全に関わる医師が知っておくべき3つのポイント

―― 緩和ケアに向けた具体的な話し合いをするために必要なことは何でしょうか?

柏木 緩和ケア医として、心不全に関わる医師に知っておいていただきたいことは以下の3点です。

(1)一人で抱え込まないで

 緩和ケアは看護師や心理士、リハビリのスタッフをはじめとした多職種で提供されます。医師1人で行うのは大変ですし、質の高い緩和ケアにもなりません。忙しい診療をしながら、自分1人で緩和ケアを提供するのではなく、他職種の力を借りながら、できることから始めていくのでよいと思います。各施設の状況にもよるとは思いますが、例えば、緩和ケアのスタッフに「StageDの心不全患者がいるけど、どんな支援が必要でしょう?」といった声掛けをしてください。そこから先の具体的なことは、緩和ケアのスタッフと一緒に取り組むのがいいと思います。

(2)自分の地域での緩和ケア提供体制を知り、ネットワークの構築を

 これまで緩和ケア提供体制の整備は、がん対策基本法をもとに行われてきました。そのため、がん拠点病院には必ず緩和ケアが整備されています。緩和ケアの専門医、緩和ケア認定看護師、緩和薬物療法認定薬剤師など、各種専門職も多くはがん拠点病院に所属しています。このような普段、緩和ケアを主な診療の場としているスタッフと、ネットワークを構築することは、心不全の緩和ケアを実施可能な地域づくりの上で重要と思います。私どものような専門的緩和ケアは、そのような連携体制構築も役割を担っていますので、「こんな患者さんも相談していきたい」と言ったことも相談いただければと思います。

(3)心不全の緩和ケアを実践するために、循環器内科医の力が必要

 これからも心不全患者は増えていきます。それは循環器内科の先生方を中心に、心不全診療が進歩してきた賜物と思います。とはいえ、心不全が根治困難な病気であり、症状緩和や生活の支援、看取りも含めた終末期の話し合いは避けられません。それらは疾患をよく知った循環器内科医と、癌緩和ケアを通じて得られた緩和ケア医の経験とのコラボレーションで提供されるのだと思います。まるで対極かのように語られてきた、循環器と緩和ケアです。当然のことながら、意見の相違や、文化の違い、色々あると思います。だからこそ、双方の医療者間で「議論を避けない!」ことが何より大事だと思いますし、その先にあるべき姿の心不全緩和ケアが見出せるのではないでしょうか。

―― 先生は以前から「非癌疾患の緩和ケア教育を作りたい」と言われています。

柏木 心不全緩和ケアに、悪性疾患とは違った難しさがあるのは間違いないと思います。一方、高齢化が進む我が国では、今後の医療ニーズは「治らない病気を癒し、症状を和らげ、看取る」ことに変化します。そのため、非癌疾患へも緩和ケアを提供できる人材の育成が急務なのです。私の勤務する飯塚病院では、循環器内科と総合診療科の若手医師を中心として、緩和ケアフェローシップコースを立ち上げました。これは既存の癌緩和ケアを緩和ケア病棟、緩和ケアチーム、在宅緩和ケアで学びながら、心不全を代表とする非癌の緩和ケアについても研修できるコースとなっています(関連記事)。心不全緩和ケアに興味のある方はぜひトライしてほしいと思います。

―― 連載「実践・心不全緩和ケア」では、毎回のように「医師のコミュニケーション力の必要性」が指摘されています。緩和ケア教育において、コミュニケーション力を高めるためのプログラムはあるのでしょうか?

柏木 飯塚病院緩和ケア科では、終末期癌患者へのコミュニケーション技術を学んでおり、また総合診療をベースとした医師がそろっていることや急性期病院かつ研修病院であることを生かして、初期研修医へ救急外来での意思決定支援教育、コミュニケーション教育を行っています。詳しくは別掲記事「終末期におけるコミュニケーション力を磨く」をご覧になっていただければと思いますが、若手医師がコミュニケーション力を高めるために、日々取り組んでいます。こうした積み重ねが、心不全をはじめとする非癌領域の緩和ケアの底上げにつながると期待しています。

■参考文献

1) 大坂ら. 第21回日本緩和医療学会学術大会特別講演 日本緩和医療学会が望み、考える非がん疾患の緩和ケア
2)循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2008-2009年度合同研究班報告)「循環器疾患における終末期医療に関する提言」


BPnet(日経メディカル Online) 2017年9月4日

がん早期からの緩和ケアで患者と家族を支える
日本緩和医療学会2017レポート
 第22回日本緩和医療学会学術大会が2017年6月23〜24日、パシフィコ横浜で開かれ、緩和ケアの専門家らが日々の研究や診療の成果を発表、Aging Style編集部が取材した。

 補完代替療法、医師に相談しないケースも がんと診断された患者は、治療を進めるうえで抗がん剤や放射線治療のほかに、健康食品や食事・運動療法、温熱療法、音楽療法といった様々な補完代替医療(CAM: Complementary and Alternative Medicine)への関心が高くなる。

 患者はどの程度CAMを選択しているのか。がん・感染症センター都立駒込病院の鈴木梢医師(緩和ケア科)が緩和ケア病棟の遺族を対象に行ったアンケート調査によると、回答者451名のうち約半数はCAMを利用していた。 情報源は、インターネットや本よりも家族や友人が多かった。 主に免疫力の向上や精神的な支えのためにCAMは利用されていた。

 CAMの内容はサプリメント、食事療法、ビタミン療法、運動療法、鍼灸など多岐に渡っていた。一部の患者はCAMに過度な期待をして多額な費用を投じ、さらに副作用が出現していることもあるが、患者が治療医に相談をせずに受けているケースも見られ、医療者側はCAMの内容や目的についても注意を払う必要があるとした。

 次に、音楽療法の有効性や病院内で実施できるかについて、北里大学医学部呼吸器内科の石原未希子医師が発表した。米国の資格を持つ音楽療法士と共に検証したところ、身体的苦痛や気持ちのつらさを和らげる効果があったという。また、脈拍と呼吸数から判断するとリラクゼーション効果があることもわかった。北里大学病院内では安全に実施できたが、今後は大規模な検討や普及に向けた取り組みが必要だとした。

 会場では、日本での音楽療法の在り方や、音楽療法士の教育などについての質問や意見交換があり、関心が高いことが感じられた。

 僧侶によるスピリチュアルなサポートも 緩和医療における精神的なフォローとして、仏教チャプレン(施設や組織で働く僧侶)の関わりも取り上げられた。

 あそかビハーラ病院(京都府城陽市)の看護師で僧侶でもある東承子(あずましょうこ)さんは、患者の遺族に対し僧侶の関わりについて調査した。

 あそかビハーラ病院は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の僧侶が常駐している独立型の緩和ケア施設だ。宗教を強制されることは一切なく、 無宗教でも入院できる。僧侶はお経や法話の活動以外に、日常的に患者やその家族の悩みを聞き、気持ちに寄り添うほか、散歩の手伝いなども行なう。

 アンケートによる調査で、実際に僧侶と関わった家族からは「よく話を聞いてくれた」「初めての看護で不安だったが落ち着くことができた」など肯定的な意見がほとんどだった。信仰や、宗教行事への参加ではなく、日常的な関わりを通して僧侶の存在意義を実感していることが示唆されたという。

 がんの治療法は患者の個人差が大きく、パーソナル化と共に多様化も進んでいる。なぜ、緩和医療が必要なのか、どんな効果があるのか。大会では、患者が納得して「自分らしく生活できる」治療の在り方について活発に議論されていた。

Amebaニュース 2017年9月4日

飯塚病院緩和ケア科が取り組む意思決定支援の教育
終末期におけるコミュニケーション力を磨く

木村衣里 飯塚病院緩和ケア科医師

■飯塚病院緩和ケア科が目指すもの

 上記のようなシミュレーション教育は、まだ始まったばかりであり、救急外来という緊迫し時間の限られた場面で、終末期患者の意思決定や情緒サポートの方法が目に見えて向上したとは言い難い。ただし、癌の終末期に関わる医師のみでなく、何科になったとしても必要となる終末期の困難な意思決定に対する苦手意識を少しでもなくした医師が1人でも多く日本を支えるようになることが当科の狙いである。その根底には、癌患者だけでなく、「全ての患者に緩和ケアを」という緩和ケアのモットーがある。

 私は初期研修医を指導することもある立場だが、患者とのコミュニケーションは日々とても難しく、もちろんSHAREプロトコールを生かしたコミュニケーションだけでは、成り立たない場合にも遭遇する。緩和ケア領域だけでなく、高齢化が進む日本では、「この治療法を行えば治癒する」という分かりやすい正解ばかりではなくなっている。

 そのような中で、医療者皆が思っている「目の前の患者さんにより良い時間を送ってほしい」という患者に寄り添う気持ちを、患者および患者家族と共有し、ともにより良い医療をつくっていけるように、今後も医学教育に力を注いでいきたい。

 心不全をはじめとする循環器疾患においても、緩和ケアの重要性が高まっている。緩和ケアにあっては患者の意思決定を支援することが医療者の大きな役目となるが、その際に必要になるのが患者・家族とのコミュニケーション技術だ。飯塚病院(福岡県)の緩和ケア科は、急性期病院かつ研修病院であることを生かし、初期研修医へ救急外来での意思決定支援教育、コミュニケーション教育を行っている。その概要を紹介したい。

「父はどうなっているのですか? 心臓が止まったと言われましたが!」

 救急外来で、女性の涙声が響き渡る。

女性「昨日までは元気だったのに。どうして……(号泣)」

医師「とてもびっくりされましたね……(沈黙)お父様の状況について、今からお話ししてもよろしいでしょうか?」

 心肺停止で搬送された患者は救急外来の処置室で心臓マッサージをされている。取り乱す娘、緊張した面持ちで見守るその夫に、初対面の医師が状況を説明し、蘇生行為の中止を告げなければならない。

 上記のような光景は、全国の救急指定病院で見られているだろう。しかし、実際にこの場面を想定したコミュニケーション教育はほとんど行われていない。

 救急外来では、初期診療を担当する医師が限られたごく短い時間で、過剰なストレスのかかった患者や家族と面談を行い、その場で方針を決めざるを得ないことがある。医師は、初期研修修了後も専門診療科とは関係なく当直などで救急診療を担当することが多く、特に卒後 3 年目以降になると、ごく短時間の接触の中で、患者・家族とコミュニケーシンを図らなければならないという問題に直面する。

 救急外来における終末期の患者をマネジメントする上で、患者の状態を素早く把握し処置を行うスキルはもちろん重要である。しかし、高齢化が進む我が国で、救急外来における終末期患者とその家族へ、素早くしかし軋轢が少ないコミュニケーションを図ることも必要不可欠だと考えられる。そこで、初期研修医に対して、救急外来を模した状況下で、意思決定支援やコミュニケーション技術の教育を行っている。

■コミュニケーションの満足度に、医師と患者で乖離

 患者医師関係はコミュニケーションによって形成される。それを医師は分かってはいるものの、それに絶えず苦労し、カンファレンスで決まった治療法も患者とその意図を共有できずに患者側から拒否され、医療者側で最適と考えた治療を実施できないこともしばしばである。

 ここで、医師患者間コミュニケーションについて評価した研究を紹介したい。整形外科医に対象を絞った研究では、75%の医師が「自分のコミュニケーションで患者は満足している」と考えていたのに対し、満足していた患者は21%のみだったことが明らかになった1) 。

 では、コミュニケーション技術は、教育することでその能力を高められるのだろうか? 生まれついて柔和で言葉選びの上手な女性医師もいれば、生まれついて強面で威圧感のある男性医師もいる。見た目を含む一部の非言語コミュニケーションに属するこれらの要素の操作においては、教育効果は限りがあるかもしれない。しかし、言語によるコミュニケーションおよび非言語コミュニケーションの大部分は、意識的に自己制御が可能であり、教育によって成長が可能と考えられている2)。

 トレーニングにより高めることができるものの、トレーニング終了後、徐々にその技能が低下することも知られており2)、定期的な教育が必要である。また、医師の卒前・卒後のコミュニケーション教育に関する研究では、コミュニケーション技術は医学部高学年になるにつれて、また卒業後の臨床研修の年次が上がるにつれて経時的に低下するという報告もある2)。

 このことから、コミュニケーション技術とは、臨床経験をただ重ねることで上達するというものではなく、教育やトレーニングを重ね、意識的に学び続ける必要があることが分かってきた。

■当科での取り組み

 救急外来における終末期医療についての論文の中には、終末期におけるコミュニケーション技術などを向上させるためのシミュレーション教育の導入を提言する報告もある3)。また、筆者が米国オレゴン州へ家庭医学研修の見学に赴いた際、レジデントが自分の外来の模様をビデオ撮影し、スタッフ医師、コミュニケーション学の教授とビデオレビューをしながらコミュニケーション技術について学ぶ姿を目の当たりにした。さらに、当院では聖路加国際大学のデシュパンデ医師(アメリカ大使館医務官、ハワイ大学内科助教授、聖路加国際病院クリニカルエデュケーター)に年に4回、飯塚病院へお越しいただき、指導を仰いでいるが、当科とデシュパンデ医師とのセッションにおいて、米国のシミュレーション教育を含むコミュニケーション教育についてもアドバイスをいただいた。

 そこで当科では、初期研修に対する教育の一環として、救急外来を模した部屋を用意し、「終末期にCPAとなった患者を蘇生しているが蘇生は困難である」という設定で、模擬患者家族(当科スタッフ)とコミュニケーションを図るシミュレーション教育を開始した(写真1〜4)。さらにその面談の様子をビデオで撮影している。

 シミュレーション終了後にビデオ内容をスタッフ医師らと振り返り(写真4)、非言語コミュニケーションである目線や腕の動かし方についての指摘、また言語コミュニケーションでは具体的な話し方(デリバリー)の仕方や情緒的サポートの示し方の指摘を受ける。このシミュレーション教育は、ローテーション中に同様の設定で最低2回は行われる。1回目は当科ローテーションの初週、2回目は最終週である。

 初期研修医は、当科をローテーション中に、悪い知らせを伝えるために開発されたコミュニケーション・スキルであるSHAREプロトコールについての講義を受講し、またその上で受け持ち患者に対して、SHAREを意識した面談を行う経験を積む。ローテーションの初週のシミュレーションと上記のようなコミュニケーション技術について学んだ後に、同様の設定の下で最終週のシミュレーションを行う。これにより、研修の前後で、研修医が緩和ケア科ローテーションで学んだコミュニケーション技術を理解できる仕組みとなっている。


写真1 シミュレーション教育の様子(レクチャー)



写真2 シミュレーション教育の様子(ロールプレイング)



写真3 シミュレーション教育の様子(モニタリング)



写真4 シミュレーション教育の様子(振り返り)



■飯塚病院緩和ケア科が目指すもの

 上記のようなシミュレーション教育は、まだ始まったばかりであり、救急外来という緊迫し時間の限られた場面で、終末期患者の意思決定や情緒サポートの方法が目に見えて向上したとは言い難い。ただし、癌の終末期に関わる医師のみでなく、何科になったとしても必要となる終末期の困難な意思決定に対する苦手意識を少しでもなくした医師が1人でも多く日本を支えるようになることが当科の狙いである。その根底には、癌患者だけでなく、「全ての患者に緩和ケアを」という緩和ケアのモットーがある。

 私は初期研修医を指導することもある立場だが、患者とのコミュニケーションは日々とても難しく、もちろんSHAREプロトコールを生かしたコミュニケーションだけでは、成り立たない場合にも遭遇する。緩和ケア領域だけでなく、高齢化が進む日本では、「この治療法を行えば治癒する」という分かりやすい正解ばかりではなくなっている。

 そのような中で、医療者皆が思っている「目の前の患者さんにより良い時間を送ってほしい」という患者に寄り添う気持ちを、患者および患者家族と共有し、ともにより良い医療をつくっていけるように、今後も医学教育に力を注いでいきたい。

飯塚病院緩和ケア科について:

 飯塚病院は福岡県飯塚市という約13万人の都市に位置する病院である。筑豊地区という約50万人の医療圏で唯一の3次救急病院としての機能を果たしている。

 当院緩和ケア科に所属する医師のほとんどが総合診療科出身であり、救急外来当直に積極的に関わっている。月の3分の2以上は準夜勤帯もしくは深夜帯の救急外来に当科医師が働いており、救急外来での意思決定や癌患者の緊急性の高い疾患に対応する。急性期病院にある緩和ケア科として、初期研修医教育に力を入れている。また、癌患者だけでなく非癌患者の緩和ケアにも積極的に取り組んでいる。

■参考文献

1) Tongue JR, et al. Communication skills for patient centered care; research-based, easily learned techniques for medical interviews that benefit orthopaedic surgeons and their patients. J Bone Joint Surg Am 87(3): 652-8, 2005.
2) DiMatteo MR: The role of the physician in the emerging health care environment. West J Med 168(5): 328-33, 1998.
3) Forero R, Donnell GM, Gallego B, et al. A litera- ture review on care at the end-of-life in the emergency department. Emerg Med Int[serial online]vol 2012(2012), Article ID 486516, 11 pages.

BPnet 2017年9月5日

心不全学会が多職種による緩和ケア導入を提言
厚労省も「循環器疾患の緩和ケア」に本腰 緩和ケアチームの体制についても検討を開始

三和護=編集委員

 厚生労働省は9月4日、第7回「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会」を開催し、循環器疾患の患者に対する緩和ケアの提供体制の在り方を検討するワーキンググループの設置を決めた。当面は心不全に焦点を当て、慢性閉塞性肺疾患なども含めた慢性疾患の緩和ケアについて議論を進める方針だ。既に、日本心不全学会が多職種による緩和ケア導入を提言するなど医療現場での取り組みを促す機運が高まっている。今回、国が動き出したことで、心不全緩和ケアへの理解がさらに深まることが期待される。

 設置するのは、「循環器疾患の患者に対する緩和ケア提供体制のあり方に関するワーキンググループ」。循環器疾患における緩和ケアの現状と課題を明らかにし、その上で循環器疾患の患者に対する緩和ケアの提供体制の在り方を具体的に示すことを目指す。循環器疾患と癌における緩和ケアの共通点と相違点について明らかにし、循環器疾患における緩和ケアチームの体制についても検討する。今年度中に具体案をまとめる。

 なおメンバーには、北海道大学循環病態内科学教授の安斉俊久氏、広島大学循環器内科学教授の木原康樹氏、淀川キリスト教病院緩和医療内科主任部長の池永昌之氏、オレンジほっとクリニック所長の平原佐斗司氏らが名を連ねている。

 ワーキンググループがどのような問題意識の下でスタートするのかは、これまでの「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会」の議論から見えてくる。第6回検討会で厚労省は、これまでの循環器疾患などの緩和ケアに関する議論を整理し、5項目からなる現状と課題、2項目の今後の方向性を提示している。ワーキンググループは、これらの課題をめぐって議論を進め、具体的な解決策をまとめ上げることになる。


写真1 第7回がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会



■現状と課題


・ 緩和ケアの対象患者は特定の疾病に限定されるものではなく、循環器疾患等の患者も緩和ケアを必要としている。

・ 我が国の緩和ケアは、癌を主な対象疾患として発展したため、癌以外の疾患を併発した癌患者や癌以外の疾患の患者への緩和ケアが立ち遅れている。

・ 我が国において、癌以外の疾患に対する緩和ケアの臨床現場における実態が十分把握されていない。

・ 主治医の多くは、癌以外の疾患に緩和ケアチームが対応できることを認識していない。

・ (癌の緩和ケアに関する)現行の研修会の内容では、慢性心不全等の癌以外の疾患を有する癌患者への対応が難しい。

■今後の方向性

・ 癌以外の疾患に対する緩和ケアの実態把握など普及啓発に向けた取り組みを行うべきである。

・ 癌以外の疾患の経過が癌と異なることを考慮して、関連学会等の協働を促し、今後の対策についてワーキンググループ等を設置して検討すべきである。

心不全学会、多職種による緩和ケア導入も提言

 癌以外の緩和ケアに関しては、専門学会での議論も続いている。例えば、日本心不全学会(理事長:磯部光章・東京医科歯科大学教授)は2016年10月7日、今後の心不全治療の指針として『高齢心不全患者の治療に関するステートメント』を発表した。

 ステートメントでは、高齢心不全患者であっても積極的に治療すべき症例が存在することを再確認する一方、積極的治療によってQOLが悪化する症例も存在するとしてQOL重視の治療の意義を強調、さらには終末期を意識した多職種による緩和ケアなどの導入も提言した。理事長の磯部氏は当時、「日本心不全学会として初めて発刊する、診療に関する本格的な提言である。第一線で診療に当たる医師、医療従事者をはじめ多くの人々によって、質の高い高齢者心不全診療の実践のために活用されることを切に願う」とコメントし、ステートメントの意義を強調していた。

 内容は「高齢者心不全の診断と臨床的・社会的評価」「高齢心不全患者に対する急性期・救急対応」「高齢心不全患者に対する終末期医療の指針」など7つのテーマごとにまとめられ、それぞれにおいて学会としての考え方が提示されている。

 例えば「高齢心不全患者に対する終末期医療の指針」で示されたのは、以下の4項目。

 *高齢者心不全の予後は予測しにくい。

 *アドバンスケアプランニング(ACP)は,本人・家族を含めて終末期を迎える以前の段階から開始することが望ましい。

 *個人の人生観や希望を取り入れた緩和医療を循環器領域でも推進しなくてはいけない。

 *終末期の意思決定は医療チームで共有しチームで支えることを原則とする。

 これらを踏まえて、具体的な高齢者心不全の終末期医療の進め方を示している。特徴的なのは、予後が予測しにくい心不全にあっては、終末期を迎える以前の段階から意思決定支援(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)をスタートさせるべきとしている点。また、心不全にあっても癌同様に、緩和すべき対象は、身体的苦痛(痛み、呼吸困難、倦怠感など)、精神的苦痛(不安、抑うつ、恐怖など)、社会的苦痛(仕事上の問題、家庭内の問題など)、スピリチュアルな苦痛(人生の意味、価値観の変化、死の恐怖など)からなる全人的苦痛であるとし、それぞれへの対応が必要とした。

 このうち意思決定支援では、主治医が単独で対応するのではなく、多職種からなるチームで行うことを原則に掲げている点もポイントだ。

 また、身体的苦痛の緩和に必要となる薬物療法にも言及。例えば、終末期心不全に認められる呼吸困難感の改善には、「モルヒネやミダゾラムなどの鎮痛、鎮静の薬剤投与を考慮してもよい」としている。ただし、「導入に画一的なものはなく、個々の症例に応じて、患者・家族と多職種を含む医療関係者が慎重に検討すべき事項であり、倫理的配慮も必要。適切な心不全治療が同時に行われていることが大前提であり、常に心不全に対して有効な治療法がないか再検討も必要である」と慎重な対応を求めている。

 薬物療法に画一的なものはなく、倫理的な配慮が求められることから、こうした緩和ケアを行う場合は、「医師、看護師、薬剤師などを中心とした心不全多職種緩和ケアチームとして行い、適応症例については随時多職種カンファレンスを行って問題点を討議し解決を図るようにする」としている。

BPnet 2017年9月5日

美しく仕立てられた“物語”じゃない。これが がん患者の「リアル」
特集「今こそ身に付けたい『患者力』」第5回

・メディアで報じられる「がん」のイメージが強く、患者のリアルはその陰に隠れがちだ

・高額の治療費のため仕事を続けられるなら続けたほうがいい

・患者には患者を縛る2つの「呪い」と呼ぶべき既存の価値観や思い込みやがある


見えづらい、がん患者の「リアル」

 がんは、もはや「不治の病」ではなくなりつつある。治療成績は着実に向上し、その5年生存率は69.4%に至る(※1)。さらにデータを追えば、2016年の国立がん研究センターの集計(※2)では、早期の「ステージ1」での5年生存率は90.1%、「ステージ2」では76.3%だ。ちなみにリンパ節に転移する「ステージ3」は46.0%と半数を割り込み、他臓器転移などがある進行がんの「ステージ4」では17.4%とされ、改めて早期発見の大切さがわかる。

 これが、数字の示すがん患者のリアルだ。しかしニュースサイトとして自戒を込めて言えば、メディアで取り上げられがちなのは、がんで死に至った人物のストーリーの方。衝撃の大きさは耳目を集め、一方のリアルはその陰に隠れて我々のがんのイメージはなかなか更新されない。

 自身のがん闘病記を赤裸々に綴った『彼女失格−恋してるだとかガンだとか−』(幻冬舎)の著者、松さや香さんは語る。

「最初に書籍の話があった某出版社の担当者に『死んでない人の闘病記は売れないから』って言われました。当事者としてはつらいけど、事実だと思います。読者は別に、人の死を好んで読みたいとかじゃなく、ただ『ああ、かわいそうだったな。私は自分のいまいる環境を大切にしよう』って感じている。そのニーズを汲むことが数を生むから編集者は応えにいっちゃう。悪循環だと思います」

治療のためには当然、お金が必要

 松さんが著書に綴ったのは「生きてる方の人生」だ。11年前、29歳の時に乳がんに罹患。左胸に合計6センチ大の腫瘍が2つ見つかり「ステージ2b」の診断を受けた。松さんは情報収集を続けるなか「お金と性生活のことはいくら調べても出版されされていない。こんなに大変なのに、なんで誰も書かないんだろうって」。自身のリアルな体験をブログで公表しはじめたのだ。

「いざ自分が患者になってみるとお金はカツカツ。年金暮らしの親に頼るほど子どもでもなく。『高額医療費制度(※3)があるのに何言ってんの?』って言われることもあったけど、月額約8万円以上かかった分の医療費を負担してくれる…って、東京で一人暮らしする会社員の女性が生活費以外で自由に使える8万円をキープすることを毎月続けるの、どれだけ大変だと思ってんの!? って」

 治療費を自分で稼ぐため、松さんは当時働いていた出版社での勤務を続けた。抗がん剤の副作用で髪がすべて抜けてもウィッグを身につけ、オフィスに向かった。

 「当時の上司は女性で理解がある人で、『とにかく絶対やめないで』って『不安に思うかもしれないけど、何かできることがあると思うから一緒に考えよう』って言ってくれたんですね」。そして、その上司は松さんに「さや香自身は、この先どうしたいの?」と正面から問うた。

「がんって言われたばかりだし、仕事も一人前にできるわけじゃないし、聞かれても…。でも答えなきゃと思ったときに、これは診察と同じだと気付きました。こういう診断結果でこういう手術だけど、あなたはそれでいい? って、最終的に決めるのは自分なんですよね。

 当時29歳で同世代の女性達とみんなと一緒で日々遊んで、『早く結婚したいな〜』って、ぼんやり生きてきました。そんな日々から突然引っ張り出されて『どうしたいの?』。突然訪れた命の選択。命をつなぐためには金が必要で、金を稼ぐためには仕事が必要。その仕事を、どうしようと思っているのか?」

 そこで松さんは、今後の治療と体調を予測しつつ、負担の少ない仕事内容を自ら組み立て、報告した。「これまでの人生では相手の欲しがる答えばかりを口にして、それが楽だった」という松さんが誰にも遠慮せず自分のために出した答えだ。上司はすぐに「わかった」と快諾したという。ここに松さんの「患者力」を見ることができるだろう。

 その後、治療と仕事との両立が始まり、困難続きで音を上げそうになった時も、その上司は、松さんの将来を思って時に厳しく、サポートを続けた。

「実際、治療がひと段落したときに『もう十分、力が付いてるから』と上の役職に昇格させてくれました。上司は、私をがん患者じゃなく『いち人間』として見ていてくれた。がん治療のサポートはするけど、いちメンバーとしてみんなと同じように成長していってほしいと平等に接してくれた。それが大きかった。本当に感謝しています」

 実際、主治医からも「会社辞めないでね、って。そういう病気じゃないから、とあっさり言われたんですよ」という。

患者を縛る「呪い」

 現代は、年齢性別、結婚、子どもの有無などあらゆる事柄で既存の価値観や思い込み、いわば「呪い」でがんじがらめになるケースがあるが、それは患者も同様だという。

 その1つはまだまだ根強い「お医者さま信仰」で、医師の指示には必ず従うべきという思い込みや、著名なブランド病院こそ偉いという価値観。しかし、松さんは某有名病院の対応のモラルの低さに、転院を決めた経験がある。長い治療を共にするパートナーになるからこそ、感じた違和感を無視してはいけない。

 そしてもう1つの「呪い」が、患者にまつわる「偏ったイメージ」だ。
「乳がん患者一つとっても、いろんなケースがある。いろんな人の様々な事例を知らないと、自分や他人のケースも受け入れられない」と松さんは言う。例えば、松さんが治療をしていた頃、末期の乳がんに罹患した若い女性が題材のノンフィクション映画が流行した。その反響が大きかったこともあり、「年頃も近いからあんな感じになっちゃうのかな、と思った」と語る松さんに、「あれは非常に、まれな進行がんだから。みんながみんな、ああじゃないから」と医師はきっぱり語ったという。

 そして以前松さんが出会った、24歳の乳がん患者のケース。当時、彼女は先進医療だった「オンコタイプDX」という遺伝子検査により抗がん剤が効かないタイプと判明して抗がん剤を使用しなかったが、それを知った患者会の他のメンバーたちは「抗がん剤をしてないなら、私たちの仲間だと認められない」。そんな内容のことを言い放った。彼女は号泣しながら語ったという。

 他にも、患者同士で自分の病期、ステージを「競い合う」ような、曰く「劣等感プロレス」もあったそうだ。「乳がんと同じくくりに入ったら、みんな同じレベルで悲しかったりつらかったりしないとイヤだって、そんな同病同士の不毛な いさかいは実際に起こっています。同じだよね〜っていう共感じゃなくて、私はこうだったし、あなたはこうだった、お互い今こうして外を出歩けて人生が続いてよかったね、って。そこを労い合えなかったら、患者会もピンクリボン運動もアウトですよね」

 病を負ってなお、そんな出来事に見舞われることもある不条理。しかし、これも1つのリアル。美しく仕立てられた物語にはない出来事だろう。これを事実として知っておけば、自分がその立場になったときに、上手くかわせるかもしれない。それも「患者力」の一つだと言えるだろう。

 「私、がんになったら、もう人生が180度変わってしまう! と思っていたけど、意外と、私は私のままだった。仕事は続くし、お金稼ぐのは大変だし、彼氏は浮気するし、も〜! って。

 ドラマや映画って、ラストは本当にカタルシスがあって、かっこいい終わり方をするけど、患者の日常はドラマチックではないしエンディングもない。退院するときに華々しく病院から見送られるわけでもないし、治療すら、普通の日常です。

 治療中もその後も同じように、ときに嫌なことがあったり、たまに恥をかいたり、もちろん喜びもあったりしながら、ただ連綿と日常が続いていくだけなんです」

(取材・文=高木沙織)


プロフィール

■松さや香
文筆家。1977年東京都生まれ。日台ハーフ。29歳のとき、若年性乳がんに罹患。治療中に編集者、国際線客室乗務員を経験し、現在寛解。ハースト婦人画報社ELLE JAPON公式サイト『ELLE ONLINE』でブログを連載中。著書に『彼女失格−恋してるだとかガンだとか−』(幻冬舎刊)。10月に待望の新刊書籍を出版予定。

■注釈
※1
全国がん(成人病)センター協議会の生存率共同調査〈2017年2月集計〉による
http://www.zengankyo.ncc.go.jp/etc/index.html

※2
国立がん研究センター・プレスリリース「全がん協加盟がん専門診療施設の診断治療症例について 10年生存率初集計」
https://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2016/01/20160120_01.html

※3 同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額(自己負担限度額)を超えた分が、あとで払い戻される制度。一般的な20代?30代女性にあてはまる標準報酬月額28万円?50万円の方の自己負担限度額は約8万円となる
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3030/r150

ホウドウキョク 2017年9月8日

「治さない肺炎」と新診療ガイドライン
これからの肺炎診療を展望
 日本呼吸器学会は今年(2017年)4月、「成人肺炎診療ガイドライン2017」を公表した。同ガイドラインは、肺炎診療に関する既存の3つのガイドライン、「成人市中肺炎」「成人院内肺炎」「医療・介護関連肺炎」を統合したものである。新ガイドラインの最大の特徴は、繰り返す誤嚥性肺炎や疾患末期、老衰の状態に対し、「個人の意思やQOLを考慮した治療・ケア」を行うことを提示した点だ。同ガイドライン作成グループ委員で大阪大学病院感染制御部部長(教授)の朝野和典氏は、新ガイドラインにおいて、「終末期の『治さない肺炎』」という新しい概念が示された背景や経緯などについて、第39回日本呼吸療法医学会(7月15〜16日)で報告。これからの肺炎診療の在り方について展望した。

肺炎死亡の97%は65歳以上

 肺炎は日本人の死因の第3位であり、わが国では肺炎患者が増え続けている。この背景について、朝野氏は「肺炎の発症率が上昇しているのではなく、社会の高齢化に伴い肺炎で死亡する高齢者が増えているだけだ」と説明する。実際、肺炎の年齢別死亡者数(2015年度)を見ると、65歳以上が全体の97%を占めている。

 逆に言うと、若年者が肺炎で死に至るケースは非常にまれである。肺炎は終末期や老衰などの患者で高率に併発する病態であることが分かる。そのため「人生の最終段階における肺炎を契機とした死亡は、老衰か、あるいは肺炎か」「終末期や老衰などの患者に対しても、感染症治療を行うことが絶対的に正しい選択であるのか」という問題が浮かび上がってくる。
「老衰死」の経過の中に肺炎がある

 わが国では肺炎患者が増えている一方で、肺炎死亡率は2011年をピークとして低下傾向に転じている。これは、老衰による死亡者数が年間約10%の割合で増加しているためだ(図1)。


図1.肺炎・老衰による死亡者数の推移



 特に女性では減少幅が大きく、2014年以降の死因は老衰が肺炎を逆転している(図2)。この増加率が続けば、3年後(2020年)には老衰が肺炎・脳血管障害を抜いて死亡原因の第3位になると推定されるという。


図2.脳血管障害・肺炎・老衰の死亡率(人口10万人対)の推移


(図1、2とも朝野和典氏提供)

 朝野氏は、「『老衰』についての科学的な解明はいまだ緒に就いたばかりである」と指摘した上で、「老衰と肺炎は別のものではなく、『老衰死』の経過の過程に肺炎が含まれる、という考えに変化してきているのではないか」と考察した。
死を遠ざけるべきか、受容すべきか?

 海外では、高齢者の「肺炎」はどのように診療されているのか。

 米国では、心肺蘇生処置不要(DNAR)指示の他に、入院を希望しない意思表示(Do Not Hospitalize Order;DNH)という概念がある。

 進行期の認知症患者の終末期を調査したCASCADE研究の前向き追跡調査では、登録された米国ボストン近郊のナーシング・ホーム22カ所の入所者323例のうち、DNH希望が50.7%を占めた(Arch Intern Med 2010; 170: 1102-1107)。またDNHの意思表示は、死亡リスクを2.21倍に増加させていたが、終末期の「快適さ(comfort)」の指標としてSymptom Management at the End-of-Life in Dementia(SM-EOLD )scaleを用いた評価では、抗菌薬を投与されなかった群で同スコアが最も高かった。さらに、積極的に抗菌薬治療を行った群ほど同スコアは進行性に低下しており、調整後の同スコアも同様の傾向を示した。

 また、オランダのナーシング・ホーム32カ所の入所者で肺炎を発症した認知症患者193例を対象にした前向き観察研究では、終末期の「不快適さ(discomfort)」を評価したDiscomfort Scale-Dementia of Alzheimer Type(DS-DAT) scoreは肺炎の診断後1日目が最も高く、その後同スコアは死亡するまで徐々に低下し、10日目ごろに安定、あるいは死亡前日に高くなっていた。また観察された疼痛と呼吸困難も、同様のパターンを示していた(J Am Med Dir Assoc 2016; 17: 128-135)。

 これらの報告から、朝野氏は「肺炎は治すことができる。しかし繰り返す肺炎を治療することは、次に来る病苦を約束することになる。つまり肺炎の治療は、次の苦しみを"予約"するようなものだともいえる」と考察した。

日本独自の"死の文化"の構築に期待

 ここで朝野氏は、従来の肺炎診療ガイドラインについて、「日本の感染症医療には"わずかに死を先送りするために肺炎を治療する"ことを避ける選択もありうるという当たり前の考え方が乏しかったし、それをガイドラインに成文化することはさらにハードルが高かった」と振り返った。

 すなわち、海外では、人生の最終段階での肺炎に対しそもそも治療を受けないケースが多いため、ガイドラインの対象外とされていることが多い。一方、日本では人生の最終段階の肺炎であっても患者が病院を受診するため、肺炎診療が行われる。しかし、人生の最終段階に起こった肺炎とそれ以外の肺炎を同一の予後不良の肺炎と定義することにはそもそも矛盾があり、その問題が医療・介護関連肺炎(NHCAP)ガイドライン作成時に浮かび上がってきたという。

 こうした現状を踏まえて、ようやく「成人肺炎診療ガイドライン2017」において、院内肺炎およびNHCAP患者では、疾患末期や老衰などの終末期の患者であるか否かを最初に判断し、そのような患者に対しては個人の意思を尊重し、緩和医療、治療の差し控え、広域抗菌薬の非選択などの選択肢が設けられるに至った。

 新ガイドラインで推奨される肺炎診療について、同氏は「各医療機関や在宅医療に取り組むプライマリケアの医療スタッフに対して、例えばEOL(End-of-Life)ケアチームなど終末期医療の受け皿の整備を促す目的も包括している。決して、新ガイドラインが明日から使える、という思いで作成されたわけではない」と紹介。最後に、私見として「海外の医療は個人の意思の尊重を絶対の価値と見なしているが、日本には、独自の文化の中で醸成されてきた"曖昧"で"優しい"死生観があると思われる。日本独自の"死の文化"を構築してくことも、これからの肺炎や高齢者医療の進むべき道筋であると期待している」と述べた。

メディカルトリビューン 2017年9月11日

悲嘆・苦悩のケアにあたる「臨床宗教師」来年3月に資格化
日本臨床宗教師会、認定制度実施へ
 被災地や医療機関などで悲嘆や苦悩のケアに当たる宗教者「臨床宗教師」について、日本臨床宗教師会(島薗進会長)が来年3月から資格認定制度を始めることが分かった。11日で発生から6年半を迎えた東日本大震災を機に東北大で養成が始まり、関西の大学にも広がったが、これまで力量を証明する制度がなかった。資格化によって医師や看護師などほかの専門職と協力しやすくする狙いもあり、当初は80〜100人程度を認定する見通し。

 臨床宗教師は、生死にまつわる苦しみを抱えた人々に対処する宗教者。相手の価値観を尊重し、布教や宗教勧誘は行わない。

 緩和ケア病棟などでは「なぜ自分が死なねばならないのか」などといった「魂の苦痛」(スピリチュアルペイン)を抱える患者に対し、死生観にたけた臨床宗教師がベッドサイドで寄り添うことや、スタッフの燃え尽き症候群を予防する役割などに期待が高まりつつある。

 東日本大震災で、犠牲者の追悼や遺族のケアに宗教者が宗教・宗派を超えて協力して当たったことをきっかけに、東北大が平成24年度に養成をスタート。龍谷大、高野山大、種智院大、武蔵野大も加わり、28年度までに延べ203人が研修を修了した。

 修了者はすでに臨床宗教師として活動を始めているが、宗教への誤解や不信感によって協力を拒まれるケースもあることから、公共性の高い職種であることを証明するための資格化が課題とされていた。

 日本臨床宗教師会が10日に京都市内で開いた理事会の決定事項によると、来年3月5日に上智大で総会を開催し、一定の要件を満たした各大学の研修修了者に資格「認定臨床宗教師」を付与。5年ごとの更新制とし、継続研修や活動発表を通じて日頃から研鑽(けんさん)を重ねてもらう。各大学が行う研修プログラムの内容も審査し、質を維持する。

 担当者は「ほかの専門職とチームを組んで活動するためにも、資格認定制度を整えて現場で受け入れてもらえるようにしたい」と話している。

産経WEST 2017年9月11日

Dr.西&Dr.宮森の「高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです」
第11回 誤嚥性肺炎の絶食・抗菌薬、本当に必要?

西智弘 川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター

 Dr.ニシの外来は今日も忙しい。緩和ケアの患者だけではなく、一般内科患者の診療も行っているためだ。そんな外来に、地域の介護施設から急患として一人の患者が紹介されてきた。

 サトウマサルさん85歳、男性。以前、誤嚥性肺炎で当院に入院しており、2週間前に退院したばかりだった。施設の嘱託医からの紹介状には「昨日夜半から発熱を生じ、アセトアミノフェンで経過観察をしていましたが改善せず、今朝になって痰量の増加と酸素飽和度の低下を認め、経口摂取も困難となりました。貴院にて御高診のほどよろしくお願いします」とある。

 確かに、熱は38.2℃、SpO2は室内気では89%と不良で、痰がらみも著明だ。本人は重度の認知症があり、コミュニケーションは取れないが、肩で頻回に呼吸して苦しそうにしている。

Dr.ニシ また誤嚥性肺炎を繰り返したのかな。とりあえずは入院の方が良さそうだ……
 そう考え、Dr.ニシは早速呼吸器科へ電話を入れた。だが……


呼吸器科Dr えっ、呼吸器科で診てほしい? 誤嚥性肺炎は呼吸器じゃ診ないよ。内科のドクターに持ち回りでの担当をお願いしているよ。誤嚥性肺炎は呼吸器の疾患ではあるけれど、老衰の結果という部分もあるからね。コンサルトじゃなくて一般内科医で診てもらえませんか?
 と返されてしまった。結局、その日に当直当番だったDr.ニシが担当することになったのだが……


Dr.ニシ 呼吸器の先生がおっしゃるように、サトウさんの症状は老衰の結果という面が強いですね。確認してみたら、前の入院は2カ月前、その前は1年前で、それぞれ誤嚥性肺炎で入院していました

Dr.ミヤモリ 入院までの間隔がだんだん短くなって、重症度も高くなっているね。確かに、全身を診ても衰弱が進んでいるよね

Dr.ニシ とりあえず食事をやめて、抗菌薬の投与を開始しました。炎症反応が落ち着いたら嚥下評価をして、食べられたら介護施設に戻っていただきますし、食べられないようであれば胃瘻を作ろうかと思っています

Dr.ミヤモリ ふむ。それだと、前の先生の方針と一緒だね

Dr.ニシ えっ、これくらいしかやることないじゃないですか。前の担当の先生は循環器内科の先生でしたけれど、誤嚥性肺炎はやることが決まっていて誰でも診られる疾患の割に、なかなか良くならないし、良くなったと思ってもまた繰り返すし、面倒くさい。興味が持てない疾患だよ、なんて言っていましたよ

Dr.ミヤモリ あらら。そんなことを言ってはいけないよ。第一、誤嚥性肺炎は本当に誰でも診られて興味がもてない疾患なのかな? 少なくとも緩和ケア医にとっては、考えるべきポイントがたくさんある、非常に興味深い疾患だと思うけど

Dr.ニシ そうなんですか?

老衰で繰り返す誤嚥性肺炎に対して緩和ケアのみを行うという選択肢

Dr.ミヤモリ 2017年に発刊された『成人肺炎診療ガイドライン』(日本呼吸器学会)は読んだかい? このガイドラインでは誤嚥性肺炎(医療・介護関連肺炎:NHCAPの多く)について「易反復性のリスク」「疾患末期や老衰の状態」では、個人の意思やQOLを考慮したケアを行うべきとされているよ。そして、その中には抗菌薬による治療を行わず、緩和ケアに専念するという選択肢も示されているんだ

Dr.ニシ 肺炎なのに抗菌薬を投与しないって…!そんなことが許されるんですか?

Dr.ミヤモリ あくまでも患者本人、または家族など代理人の意向を確認して主治医、病棟スタッフなどとよく話し合った結果として、だけれどね。そうした終末期の病態では、適切な抗菌薬治療が必ずしも生命予後を改善しない場合もあるし、症状緩和についても43%と半数以下の効果しか得られないという報告もあるんだ1)。
 また、米国の介護施設で肺炎となった認知症患者225人の前向き観察研究では、抗菌薬を投与することで死亡リスクは80%減少したものの、抗菌薬治療を行わなかった患者さんに比べてQOLが低く、入院した患者ではさらにQOLが低下していたと報告されているよ2)。
 つまり、抗菌薬の使用で延命ができたとしても、長期的なQOLは低下させてしまう可能性があるんだ

Dr.ニシ なるほど。患者の状態によっては抗菌薬の効果が乏しい場合もあるし、QOLの観点からは有害となる場合もあるのですね

Dr.ミヤモリ 一方で、抗菌薬を使用しないことが認知症を悪化させるとか、食事を経口摂取するチャンスを逃すとか、終末期の苦痛を増加させるといった報告もあるから、一例一例きちんと評価していくことが大事だよ3、4)。どういった状態なら回復可能で、どこからが回復不能なのか。それを適切に見極めるには高い臨床能力が求められるから、かかった医師で予後やQOLが大きく変わることにもなり得るよね。そう考えると、誤嚥性肺炎は決して「誰でも診られる疾患で、やることが決まっている」わけではないと思わない?

Dr.ニシ 確かに……。ちなみに、緩和ケアに専念するという判断をした場合、苦しそうにしている人に、どんな対処をすればよいのでしょう?

Dr.ミヤモリ そうだねぇ。急性期の症状緩和は難しいことも多いけれど、酸素の投与や抗不安薬、時にはモルヒネを少量で使用する場合もあるかな

誤嚥性肺炎患者は禁食が常識?

Dr.ミヤモリ 誤嚥性肺炎では、全身状態(performance status)の低下、低栄養、低アルブミン血症、脱水などが予後不良因子として報告されているよ。その他、予後が悪いのは経験的なものも含めると、癌などの併存疾患で予後が短い場合や、呼吸筋を含む全身の筋力低下、咳嗽反射の低下がある場合とかかな。あとは、両側性の誤嚥性肺炎を呈している場合も予後が悪い印象があるね

Dr.ニシ そうした患者さんでは、緩和ケアに専念する選択肢も検討した方がよい……と

Dr.ミヤモリ 逆に言えば、これらの要素がそれほど該当しなければ、誤嚥性肺炎を繰り返していても、長期的に安定させることが可能な場合もあるよ。例えば、ニシ君はサトウさんを禁食にしているけど、それは何か根拠があるのかな?

Dr.ニシ えっ……いや、みんなそうしているかなと思って……

Dr.ミヤモリ うん、うん。誤嚥性肺炎は嚥下障害が原因で起きるから、禁食にするのが当たり前というのがこれまでの常識だったよね。でも、禁食管理は患者に対して治療期間の延長や嚥下機能低下などの有害な効果をもたらすという報告もあるんだ5)。
 もちろん、無理やり食べさせて誤嚥させるのがよいわけではないけれど、入院当初から歯科や言語聴覚士さんなどに入ってもらって、嚥下の評価と食形態の調整、経口摂取の早期開始または口腔ケアの開始、そして嚥下リハビリテーションの導入をすることには意義があると思うよ
誤嚥性肺炎への薬はどう使う?

Dr.ミヤモリ さて、あとは薬物治療をどうするかだね。ニシ君は何を選んだの?

Dr.ニシ スルバクタム・アンピシリンの静注です

Dr.ミヤモリ 根拠は?

Dr.ニシ 根拠……。前の先生が使っていて、効いているように見えたから?

Dr.ミヤモリ おや(笑) まぁ、効いていたのであれば悪くはないと思うけれど、もう少し考えよう。
 誤嚥性肺炎の治療では、嫌気性菌や肺炎球菌、黄色ブドウ球菌やレンサ球菌などを主たるターゲットに考えるけれど、ガイドラインを参考にすると、「過去90日以内の経静脈的抗菌薬の使用歴」「過去90日以内に2日以上の入院歴」「免疫抑制状態」「全身状態の低下(performance status)≧3」のうち、2項目以上当てはまる場合は緑膿菌などの耐性化リスクが高いとされているよ。その場合は、タゾバクタム・ピペラシリンやカルバペネム系の薬剤の投与が推奨されているんだ。サトウさんの場合もこの基準に当てはまるから、それらを選択してもよかったかもしれないね

Dr.ニシ そうなんですか! 勉強不足でした

Dr.ミヤモリ どちらかと言えば、抗菌薬の選択というよりも患者本人の予備能や先に挙げた予後のリスク因子の方が影響が大きい印象はあるけどねえ……。在宅診療だと、スルバクタム・アンピシリンは投与回数の面で使いにくいから、セフトリアキソンを使用したり、アモキシシリン・クラブラン酸(オーグメンチン)にアモキシシリン(サワシリンなど)を追加して投与することもあるんだよ。これは高用量のアモキシシリンを経口投与する際に、オーグメンチンを増やすとクラブラン酸の副作用が出やすくなるから、アモキシシリンを追加するという方法だね

Dr.ニシ あ! それが俗に言う「オグサワ」ですね。ちなみに、繰り返す肺炎を防ぐ方法って、ありますか?

Dr.ミヤモリ 非薬物療法では口腔ケアと嚥下リハかな。薬物療法では絶対的に推奨されるものがあるわけではないけれど、嚥下反射や咳反射に影響するサブスタンスPを増やす薬剤が試されることもある。具体的には、ACE阻害薬やアマンタジン。他に、シロスタゾールや半夏厚朴湯が嚥下を改善するという報告もある。逆に、反復する肺炎のリスクとなる薬剤として、プロトンポンプ阻害薬やベンゾジアゼピンなどの鎮静薬が報告されているよ6、7)。こういったところで薬剤の調整ができないか、試してみる価値はあると思うよ

ポイント

・誤嚥性肺炎は回復可能か否か臨床医としての見極めと、看護師や言語聴覚士、歯科医などとのチーム医療が予後を分ける

・誤嚥性肺炎=禁食は嚥下機能をさらに悪化させる可能性がある。早期の口腔ケア・嚥下リハが重要

・薬物療法で繰り返す誤嚥を予防できるかは確立されていないが、試してみる価値はある

参考文献

1)Reinbolt RE,et al.J Pain Symptom Manage.2005:30:175?82.
2) Givens JL,et al.Arch Intern Med.2010:170:1102-7.
3) Van Der Steen JT, et al. Arch Intern Med.2002:12-26;162:1753-60.
4) Van Der Steen JT,et al.Scand J Infect Dis.2009;41:143-51.
5) Maeda K,et al.Clin Nutr.2016;35:1147-52.
6) Eurich DT,et al.Am J Med. 2010;123:47-53.
7) Ishifuji T,et al.BMC Pulm Med.2017;17:12.

著者プロフィール

西智弘(川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)●にし ともひろ氏。2005年北海道大学卒。家庭医療専門医を志し、室蘭日鋼記念病院で初期研修後、緩和ケアに魅了され緩和ケア・腫瘍内科医に転向。川崎市立井田病院、栃木県立がんセンター腫瘍内科を経て、2012年から現職。


BPnet 2017年9月13日

緩和ケア病棟入院患者の機械浴、状態不安指数を有意に低下−京都府医大
機械浴に対する生理学的・心理学的な影響や安全性を科学的検証
 京都府立医科大学は9月8日、緩和ケア病棟入院患者の機械浴に対する生理学的・心理学的な影響から、その安全性について科学的検証を行った結果を発表した。この研究は、同大附属病院看護部の藤本早和子総括看護師長、大学院保健看護学研究科の岩脇陽子教授、山中龍也教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「Japanese Journal of Clinical Oncology」オンライン版に掲載されている。

 緩和ケア病棟では、清潔ケアとして機械浴が行われている。臥床したまま入浴できる機械浴は、安楽であることから患者からの希望も多いケアのひとつだ。しかし、緩和ケア病棟の入院患者に対する機械浴が、患者の身体面・心理的に及ぼす影響について、これまで科学的に十分に研究されていなかった。

生理学的には大きな変動を及ぼさず

 研究グループは、機械浴のケアを生理学的・心理学的な指標を用いて検証。緩和ケア病棟に入院中の患者24名の機械浴前後の生理学的指標として腋下温、脈拍数、血圧、心拍変動のスペクタル解析から副交感神経、交感神経、自律神経機能の基礎活動指標の定量評価を実施した。また、ギャッジアップ40度の反応性自律神経活動も評価。心理学的指標は、状態・特性不安検査を使用した。倫理的配慮を行う上で、京都府立医科大学の医学倫理審査委員会の承認を得た上で実施したという。

 検証の結果、生理学的指標については、機械浴後に脈拍数のみ低下傾向を示し、心理学的指標については、状態不安が機械浴後に有意に低下したという。また、実際の患者の言葉を主観的・客観的情報としてまとめたところ、患者へのリラックス効果を示唆する情報が得られたとしている。

 緩和ケア病棟の入院患者に対する機械浴は、生理学的には循環動態に大きな変動を及ぼさず、心理学的には不安が低下しリラックスな状態であったことから、安全で安楽な看護ケアであることが示唆された。機械浴が、より生理学的・心理学的な効果があり安全・安楽であることを科学的な実証するため、今後も多角的な研究の継続が必要である、と研究グループは述べている。

(横山香織)

QLifePro 医療ニュース 2017年9月13日

がん患者の緩和ケア、家族内の葛藤も
 命に関わるような病気に直面している患者やその家族に対して、心身の苦痛を和らげてくれるのが緩和ケア。進行がんを患う家族を抱えたとき、緩和ケアを選択肢として考える人もいるだろう。このほど、筑波大学と東北大学などの研究グループが、緩和ケア病棟で最期を迎えた進行がん患者の家族が経験した家族内の葛藤の実態について調査をしたところ、家族の約40%が何らかの葛藤を経験していたことが分かったという。詳細は、7月25日発行の医学誌「Psycho-Oncology」(電子版)に掲載されている。

家族の年齢や関係性、コミュニケーションの状況が葛藤を左右

 がん患者の家族が経験する葛藤は、患者や家族の生活の質(QOL)に影響すると考えられている。しかし、がん患者の家族が具体的にどのような葛藤を経験しているのか、どのような家族に葛藤が多いのかということは明らかになっていなかった。

 そこで今回、研究グループは、緩和ケア病棟で亡くなった患者の遺族を対象に、彼らが経験した葛藤の実態について検証を行った。解析の対象となった遺族は458人だった。

 その結果、家族の42.2%が、家族間での意見の対立などの「家族内の葛藤」を少なくとも1回は経験したと回答した。例えば、「本来果たすべき役割を十分にしていない家族がいると思うことがあった」について、20%以上の家族が「とても良くあった」「よくあった」「時々あった」のいずれかに同意した。また、患者の治療方針に関して「意見が合わないことがあった」についても、同様に20%以上が同意した。

 また、家族の年齢が若い場合、家族内に治療に関して自分の意見を強く主張する人がいた場合、病気後に家族内でのコミュニケーションが不十分だった場合に、家族内の葛藤が増えた。

 その一方で、病気前に交流がなかった家族と連絡を取るようになった場合には、家族内の葛藤が減った。

 これらの結果について、研究グループは、「緩和ケア病棟で最期を迎えた進行がん患者の家族は、家族内で葛藤を経験することが少なくないことが分かった。また、家族の年齢、家族内の関係性やコミュニケーションの状況が、家族内の葛藤の有無に関係する可能性がある」と述べた。その上で、「ただし、今回の研究では、患者が亡くなった後に家族の記憶を頼りに回答してもらっている点、病気になる前の家族内の関係性やコミュニケーションの状況が評価できていない点、日本国内で行った調査のため、国や文化による違いが評価できていない点で限界がある」とコメントした。

 さらに、研究グループは、「病気になる前の家族間の関係性やコミュニケーションの状況が、病気になった後も続いて、家族内の葛藤に影響するのか、また、患者を看取る場所によって家族内の葛藤の経験が異なるのかについて確認していく必要がある」と今後の課題を示した。

あなたの健康百科 2017年9月14日

アジア大洋州医師会連合(CMAAO)総会で意見まとまる 積極的安楽死や医師による自殺幇助に反対で合意 都内で開催されたアジア大洋州医師会連合(CMAAO)
 アジア大洋州医師会連合(CMAAO)は、2017年9月13〜15日に都内で開催された東京総会において、「積極的安楽死や医師による自殺幇助に反対」との見解を取りまとめた。CMAAO東京総会では「終末期医療」をテーマに各国の現状が報告され、最終日の全体討論で意見の集約が行われた。

 CMAAOとは、世界医師会の地域医師会連合の1つで、日本、韓国、インド、インドネシア、オーストラリア、シンガポールなどアジア・太平洋地域の18カ国(一部地域)の医師会が加盟する。

 現在、スイスやオランダ、デンマーク、ベルギー、ルクセンブルク、米国オハイオ州などの一部の州において、積極的安楽死や医師による自殺幇助が合法とされている。それらの国の医師会から、終末期医療に対して世界医師会の考えを示してほしいという要望が出されたことを受け、世界医師会は地域医師会連合に各国医師会の意見の集約を要請。これを受けて、CMAAO東京総会で終末期医療に関する議論が行われた。

 世界医師会は、来年開催される総会において、終末期医療、特に安楽死や医師による自殺幇助について、地域医師会連合のそれぞれの意見を参考にしながら、世界医師会としての見解を表明することを計画している。

 今回の議論では、積極的安楽死や医師による自殺幇助に関して、法案の審議が予定されているオーストラリア・ビクトリア州の現状が報告されたが、それ以外の加盟国の医師会の代表者からは、患者から安楽死や医師による自殺幇助を求める声はほとんどないことが報告された。また、ニュージーランドにおいても法案が国会に提出されたものの否決に至っているという。

 全体討論ではそれらの意見を集約し、「家族や親戚、地域社会とのつながりが欧米に比べて強いアジア諸国においては、最後まで生きたいという患者の思いが強く、安楽死や自殺幇助は選択肢にすら上がっていない」という結論となった。また、各国医師会からは、安楽死や医師による自殺幇助には反対であるとの姿勢も示された。

 医師による自殺幇助とは、医師が致死量の薬物を処方することを指し、その薬物を服用するかどうかは患者本人に委ねられる。日本やアジアでは、そのような処方を要望する患者はあまり存在しないようだが、欧米では市民が「死ぬ権利」を主張し、医師にその幇助を要望する声は少なくないのだという。

 今回の日本総会でCMAAO会長に就任し、次期世界医師会会長でもある日本医師会長の横倉義武氏は「積極的安楽死や医師による自殺幇助とは、命を終わらせることを医師に要望するもの。これは、医師がこれまで尽力してきた医療と180度異なる行為となる。世界医師会としては、このような法律を合法化する国が増えていることに危機感を持っている」と説明する。

 全体討論では、「積極的安楽死や医師による自殺幇助を患者が要望した場合、なんと答えたらよいだろうか」というテーマでも各国の意見が求められた。参加者からは、「患者が死にたいと思う背景を知るため、『なぜ、そう言うのか』と逆に患者に問いかけることの重要性が指摘され、各国の賛同を得ていた。

緩和ケアや事前指示書、ACPの充実でも合意

 最終討論では、緩和ケアや事前指示書(advance directive)やアドバンス・ケア・プランニング(ACP)についても話し合われた。

 緩和ケアについては、その充実が終末期患者に生きる希望を与え、積極的安楽死や医師による自殺幇助の代わりになるとの意見が多数出され、緩和ケアのさらなる推進の必要性も確認された。

 患者による事前指示書(advance directive)やアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を支持することも合意された。各国医師会の発表では、事前指示書やACPに関する法律が整備されている国は加盟国の半分程度であったが、患者の希望を叶え、尊厳ある死を迎えさせるためにも、終末期患者の要望を事前に確認し、その意思を尊重することの大切さが強調された。

台湾、韓国では延命治療の中止を認める法律が制定

 台湾医師会を代表して発表した国立台湾大学病院のShao-Yi Cheng氏は、「恐らくアジアで初めてとなる『Patient Autonomy法』が、台湾では来年施行され、終末期患者が治療を選択する権利が保障されるようになる」と話した。同法は、患者が昏睡状態などで意思表示できなくなった場合でも、事前指示書に示した治療選択を受けることを保障するものだという。

 台湾では、同法に先立ち、「Natural Death法」も2000年に制定されている。その後、何度かの改定を経て、患者の尊厳ある死を保障するため、患者の事前意思に基づいて医師が人工呼吸器などの延命治療を差し控えたり、中止できることが合法化されている。

ソウル国立大学のYoon-seong Lee氏

 一方、韓国について発表したソウル国立大学のYoon-seong Lee氏は、「韓国では2016年2月に『Hospice-Palliative Care and Dying Patient's Decision on Life-Sustaining Treatment法』が制定され、延命治療に関する部分は2018年2月に施行される」と説明。

 延命治療に関する部分の施行により、心肺蘇生(CPR)や人工透析、抗癌剤治療、人工呼吸などの延命治療は、患者の事前指示に従い、差し控えや中止が可能となる。加えて、患者の延命治療に関する事前指示書は国内のどこの医療機関からもその内容を閲覧できるよう、全国規模のデータベースとして整備することも決まっているという。

 Lee氏は、「終末期患者がかかりつけの医療機関以外に救急搬送され、かつ患者の意思を確認できないような場合でも、その医療機関はデータベースにアクセスすることで、患者の事前指示内容を確認でき、患者本人が望まない延命治療を差し控えたり、中止することができるようになる」と話した。

小板橋律子 日経メディカル

BPnet 2017年9月18日

がん患者の緩和ケア 医療従事者にも多い「5つの誤解」
 「がん」が進行し、病院で治療の術がないと告げられたときに、どんな選択肢が残されているのか。「緩和ケア」──その響きには、単に患者の痛みを和らげ、弱って死ぬのを待つだけというイメージがつきまとう。しかし、緩和ケアを選び、最後まで普段通りに仕事を続け、家族と価値ある時間を過ごせた人たちがいる。群馬・高崎のある診療所で、3年越しで医師と患者に密着取材を続けているジャーナリスト・岩澤倫彦氏がその実像を描く。

 * * *

 午前2時、澄み切った夜空が広がる、群馬県高崎市。銀色のセダンが広島に向かって出発した。トランクには10本あまりの酸素ボンベが積まれ、がんの疼痛を和らげるモルヒネも用意してある。

 愛車の助手席に身を埋めた松野徹也は、高速道路の先を黙って見つめていた。

「夢のようだ、こうやって旅に出るなんて」

 途中で自分の命が尽きるかもしれない、と松野は覚悟していた。肺に水が溜まり、酸素ボンベで呼吸を維持していたし、腰の骨にも転移がある。満身創痍の身体に、往復2000キロの旅は無謀だった。

 それでも、命懸けで広島に行く理由がある。後継者の次男を関係者に紹介しなければならないのだ──。

 松野は昭和21年生まれ、30歳の時に機械設計会社を裸一貫で立ち上げ、業界で信頼される地位を築いた。

 7年前、健康診断で胸腺腫(注1)が発見され、群馬大学附属病院で手術。3年後、肺に転移が見つかり、抗がん剤治療と重粒子線治療(注2)で、がんの進行を抑え込んだ。だが、副作用のしびれがあまりに強く、身体が思うように動かない。不安が募る中、テレビで免疫細胞療法(注3)を知り、東京のクリニックに毎月通って、治療を受けたが、全く効果はなかった。

【注1:胸腺腫/成人になって退化した、胸腺の細胞から発生するがん。人口10万人あたり0.44〜0.68人と、希少がんの一つ】

【注2:重粒子線治療/がん病巣に集中して、照射が可能な放射線治療の一種。限局したがん、周りに重要な臓器や放射線に弱い組織がある場合に適している。群馬大学附属病院では、先進医療として、年間314万円かかる。2016年から一部疾患に保険適用】

【注3:がん免疫細胞療法/臨床試験で有効性が立証されているものは一つも存在しない。高額な費用や、安全性、倫理性に強い疑念が出ている】

 八方塞がりになった時、緩和ケア診療所「いっぽ」の存在を知った。

「ご自分がやりたいと思う事を、ぜひやって下さい。私たちが全員で支えます」

 物静かな竹田果南医師の言葉が、無謀な旅を後押ししてくれた。

◆仕事の合間にモルヒネを──

「あれっ、呼吸してる?」

 次男・敏和が、ハンドルを握りながら、何度も助手席を見る。酸素ボンベの吸入音が、時々弱くなるからだ。その度、松野は目をギロリと光らせて平静を装った。会社を設立した当時の自分と、敏和は同じ年齢だ。立派にやれるだろう。

 後部座席の妻・泰子は、夫らしい“終活”に寄り添うことを決めていた。敏和と泰子が交代でハンドルを握り、午後1時前には広島に到着した。

「息子の敏和が社長になりますので、今後もお引き立てをお願いします」

 業界団体の会合会場で、松野は酸素ボンベを引きずり、取引先や仕事仲間に、片っ端から敏和を紹介した。物腰の柔らかさ、キメ細やかな気配り、面倒見の良さ。経営者として生きてきた男の姿があった。家では絶対君主のように振る舞う父とは別の顔を敏和は知った。

 会場の片隅で、松野は小さなスティックを開けて、吸い込んだ。モルヒネのオプソ(注4)である。がん特有の“身の置き場がない痛み”をオプソで鎮めると、松野はまた人の輪に戻っていった。

【注4:オプソ/モルヒネがゼリー状になったもので、スティックタイプの包装。がん疼痛に30分程度で効果が出る】

◆最後まで「いつもの生活」

 旅から帰って1週間後の朝、松野の自宅に酸素状態の異常を知らせるアラーム音が響く。松野が昏睡状態になっていた。泰子と敏和、長女の3人が、ベッドを囲む。延命措置はしない、と本人が希望していたので、穏やかな表情をただ見つめていた。

 小さな呼吸音だけが聞こえる、静かな昼下がり──何の前触れもなく、大きな目が突然開いた。驚く3人を見つめた松野は、両手で一人ずつそっと優しくハグをし、小さな声でささやいた。

「ありがとうな」

 これだけ言うと、すぐに松野は昏睡状態に戻った。そして夜9時過ぎ、呼吸を止めた。

 前日まで、家族揃って食事し、トイレも自分の足で行き、シャワーも浴びた。ベッドに入るのは、夜眠る時だけ。松野は、いつもの生活を最後まで続けた。本人にとっても、家族にとっても、緩和ケアを選択して良かったと泰子は話す。

 敏和は、父が使用していた机と椅子に座り、2代目社長として陣頭指揮をとっている。

◆「体も心も」支えるケア

 25年前、緩和ケアの草分けとして開設された、緩和ケア診療所「いっぽ」(群馬・高崎市)。現在は2人の医師と9人の看護師が、24時間態勢で、進行がんの患者の在宅生活を支えている。

 緩和ケアについては、医療従事者の中にも誤解が多い。次に挙げる5項目は、代表的な“誤解”だ。

【誤解1】緩和ケアは看取りの医療=痛みをとるだけ

【誤解2】がんの疼痛コントロールには薬のみが有効

【誤解3】医療麻薬のモルヒネは中毒になる

【誤解4】抗がん剤治療を続けることが、長生きする唯一の方法

【誤解5】セデーション(鎮静処置)は安楽死と同じ


 松野さんのような病状の場合、車で往復2000キロの旅を許可する病院はまずない。容体の急変するリスクがあり、管理責任を問われかねないからだ。

 だが、松野さんにとって、仕事の関係先に後継者である息子を紹介することは重要だった。本人が望む生き方を医療面と精神面で支えることが“いっぽ流の緩和ケア”といえる。

 がん特有の身の置き所がないほどの“疼痛”は、モルヒネだけでなく、精神面を支えることで改善することも多い。

ライブドアニュース 2017年9月20日

小林麻央さんも最期は自宅で……「家で死ぬ」を叶えるために必要なものとは
 人生の最期をどこでどんなふうに迎えるか――。この誰もが抱く問いかけに、ひとつの理想形を見せてくれたのが、今年6月に若くして乳がんで亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さんだ。

 麻央さんは亡くなる約1カ月前に退院し、在宅でケアを受けることを選んだ。ブログには息子のお手伝いで足湯に浸かったり、母親の搾ったオレンジジュースを楽しむ様子が綴られ、住み慣れた家で最期まで明るく過ごした様子が伝わってくる。

 入院生活の制約から解放され、旅立つ直前まで思い思いに過ごせるのが在宅終末期医療の良さだ。心身共にリラックスできるためよく眠れるようになり、食欲も出て、結果的に医師の見立てより長く頑張れる患者も珍しくないという。

 半面、終末期の在宅医療は、患者の家族の負担がどうしても大きくなる。入院治療では日常のケアを看護師が行うが、在宅の場合は食事や服薬の世話まで家族がサポートする必要がある。特に終末期の患者となれば、容態が急変した緊急時の不安も大きい。

 終末期在宅医療での、介護者の負担とはどれほどなのか――。それを客観的に示した研究結果が、アメリカの医学誌『Health Affairs』7月号に掲載された。

終末期は介護時間が週に60時間超にも!

 米マウントサイナイ・アイカーン医科大学のKatherine Ornstein氏らが、高齢者約2400人とその介護者のデータを分析したところ、「終末期に介護者が介護に費やした時間は、終末期以外での介護の約2倍」にも上ることが明らかになったという。

 海の向こうアメリカでは、家族を中心とした「無償の介護者」が高齢者や終末医療の在宅介護を担うことが珍しくない。日本のような皆保険制度はないが、在宅介護で金銭的に困難になった場合は、低所得者支援である「メディケイド」の対象となり補助が得られる。

 また65歳以上の人は、公的な医療保障制度である「メディケア」の補助を受けることができる。

 しかし、それらを除けば、アメリカの介護サービスは「家族介護」と「自己負担」によって賄われている。さらに、施設でのケアを重視してきたメディケアやメディケイドの介護給付も、近年の財政逼迫に伴って施設から在宅ケア重視へと転換しつつある状況だ。

 米国介護連盟と、全米退職者協会(AARP)が2015年に実施した調査によると、過去12カ月以内に50歳以上の高齢者に対して無償の介護を提供したアメリカ国民は3400万人を超え、その多くは女性だ。

 一方、終末期の介護に家族などの無償介護者がどの程度関わっているのかについては、これまでわかっていなかった。

 そこでOrnstein氏らは今回、65歳以上の高齢者とその介護者に対して行われた調査を用い、終末期の高齢者(調査から1年以内に死亡)と、終末期ではない高齢者との間で、ケアを担う介護者の数、介護に費やす時間などを比較した。

 その結果、終末期の高齢者ひとりを介護する「介護者数は平均2.5人」で「週当たりの介護時間は61.3時間」。これに対して、「終末期ではない高齢者では週当たりの介護時間は35.5時間」だった。

 また「介護にあたって身体的な困難がある」と回答した介護者は、終末期を迎えた高齢者介護では35%を占めていたが、それ以外の高齢者介護では21%にとどまっていた。「自分のための時間がない」と回答した介護者の割合も、前者では51%に上っていたが、後者では21%だった。

 なお、介護者の約9割が報酬のない「無償介護者」だったが、それが配偶者である場合、ほぼ3分の2は他の家族や友人などによる支援を受けずに、ひとりで介護を担っていたこともわかった。

緩和ケアで家族の負担が軽くなることも

 患者の権利や終末期の問題を扱う団体「Compassion & Choices」代表のBarbara Coombs Lee氏は、「今回の調査対象となった介護者が、介護中の高齢者が終末期にあることを必ずしも認識していなかった可能性がある」と指摘。

 「死期が近いことを認識していないと、無益で苦痛を伴うだけの治療を選択することになりやすい。それによって介護者の負担まで増大してしまう場合がある」と説明している。

 一方、今回の研究を実施したOrnstein氏は「終末期の介護では家族の負担が重くなることを、多くの人に知ってもらいたい」と話す。

 また、高齢者の苦痛を和らげる緩和ケアサービスへ、よりアクセスしやすくすることも検討すべきだと強調。「それにより、家族に対する支援サービスの提供も促されるのではないか」としている。

 Lee氏も、ホスピスや緩和ケアにアクセスしやすい環境を整備すべきとの意見に同意し、これらの利用を阻む障壁となっている最大の要因は情報不足であることを指摘。「医師が積極的に共有しようとしない情報を知り、率直な対話をすることが、緩和ケアの普及につながるのではないか」との見方を示している。

家族介護者を支えるサービスの充実を

 日本では高齢化に伴い、1年間に亡くなる人は現在の約130万人から、2040年頃には年間約170万人に急増すると予測される。医療費削減のために介護・医療政策が「施設から在宅へ」と推し進められている状況は、わが国もアメリカと同様だ。

 加えて、内閣府が2012年に55歳以上の約2000人を対象に行った調査では、「自宅で最期を迎えたい」と回答した人は54.6%にのぼる。一方で在宅ケアを専門とする地域医療も少しずつ整備され、末期がんの患者では在宅でのケアを選ぶ人の割合が増加しているという。

 在宅医療は高額なイメージがあるが、実際には医療も介護も公的な保険制度が適用される。自己負担が一定額以上になれば「高額療養費制度」で払い戻しが受けられるし、70歳以上の一般所得者の医療部分における自己負担限度額は1万2000円だ。

 そうした制度を利用すれば、一般的には、病院に入院する場合にかかる総費用と同じくらいか、それ以下だと考えて良いだろう。

 そなるとやはり最も高いハードルは、アメリカの調査が物語るように、サポートする家族の負担の大きさだ。日本のある介護情報サイトの調査によると、家族介護者の約6割が「1日の介護に費やす時間は5時間以上」と答えている。これが平均値なら、終末期はもっと介護時間が長くなることは想像がつく。

 今後、在宅医療を選択肢にしていくためには、家族介護者へのさらなるサポートが不可欠だ。

 ひとつの方策として、家族が介護から解放されて、趣味などに費やす時間を提供する「レスパイトケア」サービスの充実がある。現状、訪問介護やショートステイ、夜間サービスなどが用意されているが、重いがん患者などが利用できる療養型デイサービスはまだ少ない。

 また、末期のがん患者は40歳以上であれば訪問介護サービスを介護保険で受けることができるが、そのことを知らなかったという家族も多いという。

 末期がんだけでなく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、関節リウマチ、脳血管疾患、脊柱管狭窄症など合計16の特定疾病が対象となる。在宅医療をサポートする情報のさらなる発信も必要とされている。

 「死」に向かう人ひとりひとりの思いが守られ、安心できる場所で最期を迎えることができるよう、これから社会全体で支えていく仕組み作りを急がねばならない。

ヘルスプレス 2017年9月20日
がんはハンデのひとつ。ハンデがあっても、やれることをやろう!
それでも、生活がなくなるわけじゃない

瀬戸川加代 行政書士瀬戸川法務事務所 代表

 はじめまして。

 昨年末に、ハフポストにて紹介していただいた瀬戸川加代です。

 これから、私もこちらで不定期にブログを書かせていただくことになりました。

 どうぞよろしくお願いします。

 がん患者だっておしゃれできる。ステージ4の女性が動画で伝える「前向きな気持ち」

 少し自己紹介をしようと思います。私は現在44歳。

 高校3年生の娘と中学2年生の息子を持つシングルマザーであり、行政書士事務所を営む自営業者です。

 私は4年前の40歳の誕生日を迎えた直後、初めて乳がんと告知されました。

 気づいたきっかけは、入浴中にふと手に触れた乳房の中に何か入っている感じです。

 「白か黒か、わかれば対処ができる」と思い、病院へ行って、残念ながら黒と診断されました。

 このときはステージ2。

 いま、告知はすぐにストレートに本人にされるんですね。

 私と、検査結果を共に聞きに行った母に、検査画像を示した医師曰く、

 「あー、これ、ここね。石灰化しててね。これ、がんだね。」とのこと。

 2年おきにマンモグラフィー検査も受けていた私にとって、衝撃的な言葉でした。

 このころはまだ、「がん=死」というイメージが先行していて、私も母も泣いてしまいました。

 この頃、離婚は成立していなくてもすでに3年別居していて事実上の母子家庭だった私は、

 第一に子ども達のことを考え、

「先生、全摘でも何でもいいから、とにかく助けてください。死ぬわけにいかないんです。」

と懇願しました。

(同時に、離婚裁判に踏み切ることを決意しました。離婚調停は不成立に終わっていたので、もしも自分が死んだら子ども達が困ると思ったからです。がんはある意味、時間の制限を意識させてくれ、だらだらと過ごしていた自分に決断をさせてくれました。)

 その後は標準的な治療で、左乳房全摘出とリンパ節郭清の手術、術後抗がん剤治療、ホルモン治療を続けました。

 この頃、事務所のスタッフの給料やその他の経費、仕事を仲間に頼んだ外注費、自宅の家賃などの金銭的な負担もありましたが、「がんと診断されたら降りる」というがん保険で300万円が入ったので、かなり助かりました。(手術や入院の費用は、医療保険から賄いました。)

 抗がん剤で脱毛もしましたから、医療用の高いかつら(ウィッグ)も買いました。

 このときは、「医療用」というイメージしかなかったので、高くても、がん保険も入ったので迷わず買えたんです。

 いまは若くてもがんになる人も多いので、掛け捨てでもいいから、がん保険に加入しておくことをお勧めします。

 がんの怖いところは、自覚症状のないままに静かに進んでしまうことです。

 「自分はがんにならない」という根拠のない自身よりも、月々数千円のがん保険の方が安心して過ごせますよ。

 さて、その初めて乳がんが発覚してから2年半が経った頃に左肩に痛みを覚えて病院へ。

 四十肩だと思い込んでいた肩の痛みは、転移による鎖骨の骨折とわかり、残念ながら再発が発覚しました。

 鎖骨、背骨、骨盤に転移した多発骨転移の状態で、ステージ4に進んでいました。

 しんどいのはここからです。

 先ほどお伝えした「診断されたら降りるがん保険」は、再発では同じ保険契約からは保険金が出ません。

(入院1日1万円などの、医療保険は保険金が出ます。)

 つまり、再発して入院や多額の費用がかかる治療は、高額医療限度額の制度と自分の貯金と医療保険とで賄わなければならないのです。

 私のがんの再発は、がん細胞が内胸リンパ節から鎖骨下リンパ節に転移し、そのがん細胞が鎖骨に入って、骨を侵食し、骨が割れた状態になっていました。

 そのためか、再発が発覚してから間も無く、急に背中が固まってしまい、家では腕が動かせず、ご飯も食べられなくなって、急遽入院して治療することになりました。

 そこから、鎖骨への放射線照射、抗がん剤治療と進んだのですが、1ヶ月ほどの入院の間の休職ののち、私は治療を続けながら仕事に復帰しました。

 現役世代が、がんなどの大きな病気にかかって困ることは、治療と仕事の両立だと思います。

 家族を養っている責任もあるし、高額医療限度額の制度を使っても医療費の負担は軽くありません。

 しかし、がんになったから、ステージ4だからといって、生活がなくなるわけではなく、生活をするためにはお金が必要ですし、生きがいとなる仕事も必要です。

 最初はいままで積み上げてきたスキルを活かせる場や方法がなくなったのではないかという不安でよく泣きましたが、意外にも、私ががんであることを知ってもお取引を続けてくださるお客様やお客様をご紹介してくださるお取引先様が多く、

「がんであっても、それはハンデのひとつだ。求められているうちは、精一杯やってみよう。」

と思うようになりました。

 ハンデを抱えている人は少なくありません。

 時間や労力のハンデも考えると、子育てや介護もハンデのひとつだと思いますし、病気や障害もハンデのひとつでしょう。

 私は、そんな「ハンデを抱えたいまの自分にできることは何だろう?」と探していて、動画「がんでもキレイに」を作ることを思いついたのです。

 いまの自分にできることを探して、それをできるイメージを持つことが最初の一歩になりました。

 その話は、次回にお話ししたいと思います。

The Huffington Post 2017年9月23日

大切な人失い喪失感受ける人向けの「遺族外来」「家族ケア外来」
「5年前に大腸がんで主人を亡くしてから、“別の病院に連れて行けば”“最後に食べたがっていたうなぎを食べさせていれば”などと後悔が頭を巡り、家に閉じこもるように。先日、法事で親戚が集まった折、妹から“もう5年も経つんだから、いい加減前を向きなさいよ”と言われました。

 ショックでした。周りから見たら5年は長いのかもしれませんが、私には主人の死はつい最近のように感じられます。前を向かなきゃとも思いますが、どうしてもそういう気になれないのです」

 こう語るのは、72才の主婦Kさんだ。愛する人の死ほど胸が張り裂けることはない。特に日本人の死因1位のがんは、宣告時から死を意識させ、闘病中はもちろん、死後数年経っても出口のない悲しみが続く。


精神腫瘍科医師・加藤さんの診察風景

 妻のがんが発覚したHさん(73才)は、手遅れとわかってから引きこもり、ついには首を吊った。4年前に8才の息子を脳腫瘍で亡くしたIさん(38才)は、明るくふるまっていても、「小6のお子さんがいますよね」などと通信教育の勧誘を受けるたび、胸が締めつけられるという。

 「大切な人を失うと誰しも、思慕の念・疎外感・うつという喪失感に絡む気持ちと、前向きにがんばろうという現実的な気持ちが出てきます」と、自治医科大学看護学部教授の宮林幸江さんは指摘する。

「死別の悲しみは、配偶者を亡くした人で平均4年半、高齢の場合や子供を亡くした人で5年程度続きます。短期間で無理に忘れようとする必要はありません」(宮林さん)

 問題は、「悲しみが4〜5年経っても癒えないのは当然」という認識が広まっておらず、周りからの間違った励ましで傷を深めること。遺された人は悩みを話す場もなく、絶望に追いやられてきたのだ。

 喪失感に苦しむ人々の声を受けて、約10年前から登場し始めたのが、「遺族外来」と「家族ケア外来」だ。ともにがんで闘病中の患者の家族や遺族のケアをしてくれる。

「死別は人生最大のストレスであり、遺族は心血管疾患による死亡率やうつ病罹患率が高い。時に投薬が必要になるほどです」とは、埼玉医科大学国際医療センター「遺族外来」医師の大西秀樹さん。

 国立がん研究センター中央病院「家族ケア外来」の医師・加藤雅志さんも「後悔している人の誤解を解き、感情を口にしてもらうことが必要なんです」と続ける。悲しくてつらい場合、前出の専門外来や、がん拠点病院の精神腫瘍医、がん相談センター、精神科や心療内科でも相談できる。

 悲しみは、放っておいても癒えない。我慢せずに話せる相手を見つけることが大切なのだ。

NEWSポストセブン 2017年9月23日

終活は50代で始めていいと言える3つの理由
自分も親も満足できる「ハッピー終活」とは?

井戸 美枝 : 社会保険労務士

 みなさんは、自分の親に「銀行に預けているおカネはいくらあるか」とか、もし要介護になったらどうするか、さらに「まさかの時」はどうするか、聞いたことはありますか。また、自分の子供や妻、あるいは親族に「自分に『もしも』のことがあったら、財産はこうなっているから」などと話したことはありますか?

なぜ「終活」を早めに行うと良いのか

 私は現在まだ50歳代ですが、実はかなり前から「私なりの終活」、つまり人生の終わりに向けた準備を始めています。早すぎる??いえ、そんなことはありません。私が終活を行うのには、3つの理由があります。

 1つは、私の死後、「家族が困らないようにしておきたい」からです。
人生の終盤を迎えたときや死亡後には、どんな治療をするかを考えたり、介護をしたり、財産を遺族で分け合ったり、遺品を整理したりと、しなければならないことが山ほどあります。

 私も両親を亡くしてさまざまな経験をしましたが、「この方法で良かったのかしら。両親の想いに沿っているかな……」と思い悩み、後悔することもあります。終末期の医療をどうするか、自身の死を誰に伝えるべきかなどを明らかにしておけば、遺された家族の「手間」や「精神的な負担」を減らせるはずです。

 家族の負担を減らすことができれば、私自身もうれしいですし、自分の想いに沿って事が進めば満足です。これが終活する2つ目の理由、「自身の想いを汲んでもらう」ためです。

 3つ目は、「私はこの世からいなくなっても、悲しまないでほしい」からです。

 私が亡くなれば家族や友人、仕事仲間など、おそらく悲しんでくれる人がいるでしょう。でも、最高にうまく撮れている写真を遺影用に用意しておいたり、お洒落な骨壺をオーダーしておいたりすれば、親しい人は「あいつらしい」と思ってクスリと笑ってくれるかもしれませんし、それをネタに、みんなで私の至らないことを思い出し、笑って話してくれるかもしれません。「きっと楽しい人生だったのだろう」と感じてくれたら、私も、みんなも癒されますよね。

「ハッピー終活」のためには何をすればいい?

 もう一度整理すると、

・家族が必要以上に困らないため

・自分の想いを全うするため

・自分も家族・友人なども死を受け入れ、前向きになるため

 この3つのために、私は「ハッピー終活」を少しずつ進めています。

金融機関の口座を減らして「見える化」しよう

 さて、「ハッピー終活」とは具体的に何をすればいいのでしょうか。私のハッピー終活のうち、みなさんにも特にお勧めしたいことを挙げてみます。ぜひご自身の終活として実践していただきたいですし、ご両親などの身近な人にも働きかけてほしいと思います。

 まずは金融機関の整理です。

 「家賃の引き落とし用」「給与振り込み用」など、多くの口座を持っている人も少なくないでしょう。私も証券会社7社、銀行8行に口座を持っていましたが、証券会社3社、銀行3行まで減らしました。まだ多いので、さらに絞り込むつもりです。

 なぜでしょうか。口座が多いと、遺族の負担になるからです。

 口座の名義人が亡くなると、口座は凍結され、遺族であっても自由に預金などを引き出すことはできなくなります。「家族ならいいではないか」、と思うかもしれませんが、遺族の1人が勝手に引き出してしまうと、あとでほかの遺族とトラブルになる可能性があるからです。

 引き出すためには、法定相続人(財産を相続する人。たとえば両親と子供2人の家族で父親が亡くなった場合は、母と子供2人)全員が同意して所定の書類にサインし、印鑑証明などを添えて金融機関に提出しなければなりません。

 それぞれの口座について手続きする必要がありますから、4つも5つも口座があると本当に大変。「兄弟が何度も実印や印鑑証明を持って来いと言うのだけれど、忙しくて対応していられない。でも早くしないと相続税の申告に間に合わなくなるから、と急かされる」と困っている人の話はよく聞きます。

親が動けなくなってからでは、遅い

 私は一昨年の2015年に母を亡くしましたが、生前、たくさんの金融機関の口座を持っていることを知り、口座のリストラをしました。金融機関に母を連れて行くと、なんと本人がいるにもかかわらず、写真入りの身分証明書を持っていなかったため、口座閉鎖をすることができませんでした。仕方なく、高齢で姿勢保持もつらい状態で証明写真を撮り、住基カード(当時)を発行してもらい、複数の銀行を回って……と、かなりの大仕事に。本当に大変で、母もかわいそうでした。このように、ご両親やご親戚など、高齢の方についてはとくに、体力があるうちに整理を進めておきたいものです。

 また「A銀行とB銀行に口座がある」といった情報を、きちんと記録しておくことも大切です。

 親が亡くなったあと、家中のいたるところから古い通帳が見つかる例もありますが、最後に記帳されたのが何年も前だとしても放っておくわけにはいきません。もしかしたら大金が眠っているかもしれませんし、放置したままにすると、あとから相続税の申告漏れを指摘される可能性もゼロではありません。

 口座がありそうなら、名義人が亡くなったことを証明する書類を用意して口座の有無や残高などを問い合わせる必要があり、残高があれば法定相続人の同意書を提出して預金などを引き出す必要があります。

終活は、今を生きるための「棚卸し作業」にもなる

 私は自分自身で、口座がある金融機関のリストを作り、支店名や口座番号を記載しています。もちろん、暗証番号はほかの人が見てもわからないように工夫したうえで記載し(子供だけがわかるようにしています)、金融機関リストとは別の場所に保管しています。届出印の保管場所も、別のところです。

 そのほか、私自身の老後資金として加入している国民年金基金と小規模企業共済については、証券をファイリングして保管。年金手帳や国保(国民健康保険)組合の書類もわかるようにしています。

 多少の手間はかかりますが、「どの金融機関に、どんな資産があるか」「老後に受け取れるおカネはいくらか」などが整理でき、自身のライフプランを考えるきっかけにもなります。このように、終活とはいいながら、整理は「今を生きるための作業」という一面もあるのです。

保険などもできるだけシンプルに!

 金融機関の口座についてもいえることですが、何事もシンプルにしておく、というのも終活のポイントです。

 私は、いままで生命保険や医療保険に加入したことはありません。私が亡くなっても経済的に困る人はいませんし、医療費がかかっても高額療養費によって医療費の自己負担は一定額で済み、貯蓄から支払うことができると思うからです。

 もちろん、保障が必要な方もいます。保険に加入しているなら、「どんなときに、どんな保障が得られるか」を家族と共有し、保険証券をわかるところに保管するなど、未請求にならないための準備をしておきましょう。請求できなければ保険に入っていても、意味がありません。

 また死亡保険金は相続税対策になることも知っておきましょう。法定相続人1人につき500万円までは相続税がかからず、現金でおカネを遺すよりずっと有利です。相続税は重税化されてきており、特別な資産家でなくても相続税がかかるケースが増えています。基本的な知識を得て、効果的な相続税対策をしておくことも、大事な終活です。

「積極的な治療を望まない」という考え方

 さらに、健康面について考え、身近な人に考えを話しておくことも大切です。

 私はもし大きな病気になっても積極的な治療はしないことに決めています。そのため早期発見をしたいという想いは、あまりありません。人工呼吸器などの延命措置は拒否するつもりです。とはいえ、痛くてつらいのはいやなので(家族も見ているのがつらいと思う)、緩和ケアはお願いしたいと思っています。この考えは、事あるごとに家族に話しています。病状が進むと、延命措置をするかどうかなど、家族に判断が求められることがありますが、家族が本人の意思をしっかりと理解してくれていれば、迷ったり、苦しんだりすることも避けられるでしょう。

 とても大切なことなので、身近な人と、しっかり話し合っていただきたいと思います。さまざまな経験をしたり、年齢を重ねたりすることで考えが変わってくることもあるので、機会をみつけて、何度でもお話しするとよいと思います。

 葬儀もささやかな家族葬を望んでいて、仕事関係も含め、供花などは辞退するよう、家族に伝えています。誰に、どのタイミングで死去を知らせるかも考えてあり、近々、リスト化する予定です。

 洋服や持ち物も、使ってもらえるものは差し上げ、喜ばれないものは処分し、かなり減らしました。しかしアクセサリーやバッグ、靴は好きな気持ちが勝ってしまい、処分できていません(苦笑)。「減らそう……」と思いながら、「無理かも……」とも思うので、「欲しい人がいたら差し上げて、残ったら業者さんに頼んで一気に処分」の方針です。

 では、自分が要介護の身になったらどう暮らすか。それについても考えていますので、これは次回、お話ししたいと思います。

週刊東洋経済四季報オンライン 2017年9月25日

安楽死という選択

児玉聡 | 京都大学大学院文学研究科准教授

 昨日のクローズアップ現代+で安楽死が取り上げられた。近年の日本では安楽死が公の議論になることが少なかったので、大いに歓迎したい。

 以下では、安楽死についての若干の説明と、今回の番組を筆者が歓迎する理由を述べたい。
安楽死に関する言葉の整理

 安楽死の意味について誤解のないように、最初に言葉の整理をしておこう。大事な点は、安楽死と治療中止をはっきり区別することである。

 まず、安楽死(積極的安楽死)は、一般に医師などの医療従事者が患者に致死薬を投与することだ。今日いくつかの国で合法化されているのは自発的な安楽死であり、昨年7月に相模原市で起きた障害者殺傷事件で問題になったような、本人の明確な同意のない安楽死は倫理的にも法的にも認められない。

 次に、医師による幇助自殺では、安楽死と同様、医師などの医療従事者が致死薬を処方する。だが、服用するのはあくまで患者自身という形を取る。安楽死と比べて、医師の関与の度合いが少なく、また患者の自発的意思も明確なため、米国のいくつかの州を始め、安楽死ではなく医師による幇助自殺だけを合法化しているところもある。

 とはいえ、医師による幇助自殺は安楽死の一種だという考えもある。そこで、たとえば英米では「自殺」という言葉を避けるために、医師幇助による自死(Physician Assisted-Dying, Physician Assisted Death)といった表現も使われているが、こうした表現が医師による幇助自殺だけでなく安楽死も含む場合もある。

 最後に、人工呼吸器や人工透析といった生命維持治療を中止する行為があるが、これは上記の安楽死や医師による自殺幇助とは明確に区別する必要がある。こうした治療中止は、「消極的安楽死」や「尊厳死」と呼ばれることもあるが、誤解を招きやすいので、治療中止という言葉を使った方が無難である。

 とりわけ尊厳死という言葉は、日本を含めたアジア圏では主に生命維持治療の中止のことを指し、欧米では安楽死や医師幇助自殺のことを指すため、注意が必要である。

 用語の整理について、さらに詳しくは朝日新聞アピタルの記事を参照することを勧める。

安楽死や医師自殺幇助が受けられる国・地域

 今日、安楽死を合法的に受けられる国は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグのいわゆるベネルクス3国、およびカナダなどである。

 一方、医師による自殺幇助を受けられるのは、オレゴン州やカリフォルニア州など、米国のいくつかの州である。また、上記のベネルクス3国とカナダでは、安楽死だけでなく、医師自殺幇助も受けられる。

 昨日の番組でも取り上げられていたスイスは、必ずしも医師によることを要件にしていないが、大きく分けると医師による幇助自殺を認めている国ということになる。したがって、厳密には「スイスでは安楽死が認められている」と述べることは正確ではない。また、スイスは外国人の自殺幇助も実質的に認められている点で、世界で唯一の国と言える。

日本の安楽死の議論

 日本では1990年代に東海大学病院安楽死事件があった。これは末期がん患者に医師が致死薬を投与し、殺人罪に問われた事件である。1995年に出された横浜地裁判決では、安楽死が合法的に実施されるための四要件が示された。

 だが、本件では医師は有罪となっており、また下級審判決であるため先例としての重要度は必ずしも高くない。さらに、四要件を満たした事案はこれまで存在しないこともあり、この横浜地裁判決をもって日本は安楽死を合法化している国であるということはできないだろう。

 興味深いことに、欧米とは対照的に、日本では2000年代に入ってから安楽死に関する議論が下火になった。これは、日本では2006年の富山県射水市民病院事件を代表に、生命維持治療の中止の是非に議論がシフトしたことが大きい。つまり、末期患者から人工呼吸器を外したり、胃ろうや透析器を外したりすることが許されるかという議論である。

 2009年には川崎協同病院安楽死事件の最高裁判決もあった。これは、低酸素脳症から意識障害になった患者に関して、医師が意識回復の見込みがないと判断し、気管内チューブを抜いたあと、致死薬である筋弛緩剤を投与して死に至らしめた事件である(医師は殺人罪で有罪)。だが、この際も、メディアでは安楽死の是非を問う議論にはならず、もっぱら治療中止の側面、つまり気管内チューブを抜くことの是非が議論の対象となったのだった。

 このように、ここ10数年の間、安楽死は海外の動向として紹介されることはあっても、国内ではほとんど議論がなされてこなかったと言ってよい。

 筆者がとりわけ象徴的だと考えるのは、1993年から5年ごとに実施してきた厚労省による終末期に関する意識調査でも、前回の2013年度の調査では、それまであった積極的安楽死の是非に関する問いがなくなっていたことである。次回調査はまもなく開始されるが、少なくとも安楽死に関する市民や医療従事者の意識を知るための参考として、安楽死の是非を調査項目に入れておくべきだと筆者は考えるが、どうだろうか。

安楽死議論の活性化を

 現在、日本を含め、アジア諸国で安楽死について法制化している国はないが、だからといって議論が必要でないとは言えない。それは今回の番組からも見てとれることである。賛成であれ反対であれ、少なくとも一部の市民は安楽死について真剣に考えているのだ。

 また、実際のところ、日本からスイスに渡航して自殺幇助を受けて死んだ人もすでにいるとされる(この件については下記のニュース記事を参照)。お金を払ってスイスに渡航できる人だけが自殺幇助を受けられるという事態が好ましいことなのかどうか、議論する必要があるだろう。

 さらに、今回の番組でも問題になっていたように、安楽死や自殺幇助を望まない人をどうやって守るかという視点も重要である。こうした人々の意見も集約するような議論の場が必要である。

 とはいえ、各人の死生観は多様であるため、安楽死を望まない一部の人を守るために安楽死を全面的に禁止する必要があるかどうか、よく考える必要がある。仮に安楽死や医師による自殺幇助を合法化する場合は、他国の制度や調査研究を十分に参考にする必要があるだろう。たとえばオレゴン州は、日本で臓器移植法が施行されたのと同じ1997年に医師による自殺幇助を合法化したが、今年で20年目を迎え、これまでの状況を詳細に検討している。

 上で述べたように、日本では10年以上にわたり、安楽死の議論が低調であった。だが高齢化がますます進展している今日、選択肢としての安楽死を求める声は徐々に強まっていくことが予想される。法制化をするにせよしないにせよ、その是非について議論を避け続けることはできない。折しも衆院選が始まる時期である。課税の問題や安全保障の問題も重要だが、安楽死や治療中止を含めた終末期の議論も今後の政治的争点になることを望んでいる。(了)


児玉聡 京都大学大学院文学研究科准教授

1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科医療倫理学教室で専任講師を務めた後、2012年から現職。専門は倫理学、政治哲学。功利主義を軸にして英米の近現代倫理思想を研究する。また、臓器移植や終末期医療等の生命・医療倫理の今日的問題をめぐる哲学的探究を続ける。著書に『功利と直観--英米倫理思想史入門』(勁草書房)、『功利主義入門』(ちくま新書)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人)など。


Yahoo!ニュース 2017年9月27日

短期入所者も看取ります 負担少ないケアを追求(岐阜の特養)

移乗の負担を減らすためベッドごと移動する

 岐阜県山県市の特別養護老人ホーム「椿野苑」(井上祐子施設長)は、入所者だけでなく、短期入所の利用者の看取も行っている。多職種連携による、多彩な福祉機器を使った看取りケアは、当たり前のこととして職員の間に浸透。最善の看取りをしてくれる施設として広く地域からも信頼されている。

 椿野苑は、障害者施設や養護老人ホーム、保育所など18事業所を運営する社会福祉法人同朋会(井上悟理事長)が、1996年に開所した入所定員80人(従来型60人、ユニット型20人、平均要介護度3・8)、短期入所20人の複合型施設。「ひとつの命をともに生きる」を基本理念に掲げ、地域に根付いたサービスを提供している。

 看取りケアは、週5日診察に来る常勤医師が、利用者の死亡時にもすぐに来て死亡確認してくれたこともあり、開所当時から実施していた。「終末期と医師が判断したときに、医師と看護師が家族の希望を聞く。施設での看取りを希望する場合は介護職員に話し、看取り体制を整える多職種連携の対応が自然にできていた」と看護師の宇野美穂さんは振り返る。

 開所当時は施設での看取りを希望する家族は少なかったが、希望がある限りはそれに応えようと、看取りケアを続けてきた。その後、2006年の看取り加算創設に合わせ、ケア体制や書類などを再整備。現在は、看取る人数の増加に伴う常勤医師の負担増を考慮して、夜中(0時から午前6時まで)や、診察中の死亡確認を午前6時以降または診察終了後に変更した。しかし、基本は開所当時と全く変わっていない。

 そして長年の積み重ねもあり、椿野苑で看取りを希望する家族は徐々に増えていった。16年は25人が退所したが、そのうち20人を施設で看取った(看取り率80%)。

 また、12年からは短期入所の利用者の看取りも開始。自宅で十分なケアを受けられない人や、入院を拒まれた人などを受け入れて看取っている。「これまでに看取った短期入所の利用者は10人。16年度は5人を看取った。利用者の希望に応えることは、入所であっても短期入所であっても変わらない」と井上施設長は話す。

 短期入所の利用者まで含む看取りケアを可能にしているのは、職員の間に看取るのは当たり前≠ニいう考えが浸透していること、多職種連携によるケア体制が整っていることのほか、多彩な機器を工夫して使っていることがある。

移乗もリフトを使い負担を軽減する

 日常的には、居室での移乗ケアに(株)モリトーの床走行式リフト、浴室での移乗ケアに明電興産(株)の天井走行式リフトを使用。個々の残存機能を損なわないよう移乗ボード、シートも使っている。また、車いすは、安全な移乗と安楽な座位保持ができるように調整機能付き車いすを多く用意している。

 ベッド上の姿勢ケアにも力を入れており、(株)モルテン、(株)タイカのポジショニングクッション、複数メーカーの機能が異なるエアマットレスなどを活用。褥瘡じょくそう予防や安楽な姿勢保持に努めている。

 こうした日常のケアに加え、看取り期には専用の機器を使い、入浴方法もより負担の少ない方法に変えるなど工夫している。

看取り期専用枕を使うなど寝姿勢に配慮する

 例えば、枕は低くて柔らかく、体位交換の際にも頭が落ちない(株)モルテンのポジショニングピロー「ピーチ」を使用。エアマットレスはADL(日常生活動作能力)や皮膚の状態などを見て最も適した種類のものを選ぶ。

 入浴方法は、少しでも移乗の負担を減らすために、多床室はベッドごと利用者を移動し、ユニット型は機械浴の寝台を居室に運んで、平行移乗した後に浴室に移動し、寝式機械浴で行う。身体を洗うのも浴槽内でするなど、負担の少ないケアを追求している。

 「看取り期に入る前に『自宅に戻りたい』『お墓参りをしたい』といった利用者の希望に応えてきた。今後もできるだけ多く応えていけるようにしたい」という椿野苑。そこには最善の看取りケアをしているという自信と、地域に根付いた施設として利用者の希望に応えたいという強い思いがあふれている。

福祉新聞 WEB 2017年9月27日

終末期医療の症例、3学会合同で登録開始へ
延命治療の現状把握も
 日本救急医学会の横田裕行代表理事は29日、終末期医療の症例について、日本集中治療医学会、日本循環器学会と合同で登録システムの運用を始めることを明らかにした。年内にもウェブサイト上で症例登録を開始する予定。医療現場で延命治療を行わない症例がどれくらいあるかといった現状を把握したい考えだ。

 日本救急医学会によると、2010年から同学会が単独で終末期医療に関する症例登録を開始。これまでに約200例の登録があった。これを分析したところ、選択した治療方針については、「withhold」(治療の差し控え)が36%で最も割合が高かった。以下は、治療を中止する「withdraw」(31%)、心肺停止後の蘇生処置を行わない「DNR」(25%)などの順だった。

 疾病分類では脳・神経疾患が最多で、呼吸器系、消化器系などを含めた「内因性疾患」が多かった。終末期と判断した理由については、「全脳機能不全」が6割近くを占めた。

 今回症例登録を合同で行う3学会は、14年に「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」を策定しており、このガイドラインが医療現場でどのように活用されているか把握する必要があった。ただし、症例を登録する際、院内の倫理審査委員会で審査することも想定されているため、ある程度の症例数が集まるまで時間がかかりそうだ。

CBnews 2017年9月29日

人生の最終段階の医療、国民にどう普及啓発するか2017年度内に意見まとめ
厚労省検討会
 自分が死を迎える際には、延命治療は行わないでほしい。このように「人生の最終段階における医療」を自分自身で決めて、明らかにしておくことが重視されています。しかし医療の専門家でない一般国民にとって、「人生の最終段階における医療」を考える機会は十分に確保されておらず、自治体や医療機関からの支援体制は必ずしも十分には整備されていいません。

 そこで厚生労働省は「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」を設置。▼国民への情報提供・普及啓発の在り方▼今後の課題の整理▼意思決定支援に必要な事項―を整理し、今年度内(2018年3月まで)にまとめる予定です。

 9月29日に開催された検討会では、「人生の最終段階における医療」を考えるに当たり先進的な取り組みを行っている自治体、医療関係者から発表が行われました。

1 エンディングノート、宮崎市では「詳細な説明」と「手渡し」を基本に

2 松戸市、利用者の希望を医療関係者らが「共有」できるシステムを整備

3 糖尿病性腎症の重度化予防など「予防・健康管理」を重視

4 最終段階の医療、患者の状態(がんや難病)やステージごとに考える必要

エンディングノート、宮崎市では「詳細な説明」と「手渡し」を基本に

 厚労省の調査によれば、「人生の最終段階における医療」を考えるためのパンフレットなどを作成した都道府県は11(23.4%)、市区町村は112(6.4%)、作成中の都道府県は1(2.1%)、市区町村は26(1.5%)にとどまっています。
都道府県の4分の1、医療機関の1割程度しか、人生の最終段階に関する普及啓発パンフレットなどの作成・配布は行っていない
都道府県の4分の1、医療機関の1割程度しか、人生の最終段階に関する普及啓発パンフレットなどの作成・配布は行っていない
 
 この数少ない先進自治体の中で、宮崎県宮崎市では「エンディングノート」(わたしの想いをつなぐノート)プロジェクトを実施。すでに病気を抱えている本人だけでなく、家族、市民が「人生の最期の時間をどこで過ごし、どのような医療を受けたいか」を考えられるような情報提供・支援体制整備に力を入れています。

 『わたしの想いをつなぐノート』には、回復の見込みがなく死期が迫った場合に▼最大限の治療(心臓マッサージや人工呼吸器)を行ってほしいか▼継続的な栄養補給をしてほしいか▼点滴などの水分維持にとどめてほしいか▼何も治療しないでほしいか▼痛みだけはとってほしいか?などを記載するほか、「どこで、誰と、どのように」最期を迎えたいかなどを自由記述します。

 こうした「エンディングノート」は普及しつつありますが、医療の専門家でない一般国民にとっては「どのように書けばよいのか分からない」のが実際でしょう。そこで宮崎市では、エンディングノートを熟知した職員や、アドバイザー(医師、保健師、看護師、ケアマネジャーなど)が「治療を受けたいという希望を記載してもよいこと」「すべての項目を埋めなくてもよいこと」「いつでも書き直せること」などを説明した上で、『手渡し』することを原則としています。

松戸市、利用者の希望を医療関係者らが「共有」できるシステムを整備

 また千葉県松戸市では、慶應義塾大学医学部や千葉健愛会あおぞら診療所が音頭をとり、「ふくろうプロジェクト」という意思決定支援に向けた取り組みを行っています。そこでは▼緊急時連絡シート(ふくろうシート)の運用▼ケアマネジャーによる「人生の最終段階における医療」への意思決定支援▼自宅・在宅療養支援病院・救急病院などの間のネットワーキングとローカルルールの運用▼市民啓発 の4つの取り組みを実施。

 このうち「ふくろうシート」は、▼ケアマネ、地域包括支援センタースタッフが利用者とともに「人生の最終段階における医療」の希望を記載し、事務局で登録・QRコード化する▼利用者が救急搬送された場合、QRコードで利用者の希望を確認し、希望に沿った適切な医療を提供する といった形で活用されます。利用者の希望は外からは分かりにくく、かつ時間とともに変化するため、QRコード化することで「最新情報を共有できる」ことになります。

糖尿病性腎症の重度化予防など「予防・健康管理」を重視

終末期医療、3学会が合同でガイドライン作成

 松戸市のような取り組みが全国に普及するまでには、相当の時間がかかるでしょう。すると救急搬送され、医療関係者に利用者の希望が伝わらず、希望に沿わない延命治療などが施されてしまうケースもあるでしょう。この点について、▼日本救急医学会▼日本集中治療医学会▼日本循環器学会 の3学会が合同で、救急・集中治療領域における終末期の対応に関するガイドラインを2014年に策定しています。

 具体的には、主治医を含む複数の医師で次の4項目を確認した際に「終末期」と判断し、延命治療について「継続するのか」「透析などの積極的治療を行うのか」「水分・栄養の補給制限や中止を行うのか」という選択を検討することになります。

▼不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分な時間をかけて診断された場合

▼生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器が不可逆的機能不全となり、移植などの代替手段もない場合

▼その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場合

▼回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合
 

 検討会では、今後、こうした先進事例も参考に「人生の最終段階における医療」の普及・啓発をどのように進めていくべきかについて今年度内(2018年3月まで)にまとめる予定です。

 あわせて国民や医療介護専門職(医師、看護師、介護職員)、施設(病院や介護施設など)のそれぞれで「人生の最終段階における医療」についてどのように考え、家族らと話し合い、どのような希望を持っているのかなどの調査も行い、意見とりまとめの重要基礎資料とする考えです。

最終段階の医療、患者の状態(がんや難病)やステージごとに考える必要

 ただし松原謙二構成員(日本医師会副会長)は、一律な設定をするのではなく、例えば▼ALSなどの難病患者▼末期がん患者▼認知症患者?などに区分して「人生の最終段階における医療」の考え方などを整理していく必要があると強調。また木澤義之構成員(神戸大学医学部附属病院緩和支持治療科特命教授)は「ステージ(健康な段階、死を意識した段階など)に分けて考えることが必要」と言った見解を示しています。

 例えば、ALSなどの難病患者では、極めて早期から「死」を意識する機会が多く、また自分で詳細な意思表示をすることが困難でしょう。この場合、早期から具体的な医療内容について、自分の代理で意思表示を行う人(家族など)と意見交換しておく必要がありそうです。

 また末期がん患者であっても、自分で意思表示できる場合には、自身の中で具体的な医療内容を検討しておくことになるでしょう。その際、がん医療に詳しい専門家との相談が重要となります。米国ではキャンサーナビゲーションシステム(がん患者に寄り添い、医療的・精神的なサポートはもちろん、経済的な支援を行う制度のあり方などを説明・紹介する医療・福祉の専門家)が構築されており、我が国における普及も待たれます(関連記事はこちらとこちらとこちらとこちらとこちら)。

 さらに認知症患者であれば、代理人が本人の以前の考えなどを踏まえて意思を「推定」することになるでしょう。

 こう考えていくと、国民全員が「できる限り早期から、自分の最期の医療はどうあってほしいか。自分にとって重要な価値は何か」といった点を真剣に考えることが極めて重要であると再認識できます。

 ところで検討会では「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)が今後、極めて重要となる」という点で意見が一致しています。しかし「ACPとは何か」といった点について国民的な合意はできていないのが実際です。ACPは、「人生の最終段階の医療・療養について、自分自身の意思に沿った医療・療養を受けるために、家族や医療介護関係者らとあらかじめ、かつ繰り返し話し合うこと」と理解されていますが、分かりやすく表現した日本語への訳語を設定してはどうかといった意見が内田泰構成員(共同通信社生活報道部編集委員)らから出されています。国民全員が「自分のこと」として考えるためにも、分かりやすい訳語が待たれます。

メディ・ウォッチ 2017年10月2日

ホスピスケア(緩和ケア)で日米に明らかな違い
なぜ米国は「死の直前から」利用が多い?

米国ではホスピスの「平均利用期間」は12.5日、日本では39.5日

 米イェール大学内科学のThomas Gill氏らの研究チームは、高齢者が死を迎える前に経験する疼痛や抑うつなどの症状を緩和する「ホスピスケア(=緩和ケア)」を受けるのは、「死の直前」が多い実態を米国の前向きコホート研究によって確認し、その成果を『Journal of the American Geriatrics Society』9月12日オンライン版に発表した。

 発表によれば、研究チームは1998〜1999年に登録され2014年12月までに死亡した地域住民562人のデータを分析。登録時の年齢は70歳以上で、全ての高齢者が健康で自立した生活を送っていた。その後、約16年間にわたって18カ月ごとに自宅で健康状態の評価を行い、月1回電話で聞き取り調査を実施。死亡1年前の平均年齢は86.6歳だった。

 その結果、対象者の多くが死亡するまでの6カ月間に、疲労、疼痛、吐き気、抑うつ、不眠、めまいなどの症状を経験したことから、家事、買物、食事の支度、服薬、金銭の管理、階段の昇降、歩行、運転、小さな荷物の持ち運びなどの日常生活動作(ADL)が困難になり、ホスピスケアを受ける必要性が高まった。

 しかし、「死亡直前の1年間にホスピスケアを利用した高齢者」は43.4%、「平均利用期間」は12.5日に止まったことから、「死亡直前にホスピスケアを利用し始める高齢者が多い」実態が明らかになった。

 なお、ホスピスケアを利用した高齢者は、利用しなかった高齢者よりもわずかに高齢で、認知機能の低下が多く見られた。また、がんや認知症の患者の利用率は高かったが、終末期の高齢者に高頻度に見られるフレイル(虚弱)の患者の利用率は低かった。

米国ではホスピスケアがほとんど自宅ベースで行われている

 このような結果が得られた、その原因は何か? Gill氏は「ホスピスケア(緩和ケア)を利用する決断は『諦めること』を意味していると考える患者や家族が多いからではないだろうか? だが、ホスピスケアは、生きることの断念や放棄では決してなく、患者が症状を管理し、穏やかに終末期を迎えるチャンスを支援する有効な方法だ」と強調している。

 一方、米マウントサイナイ・アイカーン医科大学老年医学・緩和医療学のR. Sean Morrison氏は「米国ではホスピスケア(緩和ケア)のほとんどが自宅ベースで行われているので、多くの患者が望む自宅での介護を受けられる環境にある。したがって、死の直前ではなく、より早い段階からホスピスケアを利用すべきだ」と語る。

 全米ホスピス・緩和ケア協会(NHPCO)によると、米国には独立型のホスピス施設もあるが、ほとんどのホスピスケアが患者の自宅で行われている。ホスピスケアは、必要に応じて疼痛コントロール、必要な薬剤の投与、消耗品・備品の提供、介護を担う家族への指導、言語療法、理学療法、カウンセリングなどが実施される。

 なお、米国の高齢者向けの公的医療保険であるメディケアは、1982年以降、余命6カ月未満と診断された患者のホスピスケアの費用を全額負担し、個人負担はない。多くの民間保険もカバーしている。

ホスピスケア(緩和ケア)は「生の終末」か「生への希望」か?

 ホスピスケアは「生の終末」なのか、それとも「生への希望」なのか? その問いかけは、「ホスピス緩和ケア週間」のアクションにつながり、世界中に広がっている。

 日本ホスピス緩和ケア協会によると、2006年より「世界ホスピス緩和ケアデー(World Hospice & Palliative Care Day)」を最終日とした1週間を)「ホスピス緩和ケア週間」に決めている。今年の「ホスピス緩和ケア週間」は、10月8日から14日まで。

 日本ホスピス緩和ケア協会は、日本緩和医療学会や「日本死の臨床研究会」と協力しつつ、ポスターの掲示、セミナー、見学会を通じて緩和ケアの普及啓発活動に取り組んでいる。昨年は、全国で124の関連イベントに約7000人以上が参加。今年は、歌声で地球を一周し、世界を結ぼうという運動「Voices for Hospices」も開かれる。

日本は米国とは反対の傾向にあるが……

 さて、日本のホスピスケアは、どのような現状だろうか? 近年の高齢化率の上昇に伴い、がん罹患数・死亡数は増加しているが、緩和ケア病棟の整備が追いつかず、がん患者の約85%は一般病院で最期を迎える。その結果、国民皆保険制度の恩恵も手伝い、医療費に占める終末期医療費の比率が高止まりしている。

 だが、高齢化率の急上昇により終末期医療費の負担増は加速するため、国は在宅ホスピスケアを推進したい。ところが、地方自治体の協力体制や訪問看護システム構築の未整備などの難題に制度設計を阻まれている。しかも、家族の精神的・肉体的な負担、急変時の対応への不安などが根強く、「在宅終末」への世論のコンセンサスは形成されにくい。

 このような動向を反映するかように、ホスピスケアの実態も刻一刻と変容している。

 まず、緩和ケア病棟――。1990年に診療報酬に緩和ケア病棟入院料が新設されたたことから制度化された。緩和ケア病棟数は257病棟(5101床)、緩和ケア病棟での死亡率は8.4%(2012年)。死亡率が高い都道府県は、高知県(23.6%)、福岡県(18.2%)、滋賀県(17.2%)。低い都道府県は、福島県・埼玉県(2.1%)、秋田県・香川県(3.5%)となっている。

 緩和ケア病棟の状況を見ると、「院内独立型」が20%、「院内病棟型」が78%、「完全独立型」が2%。病床数は平均19.8床、医師数は平均1.6人、看護師数は平均17.0人。

 緩和ケア病棟の入院患者数は平均160名で、200名以上の施設が増加している。退院患者のうち死亡退院が占める割合は平均86.1%。平均在院日数は平均39.5日、平均在院日数が30日未満の施設が多い。平均病床利用率は平均80.2%、病床利用率が高い施設が増加している。

 このようなデータから、日本の緩和ケア病棟の利用率は、冒頭の記事で明らかなように、アメリカよりも明らかに群を抜いて高い。つまり、アメリカは「在宅で死の直前から」、日本は「病院で長期間の入院中に」、それぞれホスピスケアを利用する傾向がある状況が分かる。

そもそもホスピスケアとは何か?

 WHO(世界保健機関)によると、1990年にWHOは、ホスピスケアを「治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対するケアである」と定義。2002年に「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対するケアである」と修正した。

 つまりホスピスケアは次のような特徴がある。

○疾病の進行度や終末期に関わりなく、早期からがんに対する治療と並行して行う。

○生命を尊重し、死を自然の過程と認め、死を早めたり、引き延ばすことを意図しない。

○身体的苦痛だけでなく、精神的苦痛、社会的苦痛、スピリチュアルな苦痛を緩和する。

○患者のQOL(生活の質)の維持向上を目的とし、その人らしく最期まで生活することを支える。

○すべての医師、看護師、医療者が一般病棟・外来・訪問診療で患者の抱える困難にチームアプローチで対処する。

○家族もケアの対象とし、死別後の遺族の悲嘆にも配慮し、必要であれば死後のカウンセリングを行う。

 したがって、ホスピスケアは、終末期に行われるケアでは決してなく、生命を脅かす疾患による問題に直面している、すべての患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に特定し、適切な評価と治療によって苦痛の予防と緩和を行いながら、QOL(生活の質)を改善する全人的アプローチであると総括できるだろう。

 なお、本稿では、ホスピスケアと一括りにして言及しているが、概念上は「ターミナルケア(終末期ケア)」「サポーティブケア(支持療法)」「エンド・オブ・ライフ・ケア」など、種々の解釈がある。

 ホスピスケアに終わりはない。「生の終末」では決してなく「生への希望」であってほしい。がんと診断され、死に至るまでの療養生活のQOL(生活の質)と患者の人権を一貫してケアできる医療システムの構築が何よりも急がれる。世論のホスピスケアへのコンセンサス形成も、国民の終末期医療への認識も喫緊の課題だ。
(文=編集部)

ヘルスプレス 2017年10月3日

現役医師が警告
米国で深刻化する「医療用麻薬」乱用の深い闇
 日本においてはがんの緩和ケアなど、限定された場面でしか使用が認められていない「オピオイド系鎮痛剤」(医療用麻薬)。しかし、アメリカ、カナダなどいくつかの国では慢性の腰痛や関節痛でも処方されるため薬物中毒者が急増し多くの死者を出しているようです。今回のメルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』では、現役医師の徳田先生が、この現状に警鐘を鳴らしています。

オピオイド大国アメリカ

 アメリカ国内での薬物中毒は既に深刻な事態です。アメリカの薬物中毒による死亡者数はHIV感染症での死亡者がピークとなった年のHIV感染症の死亡者数をすでに超えています。アメリカにおける過去15年間で薬物中毒による死亡者はなんと53万人にも及んでいるのです。

 アメリカで薬物中毒の蔓延のきっかけとなったのはオピオイド薬の処方数の増加であり、この15年間で4倍に増えています。薬物中毒による死亡に関連したオピオイド処方薬で主なものは、オキシコドン、ハイドロコドン、そしてメサドンです。

 もちろん、従来の違法薬物で代表格であるヘロインも、薬物中毒による死亡の主要な原因薬物の1つではあります。ヘロインに加えて、違法に製造されたフェンタニルも加わりました。しかしながら、このへロインやフェンタニルのマーケットが進出してきたのは、もともとオキシコンチンの依存症が蔓延していた地域。アメリカ闇社会のディーラーたちは、オキシコンチン大量消費地域をターゲットとしたのです。

 先進国の中でオピオイド処方量を比較すると、アメリカは突出してダントツ1位の国であることがわかります。2位のカナダや3位ドイツの倍程度のオピオイドをアメリカの医師たちは処方しています。慢性の腰痛症や関節症でオピオイドが処方され始めたのが、アメリカでのオピオイド依存症蔓延の大きな要因です。

 日本でも、がんの緩和ケアではオピオイドは必須です。また激しい急性疼痛でも、短期間に限って使用される事はあります。しかしながら、がん以外の原因による慢性疼痛で使用されることはほとんどありません。

オピオイド製造会社の闇

アメリカ議会からの手紙

 2017年5月、アメリカ議会の議員が世界保健機構の事務局長宛に異例の手紙を書きました。国際的に拡大する薬物依存症を食い止めるべきだとする内容でした。

 その原因として名指しされているのが、アメリカのコネチカット州に本社を置くパーデューファーマ社と、その世界戦略としての共同会社であるムンディファーマインターナショナル社です。ハイドロコドンの長時間作用薬は、商品名オキシコンチンと呼ばれ、これはパーデューファーマ社とムンディファーマ社によって製造されています。

 これらのオピオイド製造会社は高額の資金でロビー活動を展開しました。医学会にも資金を投入してガイドラインの中にオピオイドの使用を促すことに成功しました。慢性疼痛に関連する患者団体にも資金を投入し、疼痛コントロールを最大限に行わせるように患者団体から担当医に要求するように促すことにも成功しました。

 2007年には、オキシコンチンの有用性を過大に広告し、一方でオキシコンチンの依存症のリスクを過少に広告したということで、パーデューファーマ社は連邦裁判所で有罪判決を受けています。アメリカではオピオイド製造会社のダークサイドが明らかになってきたのです。

世界への警告

 しかしながら、アメリカでの薬物依存症の蔓延状態が世界中に拡大する恐れがある、という警告もWHOへの手紙に含まれています。パーデューファーマ社とムンディファーマ社が同じ方法で世界戦略に乗り出しているということです。

 現在、最大のターゲット国はカナダです。オピオイド処方量もアメリカに次いで2位となっています。カナダに続いてターゲットとされているのは、オーストラリア、ブラジル、中国、コロンビア、エジプト、メキシコ、フィリピン、シンガポール、韓国、スペイン、などです。

 遅ればせながら、最近になって、アメリカでのこのオピオイド処方頻度は減ってきております。依存症治療のためのナロクソンというオピオイド拮抗薬へのアクセスも広がっています。しかしながら、薬物依存症のケアは今後長い年月と膨大なコストがかかるでしょう。

 メリカとカナダのこの苦しみを世界中に広げてはなりません。世界中の医師たちは疼痛ケアについてのガイドラインを作成するにあたって、オピオイド製造会社の侵入をブロックすべきと思います。

文献

Clark, K, Deutch, TE, Kaptur, M et al. Letter from Members of US Congress to WHO Director-General Margaret Chan.

http://katherineclark.house.gov/_cache/files/a577bd3c-29ec-4bb9-bdba-1ca71c784113/mundipharma-letter-signatures.pdf

まぐまぐニュース 2017年10月6日

2018診療・介護報酬同時改定 緩和ケア担う病院の在宅医療・訪問看護の提供を評価か
医療用麻薬の投与期間の上限見直しには慎重な対応求める意見

二羽 はるな=日経ヘルスケア

 中央社会保険医療協議会(中医協)総会は10月4日、2018年度診療報酬改定に向けて、緩和ケアに対する評価のあり方を議論した。癌患者への緩和ケアでは、緩和ケア病棟に入棟するまでの平均待機期間や、在宅緩和ケアとの連携などが論点に挙がった。在宅緩和ケアでは、医療用麻薬の投与期間の見直しに対し、診療側委員から慎重な対応を求める意見が出た。

 癌や後天性免疫不全症候群(AIDS)患者の緩和ケアや外来・在宅への円滑な移行を支援する機能を担う緩和ケア病棟は増え続けており、2017年には393病院が緩和ケア病棟入院料を算定する。2016年度改定では、在宅で緩和ケアを受けている患者が緩和ケア病棟に緊急入院した場合の加算として「緩和ケア病棟緊急入院初期加算」(200点/日、15日まで)が新設。さらに、退院日と同一月の在宅療養指導管理料を別に算定できるようになるなど、緩和ケア病棟入院患者の在宅療養の支援の充実が図られた。

 一方で、がん診療連携拠点病院などの緩和ケア病棟に入院を申し込んでから入院するまでの平均待機期間は、2015年の調査で14日だった。約36%の病院で、平均待機期間が14日を超えていた。厚生労働省によると、平均待機期間は都道府県や病院ごとにばらつきがあるという。

 緩和ケア病棟では在宅医療との連携体制の構築が期待されており、実際に緩和ケア病棟入院料の算定を届け出ている病院の37%が在宅医療を、54%が訪問看護を提供していた。また、化学療法を受けている癌患者の約7割で食欲低下が見られる一方、緩和ケアチームのある病院の約半数で管理栄養士がチームに参画していた。

 これらのデータを踏まえ、平均待機期間の実態や在宅緩和ケアとの連携状況などを考慮しつつ、緩和ケア病棟入院料の評価を見直すことを厚労省は提案。具体的には、平均待機期間を短縮するため、待機期間の長い病棟については評価を引き下げるなどの対応が進むとみられる。在宅医療や訪問看護の提供、緩和ケアチームへの管理栄養士の配置などを行っている場合には、より高く評価される可能性もある。

医療用麻薬の注射薬については「上限は14日で十分」との意見も

 在宅緩和ケアでは、(1)癌の疼痛緩和に用いられる医療用麻薬のうち、2012年度改定以降に薬価収載された薬剤の投与期間を30日に見直す、(2)在宅酸素療法指導管理料の算定対象に癌の末期を含める――の2点を厚労省は提案した。

 麻薬及び向精神薬取締法の対象医薬品は、診療報酬上の投薬期間の上限は原則14日。一方、WHO方式がん疼痛療法などに位置付けられた一部の医薬品は、緩和医療を推進する観点から2008年度・2012年度改定で投薬期間の上限が30日に見直された。この見直しは2012年度以降は行われておらず、新たに薬価収載された薬剤の投薬期間の上限は14日のままだ。2012年度改定以降に薬価収載され、WHO方式がん疼痛療法に位置付けられた医療用麻薬としては、経口薬のタペンタドール、注射薬のオキシコドンなどがある。

 これらの薬剤は、医療用麻薬の継続投与時に副作用や鎮痛効果の改善を目的として種類を変更する「オピオイドスイッチング」での使用も想定される。だが、投与期間の上限日数が異なると、スイッチングに伴い投薬期間の変更が必要になる場合があると厚労省は説明。これらの薬剤についても、投与期間の上限を30日に見直したい考えだ。

 この提案に対し、経口薬のタペンタドールには反対意見はなかったが、注射薬のオキシコドンでは、慎重な対応を求める意見が上がった。日本医師会副会長の今村聡氏は「投与期間の上限を30日にする場合、患者宅で薬をどう管理するのか」と指摘。癌の末期であれば訪問診療や訪問看護が入ることになるため、持続注入するオピオイドの14日を超えた連続使用は想定しにくく、上限は14日でも十分との見解を示した。日本医師会常任理事の松本純一氏も「医療安全の担保という意味では、既に上限が30日となっている注射薬も上限を14日とすべきではないか」と主張した。

 在宅酸素療法指導管理料の算定対象に癌の末期を含めることについては、反対意見はなく了承された。ただし、日医の今村氏は「在宅がん医療総合診療料は医療・看護の提供に対する包括的な報酬であるため、機器の使用にかかる材料加算のみを算定可能としてはどうか」と話した。

 非癌患者に対する緩和ケアでは、進行した心不全患者に対する緩和ケアについても、癌の末期の患者などへの緩和ケアに対する診療報酬上の評価を踏まえて評価する方針が示され、了承された。

日経メディカル Online 2017年10月6日

ケミカルコーピングと偽依存
疑いの目を持ちつつも寄り添う気持ちが,嗜癖(精神依存)から患者を救う

山口 重樹(獨協医科大学医学部麻酔科学講座主任教授)

ケミカルコーピングとは?

 ケミカルコーピングという聞き慣れない言葉が最近,緩和医療でにわかに注目されるようになっている。

 ケミカルコーピングに関する世界共通の定義はなく,とても曖昧である。Brueraらは「苦悩する終末期のがん患者にみられる薬の使用による不適切なストレスの対処法」と記載している1)。

 コーピングという言葉であれば,耳にしたことのある人は多いだろう。「うつ病にならないためにコーピングスキルを身につけましょう」などと,一般紙でもよく見かける。一般的な辞書では,「ストレスを評価し,対処しようとすること」と説明されている。

 通常,コーピングの手段は,趣味を楽しむ,家族との時間を過ごす,穏やかな気持ちになるためにさまざまなリラクセーション(ヨガ,太極拳,瞑想,マッサージ等)を行うなどである。コーピングの手段としてオピオイド鎮痛薬が使用されてしまった場合がケミカルコーピングである。

 十分な処方をしているはずにもかかわらず,オピオイド鎮痛薬の追加処方を患者に繰り返し求められ,困った経験のある医療者もいるのではないだろうか。そうしたとき,ケミカルコーピングが疑われる。

ケミカルコーピングに陥る理由

 最初に強調したいことは,ケミカルコーピングとはオピオイド鎮痛薬(医療用麻薬鎮痛薬を含む)の不適切使用(乱用)であり,許容できるものではないということだ。

 医学的原則に沿ったオピオイド鎮痛薬の使用方法は,身体的な痛みを緩和することであり,オピオイド鎮痛薬が精神的あるいはスピリチュアルな苦痛の緩和を目的に処方されることはないはずである。しかしながら,オピオイド鎮痛薬は感情,認知,情動にも影響を及ぼすことが指摘されており,がん患者が自覚する身体的な痛み以外の精神的な苦痛,スピリチュアルな苦痛を緩和してしまう可能性がある。身体的苦痛の緩和目的にオピオイド鎮痛薬が処方されていたが,さまざまな苦痛やストレスがオピオイド鎮痛薬によって緩和されることを患者が次第に自覚し,本来の目的を逸脱して使用し始めることはあり得る。実際に,ケミカルコーピングの原因に精神的,スピリチュアルな苦痛を指摘する専門家も多い。

ケミカルコーピングと嗜癖(精神依存)

 「痛みを緩和するために適切にオピオイド鎮痛薬を使用している適切な疼痛管理の状態」と「嗜癖(精神依存)に陥っている状態」を両極として,患者がその間のどこかに位置している状況がケミカルコーピングと言える。

 ケミカルコーピングを続けると,嗜癖へと移行する。したがって,「なぜケミカルコーピングに陥るのか?」を考えるには,「なぜ薬物を乱用するのか,なぜ薬物依存に陥るのか?」を知らなければならない。埼玉県立精神医療センターで薬物依存を専門とする成瀬暢也氏は「病としての依存と嗜癖」と題した記事の中で,依存症患者の6つの特徴を指摘している(表)。いずれの項目も,がん治療中の患者の悩みと一致していることがわかる。

 オピオイド鎮痛薬の不適切使用に早期に気付けば,ケミカルコーピングから嗜癖への移行を未然に防ぐことができる可能性が高い。オピオイド鎮痛薬の嗜癖は容易に解決できる問題ではなく,オピオイド鎮痛薬を扱う医療者は今後,ケミカルコーピングを熟知していく必要がある。

 薬物依存症患者の6つの特徴(文献2をもとに筆者作成)














ケミカルコーピングと偽依存

 一方,ケミカルコーピングを疑う前に,確認すべきことがある。それは偽依存だ。偽依存は,症状に対して処方が不十分なために追加の薬を必要とする状態だ。これまでよりレスキュー薬の使用回数が増加するため,依存と間違えられることがある(図)。

 レスキュー薬使用回数増の不適切なアセスメントで生じるケミカルコーピング,偽依存とその背景



 ケミカルコーピングと偽依存の見分け方の一つの手段として,レスキュー薬の使用方法から推測する方法がある。偽依存への対応では,持続痛あるいは突出痛の増悪を考える。

 持続痛の増悪であれば,持続痛の緩和に必要な定時薬の投与量が不十分となり,レスキュー薬の使用が定時的となる。定時薬を増量(1.5〜2倍)して,レスキュー薬の使用回数が減少すれば,持続痛の悪化に伴う偽依存が疑われる。

 突出痛の増悪であれば,一回の突出痛に必要なレスキュー薬の必要量が不足し,レスキュー薬を連続的に使用するようになる。レスキュー薬の一回投与量を増量(1.5〜2倍)して,レスキュー薬の使用回数が減少すれば,突出痛の悪化に伴う偽依存が疑われる。

 これらの可能性を否定してからケミカルコーピングを疑うべきである。維持薬の投与量を増量(1.5〜2倍)し,安定した持続痛の緩和が得られているのにもかかわらず,レスキュー薬の使用が続けばケミカルコーピングの可能性が強くなる。

ケミカルコーピングへの対応

 ケミカルコーピングが疑われた際は,レスキュー薬の使用によって解消されること(多くは不安)が何か,患者に聞く必要がある。単に「オピオイド鎮痛薬の不適切使用はけしからん」と叱りつけ,やめさせることでは解決に至らない。ケミカルコーピングの背景にある,さまざまな心のつらさに焦点を置いて対応するべきなのである。誰にも理解してもらえず,孤立する患者の存在に気が付かなければならない。そして,孤独な闘い(療養)を続ける患者が置かれている癒やされない環境にも目を向ける必要がある。ケミカルコーピングに陥るがん患者の背景は決して容易に理解できるものではないことが,この問題をより複雑にしている。

 がん医療における癒やしの十戒3)の一つに「内省力を磨け」とあるが,「内省力」とは「自分の考えや行動などを深くかえりみること」だ。私たち医療者がこれまでの過去を内省し,変わる必要がある。William Oslerの言葉を引用すると,「患者がどのような病気を持っているか知ることより,どのような患者が病気を持っているかを知ること」が最も重要であろう。疑いの目を持ちつつも,寄り添う気持ちが大事なのではないだろうか。

◆参考文献

1)J Pain Symptom Manage. 1995[PMID:8594120]
2)成瀬暢也.病としての依存と嗜癖.こころの科学.2015;182:17-21.
3)J Cancer Educ.2006[PMID:16918291]

やまぐち・しげき氏

1992年獨協医大医学部卒。98年同大大学院修了。同大第一麻酔科学講座助手を経て,2000年米Johns Hopkins大postdoctoral fellow,02年獨協医大麻酔科学講座講師,06年同大病院腫瘍センター緩和ケア部門長(兼任),07年同大麻酔科学講座准教授。12年より現職。13年より順大大学院医学研究科環境医学研究所客員教授,14年より名市大医学部麻酔・危機管理医学分野非常勤講師兼任。


週刊医学界新聞 第3244号 2017年10月16日

第21回日本心不全学会学術集会
98%が「心不全患者の緩和ケアは必要」 緩和ケアが必要な症状は呼吸困難、不安、抑うつ

三和護=日経メディカル編集委員

 日本循環器学会の循環器専門医研修施設を対象に行ったアンケート調査の結果、「心不全患者に対する緩和ケアが必要と思う」は98%に上ることが明らかになった。また、緩和ケアが必要な症状は、呼吸困難、不安、抑うつが上位だった。兵庫県立尼崎総合医療センターの佐藤幸人氏が、第21回日本心不全学会学術集会(10月12〜14日、秋田市)で報告した。

兵庫県立尼崎総合医療センターの佐藤幸人氏

 調査は、佐藤氏らが2016年に立ち上げた心不全緩和ケア研究会が実施した。我が国の循環器代表施設における心不全緩和ケアの実態と問題点を明らかにする目的で、日本循環器学会の循環器専門医研修施設の1004施設を対象に2016年末にかけて行った。

 その結果、心不全患者に対する緩和ケアの必要性については98%に当たる527施設が「必要と思う」と回答(有効回答539施設)。循環器領域で心不全緩和ケアの必要性が高まっていることが明らかになった。また、「必要と思う」と回答した施設が、どのような症状に緩和ケアが必要と考えているのかをみたところ、呼吸困難が91.5%、不安が70.6%、抑うつが61.1%と多かった(複数回答)。倦怠感も56.5%と多く、食思不振49.1%、不眠48.2%、疼痛34.5%、浮腫29.2%、悪心23.1%などと続いた。

 心不全の緩和ケアでは、日本心不全学会のステートメントでも多職種による対応を求めている。アンケート調査ではこの点を踏まえて、循環器関連の多職種チームの有無を明らかにしている。それによると、存在する多職種チームは、栄養サポートチーム(NST)が434施設と最も多く、緩和ケアチームが343施設、心臓リハビリテーションチームが276施設と続いた(複数回答)。一方、心不全チームがあるのは129施設だった。

 心不全患者に対する緩和ケアを目的とするカンファレンスは、227施設が実施していた。心不全緩和ケアのカンファレンスの構成メンバーは、看護師(215施設)、循環器医(203施設)、薬剤師(129施設)、理学療法士(127施設)、栄養士(104施設)、ソーシャルワーカー(89施設)などだった(複数回答)。

 また、心不全緩和ケアのカンファレンスを実施している施設は、緩和ケアをして良かった点として、身体的症状緩和(151施設)、精神的症状緩和(149施設)、家族の意思尊重(133施設)、患者意思尊重(120施設)などを挙げていた(218施設、複数回答)。少数ではあるが、10施設は生命予後改善を挙げていた。

 佐藤氏らは今回の調査結果を基に、心不全緩和ケアに関与する因子分析も進めている。身体的症状緩和、精神的症状緩和、尊厳を持った最期、患者の希望した場所など、それぞれにおいてどのような職種が必要とされているのかも明らかにする予定だ。

日経メディカル Online 2017年10月16日

日本の病院ではなぜ「老衰死」ができないのか?

浅川澄一:福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)

長寿は喜びだけなのか?

 「安楽死で死なせてください」。書名に驚かされる本が話題を呼んでいる(『安楽死で死なせてください』文藝春秋刊)。書いたのはテレビ脚本家の橋田壽賀子さん。「死に方とその時期くらい自分で選びたい」というのが執筆の動機だという。

 決意を実現するには、外国人の安楽死を唯一認めている国、スイスに行かねばならないと語っている。

 橋田さんは、点滴や胃瘻、人工呼吸器などの延命治療は「お断りです」と宣言。医療について、「今の医療は『生かすこと』しか考えていない。『幸せに死なせる』とか『上手に死なせる』ことも医療の役目ではないでしょうか」と疑問を投げかけた。

 早速、NHKの「クローズアップ現代」が橋田さんへのインタビューを交え、死に方についての番組を放映した。

 橋田さんの本を「よくぞ、はっきり言ってくださった!」とうれしくなったと書くのは松原惇子さん。1人暮らしの老後を応援する団体「NPO法人スリーエス(SSS)ネットワーク」の主宰者で、この8月に書き上げた長命高齢者についての著作、『長生き地獄』(SBクリエイティブ)で賛同している。

 意思表示できない胃瘻の高齢者が入居する有料老人ホームを訪れ、「皆、ただ空を見ている」「ここには魂はない。魂が旅立とうとしているのに栄養により、体だけ生かされ、死ぬのを阻止された人たちがいるだけだ」と、怖さで足が止まりながらも冷静に「生き地獄」ぶりを伝える。

 101歳の女性が脳梗塞で倒れ、病院の医師から「鼻からチューブにしましょう」と告げられた知人の話を紹介し、「延命治療は要らないのに」と綴る。

 100歳を超える高齢者が6万人以上となった日本。松原さんは、長生きは本当に寿ぐことなのか、「長寿」は喜びだけなのかということに首を傾げながら、旺盛な取材の成果をまとめた。

 終末期のあり方を多くの人が語るようになってきた。日常会話の中で、死を巡る話がタブーでなくなりつつある。いいことだ。

「終末期医療は、人間の最期を惨めなものにする」

 日本人の死に場所は圧倒的に病院である。2005年には82%の人が病院で死んでいた。最新データの2016年には75.8%とやや比率は下がったもののまだ4人のうち3人は病院で亡くなっている。欧米豪の諸国では病院死がほぼ50%前後と低く、日本が突出して高い。

 病院で亡くなるのはどういうことか。病因は治療をする施設である。病名を授かって投薬や手術などさまざまな手立てで治療が行われる。

 平均寿命をはるかに超えていても治療第一である。その終末期の様子をつい先日105歳で亡くなった日野原重明・聖路加国際病院の名誉院長が著書で語っている。

「重篤な患者には気管に管を入れる、点滴注射を行う。尿道に管を入れる、苦しいと言えば麻酔薬を打つ、そして患者が昏々と眠ってしまうが、栄養剤はタップリ注射する、ということの連続行為を行い、考える人間でない人間を作ってきたのです。私たちの医療は人間を人間でない者にして、人生最悪の不幸のうちに終末にいたらしめていたといえましょう」

 1991年の著作、『医療をめざす、若き友へ──医と医療のいしずえ』(同文書院)の中で記している。医者の卵たちへのメッセージとして記した。描かれたのは30年ほど前の医療現場である。今も変わっていない。さらに、

「たいていの人の人生は、その最後の3ヵ月、1ヵ月、1週間は、その人の最悪の状態で最も不幸な中で残り少ない日を送っているのです」

「私たちのやっていた終末医療は、人間の最期をなんと惨めなものにしていたのだろう」と、悔悟しながら続く。

 日野原さんは、その後、欧米のホスピスを視察し考え方を変えた。安らかな死に方を採り入れるようになる。

 日本の終末期医療の現場に疑問を抱いたのは日野原さんだけではない。穏やかな自然死で亡くなることができると分かれば、延命治療に勤しむ病院のあり方に異論を唱えるのは当然だろう。

 東京都世田谷区立芦花ホームという特別養護老人ホームの常勤医、石飛幸三医師もその一人である。

「医療は人間をモノ扱いし、命が長いほど意味があるとした」「人間も自然の一部、自然の摂理に従えばいい」「老衰と延命治療の衝突が起きている」──。

 その著書『平穏死のすすめ』(講談社)で説いている。かつて大病院で手術に明け暮れていたことの反省を踏まえ「延命至上主義は自然死を知らない医療者の押し付け」と断じる。

病院では死亡原因を「探り出す」

 やはり、特養の入居者の看取りを続けている中村仁一医師も明言する。

「枯れる死を妨害するのが点滴、酸素吸入の延命治療」「老いを病にすり替えてはならない」「自力で飲み食いできなくなれば寿命です」──。

 京都市の特養、同和園での体験から著した『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎)で書いている。同書は2012年のベストセラーとなった。

 では、病院の医師は本当に「自然死」を知らないのだろうか、という疑問が湧いてくる。その答えがそれぞれの医師の著書には記されている。

 日野原さんは、やはり同じ著書で「(医療者は)ありとあらゆる処置をし、それに対して何も不思議に思わなったのです。人間は当然そうやって死んでいくのだ、と思っていたのです」とはっきり書いている。

 同じ疑問を石飛幸三医師に尋ねると「病院にいた時は、自然死なんて考えもしなかった」と話す。前述の著書でも「特養に来るまでは、人間は苦しんで死ぬと思っていた」と正直に吐露している。

 中村仁一医師も同じ著書で「大病院の医者は人間が自然に死ぬ姿を見ない、知らないのです」と断言する。

 かなり驚かされる。病院では、それほど自然死と無縁なのか。延命治療後の死か、自然死かを見極められる手立ては、おそらく死亡診断書であろう。延命治療を施せば、その対象となる病名が死因として記される。だが延命治療をしないで自然死を選べば、「老衰」と記されることが多い。

 厚労省が死亡診断書からまとめた死亡統計を公表している。2016年の年間死亡者130万人の約9割近くは65歳以上の高齢者である。

 死因を見ると、最も多い第1位はガン(28.5%)、次いで心疾患(15.1%)、肺炎(9.1%)、脳血管疾患(8.3%)と続き、5番目に老衰(7.1%)となっている。老衰は自然死だから病名が付かない。病名が付いた死因が圧倒的に多い。
病院では死亡原因を「探り出す」

 自然な死、即ち老衰という死亡原因がもっと多くてもいいのではないだろうか。

 そんな疑念を晴らそうと、複数の医師に聞いてみた。かつて大病院に所属し、今は診療所で訪問診療を積極的に手掛けている医師たちである。診療を続けていた高齢者が自宅や施設で自然死すると、「老衰」と死亡診断書に書いている。

「病院にいた時は、死亡診断書に老衰と記入したことは全くない。周りの医師も同じで必ず病名を書いていた」

「死亡原因は病名を書くべき、という固定観念が病院の医師にはあります。それに、老衰は病名ではなく、人間の自然の経過を示す用語であると思われています。もちろんそんな法的根拠はないのですが」

「救急車で運ばれてきた患者には、その時初めて診察するので病の経過は全く分かりません。だから老衰と考える余地がなかった」

「病院は治療の場なので病名を書くのが当然な雰囲気だった。ほかのことは思いつかなかった」

 と、異口同音に話す。

QOD(死の質)の重要性

 そうか、それなら筋道が通っている。なぜなら、日本人の死亡場所の75%は病院。そこでは「老衰」を死亡原因と書かないのだから、当然、死亡原因としての老衰はわずか7.1%に止まっているのだろう。

 では、もし、ほぼ老衰とみられる症状の人が病院と自宅と違うところで亡くなったとすると、死亡診断書の死亡原因はどうなるのだろうか。

 「病院では何としても病名を探り出して記される。自宅や施設で診ている在宅医療では老衰と書かれるでしょう」と答える医師が多かった。何ということだ。同じ症状で亡くなっても、死亡場所の違いで死因が変わってしまう。

 死亡統計の内容には限界がある、ということになりそうだ。病院のカルチャーがこの先大変わりすることはなさそう。在宅医療が浸透すれば、自然に老衰死の比重が高まっていくということだろう。

 病院と在宅医療のカルチャー(文化)は大きく異なるとよく言われる。「在宅医療は病院の延長ではない。生きることを全うしたい人の手助けをするのが在宅医療」と訪問診療に熱心な医師たちからよく聞かされる。

 看取りを最初から視野に入れて診察に当たり、日々の暮らしに伴走する。これに対して病院医療は、特定の臓器だけに拘り、その治療しか考えない。年齢を視野に入れて、人生の歩みを共にするかどうかでカルチャーが分かれてしまう。

 「2年、3年と長く診療に携わっているからこそ老衰の過程を共有できる」と話す在宅医もいる。確かに、共有する年月は重要だろう。一方で、「終末期に入った2、3週間でも、診療の結果として老衰と書くこともある」という在宅医もいる。

 いずれにしろ、人間の最終章としての死を正視できるかにかかっているようだ。そういえば、現在、国が掲げる高齢者ケアの基本政策「地域包括ケア」には「死」が全く想定されていない。

 「地域包括ケア」の法制化の根拠となった3年前の「社会保障制度改革国民会議」(会長・慶応大学清家篤教授)の報告書では、QOL(生活の質)と並べてQOD(死の質)の重要性を提言していた。だが、残念ながら厚労省の政策には反映されていない。病院の医療者にも、この提言は届いていないのだろう。実態は変わっていない。

 QOLのような外来語を持ち出さなくても、実は日本には、とてもいい死を表現する言葉がある。「大往生」だ。

 「地域包括ケア」を一目で表わし、厚労省の労苦の結晶でもあるのが「植木鉢の図」である。

 その図の中に是非とも「大往生」を加えてほしいものだ。それも、本人の選択によって導かれた人生の最期、植木鉢が育てた「花」として描かれることを期待したい。

(福祉ジャーナリスト 浅川澄一)

DIAMOND online 2017年10月25日

延命医療決定法 施行へー韓国
 延命治療を実施するかどうかを自分で決められる「延命医療決定法」が10月23日から韓国で試験的に施行されています。

 初日の23日、ソウル大学病院、健康保険公団病院など、全国の10の医療機関を訪れた人たちが、延命医療決定法について説明を聞いたり、延命治療拒否意向書を作成するなどしました。

 延命医療決定法は来年1月15日までの試験期間を経て、2月に本格的に施行されます。

 延命治療は、回復の見込みがない死期の迫った患者への生命維持のための医療行為を指します。

 延命医療決定法は、人工呼吸器の装着、心臓マッサージや昇圧剤投与による心肺機能の維持、血液透析、抗がん剤の投与、の四つの医療行為を延命治療と規定しています。

 患者が事前に延命治療拒否意向書を作成した場合、また、意識があるうちに延命治療の実施を拒否する意向を示した場合、担当医師と該当分野の専門医1人が、回復の見込みがなく、死期が迫っていると判断すれば、延命治療を中止することができます。

 患者が意識がない場合は、家族全員が延命治療の実施を拒否すれば、延命治療を中止することができます。

 健康な人でも満19歳以上の成人男女は事前に延命治療拒否意向書を作成しておくことができます。

 延命医療決定法は、患者自身が延命治療の実施を拒否できるようにしていて、「尊厳死法」とも呼ばれています。

 保健福祉部が延命医療決定法の本格的な施行を控えて試験的に施行することにしたのは、延命医療決定法をより広く知らせることが目的です。

 韓国では2009年に最高裁の大法院で韓国で初めて尊厳死を認める判決が出されました。

 尊厳死が認められたのは、2008年2月にソウル市内の病院に入院し、3日後に意識不明になった70代の女性で、病院が人工呼吸器をつけたものの、安楽死が本人の意思だったとして家族が裁判を起こした結果、2009年5月に最高裁の大法院で韓国で初めて尊厳死を認める判決が出されました。

 病院側は判決から1か月後に人工呼吸器を外しましたが、この女性は自力で生存して、201日目の2010年1月に死亡、国民的な関心を集めました。

 それ以後、尊厳死に対する関心は高まっていますが、延命医療決定法について知っている人はさほど多くないのが現状です。

 保健福祉部が行った調査では 延命医療決定法について知っているのは、医療関係者の33.6%、患者の家族の37.2%だけで、全体では15.5%に過ぎませんでした。

 現行の医療は、患者を少しでも生かし続けることに目標が定められています。

 医療技術の進歩に伴って、生命維持装置の開発などが進み、意思疎通すらできない状態の患者も生命だけは維持することが可能になっていますが、一方では、そんな状態でも生き続けることの意味を問い直す議論も起こっています。

 延命医療決定法によって、患者は終末期に希望する治療について事前に意向を示すことができます。

 延命治療の拒否は、尊厳をもって自然な死を迎えるための患者の権利だとする意見がある一方で、人の生き方や死は法律によっても拘束されるべきではなく、延命治療中止は人命を軽視することにつながるとして、反対する意見も根強くあります。

 また、「終末期」の明確な定義はなく、「どこまでが救命で、どこからが延命か」を線引きするのは無理があるとの指摘もあります。

KBS World Radio 2017年10月29日

「最悪」すい臓がんに画期的な治療法発見!
抗がん効果が1000倍アップ、圧倒的に安い
 筑波大学と産業技術総合研究所のチームは、がんの中でも最も治りにくい悪質なすい臓がんの画期的な治療法の開発につながる発見をしたと2017年9月26日に発表した。

 年間数百〜数千万円もかかる現在の治療法に比べ、約1000倍も強い抗がん効果があり、しかも非常に安価だという。研究成果は米がん学会誌「Molecular Cancer Therapeutics」(電子版)の2017年10月号に発表した。

レクチン・薬剤融合体の仕組み(筑波大学などの発表資料より)

従来の治療薬は年に数百万〜数千万円もする

 すい臓がんは、末期になってから症状が現れるケースが大半だ。「早期発見しにくい」「転移しやすい」「治療が難しい」「生存率が低い」と悪条件が4つもそろい、「最悪のがん」と呼ばれる。国立がん研究センターが2017年2月に発表した統計によると、すべてのがんの「5年生存率」の平均が62.1%なのに、すい臓がんは7.7%と主ながんの中で最も低い。「10年生存率」は4.9%まで下がる。最近では、米アップル創業者のスティーブ・ジョブズさん(享年56)、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さん(同60)、元横綱千代の富士さん(同61)らが命を落とした。

 筑波大学などの発表資料によると、現在の治療法の多くはがん細胞に現れる特有のタンパク質を標的にしたものだ。そのタンパク質を治療薬の「運び屋」にして、がん細胞の株まで届けさせるのだ。しかし、「運び屋」になるタンパク質は発見しつくされた感があるうえ、一定の治療効果が期待できる抗体医療は、1人のがん患者あたり年に数百万から数千万円もかかる非常に高価な薬剤が使われる。治療を受けられる患者が限られるうえ、国の医療費負担が急上昇する問題が起きている。

 そこで、研究チームは発想を変え、がん治療の標的を、種類が出尽くしたタンパク質ではなく、がん細胞に特有に現れる糖類に探すことにした。すると、ある種類の糖鎖(糖が鎖上に連なったもの)ががん細胞の表面に強く現れることを発見した。そして、「レクチン」というタンパク質がそれに結合することを確認した。マウスの実験で、すい臓がんを発症したがん細胞に、このレクチン・糖鎖結合体を「運び屋」にして治療薬を投与すると、非常に多くの治療薬をがん細胞の株まで送り届けることがわかった。その抗がん効果は、従来のタンパク質を「運び屋」にした治療薬より約1000倍も強力だったという。
がん以外に病気にも有効な夢の治療薬か?

 研究チームは発表資料の中で、こうコメントしている。

「これまでのタンパク質を使った抗体医薬は動物細胞でしか作れないため、数千万円もする非常にコストが高いものでした。しかし、レクチンは微生物から作ることができるため、圧倒的に安価であるというメリットがあります。しかも非常に高い抗がん効果があります。レクチンを使うのは挑戦的な試みですが、できるだけ早く人間の患者さんで臨床試験を始めるつもりです。レクチンは、がんだけでなく様々な病気にも有効なツールだと考えています」

J-CASTニュース 2017年10月6日

IT活用の自宅葬儀、新潟に拡大 カヤック
 スマートフォン向けゲームなどIT(情報技術)事業を手掛けるカヤック(神奈川県鎌倉市)は、葬儀場を使わない「自宅葬」事業を新潟県でも始める。同県内の葬儀事業者と業務提携した。2016年に県内で始めた自宅葬とITを連携させ、事業の拡大をはかる。

 新潟市内に拠点「新潟自宅葬儀社」を設立した。自宅葬は葬儀をする家の規模や故人の趣味・嗜好品などに合わせたオーダーメードに近いプランを提供するもの。チャット形式で気軽に葬儀を相談できるシステムなど、カヤックが16年に設立した子会社「鎌倉自宅葬儀社」のサービスやノウハウを活用する。

 事業のカギを握るのは在宅介護との連携だ。新潟県は15年、地域医療サービスの拠点として「在宅医療推進センター」を新設するなど、在宅医療に力を入れている。終末期を在宅で過ごす人の広がりに照準を合わせ、同県内で自宅葬の実施事例を拡大できるかが課題になる。

 カヤックは持ち家の多い鎌倉市など湘南地域で事業をスタートさせた。今回の事業拡大は「自宅葬が地方で受け入れられるかの試金石になる」(鎌倉自宅葬儀社)との位置づけだ。

日本経済新聞 2017年12月9日

「母が大嫌い」という激しい感情が、溢れでてきてつらい【心屋仁之助 塾】

はしぐちのりこ ライター


 メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「母を大嫌いという感情が、溢れでてきてつらい」という、パラさん(48歳・主婦)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。

■パラさんのお悩み

 昨年、82歳の母が癌で逝去いたしました。死んでもなお、耐え難いほどの憎しみというか、「大嫌い」という感情が頭をもたげてきます。

 母は終末期の在宅緩和医療と入院の繰り返しで大変だったと思います。最後に母を大好きになりたかったし、私のことを「大嫌い!! 憎たらしい!!」と言っていた母に、感謝してもらいたかったし、ありがとうと言って欲しかったから、心からお世話しました。

 しかしその一方で「死んでしまえば良いのに!」と悪魔のような思いがこみ上げてきては、弱った母を見放してやりたい、今までの報いを受けているんだ、助けてあげるもんか、などと考えてしまい幾度となく言葉で激しく罵ってしまいました。

 そんな自分が恐ろしくて悲しくて死んでしまいたくなって、でもこみ上げる感情は抑えられず…。実の娘である私のことを「憎たらしくて大嫌い!」といい、人様に私の悪口を言いふらし、私をないがしろにしてきた母を、“死んでも許せない”という思いと、それなのに母を思い出しては涙に明け暮れ、会いたくて仕方なくて…。私はうつ病になってしまいました。

 自分で自分を癒してあげようと、「寂しかったね」「ちゃんと話を聞いて欲しかったね…」「お母さん、私寂しいよ」など、小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげても、まるで白けてしまいます。もうこの闇から抜け出したいです。アドバイスをお願いします。

※一部、質問内容を編集しています。

■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより

 パラさん、はじめまして。はしぐちのりこと申します。ご相談ありがとうございます。

 心からお母さまのお世話をされ、昨年見送られたとのこと。人が旅立っていく、しかも肉親であればなおさら、一緒に生きてきた時間が長いですから、わかってほしい思い、わかりたい思い、がふつふつと湧き出て当然かと思います。

 だって目の前の人とはもう会話ができなくなり、気持ちをわかりあうことが、できないのですから。気持ちが大きく揺れ動きながらも最後まで見送られたパラさんご自身にも、お母さまご自身の人生にも、まずは「お疲れさまでした」の言葉を、心から申し上げたいと思います。

 文章には「お母さまのことを思い出しては、涙に明け暮れて会いたくなる」、そして一方で「自分のことをないがしろにしてきたお母さんが許せない」とあります。

 パラさんの中で、「お母さん大好き」と「お母さん大嫌い」の気持ちが両方混在していて、そしてその両方ともが大きくなり、苦しくなっておられる様子が伝わってきました。

 そして、「小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげても、まるで白けてしまう」とのこと。これはなぜでしょう? パラさんのほしいものは、それではないのかもしれません。また、もしかしたら、「もうお母さんは現実世界にいないのだから、こんなことをやっても意味がない」と思っておられるのかもしれませんね。…

 たとえそうだとしても、パラさんにやっていただきたいことがあります。ご自身の中にある気持ちをちゃんと認めて、言葉にして身体の外に出してほしいのです。

 「今までの報いを受けているんだ、死んでも許せない」などと考えてしまう、ご自身を責めないであげてほしいのです。それは嘘偽りのないパラさんの気持ち。たくさんの悪口を言われて、ないがしろにされてきたのですから、そう思って当然です。

 そして、そう思うことは何よりも、パラさんがパラさんご自身を大事な存在と思っている証拠です。「そんなことを考えてはいけない、自分が恐ろしい」と思ってしまうのは、「自分を大事な存在と思うな!」と自分に言っているようなものです。

 まずは「考えてはいけない」と思ってしまうお母さんへの気持ち。それらをお母さんの遺影に向かってぶつけてみてください。

「お母さんなんか大っ嫌い!」

「私の気持ちも知らないで!」

「バカにするな!!!」

「悪口ばっかり言いふらして! 憎たらしいのはそっちのほうよ!!」

 できれば大きな声で。どんな汚い言葉でも大丈夫。むしろ猛烈に汚い言葉を使って罵ってください。

 亡くなったのにかわいそうとか思う必要はありません。お母さんはもうすべてをわかってくれています。むしろあちらにいるお母さんの力を借りましょう。

 叫んで、泣いて、罵って。しっかりぶつけて、パラさんの怒りの気持ちを、しっかり身体の外に出してくださいね。

 さぁ、やってみてどうだったでしょうか。何かしら次の気持ちが出てきたのではないでしょうか。もし次から次に怒りが湧いてきてしんどいのなら、少し時間をおいて、また何度でも試してみてください。

 やってみるとおわかりいただけると思いますが、その気持ちを持ち続けている自分から、少し解放されていきませんか? 気持ちを言葉にするのは相手に通じさせるためだけではないのです。自分のためなのです。そしてこれをやっていると、「あぁ、もういいかな」と思える“なんとなくの底”が見えます。

 その次は目を閉じて、この言葉を声にしてみてください。

「私よくがんばってきたなあー。本当によくがんばってきた」

「お母さん、大好きだよ」

「お母さん大好き。でも大嫌い。それでいいかー」

 どんな感じがするでしょうか。

 ある人に対して、「好き」と思う気持ちと、「嫌い」と思う気持ちは、本来両方あっていいのです。それが普通です。パラさんの中にも両方の気持ちがあっていい。ただ、それをダメだと思って片方を押さえ込んでしまうがために苦しくなっています。

 ぜひ、どんな気持ちも、自分の気持ちとして受け入れてあげてください。そして言葉にして外に出す(表現してみる)ということを、自分のためにしてあげてください。

 パラさんの中に気持ちを溜めるのではなく、認めながら、解放しながら、生活してみると、気がついたときにはもうそこには縛られておらず、自由な感じに包まれていると思いますよ。

 ご相談ありがとうございました。

はしぐちのりこ

ライター
心屋塾上級認定講師・心理カウンセラー

 京都府在住、愛媛県出身。三人兄弟(母親違いの兄二人)の末っ子長女。大学院在学中に鬱を経験し、その後理学博士を取得して憧れの研究者の道に進むが、常につきまとう人間としての自信のなさと「いつかまた鬱になるのではないか」という不安を払拭したくて、心屋仁之助氏が主宰する心屋塾の門を叩く。

 「現実(問題)は全て自分が創り出している」「問題は自分を知るためのヒント」など、心屋流の考え方を学んでいくうちに、「自分も幸せになっていい」と自分に許可が出せるように。自分で自分を認めていくことで、がんばる人生ではなく、楽しく幸せな毎日を選べるようになり、人生を自分で歩いている感覚が戻る。

 自分の人生を楽しめる人をひとりでも多く増やしたいと、2013年より心理カウンセラーに転身。同年心屋塾の認定講師に。温和で親しみやすいキャラクターながら、生き辛さの根っこを捉え、「こころの仕組み」を伝える論理的なカウンセリングを得意とする。既婚、お笑い好き、ひとり息子との死別経験あり。

ウーマンエキサイト 2017年11月2日

がん診療に携わる医師の緩和ケア知識・困難感を調査
7年で知識スコア14%増、困難感スコア6%減
緩和ケア研修会の効果も明らかに
 国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター(センター長:若尾文彦)を中心とする厚生労働科学研究費補助金「がん対策における緩和ケアの評価に関する研究」研究班(研究代表者:加藤雅志)は、政府が2007年に策定したがん対策推進基本計画の中で掲げられた「すべてのがん診療に携わる医師が研修等により、緩和ケアについての基本的な知識を習得する」という目標に基づいて、全国434(2017年4月時点)のがん診療連携拠点病院等で医師を対象に実施されてきた緩和ケア研修会の効果を調査し、明らかにしました。本研究結果は米国学術雑誌「Cancer」での掲載に先駆けオンライン版で公開されました。

研究のポイント

 2008年と2015年に、わが国の医師を対象に2つの全国調査を行い、医師の緩和ケアの理念や疼痛管理に関する知識と、症状緩和や専門家の支援などで感じる困難感の変化を検証した。

 研究の結果、7年間で医師全体の知識スコアは14%増加、困難感スコアは6%減少した。

 2015年の調査対象者のうち、国が推進し、既に10万人以上の医師が終了している緩和ケア研修会を修了した医師と未修了の医師について、緩和ケアに関する知識と困難感の違いを検証した結果、未修了医師に比べ、修了医師では知識スコアが平均16%高い一方、困難感スコアは平均10%低く、緩和ケア研修会の効果が明らかになった。

 緩和ケア研修会は、厚生労働省が開催指針を定め、全国のがん診療連携拠点病院等が、日本緩和医療学会が作成した研修プログラム(「症状の評価とマネジメントを中心とした緩和ケアのための医師の継続教育プログラム(PEACE プロジェクト)」)を参考として開催しているものであり、2008年の開始からこれまでに10万人以上の医師(2017年7月末時点)が修了しています。

 本研究班は、2008年と2015年に、わが国の医師を対象に実施した2つの全国調査(2008年は48,487人、2015年は2,720人が対象)から、医師の緩和ケアの理念や疼痛管理に関する知識と、症状緩和や専門家の支援などで感じる困難感の変化を検証しました。その結果、7年間で医師全体の知識スコア(注1)の平均値は14%増加(68から78)、困難感スコア(注2)の平均値は6%減少(2.65から2.49)しており、それぞれ統計学的有意に改善していることが明らかになりました(図1)。

 さらに、2015年の調査対象者のうち、緩和ケア研修会を未修了の医師と修了した医師について、背景要因(性別・臨床経験年数・専門領域・地域・勤務病院種別・看取り経験・医療用麻薬処方経験)が似ている医師同士(未修了医師619人と修了医師619人)の間で、緩和ケアに関する知識と困難感の違いを検証した結果、知識スコアの平均値は16%差(74対86)、困難感スコアの平均値は10%差(2.59対2.33)と統計学的有意に違いがあることが分かりました(図2)。一方で、医師の背景別に変化をみると、拠点病院に所属する医師と比べて、拠点病院以外の病院や診療所に所属する医師の困難感スコアの変化が小さいことが分かりました。

 本研究結果から、2007年度に始まったがん対策推進基本計画に基づき推進されてきた緩和ケアの施策により、緩和ケアを提供するがん診療に携わる医師に効果が生じていることが確認されました。今後は、緩和ケアの実際の提供状況、緩和ケアを受ける患者や家族の療養状況への効果を明らかにしていくことが期待されます。

注1 知識スコアが高いほど緩和ケアに関する知識が高いことを示します(範囲:0から100)。

注2 困難感スコアはスコアが低いほど、緩和ケアに対する困難が低いことを示します(範囲:1から4)。

図1.調査対象者全体における「緩和ケアの理念や疼痛管理に関する知識」と「症状緩和や専門家の支援などで感じる困難感」スコアの変化(2008年および2015年)



図2.緩和ケア研修会修了者と未修了者の「緩和ケアの理念や疼痛管理に関する知識」と「症状緩和や専門家の支援などで感じる困難感」スコアの違い(2015年)



調査概要

調査実施時期
1回目:2008年1から3月,2回目:2015年1から3月

調査方法
匿名自記式質問紙調査

調査対象と回答数
調査対象と回答者数は図に示す。

回答者のうち、がん診療に携わる医師(緩和ケア研修会の受講対象者)のみで解析した。

調査項目
背景情報、緩和ケア研修会の受講有無
緩和ケアに関する知識(緩和ケアの理念,疼痛管理について)
緩和ケアを提供する際の困難感(症状緩和、患者や家族とのコミュニケーション、専門家の支援について)
解析対象者の背景
解析対象者の背景

発表論文

雑誌名:Cancer
タイトル:Improved knowledge of and difficulties in palliative care among physicians during 2008 and 2015 in Japan: Association with a nationwide palliative care education program
著者:Yoko Nakazawa, Ryo Yamamoto, Masashi Kato, Mitsunori Miyashita, Yoshiyuki Kizawa, Tatsuya Morita

国立がん研究センター 2017年11月2日

日経メディカル 書籍紹介 苦い経験から学ぶ!
緩和医療ピットフォールファイル
 緩和ケアにおける失敗事例集。病態の見逃しや薬剤関連の落とし穴、痛みマネジメントにまつわる失敗など医療関連の「苦い経験」に加え、患者・家族と医療従事者間でのコミュニケーションに関連する失敗例など、55例を紹介する。

 「なぜこんなことに?」なったかの説明と「今ならこうする!」という反省を書いており、緩和ケアに携わる医療者の共感と学びにつながる内容だ。

森田達也、濱口恵子編 3500円+税 南江堂
ISBN978-4524259793 B5判 227ページ



日経メディカル Online 2017年11月16日

歳をとったら、がんより「フレイル」の方が怖い!?
フレイルとは、筋力の低下と、それに伴って心身の活力が低下した状態です
「『低栄養』+エアロバイク...歩けなくなり、要介護状態に」という記事をネットで読みました。「健康には粗食が一番!」と思っている人は少なくないと思いますが、それは若い頃の話。食べ過ぎは良くありませんが、高齢者では「食べなさ過ぎ」の方が怖いかもしれません。

 運動不足は万病の元、と健康を気遣って積極的に運動しても、その活動量を支える栄養が足りなければ逆効果です。特に筋肉の材料となるタンパク質が不足した状態で筋トレばかりしていると、どんどん筋肉が落ち、からだを支えられずに転倒、骨折して入院と、あっという間に寝たきり生活となってしまいます。そうなると認知症も急激に進んで、後戻りできない状態に。

 戦後、食生活が欧米化し、バブル期には贅を極め、そして気づけば"成人病"が社会問題となっていました。今の高齢者は戦中〜戦争直後の食べ物がなかった日本を知っていて、「当時は大変だった」と振り返る一方で、時が経つにつれて美化して「昔は粗食で健康的だった」と思うようになっていったのかもしれません。あるいは大変だった当時を思い出して、「それに比べたら、これだけ食べていれば十分」と、傍目には少なすぎる栄養量で良しと判断してしまう可能性もあります。

 そうしてタンパク質が不足した結果、「サルコペニア」を発症します。サルコペニアとは、筋肉量が減少し、筋力か身体活動量が低下した状態です。

 なぜ筋肉が減少すると良くないのでしょうか。それは、筋肉が、タンパク質(アミノ酸)の"貯蔵庫" だからです。タンパク質を構成するアミノ酸は、体の至る所で神経伝達物質やビタミン、その他生理活性物質の材料として使われます。食べ物による補給が足りなければ筋肉からの分解が進みます。筋肉が減る、ということは、生きるために必要なたくわえが減る、ということ。要するに衰えていっている、ということです。

 これを防ぐには、適切な栄養摂取と、それを前提とした適度な運動が大事です。栄養摂取には、BCAA(分岐鎖アミノ酸)のサプリメントも有効だそうです。また、運動としては、ウォーキングがやはり取り入れやすく、現在の歩数から毎月1割ずつ増やしていくと良いのだとか。

 サルコペニアが進んで行きつく先が、「フレイル」です。フレイルとは、筋力の低下と、それに伴って心身の活力が低下した状態で、寝たきりのまさに一歩手前です。食欲が減退し、食べる量が減って、悪循環を起こし、どんどん進行していくのが怖いところ。

 実際、要介護の原因疾患は第1位「脳卒中」、第2位「認知症」となっていますが、第3〜5位は「高齢による衰弱」「転倒・骨折」「関節疾患」が占めています。これら3つを原因とする場合、サルコペニアやフレイルの"崖っぷち"状態から、一歩転落し始めている状況と言えるでしょう。

 ちなみに、同じく老化現象と言われるものに、がんがあります。しかしがんは、緩和ケアや維持療法の発達で、診断を受けてからも比較的長期間、普通と変わらない生活を送れるようになってきています。がんは元々自らの細胞ですから、新陳代謝が緩やかになり、細胞分裂のスピードが低下している高齢者では、なおさら進行も遅くなります。そういう意味では、サルコペニアやフレイルよりも、自立した生活を維持しやすいとも言えます。

 がんはまだまだ「怖いもの」というイメージがあるかもしれませんが、実はそれ以上に今の日々の生活を脅かすのがサルコペニア、そしてフレイルということ。でも、がんと違って自分で有効な対策ができるわけですから、地道によく食べ、よく動く、を適度に実践したいですね。

ハフィントンポスト 2017年11月20日

橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い
 現在、生き方、死に方を綴って、ともにベストセラーとなっている著者2人が初対談を果たした。『安楽死で死なせて下さい』著者である脚本家の橋田壽賀子さん(92才)と『なんとめでたいご臨終』の著者、医師の小笠原文雄さん(69才)。それぞれの主張の相違点と共通点からは、私たちにこの先どんなことが待ち受けているのか、どんな心持ちで生きていけばいいのか、たくさんのヒントがあった。

 橋田さんが8月に出版した『安楽死で死なせて下さい』をめぐり、賛否両論が巻き起こっている。安楽死とは、患者の同意のもと、意図的に人の生命を絶ったり、短縮したりする行為のこと。主に終末期の患者に対して使われるもので、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」がある。致死薬を投与する前者は日本では認められていない。延命措置を施さず自然に死期を早める後者は「尊厳死」として、終末期のあり方の1つということで昨今認知されている。

 改めて橋田さんにその真意と反響について尋ねると──。

橋田:死ぬなら安楽死がいいというのは、私の個人的な“つぶやき”でした。でも雑誌に載り、本になると公論になり、賛意や共感を示してくれる人、「安楽死は殺人ですよ」と忠告してくれたり、不快感を示したりする人も出てくる。「日本にも安楽死法案を!」という先頭に立つつもりはないので、ちょっと困っているところもあるんです。

小笠原:ぼくも拝読しましたが、医師として、いわゆる安楽死には複雑な思いを持っています。患者さんが望むから、患者さんを苦しみから解放してあげたいからと、薬剤で死に至らしめるのは、殺人行為であるだけではなく、医師として敗北ではないか、と思っているんです。

橋田:私が安楽死を望むのは、90才を過ぎ、足は痛いわ背中は痛いわ、もう体の衰えがひどいからです。夫が28年前に亡くなり、子供もおらず、親戚づきあいもしてこなかったので天涯孤独の身。例えば認知症になったり、半身不随で寝たきりになったりすると、下の世話まで人手を借りなければならない。人に迷惑をかけます。私はその前に死にたい。かつ、痛みの中では死にたくない。それで「安楽死したい」と言ってるんです。

小笠原:それは致死薬の注射を打ってということですか?

橋田:そうですね。麻酔薬か睡眠薬を打ってもらう。そうしたら眠っている間に逝けますでしょう。

小笠原:そういう注射は、緩和ケア病棟などで使われていて、がん末期の患者さんに施す「持続的深い鎮静」に似ています。その名の通り、これを打ったら患者さんはもう目覚めません。打った時点で「心の死」を迎え、数日以内に「肉体の死」を迎えるので、二度死ぬのです。

橋田:打ってから死ぬまで、その間意識はずっとないんでしょう?

小笠原:ありません。

橋田:それです。私はそうしてほしいんです。でもそれは、日本では殺人になってしまうんですよね。

小笠原:「持続的深い鎮静」は、殺す目的ではなく医療行為ですから、末期の患者さんに行うときは、ご家族の同意などがあれば、安楽死とは異なり、殺人にはなりません。でも橋田さんが望まれているタイミングは、重篤な症状に“なる前に”ということですよね。

橋田:そうです。

小笠原:そのタイミングで打つと、医師が殺人に問われます。薬を処方する間接行為でも、自殺幇助になります。

橋田:その注射を打ってくださったら、どんなに感謝することか。お医者様は功徳を施すと思ってくださるといいのに。とにかく私としては、安らかに楽に死にたいんですよ。

小笠原:お気持ちはわかります。ぼくだって、死ぬときは安楽に死にたいですから。でも「安楽死」と「安楽に死にたい」では意味が全然違うんです。「安楽死」を行うことは、医師を殺人者にするだけではなく、本人は自殺行為を行うことなんです。対する「安楽に死ぬこと」は、暖かい空気に包まれて旅立つことができる。在宅ホスピス緩和ケアなら、致死薬を打ってもらわなくても、病状が進行したとしても、安楽に死ぬことはできるんですよ。

『なんとめでたいご臨終』にも書きましたが、がん末期の患者さんでも、認知症の患者さんでも、みなさん笑顔で旅立たれ、「笑顔でピース!」と見送られるご遺族もいます。認知症になったらもう終わり、人に迷惑をかけるという考え方も違っています。認知症の患者さんも笑顔で、毎日を過ごしていらっしゃいますよ。ぼくが往診に行ってもわからないのに、通い慣れたヘルパーさんにはニコッと笑う。認知能力が落ちている面があるだけで、すぐにゼロになるわけじゃありませんから。

橋田:笑うってことは、まだ生きる喜びがあるんでしょうね。でも、私みたいな孤独で誰もいないような人が生きていたらかわいそうでしょう。

小笠原:ぼくはひとり暮らしのかたを57人看取りましたが、そのうちの数人はぼくを頼って岐阜でアパートを借り、「先生、私は自宅で死ねるのね」とすごく嬉しそうでした。

橋田:子供さんも全然いないかたですか?

小笠原:57人の中には、そういうかたも半分ぐらいいらっしゃいました。橋田さんは人に迷惑をかけたくないから安楽死したいとおっしゃいますが、医師も看護師も「人」です。人のいのちを助けたいと思っている医師が、殺人行為である安楽死をさせてほしいなんて言われたら、心が折れます。迷惑の極みです。

橋田:ああ、プライドを傷つけてしまいますか。じゃあ、それこそ「人」に迷惑をかけていますね。

小笠原:そうなんです。さっきの注射「持続的深い鎮静」のことを、ぼくは「抜かずの宝刀」と呼んでいて、最後の手段ではありますが、抜かないことに価値があると思っているんです。抜くくらいなら、痛みを取る名医になるべきだ、と。ぼくも今では、100%とは言いませんが、ほとんどの場合、痛みを取ることができますから。

ニフティニュース 2017年11月22日

第30回日本サイコオンコロジー学会
第23回日本臨床死生学会合同大会開催
 第30回日本サイコオンコロジー学会と第23回日本臨床死生学会の合同大会(会長=埼玉医大・大西秀樹氏)が10月14〜15日,きゅりあん(東京都品川区)にて開催された。本紙では,高齢がん患者と家族の意思決定支援について議論されたシンポジウム「高齢がん患者の治療をめぐって――意向の異なる患者と家族を支援すること」(座長=北里大大学院・岩滿優美氏,神奈川県立がんセンター・横尾実乃里氏)の模様を報告する。

医療者は患者と家族の橋渡しを

大西秀樹会長

 緩和ケア医の松本禎久氏(国立がん研究センター東病院)は,「(高齢がん患者の)本人は抗がん剤治療を希望しないが,家族が希望する」事例を想定し,医療者の支援を検討した。高齢がん患者の問題は,身体的な脆弱性や認知機能低下・認知症をはじめ,抑うつ,社会・経済的背景に至るまで多岐にわたる。患者の理解・認識・論理的思考・選択の表明から意思決定能力を把握し,治療方針を決めていく過程では,家族や主治医にも葛藤が生じる。そこで,緩和ケアサポートチームが患者・家族・主治医それぞれの「語り」を聞き,一緒に考え決定していく支援が重要だという。「個々の高齢がん患者の背景を理解し,正しい医療情報を伝えた上で合意形成のプロセスを積み重ねることを心掛けたい」と強調した。

 木野美和子氏(筑波メディカルセンター)は,意思決定支援についてリエゾン精神看護専門看護師の立場から発表した。急性期病院の一般病床高齢者入院患者の52.3%に認知機能低下の恐れがあるとされる[古田光,他.総病精医.27(2);2015:100-6.]。患者が納得する自己決定を行うには,治療・療養を事前に話し合うアドバンス・ケア・プランニング(ACP)が重要と説明。ある事例では,対症療法施行後に全身状態が安定した際,患者が落ち着く時間帯に心地よいと思える環境で希望を聞いたことで,患者の意向を家族に伝えられた経験を語った。「看護師は,患者の思いを家族へ橋渡しする役割がある」と述べ,「最善の選択だったと保証し支持することが,患者・家族の自己肯定につながる」と語った。

 鳥取県立中央病院がん相談支援センター相談員で臨床心理士の藤松義人氏は,担当医から認知機能評価の依頼を受けた高齢がん患者の事例を紹介した。その経過から,治療に対する患者の理解度について担当医・医療スタッフはもちろん,家族にも情報共有を図ることが大切になると指摘。家族支援は患者に比べサポート資源が少ないため,がん相談支援センターなど利用しやすい場が重要になるという。家族への支援では,「近い将来と遠い将来」の見通しを説明し共有していくことがポイントになるとの見解を示した。

週刊医学界新聞 第3250号 2017年11月27日

「緩和ケア」が病院の質評価の基準の1つに

平田 尚弘=日経メディカル

 日経メディカルでは、12月12日に翻訳書籍『終末期医療のエビデンス』(原題「Care at the close of life:Evidence and Experience」)を発行する。約700ページに及ぶ本書の編集作業を通じて、緩和ケアに対する筆者のイメージが以前とは変わりつつある。昔は治癒不能の癌患者に対してホスピスで提供されるのが緩和ケアで、残り少ない日々を少しでも安らかに過ごせるように苦痛を軽減する治療が中心だと思っていた。それが今では、緩和ケアの基本的な考え方と技術は、プライマリ・ケアでも必要になるもので、臨床研修プログラムの一部として取り入れるべきものだと感じるようになった。

日経メディカル編
A4変
692ページ
価格:19,440円(税込み)
ISBN:978-4-8222-3959-6
発行元:日経BP社
発行日:2017/12/12

 1990年代以降の米国では、ホスピスと緩和ケアプログラムが急増していった。最近では米国の病院全体の約半数が緩和ケアを提供しており、大規模病院と大学病院はほぼ全てが緩和ケア部門を持っているらしい。緩和ケアは、病院の質を評価する際の基準の1つであり、Joint Commissionの評価指標にもなっている。2007年には米国で140万人の患者がホスピスを利用したそうだ。疾患の種類も、ステージが進行した悪性腫瘍に限らず、現在の医療技術をもってしても回復が期待できないあらゆる疾患や病態に広がりつつある。以下に本書の目次の一部を示すが、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、フレイル高齢者、認知症、心不全、腎不全、肝不全、HIV/AIDS、筋萎縮性側索硬化症などの難病にも緩和ケアとホスピスの利用が広がっている。

・本書の目次より

5章 進行癌患者の急性疼痛発作を管理する
6章 肺疾患がかなり進行した患者の呼吸困難管理
7章 終末期患者の難治性悪心・嘔吐の管理
8章 フレイル高齢者に対する緩和ケア
9章 終末期での疲労の緩和的管理
10章 転移癌が進行した患者の脊髄圧迫
11章 終末期の激越とせん妄
12章 アルツハイマー病
13章 透析中止に当たって実際に考慮すること
14章 後期HIV/AIDSに対する治療と緩和の誤った二分法を克服する
15章 心不全患者の緩和ケア
16章 肝移植候補者に緩和ケアを統合する
17章 筋萎縮性側索硬化症患者の緩和ケア
18章 頭頸部癌患者の緩和ケア
19章 進行癌の予後予測における複雑な問題
20章 死期が迫る小児癌患者のケア
21章 小児の突然の外傷死
22章 終末期での化学療法の役割
23章 最後の数日の緩和ケア


 こうなるまでには、米国でも紆余曲折があったそうだ。特に影響が大きかったのが米国の公的な高齢者医療保険であるメディケアのホスピス受給資格を巡る問題だ。メディケアから給付を受けるためには、「通常の経過をたどった場合、患者の余命は6カ月未満と考えられる」ことを担当医が請け負う必要があった。これはそう簡単ではない。癌の終末期で症状が急速に悪化した場合などは、過去のデータや経験からかなり精度の高い予測ができるが、ADLが低下した状態が長く続く慢性疾患ではかなり難しい判断になる。心不全の患者は、心筋梗塞や脳梗塞を合併してすぐに亡くなる例もあれば、薬物療法やデバイスが奏功して数年以上生存できるかもしれない。

緩和ケアを臨床研修プログラムの一部に
 また、メディケアからホスピスの給付を受けるためには、患者が根治的な治療の差し控えに同意している必要があった。これも利用を難しくしている原因だった。癌が進行した患者が感染症にかかった場合はどうするのか? 抗菌薬治療の対象にならないとしたら、ホスピス給付を受けないことを選択するかもしれない。腎不全患者が透析を諦めなければホスピス給付が受けられないとしたら、いつどうやって決断するのか?

 全米ホスピス緩和ケア協会が、癌以外の疾患についてホスピス登録の医学的ガイドラインを公表したのは1996年だった。医療従事者や患者・家族の問題指摘を受けて、実情に合わないプログラムの非合理的な部分を少しずつ改善しながら、今日に至っている。こうした経緯をたどる間になされた研究データを調べて公表したのが、JAMA誌の『Perspectives on Care at the Close of Life』という連載企画だ。この連載に加筆修正して、4000本以上の論文をレビューして生まれたのが本書である。これが終末期の患者を診る機会のある医師に強くお勧めするゆえんだ。

 緩和ケアで対処する具体的な症状には、疼痛、呼吸困難、吐き気と嘔吐、疲労、などがある。患者の苦痛を取り除くには、これらの症状に有効な手段を取る必要がある。しかしこうした症状が表れるのは、何も終末期の患者に限った話ではない。治癒が期待できる疾患でも、ひどい痛みを訴える患者に鎮痛薬を何も処方しないという医師はいないだろう。大半の医師は、痛みの部位や機序を調べ、侵害受容性疼痛なのか神経傷害性疼痛なのかを考慮して、適切な治療を行うのではないだろうか。言ってみれば緩和ケアの基本を日常診療でも実践していることになる。

 緩和ケアでは身体症状だけでなく、精神心理的な苦痛も取り除くように努力する。このためには適切なコミュニケーションスキルを用いて、患者を深く理解しなければならない。研修医がこうしたスキルを磨くことは、将来どの専門分野を選ぶにしても、きっと役立つに違いない。これが冒頭に書いたように、臨床研修プログラムの一部に取り入れたらどうかと考えた理由だ。

 また、本書では腫瘍専門医のほか、様々な臨床医、看護師、ソーシャルワーカー、チャプレンなど他職種による学際的なチームが登場する。そして、実際の症例を担当した時に何を考えたかのインタビューも収録している。医療従事者がどんな事態に直面し、何に困って、どう解決しようと努力したか、その間の心の動きも解説されている。緩和ケアの専門医だけでなく、患者の死を看取る機会がある全ての医療従事者にお勧めしたい。

日経メディカル Online 2017年11月28日

地域完結型の医療と介護の連携を目指す、恵庭コミュニティビレッジピッセとは?

ライター 吉崎祐季

包括的コミュニティーを理想とする、複合医療施設とは

 総務省によると、2017年4月時点で、65歳以上の高齢者人口は3,489万人、そして2025年には、3,677万人に達するという。国民の3割が65歳以上の高齢者になる時代は、すぐそこにきている。核家族が多い現代では、高齢の単身者や夫婦のみの世帯が今後もますます増えていくだろう。自立した暮らしができなくなったとき、高齢者自身、 住み慣れた地域を離れて都市部に住む子ども世帯と同居をするのか、高齢者向け住宅で暮らすのかと、考えるかもしれない。そういった親を持つ子も、親の終の住まいについて向き合わなければならなくなる時がくるだろう。

 住み慣れた地域を離れてしまうと、慣れ親しんだ友人もいなければ、今までとは勝手も違う暮らしに戸惑い、孤独を感じてしまう高齢者も多いと聞く。高齢者にとって最後まで安心して暮らせる場とはいったいどういった環境なのだろうか。

 そんな中、住み慣れた地域やコミュニティーから離れることなく、「最後まで安心して暮らせる場の提供」と「在宅緩和ケアの推進」を目的とする、「恵庭コミュニティビレッジピッセ」が2017年7月に誕生した。北海道は札幌都市圏内の恵庭市に位置し、サービス付き高齢者住宅とクリニック、デイケアの3棟を一つの敷地に集約した複合医療施設である。今後は高齢者が多世代と共生し、社会と関わり合う包括的コミュニティーの場をつくることを目指すという。

 核家族や高齢者のみの世帯が増えた結果、世代間の交流も減り、地域コミュニティーが希薄化してきているようにも感じる。このような取り組みは、これからの地域のあり方としても求められてくるのではないかと思い、訪ねてみた。

 事業主は、もともと恵庭市内で在宅緩和ケアクリニックを運営していた「医療法人社団 緩和ケアクリニック・恵庭」である。

 現在完成している3棟は、所有している土地22,000m2のうち6,000m2を開発したものである。未開発の敷地においては、ショートステイや訪問介護を可能とする小規模多機能施設や戸建賃貸、運動ができる場、畑や果樹園、さらに保育園などをつくり、高齢者だけの場所ではなく、多世代が交わり、互いに支え合って暮らせるような場づくりを進めていく構想だ。
今回は理事長の柴田岳三氏にお話を伺うことができた。

「私たちのような在宅緩和ケアに関わる人は、環境やケアする人たちが変わることなく、地域で完結できるような医療介護の連携を目指します。自宅で訪問診療を受けて、そこで最期をむかえるという方は幸せですが、家にいることができない方も多い。そういった方たちがこの施設に入ることで、病状が変わるたびに違うところへ移動させられる、ということも無くなり、最後まで地域で安心して暮らせるのでは、と考えています。」

 構想の実現のために、まずは今ある3棟の経営を成り立たせ、段階的に計画を進めていく予定だ。
「成り立つかどうかもまだわかりませんが、これが地域における在宅緩和ケアのひとつのモデルになればと切に望んでおります。」

大事なのは暮らし。木のぬくもりが心身のケアにつながる

 現在完成しているサービス付き高齢者住宅とクリニック、デイケアの3棟の建物や内装も理事長の想いが詰まっている。
施工は、4,500棟を越える医療・福祉施設建築に携わる三井ホーム株式会社のグループ会社である三井ホーム北海道株式会社が行った。理事長の「高齢者にとって住み慣れた木造建築物と木のぬくもりは、心身のケアにもつながる」との想いから、全3棟が木造枠組壁工法で建設された。

「何が大事かというと、『暮らし』ですから、居心地のいいところでなくてはなりません。ここに入られる方のために、少しでも病院のような冷たさのない、暖かみのあるところがいいだろうという想いです。」

 柔らかな色調の建具や床材に加え、特注のオリジナルテーブルや椅子が各施設に配置されているというこだわりも伺える。

 話を伺ったのは、まるで自宅の食卓のように椅子とテーブルが何個も配置されたクリニックの待合室であった。部屋の名前には、多目的ホールと書かれていた。

「ここはもっといろんな企みがあって、自宅で療養している患者さんが集まって、音楽や会話を楽しんだり、趣味を楽しんでもいいし、引きこもりを防いで少しでも楽しい時間を過ごせるようなデイホスピスができればと思っています。」

 デイケア棟では、赤や青などのビビットな色を取り入れたり、トイレのインテリアを一室ごとにがらっとテイストを変えるなど、施設内各所にアクセントカラーや色柄が取り入れられ、利用者が楽しく過ごせるよう工夫されている様子が伺えた。

 7月にオープンしたばかりのため、サービス付き高齢者住宅とデイケア棟にはまだ空きがあるという。

 「利用したかたからの評判でこれから広がっていけばと思っています。告知もインターネットやSNS等も使っていきたい。」とのことだった。

 高齢化はますます進行し、さらに多世代間の交流が希薄となっている現代において、高齢者が多世代と共生し、社会と関わる機会を得ることは、高齢者が安心して暮らせるだけではなく、生き甲斐にもつながるのではないだろうか。

 まだ始まったばかりの試みではあるが、高齢者以外の世代との関わりが増えていくことで、世代間の交流が活発になり、やがて小さな街のようになっていくのかもしれない。

 今後、「恵庭コミュニティビレッジピッセ」がどのように発展していくのか、期待したい。

医療社団法人 緩和ケアクリニック・恵庭 http://www.pcce.jp/index.html

LIFULL HOME'S PRESS 2017年11月29日