広葉樹(白)  せんせい稼業 
  おもしろ回想録

熱血高校教師の「いのち」を育てる教育放談  

奥田 彰(おくだ あきら) 東京都立高校 元教諭

1931年生
東北大学工学部金属工学科卒
茨城県立小瀬高校・東京都立台東商業高校・都立江北高校・都立九段高校の教諭を歴任
定年後、港区教育センター教育相談員

目 次
頭の固い大人には わかりやすい例に限る
修学旅行
家庭教師の巻
化学実験失敗「おお恥ずかしい」の巻
「いい形式の入学式だったわね」と誉められるの巻
質問の授業の巻
スポーツ偏見考
教育相談の巻1
3Gニュース  
生徒対教師のいたずらの巻 
思い出雑感   

【1】頭の固い大人には わかりやすい例に限る2000年7月8日掲載

@ 公開授業
 1982年、全国の小中高校に先駆けて、江北に52台のパソコンを導入したときの話である。
 一つの学校に一クラス分のパソコンを入れるなんて…。
 初めての試みだし、予算も桁外れの額だったから、全都の学校の先生を対象に、「公開の研究授業をすること」という条件が付いていた。
 いかにも、お役所らしい。「これこれこうしてこうなった」と残すものが欲しいのだろう。見え見えである。当日は、文部省からも来るという。
 都の教育庁も、「こんなことをやっている」と、中央のお役人様に、いろいろと、お見せしたいのだろう。
 立身出世をしたくて、「上をムウゥイテ(向いて)アルコオォウ(歩こう)」の坂本九ちゃんも、恥ずかしくなるような、おったまげた毎日の生活をしている先生群(大勢ではないが)を見ているから、理解?できるが、…。
A 鈴をつけるのは 誰?
 その公開授業を、誰がやるか?
 若い力のある先生が名乗りあげてくれたが、江北マイコン1600委員会の委員長の私が、その役を買って出た。
 「導入は、私が言い出しっぺ。だから…。それに、先が見えている、出世は望んでも?あり得ない私なら、失敗しても…、ケ・セラ・セラ」と、引き受けた。
 マイコン1600委員会とは初めて導入する江北に例外的な莫大な1600万の予算をつけてくれた都に感謝?の意を込めたネーミングです。
B こんなことが わからないのか?
 当日、生徒は一人一台。パソコン(当時はマイコンとも呼んでいた)の前に座って、化学の復習の勉強をした。
 世の中には、変な奴は必ずいるもんです。その数が多いか少ないかの違いはあっても。案の定、当日、しつっこい質問が出てきた。コンピュータの仕組みのような、機械に関する(ハード)ことだった。
 工業高校の電子科の先生らしい。私には、全然、さっぱり、チンプンカンプン。その質問には答えられない。
 「いやあー、まだ不勉強で…」(心の中では「カンベンシテクレヨ」)
 敵は(とうとう敵になっちゃった)、追求の手を緩めない。笑みさえ漂わせて、お調子に乗って、今思えば、一種のイジメかな?ご自分の知識をご披露したかったのか?文部省や教育委員会のお役人、校長・教頭連もいっぱい来ているためか?と思うのは、私のヒガミか?
 研究授業が終わっても、つきまとってきて、うるさく質問を続ける。とうとう、堪忍袋の緒が切れた。
C 反撃に
 「あなたには、お子さんがいらっしゃいますか?」「はい、二人」
 予期もしてない変てこな私の逆質問に、面食らったようである。
 ここからは、彼が今まで出会ったこともない経験に…。「奥さんの、子宮や卵巣の構造。出生の謎めいたメカニズム、ご存じですか?」長年、おくだとつき合っていれば、何を企み、どんな戦法に切り替えたかは、5%ぐらいは分かるであろうが、彼はなにしろ初対面。
 なぜ、子宮なのかと、戸惑っている姿がありありと分かる。攻めの一手あるのみ。
 「子供を作るのに、女体のメカ(ハード)は知らなくても、チョチョンガチョンとやらかせばできるでしょう。同じですよ。今は、パソコンをどう使うか、どのように授業に使うかなんです。パソコンのメカニズムの電子の時間ではないんです。生徒に、馴れさせるんです。目的は」
 この種の人には、わかりやすい、実例を挙げて説明するのに限る。
 生徒に対しては、使ってはならない戦術である。これは、相手を撃退するためにのみ使う、ミサイルみたいなものであるから。
D 使ってはならないが 先手必勝のセリフ
イ 生徒から先生へ
  先生って、案外、学がないですねえ。言われたら負け。
ロ 先生から生徒へ
  勉強が足りない。もっとしろ。
ハ 親(大人)から子どもへ
  長く生きてきた経験から…。でもこれは通用しなくなってきた。
ニ 子どもから親へ
  お父さんが僕の親として過ごした年月と僕がお父さんの子として過ごした年月は同じですよ。(16歳の時父に言ったらビンタが飛んできた)
ホ 責任ある立場の人に
  あなたは資質がない。(通用しない人もいる。森総理はその典型。何言われても平気。だから野党は作戦を変更しなければダメ)
D 導入から18年
 あの頃はいろいろと訪問も受けた。朝鮮・台湾・インドネシア・マレーシア・インド・ブルガリア・ギリシャ・アメリカ・カナダなど。
 国内でも中小企業の団体などからこれからの会社の中でのコンピュータとか、食堂での注文と会計とか教育界以外からも。
 今はコンピュータの無い世界なんて考えられなくなっている。
 それなのに私は以後進歩せずインターネットさえやっていない。
 携帯電話とかとは無関係の花を見て散歩して今年植えたヘチマ・夕顔の成長を楽しみに演劇を観て2週間に1回診察に行ってクラス会や一泊の旅に出たり孫に電話したり・…。



【2】修学旅行

@ 「先生たちは ズルイ」と言われて
 所は、京都・旅館『御殿荘』。職員室用に割り当てられた大広間の入り口。
 時は、三泊四日の中日。夕食準備で、仲居さんたち大忙しの真っ最中。
 食欲旺盛な生徒たちの夕食の膳は、昼間の見学と同じくらいに、期待と話題の関心事。 450名の大部隊であるから、旅館側でも、考えていろいろと工夫している。「豚カツ・エビフライの盛り合わせ」「京風すき焼き」「大阪寿司を中心とした関西もの」が、三回の夕食のメニュ−。三クラスづつ3つのグル−プに分けて、その三種類を交互にロ−テ−ションしていく。
 一晩泊まれば、夕食の情報は、味の善し悪しまで加わって、またたく間に全クラスに伝わって、三日目の一日突っ放しの自由行動日の、各人思い思いの昼食に「何を食らうか」の思考材料になる。
 ある日。職員室前の廊下が騒がしい。出てみると、息荒く、職員室に駆け込んできたY女と、若いH先生とが押し問答をしている。
 「先生たちズルイ」 「そんなこと言ったって・・・」
 ことの次第は、「すき焼き」の材料に絡んでの、不満であった。
 Y女の言い分。 私は、エノキが大好きである。先生の部屋に運ばれていった今夜のすき焼きの中に、エノキがいっぱいあった。私たちの昨日の夕食は、すき焼きだったが、エノキは無かった。(御殿荘は、各部屋ごとで食事をする。その準備は、仲居さんの手で、ワゴンで運ばれるから、見えたのであろう。当時は、エノキが出始めた頃で、珍しくもあり、値も高かった)
 H先生の対応。 教師の経験も浅く、『公平』にということだけが頭にあったのであろう。ただ、Y女にまくし立てられて、オロオロするのみ。
 ある先生に、「奥田殺すに刃物はいらぬ。仕事させねば、野たれ死に」とか、「乱世の緊張が好きな奥田さん、口八丁の屁理屈屋」と呼ばれることに、甘んじている私は、自分自身『出番だ』と思って、Y女の苦情処理を買って出た。
 「ここではなんだから、入りなよ」と、座敷に通してお茶を出し、言い分を聞いた。
 「そうか、君たちの方にはエノキは無かったのか。残念だったなあ。エノキは旨いもんねえ。それだけ、旅館は気を使っているんだよ。値段が違うものねえ。宿泊費が。君たちは3800円。先生は5500円だもの。同じでは、変だものねえ」
 「違うんですか?」 「そうだよ」 「損しちゃうじゃないですか。先生たち」
 「そんなことないよ。お金は都から出ているから、僕たちが払うわけではないから」
 「ズル−イ。只(ただ)で泊まっているんですか。自分たちの分、出さないで」
 「只だけじゃないよ。一日1500円、貰っているんだよ」 「ますますズルイ」
 「そんなことないよ。君のお父さん、何しているの」 「サラリ−マン」
 「じゃあ、出張なんかある?」 「あります」
 「それなら、話は簡単だ。出張のときの汽車賃、自分で払うの?」 「会社から」
 「そうだろう。泊まるホテル代も・・」 「あゝ、そうか。分かります」
 「だろう。だから、旅館だって、5500円の客と3800円じゃ、エノキぐらいの差だって付けるよ。食後のフル−ツだって、こっちはミカンが付いているしね」
 修学旅行も無事終わったある日、M先生曰く、「あのYさんと話していたとき、ハラハラしてましたよ。言いくるめるのに成功したとき、お調子に乗つて、『寝しなの酒も出るんだぞ』なんて、口を滑らかさないかと思って」
 私は、生徒を言いくるめたりしたなんて、今も思っていない。
 本当のことを、わかりやすく説明しただけなんだと思っている。
 
A なかなか寝ない生徒たち
 消灯時間を十時、起床は六時と決めること自体が、しょせん無理な話である。
 学校という所は、現実に合わないことでも、変な理屈が通っていて、なかなか変えるのが難しい。睡眠時間は八時間とか、夏の服装は六月からとか、一日に三時間しかないテストの期間中も八時半の始業時間は変更しないとか・・・。
 二十一時四五分。その日の係りが、それぞれの部屋を、「寝る準備をしろよ」と巡回する。二十二時。督促をかねて、再び廻る。「まだ、騒ぎ声が響いているので」と、文句を言いに出かける先生もいる。なかなか寝ないと言うよりは、静まらない部屋で、分かりきったお説教を、くどくどとする教師もいる。
 私は担当になった日、二十二時を過ぎても立ち上がらなかった。それとはなしに、生徒たちに、今日と明日は、巡回当番は我が輩であるとPRしておいた。生徒たちの中には、「あの先生は、変わり者故、何をしでかすか」と、期待している向きもある。私は私で、「生徒は私に協力してくれて、寝なくても静かにしてくれる」ことを、期待していた気持ちもあった。三十分過ぎた。遠慮しがちに、小声で「見回り、行かなくていいんですか」と、気を使ってくれる若い同僚が言うので、丹前の懐に、ミカンを十個ほど入れて腰を上げた。(生徒から後で聞いた話であるが、「時間を過ぎても来ないのは、あの先生、説教が嫌いだからだよ。だから来ないよ」と噂していたとのこと)
 ひそひそ話は聞こえるが、立派?なものである。ところが、一部屋だけ、うるさい。私の担任のクラスだ。いきなり襖を開けた。あわてて寝た振りをしている。
 「おい、寝た振りしたってダメだ。騒いでいた者、こっちへ来い」 真面目君が二人名乗り出た。私は小声で、「可哀想に、腹すいて寝られなかったんだろう。みんな寝てるから、静かに起こさないように、廊下のソファ−で、このミカンでも食べて休みなさい」 
途端に、「僕も、腹へって、寝られないんです」「俺も・・・」「・・」「・・・」
 続々と、起き出して、名乗り始めるではないか。
 これは、オクダイズムに反する。本気でない腹が立つ。「やっつけてやろう」と、とっさに頭の中が回転し始める。これが楽しい。「教師稼業冥利に尽きる。止められない」
 「バッキャロウ。幼稚園のガキじゃないんだ。大の男が、腹へったぐらいで、ガタガタ言うんじゃねえんだ。寝ろと言ってるんじゃねんだ。朝まで寝なくてもいい。寝ている奴の邪魔すんな。静かにしていろと、言っているんだ。眠るかどうかは、個人の自由だ。そこまで干渉はしない。やっては悪い悪いことと、やっても良い悪いことがあるんだと、いつも言っているだろう。なぜ、腹へると寝らんねえのか? 生物学的に考えろ。 学校へ帰ったら、それをレポ−トに書いて提出だ。これは、ペナルティ−だ。」
 効き目があったのか? 疲れていたのか? 次の晩は静かだったので、罰則は解除した。


【3】家庭教師の巻2000年8月6日掲載


@ 一週間で首になる
  学生の時、下宿の近くの中学生の数学の面倒をみてくれないかと頼まれた。
 中3の一人っ子のボンボンだった。県立高校に入れたいのだが(「入りたい」ではない)という話。
 下宿のおばさんに頼まれたのでは、引き受けざるを得ないと思ってOKした。
 それには、「実力をつけるのは難しいが、テスト対策は、数学が一番簡単」と、私論を持っていたからでもある。
 例えば、連立方程式が範囲なら、必ず、連立方程式が出るのだから、解き方を丸暗記させて訓練すれば、10点や20点は取れるから。 
 と、思っていたら、5日後の豆テストが全然ダメ。
 途端に、無能力教師として、首。
 家庭教師では、しかも、学生のアルバイトでは、不当労働行為にもならない。
 勉強なんて、通り抜けの近道の横町も、特効薬もないのに・・・・。
A 断りきれずに また・・・
 高校の教師をしていたとき、お世話になっている人の親類だからと頼まれた。
 一週間でチョンの経験があるから、断ったのだが、「会うだけ会ってくれ」と、彼にも事情がありそうだった。
 「では、会って、断れられればいいのだ」と、作戦を考えた。
 7月25日、親と本人に会った。夏休みに入ったばかり。
 また、一人っ子、高校一年生。
 高校一年の一学期、中間・期末テスト。数学が学年で下から一番。それも、ダン凸ビリから二番との差がおびただしい。終業式の前に、担任に呼び出されて、転校勧告 されたという。
 私は、用意してきた嫌われるための条件を提示した。
 @週何回、何曜日とは決めずに、次は〇日と、私の都合の付くときだけ来る。A パ−ティ−などがあって、少し、きこしめしているかも知れない。B質問中心にするから、質問がなかったら、直ぐ帰る。C本人は、家庭教師を頼みたいと思っているんですね。嫌なら、いやと言って下さい。親の一存では そのかわり、親の考えでは一方的に、首にしない。
 今、思い出しても、酷いことを言ったもんだと、よくも、図々しく言えたもんだとあきれることを・・・。
 それでも「いいですよ。面倒みてやって下さい」との返事。
 断る理由が無くなった。
 B第一日目  
 「質問は?」 「ありません」
 「では、帰るからね」と言って、立ち上がる。
 そのとき、お茶を持った母親が来た。
 「あら・・」「質問がないって言うから、帰ります」
 「お前、ないの?」「・・・」「ないの?」「ない」・・・
 「じゃあ、5日後、2時頃来ます」 
 二日目も同じだった。私の方が照れてしまう。
 三日目。椅子に座ると同時に、教科書を開いて、「ここと、それからこの問題」と、「待っていました」というように、巻末の練習問題を指さした。
 一瞬、ははぁ−んと思ったが 直接そのことには触れず、「この問題の何処が?」と、聞いてみた。案の定、答えられない。質問が無くて、直ぐ帰ってしまう日の連続で叱られたのだろう。だから、ただ、「これとこれ」と、質問?を準備したのだろう。痛いほど、彼の気持ちが分かる。それを、支えてやらねばならない。さりとてそのまま認めるわけにもいかない。親の手前、一題だけ教えて、彼のしていることを諭して、「今度は、一題だけでもいいから、考えて、こんな風にやったが、ここが分からないと、質問するんだよ」と、彼のメンツも潰さないようにして、雑談して時間を稼いで、その日は終わりにした。
 C半年後
 彼は乗ってきていた。もう、片手間の対応は無理になってきていた。
 一回行くと、ゆうに3時間はかかる。私も、彼に会うのが楽しくなってきていた。
 2年生になった。数学も単位修得。本人、やる気。
 2年からは、化学と物理を習い始めた。私は、本来、理科教師。化学と物理も引き受けた。もう、パ−ティ−の後についでに行くなんて、出来なくなった。
 D2年たった
 3年の夏休み、「理科系に進みたい」と意欲を燃やした。
 2月、中央大学の理工学部に合格。東京理科大にも合格。
 E今、私は
 何が、彼にやる気を起こさせたのか分からない。
 しかし、人間には、考えられないエネルギ−があるのだと、得難い体験をした。
 1年生の時のテストの結果だけで判断してはいけない。これは、教育の鉄則だ。
 だが、どうしたら、そのエネルギ−を引き出せるのか?
 いや、引き出すのではなく、
 芽が出るのを妨害している『蓋』は、何か? 
 芽を摘み取っている要因は、何か?

 いつも考えていて、分からないまま、文を終わる。 


【4】化学実験失敗 「おお 恥ずかしい」の巻
   
 おもしろ回想録ではなく、はずかし回想録と題して書いた方が良さそうである。
@ 実験を取り入れない理科の授業なんて
 『醤油をつけないで食べるマグロの刺身』みたいなものだ。なぜならば、理科(自然科学)は実験しながら進歩してきたのだから。これが、私の授業の基本的な考え方であると断言してきた。
A 生徒は、怖い、危険な実験が好きだ
 危険な実験は、無謀なことをするからであって、危険な事故発生には、発生するだけの必然性があるだけのこと。
 水素の爆発事故は、文部省に報告されているものだけでも、年間35件起こっている(1985年のデ−タ)。
 善人でも、多少問題がある人でも、神を信じる人も信じない人も、空気が混ざっているかどうかを確かめないで、空気が残っているのに、水素発生機の口に、直接に火をつけたら、爆発して、事故が起こるのは、100%である。
B ニトログリセリン
 ノ−ベル氏は、このニトログリセリンを用いて、ダイナマイトを作り、大儲けして、そのお金で、ノ−ベル賞という制度が出来た。
 その、爆発するダイナマイトの火薬のニトログリセリンが、私が何時も持っている狭心症の発作のとき、ベロ(舌)の下に入れる、いわゆるニトロという医薬である。
 もちろん、爆発しない程度の濃度である。発作時に、用いると、血管を広げる作用があるから、命を守ってくれる。
 その、ニトログリセリンの仲間に、ものすごく燃えやすいニトロセルロ−スという物がある。これを、生徒実験で作らせるのである。
 濃硝酸に濃硫酸を混ぜて、冷やしてから、セルロ−ス(植物繊維)を15分ほど浸す。取り出してから、よく水で洗って酸を落とし、乾燥させれば出来上がり。
 それだけではつまらないから、各班ごとに、火を付けて、燃え具合(出来上がり)の、品評会をする。
 セルロ−スは、保健室に行って脱脂綿を貰ってきて使う。
C 馬鹿でもチョンでも、誰だって、出来る
 「馬鹿でもチョンでも」は、差別語なので、今は言わないが、20年前までは、そう言ってから、生徒実験に取りかかった。
 やがて出来上がった。教師の大きな実験台を生徒がぐるりと取り囲む。
 実験台の上に鉄板を置いて、その上に、1班謹製のニトロセルロ−ス(綿火薬ともいう)を乗せ、「1班の出来具合はどうかな。1班は化学部の相沢君がいるから」と茶化し気味にしゃべって、「いよいよ、クラスの初公開」と注目させて、点火。
 燃えもしない。変だ。何十年の教師生活で初めて。{自分を疑うことはない}
 「どうした、1班。こりゃ、歴史に残る。次、2班」、結果は同じ。
 硫酸と硝酸を間違えたかなと、試薬ビンのラベルを見る。間違いなし。
 「変だな」と口にする。
 「ちょっと待ってくれ」と言って、何も処理していない、ただの、セルロ−スに火を付けてみる。燃えない。そんな筈はない。脱脂綿なら、初めは、ぼおっと、表面が炎に包まれ燃えて、直ぐに炎は小さくなって、あとは、黒こげの塊になって、ちょびちょびと炎を上げずに燃える筈。ところが、チリヂリになるだけ。
 生徒は、騒ぎ始める。無理もない。さんざん、茶化したのだから。素直に、「調べて見ないと分からないが、この綿がおかしい。毎年、保健室からもらってくるのだが・・。ゴメン。謝る。次回には、きっと、原因を報告し、やり直す」
D 脱脂綿は、綿ではなかった
 日本橋の実家の二軒隣に、脱脂綿の卸専門の店がある。電話して聞いてみた。
 「おくださん、今の脱脂綿は、大部分は、合成繊維ですよ。特別に注文すれば、本物の脱脂綿が手に入りますが、それも、時間の問題でしょう。世の中、変わってきましたから・・・」
 定年まで、あと10年。大変だ。入手が困難になる。ニトロの実験、出来なくなる。
 電話で、本物の脱脂綿を10袋注文して確保した。後任者は、「なんで、保健室でもないのに、脱脂綿ばかり・・・」と、思ったことだろう。
E 実験成功
 感激である。生徒は、一瞬に燃え尽きる綿火薬に、拍手喝采であった。
 私は、私しか分からない感激に、しばし浸ったのであった。
F 綿火薬余話
  ただの綿より、色・つやがいい。染色効果もいいので、フランスで、このニトロセルロ−スで、織物を作って、服にした。その服を着て、シャナリシャナリと、歩いたかどうかは知らないが、タバコの火が引火して、一瞬に丸焦げ、死亡。
  これを、薬品に溶かして、ドロドロにして、薄いフィルム状に延ばしたのが、昔まだ、プラスチックが無かった頃、玩具や万年筆の軸に使った、セルロイドである。
 燃え易いはずですね。


【5】「いい形式の入学式だったわね」と誉められるの巻


 入学式や卒業式は、学校にとっては大事な学校行事の一つである。
 大事な行事だから、何年かに一回は、生徒や保護者・卒業生・地域の方々のご意見や感想などもお聞きして、「式のあり方」などを根本から考えてみる機会があってもいいのでは?と思うのだが、口にするほど簡単には・・・。
 このことは、学校に関してだけではなく、役所がかかわる「官」の世界に共通して言えることだろう。
 校長も、3〜4年で替わってしまうし、この頃では職員の移動も頻繁に行われるようになったので、尚更のことだろう。

 10時から入学式が始まるというのに、PTA会長を始め来賓のお客さんが全然顔を見せない。
 「おかしいな」と思っていた時、担当のT先生が、「あっ!」と叫んだ。
 そして、「しまった。10時までに校長室にお集まり下さいと、間違えて案内状を出してしまった」と・・・。
 「どうしょう」とあわてだした。
 30分前から、新入生は担任に誘導されて、緊張した顔で入場を始め、15分前には完了している。
 保護者も、教職員も席に着いている。

 「Tさん。何とかするから安心して・・・・」
 「なんとかって、どんな風に・・・。事情を話して、少し開式が遅れるとでも言うの?」
 「いや、任せておいて。そろったところで、何にもなかったように、普通に入ってきて。そのとき、入り口で一寸合図してね。校長さん、いいでしょ」
 校長のOKをとったので、開式5分前に式場に入り、来賓の入場今や遅しと首を長くしてやきもきしている司会者に、ことの事情を耳打ちして壇上に上がった。
 軽く一礼。
 「えゝ皆さん、今日はおめでとうございます。保護者全員が集まる機会はほとんどありませんから、式の前に少し説明を致します。本校は、昭和13年に、まだ、足立区には公立の中学校が、今の高校ですが無かった頃に、地元の方々の熱心な誘致運動の結果、見渡す限り田圃だったこの地に創られまして・・・。当時は綾瀬駅もなく、東武線の五反野駅が唯一の交通機関で・・・。式の後に、コ−ラス部の生徒が、綾瀬の流れは豊にて 照りそうや緑小草という校歌を紹介いたしますが、綾瀬川の土手には、タンポポが咲き乱れ、鯉や鮒が泳ぎ、蛙が鳴き、ハス田には白とピンクの大きな花が、それはそれは良い環境でした。当時は戦争中で、神国日本 いま躍進の 時代の民なる誇りに生きてという歌でした。戦後、変えたので、聞く機会もないでしょうから、下手ですが、あゝ、申し遅れましたが、私は卒業生で理科の先生をしている者です。在校中、長屋の壊れた蓄音機というニックネ−ムを戴いた音痴ですから・・・。こ−ほ−く われらはつどう きはくをみよや しんこくにっぽん いまやくしんの じだいのたみなるほこりにいきて・・・」
 入り口にTさんが見えた。OKのサインをしている。見れば10時20分。

 私のピンチヒッタ−の役目は終わった。
 「つたない歌でしたが・・。最後に先輩にはどんな方たちが居るか、ちよっと紹介して話を終わりにします。文学座の俳優、北村和夫さん、トンボ鉛筆の社長さんの小川さん、黒柳徹子さんと一緒にアフリカなどへ旅している写真家の田沼武能さん、この辺では竹の塚の井上病院の院長さん、五反の駅の志村歯医者、俳句の炎天寺や寅さんの帝釈天のご住職さん、区内の学校に50名、区役所にも数十名、元大臣の深谷さんも・・・。でも、いくら有名な卒業生がいたって、一人ひとりが立派に育つことが本当の教育でしょうね。じゃあ、30分から、本番の式が始まります」

 後日、寄せられた好意的な感想は、

 「型破りの入学式、良かったですね」 こちらの事情も知らないで・・・。
 「先輩のお母さんに聞いたら 初めての試みだったんですね」 後にも先にも初めて、でしたのに・・・。
 「毎年、どんな入学式にするか、討論するんですか?」 それなら、いいのですけどもあれは、転んでもただでは起きなかった、ハプニングとは言えず・・・。
 「今後も・・・」 そうはいかない、ムニャムニャムニャ・・・。

 Tさんには断らずにこれを書いた。
 Tさんに、何と言おうかなと、考えながら、文を閉じる。


【6】質問の授業の巻2000年10月8日掲載

@ 人間(ホ乳類)とニワトリ(鳥類)の違うところはどこか?
 工学部出の私の教員免許証は、高校の理科と工業である。
 小さな学校は、教員数も少なくて、いろいろと困ったことが起こっている。
 数学の先生が足りなくて 「奥田先生は工学部だから、教えられるだろう」と言われた。解けることと、教えることが出来ることとはべつなのに・・・。
 このことが、校長も分かっていない。たから「免許証がありません」と拒否したら、仮免といって 「申請すれば一年限りで臨時的措置として認めるというお上に便利な規則がある(作った癖に)」という。では来年はどうするのかと思ったら、また申請すれば、また一年限りの仮免が下りる仕組み。どこかで聞いたような話。
 臨時社員は二ヶ月限り、それ以上雇うには、正規の社員にしなければならないと、簡単に労働者を首に出来ない仕組みになっているが、二ヶ月毎に止めさせて、また採用したことに書類を作って、法をくぐり抜けているのと同じ。
 「人と鳥」 その違いは『羽がある、無い』くらいは、直ぐ答えが出てくるが・・。
 「何の授業の話?」と思うでしょう。工学部の金属を専攻した私が、理科の免許があるがために、生物を受け持てと校長に命ぜられたので。数学よりも始末に悪いので断ったら。「免許証があるだろう」と一点張りである。いくらなんでも、工学部の生物ですから。当時の英語の先生の免許は「外国語」だったから 「では、英語の先生に、ロシア語をやらせられるのですか?」と突っ込んだら 「本校では、ロシア語の授業はありません」と逆襲されて、おしまい。私も若くて未熟で、戦術が下手だったですね。
 普通科は一学年が一クラス。そこで、そのクラスを担当している先生方に頼んで、丸一日の六時間、全部を生物に貰って 「二人で一羽、ニワトリを持って来い。一日中ニワトリの解剖だ」 大半が農家だから、簡単に手に入る。
 実験室の壁には人間の解剖図を掛け、トサカから、お尻・足の先まで、二人で一羽。耳の穴から、砂袋。肝臓・肺臓(鳥はドリ、カニのエラはガニ)まで。雄も雌もある。
 レポ−トは、人間とニワトリの違いについて。トサカの有無。羽・毛・手足・胃袋・肺・心臓・・・・・。この辺は共通して皆んな書く。盲腸について触れてる班は少ない。オッパイのことは書いていない。「ほとんど、オッパイのこと、書いていないぞ」「俺んとこ雄だったんです」「男だって、オッパイついているぞ」
 女生徒「知らなかった」とウソぷく。「僕のを見せてあげようか」(こうなると 調子に乗る奥田) 
 生徒は、残った新鮮なニワトリのバラバラ廃棄物を持ち帰らずに「先生どうぞ」と置いて帰ってしまった。私の安月給の生活実態を知っていたのか。
 農場の食品加工実習室の冷蔵庫に保管して、2ヶ月、胃袋を満たした。
 レポ−トを点検してみて、気が付いたことは、鳥類は、一穴で、尿や糞の排出器官も生殖器も一つで、これは、ホ乳類と異なることである。
 この点を、返却の時、指摘したら 「だって、恥ずかしいもん」と、返事が返ってきた。「学問には、恥ずかしさは無用」と叱っておいた。
 オ−ストラリアのカモノハシは、原始的なホ乳動物で、卵生で腸と生殖器の末端がつながっていて、単孔目に分類されている。なぜか、55年前の江北での中学の生物の授業でのカモノハシのことを思い出したので、付け加えた。
A  いい生徒さんで幸せですね
 銅と鉄では、原子の並び方が違う。だから、結晶の形も違う。水晶とダイヤモンドも。
 「なぜですか」 聞かれたが、分からない。考えてみれば 「面心立方だ、体心立方だ」とは習ったが 「なぜ?」となると・・・。質問には、調べても答えるのが大切だ。大学時代の本を開いたが、分からない。
 てっとり早く、東京工大の結晶学の先生に電話した。ちゃんと名乗って。
 「羨ましいですねえ」と言って、なかなか本論の話に答えてくれない。
 「私は〇十年教えていますが、そういう質問する学生に、出会ったことがありません。一人でもいたら、授業が楽しくなりますよね」と、羨ましがれた。そして結局の所 「世界中、誰も分かっていないんです」だった。
B 穴目
 善意なら良いのだが、また、ほどほどならお愛嬌だが・・・。
 時間稼ぎに、あり得ないことまで 「もし、あったら」と聞いてきた。
 「太陽がふたつあったら?」「地球に水がなかったら?」・・・。
 ものの本質や原理を考えるための 「もしも」という質問はあるが・・。
 例えば 「摩擦がなかったら立っていられるか?」など。
 しかし、ためにする屁理屈にもならない、授業妨害的質問は、それなりに面白いが、同一人のくどい行為には・・。でも、それとても、怒ってはいけない。
 そんな授業の時だった。私が質問してやった。「もしも、お尻の脇に目がついていたらどうする」
 かれは、きょとんとしている。私の作戦が読めない。
 「見ようとするには、尻が出てしまう。穴が丸見えだ。恥ずかしいから隠すと、見えない。困ったなあ」
 「先生、そんなこと、あり得ないんです」
 「だって、君の質問はあり得ないことばかりでも、あったらと聞いてくるだろ」
 ベルがなった。終わりだ。お辞儀して、廊下に出て、0.5秒でひっ返し 「おい、みんな良く聞け、彼のこと 穴目だなんて、あだ名付けるなよ。ダメだぞ」と言って、教室を後にした。私は、そんなニックネ−ムはダメだと、チャンと指導した。
 なのに、彼は 「穴目」になった。彼自身も 「穴目」に甘んじている。
 しかし、69歳になった今、あだ名を付けたことは 「彼に悪かったなあ」と謝りたい気持ちである。


【7】スポ−ツ偏見考 2000年12月3日掲載

@ 初めに
 
 1 「おもしろ」とは、腹を抱えて笑いこける「面白さ」の他に、興味ある話題という意味を持つ。
 2 スポ−ツは、好きだし(野球・テニス・水泳はプレイすること、相撲・マラソンはテレビ観戦)、でも、いろいろと、意見がある。そこで、おくだ流の言い回しで、「偏見」と、敢えてした。
 3 その意見について、甲子園や国体での外部からの選手輸入など、いろいろと言われてきている問題は 今日は取り上げないで・・・。
A 参加することに・・・
 オリンピックの年である。
 テレビで 選手が写る。金・金・金と、柔道の田村さんを始め言う(言わされて
いる?) 「オリンピックは、参加することに意義がある」の名セリフは、何処に
、いってしまったのだろうか?
 東京オリンピックの時、入場行進に多くの日本の選手は歩かなかった。
 別の所で、トレ−ニングをしていたのだった。
 記録からみれば、出ると負けの小さな国からきた数人の選手は、体いっぱいに、喜びと感激を表して行進していたのとは、大きな違いであったことを覚えている。
B 勝つことだけが・・・
 私は水泳部の顧問をしていた。背泳ぎのH君が、関東大会に選ばれた。
 付き添いで、高井戸まで行った。競泳の時、禁止されているのに、日大豊山(水泳の名門校?)のコ−チが、プ−ルサイドに出て、目につきやすい色のついた大きなタオルをグルグルと廻して、選手の手足の動き(ピッチ数)を調整・指導しているではないか。 
 申し訳程度に「プ−ルサイドに出ないで下さい」と、アナウンスが流れる。
 彼は、徳島の全国大会に出られることになって、私が四国まで行った。
 選手は、プ−ルの外の木陰で、出番がくるまで待たなければならない。
 私は入場券を買ってスタンドに入った。野球場と違って、プ−ルのスタンドは小さいから、選手は入れないことになっている。
 ハイって驚き・・。スタンドのいい所は、大人数の選手団に占拠されている。
 全国レベルの名門、近畿大付属高校と中京大付属高校。日大豊山なんて・・。
 ここでも、申し訳程度に、「スタンドには選手は入れないことになってます」と30分に一回くらい、放送。
 こうなると、開会式の、「宣誓、正々堂々と、スポ−ツマンシップ・・」 
 これは セレモニ−の、お題目でしかないのかな。
C 同んじことが・・
 千葉県が生んだ?陸上のM嬢。大会で、トラックで走るとき トラックのラインの中側をコ−チが伴走していた。禁じられているのに。
 この種の世界では、記録のいい者が、超ル−ル的存在なのだなあ、と思えてしょうがない。
 オリンピック選手選考基準も、話題になったが・・・。Fさんの栄光か?
 戦後の荒廃した中での、神宮プ−ルでの400mの古橋さん、1500mの古橋さんと橋爪さんの大記録樹立の大会を観戦した思い出が、蘇ってくるだけに・・。
D こんなことも
 いろいろ、考えてみましょう。
 Bに書いたように、同じようなこと、いろいろありますね。


【8】教育相談の巻1


 「おもしろ回想録」を書き始めたら、「65歳から勤めた教育相談の時、どんな相談があったのか、についても書いたら」と、いろいろな人から、言われて続けてきました。
  どんな相談があったかは、プライバシ−に関することが多いのから、それは微妙な問題なので 二つの相談をプラスして、それを、半分にしたりして 紹介しましょう。 ただし 「おもしろ」ではない。
@ 「学校に行かないんです」と、ある母親が困って・・・
 登校拒否という言葉が流行し始めたときでした。私は 「登校拒否」という言葉を、使うことを、厳に戒めました。「拒否」しているのではなく、本人は、むしろ行きたいのです。それが、行けないのです。
 それから、「行かない」ことを、良くないこと、悪いことと、決めつけていませんか?と、問いただすことから始めました。学校に行かない(行けない)ことって 、本当に悪いことなのでしょうか?良い悪いの問題では無いようです。
 困った問題ではありますが・・・。ここのところを、根本から考えてみる必要があるのではないか、と ・・・。
 もう一つ、不登校問題で、親は苦しんでいるが、お子さんの方が苦しんでいるのではないかということです。ここを理解しないと、解決は困難だと言うことでした。
 これらのことを、絶えず頭に描いて、親と本人とも話し合いました。
 「がんばれよ」とか、「学校へ行かないと、後で苦労するよ」などは、禁句です。
 友達を、行かせて、誘いの言葉をかけることも、逆に作用することもあるのです。
A 「高二の娘の机の引き出しに、コンド−ムが入っていて・・・」
 「娘さんは、少なくとも、避妊、病気のことを考えている」という認識に立って、対処すること。それから「持っていない(引き出しに入っていない)ことが、そのようなことをしていないことの証明にはならないこと」
 「頭から、叱っても、なんら解決にはならないこと」を話の前提にして、相談に応じました。
 「引き出しを開けたこと、言えますか?」
 「そんなこと、知れたら、それこそ、親子は断絶です」
 「だったら、無断で開けないことですね」
 「開けなかったら、わからなかったでしょう」
 「分からなくて、良かったんじゃないですか」
 ・・・・
B 高校生の失恋の悩み
 ツルゲ−ネフの「ル−ヂン」(二葉亭四迷は「浮草」と訳しました)の中に、「針葉樹の枯れ葉は、春になって、新しい芽が出るまで、落ちずについたままです。恋の痛手も、新しい恋が生まれたときに、自然と落ちるのです」というような一文を紹介してあげました。
C 「大学生の娘が、サ−クルの仲間と大麻パ−ティ−に・・」との母親に
 「私に相談する暇があったら、その場に駆けつけて、踏み込んでまでして、やめさせる意気込みで・・・」と、ことの大事さを認識させることが第一歩。
 覚醒剤などのたぐいは、理解してやる。話し合いをする。という性質の問題ではない。酒・タバコとは、本質的に違うのです。たんなる非行ではありません。
D 有名お嬢さん私立学校に通っている子の親
 「不良グル−プに入っていることを、学校にばらすぞと、脅されて、週一回、ヤクザに、つき合えと要求されている」
 断固たる態度で、警察の少年課とか、人権擁護局か少年問題に取り組んでいる弁護士の助けを・・・。
 「学校に知れると、即、退学になる。将来を約束されている看板の高校には入ったのに。あと、三ヶ月我慢すれば、卒業なのに、もったいない」という考え。
 大切なのは?
 この議論を徹底的にしました。私とは別の世界に住んでいるのかと、一時は、投げ出そうかとも思いました。
E 「折角入ったのに、公立に、定時制でもいいから、転校したい」
 親子と三人で、数回話し合って、私が保証人となって、公立の定時制に移る。
 親が、納得するまでに、転校後、高校を卒業するまでの、二年間かかったが・・
F 高三の8月に、突然、大学へは行かない、働くと言い出す
 本人の意思固く、それなりに筋の通った理由を持って、健全な考え方をしている。親の説得、と言うより、諦めさせる。
 一年後、本人の意思で、夜間大学へ進む。

 他人のことなら、ものわかりのいい人も、己の身にふりかかってくると、驚くほど一方的だったり、頑迷固陋だったり、理屈はそうだがと「だが」を付けて、なかなか、他人の言に耳を貸さない。
 自分の若かった頃を、とんと忘れて・・・
 世間、兄弟親戚のことを、意外に気にする。
 そうかと思えば、妥協に妥協を重ねて、子どもの言いなりに・・・。
 私たちが、育った頃と違って、今の子どもたちは、大変な社会に生きているんだなあと痛感し続けての三年間でした。
 今に生きている孫を見る目も変わりました。
 それらの、オオモトにあるものは、何なんだろうか? 
 その十分の一も分からず・・・終わってしまいました。


【9】3Gニュ−ス2001年4月8日掲載

(一) はじめに
 1979(昭和54)年度に、母校の江北高で担任をしていたときの資料が出てきた。
 資料というのは、「3Gニュ−ス」と名付けて、毎朝8時に学校へ着くと直ぐにガリ板というヤスリの上にロウ原紙を載せ、金属製の先の尖った鉄筆という筆記用具で、朝の10分間のショ−トホ−ムル−ムで配る文を書き、手回しの輪転機でワラ半紙に印刷した綴りである。その頃には、未だワ−プロも無かった時代で、下手な字で5ミリ四方のます目に走り書きした、私の独断と偏見があふれ出ている文であった。
 この種の文は、 定年後、嘱託で勤務していた九段高校では、「もろもろニュ−ス」として続けていた。以下、出てきた「3Gニュ−ス」をめくりながら、当時の思い出に耽りながら、内容の2,3を再録してみよう。
(二) 1980−3−8 卒業式の日に(註 一年間終わって、3G最後の日)
 母校へ来て16年経ちました。5回目の担任としての卒業式です。明日は、私の好きなOGのOさんの結婚式。その次の10日は私の49歳の誕生日。人生は楽しい。楽しさは、ボケッとしていると、素通りしてしまう。
(三) 自分を、こよなく愛してね。(註 始業式の日、3G、最初の日)
 自分で、自分の頭が悪いなんて言ったら怒るよ。結婚と思想・信条、職業は本人任せ。本気で怒ることと、怒った振りをすることとが大切だ。世間並みの常識に振り回されずに、自分をこよなく愛して生きてね。
(四) 自分の志望を貫いて
 父はテンプラを揚げていて『息子さんは?』と客に聞かれて、仙台と言いかけたら『金属ですか』と言われ、ひそかに自慢していたのに、私が、先生志望と知って『先生とお巡りは、上にペコペコ、下にガミガミ、人間の屑だ』と不満を漏らした。原研、本田技研、出版社から、いろいろあったが、でも、今も志望を貫いて良かったと思っている。
(五) はしゃぎ考
 はしゃぎにも、みっともないはしゃぎ、楽しいはしゃぎ、哀れなはしゃぎ・・などがある。周囲の人たちは笑っていても、心の中では『あの馬鹿め』と、軽蔑されている『みっともないはしゃぎ』はするなよ。卒業したら一緒に、楽しいはしゃぎを。
(六) 許された?昔の悪戯
 第一話、寮祭で競ったトッピナ行為、 第一位、仙台の繁華街、東一番丁の三越前。タライを持ってきて、素っ裸で行水。学生の街では大目に見てくれたのか? 逮捕されなかった。
 第二話 コ−ヒ−店、スプ−ンを持ち帰ってきて50個貯まると、『これ、お宅のですね』と、返しに行った。
 第三話 寮雨がよく降る。窓から用を足したりしたものだ。特に寒い冬場は・・。各部屋ごとに場所は決まっていて、階下の部屋では、その下は開かずの窓である。
 第四話 寮の看板と宮城県庁の看板を取り替えした者がいた。県庁の用務のおじさんが、『これ、お宅のでしょう。間違ってついていました』と寮の看板を持ってきてくれたのです。看板が一人歩きするはずはありませんよね。
 第五話 ある夜、寮生の代表が獣医学科の解剖実習室に忍び込みました。そして目に入ったのは、『実習に使った後の食べ頃の肉片が、持っていって下さいと語りかけているように並んでいた』とのことです。その日は、馬の解剖があったのです。担当の助教授も、その昔、寮生だった頃、馬肉でコンパをしたそうです。食料が不足している頃の『伝統的な思いやりの配慮』なのでしょう。古い良き時代の数々の思い出です。学生さんのやることならと・・・。それなりにモラルは守られていたのですが・・・。
(七) アインシュタインは
 社会科の勉強は、まるっきりダメでした。ですから、心配しないでいいよ。でも手抜きはダメだよ。手抜きは、当座はいいのだが、やがてメッキがはげるからね。この間の原子炉の冷却水漏れの原因は、ステンレスを使うべきところ銅合金を使ってゴマカシていたという。原子炉は修理がきいたが、人生は・・・。
(八) 江夏のノ−アウトフルベ−ス
 4:3、江夏の一球一球が三人を片づけて勝利。インタビュ−の江夏『こんなことは、あっても、もう一度かな・・』
 人生にとって、一度あるかないかの極限の世界を経験できた江夏は幸せだと思う。
 だが、ふと自分なりに考えた。案外、誰しもが一回か二回、そんなチャンスに遭ってあっているんではないかな。ただ、本人も周囲も気がつかなかったのでは? 
(九) 教育しにくい日本?
 大手一流会社の株主総会は、生徒会の予算決算を審議する生徒総会のようなもの。これが、わずか5分で、ゴ−ゴ−たる雑音(ヤジ・罵声)の中で済まされたらどうしますか。一回やってみるといいのです。
 高校教師が集まって話題になるのは、パ−券問題。暴力団関係から、いついつまでに〇万円で売ってこいと、インチキパ−ティ−の券を渡される。これが番長から下へ下へと降りてくる。50人くらいしか入れない会場なのに、券は200枚くらい出回る。学校では、非行として取り締まりに苦慮している。
 ところが、政界では大手を振って同じ形のパ−ティ−がまかり通っている。今朝の朝刊の、OP記事は、KDDに200万円分買って貰ったことと、公団の空出張で浮かした金で100枚分・・・。日本の国のお偉方がやっていることの小型を高校生がやれば処分。ああ、どうしょう。
 【註 20年前の3Gニュ−スを再録していて、「今も変わらず」と驚く。20年前はKDD、今はKSD、名前までそっくり。20年前は空出張、今は機密費で総理の外国出張の旅費のからくり】
(十) 父の死
 悲しくないと言えばウソになります。しかし、涙は出しませんでした。
 若い頃、相当に心配をかけました。どんな心配だったかは話す機会もあるでしょう。父は、父というだけでなく、本当に惚れ惚れするような人でした。
 目と足が不自由になって、毎年お参りしていたお伊勢参りも、一人では無理になって来たとき、一緒に行ったことを思い出します。
(十一) テスト中にうつ伏せになって寝ている彼に
 「他人(ひと)たちの  悪戦苦闘をよそに見て 恋しき人の夢を見るらん」
 「眠るのも 同じ赤丸取るならば 知恵の一つと 許す気になる」
      (退屈な監督をしていて 詠める歌)
(十二) 『砂の器』(松本清張)を観て
 4回観ました。映画らしい映画です。歴史に残る映画です。実際にあったハンセン氏病患者に対する差別に、正しく対処した映画です。私たちの中に、知らず知らずに差別の心がなかったか、いろいろと考えさせられる映画です。日本各地の美しさも見せてくれます。
(十三) 大きいものの良さ
 東北へ旅した時、奮発して大きいコケシを買ってきた。名工の作で、高さ40センチ。7500円でした。家で見ているうちに、 小さいものには無い何とも言えぬ良さが心に響きます。大きい故に醸し出される何かがあるのですね。
(十四) 受験
 センタ−試験の願書を出しましたね。矢は放たれたのですね。『やるときは、きちんとやる』ことって、人生に何回も無いのです。私を支えているものの中に、とにかく辛かった受験勉強があります。卒論の時、試料をつくるために、16時間ぶっ続けに電気炉の前で頑張ったことがあります。これらの経験は、『あの時よりは楽だ』というファイトというか自信につながります。
(十五) 飛んでゆけ
 どんどん、地方へ飛んでゆけ。『奥田先生のクラスになると地方!地方!と奨められる』と保護者が言っているらしいと耳にする。地方へ行って良かったと思っているから止むを得ないだろう。今までに担任したクラスからは、帯広・札幌(北大)・弘前・盛岡(岩手大)・秋田・山形・福島・仙台(東北大)・宇都宮・水戸・千葉・浦和(埼玉大)・松本(信州大)・新潟・静岡・富山・高知・大分(大分医大)へ飛んでいった。アンダ−ラインは合格者、 ( )は市の名前と大学名が違うところ。
地方へ飛んでいったら、受かる受からないとは別に、お土産頼む。
(十六)内職
 数学の時、ジャンバルジャンを読んでいて見つかって、英語の時にはマンガで、また、取り上げられた。彼が、小説に人生を見つけたり、マンガに哲学を見いだしたのなら何も言うまい。
 目の前にそびえ立つ受験の壁、どんどん過ぎる時間。その中で焦りとなって、投げやりになっているとしたら私は怒る。青春を叩きつけるマンガでないとしたら、まさにマンガチックな人生だね。
(十七) さからいたくなる
 一人くらい、世の中に逆らう者がいても良いと思っている。バンダが死んだ。世の中が、ひっくり返ったような騒ぎだ。
 私はあえて、「死んでから騒ぐことはない。たかが、けもの一匹」 
 娘「ひど−い」 
 私「金が無くて、医者にも診て貰えない人もいるんだ・・・」
 娘「父さんはロマンがないのね」
 私「本当のロマンは、人間を大切にするところから始まるんだ」
 娘「そう言っちゃ、お終いよ」
 私は家の中でも孤立した。
 【註 後日談 九段にいたとき、ある女生徒が巣から落ちて死の寸前の雀の子どもを持ってきて、可哀想だから何とかしてくれと私に頼んだ。私は、もう死ぬと断った。その後、私のことを、残酷な人間と言った。私は、呼びつけて『君自身はどんな努力をしたんだ』と責めた。私に言わせれば、ヒュ−マニズムとかロマンとは、その場だけのセンチメンタリズムではなく、他人を責めるくらいなら授業をほっぽらかしても、自費でタクシ−に乗っても、獣医の処へ行くべき?・・】
(十八) ありがとう
 私はタクシ−を降りるときに、軽く『ありがとう。お気を付けになって』という。アメリカ人と寿司やに入ったとき、醤油の小皿を持ってきてくれた店の人に、『サンキュウ』と、ごく自然に頭を下げたのを見て、さわやかな気分になったからである。 
(十九) いろいろな推薦入学
 成績の良い者を、早くかき集めるため・・。お金、がっぽり稼ぐため・・。合法的な裏口入学の一方法。
(二十) 数字のインチキ
 出来が悪くても、多数合格させて、ガッポリお金。それから、しごいて脱落させたりして、 少人数しか、国家試験を受けさせず、だから10人受けて8人受かれば、国家試験の合格率は80%となる仕組み。入学したのが100人ならば、本当は8%。
(二十一) 新聞、あげるね
 田中角栄が逮捕された。総理の逮捕なんて滅多にない。だから、その日の新聞50部買って置いた。卒業式の時、プレゼントするね。
(二十二) BRILLIANT
 辞書ひいてみな。現地の人が使っている、BRILLIANT 。
(二十三) 基本的に、やってはならないこと
 暴力、賭事(金は働いて稼げ)、他人を陥れて出世すること。
(二十四) 初めから見たい
 今日、夕方から徳山村に出かける。人口3000足らずの村。しかし、広い村。
 そこが6年後に、村そのものが水没する。ロックヒルダムで、まだ人が住んでいるところがダムになる。いろいろなダムを見たことがあるが水が溜まってからのダムだ。今回のダムは、これから立ち退き。これから測量。これからコンクリ−ト打ち。
 これからの6年間、完成まで、毎年1〜2回、見に行くつもり。
 【後日談 行ってみたら、タクシ−の運転手さんも嫌がる、岐阜県の山の中の難所。
 そこの、おばあさんが写真を撮りまくって本にして有名。20年経った今も手つかずで、ムダな公共工事として、もう中止かな。一回しか行けなかった】
(二十五) 足かけ二年
 冬休み中も学校へ行って自習した。暖房も電灯もなかった。
 12/30 帰りに本屋で、数学の200題の問題集を買った。
 12/31、 1/1、1/2 の3日間でやる予定を立てて、12/31に学校へ行って、友人にその旨、話した。
 毎日来ていたのは4人だった。口を揃えて、友が言うには、「それでは、一冊の問題集に、足かけ二年かかったことになるよ」私は愕然とした。予定変更。1/31のその日、すべてを数学に投入した。解ける問題180を解き終わったのは、夜10時半だった。
(二十六) HOSPITAL
 ある会議で、「病院が親切でない」との話が出た。おかしいと思った。その発言者に対してではない。
 私の記憶では・・・。そこで辞書をひいた。
 Hospital  病院
 Hospitable 親切な
 Hspitably 親切に
 Hospitalism 病院制度
 とすれば、病院とは、そもそも、親切と関係が大ありなのである。一つの物事を、根底から考えてみるという習慣とか、余裕を持ちたいものである。
 【註 これを見た友人が、ホスピタの語源を調べて教えてくれた。ラテン語で、来た人を親切にもてなすという言葉だそうです】
(二十七) 短絡的にみるな
 ソ連とアフガニスタン、「他国への軍隊、すぐ、引っ込め!
 その通りです。では、日本にいるアメリカ軍は???それは、日米安保が・・・。アメリカとベトナムは。トンキン湾事件が発端ですね。今では、アメリカの資料でも、あれはアメリカがデッチアゲたと知れ渡っていますね。
【註 安保が不平等なことは、2001年の現在、沖縄の米兵の放火事件、今度原潜の無法さ・・・】
(二十八) なげき
 生徒「また、つまらないお説教」「小学生じゃあるまいし、聞きたくもない」
 おくだ「そのボヤキは、その通り。だが、考えて呉れよ。つまらない説教は、聞くのも辛いが、言う方はもっと詰まらないし、はかないし」
 生徒「授業がつまらない。」
 おくだ「面白くて面白くてという授業なんて、そんなにあるもんじゃない」「つまらぬ授業しかできない教師のつらさも・・・」
 生徒が、どんどん質問してきて、立往生したとき、まじめな教師は、力不足を反省しながらも、嬉しく思う。ダメ教師は、慌てて誤魔化したり、不機嫌になる。
(二十九) 持ち家
@ 販売に来たセ−ルスマンとの会話
 セ「広いですよ」 
 お「寝相がいいから、布団の隣がタンスでも、ぶつからない・・」
 セ「天井はヒノキの板張りで・・」
 お「寝ているときは、目をつぶっているから」
A 結論
イ 金がないから
ロ 少しくらい有ったのなら、旅して、美味しい物食べて 芝居見て・・・
B この地球は
 ここは僕の土地、一体全体、誰がきめたの?
 地球はみんなの物なのに。それが許されるなら、ここの空気は僕の物と所有権を主張して、息を吸う者からお金を取るかな。
C 銀行のカラクリ 松戸の実例
 1)駅の近く、A地、坪5万。離れている所、B地、坪2万。
 2)銀行が、B地周辺をいっぱい買い込む。土地の人、不思議に思う。
 3)その後、その銀行がA地を、坪20万で買って銀行を建てる。みんな驚くまだ、カラクリはばれない
 4)引きずられてB地も値上がり。
 5)銀行、B地を、坪7万で売る。みんな、安いと思って、慌てて買う。2)で、B地を買ったお金は、 5でB地を買った人が、持ち家を考えて蓄えたお金も含めて銀行に預金したお金だった。結局、差し引き、銀行はA地を無料で手に入れたことになった。
(三十) スパイ
 防衛庁のスパイ事件があった。ただ、何がなんでも、スパイは悪いことという単純な話にはのらないこと。
@ どこの国も、企業もやっている。
A 12/14には、テレビや芝居で、大石の吉良邸討ち入りを観て喜んでいる。これが成功したのは、密偵(スパイ)のお手柄である。スパイ=悪い、というマスコミ・政府の宣伝に、風潮に、常識に、振り回されないようにとだけ言いたい。
(三十一) 最後に、名せりふ
@ 観た芝居の中で 
 1) 起こってしまったことには、逃げ道はない。
 2) 過去の事柄に、「あの時、もしも・・・」(if・・・)は、ない。
A イレブンPMの番組(テレビ)で、 岡本太郎が
  1 他人に良く見られるようにと意識したら、その作品はもうダメだ。
    だから「下手な人の絵」は、上手だ。
  2 自分がいいと思った生き方(作品)が、一番いい。


【10】生徒対教師のいたずらの巻

はじめに
 生徒は、いつの時代でも、授業中に脱線してしまって、余談・雑談に花が咲くのを喜び、期待し、巧みに教師をその道に引きずり込むように画策することもある。教科書から離れて、いろいろと、面白おかしく体験談を話すことも、それなりに大切なことだと思い、騙された振りをしてその手に乗ることもある。しかし、それも自ずから限度があるし、そこが難しい。「ミイラ取りがミイラになったり」「虻蜂取らず」になったりして・・・。
 「余談・雑談ばかりしている先生」と、陰口を叩かれているのではないかと、びくびくしている小心者の癖に、脱線好きな私は、化学の教師の装いで、科学的な知識を鏤(ちりば)めて蘊蓄(うんちく)を傾けるのでした。慣れてくると(私の考え方や、生徒への接し方を心得てくると)、いろいろと仕掛けて(挑戦)来るから、教室へ出かけるときは、細心の注意が肝要になっても来る。
@ 「性」に関する興味は絶大、しかし無知?
 「コンド−ム エイズのお陰で 市民権」 私がつくった川柳である。中国や東南アジアへ侵略した日本の軍隊は、兵士の間での性病の蔓延を防ぐために、休日外出の際に門衛所で1個づつ配ったそうである。
 戦後、昭和20年代の始め、「性の解放」が叫ばれて、初めてキッス(当時は、接吻と言っていた)シ−ンの映画が公開されると話題になった。成人対象の医学啓蒙の文化映画として、性病・避妊・危険な闇の世界での中絶などをテ−マにした映画が流行ったのは、やはりその頃であった。
 私が教師になってからも、若者がコンド−ムを手に入れるのも恥ずかしくて困難なために、過ちをと心配して、地方の大学へ進学する生徒に、求めに応じて郵便で送ったこともある。もちろん、保護者会で親たちに宣言してのことだった。それを聞いた親たちは「変わった先生とは聞いていましたが、まさかそこまでは・・・」と・・。「アメリカなどでは、・・・」と、ピルなどの話もしたこともある。エイズが問題になってからは、日本の街やコンビニでも自動販売機が設置されたりして、買いやすくはなってきたし、教育の場でも、コンド−ムのことが話されてはきた。しかし、役所の統計を見る限り、未婚の未成年者の中絶数は、依然として減少してはいないのが実状である。
A 娘の引き出しに、コンド−ムが・・・。あわてた母親からの相談。
 公的な機関で、教育相談をしていたとき、この種の相談が数多くあった。
 おくだ「使っていたということは、病気や妊娠のことを考えているのでは・・・」
 母親「それはそうですが、高校生なのに・・・」
 お「そのことの善悪の前に、病気や妊娠のことを考えていることを認めてから・・・」
 母親「そんな・・・。親の気持ちにもなって・・・」
 お「引き出しに入っていなかったら・・。何もしていないと言えるのですか?」
 母親「・・・・」
 お「娘さんに、引き出しを開けて見たら・・と、言えるんですか?」
 母親からの返事は「とんでもない。そんなこと知られたら、ますます親子関係がメチャメチャに崩れてしまう」というのだった。勝手に、開けないことですね。高校生にもなったら・・。
B 2月、3月は梅の季節です。
 各地の梅の名所を紹介したついでに、以下の「いくら梅がついても・・・」の文を書いたら、その脱線の雑談のことを、もっと書いて下さいと注文を受けたので、上の@Aの文を、まず始めに「はじめに」として、イントロのつもりで書いた次第です。梅の便りをご希望の方は・・・。
 その「梅の文」のなかの、「いくら梅といっても・・」の文に多少手を加えて、再録します。C以下は新たに加筆しました。
 いくら「梅」がついても・・・。梅毒は梅とは無関係です。
 草津の湯は強い酸性で皮膚病に効くといわれ、その草津節の「草津よいとこ一度は、お出で・・ はながさくよ チョイナ チョイナ」の「はな」は皮膚病や梅毒の「カサブタ」を指していると言われていますが・・。どんな由来で梅毒と「梅」の字を使ったのかは知りません。多分「黴(バイキンのバイ黴)毒」の当て字かな?。
 この病気は、西インド諸島に伝わっていた風土病だったのですが、コロンブスがアメリカ大陸の発見のお土産に頂戴してきて、ヨ−ロッパからアジア、そして、日本にまで伝染してきた性病です。空気伝染ではなく接触伝染。感染率は、ほぼ100%で潜伏期間が長くてやっかいな病です。特効薬はドイツのエ−リッヒ博士と日本の秦博士が1909年(明42)に発明した砒素剤のサルバルサン606号。606とは、試作に試作を重ねて、606回目に成功した薬です。606回ですから「何事も努力の積み重ねだ」「英語の単語だって606回も口に出せば覚えられる」などと、授業中に教訓をたれて「今度のテストに、606号から学んだことは?」と出題するから「努力・・ と書けば5点」とサ−ビスしたつもりが、現在、落語の真打ちになって活躍している「小里ん」師匠は「606号のお陰で安心して遊べる」と解答。
 これには参った。そこで大きな二重丸をつけて10点を与えちゃいました。これで赤点をまぬがれたかな?。(「まぬがれた」とは無責任な酷い発言ですね。自分の化学の試験ですもの・・。まあ、いいじゃないですか。いろんなことがあるから、世の中が楽しいのですから・・。無責任と言ってもKSDからお金を貰ったわけじゃないし。)
 いろんなことと言えばこんなこともありました。「コックリサン」というインチキ呪いが流行ったときです。科学者奥田は声を大きくして、呪いや新興宗教まがいの風潮を批判というよりも罵倒した。「今度のテストにコックリサンについてと出すからインチキだと書けば5点」としたら、コックリサンの信奉者が「信仰の自由。言論圧迫だ。日頃、憲法を守れと言っているのに、憲法違反だ」と書いてきた。これにも参った。そして、またしても10点献上してしまった。「よく安売りしますね」と言われそうだ。でも「誰も損はしないのですから・・」
 試験でこんな遊びをしたのも、今は昔の思い出。当時も「赤点を取って叱られている悪夢」を見てうなされて、目を覚ましていた私だったからかも知れませんね。
C 次の文を読み ( )の中に適当な言葉を入れよ。
 と出題したら(トンカツ)とか(恋人)なんて書いてきた。真面目な生徒としてとおっている生徒である。
 そして、答案の最後に「適当という言葉は、いい加減という意味もあります。適切とか当てはまる言葉とした方が良いです」と書き、さらに「正解を、欄外に書いておきます」とある。100%勝負ありでした。
D 次に挙げた化合物のうち、毒物には〇をつけなさい。
 1)青酸カリ 2)一酸化炭素 3)フッ化水素 4)塩素ガス 5)昇汞 とした。いわゆる出来の良い生徒に限って、〇は4個しか付けていない。全部が猛毒なのに。聞けば、「そんな・・。だって、全部が〇になってしまうんですもの」と言う。「いいじゃないか、全部毒物なんだから・・」と答えたが・・・。試験馴れしている生徒にとっては、化合物が5つあったら3つくらい。せいぜい4つが毒物だと思ったし、それが、今までの経験した常識だと言う。私は、「その惰性の常識に挑戦したのだった」と自己満足し、「物事を直視して先入観に囚われずに判断する科学的なものの見方を強調したかったのだ」なんて、ひとり悦に入っているのでした。
E 「危害を加えるとか、根拠のないことで誹謗するとか・・。それは困るが、いろいろと挑戦してもいいよ。
 けど、奥田がいいと言ったからと、他の先生には、ダメだぞ」と、あえて挑発さえした。
 だって、夏目漱石の「坊ちゃん」など、面白がって読んでいて、「この頃の生徒は小粒になったね」なんて、大人社会が小粒にしてしまっているのを棚に上げているのには 我慢ができなかったし・・・。
 イ 黒板拭きをドアに挟んで置くという悪戯は、古くさい悪戯の見本だが、生徒が早速、試みた悪戯は、新鮮味も独創性もない、その黒板拭きだった。
 そんなことだろうと見抜いていたから、教室の後のドアからこっそりと入って行って、欠席していた生徒の椅子に座って知らん顔をしていた。面白いもので、私に気がついた生徒は、味方になって、シ−ッと口に指を当て、前の席の生徒に、ばれないようにしてくれて、ことの成り行きを見守っている。
 仕掛けたと思われる悪童?たちは、「なかなか来ないな」とか「引っかかって、どんな顔するかな・・」など話している。
 頃合いを見て、「この間は、硫酸の製法まで話したね。今日は性質だ・・」と、教室の後方から講義を始めた。まさに、我が輩の完勝であった。
 オリジナリティ−のない真似事の黒板拭きはナンセンスと、口汚く罵った?のは勿論であった。
 ロ 何本かのチョ−クを細い釣り糸でつなげて置いたり、チョ−クの代わりに、七五三のサラシ飴を置いといたり、白衣の袖を縫っておいたり。彼らは彼らなりに工夫を凝らしてきたが、科学者の観察力は、ことごとく見破り勝利は続いた。
 ある日、教室に行くと、黒板の上にあるスピ−カ−から小さく音楽が流れているではないか。昼休みの放送をクラブの者が消し忘れたなと思って、「ちょっと、教科書を読んでいなさい」と指示を与えて、放送室へ足を運んだ。スイッチは入っていなかった。戻ったら、音楽は流れていなかった。生徒は静かだった。このことに気がつけば良かったのに・・・。
 繋がっているチョ−クは、等間隔に置いてあるから分かったし、サラシ飴の時は黒板が綺麗になっていたから・・・。授業が終わったとき、「先生、中座したのは小便ですか?」と聞かれた。「いや・・」「放送室ですか?」「そうだ・・」途端に、勝った勝ったの大騒ぎ。種明かし。いつも失敗しているから考えた。スピ−カ−ボックスの裏に小型ラジオを隠し置き、小さくFMを流して置いたのだった。
 ハ 実験中、「ビ−カ−を・・」と言ってきた生徒には、わざと2リットルの大きな物を出したりした。 だって、何mlのビ−カ−と、大きさを言わないから、大は小を兼ねるから・・。
「硝酸を・・」と言ってきたら、わざと、濃硝酸とか、0.1%位の薄くて使いものにならない硝酸を渡したり。だって、濃度を言わないから・・・。さんざんからかって、愉快に一年間の授業は終わる。卒業してから、生徒曰く「先生だけが、楽しんでいたんじゃない?」
F 最後の化学の授業では
 新品の塩酸の蓋を開け、新品の綺麗な大きなビ−カ−で1000倍に薄め、ポッカレモンと砂糖を入れ、濃度が1%未満になるくらいの量の新品のアルコ−ルを出して混ぜ、新品の100mlのビ−カ−に分けて生徒に配り「乾杯」の声高らかに・・・・。
 イ 塩酸は恐いと思っている偏見を打破。(胃の酸は塩酸です)
 ロ 1%未満は、酒類ではないから未成年もOK。
 ハ 新品、生徒が洗う器具は汚いし、薬品は何か混入していたら大変だし。
 ニ 「美味しくはなかった」生徒の感想。
   「アッタリマエデショ 美味しさではなく 面白さと話題性」


【11】思い出雑感2001年8月5日掲載

@ 生徒と間違えられた
 職員室で1960年10月1日、 着任式。2日、定時制なので夕方出勤。職員打ち合わせのために職員室に入る。いきなり、「打ち合わせ中だ。生徒は入ってくるな」と頭の毛の薄いおでこツルツルの事務のおっさんに叱られる。キョトンとしている私に、慌てて校長さんが、「先生だよ」と・・・。当時と違って、定時制には年輩者がたくさん在籍していたし、しかも、私は10月1日の年度の途中採用だったから、顔を知らないのも無理もないけど・・。
 校庭で、1時間目が終わって6時から給食。まずいアメリカの放出脱脂ミルク粉末を溶いたミルク?には参った。給食後は、多少休み時間が長い。戦災にあった山谷堀小学校を転用した学校だったから校庭は狭い。そこで、生徒たちがソフトボ−ル遊びをしている。仲間に入れて貰っていたら、「また、持ち出したな。許可を得ないで・・」と、部員らしい者がグロ−ブを取り上げに来た。そして、私にも「君、部員か?」と聞くから、「いいえ」と答えた。
 次の時間に教室へ入っていったら、私を問いつめた生徒がいるではないか。私より彼のほうがオッタマゲタ。「先生だと、一言、言ってくれればいいのに」と、恐縮している。「部員か?と聞かれたから、いいえ、と言ったんです。ウソついたわけでは・・」そして、ついでに、「先生ですと言ったらどうなんだ。先生でも生徒でも悪いのは悪い。違うんか?」

A 恐いのは、硫酸・硝酸・苛性ソ−ダ  全定差別打破
 古い小学校の校舎で、しかも、商業高校。だから、物化生地の理科4科目なのに、実験室が1つしかない。
 さらに、狭い狭い部屋で、実験台は6台しかない(普通12台)。しかも、準備室の鍵は、定時制には渡してくれない。だから、なけなしの薬品は、入り口の廊下に置いた戸棚にしまっていた。全定差別の標本みたいである。全日制の先生は、「どうせ、定時制は、実験しないから・・」とうそぶいている。同じ校長の学校なのに、同じ税金でまかなっている都立高校なのに。
 苛性ソ−ダは、アルカリだからタンパク質をとかす。その代わりセルロ−スは大丈夫。その点、セルロ−スは硫酸に弱くタンパクは強い。ミカンの中の袋はタンパク、実はセルロ−スと同じ炭水化物。だから、ミカンの缶詰は、袋ごと苛性ソ−ダで煮ると、 袋は溶けて実だけが残る。あとは中和して水で洗う。
 「先生 やってみたい」
 「出来ることは何でも実験」と言っているから、生徒はやる気。本心は、つまらない反応式より面白いから・・。
 そこで、ミカンを買ってきて、苛性ソ−ダ(本名 水酸化ナトリウ)の30%水溶液を作らせて、ビ−カ−で房ごと煮ることにした。
 純毛、セ−フ。ところが、なまじ知識がある生徒がいて、30%の液を作るのに、早く溶けろと加熱した。ただでさえ、苛性ソ−ダは水に溶けるとき発熱する。それを熱したからたまらない。
 「熱したらあぶない!どけ!」と言ったら、律儀な生徒、ガスを止めてから退こうとした。ゴムホ−スを三脚に引っかけた。三脚ごとひっくり返った。濃い苛性ソ−ダが実験台から流れ落ちてスカ−トにかかった。沈着に、私は水をかけて、スカ−トを下ろした。すでに、スカ−トは、チリ紙が水にぬれて崩れ垂れさがるように・・。スカ−トの下まで液は届いている。さらに水をかけてから、薄めた酢酸で中和した。
 ズロ−ス(昔は、こう呼んでいた)の中の親から貰った純毛は(あっ、生まれたときは、まだ生えていなかったな)100%のタンパク質だからアルカリに弱い筈で危なかったが、ズロ−スがアルカリに強い木綿(セルロ−ス)だったことと、担当教師が沈着な科学者だったことが、彼女を守ったのだった。スカ−トは、直径30センチの穴が開いてしまって、破棄せざるを得なかった。

B 困ったもんだ
 民主党のテレビのコマ−シャルをみていて驚いた。生徒に真似されたら大変だ。炭酸ガス(二酸化炭素)の化学式はCO2、 なのに、CO2 となっている。理科の授業で口酸っぱく、数値は右下に書くことと言っているのに。これは、理屈ではなくて国際的な取り決めであって・・・。水をH2Oと書いたら×である。
 電話で直接指摘して、返事を求めたので、どんな返事が来るか、それとも黙殺されるか・・・。

C 硬式野球 PL学園出場停止問題
 高校での暴力事件はあとを絶たない。高校での集団的なこの種の事件でやっかいなのは暴力団がらみの事件と、運動部内での事件です。
 日本の風土?にこびり付いているから、しかも、それを容認?する風潮もあるから尚更です。そんな中で、昨年の優勝校PL学園の野球部で暴力事件があって「出場停止処分」になりましたね。
 スポ−ツ界、特に高校野球の世界には、いろいろと問題があると思うが、今回の処分で気になることを一つだけ触れておきたい。(本来は、今の高校の野球界には 批判的な私ですが・・。
 暴力事件に対する私の考えは、この後の「恥ずかしいこと」に書くが、ここでは、事件に関係した高校生の人生にとって、「出場停止」は、一生、夏の甲子園の時期になると、新聞・テレビを見るたびに、「僕たちのことで、学校全体が・・」と・・。
 このことを、どれだけ考えてサポ−トしてあげていることか?
 高校生と付き合って何十年と暮らしてきた私にとっては・・・。

D 恥ずかしいこと、ある機会に意見を求められて・・・
@貧乏、 体が弱いことは、恥ずかしくない。だから、その反対のことで、威張ることはない。太っていることも、背の小さいことも。
A泳げないこと(スポ−ツが下手なことも)、勉強が出来ないことなんか、恥ずかしがることはない。だれかが、一番になるし、だれかがビリになるのだもの。だから、威張るなよ。反対にくよくよするな。
B努力すればいい。でも、それだって、努力しないことを恥ずかしがることはない。向き不向きがあるし、勉強をしなければと思っても、他のことに気がいって、勉強しない人もいっぱいる。それも、恥ずかしいことではない。
 勉強した方が、大人になって、いろいろと、有利になることもあるが、勉強しなければ、大人になって困るのは本人ですから、損するだけなんだから・・。
 だから、別に恥ずかしいことではないと、私は思っている。それで良ければ、それで良い。こんなことを、先生をしながら、生徒に言ってきた。だから、変わり者といわれたが、今でも、その考えは同じです
 将来、こんなことをやりたいとか、こんな仕事に就きたいとか、思うことがあるなら努力すべきでしょう。努力とは、他にやりたいことがあっても我慢することです。
 我慢が出来ないなら、しょうがないですが、それでも、止む得ないでしょう。
 努力しないのですから。でも、そのことは、困ることがあっても、恥ずかしいことではない。
 じゃあ、何しても良いのか、努力しなくても良いのか?
 しょうがないでしょう。努力が足りなくてもいいんじゃないですか。
 世界的な科学者、アインシュタインは、社会科は全然駄目だったそうです。
 世界的な絵描き、ユトリロは、飲み助で何度もブタ箱には入ったそうです。

 では、「 恥ずかしいことって、どんなこと」ですか?と聞かれて
@人間は口で話せばいいことで、暴力を振るうこと
A他人のことを悪く言って、自分は良く思われたりすること
 人の答案を見て、自分をゴマカシテ、良い点数をとって成績を上げること(カンニングと言います)。
 会社なら、他人をけ落とし、出世すること。弱い者イジメをすること。
 「恥ずかしくない生き方」は@とAの反対のこと。
 太っていること、背の低いこと、病気しがちなこと、親が社会的にどんな仕事をしているか。それは、全然恥ずかしくない。そんな、関係ないことで、悩んだり、冷やかしたり、いじめたりする、それが恥ずかしいことです。
 もう一度、繰り返します。だから、太っていたり、背が低かったり 病気になりやすいことなどで、人をさげすんだり、噂したり、馬鹿にしたりしない人間になって下さい。

E 美しさについて、化粧について意見を聞かれて
@人間は、いくら化粧しても、自然の花の美しさには勝てないものだと、花を見てつくづく思っています。
 先日、同窓会の会合で、「先生、髪の毛、短くして、お洒落(しゃれ)しましたね」と言われ、「先生、ガングロ、 どうおもいますか?」と聞かれました。面倒だから「本人の勝手」と答えたら、「先生は、もともと、反対でしたよね」と言うことから、化粧お洒落論争になりました。
 私は、なんでも、かんでも、化粧反対ではなく、本当の化粧は、持っている自然美を引き出すもので、改造しようとしてはダメなんだなあと答えました。

 中学・高校の頃、私は「悪衣・悪食を恥じるものは、とるにたらない人間だ」という孔子(論語)の考えに賛成でした。人間の価値は、優しさとか、真理を求める生き方にあるのだと思いました。それで、学生の時は、ボロも平気で、読書だ、野山を散歩することだ、議論し合うことだという生活をしていたものです。
 いま考えてみると、それも一種のお洒落だったのでしょうが・・。
 それは、例がちょっと誤解を呼ぶかも知れませんが、ハンセン病で顔が歪んでしまった元患者の記者会見をテレビで見ていて、感動させられたのは、ものすごい差別や偏見の中で、頑張り通した人間の強さ、人間は皆んな平等でなくてはいけないんだという信念、顔や形で、スタイルだけで見てはいけないという考えが、溢れていたからでした。

F お酒で勝負
@NHKの朝ドラで、泡盛の飲みっくらで勝負するところが出てきた。
 若者たちの「一気飲み」が問題になっているおり、この場面のテレビには、ただ面白からと、見ているわけにはいきません。作者とNHKの見識を疑います。
 私が脳梗塞で入院していた一ケ月弱の間でも、夜間に運び込まれた急性アルコ−ル中毒の患者が二人いました。4月初めという歓迎会シ−ズンだったせいもあったでしょうが・・。一気飲みのように、短時間に多量の酒を飲むと血液中のアルコ−ルの濃度が上がり、急性中毒になるのです。
A三十数年前の話です。担任をしたことがあるF君が大学の理工学部へ進んで12月に、私の家へ「証人として友達を連れてきました」と言いながら、酒を一本下げて訪ねてきた。
 「先生はウソを教えた。原子核の外側を廻っている電子は粒ではなくて・・」
 大学で教わったばかりの知識で、「高校時代、随分叱られたから、そのお返しに」抗議に来たのだという。
 「そんなことないよ。ちゃんと粒ではなくて、エネルギ−の場なんだが、それはむずかしいオ−ビタル理論なので、高校生には古典的な粒の話の方が、なぜ食塩はNaClか?が、分かりやすいからと断ってから、教えたはずだよ。なあ、証人のM君・・」
 M「そう言えば、そんなこと、聞いた覚えがある」 勝負は付いた。
 F「また負けた。酒なら負けないが・・」
 私は酒が滅法強いのを知らないらしい。「じゃ、酒で行くか・・」
 二つのコップを置いて、なみなみと冷や酒をついだ。レフリ−はM君。開始。
 私は一挙に空にして、すぐ二杯目を注いだ。あとは、F君が一口飲めば 私も一口。たえずコップ一杯分リ−ドしている状態。完全勝利。心理作戦の勝利である。
 彼が1.5合、私が2.5合で決着はついた。酔いつぶれる前の無条件降伏であった。急性アルコ−ル中毒にはならないで、闘いは終わった。
 彼は今、化学関係の仕事をしている。 

G 映画の話
 私の通信に必ずコメントを下さる友人が、花のスケッチを書き添えてくれる有り難い方ですから、今度は「見た青春時代の映画を紹介して・・」とのご注文がありました。思いつくままの方が良いと思って書きます。
 敗戦前(青春と言えるかな?) 「モダンタイムス」(チャップリン)
 江北・盛岡時代(昭和24年まで) 「わが青春に悔いなし」「青い山脈」「石の花」(ロシア 初めて見たカラ−)  
 仙台時代 「太陽はいっぱい」(フランス)「箱根風雲録」「ひろしま」
        「旅路の果てに」(アメリカ)「自転車泥棒」(イタリア)
 それ以後 「ホタル」「砂の器」「独裁者」(チャップリン)
        「幸福の黄色いハンカチ」「郡上一揆」 

H 一喜一憂 いろいろと相談されて・・
 私は自動車の運転はしません。必ず酒飲み運転をしそうだから・・。
 先日、テレビで、「上手な運転の秘訣」を見ました。この話は全てのことに通じるの
で・・・。
 直ぐ目の前には、注意をしなければならないのですが、絶えず、100メ−トルほど前にも目を配ることだそうです。
 私たちは、今、とりあえずしなければならないことを大切にすることは、勿論ですし、いろいろと起こることがらの結果を、よく見ることです。
 でも、そこだけに拘ったり、それだけで一喜一憂してはダメです。
 過去の姿、将来への見通しをしっかりと・・・。
 民主主義も、同じことです。
 水戸黄門のテレビは好きですが、あの印籠一つでひざまづく時代ではありません。金持ちが、武士が、天下をとっていた時代ではありません。
 弱い立場の、虐げられていた人たちが、声を出し始めている時代です。
 江戸時代に、「おかしい」と思って立ち上がった民衆は、押しつぶされましたが、その一つ一つが、近代につながったし、大正からの民権運動が今日の民主主義(不十分ですが・・)を、つくりあげる大きな力になったのです。
 その意味で、ハンセン病の血の滲むような差別と偏見、不条理なものへの抵抗・闘いは、近代史に残る出来事であり、教訓でしょう。

I また、間違っている化学的知識
 14日9時からの「和久峻三ミステリ− 赤かぶ検事」(10チャンネル)
 「硝酸混入の生石灰・・」 硝酸は塩酸・硫酸と同じ強い酸。生石灰は苛性ソ−ダと同じ強いアルカリ。それを混ぜて・・・。混ぜたら反応して使いものにならない。
 もう少し説明すると、生石灰は水に触れるだけで発熱し、農家などで倉庫に保管中、雨漏りで濡れただけでも熱が出て火事になることすらある。

 上の文を、10朝日テレビと、和久峻三さんと、脚本家の吉田剛さんに送りました。
 このような誤りは多いものです。
 作家の五木さんの小説にも、「溶鉱炉の煙突から赤々と炎を上げ・・」 石油コンビナ−トの施設と勘違いしているんですね。溶鉱炉の煙突からは何も見えません。
 理科関係以外でも、見る人が見たら、私の知らない間違いが、随分と沢山、放送されたりしているのでしょうね。 

<続く>