広葉樹(白) マスコミ掲載論文 

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伊能言天 (いのう げんてん)

プロフィール
1948年生 医師

金沢大学医学部卒業・東京慈恵会医科大学大学院中退
市立病院外科医長・私立病院副院長・病院長など歴任

目  次
その1 なぜ進まぬ国際医療協力 朝日新聞 『論壇』 1984年12月14日
その2 朝日新聞 『ひと』欄 朝日新聞 『ひと』 1986年1月8日
その3 「死の臨床」を大学医学講座に 朝日新聞 『論壇』 1991年6月3日
その4  末期医療の重視今こそ 読売新聞 『論点』 1992年7月14日
その5 延命一辺倒は再考したい 神奈川新聞 『提言箱』 1992年7月18日
その6 終末期医療の普及こそ急務 朝日新聞 『声』 1992年10月4日
その7 臓器移植にはドナーカード 朝日新聞 『声』 1993年12月10日
その8 臓器移植法三つの提案 読売新聞 『論点』 1994年3月10日
その9 本人の意思と限り臓器移植 朝日新聞 『声』 1995年12月6日
その10 【移植に限らぬ脳死論議望む】 読売新聞 『気流』 1997年6月25日
その11 【高齢者の医療遠のかないか】 朝日新聞 『声』 1999年3月9日
その12 【人工呼吸器のルールを早く】 朝日新聞 『声』 2007年6月10日  



その1 【なぜ進まぬ国際医療協力】

朝日新聞 論壇 1984年12年14日

 11月22日付の本紙「論壇」に、太田青丘氏の「医師過剰なら海外派遣を」という国際医療協力に関係したご意見が掲載されていたので、関係者の1人として私見を述べさせていただきたい。

 同氏のご意見を要約すると、「医師過剰を、国内的視点のみでなく、もっと大きな国際的視野でとらえるべきで、教育機関の定員を削減するより、医師不足で苦悩する途上国へ過剰な医師を派遣すべきではないか」となろう。

 今や外国との友好関係抜きに語れない日本の国際的立場を考慮するなら、このご意見は時勢にかなったものと言える。しかし、わが国の国際医療協力の実情をつぶさに知れば、この手の問題は一筋縄では行かないことが理解されよう。

 今日、アフリカ飢餓救済の声がにわかに高まり、政府や民間の救援団体が動き始めているが、これはまさに1979年のインドシナ難民の時と同じような現象である。当時日本政府は、金は出しても人を出さないと国際的に非難されて、やっと重い腰をあげ、医療団を送ったが、欧米チームは、早いものでは、それより5年も前から現地で活動していた。筆者は、ドイツの大学教授が率先して若い医師たちを連れて来て、現場で教育しているのをまのあたりにして、感嘆したというより、あまりの日本とのへだたりに、恥ずかしい思いがしてならなかった。

 当時、日本政府が派遣する医師は、各大学が輪番制で出していた。筆者が関係者から聞いた話では、ある大学では、1人も希望者が出ず、困りはてていたと言うし、またある大学では、次は自分が当たるのではと、皆、疑心暗鬼になっていたと言う。

 11月にエチオピアに派遣された調査団の報告によると、ヨーロッパの救援団体は、10年も前からそこで活動しているそうである。それほど欧米では、海外への医療援助が当然のことのように行われているのである。

 それでは、なぜ日本では、国際医療協力が活発にならないのだろうか。

 まず第一に、医師に限らず日本人の島国根性的な視野の狭さがあげられよう。日本から行った重装備のアフリカ探検隊の車を、ヨーロッパの家族連れの車が手を振って追い抜いて行ったのを見て、隊員が拍子抜けしたという笑い話は、外国へ出かけることを大げさに考える日本人気質を如実に物語っていはしないか。

 第二に、国際医療協力が、日本の医療界で評価されない点があげられる。西側諸国で第2位のGNPを有しながら、いまだに欧米先進国にのみ目を向けて、旧態依然とした親のすねかじり的発想から脱しきれず、後進国のために役立とうという意識に欠ける。

 そのために日本では、たとえ医師が国際医療協力に関心を抱いても、現在の地位や職場を失うのを覚悟のうえでなければ参加できないし、海外での任務を終えて帰国しても、復職するあてがない。これでは、国際医療協力参加を、医学生の成績や医師の階級特進に算入して評価している欧米に、追いつけようはずがない。

 このようなわが国の国際医療協力の問題点を十分把握し、その解決を図らなければ、たとえ医師が過剰になっても、この国際医療協力とは無縁の医師が増えるだけにとどまることは、火を見るより明らかである。

 筆者らは、日本の国際医療協力を推進すべく、啓もう運動に情熱を燃やしている。にわかに高まったアフリカへの援助を旗印に、日本の医療界に国際医療協力の機運を盛り上げたいと思っている。


その2 朝日新聞 『ひと』欄

朝日新聞 1986年1月8日

 「国際医療協力、とりわけ発展途上国に対する医療協力を進める拠点にしたい」

 発足したばかりの学会の常務理事として、事務局を預かる。会員も二百人を超え、この三月十六日に、東京で設立総会を開く。外科医として一日四十人余の患者を診ながら総会の準備に追われている。

 五十八年四月の日本医学会総会で、昨年亡くなった水野祥太郎・大阪大名誉教授が、「発展途上国と日本の医療」と題するシンポジウムを組んだ。この時、水野名誉教授に参加を求められ、その情熱に打たれたのが、国際協力問題に取り組む、きっかけとなった。

 「医師のネットワークをまず作らなければ」と、10年間分の医学雑誌を調べた。途上国に医療救援に出た医師看護婦の論文を捜し出し、千人余のリストを作り上げた。

 この名簿をもとに医師らに呼びかけ、東京と大阪に「国際医療協力サロン」を設けた。七〜八回の研究会を開いてきたが、学会は、このサロンを発展させたものだ。

 「海外に出たいという若い医師が増えているが、難民救援などに個人で出ていくと、病院を辞めなければならない。帰ってきてから職探しです。これでは自由に外へ出られませんよ。欧米では、国際医療救援への参加は、逆に高い評価になるのに」

 閉鎖的な大学の医局制度の存在も、足かせに、なっている。しかし、今回、学会設立に二十五人の医学部長、百二十人の教授が発起人に名を連ねた。「これは心強い。理解が広がるのでは」と声を弾ませた。

 学生時代から、途上国を歩いた。七年前には、タイ・カンボジア国境で、難民の診療に当たった。「地域医療の充実が叫ばれているが、これからは地球医療の時代です」


その3 【「死の臨床」を大学医学講座に】

朝日新聞 『論壇』 1991年6月3日

 東海大学医学部付属病院(神奈川県伊勢原市)で先月起きたがん患者の「安楽死」問題は、脳死問題にも匹敵する、医学界が早急に解決しなければならないテーマを提起している。

 臨床医なら、このような事例はだれしも経験しており、場当たり的に処理しているのが現状だ。ホスピス運動が高まり、患者の人権が叫ばれる今日、今回の事件を教訓にして、「死の臨床」(ターミナルケア)を医学や医学教育の大きなテーマとして取りあげるように、医学関係者の自省こそ必要で、「刑事事件」などといって片付けるべきではない。

 「死は医学の敗北」として、死なさないことを最重視してきた現代医学では、末期患者への対応にひずみが出るのは当然である。臨床現場で末期になったとたん、医師から見放され、ろくに相手にもされず、病棟の隅に追いやられてしまうがん患者の悲痛な叫びを、我々は知らなければならない。そういう患者がホスピスに転院してきて、がんの告知を受け、納得して死を迎えていく姿を目の当たりにして、家族に懇願され、見るに見かねて安楽死を選んでしまった医師に対し、私は同情こそすれ非難する気にはなれない。

 問題は、「死の臨床」が現代医学で軽視されているところにある。私の知る臨床医で、末期医療に関心を持っている者は極めて少ない。死の臨床の知識経験が乏しい場合、医師が治療に熱心であるほど泥沼にはまりこみ、医師も家族も疲労こんぱいし、今回のような悲劇が起きる危険性が強い。

 ホスピス医療にたずさわっていると、このような事態は日常茶飯事である。しかし、五月十五日付本紙で作家の中島みち氏も指摘したように、医師がモルヒネと麻酔剤による適切な治療テクニックさえ知っていれば、臨終時の断末魔はほとんどの場合除去できる。

 一例を示せば、肝臓がんの末期患者のがんが突然破裂し、腹腔(ふっこう)内に大量出血した。患者が痛みなどでのたうち回るのを、家族が見かね「楽にしてやってほしい」と私に懇願した。多めのモルヒネと鎮静剤を投与した結果、直ちにおさまり、傾眠(意識混濁状態)がちではあったが、家族との会話は可能だった。間もなく眠るように他界したが、家族からは安らかな最期に感謝された。

 日本で死の臨床についての関心が高まって二十年近くたつ。先人の苦労が実って、ホスピス運動も高まりを見せている。人間が必ず死ぬ運命にある以上、延命への挑戦一辺倒の現代医学の態度は、今こそ改められなければならない。

 そのためには、まず死の臨床を大学医学部の講座の一つに組み入れ、専門的に研究すべきである。現在、末期医療に関心を持つ医療従事者が、いろいろな研究会を開いて討論してはいるが、大学などで体系的に研究されてはいない。大学の講座に取り入れられれば、医学全体の中で「死の臨床」の地位が確立し、専門家も育ち、医療界全般に波及する効果がある。

 第二に、医学・看護教育の中で学生に死の臨床を教育しなければならない。教育を受け、知識さえ持っていれば、今回の悲劇は回避できただろう。第三に、すでに臨床現場で働く者にも、死の臨床の教育が必要である。すべての臨床医がこのような事態に遭遇する可能性があるし、ホスピスマインドは医の原点にも通じ、医の倫理高揚をもたらすからだ。

 厚生省が保険診療の評価引き上げを伴うホスピス(「緩和ケア病棟」)施設の認可基準を打ち出してから、ホスピスの建設ラッシュが起きようとしている。しかし、ホスピスはハードよりソフトに意義がある。重要なのはホスピスという場所ではなく、ホスピスケアであることを再確認しなければならない。


その4  【末期医療の重視今こそ】

読売新聞 『論点』 1992年7月14日

 昨年東海大学で起きた安楽死事件の徳永医師が、横浜地検に殺人罪で起訴された。

 地検の起訴は、塩化カリウムの致死作用が医学的常識である以上、酷な気もするがやむをえないと考える。酷といったのは、多くの末期癌(がん)患者が見捨てられている大学病院にあって、彼が熱心に患者を診ていたと推察されるからである。

 新聞報道を見ると、起訴についての専門家のコメントは、二つに分かれる。医事法学者などは、安楽死に視点を置いている。一方、ターミナルケア(末期医療)を実践している臨床家は、大学病院でのターミナルケアの立ち遅れに力点を置いている。

 私は、この事件が、研究・教育の面で医療界をリードすべき大学で起きたことを重視したい。医学的に苦痛の緩和方法が発達した今日、積極的安楽死を論ずるより、むしろ、ターミナルケアの取り組みが、概して、大病院になるに従い、貧弱であるという日本の医療のひずみを問題視することこそ重要と考える。

 ターミナルケアに携わったことのある者なら、これと同様な場面に遭遇することはたびたびである。私も痙饗(けいれん)に苦しむ大腸癌の末期患者に遭遇した。しかも意識ははっきりしていた。家族は苦しむ姿を見かねて、何とかしてほしいと懇願してきた。幸いにも、ターミナルケアのノウハウを知っていたので、モルヒネと鎮静剤でまず苦しみを取り、その後、抗痙攣剤で痙攣を止めるよう努力した。痙攣は、すぐにはおさまらなかったが、苦痛をコントロールしていたので、私も家族も心の余裕があり、バーンアウト(燃え尽き)せずにすんだ。

 大学病院では治療医学すなわち、延命医療が優先されるため、ターミナルケアの取り組みは遅れている。そこでは、ターミナルケアに熱心な医師は孤軍奮闘しなければならず、バーンアウトしがちになる。今回の徳永医師も、バーンアウトした一人であろう。その意味では彼は、大学病院の貧弱なターミナルケア体制の犠牲者でもある。

 毎年二十二万人もの癌死者が出ている。つまり、ターミナルケアを必要とする患者が年間二十二万人もいるというのに、ターミナルケアを行う施設・ホスピスは、厚生省の認可したもので、全国に七か所。そのほかを含めても二十か所に満たないし、ターミナルケアに関心を持つ医師が、たったの二百人たらず(死の臨床研究会の医師会員数)という現状は、何を物語るのか。

 ターミナルケアヘの無関心は、医師の宿命とも言える延命への挑戦欲からくるのだろうと推察する。悪く言えば、死を待つだけのターミナルケアには、一般の医師は興味がわかないのだ。現代医学は、五年一昔の早さで進歩している。最先端医療では、腹腔(ふくくう)鏡で胆嚢(のう)や虫垂の切除をしたり、形状記憶合金を使って、腸管などの狭窄(さく)部位の拡張術を行ったりしている時代に、死を待つだけの医療に関心が薄いのは、無理からぬことだろう。医師が関心を持たない限り、医師が全権をもつ日本の医療制度下でのターミナルケアの進歩はないし、末期癌患者の悲劇は無くならないだろう。

 私はこの現状の一つの打開策として、積極的に末期癌に対峙(たいじ)する、ターミナルケアの新しい概念(緩和医学)の確立を提唱している。

 癌のステージを、初期、晩期、末期と分け、初期は、癌の診断から根治不可となるまでの期間、晩期はそれから原因療法不能となるまで、それ以後を末期という。私個人のヂータでは、癌死患者の初期、晩期、末期の罹病(りびょう)期間は、それぞれ平均六百二十八日、三百九十三日、四十二日だった。

 今日の医療現場では、晩期の癌患者は、内科が主に担当し、末期になってホスピスに移されてくるのが普通である。この場合残された一か月ばかりの期間では、しっかりした患者とのコミュニケーションを取ることもできず、本人の性格や家庭環境など患者のQOL(生活の質)にとって不可欠な情報も得ることができない。

 そこで、晩期、末期を一貫して担当する必要がでてくる。そのためには、担当者に、内科、外科、麻酔科、放射線科、精神科など総合医療科的な高度の技量が要求される。これは現代医療技術を必要とし、医師にとっても興味ある一つの分野となり得る。患者にとっても、一貫性を持って癌と対峙することができ、ホスピスは「死に場所」という暗いイメージを払拭(ふっしょく)できる。

 緩和医学を大学の講座の一つに組み入れ、専門的に研究すべきである。そうすれば、医学全体の中での地位が確立し、専門家も育ち、医療界全般に波及する。

 今回の安楽死事件をきっかけに横浜で発会した「ホスピスを考える横浜市民の会」主催の講演会で、会場を埋め尽くした市民の熱意を目のあたりにして、この安楽死事件を単なる刑事事件で終わらせることなく、医療者も、市民も、延命一辺倒の現代医療のあり方を再考するきっかけにすべきであると考える。


その5 【延命一辺倒は再考したい】

神奈川新聞 『提言箱』 1992年7月18日

 東海大学付属病院で起きた安楽死事件の医師が、横浜地検に殺人罪で起訴された。

 地検の起訴は塩化カリウムの致死作用が医学的常識である以上、酷な気もするがやむを得ない。酷といったのは、多くの末期がん患者が見捨てられている大学病院にあって、彼が熱心に患者を診ていたと推察されるからである。

 概して、ターミナルケアの取り組みは、大病院になるに従い貧弱になる。治療医学すなわち、延命医療が優先されるからである。ターミナルケアの取り組みの貧弱なところでは、それに熱心な医師は孤軍奮闘しなければならず、バーンアウト(燃え尽き)しがちになる。今回の医師も、バーンアウトした一人であろう。その意味では、大学病院の貧弱なターミナルケア体制の犠牲者でもある。

 ターミナルケアに携わったことのある者なら、これと同様な場面に遭遇することはたびたびである。私もけいれんに苦しむ大腸がんの末期患者に遭遇した。しかも意識ははっきりしていた。家族は、苦しむ姿を見かねて、何とかしてほしいと懇願してきた。

 私は幸いにもターミナルケアのノウハウを知っていたので、モルヒネと鎮静剤でまず苦しみを取り、その後、抗けいれん剤でけいれんを止めるよう努力した。けいれんはすぐには治まらなかったが、苦痛をコントロールしていたので、私も家族も心の余裕があり、バーンアウトせずにすんだ。

 この安楽死事件は、現代医療における貧弱なターミナルケア体制の帰結である。単なる刑事事件で終わらせてはならない。医療者も、市民も、延命一辺倒の現代医療のあり方を再考するきっかけにすべきだ。

 ホスピスを考える横浜市民の会主催の講演会で、会場を埋め尽くした市民の熱意にこたえ、世話人の一人として、ターミナルケアの取り組みに決意を新たにする者である。


その6 【終末期医療の普及こそ急務】

朝日新聞 『声』 1992年10月4日

 東海大医学部付属病院で起きた安楽死事件の初公判が横浜地裁で開かれた。安楽死問題が法廷で論議されることは、終末医療への関心の高まりを期待する私には大変、好ましく思われる。だが、三十年も前に名古屋高裁が出した、安楽死が許されるための大要件しか、検察側の判断基準がないとは少々心もとない。

 しかも私には、今回の事件では大要件のうち、はっきり非といえるのは、「患者本人の承諾」がなかったことだけのように思える。家族は承諾していたのだが。脳死の判定でさえ、臨調答申では、家族の意思を尊重する、とされている。

 さらに、患者が不治の病だったのは間違いないし、意識がないからといって苦痛なしとは言い切れない。これは脳死判定の客観性が疑問視されているのと同じ理屈だ。患者の死苦の緩和が目的だったし、医師の手によっている。

 私の言いたいことは、苦痛緩和の技術が進歩した今日、安楽死の是非を問うのは無意昧で、正しく終末医療を普及させることこそ急務だということだ。

 被告の医師が犯した唯一の過ちは、終末医療の知識に欠けていたことだ。これは彼一人の責任ではなく、終末医療を実践していなかった病院にも責任なしとはいえない。

 正しい終末医療は、積極的に命を縮める安楽死とは違い、末期の患者に尊厳をもって最期を生きられるよう援助する医療である。


その7 【臓器移植にはドナーカード】

朝日新聞 『声』 1993年12月10日

 臓器移植の立法化が急がれている。私は、脳死・移植に反対するものではないが、この15年ほど、脳死問題に関心をもって推移を見守っていただけに一言注文をつけたい。

 当初、脳死が社会問題化したのは、人工呼吸器で無意味に延命されている脳死患者への同情からであった。当時は、脳死は移植といっさい、切り離して論ずべきだというのが関係者の基本にあった。それが80年代後半になると、両者が並行して論じられるようになった。

 立法化の機運が高まった昨今、移植推進派の方々が「本人の生前の意思」が不可欠なら、移植をやるな、ということに等しいというのを聞くと、初めに移植ありき」と叫んでいるように私には聞こえ、15年ほど前との余りの変容ぶりに驚愕(きょうがく)する。

 移植は、提供者とそれを実行する医療者の善意が基本である。死体といえど、本人の承諾なしに臓器を摘出するのは、盗みに等しいと私には思えてならない。

 臓器売買など、過去に起こった移植にまつわる不祥事を見ると、それを支えるための医の倫理は、医療界に果たして備わっているだろうか。「本人の意思」の条項は、移植の倫理的根幹を支える重要なよりどころとなるだろう。

 最初からすべて、書面による意思表示とはいかないにしても、まず明確な家族による忖度(そんたく)を不可欠条項とし、ゆくゆくは、ドナーカードの普及によって、本人の書面による意思表示にもっていくべきだ。移植の必要性を訴えるなら、同時にドナーカードの普及にも力を入れるべきなのだ。


その8 【臓器移植法三つの提案】

読売新聞 『論点』 1994年3月10日

 臓器移植法の成立が急がれている。脳死臨調の答申が出て二年もたつのに、いまだ結論が出ていないし、日本人が米国に来ては移植を受けている現実に、米国在住の日本人医師が、日本の移植医のふがいなさに慨嘆している。

 そういう中で、苦悩しつつも心停止肝移植を果敢に実行した九州大学関係者の努力は評価されてよい。試験管ベビー、遺伝子操作等が臨床化されつつある今日、医の倫理の根幹にかかわる脳死・移植を慎重に検討するのはむろん大切だが、もう少し現実的かつ合理的な解決策がないものだろうか。

 脳死移植に対するいろいろな論調を見ていると、脳死の賛成論は生物学的死を、反対論は社会的死をおおむねその論拠としている。

 略述すれば、前者は脳死状態はまぎれもなく生物学的に個体の死だとするもので、後者は人間の死は生物学的側面だけでは論じられないというものだ。

 ひるがえって考えてみれば、元来人間の死には、生物学的な死と社会的な死が内包されている。脳死も臓器移植も、その死の二面性と密接にリンクしている。脳死患者を生物学的側面だけから見るなら、人工呼吸器でただ生かされているという社会的無意味さは、見逃されてもいいし、人間の生老病死が生物学的に自然の摂理なら、不治の病に臓器移植で対応するのは不自然極まりないことになる。

 賛否両論入り乱れる現状で、脳死移植が、欧米並みの合理主義には成りきれない日本国民のコンセンサスを得るためには、こういった人間の死の二面性を認め合った上で、妥協案を模索するしか手はないだろう。今日指摘されている脳死移植の問題点を見てみよう。

 第一に、従来の心停止をもって個体死とする死の概念の変更に対する根強い抵抗がある。脳死自体、人工呼吸器という現代医学がもたらした副産物であるし、近い将来、人工心臓が実用化される時、死の概念は、時代とともにいやおうなしにかわらざるをえない。

大切なことは、とめどもなく開発される医学技術を制御しうる生命倫理の確立が、今こそ必要とされていることなのだ。

 第二に、臨床現場で脳死を個体死としなければならない必然性はあるのか。答えは、移植を企図する場合を除いてないといえる。私の二十年の経験でも、脳死と思われる患者は、人工呼吸器を使ってもほとんど一週間ほどで心停止をきたしたし、家族に脳死を説明し、その承諾を得て人工呼吸器を外したこともある。

 脳死と診断された場合、人工呼吸器の適応なしとして、家族の承諾のもとにそれを外すことさえできれば、心停止をもって個体死とし、臨床現場で困ることはない。

 さらに、脳死の判定には専門的技術が必要だが、その専門家は必ずしもすべての病院にいるわけではない。もし脳死すべてを個体死と認めると、死の判定が脳死と心停止の二種類の方法で行われることになるから、病院によって死の判定方法が異なることも起こり得る。そういった医学、司法上の混乱を避けるためにも、脳死を個体死とするのは移植を企図するケースのみに限定した方が合理的だ。

 第三に、脳死の判定方法に客観性が乏しいという批判がある。客観性は高いにこしたことはないが、脳死を確定できる機械はいまだないし、高度の機械が必要となると臨床的でなくなる。

 心電図がない時代は、脈をとって心停止を診断していたのだ。今後、医学の発展とともにそういった機械が発明されれば、随時条件につけ加えていけばいい。

 第四に、臓器売買など、脳死移植にまつわるその閉鎖性や非倫理性が危惧(きぐ)されている。移植は本来、提供者とそれを実行する医療者の善意に基づくものだ。患者本人の生前の意思の条項は、移植の倫理を支える重要なよりどころである。

 家族だけでなく、本人の生前の意思を前提条件にすれば、これらの倫理的危慎は軽減される。これらを踏まえて、私は臓器移植法案に対して次のような提案をする。

 第一に、移植法案では、脳死を個体死とするかどうかは明記されていない。これでは移植に関係しない脳死に遭遇した時、臨床医はどう対処すればよいか困ってしまう。従って、脳死と個体死の位置付けを明確にし、脳死を個体死とするのは、臓器移植を企図するケースに限るとすべきだ。

 第二に、移植を企図しないケースでの脳死の取り扱い方についても明記すべきだ。すなわち、脳死と診断された時、家族の承諾のもとに、医師が人工呼吸器を外しても罪に問われないとする。人工呼吸器を外して、心停止をもって個体死とする。

 第三に、臓器移植は、脳死患者本人の生前の意思および家族の承諾を前提条件とすべきだ。最初からすべて、書面による意思表示とはいかないにしても、ドナーカードの普及によって、ゆくゆくは本人の書面による意思表示にもっていくべきだ。

 いろいろな脳死移植に関するアンケートで自分が脳死に陥った場合、臓器提供すると答えた人が、今や半数を超えている。これからは、ドナーカードの普及こそが急務となる。


その9 【本人の意思と限り臓器移植】

朝日新聞 『声』 1995年12月6日

 臓器移植法案が六度目の継続審議となろうとしている。

 脳死臨調の答申が出て四年、立法化のための各党協議会が発足して三年がたった。議論の争点は、脳死を個体死とすることの是非と、脳死者自身の生前の意思が明確でなくても、家族の承諾さえあれば移植可能としうるかの二点である。

 近い将来、人工心臓が実用化されれば、いや応なしに死の判定は脳死によることになるだろうが、後者については結論はなかなか出せまい。札幌医大の心臓移植からはや三十年がたとうとしている。現実的に対処しないと、五年、十年はすぐにたってしまう。

 私は、「本人の意思に限る」と法案を修正した上で、早く立法化すべきだと思う。「それでは移植はするなと言うに等しい」と反論する移植医もいよう。ならば彼らに問おう。今春起きた腎移植にまつわる前移植学会理事長の不祥事は一体何ごとか。これら過去の不祥事を見るにつけ、移植を支えるだけの医の倫理が、医療界に果たして備わっているのか疑念をもつ。

 「本人の生前の意思」の条項は移植の倫理的根幹を支えるよりどころなのだ。立法化した後、ドナーカードの普及に力を入れよう。移植医は範を垂れ、自らドナーカードに登録し、世に訴えるべきだ。アイバンクにしても骨髄バンクにしても、そういった地道な活動によって今日があるのだ。


その10 【移植に限らぬ脳死論議望む】

読売新聞 『気流』 1997年6月25日

 臓器移植法が国会で成立した。長い時間を要した懸案だけに、その意義は大きい。

 私は、九四年三月の本紙論点欄で「臓器移植法三つの提案」と題した提言を行った。概要は、移植を目的とした場合にのみ脳死を個体死と認め、臓器摘出には本人の生前の意思と家族の承諾が不可欠だというもので、今回成立した移植法とほぼ同じ内容だった。

 ただ違ったのは、私の提言には、移植を目的としない"脳死状態"の場合、家族の承諾を得て医師が人工呼吸器をはずしても罪に問われず、心停止をもって個体死とするということも含まれていたという点だ。今回の移植法に基づく脳死判定は、移植提供者のみを対象とし、そうでない人は除外された。

 そもそも、脳死論議は安楽死や尊厳死問題にもつながり、人の死のあり方を問う深くて重いテーマだ。その発端として、七五年に米国で起きた「カレン安楽死裁判」が挙げられる。人工呼吸器で無意味に延命されている娘を、楽にしてやってほしいと両親が裁判所に訴えた例だ。

 しかし、時の経過とともに、わが国では、いつのまにか脳死と移植が並行して論じられるようになり、ついには移植論議が脳死論議を追い越して、移植法の成立に至った。

 脳死論議は移植のためだけにあったものではない。今こそ私たちは、この論議の原点にもう一度立ち戻らなければならない。


その11 【高齢者の医療遠のかないか】

朝日新聞 『声』 1999年3月9日

 今年の冬は、全国でインフルエンザが猛威を振るった。私の二十五年の臨床経験で、これほどまで高齢者を直撃したインフルエンザの記憶はない。発熱した高齢患者に抗生剤を与えても、数日で呼吸苦が出て、あわてて胸部レントゲンを撮ると片肺が真っ白で肺炎になっている。このような患者を数例経験し、治療は難渋を極めた。これが、患者との意思疎通を欠きがちな精神科や、迅速な治療が難しい施設であれば、手遅れになるのはむべなるかなという印象を持っている。

 先日のテレビ番組で、感染症の専門家が、今年のインフルエンザは免疫学的に危険であると昨年十二月には分かっていた、と述べているのを見て私は驚いた。我々の現場には、そういった警告情報はなかった。医療者も患者も、そして厚生省も油断していた結果が、今回のインフルエンザ禍ではなかろうか。

 今回のことで危ぐするのは、介護保険の行く末である。実施を一年後に控えても、まだはっきりと介護保険導入後の医療体制は見えてこないが、医療費抑制と在宅介護がいわれ、今より高齢者が医療から遠ざけられる恐れがある。

 「介護保険導入により、高齢者のインフルエンザ死亡激増」というニュースだけは聞かないで済むよう関係当局にお願いしたい。



その12 【人工呼吸器のルールを早く】 

朝日新聞 『声』 2007年6月10日

 「点滴治療やめ無痛の最期を」(5月28日)は、市民感情からすれば、ごく自然な発言であろう。しかし、法律論となると、そう簡単ではない。

 私は、脳死論議が高まった1994年、臓器移植法案に関連して、移植に関係しない場合の脳死の取り扱いについても法案に明記すべきだ。脳死と診断された時、家族の承諾のもとに、医師が人工呼吸器を外しても罪に問わないこと、と他紙で提言した。

 それからはや十数年が経過したが、いまだそのルール作りは、遅々として進んでいない。その間に、この種の事例が何件起きただろうか。

 私は再び次のように提言する。@脳死と正規に診断された場合、書面による家族の承諾があれば、人工呼吸器をはずすことができる。心停止をもって個体死とする。その際、医師は殺人罪に問われない。A脳死状態の場合、複数の医師により人工呼吸器による快復の見込みがないと診断されれば、第三者と家族の同意を得て、合意事項を書面に記載し、人工呼吸器を外すことができる。それによってたとえ死期が早まったとしても、医師は殺人罪に問われない。

 人工呼吸器は、生死に直結するものだけに、明確にルールを定めないと、医療現場に混乱を招き、ひいては医療の萎縮を増長するだろう。


(続く)