広葉樹(白) 痛みを癒す   
    モルヒネを使いこなす

 ホ−ム > Web講座メニュ− > 痛みを癒す

出典:高宮有介(医師・昭和大学緩和ケアチームリーダー)著書「がんの痛みを癒す」小学館発行から、著者の許可を得て抜粋掲載しました

はじめに

 末期がんといえば、激しい痛み、苦しみといった印象が一般の方には思い浮かぶかもしれない。断末魔の叫びを発し、ベッドの上でのたうち回る。たしかに十年前まではそういうこともあった。しかし、1987年に世界保健機関(WHO)が、日本語版『がんの痛みからの解放』という冊子を発行し、上手なモルヒネの使い方を広めてからは、多くの患者さんが痛みから救われるようになってきた。

 とはいえ、患者さんの側ばかりでなく、医療者のなかにもまだモルヒネに対する先入観や偏見が残っていて、モルヒネの使用をためらったり、使いはじめても増量を躊躇する場合があるようだ。欧米では、モルヒネの正しい知識を市民も勉強して知っている。この章は、一般の方には少々難しいかもしれないが、自分と家族を守るために読みすすめてほしい。そして、がんの痛みをがまんしろという医療者に、反対にみなさんから教えてあげてほしいのだ(ただし、とくに本章の後半部分は、かなり専門的な内容なので、一気に読みこなすというより、むしろ読者の方の必要に応じて読み、活用していただきたいと思っている)。

 薬の使い方という前に、がんの痛みを取り除くためには、まず痛みそのものを理解しなければならないだろう。

 私たちの緩和ケアチームのマークは、幸せを呼ぶ「四つ葉のクローバー」である。これは患者さんのもつ四つの痛みを和らげることを意味している。

 四つの痛みとは、身体的な痛みのほかに、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアル・ペインである。社会的な痛みとは、患者さんの仕事のことや家庭のこと、経済的なことでの悩みや苦しみである。たとえば、働き盛りの男性の患者さんが責任のある仕事を半ばで中断することを強いられたり、若いお母さんが家に置いてきた幼い子どものことが心配だったり、個室に入りたいのに個室代が払えない、などのことも患者さんの痛みを増強させてしまう。スピリチュアル・ペインとは、宗教的、霊的、実存的、哲学的な痛みなど、さまざまな訳がなされているが、どれもあまりしっくりとはこない。私の考えについては、別のところで話してみたい。

【1】痛みを評価する

 いま述べてきたように、痛みを治療するためには、まず痛みを理解しなければならない。たとえば恋人同士が二人でいたとしよう。いっしょに美しい風景に感動することは可能かもしれない。けれども、恋人が歯が痛いと言ったとき、その痛みを思いやることはできても、もう一方が同じ痛みを感じることはできない。痛みというのは、その人にしかわからない、あくまでも主観的な感覚なのである。

 それと同時に、痛みというものが四つの痛みで構成されていると話したように、それぞれの要素は関係しあっていて、周囲の環境に左右されやすい。1995年の一月におこった阪神大震災では多くの人が心身ともに傷ついたわけだが、被災者の方のこんな話がある。地震直後に、家族を助けたり荷物を運び出すために、壊れた窓ガラスや家具の散乱する地面を裸足で走り回ってもちっとも痛みを感じなかった。数日たって落ち着いてきたら、血だらけの足に気づき、ようやく痛みを感じるようになったという。

 医療者であっても、痛みについてよく誤解をしてしまうことがある。Hさんは六十歳の男性、胃がんの末期で腹痛と腹満感に苦しんでいた。彼の痛みに対してはモルヒネの持続皮下注入法がほどこされていた。激痛はないものの、おなかの張った感じと重い感じは取りきれない。彼は頻繁にナースコールを押し、看護婦を呼んでいた。夜間はとくに気が紛れることがないせいもあって、ナースコールの回数は増える。けれども、ある看護婦がHさんのベッドサイドに座りこみ、話をしながらおなかをさすっていたら彼は静かに寝入ってしまった。またこんなこともあった。日曜日に一歳のお孫さんがお見舞いにやってきて、その面会時間のあいだは一度もナースコールは鳴らなかったのだ。看護婦のなかには、Hさんが訴えている痛みはうそなんじゃないか、と言う人もいた。だがけっしてそうではない。痛みとは、本来こういうものなのである。

 がんの痛みというと、激痛のようにイメージする方も多いだろうが、交通事故や急性膵炎、尿管結石のような急性痛とは異なる。もちろん、がんの痛みも原因や場所によって強さや性質もちがうが、どちらかというと、重い、違和感のような痛みが二十四時間続くものが多い。そのため、周囲の環境で感じ方がずいぶん変わってくるのである。Hさんの場合のように、そばに医療者がいて痛いところをさすっていたり、待ち望んでいたお孫さんに会っているときに痛みが和らいだことは、ごく自然な痛みへの反応であり、よくあるパターンなのだ。医療者だけでなく、家族としても、痛みのもつそういう面を理解することは大切である。

 また、一歩すすんで、患者自身のなかにも痛みを和らげる力がそなわっている(現在、末期の状態になったら、生命保険が支払われ本人も使えるという生前給付型の保険が普及しはじめているが、それによって医療費の心配がなかったり、好きなことをするためにお金が使えたりする。葬儀も生前葬として行う方も出てきている。後顧の憂いをなくした安心感が、痛みの癒しにつながるのかもしれない)。

 四十二歳のEさんは海外で長く生活された方だった。彼女は乳がんで、骨と肺への転移も海外で告知されていた。残された時間の短さを知ったEさんは、最後の時間を自分の愛する人たちと過ごしたいと考え、四十三回目の誕生日を期にパーティーを開こうと計画した。すでに骨の転移は全身に広がっていて、安静にしているときの痛みはなんとかモルヒネで和らいでいたが、歩くと背中に電気が走るような痛みに襲われる。しかし、その彼女がパーティーの準備を始め、招待状を出したりパーティーの進行を考えたりしているうちに、痛みはだんだんと軽くなってきたのだ。そしてパーティーの当日、周囲の心配をよそに、Eさんは堂々と主役を務めた。艶やかなピンクのドレスにハイヒールをはき、背筋をまっすぐ伸ばして各テーブルの友人たちにあいさつして回る。その間、彼女は痛みのことはまったく忘れていたという。そしてなんと、お昼のときのモルヒネの錠剤まで飲み忘れていたのである。
 そう、痛みとは不思議な感覚である。その患者さんが望むことや夢中になることを、まわりの人間がサポートすることによっても、痛みは和らげ得る。私はそのことを、Eさんから教えていただいたのだ。

 Not doing but being−これはイギリスのホスピスでよく言われる言葉で、「何かをすることではなく、そばにいること」。とかく医療者は、痛いとモルヒネ、だめなら増量、または神経ブロック療法というふうに考えやすいが、案外そばに座って、痛いところをさすっていたほうが痛みが和らぐ場合も多いのである。

 とはいえ、痛みをあいまいなままにしていては、痛みの治療はすすんでいかない。そのためには、ある程度の痛みの評価は必要だ。いままで医療者は、患者さんの表情やしぐさで痛みを判断してきた。しかし、痛みはその人にしかわからない感覚である。しかめっ面をしていなくても、痛いときは痛いのである。

 一般的には、痛みの評価にはVAS(ビジュアル・アナログ・スケール)が使われている。これは、一本の線の左端が痛みなし、右端は最高に痛いとして、患者さん自身がどれくらい痛いか線上に印をつけるものだ。私たちのチームでは、患者さんとユーモアのある会話ができるフェイス・スケールを使用している(図3)。



 イギリスの小児病院で子どもむきに開発されたもので、泣き顔が最高に痛く、笑い顔がまったく痛みなし。これも医療者が顔と見比べて判断するのではなく、患者さん自身がそのときの痛みを番号で示す。だから、患者さんがスケールと同じ顔をしている必要はない。私たちは、鎮痛治療によって、患者さんが示すスケールがどう変化するかに注目する。

 痛みへの対応でもっとも大切なことは、まずその痛みをそのままに共感することだ。最高に痛いというところを指していた患者さんが、モルヒネの投与で表情が明るくなり食欲も出て夜間も熟睡しているようであっても、まだ最高に痛いと言うような場合がある。ここで患者さんの訴える痛みがうそかもしれないと思ってしまったら、痛みの治療はおしまいだ。患者さんが痛いと言ったら、そのままに共感する。そして次の段階で、その痛みがより多くのモルヒネが必要な痛みなのか、それともほかの因子が絡んでいるのかを判断する。たとえば、告知を受けていないためにイライラして痛みと感じてしまうのか、死の不安がそう感じさせてしまうのか、家族の方をふくめて話し合い、考えていく。いずれにしても、痛みの評価は、まず患者さんの訴えにそのまま共感し、次にその痛みの裏にある原因を考え、対応していくことが重要である。



【2】モルヒネを使いこなす
 
 モルヒネが恐くない理由
 麻薬、モルヒネというと一般的には中毒症状、精神症状を引きおこす恐ろしい薬といったイメージがあると思う。しかし、モルヒネは正しい投与方法を行うかぎり、安全かつ効果的な鎮痛薬である。同じモルヒネなのに、なぜいままで副作用だけが強調されてきたのだろうか。おそらく最大の原因は、一度に大量の静脈注射や筋肉注射として使用されてきたことがあげられるだろう。

 WHOでは経口投与をすすめている。モルヒネの血中濃度をみると、@疼痛域(副作用はないが、痛みはある)、A至適濃度(痛みもとれ、副作用もない)、B中毒域(痛みはないが、副作用が出現する)に分けられる。一回に大量に投与される静脈注射や筋肉注射では、図5の矢印のように、至適濃度を突き抜けて中毒域に達してしまう。そのため強い副作用が出ていたのである。そして血中濃度は急激に下がり、痛みを再び感じて、また注射。それによって混乱などの精神症状を繰り返していったのである。

 経口での投与なら、図5のように至適濃度内に長時問保つことができる。しかし、一回だけの服用だとまた痛みが襲ってくる。反復した服用が必要となってくるが、間があくと患者さんは痛みを感じてしまう。それでは、予防的に投与すればいいじゃないか、というのが図7(未収載)である。この予防的な投与の間隔が四時間ごと、一日六回服用すればよいということがわかったのが、がん疼痛治療の基礎になっている。実際には、モルヒネの水溶液であっても、起床時、昼、夕方、寝る前の四回でコントロールできるし、後から述べる硫酸モルヒネ徐放錠(MSコンチン)ならば、一日二回から三回で調節ができるところまできている。

 皮下注射や静脈注射であっても、持続的な投与方法であれば、血中濃度を保つことができ、経口投与以上に平坦な血中濃度になる。もっとも、口からの服用が可能な患者さんには簡便な方法として経口投与を第一にすすめている。

 モルヒネは不思議な薬である。多くの薬は、量が増えていくと副作用もそれにつれて増えていくが、モルヒネは痛みに合った量であれば、副作用は調節可能である。まず、多くの方がモルヒネに対していだく不安について、Q&A方式で考えてみよう。

Q:患者さんがモルヒネの使用を拒否するような場合、どう対応しますか?

A:患者さんがモルヒネと知り、痛みがあるのに薬を拒否されるような場合、ご本人が痛みがあったほうがましだと明言されるのなら、私はその意思は尊重されるべきだろうと思います。また、モルヒネはいやだが痛みはなんとかしてほしいというのであれば、患者さんと、とにかくよく話し合うようにしています。なかには根拠のない偏見に凝り固まってしまっている方もおられるからです。家族をふくめて、ひとつずつ誤解を解いていくことが大切でしょう。

 それではどういった誤解や偏見があるか具体的に紹介します。

Q:モルヒネを使うと命を縮めるのではないでしょうか。薬を体内に入れると自己治癒力が鈍るのではないでしょうか?

A:からだが弱って命を縮めるということはありません。かえって、痛みのために食欲が落ちていたり、行動が制限されていた患者さんが、痛みの軽減とともに食欲が出て生き生きとされ、体力が回復することはよくあります。同様に自己治癒力も痛みがあるとからだの力がすべて痛みに向いてしまいますが、痛みが和らぐと、生きていこうとする力、免疫力もアップすると言われています。

Q:早くからモルヒネを使うと後で効きが悪くなったり、使えなくなるのではないですか?

A:モルヒネはこれ以上増やすと効かなくなるという限界がなく、痛みに合わせていくらでも増量することができます。また、患者さんによっては、余命数年であっても、痛みが出現する場合があり、早くからモルヒネを使用し、最長の方は三年間モルヒネを使いつづけた方もいます。

Q:精神障害はおきないのでしょうか?

A:前にも述べたように、モルヒネで精神症状が出ていたのは、モルヒネの使い方がまずかったからです。筋肉注射や静脈注射で急にからだのなかのモルヒネ量が多くなって、副作用が出現していたのです。私たちが行っているような、身体のモルヒネ量を一定に保つ定期的な飲み薬や持続注入法であれば、精神症状は出ません。

Q:耐性や依存性が出るのではないですか?

A:患者さんの根強い不安材料となっている点ですが、実際上は問題となることはありません。耐性とは、痛みを継続的に取るのに増量が必要となることですが、痛くなった場合は耐性というよりは、痛みが増強したと考えます。たとえ、耐性が出たとしても、痛みに合わせて増量すればよいのです。依存性は精神的依存性と身体的依存性があります。精神的依存性とは、痛みとは無関係に薬を要求する行動ですが、痛みに合わせ規則正しく服用するかぎりおこってきません。もし患者さんが薬を欲しがるようでしたら、それは薬の量が足りないと考えるべきです。身体的依存性とは、突然の薬の中断によっておこるものですが、急に服用できなくなったら持続皮下注入法などに変更してモルヒネを継続すればよいのです。また、放射線療法や神経ブロック療法などで痛みが取れた場合、三週間くらいかけてモルヒネを漸減・中止していくことも可能です。一度始めたら止められないと考えるのは間違いです。

Q:自分らしくなくなるのではないですか?

A:前述のように精神症状が出現することはなく、モルヒネの眠気も後述のように日常の会話に支障はありません。

Q:副作用は避けられないのではないですか?

A:後述のようにさまざまな副作用がありますが、どれも対応可能です。
 
 またちよっとニュアンスはちがうが、次のような偏見のためにモルヒネが使用できない場合もある。

 @「モルヒネ」イコール「死が近い」イメージ。患者さん自身が死を意識しながらも、それを認めたくないためにモルヒネを拒否することもある。

 A神様は自分が耐えることのできない痛みはお与えにならない、つまり耐えられないと感じるのは忍耐力が足りない、とモルヒネの使用を拒む患者さんもいる。正しいモルヒネの知識が伝わっても、痛みを感じることに意義を見いだしている方であれば、その気持ちは尊重されるべきであろう。

 緩和ケアチームのがん疼痛対策マニュアル

 世界保健機関がすすめているWHO方式をモデルに、私たちは『癌疼痛対策マニュアル』を作成し応用している。図8に概略を示そう。たとえがんの痛みであっても、すぐにモルヒネを使用する必要はない。患者さんの痛みに合った強さの薬を徐々に段階的に使っていく。私は、大きくは三つの段階を考えている。

[ステップ1]非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDS)

 ステップ1は、非オピオイド、つまり、一般的な解熱消炎鎮痛剤である。私たちは胃腸への副作用が少ないナプロキセン(ナイキサン)を使用している。坐薬としては、ジクロフェナクナトリウム(ボルタレン)か、インドメタシン(インダシン)を使用している。骨への転移による痛みには、プロスタグランディン合成抑制作用のあるステップ1とモルヒネを併用すると有効である。また、腫瘍による熱に対しては、ナプロキセンがとても効果を発揮する。

[ステップ2]ブプレノルフィン

 ステツプ2として、WHOは麻薬指定のコデインをすすめているが、私たちは、麻薬拮抗性鎮痛薬のブプレノルフィン(レペタン)を用いている。ブプレノルフィンの長所は麻薬に指定されていないことと、モルヒネに比べて便秘の副作用が少ないことである。わが国には、注射薬と坐薬がある。昭和大学では院内製剤として、舌下錠を作製し使用している。

 ブプレノルフィンの副作用として、船酔いのような吐き気・めまいがあり、高い頻度で出現するので、予防的に吐き気止めのプロクロルペラジン(ノバミン)を飲んでもらっている。

[ステップ3]モルヒネ

 ステップ2のブプレノルフィンで有効値の限界に達した場合(経口投与で4ミリグラム、持続皮下注入法または舌下投与では2ミリグラム)、モルヒネヘ移行する。また、がん性腹膜炎の腹満感や、肺がんや肺転移の呼吸困難感がある患者では、ブプレノルフィンよりむしろモルヒネのほうが効果が期待できるので、ステップ3のモルヒネから使用している。

 モルヒネのために多幸感、つまりハッピーに感じる感覚を期待してモルヒネを処方する医師もいるが、モルヒネによって痛みが除かれた患者さんは明るくなったように感じるだけで、モルヒネ自体に多幸感の作用はない。


(1)モルヒネの経口投与

 原則としては、まず痛くなる前に、規則正しく服用することだ。モルヒネの経口投与法には、次の二つがあるので、それぞれの特徴を知って、選択していく必要がある。

 もしMSコンチン(硫酸モルヒネ徐放錠)しか手に入らないような場合は、その短所も理解して使用しなければならない。

(A)塩酸モルヒネ水溶液

 塩酸モルヒネ水溶液は速効性がある。基本は四時間ごと、つまり6時、10時、14時、18時、22時(二倍量)の五回の服用だが、一日四回(起床時、昼、夕方、就寝時)でもほとんどの患者さんはコントロール可能である。服用の手間を考え、私たちは一日四回の方法を選択している。ただし、一日に1000ミリグラム以上の大量投与の方の場合は一日五回のほうがうまく調節ができる。患者さんの好みによって、レモン、ワインなどで味つけする。塩酸モルヒネ服用後に、好きな飲み物を飲んでもいいだろう。

 患者さんへの投与量はあくまで痛みに合った量であり、以前に決められていた一日60ミリグラムという極量にこだわる必要はない。私たちは、一日に5000ミリグラムのモルヒネを服用しながら、意識も清明に外来に通院できた患者さんを経験している。ただし、痛みの原因によっては、モルヒネの効きにくいがん疼痛もあるので、その対策は後で述べたい。

痛いときには一回分またはその半量を臨時で服用する。効果が現れてくる時間は、約十五分なので、三十分あければ次の臨時を使用できる。また、一日の回数を決めるとその指示に縛られてしまうので、一日何回でも使用が可能であることを指示している。もっとも、一日に頻回に使用するような場合は、使用中のモルヒネ自体の一日量が足りないか、モルヒネの効きにくい痛みの場合が考えられるので、患者さんのようすをみながらモルヒネの増量か、薬剤の変更の必要を検討している。

(B)硫酸モルヒネ徐放錠(MSコンチン10、30、60ミリグラム錠)

 硫酸モルヒネ徐放錠は、消化管内で少しずつ溶解され、8〜12時間と、長時間作用が持続する(図9)が、速効性はない。噛み砕いて用いると長時間の持続効果はなくなる。錠剤の色によって容量がちがい、10ミリグラムは黄褐色、30ミリグラムは紫色、60ミリグラムはオレンジ色である。極量はないが、患者さんの服用の手間や苦痛を考えると、一日に10錠が限界か。個人差はあるが、一日に600ミリグラム以上の患者さんには塩酸モルヒネ水溶液のほうを処方している。

 MSコンチンは非常に使いやすい薬だが、次の点で注意が必要だ。

 @服用を開始してから十分に効果が出るまでに二〜三日必要である(図10)。私たちはまず、塩酸モルヒネ水溶液で疼痛や副作用をコントロールしてから、MSコンチンヘ変更するようにしている。その際には、塩酸モルヒネの最終投与とMSコンチンの最初の投与を同時にする。これは、MSコンチンの血中濃度が上昇するまでに時間がかかるためである。

 A痛いときに服用しても、効果が出るのに1〜2時間必要である。臨時は塩酸モルヒネ水溶液にするか、服用全体を塩酸モルヒネ水溶液に変える。しかし、MSコンチンは噛み砕くと効果は速くなる。在宅などの緊急時には、つぶして使うと速く効き目が現れる。ただ苦いので、オブラートに包んで服用するとよい。また、急に口から飲めなくなったときは坐薬としても使用できる。



(2)モルヒネ坐剤(アンペック坐剤10、20ミリグラム)

 患者さんへの経口投与ができなくなり、持続皮下注入器も利用できない場合に便利である。一日三回の投与でよい。経口に比べて、肝臓での代謝を受けずに直接体循環に入るので、血中濃度も上がりやすく、効果も高い。経口から坐薬に変更するときは、血中濃度が急激に上昇する場合があり、注意が必要である。

 *経皮吸収型(貼付剤)持続性疼痛治療剤 デュロテップパッチ皮膚に貼るタイプで使用が容易なため、主流になりつつあります。管理者加筆

(3)持続皮下注入法、持続静注法

 経口での投与ができない場合、また、経口が可能な場合でも急激な痛みがおそってきたり、痛みのコントロールがつきにくい場合に使用する。経口が可能で、疼痛や副作用のコントロールができれば、私たちは経口投与に戻すようにしている。経口での投与ができない場合とは、イレウス(腸閉塞)もふくめて患者に吐き気や嘔吐がある場合、衰弱、呼吸困難、手術や検査時などである。とくに吐き気は、持続皮下注入法に変更して軽快する場合がある。持続皮下注入法と持続静注法は効果、副作用ともに同等である。ただし、持続皮下注入法では全身の皮下脂肪があるところならどこでもかまわない。とても細い針で刺すので、刺すときも、また針をずっと皮下に刺したままでも痛くはない。感染の危険はないし、静脈のように漏れる心配もない。在宅では、患者さん、ご家族に刺したり抜いたりしていただく場合もあるくらいである。持続皮下注入法は一日20ミリリットルが限界であり、それ以上の大量投与になる場合は注入器を二台にするか、持続の静注にする。すでに、中心静脈栄養などの静脈の経路がある場合は、持続静注法を用いている。

患者Fさんのケース一モルヒネ大量投与例

 Fさんは三十五歳の女性だった。幼稚園の息子と小学二年生の娘を家に残し、後ろ髪を引かれる思いで入院してきた。腫瘍という言葉は本人は知っていたものの、根治不能である事実は知らなかった。大腸がん手術後の再発で、骨盤のなかが腫瘍でひとかたまりになっていた。余命は長いものの、腎部から太ももにかけての痛みは激烈であった。放射線療法や神経ブロック療法も施行されたが、結局モルヒネの増量がいちばん効果があり、口からの飲み薬で一日5000ミリグラムが必要だった。数年前まで一日60ミリグラムが限度だとされていたことから考えるとモルヒネの常識を覆す量である。母親と妻の役割は十分にはできなかったが、この大量のモルヒネを飲みながら家で過ごすことはできた。

 そして、Fさんは口から飲むことができなくなってから、持続的な静脈注射で一日12000ミリグラムが必要になった。しかし、この大量注射でも意識ははっきりしていて、ご主人とオセロゲームやトランプを楽しむことができた。ご主人が本気でやるので、「少しは負けてくれればよいのに」と愚痴をこぼすほどであった。



【3】副作用を克服する

 モルヒネの使用にともなって、いくつかの副作用が現れてくる場合がある。症状の強さは、そのときの患者さんの病状や病気の進行の度合いによってもちがい、個人差の大きなものである。いずれにしても、モルヒネ使用の成否は、この副作用のコントロールにかかっている、と言っても過言ではないだろう。
 今日では、モルヒネの副作用対策の薬はある程度確立されてきている。ここでは、多く現れてくる副作用と、その対応について述べてみたい。

患者Mさんのケース−モルヒネの副作用

 Mさんは、58歳の男性だった。喉頭がんで声帯を除去しており、会話は筆談であった。しかし、紙にボールペンで流れるように文字を書き連ねていく。「ボクは博多で仕事をしていました。会社が倒産したときの労働組合の委員長でした。最後まで会社に残って残務整理をしました」。そのときの信頼関係か、二十年以上も前のことなのに、同僚や部下が遠方から訪ねてきた。「ボクは死ぬのは恐くない。しかし、自分らしくなくなるのがいやなのです。だから、麻薬を使って眠くなったり、おかしくなってしまうのはいやです」。私は、モルヒネも規則的に時間を決めて服用すれば、おかしくなったりしないこと。眠気もはじめは出るが、しだいに慣れて眠くならなくなること。そして、どうしても眠気があって、本を読んだり、日記をつけたり、仕事をしたりするのに支障がある場合は、眠気止めも用意していることを伝えた。

 首の締めつけられるような痛みが出てきたのは、それからすぐであった。以前より副作用の話はしてあったので、モルヒネの水溶液の服用が始められた。モルヒネ自身は苦いので、甘いシロップやワイン、レモンエッセンスで味つけをしている。Mさんは、シロップとワインを選んだ。この薬のことを彼は「痛みのカクテル」と呼んだ。

また、ほとんどすべての人に出てくる副作用について付け加えた。それは、便秘である。モルヒネが腸管の動きを悪くしてしまうのである。しかし、これも下剤をうまく調整していけば、問題となる副作用ではない。もっとも、医療者のなかにも便秘という副作用は知っていて下剤は始めていても、下剤の量を調節せず、便秘を悪化させてしまう場合もある。便秘の程度に合わせて、下剤の量も迅速に増減する必要がある。Mさんには出なかったが、人によっては吐き気が出る場合もある。これも吐き気止めで対処可能であるが、一度吐いてしまうと精神的にも薬を継続することは難しいと考える。医師によっては、吐き気止めを予防的に処方する場合もある。また、腎臓や肝臓の機能が低下していても、副作用は出てきやすい。

 結局、Mさんは下剤と眠気止めを飲むことになった。

(1)便秘

 すべての患者さんにおこってくる症状なので、予防的に対処する必要がある。目薬のような入れ物に入った水薬のピコスルファートナトリウム(ラキソベロン)が服用しやすく便利である。便が硬い場合は、酸化マグネシウム(カマ)を併用する。ただ漫然と緩下剤でようすをみるのでなく、モルヒネの服用開始から二〜三日のうちに便が出るように、緩下剤も急速に増量することが重要だ。薬の量は通常の便秘対策より大量になることが多い。一〜二日に一回便が出るようにコントロールし、場合によっては坐薬や浣腸も併用する。モルヒネ服用中は、継続して下剤を使用する必要がある。

(2)吐き気・嘔吐

 約30パーセントの患者さんにみられる症状である。飲みはじめてすぐに出てくるが、五〜十日で消失する場合が多いので、前もって患者さんに説明するようにしている。ただ吐き気だけならがまんできるかもしれないが、実際に吐いてしまうと患者さんはモルヒネの服用をためらってしまいがちだ。私たちは、後述するように副作用が予想できる患者さんには、予防的に制吐剤を処方したりモルヒネを少量から始めるようにしている。

 モルヒネの吐き気には、プロクロルペラジン(ノバミン)がよい。また、吐き気が取りきれないときはハロペリドール(セレネース)や塩酸クロルプロマジン(コントミン)のほうが吐き気への作用が強いので用いることがあるが、鎮静作用もあるため、患者さんの状況や希望に合わせて選択するようにしている。

 頻度は少ないが、吐き気止めの薬にはどれも錐体外路症状という副作用があり、とくに見落とされがちなのがアカシジアだ。これは、じっとしていられない感じで部屋のなかをうろうろしたり、ベッドの上であちこち向いたり落ち着かなくなる。よく精神的にイライラしているのではないかと誤解されてしまう。アカシジアの治療には吐き気止めの減量や中止、また塩酸ビペリデン(アキネトン)を投与する。

(3)眠気

 三〜五割の患者にみられる症状である。通常は三〜五日で耐性ができ、眠気は消失する場合が多い。私の感じでは、日本では眠気を嫌う患者さんが多いようだ。これは告知との関係もあると思う。モルヒネの眠気はひとりでいるとうたた寝をしてしまうが、誰かが来て話しかければそれにははっきり答えられること、目的をもって行動すれば覚醒した状態でいられること、などを患者さんに伝えておくようにしている。

 眠気が不快なときは、覚醒型抗うつ剤のメチルフェニデート(リタリン)をすすめている。夕方以降に服用すると反対に不眠となるので、十四時以降の服用は避ける。副作用としては頻脈、焦燥感などがある。

(4)混乱

 肝臓や腎臓の機能障害や血液の電解質異常などの要因によっては、まれに混乱がおこってくる。痛みがない場合はモルヒネを減量する。悪夢や幻覚があれば、ハロペリドール(セレネース)を就寝前に服用するとよい。とくに夜間せん妄で点滴を抜いてしまったり、大声をあげてしまうような場合は、鎮静剤で睡眠を確保する必要がある。

 私たちは、患者さんに「最近、忘れっぽかったり、話がとんでしまったり、またつじつまの合わないことはありませんか」とたずねてみて、ご本人も混乱について悩んでいたり、気が変になったのではないかと心配していたら、あくまで薬の作用によるもので、気が変になったのではないことを、きちんと伝えるようにしている。

 また、家族も対応に困っていたら、おかしな話の内容を責めたり、そのたびに訂正するのではなく、そのままに受け入れていくようお話しする。患者さん本人や家族にとって、十分な理解が大切だからだ。

(5)呼吸抑制

 通常の患者さんにモルヒネを使用する場合問題とはならない。まれであるが腎機能障害が急速に出現した場合や、肺がん、肺転移の予後一週間くらいの重症時の使用には注意が必要である。モルヒネの影響として呼吸数の減少があるが、次の二点に気をつけて、経過をみることができる。
 @一回の呼吸が深く、換気量が代謝されているか。

 A名前を呼べば容易に覚醒し、はっきりした会話ができるか。

 モルヒネにはこのように呼吸抑制作用があるが、反対に肺転移などの呼吸困難感のコントロールに有効でもある。

(6)乱用(前掲Q&A参照)

(7)ミオクローヌス

 手足のピクッとする運動のことで、モルヒネの大量投与でおきやすいとされているが、少量でも出現する患者さんはいる。私たちは、クロナゼパム(リボトリール)を眠る前に使っているが、ほとんどの患者のミオクローヌス発作は軽快している。

(8)尿閉

 頻度は少ないが、患者にとってはつらい症状だ。薬剤の変更が必要な場合もある。

(9)そう痒感(かゆみ)

 小児に多くみられるが、抗ヒスタミン剤で対応できる。

(10)口が渇く(口渇)

 発生頻度は約五割とされている。局所的に対症療法を行う。水分や氷のかけら、レモン、グリセリン、人工唾液の使用などである。

(11)モルヒネ不耐症

 少数の患者さんにみられる現象で、モルヒネを投与すると胃のなかのものが停滞することで嘔吐が続く。ごく少数の患者では過度の鎮静を生じ、まれに精神症状、ヒスタミン放出に基づく症状(かゆみ、気管支けいれん)などがおこるため、薬剤の変更が必要である。



【4】モルヒネの副作用が過剰に出現する患者さんへの対応

これまで述べてきたモルヒネの副作用が、とても強く現れる患者さんがいる。ここでは、過剰な副作用の原因と、それへの対応について簡単にふれてみたい。

(1)腎機能障害

 モルヒネ投与中、また開始時にもっとも注意すべき点が腎機能障害である。モルヒネは腎臓で排泄されるため、ここに障害があると体内のモルヒネの濃度が上がってしまう。症状としては、吐き気、眠気、混乱などが助長される。

 もし、腎機能障害の原因が腫瘍の尿管圧迫による水腎症であれば、腎瘻(腎臓にカテーテルを挿入して尿路を変更すること)を患者さんや家族に、長所短所を十分説明したうえで、同意されれば選択してもよいと思う。

(2)肝機能障害

 肝臓がんや肝転移などによる肝機能障害も、モルヒネの副作用を助長してしまう。これは、肝臓でのモルヒネの代謝障害による。症状としては、吐き気、眠気、混乱、かゆみがある。また、高アンモニア血症の状態で肝性昏睡に移行しつつあるときは、混乱が高率に出現する。モルヒネの減量かハロペリドールの併用などが必要となる。

(3)感染症

 モルヒネの副作用が出やすい病態としては、見逃されやすいが重要である。肺炎や尿路感染症、じょく瘡感染などから、中心静脈栄養のカテーテルや硬膜外カテーテルなどの医原的な感染まで、状態の悪い患者さんの感染の機会は多い。正常人でも発熱すればボーッとしてしまうが、モルヒネ使用中の患者は眠気や混乱が出やすい。対応は感染症への治療が主体となる。

(4)高カルシウム血症

 肺がんやその他のがんの骨転移の患者さんに多くみられる症状である。治療としては、点滴などの水分補給、ステロイド剤の投与、カルシトニンの注射などがある。最近発売されたパミドロン酸二ナトリウム(アレディア)という静脈注射用の骨吸収抑制剤は、頻回の筋肉注射が必要なく、患者さんのQOL(クォリティ・オブ・ライフ=生命の質、生活の質)を向上させる薬だと言えよう。

(5)電解質異常
 ナトリウムやクロールなどの電解質の異常によっても、混乱や眠気がおこってくる。とくに、低ナトリウム血症には注意がいる。このほか、化学療法の施行中や施行後、放射線療法の施行中や施行後にも副作用が出やすい。また、脳腫瘍や脳への転移によって頭蓋内圧亢進症状のため頭痛や吐き気があるときにモルヒネを使用すれば、その症状を助長するだろう。イレウス(腸閉塞)の状態でのモルヒネの使用も悩むところである。先に述べたモルヒネ不耐症やモルヒネの代謝酵素が欠損している方にも、薬剤の変更など十分な対応が必要だ。

 過剰な副作用への対応

 私たちは、まず、エプタゾシン(セダペイン)、フェンタニール(フェンタネスト)を用いている。エプタゾシンはペンタゾシンと同等の鎮痛効果をもつ。モルヒネに比べて眠気、吐き気、混乱、便秘などの副作用が著しく少ない。ただしこれらには、注射薬しかない。また、モルヒネの少量投与で副作用の耐性を獲得した後に、鎮痛作用のある量まで増量する、という方法もとっている。

 それから、硬膜外ブロック療法や腹腔神経叢ブロック、くも膜下フェノールブロックなどの神経ブロック療法を、麻酔科の協力を得て行い、効果をあげている。



【5】モルヒネで取りきれない痛みへの対応

 現在、モルヒネによって、がんの患者さんの約90パーセントの方の痛みを、完全に取り除くことが可能になっている。残りの10パーセントの方については、痛みを軽減できても完全な除痛はできない。しかし、これらの患者さんに対しても、鎮痛補助薬や種々の薬剤の組み合わせ、神経ブロック療法、放射線療法、化学療法、温熱療法など、多くの治療法をその方の症状に合わせて選択することで、十分に対応できるのである。いまや私たちは、がんの痛みを和らげる多くの手段を手にしているのだ。

 ニューロパスィック・ペイン

 モルヒネが効きにくい痛みの代表はニューロパスィック・ペインである。ニューロパスィック・ペインというのは、末梢神経あるいは中枢神経が傷ついたり傷害を受けることによって、もたらされる痛みである。末梢神経が冒された場合は、損傷された神経が支配する領域の感覚が低下したり、しびれ感がみられるにもかかわらず、そこが痛んだり、アロディニア(Allodynia:軽く触れたり、軽く叩いたりすることによって痛みが生じる状態)が出現したりする。痛みの性質としては、灼熱痛、ズキズキした不快感のある痛み、自発性の刺すような痛み、あるいは放散する痛みのこともある。

 がんの、末梢神経(腕神経叢、大腿神経など)や脊髄神経への浸潤や圧迫の結果、この痛みがおこってきやすい。代表的な疼痛として、Pancoast型肺がんの腕神経叢浸潤や直腸がん術後再発の仙骨神経叢浸潤がある(がん疼痛以外では、視床痛、帯状疱疹後神経痛、脊髄損傷後疼痛、幻肢痛、腕神経叢引き抜き症候群などがある)。しかし、ニューロパスィック・ペインであっても、鎮痛補助薬や神経ブロック療法、放射線療法などを組み合わせることによって、痛みを和らげていくことは可能なのである。

 セデーションの功罪

 五分咲きの桜の枝が病室には置いてあった。「おばちゃん、今年は花見に行けなかったね。でも、桜はここにあるよ」。物言わぬ叔母の目から、黄色い涙がスーと流れた。叔母は、肝臓がんの末期だった。黄疸で全身が黄染され、肝性昏睡と鎮静剤で意識も低下していた。叔母は、母の姉であるが、実際には私の赤ん坊のころから小学生までの育ての親である。

 窓の外には、玄海灘が広がっていた。「この浜に子どものころ、毎日連れてきてもらったね」。五階の個室からは、最近できた福岡ドームとホテルが見渡せた。まるでリゾートホテルの一室のようである。福岡市立のその病院で叔母は、終末期を迎えていた。そこはホスピスではなかったが、とても清潔な状態に叔母は保たれていた。

 緩和ケアを専門とする医師としてではなく、ひとりの家族として、いくつかのことを看護婦さんと話し合った。叔母は、肝不全の状態で「身の置きどころのない苦痛」を訴えていた。その苦痛を和らげるにはモルヒネや鎮静剤で少し意識を落とし、眠くする必要があった。鎮静剤とモルヒネの坐薬で良いコントロールがついていた。しかし、その日は呼吸の状態が悪く、急変を予想した看護婦さんは、モルヒネの投与を見合わせた。叔母は意識が戻ってきたが、苦痛を訴えた。準夜勤の看護婦さんに伝えた。「家族としては、もし看護婦さんが坐薬を入れた直後に、呼吸が止まってもかまいません。いまの苦痛を軽減してください」。1995年3月12日、日曜日。叔母の81回目の誕生日であった。看護婦さんと家族とで、ハッピーバースデイを歌い、誕生日を祝った。同席した看護婦さんも涙を流してくれた。叔母の口から言葉は出なかったが、歌は届いていたと思う。

 セデーション。患者さんに鎮静効果のある薬を投与し、意識を下げる処置を言う。私が医師になりたてのころは、余命一〜二か月くらいになると、患者さんの意思とは関係なく鎮静剤がある日突然点滴のなかに入っていた。それは、終末期における患者さんの精神的な苦痛を和らげるという名目だったが、実際は患者さんから矢つぎばやに繰り出される質問に医師の良心が耐えられなかったというのが実情であった気がする。末期の患者さんから逃げないで、真正面から向き合う緩和ケア運動が始まってからは、セデーションは良くない行為として、緩和ケア関係者から敬遠されてきた。しかし、最近になり、セデーションが見直されてきた。

 それは、終末期における「身の置きどころのなさ」や肺がんなどの「息苦しさ」、そして、どうしても取りきれない「痛み」に対してである。残された時間の長短、患者さん本人や家族の同意など、適応は慎重にしなければならないが、日本のホスピスの中心ともいえる淀川キリスト教病院や浜松聖隷三方原病院のホスピスの医師たちも、適応となる患者さんには躊躇せず、セデーションを行うべきとの見解を出している。

 もちろんホスピス病棟でこれ以上の手はないという状況と、一般病院でこれ以上の手段はないというレベルは、ずいぶん差があると思うので、条件をしっかりつくらなければならない。そうでないと、十年前に行われてきた医療者の都合のセデーションになってしまうからである。少なくとも、患者さんが眠くなることを許していただければ、すべての苦痛から解放されることにはなるだろう。
 
 なぜ、私ががんの痛みの克服にこだわりつづけるかといったら、痛みのあるなしが、そのまま患者さんの生命の質、クォリティ・オブ・ライフ(QOL)に直結するからだ。そして、がんの痛みはまったく味わう必要のないものだと信じるからである。また、私自身とても痛がりであることも、患者さんへの共感に良い影響を与えているのかもしれない。

 Not doing but being(何かをすることではなく、そばにいること)ー最後に再びこの言葉にもどりたい。医学はこれからも発達し、痛みの治療もより進歩していくだろう。だが、ひとりの医者として、ただ患者の傍らに寄り添うという思いを、人間の心がもつ力への謙虚さを、失わずにいたいと思う。