広葉樹(白) こころを聴く    
   臨床パストラルケア・カウンセラ−からの
メッセージ


 ホ−ム > Web講座メニュ− > こころを聴く


中島保壽(なかじま やすひさ)牧師のプロフィール

日本パストラルケア・カウンセリング協会認定臨床パストラルケア・カウンセラー・スーパーバイザー
日本キリスト教団 瀬高教会牧師
元・社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院チャプレン


目 次
はじめまして
パストラル・ケア
スピリチュアルケア
私が私であること
痛みの中で
人生の坂  
痛みの中で  
共にいる  
  
くしゃみ 
スピリチュアルの年に 
スピリチュアルペインの出てくる場所   
死に勝利する   


【1】はじめまして1999年5月14日掲載

 はじめまして。牧師の中島保壽(なかじま やすひさ)と申します。私が勤務していた病院でホスピス建設の計画が開始された時、私は高野先生に出会い、それから御交わりが始まりました。

 病院に牧師がいると言うことを不思議に思う方もいらっしゃると思います。しかし、基本的に牧師になるには神学校(私の母校は一般大卒後社会経験をしてから4年間の神学教育を受ける)在学中に、臨床パストラルケア教育(Clinical Pastoralcare Education)を受講することになります。

 日本では実習病院、施設等が充分でなく、また、教育スタッフのゆとりが施設に備わっている事が少ないので難しい事ですが、私の母校では昨年は精神科クリニックと山谷伝道所(スラム街の中の教会)でヤマの人との面談を臨床の場として実施しました。諸外国では、病院のスタッフと同じ勤務体制で、8週間の夏期実習に参加し、その評価で神学教育を継続するかを決定されるようです。ですから、CPEは神学生たちには牧師になる第一の関門です。更に、牧師の資格を取得してから、3ヶ月間を1セッションとして、4回の実習が受けられるような制度があり、患者さん、施設入所者、またそのご家族への牧会訓練がなされます。そのような訓練は日本では難しいので、諸外国に研修に行く人たちもおられます。

 日本では1998年から、「臨床パストラル・カウンセラー」の資格が日本パストラルケア・カウンセリング協会によって認定されるようになりました。また、臨床パストラルケア・スーパーバイザーも1999年3月現在4名います(私はその認定番号2番を頂きました)。日本パストラルケア・カウンセリング協会は世界各国にパストラルケア・カウンセリング協会があり、その日本代表になっています。4年ごとに世界大会があり、今年の8月にガーナで開催され、仲間たちは参加準備中です。また、アジア大会も開かれるので、国際会議は2年に一度開かれています。私はアジア大会に参加し、バリ、ソウルに行きました。

 私は8年間ほど日本で宣教師についてCPEを学びました。最初の日の事を昨日のように思い出します。

「さいしょに、わたしがしますから、あなたはみていてください」

と先生と一緒に病室に入りました。特別な事はなく、挨拶をして部屋から出ました。先生は私が何も見ていなかったのを気にして、

「もいちど、しますから、よくみてください」

と次の病室に入ります。同じことを数回して、

「こんどはあなたのばんですよ。もいちどみてください」

と入りました。先生は少し苛立っていたようですが、別に何も感じませんでした。

「ではあなたのばんです」

と言われて、私が先に部屋に入りました。「こんにちは」と声をかけようと思ったら、相手が、

「ほら、ごらんなさい。嫌ですね。あんなに木の上に人が乗ってて。見えるでしょう」

と言うのです。外を見ると、2mぐらいの植木がありました。勿論、木の上に人がいるわけがありませんし、まして2mの木の上に複数の人が乗れる訳がありません。そこで、

「見えませんが」

と申しました。すると、先生は私の服を引っ張って、

「ちょっと、きてください」

と外に出されました。そして、

「わたしたちは、Kさん(変な事を言う惚け老人の名前)にききにきました。あなたがみえるかみえないかは、あとでわたしがきいてあげます。いまはKさんにきいてください」

と言うのです。

「聞いています。ただ、見えますかと聞くから、見えないと答えました。嘘を言えと言うことですか」

と私はむっとして言い返しました。それから、「私たちは聞くためにきたのですから、聞いてください」と「聞いています」の変化形で長い間、議論?しました。廊下の立ち話では済まされなくて、部屋に戻って続けました。私は疲れて腹が立ち、泣きたくなりました。これは先生が日本語が分からないから問題なのだ。長い間、日本にいるのだからもっと日本語をマスターすべきだとも思いました。そして我慢が出来なくなって、もう先生について歩くのは止めようと思って、

「では何と言えばいいのですか」

と聞きました。先生は

「あなたはなにもしらないのだから、きいてください」

と言います。私は聞いているとまた同じ議論になろうとした時、

「たとえば、なんにんいますか、どんなふくをきてますか、どんなかおをしてますかなど、きくことはたくさんあるでしょう。あなたはなにもしらないのだから」

と教えてくれました。先生もあまりに分からないので腹をたてているようでした。私は最後の忍耐をして、

「分かりました。行ってきます」

と出かけました。Kさんは私に素晴らしい教材になって下さいました。「先程は失礼しました」などと言いながら入室しようとすると、

「ほら、ごらんなさい。嫌ですね。あんなに木の上に人が乗ってて。見えるでしょう」

と来ました。今度は、「私には見えません」とは言えません。そこで、教えられた通りに質問しました。

「何人いますか」

「あんなに沢山いるでしょう。数え切れないでしょう。見えないの?」

「どんな服装をしてますか」

「みんな喪服ね。パールのネックレスの人もいるわね」

「どんなお顔をしてますか」

「みんな泣きそうね、哀しそう」

などと教えてくれました。そんな事を聞いているうちに、Kさんは、ご自分がかぐや姫のイメージで、自分にお迎えがくるのをみんなが待っている、と言うことらしいのです。もしかしたら、惚け老人にも死の不安があるのかなどと考えてしましました。そして先生に聞きました。

「Kさんはご自分の死の近い事を恐れているのでしょうか」

「わかりません。でもKさんはさいしょのときよりもおちつかれたようですね」

と私を誉めてくださいました。

 その時、私の目からうろこというのでしょうか、本当に、目の前が開かれた思いでした。聞く事は沢山あったのに、私は聞いていると信じていたのです。「あなたは何も知らないのだから」と言う言葉に、屈辱感を感じて、知らない事を拒否しようとしていました。そんな自分に気がついた事がCPEの始まりでした。




【2】パストラル・ケア 1999年9月1日

 人間の聴力は最後まで残るものだと教えられた事がありました。その事を知らなかったのですが、私は意識のないと思われる患者さんの病床で、よく聖書を読みました。正直な事を言えば、他に出来る事がなかったからかも知れません。また、聖書のお言葉に力があって、患者さんを力づける事を信じていたからかも知れません。そんな私の姿を見ていた隣りのベットの患者さんが、

「どなたですか」と聞かれました。

「牧師です」と答えますと、

「勇ましいお仕事ですね」と言われます。

 自分では、牧師が勇ましい仕事だとは思いませんでしたが、考えて見れば、見えない神様を信じて、触れる事も出来ない神様に従うというのですから、勇ましいことは勇ましいのです。でも、すぐに質問の意味が分かりました。彼はボクシングの真似をしたのです。

「牧師です」と答えたのに、彼には、「ボクシングです」と聞こえたようでした。

 私の顔にそんなに叩かれた跡があるものかと思いましたが、 

「いえ、キリスト教の、教会にいる牧師(胸で十字を切って)あの牧師を病院の中でしています」と答えて、やっと分かって貰えました。確かに、病院の中に、牧師がいる事は不思議なのでしょう。すると、すぐに、

「牧師さんが病院で何をしているのですか」と聞かれました。

「パストラル・ケアです。病棟の患者さんを訪問するのです」と答えましたが、

「そうですか」と言って、目を閉じられました。それだけの会話で疲れてしまったようでした。

 数日後、同じベットサイドで聖書を読み、祈って帰ろうとすると、また、声を掛けられました。

「先日、パストラル・ケアと言われたけど、ケアは分かるのです。病人や老人や障害者にはケアが大切だと思いますが、パストラルと言うのは何ですか。娘に調べさせたら、<田舎の>とか、<田園の>などと言う意味だというのです。いくらここが田舎とはいえ、田舎のケアは変ですよね」。

「田舎のケアは、変な言葉ですね。パストラルは、パスターが牧師と言う意味から来ているんです」と少し長い説明になりました。

 旧約聖書の中に、神様と神様を信じる民が、羊飼いと羊にたとえられています。たとえば、有名な詩編23編に、次のように歌われています。

 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

  主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。

  死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。

  あなたがわたしと共にいてくださる。

  あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」。

 この伝統を受け継いで、新約聖書でイエス様がご自分を、「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている(ヨハネ福音書10章)」と言われました。

 そして、弟子のシモン・ペテロに、「わたしの小羊を養いなさい」と言われたのです。

 それから、キリスト教会でも教会員が羊にたとえられ、牧師はパスター(羊飼い)といわれるようになりました。牧師の「牧」は牧場で羊を飼う者と言う意味です。

 日本の病院では、仏教には抵抗があるようです。病院内を僧侶が、墨染めの衣を着て歩かれると、病院スタッフは困ると思いますが、常識をわきまえた僧侶たちによってそのトラブルを聞いた事がありません。しかし、外国では、僧侶が式服で病室を見舞う事は自然に受け入れられて、外国でCPE(臨床パストラルケア教育)を学んだ日本の僧侶はその国の仏教徒の為に式服で訪問していたそうです。

 私たちも日本で、お坊さんとご一緒にCPEをしましたが、少しも対立することはありませんでした。むしろ共感する所が多くて驚いたほどです。もし、それぞれに自分の教派の主義主張を言えば、きっと対立したと思いますが、私たちの目的は、患者さんと共にいる事でした。そこではキリスト教も仏教もありません。中心はいま、病んでいる患者さんです。私たちが患者さんと共にいて、何かが出来ると言うのではないのです。患者さんがご自分で整理されて、ご自分で解決の道を見い出されるのです。そのそばにいる事に専門の知識と技術が必要なのです。何かをする(TO DO)のでなく、何もしないで自然に振る舞うと言うこと(TO BE)は、誰にでも出来る簡単な事のように思えますが、「自然に振る舞う」事が一番難しい事だと実感します。「自然に振る舞うために訓練する」と言うのは言葉の矛盾のようですが現実に必要な事でした。

 病む人のからだはひとつですから、分解するのはおかしいけれど、分かりやすくするために(ますます分かりにくくなりそうですが)、痛みを4つに分類出来ると思われます。

 ・肉体的痛み
 ・精神的痛
 ・スピリチュアルな痛み
 ・宗教的な痛み

です。肉体的な痛みには医療が援助をしてくれます。精神的な痛みとスピリチュアルな痛みを一緒にする方もいますが、精神的な痛みは地上の生活の悩みなどで、カウンセリングや、先輩たちのアドバイスによって解決する事が多いものです。しかし、スピリチュアルな痛みは、哲学的でもあり、人はなぜ死ぬのか、どのように生きるものか、生きる意味は何かなどが深刻な問題になります。そして、宗教的な痛みとは、罪の問題や救いの方法、絶対者や全能者などが問題になります。CPEは宗教的な自分の信仰に立って(クリスチャンはクリスチャンとして、仏教徒は仏教徒として)、隣人に仕えるためにスピリチュアルな問いのそばに立つのです。そこでは自分の宗教を押しつけたり、自分の信念や確信を語るのではありません。それぞれの宗教的情熱に動かされて、病む者の友として、隣人としてそばに存在するのです。キリスト教でいえば、イエス・キリストが病む者の援助者となったように、クリスチャンとして、イエス・キリストと同じ愛のわざをするのです。仏教徒も同じ情熱で同じことをしておられます。それは答えを教えるものではありません。人はそれぞれに異なるアイデンティティを持っているので、異なる解答を持っているのですから、相手がそれを見いだすまで、共にいる事なのです。しかし、自分の信仰を隠しているのではありません。問われれば答える事もありますが、中心は患者さんとご家族のケアをする事です。

 具体的にひとつの例を記しましょう。これは私が理想としているケリーさんの会話記録です。ケリーさんはアメリカから来た看護婦でもありますが、CPEをされている方です。

<ケリーさんの会話記録>

 在宅でターミナルケアを受けている84才のRさん。現在の夫Jさん(84才)と4年前に結婚。双方の子供たちはそれぞれ独立している。

 在宅ケア事務所にご主人(J)から電話があり「妻(R)の様子がいつもと違うので来てほしい。私の顔を見ているようだが、もっと遠くを見ているし、落ち着かないように感じられる」とのこと。

 訪問するとご主人は「妻の部屋に入りたくない」というので一人で訪室。N=ケリー

N1;あなたは今日どこへいっていたの?

R1;そろそろ列にならばなくては・・・。

N2;どこにならぶの?

R2;Sがすでに並んでいるから。(SはRの娘で数年前に乳がんで亡くなっている。この時、Rさんの顔にはほほえみがあった)

N3;Sに会えてよかったわね、Sと一緒にいくの?

R3;(笑みがなくなってうなずく)でもJが一緒に行けないの(かなしそうな顔になる)

N4;あなたが並ばなくてはならない時には私たちがお手伝いしましょうか?

R4;お願いします。

 (部屋の外に出てご主人にそれまでの会話について話す)

N5;どんな意味だと思いますか。

J1;Sとの再会を考えていると思う。

N6;そうね、そのほかに何かわかりますか。

J2;同時に私のことを心配しているみたいだ。

N7;私もそう思います。あなたは奥様が亡くなった後どうするの?

  (Jは亡くなった後の計画をNに話し始めた。このアパートを出て息子のところへ行く。センターに行ったり庭の手入れをする等)

N8;Jさんは準備が出来ているようですね。このことは奥様はご存じですか?

J3;(動転して)そんなこと私からとても言えません。妻が死んだ後のことは話せないよ。

N9;奥様が心配しているのはそのことではありませんか?

J4;(長い間 思いめぐらしていたが)妻に話してみよう。

  (一緒に来てくれというので奥様の部屋に入っていった)

J5;Sに会えるのを楽しみにしているんだね。会えたら私と別れることになる。その後の私の事を心配しているんだね。僕は大丈夫だよ。僕の計画を話すよ。でも君がいなくなったら僕は寂しいよ。でも僕はやっていくよ。

 (3日後にR死亡。葬式の後)

J6;RにはSが迎えに来た。私の時にはRが迎えに来てくれるよ。

 私たちの会話なら、きっと、「こんにちは」から始めて、ラポールをとるのに、かなり時間がかかり、最初のところで躓いてしまいそうです。何よりもR1、R2で、「この人は惚けてしまった」と話しを継続しないかも知れません。しかし、ケリーさんはN3で、それを受け入れるのです。私たちが、惚けているからと、その人を軽蔑したり、無視したりすると、惚けている人は嫌な感情を持つと思われます。どうして、そのように対応されるかと理解する力がなくなっているので、感覚は洗練されて来るかも知れません。何よりも、「惚けは悪い」と言う価値観の前提がこちらにあるので、それを取り去る訓練が必要です。

 このRさんの痛みは医療で解決出来る問題ではないのです。また、精神的な援助を求めているのでもなく、スピリチュアルな問いから宗教的な問いを持っています。そこではN4の援助の申し出で、解決しています。

 また、N5からご家族のJさんへの配慮がなされています。Jさんを慰めるだけでなく、Rさんとの死別後の生き方にまで発展しました。ここには精神的な痛みへの援助とスピリチュアルな痛みへの援助があるでしょう。そして、最後のJ6では、Jさんが宗教的な確信を持つ事が出来ました。ここで、ケリーさんが自分の宗教を押しつけたのではありません。Jさんの必要に答えているうちにJさんが自分で見いだしたものです。

 このような痛みの解決を病院の中で受けられたらどんなに良いかと思います。いま、医療が質の時代に入り、特色のある病院が誕生しています。肉体的な痛みだけの治療ではなく、精神的痛み、スピリチュアルな痛み、宗教的な痛みにもケア出来る病院があれば良いと願っています。患者さんたちは多分、自由に外出して、自分で探す事が出来なくなっているので、病院に外科、内科があるように、様々な痛みへのケアが出来る施設が出きれば良いと願っています。その為にも、CPEの専門家がもっと育ち、医療者と患者さん、そのご家族の期待に答えられたら良いと思います。




【3】スピリチュアルケア2000年2月6日掲載

@ 微調整
 ミレニアムの証人として生かされている恵みを感謝します。何十年後かに、ミレニアムの時はどんな事があったのかと子供たちに問われたら、Y2K問題や介護保険導入などを話して聞かせる事になるのでしょうか。

 日本でカウントダウンしている時に、ニューヨークではまだ1999年12月31日午前10時です。もし、日本のコンピューターに異変があれば、すぐに対応するように注目していたのだそうです。ミサイルをアメリカとロシアの専門家が共同で管理したり、次々に出てくる原子力関連の、「小さなトラブル」なども話した方が良いのでしょうか。00年の問題を乗り切っても、ビル・ゲイツ氏自身が、まだ安心は出来ないと言っている事の一つに、大例外のうるう年の問題があります。

 うるう年は4年に1回ですから、4で割れる年をうるう年にしています。人間は地球が太陽の周囲を1回転した時に1年としたいのですが、人間の作った365日では合わないので、調整するために、うるう年が作られました。(天文学の話になっているでしょうか)。しかし、それでも時間が合わないので、微調整のために100年に一度はうるう年にしないのです。1900年や1800年は4で割り切れるからうるう年ですが、100で割れるのでうるう年にならなかったのです。それでも調整が出来ないで、400年に一度はうるう年にすると言うのです。2000年は微調整の100で割れる年で、うるう年ではないけれど、400で割れるので、うるう年とするのです。この微々調整をコンピューターが対応出来るかが問題なのです。微調整の100年を、まして、400年の微々調整をひとりの人間が管理出来ないのですから、やむを得ない事かも知れません。

 人間は自然を調整しようとして、微調整を繰り返しますが、自然は人間の論理に合ってくれません。人間の健康についても、誰もが健康とは何かを知っています。しかし、人間の理論で整理すると、ある人は、長生きをする事だと言い、別の人は病気でない事が良いことだと思います。しかし、それだけでは調整出来ない面があります。今年のWHOの会議で、健康の定義が次のように採決されると思われます。

 Health is a dynamic state of complete physical,mental,spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 誰もが知っている健康についも、人間の言葉にすると難しくなります。ここで健康とはスピリチュアルな面でも生き生きとしていなくては健康とは言えないと言うのです。

 スピリチュアルを日本語に置き換えると、「霊的」になるでしょう。しかし、「霊」と言うと、「幽霊」、「悪霊」など非科学的な迷信に結びついて、近寄りたくなくなります。そこで、アルファベットをカタカナに変えて、「スピリチュアル」と使うそうですが、それもやむを得ない事でしょうか。

 「霊」について、「そのようないかがわしいものは誰も信じない」と言う人もいますが、今年は4ヶ所も初詣をしたと言う人がいたり、そこで家内安全、交通安全、無病息災を祈り、黄色い縁起物の財布から宝くじを買ったりする人がいるのは、科学の力では説明出来ない現実に微調整が必要と言うことでしょう。「足の裏鑑定」をされて怒るよりも、何人もの人が不安を感じて献金するのは、どこかで議論の生活に、「霊」の力を加える微調整が必要なのでしょう。一家に交通事故が続いたとか、病気やリストラ、失業したなどと言うと、親切な人たちがお札を買って来り、多額な献金(2,000万円)で解決の道を示してくれます。それは間違いであり、愚かな事だと分かっていても、そのような被害がなくならないのは、人間の心にある自然と理論とを微調整する必要があるのでしょう。スピルチュアルの要求は誰もが知っているものであり、誰もが持っていて、期待しているものですが、人間の理論の中で、微調整しなくては説明出来ない分野です。そして多分、スピリチュアルなケアが出来れば、迷信が消えて、「悪霊」などに縛られない自由な人間になれると思います。スピリチュアルなケアが求められているのは、いかがわしい集団に多数の人々が惹かれている事で分かります。人々が苦しみの中で求める時に、偽者が横行します。自分の利益のために、他人の痛む傷口を汚す者が現われるのです。それは本物が求められる時には、偽者がはびこり、本物が迫害を受けるのです。「多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる(マタイ24:11ff)」。しかし、偽者がはびこるからと、本物のスピリチュアルケアも一緒に廃棄する事は出来ません。

 WHOでは、人間の全体の中にあるスピリチュアルな面を無視しては人間の健康を定義する事は出来ないと言うのです。肉体的な治療は医学の発達で長寿が実現しています。ヒトゲノムの解読で更に長寿が期待出来るのでしょうか。社会的な問題も、4月から発足する介護保険などで進歩するのでしょう。それが政治的な駆け引きに利用されないように切望します。多くの人が加齢と共に、経済的に保証される事を望んでいるのですから。そして、精神的なケアもキャリア・カウンセリングや様々な社会資源で解決の道が開かれるのでしょう。しかし、スピリチュアルな面でのケアは宗教者の孤立的な働きの中に閉じ込められているように思います。

A 宗教とスピリチュアルケア

 患者さんが、「死にたい」と言いました。それにどのように答えるでしょうか。

 「そんな事を言わないで」

 「あなたがそんな事を言っていたら、ご家族はどうなるの」

などと励ますでしょうか。それは、ご自分の内に死の恐怖があるからでしょうか。少なくとも、死の問題を聞きたくないと言う自分がいるのです。いま、患者さんが、「死にたい」と言っている事を聞いていない自分がいる事に気づく事から始めなくてはなりません。

 「死にたい」と言うのは、「生きていたい」と言う願望だとか、単に、苦しいと言う表現であるなどと、職業的に分かってしまう事でもないのです。いま、患者さんが話している世界に、そして、それを忠実に聴きとる姿勢にスピリチュアルな世界が広がっているのです。理論ではだれでも同じ表情、同じ状況、同じ発言であっても、そこにいま訴えている人の独自な苦しみを聴きとる事がスピリチュアルケアの使命です。「だれでも同じ状況に置かれたら、同じことを考えるのだ」と言うよりも、かけがえのない命を持つあなたの特別な苦しみとして理解される事をスピリチュアルは期待しているのです。

 スピリチュアルな問題は伝える人の全体で伝わります。非常にデリケートな言葉で成り立ちます。言葉は、言語による伝達は7%で、残りは非言語的な言葉で伝えられると言われます。それは語る者の、基本姿勢が現われる事です。視線、手の位置、タイミングなど、その人の全てに現われている意思が相手に伝わって行きます。従って、自分自身が何者であるかの答えを持ち、相手に近寄る必要があります。それは理論学習ではなく、体験学習で習得するものです。

 スピリチュアルな問い、「なぜ、彼でなくて、私なのか」と言う問いや、人は何のために生きるのか、罪の問題、死後の問題、永遠の問題などにそれぞれの宗教が答えています。私は自分の信仰からキリスト教の立場に立って話しますが、それはどの宗教の立場も理解した中立的な宗教、或いは脱宗教などと言うものはないからです。私の友人である僧侶は仏教の立場から話します。しかし、スピリチュアルな話で対立することはありませんでした。互いにいま倒れている患者さんの立場で考える事が出来たからだと思います。そして、同じ働きをしている仲間意識から他宗教であるそれぞれの働きを尊敬します。

 私たちは病床に招かれますが、私はキリスト教の牧師として、キリストの教えに従って、病床に行きます。友人の僧侶は仏教の教えに従って病床に立ちます。そして、患者さんの苦しみを共に担おうとします。自分の宗教へ勧誘するのではありません。その時に、私の前の患者さんが仏教徒なら、私は僧侶の応援を依頼します。彼のところで私が必要なら私は応援に出かけます。しかし、私の訪問している仏教徒の患者さんは、僧侶の友人の励ましを受けながらも、キリスト教の信仰を持つ私とも、スピリチュアルな話をする事が出来ます。宗教論ではなく、人が誰でも持っているスピリチュアルな話をするのです。日本人の多くは特定の信仰を持っていないと言われますが、無宗教、家の宗教、親の信仰などと言いながら、自分の信じている信仰に立っています。信仰とは、自分の寄り頼むもののことですから、私がキリストに寄り頼むように、経済に、地位に、自分自身の力に寄り頼む人がいるでしょう。それぞれが、それぞれの方法で解決をするので、他者が解答を用意出来るものではありません。もし、誰かが解答を示すものであるなら、それぞれの主義主張によって宗教間の対立、競争になってしまうでしょう。しかし、自分の信仰に支えられて、自分の立場を確保していながら、患者さんのベットサイドに立つ事がスピリチュアルなケアの特色です。

B OK牧場―スピリチュアルケアの実際

 私が私の信仰によって立ち、私の身体から出ているメッセージは、「あなたは神様に愛されています」と言う事です。私の友人はその信仰を一匹の母猿によって教えられたと言います。死んだ子猿はミイラになって、それも長い間に紙切れのようになっていましたが、母猿はそれを離しませんでした。どこへ行くにも胸に抱き、背負って移動していました。彼は泣きながら、神様もあの母猿と同じように自分を扱ってくださると直感したのだと言います。私たちがどのような状況に置かれても、自分ではしがみつく力がなくなっても、神様は私たちを見捨てる事はないのです。私たちの信仰は、「イエス・キリストの信仰によって(ギリシャ語原文のまま)」支えられているのです。聖書の訳は、「イエス・キリストを信じる信仰で」となっているので、人間の信仰と誤解されしまうのではないかと心配です。私も全く同感です。神様は私たちを決して、決して見捨てることはないのです。

 私たちの健康なスピリチュアルは、自分が愛されている事、決して見捨てられる事はないと知っている事であり、同じように神様に相手をも愛している事を認める事です。ティーリッヒ(神学者)は信仰を、「受容の受容」と言いました。自分が受け入れられている事を受け入れる事が信仰だと言うのです。長い言葉で言えば、この私が(罪に汚れているにもかかわらず)神様に愛されている事をアーメン(本当です、本当でありますようにと言う願いの言葉)と受け入れる事が信仰です。

 私が愛されていることとを、「私はOKである」と表現します。相手を愛する事、認める事を、「あなたはOKである」と表現します。自他がOKでない場合もあるのですから、立場は次の4つになります。

(私=I、あなた=YOU=Uと表現し、OKを+、OKでないのを−とします―図



 これは1981年にエリック・バーン記念科学賞になったFranklin Ernstの"The OK Corral :the grid for get-on-with"の考え方です。この結果、人生の立場が4つ出来る事になります。フランクリンは交流分析の創始者エリック・バーンからの伝統的なネーミングで、ユーモアに富んだ身近な表現で、「OK牧場」と言いました。

 同じ仲間のクラウド・シュタイナーは、「全ての子供はI+U+でから人生を始める」と言います。母子間の信頼が中断された時に、他の立場に移行するのです。それは基本的信頼から基本的不信への移行です。聖書の表現に重ねれば、人が創造された時には基本的信頼の中に置かれていたのですが、禁断の木の実を食べた後に、人は基本的不信に落ち込んだと表現します。しかし、人は基本的信頼の中で生きるように造られているので、再び創造の姿に戻らないと安心が得られないのです。基本的信頼関係からの離脱を聖書は興味深く記します。有名な箇所なのでご存知と思います。

 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。(創世記3章)

 禁断の実を食べる前は、I+、U+の牧場にアダムとイブはいました。しかし、目が開けた時に、I−、U−へ移行して、いちじくの葉をつづり合わせて、腰を覆ったのです。

 面白い伝説を聞きました。人は神様の戒めを守ろうとして、木の実を食べないために、ひとつの自主規制をしました。それは木に「触れてはいけない」と言う言葉です。神様はそのような戒めを命じなかったのですが、木に触れなければ実を採る事も無いし、罪を犯す事が出来ないので、神様の戒めを絶対的に守る事が出来ると思ったのです。ところが、蛇は「最も賢い」ものでした。その頃は蛇に手があって、女の手を取って、木に振れさせて、「触れても死なない」事を証明したのだと言うのです。

 人は自分で作った善意の付加によって滅びの道へ転落しました。また聖書は、「賢い事が良いことだ」とは言わないのも、「賢くなる事」が最大の目的である現代に興味深い示唆を与えます。

 それから責任転嫁が始まり、I−、U−へと落ち込んで行きます。人は「あなたがわたしと共にしてくださった女が」と神様とパートナーをU−だと言ったのです。

 U−、I−は不毛な牧場です。そこにはしばしば力ない笑みが見られます。「私もダメだけど、お前もダメだね、へへへへ・・・・・」と笑うのです。患者さんたちは、自分と同じように、援助者たちが無力の中に落ち込んでいるのを見て、笑みを出す事があります。特に医療者には絶対的な信頼を持って期待しているので、医療の無力が見えて来た時の失望は大きいものです。

 私は牧師として、スピリチュアルケアを担当して、U+を伝えます。U+なのだから、U+のあなたはU+のあなたのままで生きれば良いのだし、神様はあなたがどのような場所にいても愛しておられるのだ、見捨てることはないのだと伝えます。

 いつもそのメッセージが伝えられのではありません。「時」があるようです。患者さんは、私を遠くの方に見ていたり、近づけようとしないかも知れません。そんな時にも、私たちは何も言わずに、ただ彼と共に時間を共有する事によって神様に見捨てられていないことを伝えようとするのです。私の訪問が拒否された事もありました。

 その時は、引き下がりました。しかし、彼を愛する神様の愛が変ってしまう事がない事を知っているので、リファーして他の人に依頼し、別のところで祈っていました。しかし、それはとても大事な体験になるので、もう一度だけ、どうして、私がだめなのか聞く必要があると思いました。辛くて、嫌な面談でしたが、自分を知るために必要でした。

 同じ牧師なのだから、こんな時には医師よりも牧師を招くべきだと不満がありましたが、いま思うと同じ牧師だから、話したくなかったのかも知れません。その牧師さんは、私だけでなく、他の牧師も遠慮して欲しいと言うことでした。もしかしたら、それはキューブラ・ロスが教えてくれた、「死に致る五段階」の内の、4段階目の、「絶望」に入っていたからかも知れません。それは段階の1過程であったのでしょう。しかし、最後のところでは、その牧師に呼ばれて、祈って欲しいと依頼されました。それはU+とI+の牧場で、神様に愛されていることを確認した事でした。

 I−、U−とU+、I+の間に、I−、U+とU−、I+の立場があります。自分はダメだ、愛されていないと感じたり、相手がダメだと感じてしまうのです。そんな時に、私は、I+、U+を伝えてくれる環境の中に身を置いておく事を勧めています。一般的には、健康であることが良いこと、思い通りになっている事が幸せであると考えますが、信仰の世界で、神様があなたを愛している、あなたを見捨てる事はないと言う世界ですから、一般的な競争の世界でなく、信仰の世界に身を置いて、自分を守ることを勧めます。信仰の仲間との語り合い、聖書を読む、祈るなどです。それぞれに工夫をして環境を整える必要があると思うからです。

 2000年に、あなたのスピリチュアルな世界への微調整が完成されますように。




【4】私が私であること2000年8月6日掲載

 ある日、キューブラー=ロス医師を神学生たちが訪ねました。そして、「死に逝く人たちはどんな心理状態にあり、自分たちが神父になった時に、どのような役割を果たすことが出来るのか」と聞きました。その時、ロス先生は答えを持っていませんでした。それで、神学生たちと一緒に死に逝く人たちにインタビューを始めたのが1967年の事でした。「死ぬ瞬間」が出版されたのはそれから2年後です。(邦訳は1971年)。

 その本には、「死に逝く人々は5つの段階を経る」事が記されています。

(1)「ショックと否認」、
(2)「怒り」、
(3)「取り引き」、
(4)「抑鬱」、
(5)「受容」

です。

 私たちの体験では、(3)「取り引き」を始めた患者さんが、必ずしも(4)「抑うつ」に移るのでなく、反対に(2)「怒り」に戻ることもあり、どこから何が出てくるか分からないものでしたが、そのような段階があることは実感していました。

 いつものように、病室を回っていた時、

 「家を建てると悪い事が起ると言うのは本当ですか」と聞かれました。

 「どうして、そう思うのですか」と聞くと、その患者さんは家を4軒建てたそうですが、4軒目は出来あがったばかりで、まだ見に行った事がないそうです。

 患者さんは私の服をしっかりと捕まえて、

 「新しい家をあげるから、助けてくれ」と嘆願されました。

 ロス先生の5段階で言えば、(3)「取り引き」になります。しかし、翌日に訪問すると、気分が良くなっていたのでしょうか、

 「私の病気は治ったのではないか、それとも、検査の間違いではなかったか」と言われました。(1)「否認」に戻ったようです。そしてその午後には、「どうして、治せないのだ、何で、自分がこんな病気になるんだ」と(2)怒りをぶつけてこられました。もし、5段階の事を知らなかったら、患者さんの「取引き」や、「怒り」をぶつけられて、その都度、戸惑ったと思います。そして、訪問する事を恐れるようになったかも知れません。

 数年前にロス先生は何回かの脳卒中で倒れたそうです。インタビューに答えて、

 「この2年半というもの、毎晩、今夜死ねればと願ってきました。そうであればどんなに嬉しいことか。今の私の状態は、生きているわけでもなければ、死んでいるわけでもない。私には分かっている。私が自分を愛するようになれたとき、はじめて死ねるのだと言うことを。でもそれが出来ないのです。それが嫌でたまりません」。

 記者が、「死に逝く患者の心理研究をしてきたことが役に立っているか」と質問すると、

 「そんなことは時間とお金も無駄でした。職業や職業上の成功は、私自身を愛することと何の関係もありません。ファンからの手紙も気分が悪くなるだけです」。

と答えたそうです。そして、

 「私は長い間、<怒り>の段階におりました。今は抑鬱と受容の中間あたりでしょうか」

と自己分析をされたそうです。

 ロス先生が、「自分自身を愛することが出来れば、死ぬことが出来る」と言われた事が心に響きます。それは肉体的な痛みの問題ではないし、社会的な問題でもない。精神的な問題でもありますが、むしろ、スピリチュアルな問題だと思います。精神医学を極めた学者が、そのように言うことはとても興味深いことです。

 自分を愛すると言うことは、自分が自分で良いと思えることでしょう。自分を愛せない事は、自分が自分の考えている自分以下であると感じているのでしょう。その自分がどのようなものであるか、自分の寿命とか、能力とかは、遺伝子により決まっているのだそうです。今までは、遺伝子情報が分からないから、自分の遺伝子以上の力があると思って、能力以上の目標に向かって様々な努力をして来ましたが、人間の遺伝情報を大まかに読み取り終えたと、クリントン米大統領が宣言しました(00/06/26)。

 子が親に似るのは、遺伝情報が親から子へと伝わるからだといわれますが、この情報の全体をゲノムと言い、人のゲノムで、ヒトゲノムと言うのだそうです。遺伝子=DNAを構成する要素は4種類しかないが、30億個も並んでいて、100年かかるといわれていたのが、先日、概略読み終えたというのです。これによって、この人は40歳でガンになる確率は80%であるなどとわかるのだそうです。私たちはこの遺伝子の配列で、頭の良い人、健康な人もいますが、そうでない人もいるのだそうです。

 自分のヒトゲノムを検査して知る事が出来るようになりましたが、その配列が嫌いな人はどうするのでしょうか。また、その遺伝子は子孫に伝わるのですから、自分の遺伝子に難病の配列があるのを知ったらどうなるのでしょう。遺伝子検査をした患者さんは、孫を連れて見舞いに来た子供たちが帰った後も、「あの孫たちにも遺伝しているのだろうか」と、布団の中で泣くようになったそうです。遺伝子情報から発病の年代が分かり、治せない病気だと知ったら、どうしたらよいのでしょう。

 遺伝子検査はつぎの4つの条件つきで実施する事が申請されているそうです。

(1)その遺伝病の家系に間違いない
(2)遺伝や遺伝子検査の意味を理解している
(3)自発的である
(4)経済的、精神的に支えてくれる人がいる。

 しかし、(2)の遺伝子の検査の意味を理解出来る人がいるのだろうか、遺伝子は子々孫々に伝えられるのに、(4)の条件をどのように満たすのかなど、素人目には理解出来ない事が多くあります。

 厚生省の検討会議(座長・柳沢信夫・国立療養所中部病院長)は6月27日に、時代のニーズに応えて、国立病院のカルテ開示を本人だけでなく、遺族も対象とするとの指針を決め、来年4月から実施するように通知するのだそうです。患者の、「知る権利」の意識が広まっているからでしょう。それは、現実的に自分の限界を知らされることになります。医療スタッフは患者さんのために、隠した方が良いと思っていても、時代の流れは、患者さんが自分の病気を自分の事として知ることを求め始めたのです。それは医療者への不信だけではないのです。しかし、医療スタッフが心配するように、日本人はまだ、未来がなくなることへの対策が出来ていないのだと思います。人は未来がないと現代を生きる事が出来なくなる事を、医療スタッフは体験的に知っているし、患者さんも家族もそして、医療スタッフも、そのような時に、どのように援助出来るのか、スピリチュアルな問いに答える事が出来ないでいるからです。

 誰でも、愛する者の死ぬのを何としても助けたいと思います。人の寿命が遺伝子で決まっているなら、臓器移植をして延命を考えるでしょう。しかし、臓器移植をしても必ず元気になるとは限らず、副作用に苦しむことも多いようです。100%うまく行ってもいつかは死にます。提供する側にも、辛い思いがあります。脳死と言うけれど、呼吸はしている、身体は温かい、心臓は動いているのに、愛する者の臓器を提供するのは余程の決断が必要だと思います。

 上智大学の町野先生(刑法)は、「人間は死後の臓器提供へと自己決定している存在だ」と言いますが、「脳死は人の死ではない」と言う人たちや、「脳死とは移植を可能にするために作られた概念だ」という説もあります。しかし、臓器提供を待っている人は沢山いるのです。何としても助けたい、助かりたいのです。死んではならないと思います。

 私たちには、これは良いこと、これは悪い事と判断する力があります。そして、「死ぬことは悪いことだ」と思っています。「頭の悪いことは良くない」と信じています。だれでも、「貧しいことより、富んでいる方が良い」と思います。その信念と現在の自分が一致しないので、自分を愛せないのではないでしょうか。

 人の寿命が全員、80歳とか、90歳とか、或いは全員が120歳で死ぬなら納得が出来るかも知れませんし、全員が同じ能力を持っているなら不平はないと思います。しかし、現実には、遺伝子の並び方がそれぞれに異なり、その人らしさを作っているのです。どうして、人はみんな異なるのでしょうか。自分が他人よりも良ければ問題はないのですが、劣っていると納得できないのです。そして、これからは、それを知って生きる事になるのでしょう。

 旧約聖書にとても示唆的な物語があります。創世記2章です。神様はエデンの園に美しく、美味しい実を結ぶ木を生えさせました。そして、園の中央に命の木と善悪の知識の木を置かれました。神様はそこへアダムとイブを連れて来たのです。そして、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われたのです。ところが、イブはヘビの誘惑によって、アダムと共に食べてしまいました。その実を食べた時、人は善悪を知るものとなったと言うのです。

 善悪の判断は人のすることではない、もし、人が善悪の判断をする時には死んでしまうというのが聖書の教えなのです。
 新約聖書の例え話ですが(マタイ伝25章)、神様は、ある人には5タラント、ある人には2タラント、そして、またある人に1タラントを与えました。タラントは通貨の単位でもあり、重さの単位でもあります。「タレント」の語源です。1タラントは6千日分の労働者の給料に相当しますから、かなりの資本金です。 

 「神様なのだから、みんなに同じに与えれば良いのに」と思うのは私たちの善悪の判断です。実際にそれぞれに異なるタラントを与えられています。私たちは自分で、1タラントよりは2タラントが良いと思い、2タラントよりは5タラントの方が良いと決めてしまいます。そして、5タラントの人は10タラントあれば良いのにと残念がるものなのです。しかし、人はそれぞれのが限界の中で、与えられたDNA、ヒトゲノムの中で、どのように生きるのか、それぞれが工夫をして生きることを求めているのです。

 私はいま、心に病気を持つ方々とお交わりをしていますが、病気を持っている人や、障害を持っている人たちは、神様が特別に信頼してくださって、他の人には出来ない条件の中で生きることを求めているのではないかと思っています。それは偶然とは思えないのです。人の生は、他の人の真似をすることではなく、他の人と競争することでもないのです。他人と比べて、「あの人よりは良い」などと安心するのは意味のない事です。よちよち歩きの幼子と競争して勝っても意味のない事と同じだと思います。そのように自分で善悪の判断をする時に、人は死んでしまうのです。

 キエルケゴールは、「絶望は死である」と言いました。自分の現実に絶望するのではなく、その人に与えられたタラントに忠実であったかが、人生に問われるのです。

 ダライ・ラマは:Learn to be happy in imperfect world. と言いました。人生とは、不完全な世界の中で、ハッピーになる事を学ぶ事だと言うのですが、これは、「なぜ私が苦しむのか、愛する者と離別しなければならないのか、孤独、無意味、さびしさ、怒り、また、罪の自覚と赦しを求める存在なのか」に答える知恵を教えてくれます。それはスピリチュアルな問いへのひとつの回答です。

 死ぬ人間、不都合な世界、不公平な時代を前提にどのようにしたら幸せになるかを学ぶのが人生だというのです。自分が限られた時間の中でしか生きられない限界を持っていることを認め、それを前提にして生きるのです。善悪の判断を神様にお返しする事です。それは死を前にした時にだけ起こる問題ではなく、死を前提に生きる事が求められている事です。

 修道院の挨拶は、「メメントモリ=汝の死を覚えよ」と言うそうです。そして、学びの机の上に頭蓋骨を置く人たちもいました。限界のある人生であるからこそ、今の一瞬を大切に、今でなくてはならない生き方があるのです。

 キエルケゴールは、「幸せへの扉は外に向かっている」と言いましたが、スピリチュアルなものを求める人の生き方を教えるものだと思います。人は与えることによって、幸せになるように造られているのだと言う意味だと思います。

 どんなに沢山のものを取り入れても、自分を飾りつけても、それが幸せになるのでなく、扉は外に向かって開かれているので、自分が出るしか幸せになれないのです。それがスピリチュアルな生き方で、そのように人は造られているのでしょう。別な言い方をすれば、幸せは結果であって、直接的に求めるものではないのです。与え尽くして後に残ったものが幸せなのです。そして、その時に、本当の私が現われてくるのです。そして、自分を愛せるのです。




【5】痛みの中で2001年2月11日掲載

 その写真は、病院の門柱に寄りかかって、Vサインをしている若いカップルでした。私はお二人の笑顔を忘れる事が出来ません。結婚して間もなく夫人が病気になり、一緒に死んで欲しいと、ご主人と死に場所を探して北海道まで行ったのだそうです。しかし、死に切れなくて静岡まで戻って来た時に、夫人は痛みを我慢出来ずに入院しました。痛みがとれた時、夫人はご主人に違う考えを言いました。「わたしは死んで逝くが、あなたは生き残って私の分まで生きて欲しい。再婚して欲しい。ただ、私よりも良い人と結婚して欲しい」。痛みの中では夫人の顔はいつも辛く、暗かったそうですが、私が拝見した写真には優しさがありました。

 痛みの中で考える事と、痛みがとれた時に考える事は違うようです。どちらが本当の気持ちかと言うのではなく、どちらもその時々に正しい気持ちなのでしょう。しかし、痛みのない時に考えている事の方が健康的であるように思えます。ですから、痛みをとる事はとても大切な事だと思います。痛みが取れるものなら、取った方が得な気がします。

 いまは医療技術が進歩して、殆どの痛みが取れるそうです。しかし、全ての痛みをコントロール出来るものでもないそうです。ある医師は90%取れると言い、別の医師は60%だ、などと言われました。それは、たとえ99%の人の痛みが取れたとしても、1%の人の痛みは取れないと言う事です。そして、痛みのとれない1%に入った患者さんには、それが全てであり、どんなに辛い事かと思います。

 痛みの取れた夫人は、若い御主人の人生を祝福しましたが、しかし、それだけではないように思います。「自分は死んで逝く」とか、「自分よりも良い人と」などと言う時に、ペインコントロール以上のケアが必要な事を予感させます。スピリチュアルな面でのケアです。

 「わたしは死んで逝く」と言われた時に、私たちはどのように反応するでしょうか。多くの人は、死ぬ事がわかっていても、「死ぬなんて、そんなことはない」と言い、「あなたが頑張らなくてどうするの」などと叱りつけるかも知れません。「人間と言うものは、みんないつかは死ぬものですよ」と答る人もいるかも知れません。その言葉を聞いて、患者さんは納得するでしょうか。

 私は、今でもその事を思い出すと恥ずかしくなる答をした事があります。神学生時代に死刑囚を訪問する事が許されました。死刑囚は、「朝の足音が怖い。それが過ぎ去ると、今日一日が生きられる」と教えてくれました。その時、私は、「人はみんないつかは死ぬものです。そして、その時はわからないものです」と言ったのです。何と言う事を言ってしまったのでしょうか。死刑囚の恐怖と私たちの交通事故や突然死の恐れと一緒にしていました。私には、死の実感がなく、他人事だったからでしょう。

 死を前にした人に、どのような励ましが出来るものでしょうか。「正解」があるわけではないのでしょう。ただ、そこで、自分が明確に出て来ることは確かです。言葉にならなくても、答るまでの時間、表情、動作、心の動きに、その人の全てが現れます。もしかしたら、訴える人を叱りつける人は、自分が死を恐れている事を表しているのかも知れません。

 夫人には、「死んで逝く自分はどうなるのか」、「なぜ、自分が死ななければならないのか」、そんな問いもあったでしょう。そんなお話は聞けませんでしたが、そこで、死に勝利する確信が与えられたら良いと思います。聖書には、「死は最後の敵として滅ぼされる」と記されています(Tコリ15:26)。死は最後まで人々を支配していますが、それは滅びるもののひとつなのです。

 死は、最近では殆ど病院で起る出来事ですが、現在の多くの病院には、スピリチュアルケアの専門家がいるわけではありません。ドクターは治療の専門家であり、看護婦さんたちにスピリチュアルケアは専門外の事です。死の恐れなどについて、検査技士や会計事務員に聞く事も出来ないでしょう。ケースワーカーに相談しても、個人的な慰めしか得られないかも知れません。スピリチュアルケアの専門的な知識と技術が与えられていないのです。しかし、スピリチュアルな問いは、誰もが問われる事であり、誰もが答る事が出来る事でもあるのです。これからは病院の中で、このような問いに答える必要があると思われます。そのために、病院スタッフは誰もがスピリチュアルケアについて学ぶ事になると思われます。そして、全人的ケアを目指し、患者さんの立場に立つ医療の現場では実際に学習が始まっています。それでも、時間的にも、技術、知識の面でも、スピリチュアルケアの専門家が配置される体勢が必要だと思われます。それは今までも必要でしたが、これからは、医学がますます進歩し、同時に治療の限界も明らかになるので、切実に問われることになるでしょう。誰もが病院で治癒する事を期待しますが、期待に応えられない現実をどのようにケアするかが、強く求められる事になるからです。

 もし、スピリチュアルケアがなされないなら、人はひとりで死ぬ事になるでしょうか。誕生の時には、少なくとも母親がそばにいました。しかし、死の床には、その人の生きた全ての現実が現われるのでしょう。ある人はその瞬間を笑顔で乗り越える事が出来るかも知れません。Vサインをして、近親・友人に感謝と別れの挨拶が出来るかも知れません。しかし、最後まで、「死にたくない」と叫び、恐れの中にひとりでいなくてはならない人もいるでしょう。しかし、その時が過ぎると誰も戻ってこないので、私たちに情報が与えられないのです。その時には、誰もが口を閉ざし、最後の瞬間をひとりで乗り越えなければならないのでしょうか。

 聖書に、「金持ちとラザロ」と言う話があります(ルカ福音書16章19節以下)。

 金持は毎日ぜいたくに遊び暮らしていましたが、門前にラザロと言う貧しい皮膚病の男が金持ちの残飯で飢えをしのいでいました。時折、犬が来てラザロをなめました。やがてラザロは死にました。そして、金持ちも死にました。死んだ金持ちは地獄から天国にいるラザロを見ました。金持ちは叫びました。「わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます」。しかし、返事は厳しいものでした。「思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない」。すると金持ちは訴えます。「ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう」。しかし、地獄の金持ちは拒否されます。「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」。

 「モーセと予言者」とは聖書の事ですが、いま、与えられているもの、現実にあるものを無視していているなら、死人が生き返って忠告しても聞き入れないものだ、と理解しても良いでしょう。

 阪神大震災の頃からでしょうか、こころのケアが話題になり、子供たちだけでなく、企業戦士たちにもカウンセラーが必要だと言われるようになりました。しかし、人類が誕生した時から、人は様々な場面で、特に死を前に援助を求めたでしょう。そして、それぞれの時代に、適切な援助が与えられていたのでしょう。しかし、現在は、高度な医療の中で、死を前にして、誰も援助する事が出来ないのかも知れません。死ぬまでの間、ある人は長い時間、ある人は瞬間の時を、どのように過ごしたら良いのか、他の人はどのように過ごしているのか、聞くチャンスはそう多くあるものではありません。その時が過ぎると、誰も聞くことも出来ないし、誰にも話す事も出来なくなるので、そのまま、忘れ去られてしまうのでしょう。そして、自分の時になって、その時をひとりで乗り越えなくてはならないのです。しかし、いま、身近な死を見て、死に逝く人のケアが出来れば、自分の死の時の準備になるでしょう。いま、死に逝く仲間の忠告を聞かないなら、準備なしにその時を迎えなくてはならないでしょう。死に逝く人のケアは、弱者になった他人の援助でなく、自分に必ず、そして、早急に必要な事なのだと思われます。

 轢かれた犬が道路の端に投げ出されていました。そこに、散歩中の犬が近寄り、臭いを嗅いで過ぎ去りました。それを見て、人は犬のようには、死を見られないものだと実感しました。そこに自分の死を重ねてしまうからでしょうか。しかし、答の解らない問いは出来ないものです。赦しのない罪が認められないのと同じです。そこで、少しでも、先輩たちの教えに聴いて、答がわかり始めると、私たちの問いも浮かび上がってくるものと思います。

 痛みのとれない患者さんが、「わたしは罪人だ」と繰り返しておられたのだそうです。私は婦長に呼ばれて病室を訪問する事になりました。病室に入る前に、ナースステーションで患者さんの容態について説明を受けました。患者さんは75才の婦人で、ターミナルに入っていること、痛みがとれないで苦しんでいること、自分を罪人だと卑下し、早く殺してくれと嘆願するのだそうです。一人娘が一日おきに訪問し、世話をしている事、休みの日には孫も訪問している事なども教えて頂きました。

 担当看護婦に連れられて病室に入ると、「今日は中島牧師が来てくれましたよ」と紹介されました。すると、すぐに、Aさんは、「私は罪人なんです」と話し始めました。担当看護婦はうなづいて出て行かれました。そのうなづきには、「いつも、こうなのです」と言う訴えが含まれていたと思います。

 私は、Aさんに、「どうして、そのように思われるのですか」と聞きました。すると、Aさんは、「この痛みは普通ではない。私はきっと何か悪い事をしているんです。自分では、誰かに悪い事をした覚えはないが、きっと、誰かに悪い事をして、呪われているのです」と言うのです。

 痛みについて、呪いについて、Aさんの話は止まりませんでした。話す事によって、痛みに耐えているようでした。私はナースステーションで聞いた娘さんの事を話題にしようと思いつきました。いつも自分の興味で話題を変えないように努力しているのですが、人生の総括をする時に、子供を生んだ事、孫の顔を見ている事は、良い材料になるだろうと思ったからかも知れません。原則は、患者さんの思いを中心にすべきですが、患者さんが、あまりにこだわり過ぎている時に、こちらの考えを話して、視点を変えてもらう事は全体を見渡す助けになると思ったのでしょう。これはリフレーミングの技法になるでしょう。

 すると、Aさんは、突然に沈黙してしまいました。私は、「しまった」と思いました。何とかしなければならない、この沈黙から逃げ出したいと思いました。

 でもすぐに、パストラルケアを学び始めた頃に、恩師が沈黙する患者さんと向き合っている姿を思い出しました。その時、恩師と患者さんは20分以上も、沈黙をしていたのです。私は予定していた4階の病室の患者さんを全員訪問して戻って来たのに、まだ沈黙が続いていました。しかし、患者さんの頬に涙が光っていました。そして、患者さんの顔には面接の最初の顔と違って平安がありました。その時から、沈黙には大きな力がある事を知りました。沈黙は、何もない事ではなく、少なくとも、そこにふたりが存在していたのです。それは話をするよりも大きな力があるのです。ただ、沈黙の間は、何が起っているか解らないので、怖いものです。

 沈黙の中でもAさんの唇が時々動きます。天上を見ている眼球も動いています。Aさんの眼球がしばしば右上に留まりました。私たちの学びの中で、それは過去の出来事を想起している事だと言われます。「アイ・アクセス」の技法で、確率は90%だと言われます。その目の動きで、私は沈黙に耐える力が与えられました。そこには大きなエネルギーが渦巻いているようでした。時計で計測すれば5分か、10分も経過していなかったかも知れません。しかし、私には30分以上に思えました。

 そして、Aさんが話を始められました。

 「主人の戦死の通知を受けた日に、私は妊娠している事を知ったのです。自分も死んでしまおうと思ったのですが、主人の子供を生み、育てる事にしました。その時、願をかけたのです。この子が病気になるなら、私を病気にしてください。この子のために、私の命を奉げますと誓いました。だけど、神様は、今まで、待っていてくださったのです。もし、敗戦の時に、私が病気になったら、私も子供も生きてはいられなかったでしょう。しかし、神様が今まで待っていてくださったのです。そして、娘の病気を私が引き受ける時が来たのです」と話が続きました。

 敗戦の時には食べるものがなくて、みんな苦しみました。私の妹も栄養失調で死にました。今でもアジアやアフリカの飢えている子供の写真を見る事がありますが、あの写真のように、妹の手足は細く、お腹が脹れ上がっていました。あの時代に、Aさんは母親として、子供に食べる物を確保しなければならなかったのですから、大変なご苦労をしたのだと思います。買い出しをした事、満員列車のこと、着物を米に代えて貰ったが、警察に没収された事など、話は尽きませんでした。そして、「この痛みは私の大切なものなの、誰にもあげないわ」と言われました。その口元には少し微笑みがありました。

 「きょうは、良いお話を沢山していただいて、有り難うございました」と言われて病室から送り出されました。私の言葉は、「どうして、そのように思われるのですか」と、「お子さんは」の2つでした。しかし、Aさんは、「沢山のお話を聴く事が出来て満足した」と言うのです。聴く事は、話す事より強い力を持っているのだと思われます。

 それから、間もなくAさんは亡くなりました。痛みを自分のものと引き受けてからは、スタッフに向かって感謝の言葉が沢山出るようになったと言うことでした。自分の為に、良くしてくれて有り難うと繰り返されたそうです。

 痛みがあっても、なお、人は喜びを見出し、痛みを感謝する事が出来ることを教えられました。人は延命だけを期待するのではなく、また、延命出来ない時に絶望的になるだけでなく、痛みをも受け入れる事が出来、死をも受け入れる不思議な力を持っているものなのでしょう。その時に、もし、少しでも、援助的な働きがあれば、どんなに励まされるかと思います。そして、その時には、自分も受けたいと思います。



【6】人生の坂2002年5月15日掲載

 人生には3つの坂があると聞きました。確かに、人が生きる道は、通常は平坦な道を淡々と歩くものですが、長い人生を鳥瞰すると、上り坂があり、下り坂があります。そして、真坂(まさか)もあるものです。上り坂も、下り坂も、その時には驚きますが、全体的には、何とか工夫して乗り切るものです。自助努力や友人家族の精神的な援助も役立つことでしょう。しかし、「まさか」の坂は、全く思いがけない出来事で、予測する基本が揺らいでしまうので、大混乱になります。

 友人からメールで、25歳になる息子が仕事中に事故に逢ったので祈って欲しいとありました。家族思いの息子で、昨年も家族旅行のために格好の良い所を見せて、両親を感激させたのに、思いがけない事故で緊急入院しました。3時間の手術でした。医師から、「リハビリをしても、かなりの後遺症がある」と言われそうです。これは、3人称の人たちには「下り坂」であり、世の中に良くある出来事かも知れませんが、1人称(本人)と家族(2人称)には「まさか」の出来事でした。

 父親が病室に入りました。息子は目を閉じたままですが、起きているのが分かりました。麻酔が効いているのでしょうか、痛みはないようでした。

父親1:どうだ?

息子1:(身体を動かさず)退屈だ。

父親2:(ほっとする)

 手術後の最初の会話です。とても素敵な会話だと思いました。

 何が素敵かと言うと、父親は、「どうだ?」と聞きます。息子は何を答えても良いのです。この時、父親が、「痛みはどうだ?」と聞くと、息子は痛みがあるとか、ないとか答えなければなりません。それは肉体的な問題への関心ですが、息子の関心ではないかも知れません。「失敗を気にするな」と励ますなら、父親は自分の関心が失敗にあり、息子が下り坂にいると思って、上り坂を指し示しているのかも知れません。しかし、今は、息子は「まさか」にいるのです。この最初の言葉かけは、父親が自分の関心から離れて、息子が話したいことを話せるように、「開かれた質問」をしたので、素敵だと思ったのです。

 息子は身体を動かしませんでした。動けなかったのかも知れません。しかし、自分がどのような姿勢をしていても、認めて貰える信頼感があります。今の自分のあるがままの姿を認めているのです。また、「退屈だ」と言う言葉に、回復した後の希望を持っているのでしょうか。それとも、これから一生涯を後遺症と共に生きなければならない虚無感を感じているでしょうか。父親2で、「ほっとする」とありましたので、絶望的な気分ではなかったと思われます。

 このような解説はかなりの憶測と自分の期待が混じっていると思われます。それでも、時折、オフでの会話や、ご両親と息子との今までの交わりで予測できます。もし、直接的に顔と顔を合わせているなら、声の早さ、高さ、息づかいなどで言葉以上の多くの情報を得ることが出来るでしょう。私たちは言語で理解できるのはほんの少しで、多くは非言語的な表現で伝えられているからです。

 これから、どのような言葉が交わされるのでしょうか。息子が「まさか」の出来事から、どのようにして回復して行くのでしょうか。祈りの言葉が湧いてきます。

 彼は、肉体的には医療関係者によって十分なケアが受けられるでしょう。仕事中の事故なので、会社の方で社会的なケアをしてくれると思われます。また、友人や恋人から、精神的な支えも貰えることでしょう。そして、父親と連絡をしているのは、スピリチュアルなケアが出来るようにと願っているのです。

人にはそれぞれスピリットがあります。スピリットがあるから、人となり、生きるものとなるです。そのスピリットには力があります。

 死を前にした患者さんが、看護婦さんに、「お世話になりました。有り難うございます」と言いました。それは言葉ではなく、目を閉じ深いうなずきだけですが、看護婦さんはそのように聴こえたのだそうです。看護婦さんは泣いてしまいました。その涙は仕事の力になり、これからのナースの仕事に喜びを見いだすことになるでしょう。起きあがることも出来ない患者さんのこの力はスピリチュアルな力です。

 スピリットを受けた人間は、罪を赦す力があります。他人を赦し、自分自身を赦す事が出来るようになります。そして、自分が自分らしくなり、相手を自分と同じものでないものとして認めます。生と死の意味を見いだし、目的を目指します。それはスピリットが求めているからです。そして、絶望には留まらず、どのような時にも希望を持つのです。

 ですから、ターミナルケアという言葉はスピリチュアルケアには相応しくないかも知れません。ターミナルには希望が見えないからです。私たちの目指すのはこの、スピリチュアルなケアなのです。

 しかし、今の日本の現状は、スピリチュアルな働きをする環境がなく、多くの場合、人がスピリチュアルケアを願っても、肉体的なケア、社会的なケア、或いは精神的なケアで解決しようとします。しかし、人は本来的にスピリチュアルな願いと問いを持っているので、それでは限界が現れます。私たちはいま、このスピリットを生かす場所作りをしなければならないのだと思います。現代は、スピリットが無価値なものと思われていますが、それがあるから、人は人になれるものなのです。

 通常は、「まさか」の世界を知ることが出来ません。「まさか」の中に落ち込んだ人たちは、私たちが未だに体験したことのない世界を教えているのです。私たちは聴くべきなのです。なぜなら、私たちの知らない世界を体験しているからです。更に加えて、非常に個人的なもので、経験者がノウハウを教えるものではないのです。その人の生き方を援助するものです。

 (「患者」と言う言葉は、心が串刺しになっているようで、痛々しく感じます。それ以上に、健康な人が倒れている人を下に見ているような気がします。それで、「クライエント」と言う言葉を使う事が多いでしょうか。しかし、使い古されてた為でしょうか、その中に、違うものをみます。「患者さま」と呼ばれるのと同じに、素直になれません。そこで、私たちのグループでは、ドイツ語の「ゲスト」と言う言葉を使っています。)

 私たちはゲストに逢うときに、自分の立場が明らかにされます。自分の価値観、信念、目的が見えます。そして、それを絶対的真理だと信じていますが、全てが正しいことではありません。また、それをゲストに押しつけようとします。そんな時に、ゲストに出来る事は沈黙と忍耐でしょうか。

 そこで、私たちは自分のために、スピリチュアルな訓練が必要になります。

 何人かの人はテレビを見ない事で訓練をしています。テレビは、次々に私たちを画面の中に引き込んでいきます。番組制作の担当者は視聴率確保のために、あらゆるテクニックを使っているからでしょう。それに、乗せられて、いつの間にか夕方になってしまいます。私たちの好奇心は大切な時を失わせてしまいます。事件がないと物寂しくなるほどです。

 しかし、何もない事は沢山のスピリチュアルな声を聴く事が出来ます。面白くないことに、動かないことに、沢山の知恵が隠されているものです。

 意識のないゲストのそばにいること、そこで祈る事も良いし、聖書を読むことも良いでしょう。それはスピリチュアルを高めるものです。何もしなくても良いのです。共にいること、それがスピリチュアルな訓練であり、出来事です。

 また、スピリチュアルな訓練には驚きが必要です。驚きがあることを互いに分かち合うことも出来ます。種を蒔く。芽が出る。それは当たり前の事ではないのですが、驚く人は少ないのです。自分が蒔いたから当然だと思ってしまいます。夕暮れに電気をつける。明るくなる。それだけではなく、誰かが、明るくなるように、スイッチを入れて働いてくれたのですが、その人への感謝の心は出てこないのです。しかし、傲慢で鈍感な感性を互いに刺激し合って磨き合う事も出来ます。「手を開く 手が開く。ああ、感謝」と言う事は、ゲストが一番良く教えてくれることです。私たちには、あまりに当然すぎて(恵みに慣れて)、感謝にならないのです。

 スピリットは生きている人の中にあります。生きている人は変わる事が出来るものです。完成していないのが生きている証拠です。途中の人間、未完成の姿が健全なのです。そこに希望があるのです。スピリチュアルケアでは肉体の痛みや社会的、精神的な痛みを解決する事は出来ないかも知れません。しかし、それらの持っている意味を根底から変えてしまう力を持っています。様々な他の痛みを受け入れ、意味あるものと変えてしまう力を持っているのです。

 スピリチュアルケアはとても大切な事ですが、人の健康の中のひとつです。他の健康を保つスタッフと共に、チームで働く必要があります。その為に、他のスタッフに理解される説明とアセスメントが必要です。必要とされていない現実と、医療スタッフの強力な責任感の中に入り込むのは厳しいことですが、スタッフに理解されなくては前進しないのです。また、チームで働くために他のスタッフに計画を示す必要もあります。それらのことはこれから、私たちがまとめ、納得して貰えるように働きかける必要があるのです。今、私たちはスピリチュアルケアの出発点に立っているのです。

 メールが来ました。「指が動いた。感謝。感謝。・・・。」と感謝が20回ありました。きっと泣きながらタイピングしていたのでしょう。父親は息子の指が動くのを見て、神様を讃美しているのでした。「まさか」の中で、自分の立つ場所、支えられている力を見いだしたのだと思います。


【7】痛みの中で2002年7月17日掲載

 歯科医院に「80歳になっても20本の歯を」とポスターが貼ってありました。自分の歯で食べると美味しいものですから、80歳になっても20本の歯があれば、どんなに楽しかろうと思います。しかし、年と共に歯が弱くなり、80歳に20本の歯があるのは珍しいのでしょう。それ故、そのような目標が立てられるのでしょう。

 「こんなにぐらぐらしているのですから、抜かなくてはなりません。麻酔の時にちょっと痛いだけですから、良いですか」と聞かれます。歯科医院の椅子に座って、エプロンを掛けられているだけなのですが、鎖で縛りつけられているように思われ、優しい先生の声なのですが、断り切れなくて「お願いします」などと、心にもない事を言ってしまいます。そして、確かに歯を抜く時は痛くはないのですが、麻酔の痛いこと、痛いこと。先生の言葉に嘘はないのだけど、よく皆さんが耐えていると思います。麻酔をする麻酔が欲しいものです。

 そんな手順の中で、勇気を出して、非常識にも、「自然に抜けるまで待っていたいのですが・・」などと言うと、「ほら、ご覧なさい。こんなにぐらぐらしていますよ」と鏡を見せてくれます。鏡を見なくても、自分の口の中の事で、いつも動いているのを知っています。退屈な時には舌で歯を動かして遊んでいることもあるのです。

 「若い時には、手間がかからないように、すぐに抜いて貰いたいと思いましたが、年と共に、一緒に生きてきた仲間のような気がして、最後まで見守ってあげたいのです」と言いました。すると、「その気持ち、良く分かります。でも、ご覧なさい。もうすぐ、駄目になりますよ」と麻酔の準備を始めておられました。私は、少しも理解して貰っていないと思いました。

 優しい先生は、自分の事を、本当に患者の事を考え、患者の気持ちを理解していると思っているのですが、患者は、理解して貰えないと感じる事があるのです。多分、同じように、病気の中にいる人、不安、恐れの中にいる人に、「大丈夫よ、あなたのお気持ちはよく分かります」などと慰めても、「私のことを少しも理解してくれない」などと、勿体ない事を言い出す事もあるのでしょう。しかし、本人が言うのですから、間違いのない出来事なのです。

 私たちはそれぞれに「生活の場」があって、その中で感じ、理解し、望んでいるものです。相手の「生活の場」に立つ事は、不可能なのでしょう。まして、死を前にした人は、生きている人が経験したことのない未知の世界に立っているのですから、理解できないものなのです。そこでは、聴く事しか出来ないはずなのに、分かっているような気持ちになってしまうのは無知と高慢な性格がさせる事なのでしょうか。それとも、自分が怖いものだから、相手を黙らせるために、先にしゃべりまくるのでしょうか。

 今年の5月にオランダに続いて、ベルギーでも安楽死法案が可決されました。死を前にして、激しい痛みがある事もあり、その痛みは人格を変えるほどの痛みである事もあるそうですが、そのような痛みは取り去って欲しいと思いますが、痛みの中に、人が生きる意味を知るチャンスがあり、死の先を思いめぐらす時間があるのです。痛みを取り去り、セデーションで意識を下げることは、その大切な時を失う事になるかも知れないと思います。痛みの中にも、その時にしか与えられないチャンスがあるのではないかと思われます。

 患者さんは

 「生きて来た意味が分からなくなった」

 「まだ、死ねない」

 「すべてが消えていく」

 などと言われます。そして、誰もそれを否定出来ません。むしろそれを思いめぐらす時間として与えられているのでしょう。

 フロイトは、右あごにガンが出来て、痛みの中にいたのですが、薬で頭がぼんやりするよりも苦痛の中で考えた方が良いと、鎮痛剤を飲まずに自室で呻いていたそうです。しかし、人の気配がすると声を殺したそうです。ゲシュタポによる家宅捜査を受けるなどがあって、国際的な支援でロンドンに移住しますが、その頃、ガンは喉にも転移していました(四人の妹は移住を拒否して、ナチスのガス室へ行く)。彼は医師に、「私は鎮痛剤が嫌いです。しかし、私はあなたが私を不必要な苦しに会わせないことを信じます」と言い、医師はフロイトを見守り、最後はモルヒネで意識を落としました。そして、1939年に死にました。83才でした。(ゾシマ長老の兄<ドフトエフスキー>の話も良いですね)

 長く生きるためではないのです。痛みや恐れがあるのは生きているしるしであり、その痛みの中で、多分、自由に行動できない状況に置かれて、人は思いめぐらす時間が与えられるのです。それは誰も知らない世界であり、一人で立つ世界なのでしょう。

 そのような時に、人は援助者を必要とします。産みの苦しみの中にいる時には、誰も手助け出来ないのだけれど、一人にさせない援助は必要なのでしょう。おろおろしてくれる人が必要なのでしょう。同じように、死を前にして、未知の世界に立つ人に、誰も手助けできないとしても、一人にさせない援助があれば、どんなに慰められることでしょうか。

 そのような援助をしたのがイエス様でした。

 ある時、人々が一人の盲人をイエス様の所に連れて来て、「触れていただきたい」とお願いをしました。イエス様が盲人に触れると癒されると言う評判が伝えられていたからでした。そして、盲人は癒されました。盲人は見えるようになったのですが、イエス様は、村には入らずに自分の家に帰れと言われました。

 この癒しの物語はいつもの癒しとは違っています。「すぐに」、「ただちに」癒されるのでなく、まず、癒しの場所まで手を取って連れて行き、唾をつけて、それから両手を(目の)上に置いて癒します。盲人は最初、ぼんやりしか見えませんでした。それから、もう一度、両手を目に当てて、やっと見えるようになったのです。

 このような癒し方は初めてです。それは病いが重かったからでもあるのでしょう。一般に、重い病いは段階的に癒されもるのです。しかし、イエス様の力は圧倒的で、どのような重病でも、段階を必要とする事はないはずです。ですから、神様の力が足りないことではないのです。そこには何か意味があると思われます。私は、完全に癒されない時間の中で、盲人は思いめぐらす時間が与えられたのだと思います。イエス様はその時間を大切にされたのだと思います。

 イエス様は癒しながら「何か見えるか」と聞きました。すると、盲人は「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と答えました。この情景から、イエス様の位置、姿勢を想像できるでしょうか。盲人にはぼんやりと、木のようですが、人が歩いているのが分かりました。その時、イエス様は盲人の目に触るほど近くにいたはずです。それはイエス様が盲人の前に跪いていたからです。盲人よりも身を低くしていたと言うことです。この世では力のある人はいつも高いところに上ります。しかし、イエス様の基本的な姿勢は、最も低い人よりも下がる事でした。盲人の苦しみの前にひれ伏していたのだと思います。病む人の前に跪くことは、私たちの託されている使命なのです。

 また、盲人は村の外に連れ出されて癒され、イエス様に「この村に入ってはいけない」と言われて家に帰りました。すると、盲人であった男の家は村の外にあった事になります。

 盲人は、盲人であると言うことで、村の中に住む事が出来なくなっていたのでしょう。村の人に追い出されていたのに、人々は、イエス様の力を試すために、盲人を連れてきたのでしょう。イエス様はその盲人の隣人となったのです。

 そして、私たちがイエス様と同じ道を歩むように招かれているのです。


【8】共にいる2003年3月30日掲載

 もう、3年も前になりますが、「スピリチュアルケア」と言う題でこの場所に記しました文章に、私は基本的で大事な予測をしました。しかし、見事にはずれました。あまりに確信しすぎていて、正確には、はずれたことにも気がつかずにいたのでした。

 「今年のWHOの会議で、健康の定義が次のように採決されると思われます。Health is a dynamic state of complete physical,mental,spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」

 1999年5月の第52回世界保健総会では、憲章改正は審議しない事になったのです。WHO(世界保健機関)は国際連合の専門機関で、1948年(昭和23年)に設立され、日本は1951年(昭和26年)に加盟しました。

 WHO憲章の前文にその健康の定義が掲げられています。それまでは、そして、今も健康の定義は次のようなものです。Heaith is a state of complete physical,mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.「健康とは完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」。私が予測していた箇所は現行文にdynamic とspiritual の追加があると言う事でした。

 1995年のWHO総会(加盟国191)は執行理事会(32カ国)に憲章の見直しの審議を求め、執行理事会は特別部会で検討して、1998年1月に第101回執行理事会で7カ所の憲章改正案を提出し、それが採択されましたが、その中に健康の定義の部分があったのです。

 第101回執行理事会(定数32)では賛成22、反対0、棄権が8でした。日本は棄権しました。日本の意見は「基本的事項の変更は時間をかけて検討すべきだ」と言うことでした。

 Spiritualを追加する事に賛成する意見は、

 人間の尊厳の確保に重要である。
 医学の分野で価値があることが証明されている。
 宗教とは関係なく、医学が最高の効果を得るのに必要である。
 spiritualな面を考慮しないとQOLを考えることが難しい。

などの意見があったそうです。

 しかし、全会一致で採択する事が良いとされ、第52回総会では審議しなかったのだそうです。

 一般的に、physical(肉体的)な健康、mental(精神的)な健康、social(社会的)な健康については、理解し、区別することはそれほど難しい事ではないかも知れません。しかし、spiritualな健康と言われると、何を意味するのか理解出来なくなるのが正直なところです。特に、mentalな健康とどのように異なるのかが問われる事でしょう。

 私たちの研修会ではよく、mentalな事と、spiritual な事の区別を話し合います。そして、互いに話し合って確認しあいます。

1、職場検診で胃ガンの疑いがあると言われて落ち込んでいる。
2、自分がいま生かされている事に感謝している。
3、この年になって生きているのは、無駄飯を食べている事ではないかと思う。
4、休職していたが、復帰の日が近づいて不安である。
5、リウマチの痛みで苦しんでいるが、痛みは生きているしるしだと感じる。
 状況設定で正解は出ないかも知れませんが、それでもspiritualな世界と mentalな世界の違いがあるのは分かるように思いました。

 1、4,は mentalな問題だと答える人が多かったと思います。それはカウンセリングなどで、励まし、支える事が出来るかも知れません。しかし、3、などは、人生の目的を見失っているので、mentalな励ましが有効になるとは思えないのです。意味、目的、罪の意識などは、mentalな世界を超えているからです。そこではspiritualな世界が求められるのでしょう。

 人は全ての分野での治療を求めて病院に行きます。しかし、mentalな世界までは専門的にカバー出来る可能性がありますが、spiritualな世界は、別な専門的な分野として求められるのだと思います。

 一つの問題が起こった時に、それを環境(Environment)を変える事で解決出来る場合があります。しかし、環境の変化では解決出来ない時は自分の行動(what I Do)を変える事で対応出来るかも知れません。それでも解決できないときには、その人の能力の問題(my Capabilities)があります。能力で解決出来ない場合は、その人の信条(what I Beliebe)の問題があります。信条で解決できない時には、アイデンティティ(who Am I)が問われます。そして、アイデンティティが問題になる時に、spiritualが助けになるのです。(このことを教えてくださった恩師が、憶えやすいようにとEからAまでを大文字で書いてくれました)。

 1、の事例では、まず、環境を変える事が良いでしょうか。それから、自分の行動を変えて見る。それでも解決出来ない場合は治癒力などの能力も問題になるでしょう。それでも解決出来ない場合は、病気は悪い事と言う信条が問われます。それを解決出来れば、それまでの問題は消える事でしょう。しかし、信条でも解決できないときには、アイデンティティが問われ、この辺になると、spiritualな課題に近づきます。それは、その人にしか、解決できないことだからです。アイデンティティが問題になる時に、spiritualが必要になるのだと思われます。

 spiritualな課題には、何かをしてあげるというのでなく、「そばにいること」と「受動型」が特徴的に思えます。spiritualの基本的なメッセージは「決して見捨てられていない」事です。それは、すべての人が求めている事で、特に病む時に一番基本的に求められる事だと思われます。


【9】命2006年1月8日掲載

 皆様、いかがお過ごしですか。1999年に、このコーナーに投稿させて頂いて、2003年3月30日まで、8回も続ける事が出来ました。読み返すと、恥ずかしいけど、「良い事書いてる!」(「良い事欠いてる!」と出て来て、ショックを受けていますが、続けます)と、自分を励ましながら、次の挑戦に臨んでいます。8回目の最後に、「続く」とあり、それをクリックしましたが続きませんでした。その責任も感じていました。

 何よりも、自分の中で、変わってきているものもあり、それを訂正しながら、続きを書かせて頂きます。

 反省として、キリスト教の言葉を使っているので、スピリチュアルな世界から、興味をなくされた方がいるのではないかと案じています。スピリチュアルな世界はキリスト教に限られたものでなく、人として生きるすべての人の課題です。ただ、私がクリスチャンなので、核心の部分になると、キリスト教の言葉になってしまうのです。出来るだけ、使わないように努力しますが、不快なものがありましたらご指摘下さい。それをご自分の信仰、確信に基づいて言い換えて下されば有り難い事です。

 実際、昨年はビハーラ(仏教系のホスピス運動)の方々とのお交わりを頂いて、共感する所が沢山あるのに自分でも驚いた事でした。勉強会の企画を進めてくださった僧侶のスタッフの勇気に感謝し、お礼を申します。そのご縁で、昨年のビハーラの全国大会のスピーカーの任も頂き、それをご縁に、また、いくつものご縁が出来て嬉しい事でした。

 学問を大別すると、自然科学と精神科学に分けられます。前者は実験、分析が可能ですが、後者はそれが出来ません。前者の真理の証明は時間の経過と学問の発達が必要ですが、後者の真理は、それぞれの命をかけた証明が必要です。「歎異抄」の中に、「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」と言うお言葉がありました。キリスト教でも同じ事が言われ、殉教者たちがいます。

 私たちの目指す「スピリチュアル」は、精神科学に属し、精神科学は哲学と信仰に分類出来ると思われます。そして、信仰を分類すると、それぞれの信条を持った宗教になるのだと思います。

 哲学と信仰の違いは、前者が知性を基本に思索が中心になりますが、信仰は知性や理性を越えたもの、絶対者である神とか仏などを取り入れることだと思われます。そして、正直に申しますと、「知性は方法や道具に対しては鋭い鑑識眼を持っていますが、目的や価値については盲目です」と言うアインシュタインの言葉に納得したりしています。目的や価値はスピリチュアルな世界で、それは音楽の世界のように感情や感性が導く世界です。

 昔は信仰が自然科学を支配しましたが、現代は自然科学が信仰を支配し、無視しているのだと思います。以上をまとめると、次のようになるでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
科学
  → 自然科学
  → 精神科学 → 哲学(知性)
         → 信仰(絶対者) → キリスト教、仏教、イスラム教、etc.。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 レオ バスカーリア (Leo Buscaglia)の「葉っぱのフレディ―いのちの旅」(みらい なな訳)や、ミッチ アルボム(Mitch Albom)の「モリー先生との火曜日」(別宮貞徳訳)などは、宗教色のない哲学に入るでしょう。また、私が見聞きした素晴らしい看取りの講演や記録の多くは、涙しながら聞き、読んだのですが、それらの多くは心理学の世界に分類されるものと思います。

 心理学とスピリチュアルな世界を厳密に区分する事は難しいと思われますが、分野が異なる事は確かです。シンプルな区分法として、心理学は「HOW TO」と問い、スピリチュアルは「WHY]と問います。

 そして、スピリチュアルには既存の正解はないのでしょう。

 心理学ではカウンセリングなどで、患者を励まし、支える事が出来るでしょう。しかし、人生の目的(スピリチュアルな問い)を見失っている人には(それは患者とは言わないが苦しんでいることは同じです)、心理的な励ましが有効になるとは思えません。

 心理学の世界では次の5つの段階が考えられるでしょうか。

 A who Am I(Aは「アイデンティティ」のAで、私は誰かと言う問い)
 B what I Beliebe (Bは「Belieb=信条」のBで、自分の信じているもの)
 C my Capabilities (Cは能力のC)
 D what i Do (Dは行動のD)
 E Emipormenr (Eは環境のE)

 (たとえば、医師になりたいとの願いを持ったとき、最初に、行動出来るのは、自分の置かれている環境(E)を変えて見ることです。次に、受験準備などの行動(D)をすることです。しかし、能力(C)がないと実現しないことです。そこで、医者になることが良いと言う自分の信条(C)を変えればC、D、Eは変わって来るでしょう。更に、自分のアイデンティティ(A)を変えれば、信条(B)も変わるはずです。)

 しかし、スピリチュアルな世界はAのアイデンティティを越えた世界に入るのです。意味、目的、罪の意識などは、心理学の世界を超えているからです。

 「こころの病気」などと言いますが、その中には、お薬や治療で癒さなければならない肉体的なものがあり、カウンセリングなどの心理学で癒すもの、また、MSW(医療ソーシャルワーカー)の援助で、社会資源の利用や社会問題を解決しなければならない事もあります。そして、スピリチュアルな世界を示して解決していく課題などが含まれています。ひとりの痛みに、それぞれの専門的な解決が必要であり、それぞれの専門家たちがチームを組織し、一人の叫びに応える事が必要なのです。

 実際に、肉体の痛みがうつ状態を起こすこともあり、痛みを訴える患者さんに、抗うつ剤を一緒に出すお医者さんもおられます。その抗うつ剤はうつ状態になる肉体の部分に働くもので、肉体の治療になるのでしょう。うつ状態を心理学的に治療する方法もあるかも知れません。更に、様々な知識で痛みを和らげながら、うつ状態の残る中でも、死に逝く自分を引き受け、まだ生きている事と、自分の与えられた使命を確認する事が出来るように援助するのがスピリチュアルケアになるのでしょう。

 「スピリチュアル」と言う言葉がテレビやラジオでも聴かれるようになりました。それは、霊感のようなものであったり、癒し系のものであったりします。先日、東京の電車に乗ったら、「スピリチュアルな住宅環境」と言うコマーシャルがあり、雑誌にも、「スピリチュアル・カラー」、「スピリチュアルなマッサージ」などと使われていました。インターネットでも、「スピリチュアル・パワーポイント」などと、幽霊のような存在の案内がありました。それを信じ、実行すれば病気にならないとか、金持ちになる、事故に遇わないなどと言う世界は、科学的ではなく、私はいま、あまりお付き合いをしたいとは思いません。百歩譲って、それが科学の世界だとしても、「HOW TO」ものですから、心理学の世界に入るでしょう。ただ、信仰の世界でも、信じれば願いが叶い、幸せになれると説く宗派があります。そのような御利益宗教も、スピリチュアルな宗教とは異なるものです。

 そこで、再び、スピリチュアルとは何かについてから始めたいと思います。

 2001年11月26日にエルガーラ(福岡大丸デパート)で、ミュンヘン大学医学部教授・ヒレマン先生の講演がありました。(その時、講師の遅刻で、私も時間稼ぎに何かを話したのですが、憶えていません。ただ、講師から本物のドイツ語で、「ダンケ・シェーン」と言われた事を憶えています)。

 ヒレマン先生の講演は、「スピリチュアルと身体の健康への新しいこころみ」というテーマでした。その講演を聞こうと病院関係者も沢山集まり、満席でした。

 講演は、「ドイツでは、医療が、肉体の治療だけではなくなっている時代になった」と言うお話でした。いま思うと、参加者たちは新しい治療法を聞けると思っていたのだと思います。確かに新しい治療なのですが、それは技術や制度の事ではなかったので、教授の名前や資格には満足しても、内容に満足出来たのだろうかと言うと、否定的に思います。

 その時から、私はいつかドイツの病院へ研修に行きたいと思いました。丁度、「ドイツのホスピス研修旅行」と言う企画があり、身分もわきまえずに参加させて貰ったのが2004年の事でした。

 そこで学んだ事は、「目に見えるもの」ではありませんでした。私たちが研修を受けたドイツの陸軍病院のシンボルは「卵」でした。病院も大きかったのですが、屋根に置かれた卵も大きなものでした。病院の最新式設備を見せて貰った同行の医師たちは、「うちの方が進んだのがある」と話しておられましたが、そのお一人は、帰国後に、ドイツで見た「見えないもの」に感動し、大きな病院の大きな地位を辞任され、志を同じくする小さな病院の勤務医に移られたのでした。

 「見えないもの」、「卵」のイメージは、ヒレマン先生の「スピリチュアルと身体の健康への新しいこころみ」という言葉の中にあったものでした。私は、それが「スピリチュアルケア」の事だと思っています。

 スピリチュアルの名詞の「スピリット」は、人が人になる「もの」であり、人を活かす「もの」であり、人に使命を与える「もの」、自分と「絶対者」との関係を明らかにする「もの」です。それを「命」と言うことも出来るでしょう。

 ヨハネ福音書の書き出し部分に、「命は人間を照らす光であった」と記されています。

 一般的には、「光が照らす」と表現するものですが、「命が人間を照らす光」だと言います。ここで言う「人間」とは、動物でもなく、神でもない、「人」の存在を強調する言葉です。人間は他の生き物と違って、生きることの目的、意味、善悪を考えます。(猫が炬燵の中で、「俺は何の為に生きているか」などと考えているとは思えない)。天使と違って、自分で自分の事を処置しようとします。(天使は神様の使いで、神様の代理をする存在)。その時、本当の人間を照らしてくれるのが命だと言うのです。

 人が死にたいと思っても、心臓の音や、呼吸の音は規則正しく働き、生きることを命じています。呼吸を止めようとしても、苦しくて止められません。冷たい空気が鼻から入り、体内で温かにして出すエネルギーが働いています。疲れや、空腹も生きるようにと教えています。命は確かにメッセージを持っています。そして、「時」が来ると、地上で与えられていた使命が終わるのです。その「時」を照らし、「使命」を知らせるのが命です。

 それは、自分で作ったものではなく、自分だけに与えられたかけがえのない貴重なものであり、そこに使命が与えられ、与えられた命には意味があるものなのでしょう。それは、時間の長短の問題ではなく、目的を果たしたか否かにかかっているのでしょう。この命に照らされ、教えられて、人として生きるのです。それがスピリチュアルな世界を生きることです。

 仏教徒の方の目標は「自利利他(自分も救われ、他も共に救われる)」だと教えて頂きました。しかし、現実は「自損損他」で、自分の苦しみを相手にも与えて満足しようとする働きがあるとも教えて貰いました。テロを考えても同感せざるを得ません。新聞記事などと言うよりも、自分の日常の言動にそれが表れています。それはスピリチュアルな世界から遠く離れているからだと思われます。そこで、もう一度、スピリチュアルな世界を意識してみたいのです。それは現代人の心に深く隠れ、誰もが持っている願いなのです。

 こんな話を聞いたことがあります。

 ある村に奇跡を行う人がいると聞いて、一人の男が旅をして、山を越え海を越えて、訪ねて行きました。村にはいると、早速、弟子に聞きました。

旅人:「あなたの先生はどんな奇跡をなさるのですか」

弟子:「奇跡ならいくらでもあります。いろんなのが。でも、あなたの国では神様が人の願いを叶えてくれると奇跡というのでしょうが、この村では、人が神様の願いを行った時に奇跡というのです」

 私たちは命のメッセージを聴き、それに従って生きるのですから、それは奇跡を行ったことになるでしょう。スピリチュアルとはそのような奇跡の世界の事なのです。


【10】くしゃみ2007年4月1日掲載

 日本にスピリチュアルケアが入ってきたのは、WHO(世界保健機関)の「健康の定義」の改訂提案からではないでしょうか。そこでは、単に身体的、社会的、精神的(心理的)なケアだけでなく、スピリチュアルなケアが必要であるとの主張でした。その理念を、病院や医療者の賛同によって広められたので、その目的は、良い「治療」のためにスピリチュアルな世界を用いようとしているのだと思います。しかし、スピリチュアルな事は、本来的に自然科学の世界ではなく、精神科学(哲学、神学)の課題であり、生きる意味や目的、罪や赦しの課題を持っているものです。

 日本に外国の文化が入る時、技術を上手に受け入れ、その哲学を学ぶことなく、むしろ上手に排除してしまう特技があるようです。同じスピリチュアルケアと言う言葉を使いながら、迷信的な行動をしたり、要求する人たちがいますが、そのような事は論外としても、施設の評判を良くして経済効果を上げる為であり、また、医療の限界をカバーする事が目的になっているのが現実だと思われます。「何故、私が病気になったのか、罪を犯したためか」と答えのない問いの前に苦しんでいる患者さんを、スピリチュアルケア・ワーカーが訪問しようとしたら、「当院では完全看護ですから」と面会も拒否されたそうです。スピリチュアルな世界は、医療者の誠実さや設備の充実度ではなく、患者さんの生き方の問題です。それは医療者の優しさの課題でもなく、WHOが提案しようとする健康の専門的なケアの部門なのです。日本の憲法では、信教の自由が認められているのに、病気になって、切実に求める時には、拒否され、否定されてしまうのが現実です。今の時代にこそ、スピリチュアルケアの学びが求められ、専門性が認められる必要があるのだと思います。

 スピリチュアルケアの学びを始める時に、最初に、黙想の時を持ちます。感性を磨くためです。いま、倒れている人が何を訴えているか、それを理解する感性が必要であるからです。自分のことしか考えない人や、自分の考えを押しつける人は、スピリチュアルケア・ワーカーに相応しくないのです。

 黙想は、研修会だけでなく、毎日、自宅でする事が勧められます。まず、姿勢を整えるのですが、私は正座して、背筋を伸ばします。肺活量の検査の時に、「もっと、吸える、もっと、はい、もっと大丈夫、吸える」などと、大きな声をかけて下さいますが(無責任なかけ声だと思います)、その指示をイメージして、思い切り息を吸い込みます。そして、ゆっくりと吐くのです。そんな事を数回すると、姿勢が出来て来るように思うのですが、いかがでしょうか。その姿勢が出来たら、それを不動の姿勢として取り入れます。

 すぐに、足が痺れるのですが、それを我慢するのも訓練にすれば良いと思います。しかし、私は横着して尻に敷く椅子を購入しました。若いお嬢さんたちが茶席で使っているのだと説明を受けましたが、私が使っても、とても楽です。

 目をつぶると眠たくなるし、目を開けると気が散ります。睡魔と戦うことも訓練になるかも知れませんが、これにも少し工夫して、半眼に開いておきます。それから、静かな時間に相応しいようにと、ネジ花の写真を飾りました(添付します)。それがぼんやりと見えるぐらいにしておきます。

 黙想をはじめると、すぐに、今日の予定が浮かんできたり、連絡しなければならない事を思い出したりします。今は感性を磨く訓練なので、そのような知的な作業を中断して、不動の姿勢の中で、「予定のことを考えている」とか、「連絡しなければならないと焦っている」などと、その時の自分の感じている事を見つめます。

 ぼんやりと見えるネジ花の事を、「もじずり」と言うのだな、雑草だけど、雑草という草はないのだな、などと考えてしまい、「みちのくの 偲ぶもじずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに(百人一首)」なども思い出してしまいます。歌のように、自分の心が乱れていく様子をじっと観察するのです。

 やがて、思索が止まった時がありました。すると、右側の花が、左の花を起こして、倒れないように支えているように見えてきました。そのように感じていたら、考え方が変わって、もしかしたら、反対に、自分の身体を犠牲にして曲げ、右の花を起こしたところだと見えるようになりました。それから、まっすぐなのが良いのだと言う先入観も見えてきました。自分の見方で、様々な物語が生まれてくることを味わいました。

 目を大きく開いて、更に良く見ると、花の咲き方が左右で右巻き、左巻きと異なること、そして、二つの間に蜘蛛の糸があること(見えるでしょうか)、左の隅に確かに蜘蛛がいることに気がつき、見方によってはその下に人形のような姿も見えてきました。世界中には不思議が積み重なっていて、その瞬間の一部分を切り取ったな気がしました。撮った時には、珍しいし、可愛いと思っていただけでしたが、黙想の中で、宇宙の入り口に立ったように思えました。

 静かな時間の中にも、様々な音が聞こえてきます。遠くに電車が通る音がします。早朝に電車に乗っている人がイメージされました。眠っている人、化粧をしている人、足を組んで新聞を読む人などが浮かんできます(当地では、電車はいつも空いています)。なぜ、音がするのかと原因を追求するのでなく、音から引き出された世界についていくのです。そんな訓練の中で、次第に、感性が研ぎ澄まされるのだと期待しています。

 呼吸をしている事を意識します。冷たい空気が鼻に入り、暖かくなって出て行きます。そして、息を止めようとすると苦しい事が体感出来ます。身体が呼吸することを求めている、生きることを願っていると感じます。自分の所有だと思っていた視覚、聴覚、触覚が、生きるために与えられている恵みだと感じられます。

 これらのことは、私が感じたことで、それぞれに異なる体験をされることでしょう。その中で、私は、わたしに命を与えている御方、わたしに目的を与えている御方、わたしを導いている御方を感じる時に、私のスピリチュアルな世界が開かれているのです。
 それは自然科学的真理とは異なるものです。しかし、精神科学の世界では基本的真理となるものです。静かな時を持つことがなければ、人が人として生きることは出来なくなります。ですから、生きるために、どうしても、黙想の時を持ち、全身が感性を研ぎ澄ました神経になり、不動の姿勢を持ちたいと願うのです。

 花冷えのせいでしょうか、少し、寒さを感じているのを意識して、なお、不動の姿勢を守っていたのですが、突然くしゃみが出てしまいました。その時、不動の姿勢は崩れて、私の手は口を押さえ、胸は小さくなって、無意識に思い切り吐き出す姿勢をとったのです。そして、笑みが出ていました。

 いま、その笑みが何を意味していたのかと思いめぐらします。不動の姿勢に失敗した自虐的な笑みではなく、感謝とか、喜び、信頼、そんな気持ちがありました。これからもそんな自分の身体と心の動きを自覚しながら、スピリチュアルな働きを深めたいと願っているところです。


【11】スピリチュアルな年に2008年2月10日掲載

 2007年は「偽」と言う一字で現されましたが、それは、時代が「真理」を求めているしるしなのでしょうか。もう、10年も前のことですが、WHOの「健康の定義」の改定案が出されました。それは、単に、肉体的、精神的及び社会的福祉が満たされていて、病気ではない事が「健康」ではなく、スピリチュアルな場面でも健康でなければ、本当の健康とは言えないと言うのです。

 しかし、反対する国はなかったものの、日本など、棄権する国があり、事務局長預かりとなっています。アルゼンチン代表は、「スピリチュアルな側面は、人間の尊厳の確保、倫理的考察と関連して大変重要である」と言い、ジンバブエ代表は「スピリチュアルは伝統医学において、最高の効果を得るのに必要である」と言い、イギリスも、「スピリチュアルな面を考慮しないとQOLまたはquality of well-beingを考える事が難しくなる」と主張したそうです。今、日本 でも、その必要性は認め始められ、本当の健康が考えられるようになったのでしょう。

 昨年9月には神戸市で「スピリチュアルケア学会設立大会」が開催されました。理事長に日野原重明先生が就任され、医師、看護師だけでなく、心理学、哲学の教員、宗教者も入って、死の戸惑いや悲しみを和らげることなど、実際に現場でスピリチュアルケアをする専門家(スピリチュアルケア・ワーカー)を養成するのが目的だそうです。この学会の設立の意義は、「異分野の人材交流」だそうです。現在は、専門分野にそれぞれが閉じこもっている現実があるのでしょう。ひとりの人間のために協力関係が出来たら、専門家にも素晴らしい出来事です。学問的には異分野でも、ひとりの人間には共に無くてはならない交流であることを痛感します。

 医療関係者中心の世界に、様々な分野の専門性を認め合い、そこに、宗教者や哲学者も加わり、自然科学の対象としての人間だけでなく、精神科学の分野からの発言が求められるようになったのだと思われます。治癒を求める世界と、生きる意味を求める世界を、人の限界に直面した患者さん、ご家族、そして、病院スタッフと“共に考える”スピリチュアルケア・ワーカーが求められているのです。「スピリチュアルケア学科」が開設され、生老病死のすべての領域で、対人援助ができる人材の育成をめざしている大学も生まれました。

 しかしながら、本物のそばには偽物が現れます。偽物が、「利益のために」とか、「もったいない」と言う理由で、意図的に偽装するなら、解決の可能性や真理の道へ復帰する日も近い事ですが、偽物を本物と確信している人々には、悲劇が長く続く事でしょう。「スピリチュアルケア」と言う言葉がテレビなどにも現れるようになって、混乱を避けるために、「臨床パストラルケアワーカー」と言う言葉を使う人たちもいます。

 現実には、既にスピリチュアルケアを習得され、資格を持っていても、その専門性を認められず、ボランティアで病院に入る人も多くおられます。それで、病院側から、「患者様を興奮させるから」と、花壇の整理などを依頼される事もあるようです。それでも、スピリチュアルケアの専門家たちは、患者さんが花を見に外に出てこられた時に、患者さん一人で戦っているのではないことを伝えようと、その使命に仕えているのだそうです。

 友人から来たクリスマスカードに、「病院では、私の心の中に土足で入ってきて、肉体の苦しみ以上に痛めつけるのです」とありました。彼の結論は、「私には、訴えるエネルギーはもうありません。疲れてくたくたです。医者、病院、医療に携わる人たちとは、もう、かかわりたくない。けど、そういうわけにもいかない、そんな毎日です」と結ばれていました。医療には、人間を処理する技術しかないと言われるのは悲しい事です。

 その現実は、患者の痛みだけではなく、医療者の心にも痛みが走ることも多いのだそうです。患者さんが医師を睨みつけ、「だましたな」と言われ、それから、口をきかなくなり、数日後に旅立たれたのだそうです。患者さんの口は閉じましたが、その医師には、「だましたな」と言う言葉が、いつも、どこへでも追いかけてくるのだと言われていました。このような時代に、スピリチュアルケアの必要性を痛感するのです。

 「偽」の時代に本物を見分ける手段として、私たちは「会話記録」を使います。それが実証的に真理を明らかにしてくれます。

 大きな病院の有名な看護師長さんが、部下の看護師教育にと、3つの基本的な信念を挙げられました。

 1,死にたいと言うことは、生きたいと言うことである。

 2,指示をせずに、傾聴に徹する事が大事である。

 3,頑張らなくても良いことを伝える事が大事である。

 どれも、納得させられる信念です。しかし、それを会話記録にまとめて下さった時に、やっとその意味が分かりました。

 患者さんは、面接する度に、「もう、どうにもならん」、「生きてる意味がわからん」と、毎回繰り返して訴えていたそうです。師長さんは、その訴えに応えて、「したいことだけしたら、どう?」と答え、次の時には、以前に、患者さんがカラオケが好きだと言っていたので、「カラオケでも歌いましょうか」とベットサイドで歌ったそうです。また、同じ訴えに、「美味しいものを腹一杯食べましょう」とか、「もうすぐ来る69歳の誕生会に仲間を呼ぶ事にしましょう」と次々に提案したのだそうです。それは、「死にたいと言うことは、生きたいと言うことである」と言う信念に基づいての実践なのだそうです。それによって、「苦しみに共感し、患者様の心に傾聴した」のだと言うのです。

 しかし、健康な人が患者さんと「共感」することが出来るものでしょうか。また、「傾聴」の定義も必要です。師長さんの「傾聴」よりも、もっとシンプルに、「患者さんの言うことを、リピートだけする」事が傾聴だと実践して自慢する人がおられました。それを聞いて、腹が立ってきて、それではオウムの方が傾聴出来ることになると思いました。小鳥たちには傲慢さも、名誉欲もないように思えるからかも知れません。

 「非指示的カウンセリング」とか、「クライエント中心主義」と言う言葉を使ったロジャースさん(それほど親しくはありませんが)のビデオを見たことがありました。ある場面で、ロジャースさんはクライエントの発言を全く封じて、しゃべり始めたのです。その時、「傾聴」や「リピート」はテクニックではなく、真理への手段であると教えられた事でした。

 別の患者さんが同じ訴えをされた時にも、師長さんは頑張りました。現象は反対でしたが、同じ信念からは同じ結果が生まれます。患者さんを異常者扱いしているのも同じだと思われます。

患者1:もう、どうにもならん。(死ぬ)覚悟は出来た。

師長1:弱気なことを言わないで。あなただけが苦しいのではないのよ。私も家族を亡くして辛い目にあったのよ・・(少し長く、看護師長さんの個人的体験を話す)・・。

患者2:あんたも苦労したのだなあ

師長2:(涙を流して、心を開いてくれた)。

 師長さんの辛い体験を聞いて、ゲストが心を開いて下さったのですが、それは、ゲストが師長さんを涙して受け入れて下さった事です。ゲストがスピリチュアルケア・ワーカーの役目を担ってくれたのです。役割が反対になってしまったのです。

 患者さんが、生と死の意味を求める時、そばにいるスピリチュアルケア・ワーカーの哲学や信仰が問われます。それは誰にでも答えらるものではなく、答えられないからと言って、恥ずかしいことではありません。その時には、委託する勇気が必要になります。

 また、「こんなに苦しんで、なぜ生きていかなければならないのでしょうか」と問う患者さんに、「なぜ生きなければならないか、と考えるより、何故生かされているのかと、問いかけるべきではないでしょうか」と決断を迫る勇気も必要なことだと思われます。

 地区の障害者クリスマス会に招かれた時の事です。少し長い来賓の方々の挨拶があり、それから、参加者たちの目的であるサンタクロースからのプレゼントの時間になりました。

 みんなで声を合わせて、「サンタさ〜ん、サンタさ〜ん」と呼びました。サンタさんがすぐそばにいることを知りながら、呼び続ける事は大事なスピリチュアルケアの訓練になります。また、声を合わせて、共に同じ名を呼ぶこともスピリチュアルケアの大事な訓練になるでしょう。孤独に閉じこめられた時、スピリチュアルケア・ワーカーと共に、助けを求める訓練です。

 障子が開いて、トナカイが入って来ました。司会者が、「サンタさんはどうしたの」と聞くと、「そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ」と話題のパフォーマンスをして笑わせてくれました。でも、サンタさんと関係を持たないならトナカイの意味がないのだと考えさせられ、関係を無視する時に、自分の存在も意味のない事を教えられた事でした。

 新しい年には、私たちの目指すスピリチュアルケア・ワーカーが患者さんと深い関わりを持ち、そこで、共に生きる事が出来るようになりたいと願うのです。



【12】スピリチュアルペインの出てくる場所2009年4月7日掲載

 私たちの町のパチンコ屋さんが葬儀社さんに変わりました。パチンコの癒しよりも、葬儀の癒しの方が深いと思いますし、結婚式場は二人で1回で、最近は、式を挙げない人たちもいるのに、葬儀は人の数だけあるので、その必要性は大きい事と思います。「おくりびと」がアカデミー賞を受けて、「納棺師」になりたいと言う人も出てきたのだそうです。人の死後の処理を誠実に執り行う納棺師に感動します。自分には「絶対に」出来ないことを、他の人が心を込めて援助してくれるからでしょう。

 祖母の死の時には、納棺師と言う職種はなかったと思います。自分の家で、家族やご近所の物知りたちが手伝ってくれました。荒い呼吸の中に、かすかな命の残りを感じ、唇が乾いていると言って、取り囲んだ人たちが交互に脱脂綿に水をしたして拭いたり、声をかけたり、死に逝く人には出来なくなったことを、親しい者たちが付き添って介護しました。しかし、今では、病院で死ぬ人が多くなり、病院で処置されるようになりました。

 病院では、「エンゼルケア」と言って、看護師さんたちが「死に化粧」をしてくれます。鼻や口に綿を入れて、出血を防ぐ効果もあるのでしょうが、ふっくらとして綺麗なお顔にしてくださいます。それから、病院の裏口や、横の出口から葬儀社さんに委託されます。

 葬祭場では、司会者が悲しげに、厳かに、式順を告げます。誰も逆らうことなく、指示に従います。読経の長い沈黙があり、足の痺れも、故人の追悼になるのでしょう。先日は、故人の好きだった歌をバイオリンで弾いてくださいました。若いお嬢さんが大きく腰を振って、いかにも悲しげに陽気な歌を奏でてくださいました。鳩が放たれ、長いクラクションが轟き、火葬場に向かいます。火葬場では、親族の誰かがスイッチを押すように指示されます。それで棺に点火されるのでしょう。あまり、やりたくない役目ですが、これも、映画になれば感動的な役割になるのでしょうか。

 若い牧師さんの葬儀に列席した時、お別れに棺の中を拝見すると、ご遺体にエンゼルケアがないままに納められていました。口が曲がり、悲壮感のあるお顔でした。それが彼の人生を表しているように思えました。そして、そのお顔こそ、彼にふさわしいと感じました。そして、自分も彼の後に続こうと決心したことでした。

 死んだ後のケアは、ご遺族や親しい方々に必要なことです。それは宗教者に委ねられますが、悲しむ人たちのために、病院としての働きも求められているのだと思います。年に一度、ご遺族を招いて記念会を開く病院もありました。しかし、死ぬ最後の瞬間を看取る病院スタッフの働きには、切実な願いが持たれるものだと思います。

 多くの病院で、「患者様」と言います。有名デパートか、高級な店舗の雰囲気で、患者さんがお客さんとして大切にされるからでしょうか。それでも、、最近は、「さん」付けで呼ぶ病院もあるそうです。患者さんを、同じ人間として呼んでいるのだと教えられて嬉しくなったことでした。最も親しく、最後までお世話した患者さんを忍ぶ事は、医療者にも大事なことだと思われます。

 医療の進歩は早いもので、十数年は昔の話ですが、その頃は、患者さんの最後の時には、家族には病室から出て貰い、医師が患者さんに馬乗りになり、蘇生術を試みられたものでした。そして、時計を見ながら出てこられ、死亡時刻を告げました。家族は、そのご労苦に感謝したことでした。それが、今でも実施される事もあるそうですが、自分が最後を迎える立場に立つと(加齢と共にその実感が大きくなりました)、静かにして欲しいと思います。出来れば、昔のように、家族や親しい人とお別れをしたり、親切な看護師さんたちにお礼も言いたいと思います。そんな時に、馬乗りになられたのでは重くて困ると思うのです。

 最近は、家族が、「苦しまないようにしてください」とお願いすると、睡眠剤や鎮静剤で、治療(セデーション)をしてくださるのだそうです。昔は、「親の死に目にあえない」と言うことが親不孝の代名詞に使われていましたが、今では、自分の死を知らないで死ぬ事になるのではないかと思います。家族の願いは、そして、患者の願いも、肉体の痛みは取って欲しいと思いますが、意識をなくして欲しいと考えているものでしょうか。もしかしたら、患者が自分の死の現実を見ないように、意識を下げて貰って死ぬこともあるかも知れません。それは安楽死につながる道になるのでしょうか。

 シーザーを暗殺したブルータスとキャシアスは、アントニーに負けたと思った時に、キャシアスは召使に胸を刺させて死に、ブルータスは召使に剣を持たせて、それに飛び込み自害したのだそうです。安楽死は、そのような恐ろしく、痛そうな行為でなく、セデーションで楽に死ぬことを考えるのでしょう。

 病院は、治療する場所でしたが、治療の限界に到達した時には、死ぬ事も出来る場所になるのかも知れません。医学の進歩と共に、死を忌み嫌うだけでなく、死の現実を受け入れ、人の心の深みにある痛み・スピリチュアルペインに対応する方向が求められているのでしょう。そこで、病院でも、最後まで生きる場所を提供して欲しいと願うのです。限られた時間と、限られた力で、今できることを最後まで完成する場所であって欲しいと願うのです。

 病院での化粧は、診療の邪魔になるからと禁じられますが、すっぴんで見舞客に逢うのは嫌だと言う人に、医師が特別な許可を出してくださる事もあるそうです。私の友人はネールケアのプロで、がんセンターで働いています。力が衰え、張りが消えていく時間の中で口紅をさし、鏡を見る時の恥じらいの笑顔はとても綺麗なことでした。まだ、死んではいないことを意識させるからでしょうか。

 キューブラ・ロスの「死ぬ瞬間の対話」は、「死ぬ瞬間」の執筆後5年ほど講演に回った時の質問を集めたものだそうですが、そこに、「死ぬ瞬間のキュー」と言う質問がありました。その答えに、「患者は死の直前に、このキューを感じとるのです」と記しています。患者さんは、自分の死の前触れを感じとって、「家族を呼んでくれ」とか、「お世話になった看護師にお礼を言いたい」と言うのだそうです。私も、何回か、死ぬ直前のキューを聴きました。新聞を積み上げていた患者さんが、旅立つ数日前に、綺麗に処分されていました。つい先日、旅立たれた方は、身辺整理をした上に、理髪をして貰っていました。

 治癒の限界を過ぎ、カウンセリング等で思考方法を変える限界も来た時に明らかになるのがスピリチュアルな課題です。それは日常的な課題なのですが、元気な時には慌ただしさの中で見えなくなっていて、最後の時に現れて来るのでしょう。日本では哲学や神学の課題は論じられることが少ない事も原因しているかも知れません。それで、少し遅すぎることですが、病院で最後を迎える時に、自分の課題に気付くのでしょう。その時、患者さんが直面している課題がスピリチュアルペインであり、専門職として、患者さんに聴き、患者さんと共に生きる事が、スピリチュアルケアの働きになると思われます。

 この1〜2年、スピリチュアルケアの学会が立ち上がり、病院にもスピリチュアルケアの学びが深まり、資格認定も行われ、業種の一つになり始めました。スピリチュアルケアの専門知識と責任ある行動が求められて来ているからでしょう。いくらかでも、スピリチュアルケアの先行きが見えはじめて、ほっとしながらも、偽物との戦いと共に、スピリチュアルな事の学びを日常化する事に力を尽くしたいと願っています。



【13】死に勝利する2012年3月4日掲載

 一般に、医療は死を前提にすることはなく、むしろ、死を医療の敗北だと考えるかも知れません。しかし、今年(2012年)1月28日の日本老年医学会で、高齢者の終末期医療の基本原則の、「立場表明」の改訂が行われ(11年ぶりのものだそうです)、それによると、人工栄養(胃ろう)や人工呼吸器(気管切開)の装着は慎重に検討し、差し控えや中止も選択肢として考慮するというのです。

 最新・高度の医療が、患者さんのためには必ずしも最善の選択ではないと判断し、終末期医療の目的は延命ではなく、患者さんの尊厳を守り、苦痛の緩和や死への恐れを軽減して、残された期間の「生活の質(QOL)」を高める事が目的となるのだそうです。そのために、緩和医療の技術だけでなく、死への恐れを軽減する心のケアを想定するのです。この改訂により、医療の結果が死であっても、医療の勝利を予測出来るようになったのだと思います。

 「生活の質(Quality of Life)」を高めることは、その人が、社会的に、心理的(精神的)に、身体的にも、ご自分を肯定し、引き受ける事ですが、特に、死を前にして、恐れを軽減し、自分の命の意味や、目的を知り、人生を完成させる事はスピリチュアル・ケアが目的としていることです。

 私が横須賀・衣笠の病院でチャプレン(病院付き牧師)に任じられた時、私たちの働きを見て、病院長の山本敬先生が、「私は学生時代に、教授から、<病気をみないで、病人をみよ>と言われた」と話してくださいました。それは、ご自分の医学的知識と技術に加え、ケアの必要性を私たちに託し、その責任の重大さを教えてくださった事でした。医療者は医療技術には全力を注ぐが、宗教者にはケアの分野を託すと言われたのだと確信しています。そして、20床のホスピスが作られ、ボランティアの応援を得て、医療とケアの共同作業が動き始めたことでした。20床の意味は、基本的に家族の見守りの中での在宅死を想定し、在宅死を迎えられない方々への配慮だと思いました。

 いま、福岡県の総合病院に、大きなポスターが張り出されています。「最後まで家で暮らしたいーそんな想いを支えます」と言う見出しと、在宅ケアを喜んでいるご家族の写真が載っています。そして、「緩和ケアを受けながら、在宅療法を希望する患者さんやご家族からの相談に応じ、利用できる在宅サービス情報の提供などのお手伝いをさせて頂きます」と言う福岡県保健福祉環境事務所の地域在宅医療支援センターからのメッセージです。

 ただ、「保健師等が相談にのります」と言う言葉が気になります。「保健師」さんの専門分野は身体、心理・精神的な健康作りで、医療に近く、その専門技術には死を肯定する事はないと思うからです。保健師さんたちの援助なしには、在宅医療は出来ない事ですが、「いのち」の意味や目的の援助は、「保健師」さんではなく、スピリチュアル・ケア・ワーカーの専門職が必要になるものです。

 医療者の努力にもかかわらず、2010年の日本の年間死亡者数は、119万7012人で、2011年の推計は126万1千人となり、どんなに医療の進歩があっても、2038年頃には、年間170万人が亡くなるとの予測は変わらないのです。人の誕生と同様に、人の死も推計の中に計算されるのですから、死と死後に射程距離を持ったケアは不可欠なことです。

 告知を受けた時から、「自分が<お荷物>になったと感じた」と話してくださった方がおられました。ご自分では、「自分の出来るところまで働きたい」と願っていたのですが、「パワハラを受けて排除された」と訴えるのです。企業としては、労働者の体力低下や治療時間の必要性を考慮すると、若い元気な戦力を求めるのでしょう。企業の目的が利益追求にある時代には仕方がないことなのでしょうか。

 いつの日か、人が人として生きるための企業になる事を期待しますが、当面は、社会的な課題は弁護士さんなどの専門職による解決に期待することです。しかし、現実を前に、患者となった方の怒りや悲しみから、存在の意味を明確にし、ご自分の生きる意味、生かされている不思議を見出すチャンスになれば良いと願いました。そして、それが、肉体の治癒力にもなるのだそうです。その科学的証明が欲しいことですが、残された命の道の選択に、満足感、完成感を持つ事が出来れば良いと思いました。

 医療者とご家族の配慮から、本人へは現実を告げられない事もあるそうです。最初の嘘から家族の苦しみが始まり、患者さんも真実を話せなくなり、嘘の連鎖は関係者を孤独に追い込むのです。もし、患者さんの「生活の質」が、「いのちの質」と理解されるなら、必ず来る死をも引き受ける勇気が与えられるのだと思われます。「私が死んだら・・」と語り始めたとき、「そんな弱気な事を言わないで、元気になることを考えて・・」と会話が中断する場面を何回か見てしまいました。旅立たれた後に、ベットの下から、患者さんの思いが綴られたメモが見つかり、ご家族は、生きている時に、この話をしたかったと悔やんでおられた事でした。

 認知症もある患者さんが、「お願いします。助けてください」と、近くの人に声をかけておられました。しかし職員は、それぞれの仕事から離れることが出来ませんでした。患者さんが知的な理解は出来なくても、残された感覚で、見捨てられていないことを伝えたいと願います。言葉かけ(聴覚)、目を合わせる(視覚)、手を握る(蝕感覚)などで、言葉は通じなくても、体温を通して伝わるものがあれば良いと思いました。

 老人ホームの入所者の方が、「死が近いことを予感している」と話してくださいました。その時、「今度、美味しいものを食べに行きましょう」と発想の転換のアドバイスする介護者がおられました。しかし、入所者の方は満足せず、再び、死ぬ不安を話されました。別の介護者が、マイナス思考からプラス思考への転換を勧めましたが、入所者の方は現実から離れることは出来なかったようです。そこで、入所者の発想を肯定して、「死んだら、ご主人に逢えますね」と言うと、沈黙し、沈み込んでしまいました。その方は再婚で、ご主人は前妻さんと一緒にお墓に入っているので、自分の行く場所がないと言う事でした。

 クリスチャンは死後の命のことまで分かったように話すので、嫌われることもありますが、この時は大層喜ばれました。聖書の「ルカ福音書」にあるイエス様の教えを話したのです。そこには、「(ルカ20:34ff)この世の子らはめとったり嫁いだりするが」、次の世では、「めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり・・神の子だからである」と書かれているのです。入所者の方は、驚いたように、「耶蘇教は良い事、言うもんだねえ」と言ってくださいました。

 科学の世界では、死後の世界は対象外になりますが(多くの場合、迷信であると拒否される事が多いのですが)、スピリチュアルケアの世界からは、死と死後の命の世界も、現在の生を支配するものだと考えます。

 V.E.フランクルは砂時計のたとえで、分かりやすく説明しています。砂時計の上部は未来で、可能性に満ちているが、現在という通過点で、ただ一つを選択し、下部の過去に移動します。選んだ現在は、過去に変化し、固定され、永久に変化せずに保存されるものだと言うのです(<生きる意味>を求めてp.169f)。

 確かに、上部には多くの可能性があり、その中から、ただ一つを選択し、それが過去に積み重なる事です。しかし、多くの可能性の中から自由に選択できることは、そう多くはありません。他に選択するものがなく、迷っていても、時に追われて、選択を強いられることもあるものです。それでも、砂時計の現在を通過したことは事実で、それは固定し、誰も変える事は出来ないのです。そこでは選択したこと、選択させられた事も含めて、それを引き受ける勇気と知恵が必要です。そして、いつの日か、すべての事が、「強いられた恩寵」に変わっている事を知るのも、スピリチュアルな世界の特権です。

 医療の世界に、科学とスピリチュアル・ケアの共助があれば、患者さんとその家族には、どんなに助けになる事でしょうか。日野原重明医師は、「医はアートである」と言われましたが、人の生は、科学だけでは完成されないものであると言う事だと思います。科学とケアが助け合って、一人の人を支える事になるのです。

 ケアは精神科学に属し、精神科学には哲学と神学があり、哲学は思索から生まれ、「生きている」ことを問い、神学は啓示から生まれ、「生かされている」事を感謝します。キリスト教の「罪」と言う言葉は、「標的から外れる」と言う意味で、その人の生き方の本来の方向を見失い、反対方向に進むことが「罪」です。スピリチュアルケアは、特定の宗教ではなく、それぞれが自分のいのちの意味を見出し、自分の使命に向かって進むことを援助するものです。それは、人の本質に関わることです。卒啄同時(「そったくどうじ」の「そつ」は、口に「卒」)の出来事で、雛が内側から殻を破る時と、親鳥が外側から殻を破る間合いが重要なのでしょう。その時が来るまで、「見捨てられていない」、「共に居ること(to be)」を体感して頂くことが、スピリチュアルケアの働きです。教える事、何かをすること(to do)ではないのです。

 柏木哲夫先生は、2011年の「日本緩和医療学会」ニューズレターに、「私はこの学会が二つの中心を持った楕円として、発展していくことを期待したい」と記されました。一つの中心は、「苦痛緩和のためのサイエンス」、もう一つは、「こころのこもった全人的ケア」です。そして、柏木先生は、今の時代は「サイエンス」が強調され、「ケア」が弱くなっているのではないかと案じておられるようです。しかし、年ごとに、サイエンスとケアの距離が縮まり、協力関係が深まっているのを感じるのです。




〈続く〉


**********************************

Grace be with you all.

Yasuhisa Nakajima
〒835-0024 福岡県山門郡瀬高町大字下庄955−1
日本基督教団瀬高教会 牧師
電話&ファックス:0944-62-3644
テレホンメッセージ:0944-63-3520
HP:http://www011.upp.so-net.ne.jp/setakakyokai/index.htm

E-mail : nakajimy@ga2.so-net.ne.jp

************************************