SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER準備号第3号

阪神(兵庫県南部)大震災について思うこと

 17日、朝のニュースでは高速道路が倒壊している様子を映し出しながら、死者2人と伝えていた。震度も5か6とか伝えてたように思う。年末の八戸・青森を中心とした地震も確か震度5か6と記憶していた。ああ、あの程度の地震が起こったんだ、等と軽く考えていた。しかし、夕方のニュースでは死者は800人を超えていた。
そして、街が燃えつづける様子をTV各局終夜報じていた。この様子を見ながら、神戸市須磨区の友人が出張で来京する予定が不可能になったことと無事だという旨の電話があったと伝えてきた先輩と「何でその日のうちに火ぐらい消せんのやろか。自衛隊はヘリコプターで消火剤まくとか、ドライアイスか氷を火が迫ってるとこにばらまくとかでけんのやろか。国内の大都市で緊急活動がうまくでけんで、海外もないよねー」などと語り合っていた。
 22日、NHKの日曜討論の時間に五十嵐官房庁長官、小里地震対策担当相等がスタジオに、兵庫県知事・西宮市長がTV中継にて参加して、現地避難所の人たちの意見を聞くという番組があった。被災者の人たちの政府や行政側に対する意見はもっともなことばかりだった。しかし、どこかに違和感を覚えたのも事実だ。確かに、初期対応のまずさがあり、その後、対応が後手後手になったことによる被災した当事者にとっては耐えられないことが続いたことは、本当にそうだと思う。
 19日か20日のニュースステーションがUSAのFEMA(Federal Emargency Manegiment Agency) について取り上げ、緊急事態が発生してからの対処のすばやさと的確さをロスの大地震のときを例に引きながら、今回の日本政府の対応との比較をしていた。緊急事態に備えて地域センターのコンテナのなかに簡易ベッド・毛布等が数千単位でストックしてあったり、ライフラインが切れた場合に備えて温かい食事を供給できる調理車も出動することなどを報じていた。それに比べて、今回の大地震の場合、避難所でさえ1〜2日間は飲み水にさえ事欠くありさまだったと報じられている。
この違いは何によるのだろうか? 被害規模の違いもあるだろうが、たぶん、日本の場合は被害が出ないようにすることに専念し、被害が出た場合の対策について軽んずる所にあるように思える (その最たるものは原発立地地域の事故対策と言える) 。そしてこのことは、行政側だけの意識ではないように感じる。私たちの意識もそうだろう。それゆえに、地域でどう対応するかなどという意識すらなかったように思える。
たとえば、それは補助金等による土建事業と箱物重視の予算配分になっていて、そのことによる地域経済の浮上を計ってきたことに、特別の異を唱えることがなされていないことにも現れているのだろう。ハードを重視してソフトを軽視する例として、近隣の市町村どうしが競い合って建てた立派すぎる博物館やコンベンションホールとプログラムの貧相さの対比がよく取り上げられているが、それよりももっと問われなければならないこととして、街づくり(地域自治も含めて)そのものに住民自身が参加してきたのかが挙げられはしないか。もちろん、行政の側が住民の声を聞く意思もないということが、真先に問われなくてはならないことではあるのだが。
 常日頃から、地域住民として地域についての話し合いなどがもっと密に行われていたら、地震直後の住民同士の対応も違ったものになっていたのではなかろうか。地震で身内のものを亡くしたり、住むところを失ったり、壁や天井、家具に押しつぶされそうな体験をして茫然自失な状態であろうことは充分わかったうえで、さらに付け加えると、個人でやれることを超えていることもわかったうえで、敢えて言うのだが、先に挙げたNHKの討論番組で感じた違和感とは、その困難を乗り越えるための主体としての自分自身の関わり方をどこか棚上げしているという感がしたのだ。つまり、日頃、『他人任せ』と『ミーイズム』で暮らしてきた者が、自らの生を問われるようなときにさえ、その意識から抜けきれずにいるというふうに感じたのだ。こういうことを言ってる自分自身がその立場におかれたときには同様な態度をとるだろうということを感じつつも、敢えて言いたい気がしたのだ。何故なら、たぶん、今日の私たちに最も問われていることに思えるからだ。
 この阪神大震災に対する見舞金というか義援金の集まりようは、規模といい、すばやさといい、被害の規模と状況にもよるのだろうが、目を見張るものがある。この感性がただ単に困っている人に向けられることから、その困難を生み出す要因・原因にまで及ぶようになってほしいものだ(例えば、どうして、被害が甚大だった地域と低所得者層の住む地域が重なるのか。老朽化した木造住宅密集地域としての、その地域に対する対策は、公共土建事業に比してあまりにも軽すぎはしなかったか等について)。そうでなければ、月日がたつに連れ、あるいはマスメディアが取り上げる話題が他に移ったときには、忘れ去られてしまうものとしてのできごとになってしまうだろう。あの、島原の避難者の存在のように。
 街づくり、地域自治の件でさらに言うならば、29日23時からのNHK教育でも取り上げていたように、避難所での生活に自治的活動が機能しはじめ、その中心が若者のボランティアによって担われているという、これらのことがこれからの地域生活にも生かされていくかどうかにかかっていると感ずる。
 とまれ、このことは大都市で暮らす私たちにも問われ続けられている課題だ。このできごとを身近に引き寄せることによって、自分自身の生き方も見つめなおす機会にしたいものだ。

(秀島 一光)


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