SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第4号

イサーン・ポン・ラーン東京公演開催

〜豊島公会堂に700人集まる〜

 10月8日(日)、タイのイサーン(東北地方)のチェンカーンからやってきたイサーン。ポン・ラーンの東京公演が池袋の豊島公会堂で行われました。当日は雨天にもかかわらず多数の人々が押し寄せました。以下は実行委員会のメンバーの感想です。


タイ舞踏公演のボランティアに参加して

吉田弘樹

 東北タイ、チェンカーンから舞踏団が来て、東京で公演するのでボランティアとして手伝わないか?SVAの人から、こう誘われて、私はすぐに参加することにしました。というのも、私自身、1年前にスタディーツアーでチェンカーンを訪れて、その時に現地の人々に暖かいもてなしを受け、大変感激したので、その時のお返しをぜひしたいということと、そこで見た、タイ舞踏が美しかったので多くの人に見てほしいと思ったからです。

 舞踏団が来日する2カ月前から何度も集まって準備や打ち合わせをしました。ボランティアのメンバーは、阪神大震災の時に活動した人たちが中心で、学生さんが多いのですが、皆ボランティアに対して真剣に取り組んでいて、感心しました。私が学生の時は、考えもしなかったものですから。

 一番大変だったのが、チケットの前売りでした。皆で手分けして、友人、知人などに売ったのですが、あまり売れず、“お客さんが集まらないのでは”と、本気で心配しました。私自身も会社の人などに声を掛けたのですが、反応が無くて、結局、一緒にタイ語を習っている人など、タイに興味を持ってもらうことは困難でした。最終的には、その他の宣伝活動の効果もあって、当日は多くの観客が来てくれたので良かったです。

 さて、当日の公演ですが、踊りも、音楽も期待以上に素晴らしく、お客さんも十分楽しんでいたようでした。私たちも、朝8時から会場で準備をしたのですが、特に大きな失敗もなく、無事、公演は終了しました。ただ最後にボランティアの人たちが舞台に上がって歌ったり踊ったりしたことは内輪だけで盛り上がって、観客はしらけてしまったようです。

 今回来日したタイの人たちは、皆純真で、親しみやすい人たちでした。東京だけでなく、各地で公演したのですが、きっとどこでも大歓迎を受けて、日本に好印象を持って帰ったことでしょう。しかし、日本人のタイに対するイメージは、実際には悪いものも多く、偏見も少なくありません。今後、これらのことも知ってもらって、そのうえで、お互いの理解を深めていきたいです。


心はタイへ・・・

佐藤寛子

 数カ月前に初めてタイ料理というものを口にして以来、すっかりタイのファンになってしまいました。辛い物が好きな訳でもないのになぜかとても口に合ったのです。そんな折、タイ舞踊公演の話を聞き、それはおもしろそう!と参加させていただくことに。しかしタイのことは全く知らない私です。以前、タイの音楽を初めて聞いた時は、いかにも民謡といった感じでそれ以外の感想を述べようもなく、また、タイ舞踊をビデオで見た時も手の動きがおもしろいなと思ったものの、その後も淡々と続く踊りには、なかなか興味が続きませんでした。しかし、タイについての本を手にし、写真集をめくるうちにどんどん引きつけられていきました。中でも、タイ女性の話す“カー”という言葉の響きはとてもやさしくて、魅力を感じました。そして何よりもその間にも口にするタイ料理は、ますますタイを大好きにさせてくれました。正に食は文化。食から全てが始まるものなんですねェ。

 そんな私の担当は交流会の手伝い。皆さんをタイ料理で歓迎することになりました。メニューは、タイグリーンカレー、タイサラダ、タピオカ。あくまでタイの人達にという気持ちでしたので、作りながら「こんなに唐辛子入れちゃっていいの〜?!」などと叫びながら作っていましたが、なかなか好評でよかったです。イサーンポンラーン女性の踊り

 また、交流会ではメンバーの方々達が楽器演奏をして下さり、皆さん快く愛用の楽器にふれさせて下さり教えて下さったのには感激しました。そのどれもが持つ素朴な音色はたちまち好きになりました。

 本番当日は大入りで大成功。

 その後、10月10日には、横浜観光がありました。大した所にはいけませんでしたが、いろいろなものに興味を示し、とにかく喜んでいたようなのでよかったです。そして、私はそこでとてもステキなプレゼントを頂きました。それはタイ語の名前です。あだ名で呼ぶ習慣(?)があるということで、あなたも名前をつけてもらいなヨというタイ男性の勧めにより、エムオーン先生が一所懸命考えて下さいました。私につけられた名前は「チャバー」。なんだか「BABA」みたい…などと不謹慎な感想を抱きつつも、「これはね、花の名前なんだよ。とてもきれいな花。タイの女優さんの名前でもある。」という説明にすっかり気を良くした私でした。

 食べ物とお酒が口にあって、心地よい音色があればそこに住めるのでは……と、以来、心はタイに飛んでいます。


We Want to welcome you too.

久世宣孝

 東京公演を終え、横浜見物から帰り、いよいよ別れの時には、さすがにじんわりと寂しさが込み上げてきた。ウィッタヤーやスダワディがとても悲しそうな顔をしていた。ほんの数日の間一緒にいただけなのにどうしてこうも寂しくなってしまうのか。でも、あんなに寂しく感じ、悲しい気持ちが素直に出てくることは、忙しい日常の生活の中ではそうはない。考えてみれば、東京公演成功に向けて、あれだけ多種多様な人間が、何か神懸かり的なエネルギーを発揮して素晴らしい公演をバックアップできたことさえ、普段の猛烈なルーティンワークに疲れはてた自分には不思議なことなのだ。どこからあんなエネルギーを引き出してくるのか。こうしてどんどん考えていくと、日常と非日常のギャップをどう埋めていくのか、といういつも思索の袋小路に入り込んで頭がパンクしてしまうのでこの辺でやめておく。

イサーン・ポンラーン踊り2 ところで、タイの民族舞踏はいつ見ても美しい。チェンマイの中学校で見た舞踏では、ピンク色の上着(チャイナドレスのような)にシルクのパー・トゥン。頭には白い布をターバンのように巻いて踊っていた。肩からは刺繍がしてあるシルク地の白い布を掛けていた。バンコクで見た舞踏は、インドのラーマー・ヤナの影響を受けたきらびやかな踊りだった。

 今回の公演は上の二つとはまた違った美しさがあった。踊りは洗練されていて、タイの民族舞踏に特徴的なあのしなやかな指先の動きを見ているとなんともいえない恍惚感に満たされてくる。踊りを素朴な音色で包み込むポーンラーンの澄み切った響きが体を突き抜けていく。

 タイでは、学校教育の中で民族芸能を若い世代に伝えている。普段は屈託のない普通の中高生たちが踊り、奏でていたことも、また感慨深い。顧みれば、自らの住む地域の伝統芸能がどれだけ廃れずに残っているだろう。タイに行くたびに我々の文化を伝える術を失ったことに気付き、最近の流行歌を歌うしかない不甲斐なさを感じていた。そう考えることも、地域の紐帯の消滅しつつある日本においては甲斐のないことなのだろうか。

 先日、トーサックさんから手紙がきた。

 We want to welcome you too.

 タイプされたその文字が嬉しかった。そう言えば、ポム・チャ・パイ・チェンカーン・ハイダイ!と約束した自分の言葉を思い出した。もう一度、彼らの演奏と踊りを見たいと思う。


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