SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第3号

行ってきました〜ミャンマー旅行記

豊かなイラワジの流れのように時は流れて

 次第に、空が赤みを帯びてきた。デッキに腰掛けていると、心地よい風が眠りを誘う。ミャンマー第2の都市マンダレー発の船は、緩やかな大河イラワジの流れのままにゆっくりと目的地パガンへと下って行く。
 あーあ、彼には本当に悪いことをしてしまった。今日マンダレーを発つ前に、僕はある青年僧と待ち合わせをしていた。「必ず立ち寄るから僧院の門の前で朝の4時に待っていて。」僕の誘いに対し、彼は快く了承してくれたのに・・。

 彼と出会ったのは2日前の真昼の一番暑い最中、僕がグッタリとして木陰でうなだれている時だった。ミャンマー北部カチン州出身で28歳の彼は年齢の割には童顔な修行僧であり、英語の練習を目的に外国人を見つけてはよく話しかけるそうだ。そういえば、以前同じような経験をしたことを覚えている。メコン河を眺めたくてタイ北部ノーンカイを訪れた時、まだ17歳の少年僧と知り合い色々と語り合った記憶がある。将来は還俗し、貿易等の仕事に就いて世界を飛び回りたいと語っていたその少年僧との出会いと今回の状況がそっくりだった為、僕は同じ様な答えが返ってくるものだろうと予測しながら、彼に将来の夢について訊ねてみた。「ミャンマーの人々に尊敬されるような僧侶になりたい。」彼は力強く語ってみせた。いくつか有名な寺院を案内してもらったほかに、彼は英語の先生だという老僧を紹介してくれた。温厚そうで親しみがもて、笑顔がとても人懐っこいインドのマハトマ ガンジーを思わせる風貌のその老僧と会って、彼の言動の根拠を理解できたような気がした。マンダレーを発つ前に、彼にはどうしてもお礼が言いたかったのに。日本に戻ったらすぐに手紙を書こうっと。気を取り直して友人への手紙を書き始めた。

 デッキは我々外国人旅行者も含め、たくさんの人でごった返している。本を読んでいる人、昼寝してる人、友達や家族と笑いながら談笑している人々など。その誰しもが、思い思いにその時間をその人なりに楽しんでいるようだ。退屈そうに虚ろな表情を浮かべている人など誰一人としていやしない。彼らの安らかな表情を見ていると、こちらまでウキウキした気分にさせてくれる。チケットを手に入れた行為に対し、実のところ船に乗るまでは後悔のしどおしだった。ただでさえ短い旅なのに、移動にこんな時間を費やしてしまうなんて。こんなもったいない時間の使い方をせずに、夜行バスにすればよかったなどと。だが、このような考えが脳裏から完全に消え去るまでに、乗船してから1時間とかからなかった。 僕は、もっぱら周りの風景を眺めその時空を楽しんだ。ただただ水田と森林が広がる風景。時々、人が歩いていたり耕作している姿を見るぐらいの東南アジア地域ではどこへ行ってもお目にかかれる光景ではあるが、気がつくと1時間2時間があっという間に過ぎ去っている。自分は何て無駄な、同時に何て贅沢な時間の使い方をしているのだろうか。こうしているだけで、安らぎを感じる。もっと余裕を持って旅に出れたら・・・。今の自分の生活が恨めしく思えてならなかった。

 船は1時間か2時間おきに途中小さな船着き場に立ち寄りながら、パガンへと進路をとる。その度に、たくさんの荷物を抱えた人々が船を降り、また別の人々が乗り込むという光景が繰り返される。船着き場まで迎えに来た家族と共に、荷物を頭に載せてそれぞれの村に帰って行く人々の姿がとても印象的だ。イラワジ河は道路事情の良くないミャンマーにあって、今も昔もこのように物を運び、情報を伝え、人々の交流を促進してきた。そして何より、流域に生活する人々に多くの恵みを与えてきた。この大河がこれからも人々に幸福を与え、ミャンマーを本当の意味で1つのまとまった国にしてくれることを心から願わずにはいられない。

 遠くの岸辺に茶色い建物が見えてきた。どうやら煉瓦で作られている仏教遺跡のようだ。「ニャンウーの町だ。」隣に座っていたミャンマーの人が教えてくれた。どうやらあと15分足らずでパガンに到着するらしい。少々感傷的になり、最後の余韻に浸ろうと3階の見晴らし台に上がった。このままこの時が永遠に終わらなければいいのに。辺りは徐々に赤く染まり始めた。

(高橋 洋)


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