SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第20号

昨年12月中旬、カンボジアの児童教育関係者に対する保健衛生セミナーの実施を目的として
「自治労アジア子どもの家訪問・交流ツアー」が実施された。

2000年の終わり旅から見てきたこと

荒川区職労(家族) 松坂 あづさ

 ツアーが終わった。時間が経った。21世紀になっていた。

 2001年1月1日、某新聞の余談は、“カンボジアの太陽は、日本で見るより大きく見える。・・・”で、はじまっていたが、まさにその通りの太陽に始まり、青々と光る月に照らされ一日が終わる。4年ぶりのカンボジア、その風景は変わることなく脳裏にプリントされた。今回のツアー報告を記したい。

(1)ACC-TTCでのセミナー

2日間、実質10時間のセミナーが始まった。異国で挑むはじめての“人前に立つ”経験だ。モーレツな緊張が走ったが、マイクが自分のところに来ると、不思議と落ち着き、学生達へ語りかけたい、伝えたい思いで2日間が過ぎていったように思う。

 3月に行われた近畿地連の活動を下敷きに、レジメを作成し、一応の流れを意図的にしかけたが、やはり本番は、『ライブ』そのものだ。話す方と聴く方の相互交流が、エキサイトに始まる。学生の反応を見ながら、臨機応変に、話の内容を変えたり、時間配分を調整したり、使用する教育媒体を工夫する必要があった。保健衛生に関するテーマをどこまで、どのように展開できるか。さらに相手のニーズに沿ったものになるのかと不安が先行するばかりであったが、受講を終えたあと、少しでも、彼らの中に、保健衛生知識と交流の体験を残せたらとの思いが、セミナーのねらいでもっとも重視した点であった。そのことを実践するため、能動的な参加体験型のセミナーを構成し、共に経験しあうことを具現できたのではないかと思う。

 多種多様な所属と人材の混成体でありながら、互いの持ち味を生かしての『ライブ』は、緊張をはらみながらも、終わってみると、「ごくろうさんでした。」の一言と共にうまい酒が飲めたことに誰もが酔えたことだろう。さらにSVA現地スタッフの通訳の方は凄い!同時通訳をしかも、保険用語のニュアンスを現地の言葉に瞬時に伝えてくれる能力の高さに加え、粘り強さとわれわれを気遣ってくださるハートには、敬服するばかりだった。彼女がいなかったら、このセミナーの成果は半減しただろう。

 少し、残念に思うことは、受講生のモチベーションとレディネスの問題である。というのも、TCC自体でまだ、入学式が行われていない点や授業そのものも未だという時期であった点などである。学生たち自身が隣に座りあうのも初めてというのには、驚かされた。このことを後から知り、参加体験型の構成にしたものの、学生たちにとっては、幾ばくかのとまどいや不満が派生したのではないかと思われる。しかし、学生の熱心な受講姿勢は、カンボジアの若い人々の”国を再建していこう”という熱い思いを伝えていることに変わりはないものだった。彼ら、彼女らは、ここでの学びを終え、それぞれの出身へ帰り、幼児教育の担い手として、子供の健康と教育を守り育てていく人材なのである。

(2)セミナー企画担当

 2000年3月ごろだったろうか。今回のセミナーについての企画を打診されたのは。正直言って、困惑した。疑問が多すぎたからだ。保健衛生のシステムや衛生事情、人々の健康指標・乳幼児の健康実態などなどと、また日本的な保健衛生の知識は方法が役に立つのか、なぜ、幼児教育の担当者となる学生へなのかも含め、どうすれば???であった。しかし、4年前に訪れたクメールの地へは、何か、忘れ物を残してきたような思いがずっと、自分の中にあり(前回のカンボジアツアーでの積み残しか)参加したい!!の一念で受けてしまった。それから、事前準備に数回を重ね、2日間10時間あまりのセミナー企画を練った。メンバーへの趣旨説明や役割分担、打ち合わせを経て、ひとつのしかけが出来あがる。このプロセスこそ、私は、重要であると思っている。何故なら、多様な価値観を持つ者どうしの交流と認め合う経過こそ、現地での相互交流を促進させるエネルギーとなると考えているからだ。

 現地で、学生どうしの話し合い(グループワーク)を取り入れた。ねらいは、二つあった。実際の保健衛生上の問題把握と参加者の心理的緊張緩和がねらいだ。カンボジア若人から聞いた保健の問題、それは感染症への対策だ。個人衛生レベルで実践できるものは、紹介できたと思う。それを取り入れていこうとする意識と行動変容への働きかけは、カンボジア流にアレンジされ、一歩一歩進んでいけばいいと思う。わいわいとクメール語の飛び交う教室で、学生たちの真剣なまなざしやまじめさが、緊張している私の心理的緩和にも功をそうしたようだった。休憩の合間に取り入れた手遊びや歌遊びは幼稚園の先生になる彼らにとっては、おはこだった。

(3)訪問先でのこと

 一番印象に残ったことは、ツールスレインでの1シーンだ。2度目の訪問であり中へ入ることはいやだった。チケット売り場の近くで、皆が出てくるのを待っている間その人たちは、首をうなだれ、肩を落とし押し黙ったまま私の目前を通りすぎた。そして、へばるようにしゃがみこみ、しばらく無言のまま。ふと見ると、目に涙が。肉親の誰かを見つけたのだろうか。カンボジアの人が、時刻の凄惨な足跡を訪れた姿を初めて見た。残酷すぎる!ポル・ポトの影は、いまなお漆黒の色を放ち、長い。この国の底流に影を落とす。国の復興と表裏にその影がつきまとっているようにも見える。そんな1シーンに会った。

(4)全般的なこと

 「一度や二度で何がわかる!?」という人がいる。「金や物を投入すればいい!」という人もいる。でも、一度でも行ってみようよ。一度でも『ライブ』してみようよ。そしたら何かに触れ、見えてくる何かがある。それが、草の根(っこ)かもしれない。

 今回のツアーには、区職労家族として参加させていただきありがとうございました。個人的には、帰路の飛行中、めずらしく、本当のことを知りたいと思った。なぜ、70年代にあのような悲惨な出来事が起きたのか。その頃、日本は、何をしていたのだろう。私は、何をしていたのだろうかを知りたいと。・・・・・・


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