SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第17号

絵本を届けにラオスまで

ラオス旅行記

坂井理恵

 「明日からラオスという国へ絵本を届けに行って来ます。」と、学童クラブの子どもたちに告げてでてきた。「先生、アメリカ語しゃべれるの?」と心配してくれる子ども達に外国人が皆英語を話しているわけではないし、日本のように、ものが豊富にある国ばかりではないことを知って欲しかった。かといって、自分自身ラオスの何を知っていたわけでもない。少し勉強していこうと思って本屋に立ち寄っても旅行ガイドブックにラオスという見出しは見あたらなかった。大手旅行会社に赴き、「ラオスのパンフレットありますか?」と尋ねて、北海道のパンフレットを差し出され、「それは羅臼だ」と、思わず突っ込みたくなるような笑い話さえある。日本においてのラオスという国の認識がどれほどのものなのか垣間見た気がした。

 しかし、ラオスの国では少し事情が違った。首都ビエンチャンの国際ターミナルは、日本の技術協力により建てられたものだった。市内を走る車は日本製がとても多い。ラオスにとって、日本は最大の援助国であった。SVAの活動もその一部である。事務所に隣接する子ども図書館を見せていただいたが、日本の絵本がたくさん並んでいた。自分が今回持っていった絵本も、ここに並べられて子ども達に読まれるんだと思うとうれしくなった。近くにある国立図書館の子ども図書館にも同じように日本の絵本が並べられ、遊びにきていた7〜8歳ぐらいの女の子たちが絵本を読んでくれた。たどたどしくではあるが、楽しそうに読んでくれる子ども達を見てこのツアーの意義を実感した。識字率の低いこの国において、この時期に、絵本に出会うことの大切さと、国を超えて分かち合える絵本のすばらしさも肌で感じた。アジアこどもの家の所長さんは、TVなどのメディアによるタイ文化の流入とそれにともなって、ラオス文化・ラオス語の衰退を危惧していらしたが、絵本がその動きに歯止めをかけてくれることを願う。現在、国立図書館ですすめられているバイラーンの解読作業が進み、ラオスの歴史や民話などをより深く知ることができれば、絵本を通して子ども達にもっと国のことや自分たちのルーツについて教えられる機会が持てるのではないかと思う。

 日本のボランティア団体が、ラオス発展のために援助している事業としてはその他に、ホアイホン職業訓練センターがある。ここでは高校生くらいの女の子たちが集団生活をしながら織物や裁縫技術を学んでいた。女性の自立無くしてラオス社会の改善は難しいと考えた末に設立だそうだ。日本なら楽しく学校生活を送っている年頃の子どもたちが家から離れて暮らす淋しさと戦いながら、家族のため、村のため、しいては国のために頑張っていた。将来的には、日本を市場としていきたいと考えているとのことだったが、日本でラオスという国の存在をアピールするためにもぜひ頑張ってほしいと思った。

 SVAの活動について先に触れたが、他にも、国立図書館と協力して移動図書館事業を行っている。移動図書館に同行させてもらったことは、自分にとって、一番印象に残る出来事だった。訪れた小学校はマクナオ村という所にある。舗装されていない赤土の道に車を走らせること1時間半。砂埃を防ぐためタオルを口に当てて行き過ぎるバイクを横に見ながら、北海道の雪解けシーズンもこんな様子なのだろうかと思った。雨でぬかるんだ道路の上に、大きな水溜まりができている。車で何重にもえぐられた轍に水がたまったのである。ぼこぼこの道を通る度に体が浮き上がり、さながら遊園地の乗り物に乗っている気分であった。これなら、溝にはまって6時間動けなくなったことがあるという話もうなずける。訪れた小学校には、移動図書館の話を聞きつけて3つの村から子どもたちが集まって来る予定ということだった。最後に到着した小学生たちは、走ってきてくれた。一生懸命なその姿に、思わず「早くおいで」と手招きしてしまう。みんなとても素朴で純粋な顔をしていた。紙芝居に食い入るように見入っている子どもたち。誰一人として話をしている子はいない。午後の交流においても、ミンチェンさんと菅沼さんが通訳してくれたとはいえ、初めての手遊びやジャンケンゲームに本当に楽しそうに参加してくれた。いつかこの子ども達が大人になって、国を背負ってたつようになった時、たった一時でも楽しく時を過ごした日本人達がいたことを思い出して欲しいと思う。そして、一つの国同士、援助する側される側にとどまらない、友好的なつきあいができるようになっていることを心から望む。

 日本に帰国して、学童クラブの子どもたちに自分が見てきたものを話した。どれだけのものが伝えられるのか、伝わったのかわからないけれど、自分とともに少しでも世界に目が開かれることを願っている。

 また、今回のツアーは子どもたちとの交流がメインだったが、ラオスの大人達はどのように考えているのか知りたいと思った。識字率が低いことを嘆いていたが、日本でも、夜間中学に通い、国語や算数の勉強をしている方々がいる。生活に必要な最低限の知識は身に付けたいと頑張っている。日々の生活におわれ、学ぶ時間をつくるのはなかなか大変だと思うが、ラオスの識字率の低さは現在国を背負っている人たちにも深刻な問題であろう。このような観点からも、再びラオスを訪れることができないものか。

 最後に、膝の故障を抱えての参加となってしまい、ツアー参加のみなさんにご心配をおかけしましたことを深くお詫びするとともに、ツアーの遂行にあたり、尽力いただいたすべての方に、この場を借りて感謝の意を述べたいと思います。ほんとうにありがとうございました。


絵本を届ける運動に参加して

彦坂みちる

 私は今、帰ってきて一週間たった今でも、頭がラオスから帰りきれていない様です。日本の人混みでの、魂の抜けた顔の人たちを見ていると、あのラオスに帰りたいなんて思ってしまいます。一ヶ月前まではラオスのことを何も知らなかったのに、こんなにも愛着がわくなんて自分でも驚いています。

 私がラオスに行くことを決めた理由は二つあります。一つは単純に好奇心。知識がない故に先入観もなく、真っ白な状態で行くことはとても楽しみでした。二つめ。私は自分のこれからについて、机の上だけで考えるのではなく、自分で外へ出て行動していろいろなことを感じて、それから自分伸したいことを考えたいと思っていました。ラオスで気付くことが何かあるかも知れないと、期待していたのです。

 しかし初日の荷物のまとめのとき、みんなの手際の良さの前に、ただうろうろしている自分がいてその前のわくわく気分はどこへやら、仕事をしなくてはという気持ちになりました。いい具合に緊張を保ちつつ、タイが終了。とうとうラオス。その上空を飛んだときには、あまりの緑の多さに口を開け、しばらく見入ってしまったものでした。

 ラオスの子ども達との交流会。食事をしていて感じられると言うこと。ここの人たちは、人間的で河合食っていいなぁと思いました。

 いよいよ私の活躍するピアニカを吹く時がきました。一同が前に断ったときのラオスの人たちの八歳以下尾が印象的で、日本人であんな顔ができるのは小さい子供かお年寄りだけだなと思いました。2回目になり現地の人が歌に加わると、私はリズムが上手くとれなくなってしまいました。すると耳にラオスの男の子が太鼓で拍子をとってくれているのが聞こえてきたのです。その時初めて音楽は国境を越える、ということを実感しました。

 子ども達と一緒に遊ぶ日には、一日子どもの相手をすることをどんなに大変か、そしてかなりのパワーを吸い取られてしまう事を体で覚えました。私はあまりネタを持って行かなかったので、もっと何かを考えておけばみんなと楽しむことができたのに、と後悔しました。私と年の近い中学生ぐらいの子と接していて感じたのは、彼らは人とのコミュニケーションの取り方が上手くて、とてもおとなびているという事です。話している時も目を真っ直ぐに見て相手の本当の姿を見ようとするし、その場しのぎの愛想笑いもしないので、ああこういうところが日本人と違うなと思いました。スポーツをしていても何をしていても、小さい子から大きい子までが相手を素直に気遣い、いわたる心を持っているしそれが自然に表れている事、それが当然だという事に私は感動しました。こうして異国のそう年齢差のない子ども達と係わりをもったことは今の私にとって大きなプラスとなっています。

 ラオスは、本当によい国です。国歌もきれいだし食べ物もお酒もおいしくて、こんな国に生まれたら自分の国を好きになることができるのに、すごく切ない気持ちです。企画自体にはあまり力になれなかったけれど、私にとっては様々なことを感じたり気づいたりして得るものの多い旅となりました。最後の方には体調を崩したりしましたが、今となってはそれもいい経験です。

 今度はラオスにいる友達に会いに行きます。

※坂井さんと彦坂さんは9月に実施された「自治労特別区労働組合連絡会」のスタディツアー(17人)参加者です。


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