SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第16号

ハラハラ、アジア〜中央アジア横断旅行記〜

 4月から新たな仕事に就くに先立ち、今後は長期の旅行が望めないと考え、アジア、ヨーロッパ横断の旅に出た。東は中国から西は英国まで、中央アジアを経由した駆け足の旅である。何かまとまった話にするのは難しいので、トピックをいくつか抜き出して述べてみたい。

・ウルムチ〜イスラム圏の予習〜

 寒い。身体の芯まで冷えるとはこのようなことを言うのだろうか。1〜2時間外を歩くと、しんしんと身体が冷えてくる。今はまだ昼だというのに。

 ここは中国の新彊ウイグル自治区の首都ウルムチ。春節(旧正月)の町は、華人系の商店が軒並み店を閉めている。開いているのはイスラム系の人たちの店だ。昼過ぎで腹も減った。とりあえず、交差点脇の店に飛び込む。ウイグル語は全くわからないし、メニューも入り口に掲げてあるだけだ。隣の人が食べているものを指さして、あれと同じものと頼む。暖かい麺がでてきたのをかきこむ。お茶は黒茶。ほうじ茶の色を濃くしたような色のお茶だ。これもがぶ飲み。イスラム圏の料理ってこんなのか、と、今後の旅行先に思いを馳せる。

 夕方は宿の近くの、やはりイスラム料理屋へ。ミルクティーを頼むと、ナン付きでミルクティーが出てきた。どうやら、軽い食事の一種らしい。これで3元(約50円)だから、安いものだ。身体が結構暖まったので、これで夕食もすますことにした。

・中国からカザフスタンへ〜役人っておそろしい〜

 中国からカザフスタンへは国際列車で向かう。カザフスタンの入国時は外貨申告書を書き間違えひどい目に遭った。出国時も、空港でいきなり何人かに取り囲まれ別室につれて行かれ、お金を数えさせられたあげく、100米ドル以上を抜かれるという目に遭った。カネを勘定している途中でもういい、行けと言われたのに対して、とにかくその場を抜け出したい一心で、お金をろくろく確認もせずに去ったのがいけなかった。そのため、カザフスタンの役人はホント最低という印象を受けるとともに、これ以降は米ドル不足の恐怖と猜疑心から、アジアを抜けるまで気の抜けない旅となってしまった。

 しかし一方で、中国からカザフスタンに向かう列車の個室で同室となったカザフ系中国人のには大変お世話になった。中国語で話をすることになったのだが、当方の会話能力不足でなかなか話が通じない。いきおい筆談で話し込むことになる。カザフスタンの役人は中国と違って「狼」だなんてことも教わった(にしては、出国時に教訓が生かされていなかったけど)。

・イスラムのバザール

 イスラム圏、シルクロードといえばやはりバザールである。行く街行く街、必ずある。いつ行ってもにぎやかだ。町の一角にある広場に種々雑多な品物の店が軒を並べるのだ。珍しい食べ物も多い。果物、ナッツ類、ダンゴ、羊肉、魚・・。同じ物を売る店は近接して設置されているので、競争も激しそうだ。暇なのか、日本人がその季節には珍しかったのか、(ロシア語又は現地語で)話しかけてくる人もいる。1人だとよう食べきらないこともあり、交渉して買うには至らなかったが。

・食べ物〜やはり砂漠地帯だからねえ〜

 中央アジアに入ってからは、朝夕はホテルでナンと目玉焼きなどの西洋風食事、昼は町中の店で現地の食事を食べるといった食生活が主だった。現地の食事でほぼ必ずついてくるのがナン、つまり平型のパンである。美味しいものは美味しいのだが、ホテルで出てくるものは冷めていてあまり旨くない。あと、シシカバブ(羊肉の串焼き)。美味しいのだが、続くと飽きる。

ほかにはブロフというチャーハンを食したが、これは美味しかった。カレーパウダーか何かで味付けした飯にほしぶどう、肉などの具が入っている混ぜご飯だ。全般的に、食事はあまり種類が豊富とは言えなかった。ウルムチで食べたような麺も中央アジア諸国ではお目にかかる機会はなかったし。やはり食事は東南アジア、東アジアが一番である。

・服装〜これが本当にイスラム圏?

 印象に残っているのはウズベク人女性の衣装。民族固有の派手な柄の服で、とてもきれいだ。イスラム圏とはいっても、社会主義時代の影響からか、チャドルをまとっている人は全くと言っていいほどいない。聞くと、モスクへ礼拝に行くときにだけ着用するとのことだった。同じイスラムといってもアラブとはかなり違う。トルクメン人の衣装も、ウズベク人ほど派手ではないが、シックで素敵だった。

・まとめ

 とにかく言葉が通じないところを1人で旅行するのは大変である。一方、旅先で出会った人々にいろいろ親切にされたことでようやく無事に通り抜けることができたというのも事実である。いくつかの国についてはまた今度じっくり出かけてみたい。


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