SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第15号

マレーシア

佐藤真紀

 みかんの季節になりました。ちょうど一年前の旧正月を思い出します。日本でもお正月にみかんはつきものですが、中華系の人々のあいだでは、みかんは年賀のあいさつにかかせない果物です。ふたつまたは四つのみかんをセロハンでラッピングして、福とか満とか縁起のいい文字を書いた札をくくりつけたものを、「新年おめでとうございます」と届けてもらったものです。

 SVAのクラフトからマレーシアへ旅立って、もう3年半になります。帰国したのが今年の4月、そして現在再び、SVAで仕事をさせていただいています。その前と後じゃ、SVAがずいぶん変わったように、私も、ずいぶん変わりました。SVAのクラフトで働いていたときはクラフトに身を捧げるかのように働いていて、ともすると、「共に生きる」ことなんてすっかり忘れていて何か変でした。

 マレーシアでの私の仕事は、大学生に日本語を教えることでした。資格は持っていったものの、マレー語も英語もあまりできないから、それこそ大海に放り出された一艘の小舟のように、つかむ藁を求めつつ、でも藁さえも見つからず、最初の一年は「帰りたい」が胸につまっていました。でも、「やってくる」と送り出してもらった手前、「やってきた」なしでは、帰れなくて、小舟は大海にゆられていました。

 私から日本語を習っていた学生は、たいていが中華系のマレー人だったのですが、この5,6歳年下の人たちにわたしは、ずいぶん教えられました。例えば、納得がいかないことをそのままにしない、とか、平等、公平をあきらめなければならないときに、それをのりこえる自分の強さとか、ごく普通のことで、別にわざわざマレーシアまで来なくても、人それぞれどこかで習得するものを私はここでしみ込ませて帰ってきたように思います。

 マレーシアの中華系の人たちに、特別なものがあるとすれば、それは彼らのおかれた環境と関係あるかもしれません。マレーシアでは、移民である華僑にマレー系マレー人が支配されてしまうのを避けるために、進学するのも事業を興すのもマレー人が優遇されます。中華系のマレー人はだから小さい頃から、「誰かが助けてくれるのを期待してはいけない。頼れるのは自分だ。」とことあるごとに言われながら育ちます。どこへ行っても通用するこの普遍的な教訓は彼らの環境の中では切実で、また、マレーシアでは、第三者であった私には、私なりに切実なものでありました。

 ちょうど2月の第三週は中華街が一年で最もにぎわう旧正月で、私の家の近くの横浜中華街もいつにもましてにぎやかです。中華系の人々はお金をあからさまに尊びますから、新年のあいさつまでお金がたまりますように、と「恭賀発財」といいます。自分のちからでがんばって財を積み、それが幸せにつながると願うのです。以前は露骨にお金を尊ぶようで好きではなかった中国のそんなあいさつも、今は、中華系の人々の芯の強さや、素直さが思い出されて私もいっしょにみかん食べ食べ唱えます「恭賀発財」(コンシーファーチャイ!!!)みんないっしょにがんばろう。


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