SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第11号

市民ネット設立3周年に思う

 早いもので、1994年にSVA東京市民ネットワークが発足してから3年が経ちました。その間には、学生だったメンバーも就職し、社会人としての生活とSVA東京市民ネットワークの活動の両立という新たな課題に直面することとなっていきました。そこで今回はそのような環境の変化を経験したSVA東京市民ネットワーク呼びかけ人の一人、居林さんにこの3年間を振り返ってもらいました。


 「SVA東京市民ネットワーク」が設立されて早いもので約3年が経ちました。その前身である「SVA兼業ボランティア会」から数えると4年弱になります。ささやかな活動ですが、3年間続いているということは一番大きな実績ではないかと思います。
 その間に遠ざかってしまった人やまたどこかでマイルストーンを読んでわざわざ連絡をくれて参加してくれている人、また事情でしばらく休んでいる人などざまざまです。
 僕自身はこの間に学生から社会人となり、人生の大きな節目を迎えました。この会を作るいいだしっぺだった僕ですが、正直言っていいだしっぺでなければ会社に入った時点で、市民ネットには顔を出さなくなったでしょう。本来のこの会の趣旨からすれば不純かもしれませんが、正直いいだしっぺだから顔を出さなくっちゃという動機が少し働いています。とはいっても出張や仕事が忙しい時など休んだりすることは多いのですが。
 振り返ると入社して特に1年目は仕事がハードで本当に続けられないのではと思うこともありました。事実、僕が学生の頃一緒にやっていた学生の人たちの何人かは遠ざかってしまいました。やはりこういった活動に参加するにはゆとりがないと難しいのかなとおもいます。時間のゆとりがないと心のゆとりがなくなります。しかし、こういった活動に参加していることで心にゆとりを与えることができるようにも思います。
 こういった活動や活動をしている人たちが常に身近にいるということは常に自分に刺激を与え、世界が広がる思いがします。運命なのでしょうが僕が学生時代の終わりにSVAを知り、SVAと関わるようになったということは、僕の人生を大きく左右しているように思います。もしSVAを知らなければこういった世界を知らないまま学生生活を終え、社会に目を向ける余裕のない社会人となり一生を終わっていたのではないか、そんな気がします。もちろん社会人になって活動に参加する人や社会人になって遠ざかってしまった人が何年も経って再び活動に参加する人もいるでしょう。
 とにかく今自分がこうしてささやかに活動を続けれいられるということはよかったと思う今日この頃です。最後に入社してすぐの夏休みにJVCのスタディーツアーでラオスに行ったときの感想文が出てきたので引用します。

「日本とラオスのはざまで」−ラオススタディツアーに参加して−

 ラオスに行ったのははじめてだった。スタディツアーに参加したのもはじめてだった。普段観光旅行で行けないような農村へ行ったのもはじめてだった。
ラオスが私の海外経験で25カ国目の国であったのに、はじめてだらけのラオススタディツアーであった。
 わずかではあったが、ホームステイなどを通じてラオスの生活を体験することによって、頭で理解していたラオスが体で感じられた。なぜGNPが低くても生活できるか、自給自足に近い暮らし、森と共に生きる暮らし、農村の暮らしetc.
 ありきたりの感想ではあるが、何が豊かなのか?何が遅れていることなのか?何が進んでいることなのか?我々はどこに進むんだろう?そんなことを考えた。広い庭には植物や家畜があり、何かに追われる様子もなくゆったりと暮らしている。パソコンが出来て3日かかる仕事が1日で出来るようになった。でも仕事がふえる。
 本を読むこと、上手な文章を書くこと、これがエリートなのだろうか?心の奥にある意識、心の豊かさ優しさはどうやって測るのだろう?
 エリートというブランドを持つ人の経済援助という名の行為は、純粋な心を持つラオス人に対する霊感商法なのか?洗脳行為なのか?
 ラオスでいろいろ思い考えた。帰国後今はなかなか考えて整理することが出来ない。ラオスでつかんだ一寸の豊かさとゆとりが、今、日本社会に生きる日本人の私と戦っている。

(居林昌宏)


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