修習記トップ

なにわ修習記

2000年4月 民事裁判修習編+花見

2000年5月民事裁判修習編へ


4月27日(木)

 今日は午前中に倒産についての講義が、倒産部の裁判官によって行われた。適正と迅速のバランスが、最近は迅速の方によっているという話を具体例を交えて話されていて面白かった。でもちょっと脈略がなかったような・・。


4月26日(水)

 午後から民事執行についての講義。裁判官による、民事執行の概要の説明がまず行われ、その後引き続いて、執行官の方による講話があった。動産執行と実地調査に立ち会う修習があることから、それに先立って行われたものである。執行はいやがる相手方の居宅に立ち入ったりすることなので、トラブル回避にはくれぐれも気をつけるようにとの話であった。逃げるに如かずということらしい。確かに、修習に行って負傷したのではしゃれにもならないからな・・。でも私は今一つ動きが鋭さに欠ける方なのでちと不安である。

 夕方からは民事訴訟法のゼミ。共同訴訟における当然の補助参加なんて言葉、久しぶりに聞いた。ゼミの内容は、受験生時代と異なり、手続上の細かいことが問題になっている。で


4月25日(火)

 今日は証人等の尋問が2件、計4人につきあった。

 午前中に尋問が行われた事件は、連帯保証債務の支払を求める事件。原告は金融業者で、支配人が原告席に着いている。連帯保証人は、自分が責任を追及されることはないと思って署名したというのだが・・。

 午後はサービス代金をめぐる事件。被告側の証人が反対尋問でぼろぼろになり、被告代理人も途中で頭を抱えていた。

 両事件を初めとしていろんな事件を傍聴して感じたことだが、とにかく請求はすばやく、また、やばいとちょっとでも思ったら署名押印はしない、というのが、後にめんどうなことにならないための鉄則である。まあ、情に流される気持ちや、断りきれない人のよさというのも分からなくはないのだが・・。


4月24日(月)

 朝から体調が悪い。昨日から始めた自炊のせいか?弁論準備手続ばかりの日なので助かった。

 単独の事件でも記録が大部な事件もあるものだ。こんな記録を短期間できちんと理解するのも法曹の能力なのだが、自分はきちんとやっていけるのか、何とかできるものなのか(何とかなるのではなく、何とかするものだと思ってはいる。)・・。


4月19日(水)

 今日は民事裁判で初めて合議の事件を傍聴した。商社って有能な人の集まりだけど、ずるいことをしているよなあ。「軒を貸して母屋を取られる。」っていう言葉が本当に当てはまる(傍聴した事件がそうだというわけではない。)。まあ、正当な競争の結果かもしれないが・・。ただ、相手方の言い分はかなり苦しいように思えた。


4月17日(月)

 今日は民事保全講義。修習指導担当官の裁判官によるものだ。珍しく最初に雑談が入る。昔の講義はみなそういうものだったらしい。昔はよかったんだなあ・・。って、もっと早く合格していればよかった話か・・。


4月16日(日)

 今日は朝11時10分あべの橋発の近鉄特急で吉野へ。吉野のは大阪にいる間にぜひ見ておきたいと思っていたので今回の旅と相成った。

 前日にカナマタークで同行者を募って、Yさんに同行してもらう。あらかじめビールを用意してきたことで喜んでもらえて一安心。

 吉野の桜は下から順に下千本、中千本、上千本、奥千本となっているが、新聞では下千本がちょうど見頃であるとのことだった。実際に行ってみると、上の方までかなり咲いている。吉野の桜は花が咲くのと葉が出るのが同時の桜がかなり多いので、一見すると葉桜が多い気もしたが、花もきれいに咲き誇っている。花の下でビールも飲んだし、上の方の茶屋では花を見ながら熱燗も飲んだしで、満足した。

 残念なのは帰りの特急がさくらライナーでなかったことである。

 これで残りは造幣局だけだ。


4月15日(土)

 今日は芦屋から有馬温泉に行き、ロープウェイとケーブルカーを使って表六甲へ戻ってくるというルートをたどった。目的は花見。しかし天気はあいにく雨だった。

 芦屋では芦屋川沿いのを観賞。今週降った雨のせいか、かなり散ってしまい、残った花もかなり傷んでしまっている。芦屋からバスで有馬へ。途中の道から見える花々が美しい。特に木蓮の白い花は非常にきれいだった。

 有馬に着いたのは既に夕方。ちょっと散策した後にロープウェイとケーブルカーで六甲山を越える。天気が良ければ素晴らしい眺めなのだろうが、天気が悪く、もやがかかっているために、景色がほとんど見えない。非常に残念だった。でもまあ雨景色もたまにはいいか・・。

 六甲の駅から電車を乗り継いでカナマタークへ。明日の吉野行きの同行に同行下さる人が見つかり一安心。


4月14日(金)

 今日も1日中傍聴。弁論期日が主だ。しかも証人尋問期日が2つも。

 午前中にあった証人尋問は尋問も答も分かりやすかった。だが、午後に行われた証人尋問では、質問の内容も今一つわかりにくいし、証人の答も分かりにくい。うーん、こういう尋問を聴いているのは疲れるなあ。

 証人尋問で驚いたことだが、書記官の人がパソコンを法廷に持ち込み、尋問結果をその場でパソコンに打ち込み調書を作っていた。午前中の尋問の調書が、期日が終わると同時にほぼできているのだ。キーボードを叩く音がちょっとうるさいのは難点だが、これなら調書の出来上がりも早いなあと思った。でも、尋問の中から調書に取る必要があるものを即時に読み取る能力と、すばやく入力していく能力の2つが兼ね備わらないとできないことであって、一朝一夕にはできるものではないので、全書記官がこうした方法でというのは当分は無理だろう。それに、個人的には、手書きで手控え(メモのこと)を作る手法が何か安心できるものがあるように思うので、パソコンに直接入力することは今の段階ではそんなに普及しないでもよいように思う。


4月13日(木)

 今日はほぼ1日中傍聴していた。弁論準備期日と和解期日が主だ。

 しかし、人に言われるまま何でもはいはい聞いてしまうと、後になって大変なことになるんだね、ということを、和解手続を傍聴していて感じた。それと、とりあえずいいやと思って金を与えてしまうと、取り戻すのは大変だということ。強欲な業者対騙されやすい消費者(傍聴した事例では消費者というよりは「素人」といった感じである。)という構図は健在なのだ。こういった構図が成り立つ取引(とりあえず非公開なので何の事件かはご勘弁を)に弁護士がもっと早い時期から介入していく必要性を強く感じた。そのためには弁護士が一般の人たちにとって身近な存在になる必要がある、という言い分には説得力を感じるのだけれど、一見さんと信頼関係を結ぶのは難しいというのも事実のようだしなあ・・。

 弁論準備期日と和解期日を見て気づいたのは、前者では書記官の人が同席していたのに、後者では裁判官のみだったということ。和解期日に書記官が立ち会わないのは意外だった。


4月12日(水)

 今日は午後から大阪税関関西空港支署の見学に出かけた。なお、午前中は記録の検討。

 着くとまず支署の人による税関の説明のビデオと、署員の人による説明。麻薬や覚せい剤などの密輸の手口などについて説明を受ける。密輸の手口も巧妙になっており、係官の方も発見するのが大変そうだ。百科事典をくり貫いたり、また、メルボルン事件で問題になったように、スーツケースをくり貫いて 運搬場所を作ったりなどは有名な手口だが・・。

 次に、旅客の入国検査状況を見学。さらに、一般貨物の通関状況を見学した。一般用貨物の通関検査場所は一般旅客の荷物検査場、つまり、我々が海外から帰国した際に検査を受ける場所とはかなり離れたところにある。当該地域に入るのにはIDカードが必要なのには驚いた。

 最後に、麻薬探知犬管理センターへ。多くの修習生の興味もこの場所に集中していたようだ。しかし、麻薬探知犬の略称の「麻犬」とは間抜けな名称である。

 センターではまず、麻薬犬の活動についてのビデオを見た後、麻薬犬が麻薬を発見する様子を見る。丁度取材にこられていたラジオのパーソナリティの人と修習生数人が混じって並ぶ。パーソナリティの人は、麻薬をしみこませたダミーを隠した靴を履いているのだ。麻薬探知犬登場。パーソナリティの人の前を通るとすぐに麻薬をかぎつけた時のしぐさ。すごい。犬はその後、修習生にもみくちゃ、というか、なでられまくっていた。私は獣禽昆虫類は苦手なので遠くから見ていたが・・。麻薬探知犬は1歳から2歳で仕事を覚え、それから7年間働くそうだ。人間の歳に直すと、7〜14歳で仕事を覚え、50歳くらいまで働くことになるということである。役犬として育成された犬の中から選ばれて訓練されるということで、役犬として育成されている犬の種類が限られていることから、麻薬探知犬として訓練される犬も限られているということだった。柴犬など日本犬の探知犬は出ていないらしい。

 しかしまあ、人間の歳でいうと7、8歳の頃から一人前に働いている犬に比べ我々は・・。まあ人と獣の違いがあるから仕方ないけど。


4月11日(火)

 午前中は法廷の傍聴。民事裁判修習に入ってから初めてだ。前にも書いたが、本人訴訟(弁護士を代理人として立てずに、直接本人が法廷に立つ訴訟)が多いのにはびっくりする。被告当事者の出してきていた答弁書の意味の内容が不明なので裁判長が意味を問いただす(釈明という。)ことも何件かあった。意味が分からなかったので、その場で、請求棄却判決を求めるという答弁をしたということで、と裁判官が当事者の陳述を補充することさえあった。確かに答弁書全体の趣旨からすれば、請求棄却を求めるということだったからなあ、その事件の場合。

 午前途中からは弁論準備手続、そして和解期日。なんと裁判官室内で行っている。まあ、出てきている人数が少なかったから裁判官室で行ったということもあろう。別の部屋を取ってやることもあるようだ。

 午後は、交通事件についての講義。交通事件を処理するに当たっての留意点などについての説明が交通部の裁判官によってなされた。損害賠償額の算定方式が東京と大阪では異なっていたのが、最近東京方式で統一されたというのは初耳で驚いた。きちんと新聞や判例時報を読んでいれば知っていたはずのことなのだが(汗)。あと、中間利息控除の際の利率が高すぎるのではないか、男女の賃金格差を前提にした算定方法は問題ではないかということも、今後の課題として挙げられていた。二木教授の『交通死』(岩波新書)が問題提起となったとのことである。

 この『交通死』、刑事部でも部長が他の修習生に薦めていたし、裁判官の中にもかなりインパクトを与えているんだな、という感を受けた。私もつい2、3か月ほど前に読んだのだが、この本にはずいぶん考えさせられるところがあった。交通事犯に対する寛刑傾向、刑事事件における、被害者側の主張を訴える場の欠如、個人差を無視し過度に類型化した損害賠償の算定方法、中間利息を控除することの妥当性、等々。法律家として事件処理に当たっていく際についあたりまえのことと考えてしまいがちなことが、事故の当事者という外の立場から鋭く批判されているのだ。批判されている対象についてはそれぞれそれなりの存在理由があると思うので、批判のすべてが当たっているかどうかは分からない。しかし、法律家としての慣習はそれが唯一ではない、また、不変のものではないということを知らせてくれる点で面白い。それに関して、最近では、弁護士の中にも、中間控除利息の利率を2%とか3%として請求額を算定してくる人がいるという話があった。このように既存の運用を当然のこととして見過ごさずに変えていこうとする動きができるというのは、弁護士もなかなか捨てたモノではないのではないか、と励みになった。


4月10日(月)

 今日は近鉄の技術研究所を見学した。50年以上続いている行事らしい。昔は、司法修習生に電車を実際に運転させていた時期もあったようだが、批判を受けて止めになり、今では運転士用のシミュレータを運転させている。鉄道好きの私としては非常に楽しみにしていた行事である。裁判所からバスで出かける際に集合した時、「目が輝いていますよ。」などとさんざんからかわれた。冷静なつもりだったのだが・・。

 午前中は近鉄の会社説明と、鉄道の仕組みについての説明。情けないことだが、鉄道は自分では曲がれない乗り物だということを初めて知った。ちょっと考えればすぐ分かることなのだが(汗)。あと、踏切事故が近鉄線内だけでも年17件も生じているというのも、思ったよりずっと多く、びっくりした。

 昼食後、技術的事項についての説明を聞き、いよいよ見学に。3班に分かれて行動だ。

 まず技術研究所内部の見学。コンピュータを用いてダイヤを組む様子や、券売機についての説明などいろいろ案内していただいた。

 次に、転轍機(ポイント)と踏切についての説明。転轍機は普段は電動モーターで動くのだが、故障時には手動で動かすということで、その実演をやらせてもらった。こんなことは普通できないことだけに感動モノだった。でも、結構焦ったけど・・。踏切では、非常連絡装置を押す実演。あと、発煙筒を炊く実演もやった。天気はあいにくの雨だったが、発煙筒はかなり長い時間火が点いていた。それに、かなり明るい。

 転轍機にしても、踏切にしても、何重にも安全のための装置や設備が用意されているのには驚いた。私が鉄道好きということが周知の事実になっていたせいか、他の修習生の人たちには気を使ってもらって、いろんな実演をやらせてもらった。大変ありがたかった。

 最後に、運転台シュミレーターで、1人1駅間を運転。シミュレータは実際に近鉄線を走行している車両の運転台と全く同じ作りのものだ。マスターコントローラー(マスコン)やブレーキを動かすと、前のスクリーンに映し出されている風景が変わっていくのだ。電車運転シミュレーターとしては「電車でGO!」などがあるが、実際の路線では、マスコンをオフにする場所やブレーキをかける場所を示す標識がついているので、ゲームより分かりやすい。このシミュレーションの最後には、急制動をかけたときの制動距離がどれくらいかを見る実験や、ATSを作動させる実験が行われた。時速90kmで走行時に急ブレーキをかけた場合、列車が止まるまで更に約300メートル走行するのだ。列車は重量のある乗り物なので、制動距離も長いということだった。ATSのかかりかたのすごさにもびっくりした。速度超過で走っていても、安全なところで停まれるように作動するのだ。

 今日は鉄道好きの私としては満足のいく見学会だった。また、鉄道の安全性への配慮や列車走行の仕組みについていろんな知識を得られたのは法律家となる上でも有意義だったと思う。このような講習が今年限りとなりそなのは残念なことである。


4月8日(土)

 昼頃、大学時代の同級生から電話がかかってきて、花見をしないかというので、夙川へ。梅田から阪急に乗り、夙川で乗り換えて苦楽園口で下車。合流する。夙川のは、川沿いにずっと桜並木が続いているものである。丁度満開の時期で、宴会客も多数いる。我々の団体は、友人とその連れ合い、友人の同僚の連れ合いなど、私を含め計5人。私にとっては初対面の人が多かったのだが、だんだん話にも興が乗ってきた。しばらくすると、近くで宴を開いていた大学生30人ほどの団体が、合唱を始める。ムチャクチャ上手い。関西学院大学のグリークラブとのこと。どうりで。学生のグリークラブでは全国1、2を争うところだからなあ。1曲終わる度拍手の嵐がまき起こっていた。

 夕方になった後、カラオケへ。2時間半ほど歌いまくる。みんな結構最新の歌を歌うものだなあ。

 その後分かれて、大阪市内に戻り、夕食ついでにカナマタークへ。カナマタークは私の知り合いがやっている立ち飲み屋だが、通っている内に常連さんの何人かとも顔見知りになり、行くのが更に楽しみになっている。午後11時くらいまでいた後、帰宅した。


4月6日(木)

 今日から民事裁判修習だ。朝1で修習開始式。講義や外での修習の際、講師や受け入れ側の人に失礼のないようにと言われる。前の班で結構失礼な振る舞いがあったらしい。私の属する班は全体的におとなしい人が多いので大丈夫だと思うのだが。

 午後から各配属部へ。私の配属された部には、修習生は私を含め3人配属された。他の2人の話によると、今回の部は書記官の方が若い人が多いという。なかなか雰囲気もよさそうで一安心。なかなかついている。

 左陪席の裁判官の方から部内での修習について説明を受けた後、早速記録読み。法廷が開かれる日の期日簿(その日に開廷される事件の一覧が載っている帳簿)をコピーさせてもらい、傍聴する日の記録を読むのだ。期日簿を見て感じたのは、本人訴訟(当事者本人が弁護士を付けることなく訴訟を追行する訴訟)が多いということだ。刑事裁判では、今まで傍聴したのはすべて弁護人がついていたから、やはり刑事と民事って違うんだなとびっくり。あと、民事の記録って、調書がチェックシートみたいになっている。大分省力化が進んでいる。刑事ではまだ実験段階であった録音反訳が一般的で、速記はほとんど入らないし(とはいっても、私が刑事で配属されていた部では速記は廃止されていたが。)。


2000年3〜4月刑事裁判修習編へ

修習記トップトップページ