刑法 昭和55年度第1問

問  題


 ことさらに、自らを心神耗弱の状態に陥れて人を傷害した者の刑事責任を論ぜよ。

答  案


一 例えば、酒を飲むと凶暴になる習癖のある者が、その習癖を利用して人を傷つけてやろうと思い、相手を酒席に同伴した上で自ら酒をあおり、酔っ払って相手に傷害を加えたが、傷害行為時には心神耗弱状態にあったとする。
 この場合、「人の身体を傷害」しており傷害罪(二〇四条)の構成要件該当性は認められる。
 しかし傷害行為時に心神耗弱状態に陥っていた以上刑が必要的に減軽されそうである(三九条二項)。

二 だが、このようにことさらに自らを心神耗弱の状態に陥って人を傷害した者にまで刑の必要的減軽を認めることは、国民の規範意識から見て納得のいかないことと言えよう。完全な責任能力のある時点で立案した犯罪計画がそのまま実現されているからである。
 そこで、自らを心神耗弱の行為に陥れた行為即ち飲酒行為の時点では完全な責任能力を有していたことに着目し、完全な責任能力者としての責任を問うことが考えられる。そのための理論が原因において自由な行為の理論である。

三 原因において自由な行為については、実行行為の時に責任能力が存在しなければならないという行為・責任の同時存在の原則に反しないかという問題が生じる。結果発生の直接の原因となった暴行・傷害の時点では完全な責任能力を行為者が有しない以上、実行行為時に責任能力が存在しているとはいえないとも考えられるからである。

四1 この点、原因において自由な行為について、自らの責任無能力状態を道具のように利用して犯罪を実行するという点で間接正犯に類似するものとして考え、責任無能力を招く原因行為を実行行為として捉えることにより行為・責任同時存在の原則との抵触を避けようとする見解がある。

2 しかしこの見解では心神耗弱状態の者は責任能力を僅かながら有している以上道具と呼びがたいので、本問で原因において自由な行為の理論を適用することは困難となり、刑の必要的減軽がなされることとなろう(三九条二項)。この結果は国民の規範意識に適わないこと前述の通りであり、また、心神喪失に陥った場合に完全な責任能力者としての責任を問われることと刑の均衡を失する。
 よって右見解は妥当でない。

五1 そこで、飲酒行為と傷害の直接の原因となる暴行行為を包摂した広義の行為を考え、酒を飲んで人を傷害してやろうと意思決定した時に責任能力が存在すれば完全な責任能力者としての責任を問えるとする見解も存する。

2 しかし、責任非難はあくまで結果を生ぜしめる行為をしたことに向けられるもので、意思決定に向けられるものではない。とすれば責任能力は結果を発生させる行為の時点で存在すべきであり、意思決定時に存在すれば足りるとするのでは早きに失する。

六1 思うに、責任能力の存在が刑事責任賦課の要件とされているのは、是非弁別・行動制御能力が欠ける者や著しく減退した者については、結果を生じさせるような行為をしないように自らをコントロールすることが期待できないので、結果を生じさせたことについて国民の規範意識から見て非難できないからである。

2 とすれば、完全な責任能力のある時点における行為により結果を発生させた、換言すれば責任能力ある時点の行為と結果発生の間に相当因果関係が認められる場合には結果を発生させたことについて非難が可能であると考えられるので、他の責任要件(故意、過失)の存在を要件として完全な責任能力者としての責任を問えると解すべきではなかろうか。

七 冒頭で述べた例に戻ると、飲酒により凶暴になる習癖のある者が飲酒すれば同伴者を傷害することは通常生じうるので、飲酒行為と傷害結果との間に相当因果関係が認められる。
 また、暴行癖を利用して傷害してやろうと思っていたのだから、傷害の故意も認められる。
 よって傷害罪(二〇四条)が成立し、刑の減軽は認められないこととなる。

以 上


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