世界に通用する日本の音楽とは


「日本の音楽は世界に通用しない」というようなことをおっしゃる方々が存在する。このときの「世界」とはどういう「世界」であろう。私には理解できないことばである。

例えば「西洋中心の音楽界」と定義してみよう。確かにアメリカ合州国のビルボードチャートで1位とかミリオンセールスを記録といった意味では「通用」してないだろう。しかし、ファンがいて、レコードやCDを購入したり、コンサートに訪れたりするという意味においては大うそである。ポップス系ではピチカート・ファイブや少年ナイフといった人たち、そして坂本龍一といった海外の賞を受賞している人だっているからだ。

更に考えてみると、このような定義づけをしている人は植民地的発想とも言えるぐらい狭い視野の人である。アジアにおいて日本人の曲がカバーされていることを知らないのでしょうか?言葉は通じなくてもメロディは評価されていると言えませんか?カバーするなら西洋音楽でも良いのだから。今やCHAGE&ASKAはアジア地区でコンサートツアーも行っていますよ。

そのような意味で、1996年6月16日に見た番組でASKAが発言した内容は素晴らしかった。「日本でやっているコンサートをそのまま持ち込む」といった主旨だったが、全面的に賛成である。どこそこでやるからこれぐらいの規模にしようとか考えているうちは、自分たちの音楽を伝えられるとは私には思えないからだ。

松田聖子の方法は全く逆で、アメリカ「進出」である。方法としては「あり」だと思うけれども、私はあまり納得できない。久保田利伸みたいに向こうで地道に仕事を探して少しでも知ってもらおうとしているような姿勢は賛同できるけれども、彼女の場合はそのような感じが伝わってこないからだ。お金を掛ければいいというものでもないと思うけどな・・・

「日本の音楽が通用しない」と言われるのは、見た目が派手なのに、成果が上がらないからであろう。それよりも、自分たちの音楽をもっと多くの人に聴いてもらおうといった形で、現地の風習や好み・やり方・音楽に理解を示しつつ、自分たちの音楽を聴いてもらおうとするのが良いのではないかと思っている。近くの国に対して努力しないのに、習慣も大きく違う遠くの国に対して夢中になるのはどうなのか・・・こういった人々が「世界に通用しない日本の音楽」を生み出しているのではないだろうか。



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