”さいとうみわこ、中川五郎、SKD&和久井光司FBI”LIVEレポート

1998年7月30日(木)PM8:00〜 神泉・LANTERN

(出演者)

・さいとうみわこ、夏秋冬春、西村哲也
・中川五郎
・SKD(Syuhei、Kouji、Daimyo)&和久井光司FBI(和久井光司、大名、日戸修平、柳島宏、るいたん、木瀬りえこ)



(演目)−−−さいとうみわこの部

  1. CAKE
  2. うそつきの駱駝
  3. WALKING AFTER MY DOG
  4. BABY
  5. エゴ・ロス
  6. 知らない
  7. もしかしたら
  8. 壊れる
  9. TVショッピング
  10. 彼にはわからないブルー
  11. チカラになる

「さいとうみわこのポエトリー・リーディングをきく夕べ:第2回」が先日行われた。今回の舞台は、神泉という意表をつく場所の、ランタンというところだ。

ランタンは、ふつうのDINERあるいはカフェレストランという趣である。クロコダイルはやっぱりどうみてもライブハウスだけれども、ここではもう少し肩肘はらずにリラックスしていられる。みわこさんの目指す、より本場NEW YORK的雰囲気が、あちこちに漂う。また特筆すべきは、壁のあちこちにビートルズ関連のポスター等が飾ってあるということ。何ともよい場所を見つけたものだ。昼間もやっているようだったら、また行ってみたいと思ったりする。
一応ステージはあるのだが、一段高くなっているわけでもないし、まことにささやかな「スペース」という感じ。みわこさんの部の3人がスタンバイすると、それでもう一杯というように見える。20:10頃。さあ、スタートだ。


しょっぱなから新「曲」だ。「CAKE」。BLUES調の西村さんのギターをバックに、みわこさんが取り出したのはハモニカ(ご本人の表記に従う)!みわこさんがハモニカを吹くのは、ギターを弾くのと同様あまり前例がないように思われる。東京の人で「フェスティバル」を演るときは、カズーやおもちゃのラッパを吹いたりしていたが、ハモニカもあっただろうか?(ちなみに、今日のFBIのアンコールでも「フェスティバル」を演っていたが、しっかりとカズーを吹いていた)
例によってつたない(^^;のだけれども、ちゃんとひとに聴かせられるレベルであることには、いつもながら感心させられる。そんなことはプロなら当たり前だろう、というかもしれない。いやいや、世の中にはとても聴いていられないようなレベルのパフォーマンスなど、うようよしているではないか。あえて例はあげないが、反〇のヴォーカルとか・・・(嫌いだと言ってるわけじゃないのだ。あしからず)

いきなり、閑話休題。続いての「うそつきの駱駝」は、前回とはまた違ったアレンジだ。本日は、夏秋さんのボンゴのおだやかなビートにのせて、西村さんのJAZZYなギターが切なげにコードを奏でるバージョンである。
「うそつきの駱駝」はこれで、CDを含めて3バージョンが現時点で存在するわけだが、私の好みとしてはCDバージョンが一番であるかもしれない。「チャーリー」もそうだが、水津さんのアレンジは妙に私にフィットする。

3、4篇めは、またも新しい[曲」である。最初は、「WALKING AFTER MY DOG」。MCで、「HPでいろいろやっている中で、生まれたものです」と紹介していたが、これはリトエルの「聞いたモノ、見たモノ、感じたモノたち」の記念すべき第1回「おじいさんと犬」のことである。「80歳になったら、犬を飼おう〜」とはじまるこの「うた」は、「でも、今はまだ、恋をしよう〜」といういかにもみわこさんらしい展開をしていく。ということは、79歳までは恋をしていたいということになるが(^^;まあみわこさんであれば、いくつになってもNO PROBLEMであろう。

その日までに、みわこさんはいくつの恋をするのだろう
その日までに、あと40年以上はある
その日までに・・・

全国100人のみわラーにも、さいとうみわこと恋をするチャンスがあるということだっ!(無謀な・・・(^^;)さあ、みんな一緒に、♪こ〜い〜を〜し〜よおお〜♪(@原田知世)


ん〜またまた話が脱線した。こんなおちゃらけたふうにするつもりはなかったのだけれども。最近の私の精神状態を反映してしまっている:「人生最大の失恋」(これは@さいとうみわこ)直後で、なんともフワついて落着かない、そして表現しようのない感情の渦に翻弄されている、いまの私。それゆえ、恋のうたにはいつも以上に過剰反応してしまったわけなのだ。おっと、プライベートなことに行を重ねすぎたようだ・・・。本題に戻ろう。

次の「曲」は本日の極めつけその1、「BABY」だ。
これは、タンゴ以来の朋友で最近(といっても2年近く経ってしまったが) oneANDoneを一緒にやっている、坂口かおるさんとかおるさんのBABYに捧げられたものだ(ちなみに、そのBABYの写真を見せていただいたが、めっちゃカワイイ!)。
詩がとても面白い。彼(彼女?)は、いまとても憂鬱である(機嫌をそこねるようなことが何かあったのだろう)。そんな彼(彼女?うーんどっちじゃ?)のご機嫌を直すべく、みわこさんは語りかける。
まず、きみの四角いベッドに頻繁に顔を覗かせるのがパパとママである、と。そして、この2人がたまにするちょっと変わったかたちの運動(何とも素晴らしい詩的表現!)の結果、きみが生まれてきたのだとも。それから、この世を生きていく上でとても重要なことをアドバイスする。「きみより〜が偉いわけでも、賢いわけでもない」と実例を挙げながら説く。パパやママ、然り。政治家や株のディーラー、デニス・ホッパーや辺見えみり、アボリジニやNBAのプレーヤー、然り。
また、この数千年の科学技術の進歩と比べて、人間のアタマやこころの方はまるで進歩していない、ということも。本当はこういうことは、全く分かっちゃいない大人にこそ聞かせなきゃいけないのだろうけどね。
それにしても、こんな素敵な詩を捧げられたかおるさんのBABYは何という幸せ者なのだろう。さぞかし、将来よいポエよみになることであろう(^^;

「エゴ・ロス」から「TVショッピング」までは、「世紀末バージョン」と題されている。確かに、詩の内容もいかにもであるし、西村さんのSPACY GUITARがより冴えわたるような、そんなパートである。
「知らない」「もしかしたら」「壊れる」の新作3篇は、ポエ・メドレー(というのも画期的!)で披露。この中の「壊れる」は、先程の「聞いたモノ、見たモノ、感じたモノたち」の「こわれる」がきっかけとなっているのであろう。
そして、「TVショッピング」。本日の極めつけその2がこれだ。来るかもしれない何かのために、TVショッピングで完璧な準備をしているのだけれども、その何かをただ待ち続けているだけの女性についてうたっている。あまりに印象的なので、一部を引用させていただく。

「いつかやってくるはずの恋人のために、セーターを、パジャマを、ウールの下着を」
「きっと招かれるはずのパーティーにそなえて、シルクのドレスを、ジュエリーを、バッグを」
「誰も来なくても、なにも起こらなくても、しあわせに、幸せな夢をみれるでしょ。理由も言い訳もいらない」
「EVERYDAY 彼女は家で、EVERYDAY TVショッピング」

何とも切なくなる。
しかし、不思議とこの彼女にシンパシーというか、親近感をおぼえてしまうのはなぜだろう?私の場合、一応はちゃんと使うものに対して投資してるから少しはマシだと思う(^^;)でも、人間にとって一番大切な、お金じゃ買えないものに対しては、彼女と同様、ただじっと待っていただけのような気がする。いや、そうだったのだ。だけど私は、ついに気が付いた。彼女よりも前に気が付いたことに、感謝しなければなるまい。


ラストの2篇は、前回でも披露されていたものである。基本的なアレンジも、ほぼ同じだったように思う。ただ、「チカラになる」は、前回1クールを3回だったものが、今回は2回とちょっと短めであった。これは、当初からの予定だったのか、あるいはみわこさんが途中で咳きこんでしまったために短縮してしまったのかは、見解のわかれるところだろう。この詩のように、何回となく繰り返すことによってことばのノリ、グルーヴ感を生み出していくものにとって、一旦中断してしまうとそれを元に戻すのはなかなか難しい。もしそういうことだったのだとしたら、ちょっと残念。

こんなレポートでよかっただろうか、BABY!



<後記>

今回のレポートで、個人的感情にまかせたお見苦しい点が多々あったことをお詫び致します。ただ、私の作成する当HPの内容はそもそも日記のようなものなので、なかなかジャーナリスティックな記事のようにはいきません。モノによっては(まさにこのLIVEレポートなど)そっちの方向に振っていかなければならないのだろうと思いながら、結構悩んでいる今日この頃です。
しかしこのレポート、半年くらいしたら恥ずかしくなって書き直ししてそうだな・・・


(1998.8.9)

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