MI-HA-宣言(あるいは、完全なる「みわラー」への道)


すべてのはじまりは、1988年(89年だったかもしれない)にさかのぼる。

その日のことは、いまとなってはさすがにあまりよく覚えていない。あまり暑 さ寒さを感じていなかったと思われるので、おそらく春先か秋口だったのだろう 。雨は降っていなかった。クルマで出かけるときでさえ雨だと億劫がるタイプな ので、天気は悪くなかったと断言できる。いつも通りの何ということのない、平 和な1日だったと思う。
そう、あの瞬間までは。

私はDISK UNIONのAVANT店(当時:現柏3号店)にいた。そのこ ろ、千葉県北西部のちょっとしたレコード屋というのは、私にとってはここ位し かなかった。都内には様々なレコード店がうようよしているということなど、当 時は知る由もなかった。まあFLASH(DISK RANCH)その他数件位 かな、行ったことがあったのは。そんなわけで、ちょっとレコードを探しに行く というときは、よく柏まで足を運んだものである。
(考えてみると、柏には最近全然行ってないなー)

いつものように、まず洋楽系からまわってみる。だいたい最初にプログレ系の 棚をみていたはずだ(この頃はまだGENESISファンだったな)。一通り見 渡して、めぼしいものがなかったのでJAZZ/FUSIONコーナーに行く。 女性ヴォーカルものの復刻LPが目立ちはじめたころだったような気がする。こ の日ではないが、ここでペトゥラ・クラークのジャズ歌手時代のアルバムやジョ ニ・ジェイムスなどを買った記憶がある。何かしら欲しいものはあったに違いな いが、そこは我慢して次に邦楽系(死語ですね)のコーナーへ移動する。

実は、この頃までは「日本の〜」というのは熱心に聞く方ではなかった。例外 的に、はっぴいえんど〜NIAGARA一派、大貫妙子、矢野顕子、PHEWあ たりは好きだった。まあ、私の音楽遍歴というのもかなり振幅が激しいので、い まではなんでこんなん聴いていたの?と赤面してしまうもの(要するに大メジャ ーの○○や××とか・・・)も過去にはあったりするのだが。いずれにせよ、日 本の音楽シーン(ここではメジャー系以外を指す)についてはほとんどなにも知 らない奴であった。いまだってそんなに詳しいわけじゃないけれども。そんなわ けで、それほど時間もかからずにだいたい見終わる。続けて、INDIES系を みる。

特に目当てのものがあったわけではない。上記のとおり、なにかを探せるほど の情報など持ってないのだ。なんとなく最初のほうから眺めていく、というのが 常である。そして棚の最後、右端の下のほうに目をやる。

すると・・・。

そこに、それはあった。

「恋のダイヤル6700’87」というタイトルの12inchである。あの フィンガー5の名曲のカバーである、ということは見れば分かる。いや、そんな ことよりも、ジャケ写に私の目は釘づけになってしまっていた。そのときの衝撃 を表現するのはとても難しいのであるが、簡単に言ってしまうと、こちらに向か って微笑んでいるその女性に一目で惚れてしまったということである。もうこう なってしまったら、買うしかないだろう。とはいえ、この「MIWAKO SA ITO」 というひとの音楽性等々、無論知っているわけがない。ちなみに断っ ておくけれども、「ジャケ買い」はたまにしているが、中身(音楽)が伴わなけ ればそれは失敗であると定義している。ジャケットを額縁に飾るというようなや り方は趣味ではないのだ。こういうときは決断を下すのにいつも時間がかかって しまう。最後の決め手としたのは、タイトル曲が有名曲ならば、めちゃめちゃ変 なものではないだろうというところ。自らを無理矢理納得させた面が少なからず あった(確かそのころの「ジャケ買い」はハズレが結構多かったということも、 これほど躊躇した背景としてあったと思う)。

このような経緯を経て、そのレコードは私の手に渡ったのであった。
そして、それがすべてのはじまりであったのだ。

(続く) ←多分・・・

(1997.6.8)

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