阪急色々

茨木市

種別が乱立していない頃の京都線。平日朝ラッシュ時に茨木市始発の準急が3本運転されていた。
停車駅は淡路・崇禅寺・南方・十三で、15分間隔の梅田行き満員急行を補完する存在だった。

茨木市

長らく3往復のみで運行されていた堺筋線直通急行。
朝の下り動物園前行・夕方の上り河原町行、共に途中駅で通勤特急の通過待ちがあった。
ちなみに5300系の方向幕は手動式布製で、「急天神橋筋六」も入っていた。

南茨木−正雀

春と秋の嵐山臨急。午前に嵐山行、午後に梅田行がそれぞれ15分間隔で2時間半ぐらい運行されていた。
本数が多く、停車駅や運行間隔も明確な列車だったので、乗車率は高かった。

この臨時急行は「嵯峨野エクスプレス」という名称が付けられ、駅の行先案内や放送でも使われていた。

西京極

嵐山臨急の後釜がこの臨時特急。
急行の半分を無理やり速達化(高槻市−河原町間各駅停車を大宮・烏丸のみ停車に)する荒業。
で、嵐山へ行かないどころか乗換駅の桂を通過する使いにくさは、低乗車率により証明される。

下り梅田行きは茨木市で定期特急に抜かれるなど、粗悪品の特急だった。

梅田

今は無き京都線急行。
昼間しか運転されなかった急行だが、梅田を平日24時に出る最終優等列車は快速急行ではなく急行だった。

扇町

平日夕方の堺筋準急。
準急になった当初の行先は茨木市で、高槻市以遠へ行く場合は淡路で接続する快速急行に乗り換え。
結果、茨木市へ行く客も快速急行へ流れて、堺筋準急は上新庄を出ると立客皆無・過半数空席の有様。
満員快速急行の2分後を、回送と見間違えるほど人の乗っていない列車が3年ほど運転されていた。

十三

上り1本を除けば深夜にしか運行されない神戸線快速急行。
一時期、土曜昼過ぎに通学(下校)対応の下り快速急行が運行されていた。
梅田を定期特急の1分後に発車して三宮まで先着。方向幕には「臨時」の文字が入っていなかった。

蛍池

線形の悪さゆえに低速度で定評のある宝塚線。
がんばって昼間に特急運転を始めたが3年で停車駅を増やした快速急行に格下げ。
さらに3年すると全て急行に格下げとなり、速度でJRに対抗するのをあきらめた。

庄内

急行と停車駅が同じ、というか通過駅が同じ通勤準急。
箕面発着の優等列車は昔から準急なのでそれを貫き通したいらしく、このような中途半端な種別が残っている。

庄内

能勢電直通特急。乗車率は高く、朝の梅田行は川西能勢口で2両増結して10両となる。
特急といっても速度は遅く、停車駅は能勢電鉄線内は日生急行と同じ、阪急線内は通勤急行から豊中を抜いただけ。

庄内

正月三が日に運転していた宝塚線臨時特急。
駅の案内表示では「初詣特急」とされ、停車駅も独自のものだった。