●「となりの山田くん」ニュースクリップ:12
News Clip of "My Neighbors The Yamadas"

1999年7月下旬

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1999年7月30日 朝日新聞 アニメ・マンガ・ゲームのページ 

高畑勲さん 「山田くん」と日本の伝統 単純な絵で現実を再発見

−「鳥獣戯画」など日本の伝統絵画とマンガ・アニメの共通点を、「十二世紀のアニメーション」の中で考察されていますね。

■平安時代の絵巻物から浮世絵、マンガ・アニメヘと、線だけで姿かたちや表情をとらえる伝統が、脈々と流れています。立体感や質感を与えて「本物そっくり」にするより、単純な絵を好む。

本物らしさを出そうとした絵は、ちょっとでも下手なところがあるとかえってウソくさくなる。線だけの絵は、送り手も受け手も、はじめから「これは抽象化された記号なんだ」と了解している。本物をしのぶ「よすが」なんですね。受け手は、絵の奥に実在する「本物」を感じ、それで、ちゃんと実感は伝わる。

「山田くん」の絵も「よすが」なんです。キャラクターは口が一文字で目が点、頭が大きくて、足が短い。でも「実感」としては、あの姿こそ我々日本人そのものですよね。背景も、家具を全部描き込まなくたって部屋の感じは分かってもらえる。

これまでの僕の作品の緻密な絵作りから、今回、極端に単純化した絵に変えましたが、日常のしぐさを実感豊かに描くといろ点では一貫しているつもりなんです。絵でくっきりと描き直すことで、身の回りの現実や自分を新鮮な目で見、再発見できる。アニメには、空想の世界をありありと見せるだけでなく、そういう働きもあると思います。

−単純な線がイメージをかき立て実感に導く。「山田くん」で効果的に使った俳句も、簡潔な言葉でイメージをかき立て深い実感に至る。共通するものがありますね。

■ええ、その通りです。俳画(俳諧的味わいの略筆の淡彩または墨画。俳句を書き添えたものが多い)というものもあるし、俳句はこの作品に合うだろうと思いました。

−お父さんが暴走族に注意をしに行くシーンだけ、そのシンプルなキャラクターをリアルに描いていますが。

■今、僕を含め中年のおじさんは若者を怖がっている。高校生がたばこを吸ってでも何も言わない。注意したら刺されやしないか、とね。バイクで爆音をたてる若者に向かう時、その怖さのリアリティーを出すには、あのコミカルな線ではだめなんです。線を変えリアルにすることで、「いったいどうなるんだろう」「自分だったらどうしよう」とドキドキして見てもらいたかった。

−「ハイジ」では、アニメに不向きとされた日常ドラマの地味な芝居を追究。「おもひでぽろぽろ」ではほおの筋肉まで描く緻密な絵と、マンガ的なシンプルな絵を並べた。新しい手法にいつも挑んでいるようですが。

■テーマを選ぶ時、新しい表現を必要とするような内容のあるものがやりたい。アニメにはいろんな可能性があるはず。こうして新しい課題に取り組んだことが、次に何か役に立つだろうと思いたい。大変な苦労を押し付けたスタッフも、同じように思ってくれているといいんだけど。(聞き手・小原 篤)(当該記事より)






1999年7月22日 読売新聞 衛星版

映画 「ホーホケキョ となりの山田くん」 元気くれる、ぐうたら家族

 日本映画の記録を、ことごとく塗り替えた「もののけ姫」から二年。アニメ界をリードし続けるスタジオジブリの新作は、いろんな意味で前作とは対照的だ。

 自然と人間の共生という大きなテーマに挑んだ宮崎駿監督の「もののけ姫」に対し、高畑勲監督が新作の題材に選んだのは、家族と笑い。細部まで、緻密に描き込んだ前作とは逆に、「山田くん」は背景を大胆に省略。線だけを強調し、色も水彩超のように淡い。

 原作の四コママンガがそのまま動き出したようなユニークな映像は、かつて見たほどがないほど、新鮮な驚きに満ちている。「もののけ姫」とは別の意味で、アニメの常識を破る画期的な作品であることは間違いない。

 物語と呼べるほどの物語は、ない。まつ子(声・朝丘雪路)、たかし(同・益岡徹)の夫婦を中心とする平凡な家庭の日常が、淡々とユーモラスに描かれていく。

 おかしいけれど、だれもが身に覚えのあるエピソードがテンポ良く連なり、腹を抱えて笑ううちに、いい加減で、ずぼらで、ぐうたらな一家の面々がいとおしく思えてくる。ほのぼのと温かいものが胸にわき上がり、先行き不透明な今だからこそ、力まず、焦らず、自然体の彼らの生き方が、見る者に元気を与えてくれる。

 キャラクターの絵柄が特別、かわいい訳ではなく、これまでのジブリ作品に比べ、地味な印象があるかもしれない。だが、実際に映画館に足を運べば、満足感は過去の作品に決して引けを取らないはずだ。1時間44分。(当該記事より 記事提供:コウさん)






1999年7月21日 しんぶん赤旗

映画 「ホーホケキョ となりの山田くん」 を見る 普通の家族を思い出してみませんか

 「平成狸合戦ぽんぽこ」から5年。高畑勲監督の新作は四コママンガによるコメディーだ。いしいひさいちの三等身の絵なら動きも単純かされると思ったら「火垂るの墓」以上にリアルなのである。

ホームドラマ
 かつて〈ホームドラマ〉というジャンルがあった。無数の映画が作られ、テレビの時代には連続ドラマの形をとっていっそう花ざかりになる。それを愛したのは茶の間のテレビの前に集まった家族たちだった。

 ホームドラマは現在ほとんど消えてしまった。核家族化が進み、一家揃(そろ)って一台のテレビに向かう時代は過去になり、子ども部屋が普及し、そこにもテレビがあって、勝手に好きなものが見られる。親に頼み込んでアニメを見る苦労がなくなった結果、強烈に点滅する画面を一人で見つめ、倒れる子どもも出た。

 消えたホームドラマはしかし不必要になったわけではない。父親中心の「北の国から」や「天までとどけ」などのシリーズは根強い人気を誇っていいるし、アニメの「ちびまる子ちゃん」、いや何より「サザエさん」の視聴率の高さは何によるものか。失礼ながら長谷川町子の原作の簡潔な魅力も皮肉のワサビもないこのアニメの人気の意味は。夕方の時間帯に「サザエさん」に見入る主婦層と幼児たちは、これを失われたホームドラマの代用品として愛しているのではないのか。

名句を添えて
 いしいひさいちの原作は「サザエさん」とはまた違った毒気や諷刺(ふうし)があふれている。しかしこれを長編アニメ・・・いくら考えてもイメージが浮かばない。二回に分けた制作発表からようやく見えてきたのは、全体を通すストーリーはないこと、数十本の四コマ作品をいくつかの主題に分けてまとめ、時にはそのまま、時には五コマ目以降に大幅な脚色を加えた上、話が一段落する要所には芭蕉や蕪村の名句を添えて味わいを深めるという、今まで誰(だれ)も試みていない構成であった。

 ダレはしないか、一貫した印象になるのか。それは取り越し苦労だった。とにかくおもしろい。主役夫婦の結婚式から一男一女が生まれ、妻の母と同居するまでのシュールな展開、動きに動く絵の魅力は日本のアニメ始まって以来の大胆さ、かつ底抜けに楽しい。夫婦の壮絶なチャンネル争いが爆笑を誘い、暴走族に注意もできない父親の自己嫌悪がほろ苦く迫る。作者の視線はあくまでやさしく、あたたかい。

 欠点だらけの家族だが、仲良くお膳(ぜん)を囲み、四方からコタツに入る。ついこの間までの普通の一家。そんな普通の家族を思い出してみませんか。理想の家族とは、などと考え込まず、気を楽にして、そのままで。そして、人生の楽しいことを、見つけていきませんか。高畑勲はそう語りかける。

 商業アニメとしてはこれも画期的な、コンピューター彩色による目にやさしい水彩画調。声はアニメ初登場の朝丘雪路(まつ子)、益岡徹(たかし)などが好演、母親しげ(荒木雅子)の旧友を演じる一場面だけの中村玉緒がすごい。楽しい笑いがいっぱいの傑作、成功させたい。
おかだみえこ=映画評論家 (当該記事より 情報提供:つっし〜さん、星さん)






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