●「崖の上のポニョ」完成報告会レポート
A Report of Press Conference of "Ponyo"

ホームへ戻る home

2008年7月7日、スタジオジブリの最新作アニメ映画「崖の上のポニョ」の完成披露試写ならびに完成報告会が東京・六本木のグランドハイアット東京で行われた。報告会には鈴木敏夫プロデューサーが出席し、「ポニョ」完成の報告ならびに質疑応答が行われた。報告会への記者ならびにカメラマンの出席者はおおよそ120名ほどであった。

鈴木プロデューサーによると、「ポニョ」は6月23日に完成し、大人は絶賛したが、子どもの反応が今ひとつであったため、宮崎駿監督は公開を前に不安を抱いているという。もちろん、公開前は何かと心配になるのは常であり、いらぬ心配を払拭することも狙って、全国を回る宣伝キャンペーンには監督も同行することになったという。監督の健康面に配慮してキャンペーンでの訪問先は絞り込みつつも「子ども達に楽しんで欲しい」「ポニョでお祭りをやりたい」と語ってアピールした。

また、「ポニョ」は既に国際映画祭への出品も決定しており、海外展開は北米を中心に取り組まれることになるという。

グランドハイアット東京
(撮影:2008年7月7日 以下同じ)


完成報告会 会場


完成報告会の様子

報告を行う鈴木プロデューサー

質疑応答終了 撮影タイムへ

撮影タイム

鈴木プロデューサー

終了後のロビーの様子

報告内容の概要は、おおむね以下の通りであった。

・ 「崖の上のポニョ」は2008年6月23日に完成し、同日午後に0号試写が行われた。通常、0号試写では幾つかの問題点が発見されるのであるが、今回は特に問題なかった。
・ 6月25日にジブリスタッフによる初号試写が行われ、27日にも関係者への試写が行われ、今のところ評判は良いようである。
・ しかし、初号試写の時、一つ事件が起きた。宗介の声を担当した土井洋輝君・ポニョの声を担当した奈良柚莉愛ちゃんも見たのであるが、二人は今ひとつ落ち着きがなかったようで、監督は(子どもは喜んでいないのではないかと)落ち込んだという。
・ その後、スタッフの家族も参加する試写が行われたが、子どもの反応が今ひとつだったらしく、監督は更に落ち込んだという。「子どものために作ったのに、空振りだったのか」とまで言ったという。
・ とはいえ、映画公開までは心配で仕方がないのが常であり、実際に公開されるまでは毎日が落ち着かない日々である。
・ 試写を見た大人は絶賛した。フジモトに感情移入して泣きっぱなしだったテレビ局の人、子どもを作りたくなったという代理店の人など、大人はみな絶賛した。
・ 気掛かりなのは子どもの反応であるが、プロデューサーの娘さんを通して「ポニョ」を見た子どもの反応が分かりつつある。ポニョが魚から人間になるシーンで、子ども達が大いに反応していたのだという。これら監督にも伝えていこうと思っているが、監督が安心するかどうかは分からない。
・ 監督は年齢が67歳となり、積極的に取材をうけるのは体力的にしんどくなっている。
・ 監督はマッサージに通うようになり、「ポニョ」は週3回もマッサージを受けながら作ったのだという。ただし、今は比較的時間に余裕があるとのこと。
・ そこで、プロデューサーは「ポニョ」の宣伝キャンペーンに監督も参加してもらおうと考えた。
・ しかし、監督の奥様は、監督の体力面を心配している。
・ また、(監督の)顔が売れるのは家族として大変であるともいう。「ハウル」上映の頃、家族で焼き肉屋さんに入ったが、他のお客さんが(宮崎監督に)気がついてサイン合戦になってしまって食事どころではなくなるということがあった。(キャンペーンで更に顔が売れるのは)心配であると。
・ ここで、プロデューサーは、監督の体調に配慮し、昔ほどの規模ではないが、4都市ほど(福岡・大阪・名古屋・札幌)は監督に参加してもらおうと考え、奥様にも理解を求めた。ヒマを持て余していても心配が募って良いことを考えないし、キャンペーンに出ているとお客さんの反応も分かって良いであろう、と。この方向で話はまとまった。
・ いずれにせよ、「ポニョ」は子ども達に楽しんで欲しい作品であり、それを強く願っている。




プロデューサーの報告のあと質疑応答があった。その概略は、おおむね以下の通りであった。

Q.─「ポニョ」は子どもに向けた映画であるというが、制作している中で考えたことは何か?
A.─子どもに絶望は語れない、希望を語らなければならない、「ハウル」はストーリーを一生懸命考えたが(視点が)大人に寄りすぎてしまった。そこで、次は子どものためにきちんとした作品を作ろうとした。

Q.─以前、プロデューサーは「ポニョ」を最高傑作にすると言っていたが、完成したらどうか?
A.─(多少の沈黙のあと)言葉としては簡単であるが・・・(通常は色々な問題点が話される0号試写でも)問題はなかった。傑作である。「ナウシカ」以来、そのような言葉を使ったのは初めてである。監督も非常に喜んでいた。

Q.─宮崎作品は空を飛ぶシーンに定評があるが、海にはどのような思いを込めて描かれたのか?
A.─アニメーションで難しいのは「火」と「水」の表現である。「ハウル」ではカルシファーで「火」として挑戦し、それは成功だった。(カルシファーの炎については、すべて監督が描いたのだという。)そこで、次は「海(水)」の番だった。2004年秋、「ハウル」初日の頃、監督とスタッフで瀬戸内海へ行ったが、その時に見た風景が、今回の「ポニョ」の元になった。

Q.─今回のコピーは「生まれてきて良かった。」であるが、このメッセージの意味するところは何か?
A.─それは、そのままである。・・・「ポニョ」では、津波の後、一夜が明けて宗介が母を探すために海に乗り出していくシーンがあるが、そこで赤ちゃんを抱いた婦人に出会うシーンがある。赤ちゃんはずっと不機嫌だったのだが、ポニョがなぐさめたことで笑顔になった。このシーンが妙に長い。
久石譲さんは、「この赤ん坊は生まれて来なければ良かったと思っているのではないか。」と言った。監督は「それだ!」と応え、これがコピーに結びついた。今の時代、「生まれてこなければ良かった」とは逆のことを言うことでアピールできると思った。(なお、「出会えてよかった。」という案もあったが、最終的に「生まれてきたよかった。」になった。)

Q.─今回は海が舞台であり、CGを使わず全て手描きで描かれている。どのように作ったのか?
A.─イメージボードを描くうちに「この絵だ」「これだ」というのが見つかる。「トトロ」もそうだったし「ハウル」でもそうだった。今回は、水魚に乗ったポニョの絵だった。波も命は宿る。「海も生き物である。」これをやりたかった。
また、監督は1930年代の古いアニメーションをよく見る。「必要以上に動かしている」のが面白いのだという。今は必要最小限しか動かさないが、昔は余分に動いていてアドレナリンが出る。今回は、それをやりたかった。思っている以上に動かすと面白いのではないか。いわゆるアニメでは口パクがよくあるが、今回は全て微妙に動いている。それをやるにはどうしても手描きになった。(CGだと動かないところは動かない。)

Q.─「ポニョ」は母と子の物語となったが、リサやグランマンマーレに具体例(モデル)はあったのか?
A.─今回、リサは宗介に自分のことを「リサ」と呼ばせている。母を何と呼ぶか(呼ばせるか)は時代によって異なっている。母ちゃんという時代があり、お母さんという時代があり、ママという時代もあった。今後はどうなっていくのか。リサは、5歳の子どもにも一個の人格を認めている(だから自分のことをリサと呼ばせている)。リサの性格はサッパリしていなければならない。
グランマンマーレの方であるが、これはミレイの絵に感銘を受けたことによる。監督は、夏目漱石がカルチャーショックを受けたというミレイの「オフィーリア」を英国まで見に行き、感銘を受けた。これがモチーフになった。

Q.─ポニョと宗介の恋については?親子の愛については?
A.─羨ましい。出会った瞬間100%好き。疑いがない。(宮崎作品で描かれる恋は)世間で言う駆け引きや打算がない。羨ましい。
母と子の関係も同じである。駆け引きや打算がない。監督は、最近「死ぬまで指折り数えられるような年になった」というようになった。「自分が死んだら亡き母と再会するだろう。その時に何と言ったら良いのか」と。(プロデューサーが感じたところによると)これは「ポニョ」に出ていると思った。トキさんは監督の母がモデルであり、トキに飛び込んでいく宗介は監督自身なのではないか。

Q.─海外展開、国際映画祭への出品は?
A.─海外展開については、今回は北米に力を入れてみたい。アメリカでどう評価されるかどうか。(アメリカでは子どもが母の名前を呼び捨てにすることはとんでもないことである。また、アメリカでは親が子に責任を持つのは当然なので、嵐の夜にリサが宗介を置き去りにして出て行くシーンもとんでもないことであるとされる。)
国際映画祭については1つ決まっているが、それは映画祭側が発表する事項なので、今はまだ詳しくは言えない。



質疑応答の後に写真撮影が行われ、予定の時刻を20分ほどオーバーして終了した。




(撮影:2008年7月7日)

ファンの良識が問われている。
─世界に誇れるジブリ作品には、世界に誇れるファンがふさわしい─
 (作文中。後日加筆もあり)


報告会では、宮崎監督が家族で食事に出かけた時にサイン責めに遭ったというエピソードが明かされたが、個人的にはここが一番気掛かりな所であった。

監督はもとより家族にまで負担を強いる、懸念するべき問題である。宣伝キャンペーンの時にサインをねだるのならともかく、監督のプライベートな時間にまでサインをねだるのはルール違反である。有名税、という言葉はあるが、だからといって監督の私的な時間にまで踏み入って良いはずがない。

同様な事件は枚挙に暇がない。有名人を見たら所構わず騒ぎ立てるという日本社会の悪いところが出ている。要するに、民度が成熟していない。宮崎監督も低い民度の犠牲になっている。この状況は何とかしなければいけない。

ジブリとしては、立場上、サインをねだるなとは言いにくいと思う。マスコミも、"お客様は神様"である以上、大衆に説教を垂れるような論陣は張りにくいだろう。民度を高めていくには、やはり、私達一人一人の自覚が必要であり、それを態度で示していくことが必要である。

どこかで有名人を見かけても、プライベートな場面であったならば、あえて知らんぷりをしなければならない。そういう場面でサインをねだる人がいたら諫めなければならない。サインに限らず、ジブリファンが率先して良識を発揮し、民度を高め、より成熟した社会の実現を目指していきたいところである。

一流の作品は、一流のファンに支えられてこそ本当の一流たりうる。世界に誇れるジブリ作品には、世界に誇れる良識あるファンがふさわしいと思う。





ホームへ戻る home