●白神山地紀行:3
a travel sketch of Shirakami 3

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ニッコウキスゲ

(7)田苗代湿原〜駒ヶ岳
 山道に入ってしばらく歩くと、目の前に田苗代(たなしろ)湿原が開けてきた。ニッコウキスゲが満開に咲き誇る、それはそれは見事な眺めであった。このような絶景の湿原が、山奥の、それまた山奥に拡がっている風景は、神秘的ですらある。その昔、はじめてここに到達したいにしえの人は、どのような感慨をもってこの風景を眺めたであろうか。

 人がひとり通れるほどの木橋が湿原を縦断するように通っていて、歩くほどに微妙な景色の変化を楽しむことが出来る。足下をみる。ニッコウキスゲの間に、ささやかな水たまりが垣間見た。そこでは、名も知れぬ小さな昆虫が水面すれすれを飛び回っており、体長1センチほどの小さなオタマジャクシが数え切れないほどひしめきあっていた。遅い春を迎えた湿原は、夏への衣替えを急いでいるかのようでもあった。

 さて、湿原を通り過ぎると、ほどなく登山道に入った。駒ヶ岳への登頂には、北回りと南回りがある。南から登ったほうが傾斜が緩やであるが長い距離を歩かねばならない。今回は北からのルートを通ったため、なかなかヘビーな急坂の連続であった。とはいえ、坂道自体はそれほどのきついものではなく、むしろ雨水のしたたる足場の悪さの方が気になった。昨夜降り続いた台風の雨が少しづつしみ出してきているのであろう、したたる水の流れは、登山道の足場を極めて悪いものにしていた。場所によっては、ほとんど渓流のようであった。先行して登る地元のお兄さんでさえも、たびたび滑って転倒し、その度にズボンが泥だらけになっていった。


登頂ルートの山道

駒ヶ岳中腹の景観
 お兄さん方もさすがにつかれたのか、ところどころで休憩した。山を覆う樹木は高く険しく、なかなか外の景色を拝むことは出来ない。わずかに樹と樹の隙間から向こうの景色を垣間見るだけである。辺りに人工の建造物は一切なく、山ならではの静寂がどこまで拡がっていた。しばらく休むと、またドロドロの山道を一歩一歩登っていく。また休む。これを繰り返して少しづつ標高を稼いでいった。

 山頂に近づいてくると、突然景色が開けてきた。その景色の変化は、あたかもトンネルを抜けたような感じであった。頭上を高く覆っていた樹木は、いつの間にか人の背丈ほどの灌木に代わり、高山植物の花が方々で咲き乱れていた。駒ヶ岳は標高1100メートルほどだから、そんなに高いというわけではない。しかし、この付近の植生は、本州中部の山ならば2000メートル以上の標高に相当するそうである。それにつけても、ここから見下ろせる景色はどこまでも雄大で、美しかった。つい先ほどまでぬかるみの山道と格闘していたことがウソのようである。

山頂付近の急斜面

山頂から北方を望む
(8)駒ヶ岳登頂
 山頂を示す標識にたどりついた。ここが駒ヶ岳の山頂である。登山というほど大げさなものではないが、この爽快感は格別である。一緒に登ってきたお兄さん方は、やれやれという感じで腰を下ろし、休んでいる。地図を見ながら周囲を見渡した。山頂から北側は、さきほど通過してきた田苗代湿原がある。東側はブナの原生林および太良峡である。南側には素波里湖というダム湖が見える。そして、西側一帯が、世界遺産条約に指定された白神山地の深淵部、自然環境保全地域である。その中に、小岳という標高1042メートルの山が見えた。ここには本州では最低標高のハイマツ帯があるという。

秋田朝日放送のクルー

同クルー
 山頂には、秋田朝日放送の取材班が3人来ていた。重い放送用ビデオカメラなど機材一式をかついであの山道を登るのは、かなりの重労働であったに違いない。取材クルーは、山頂から世界遺産に指定された白神の山々を収録するのだという。ちなみに、この時点ではいつ放映されるかは未定とのことであった。一緒に登ってきたお兄さん達は、山頂のベンチでのびてしまったので、クルーの取材風景を神妙に見守ることとなった。後でクルーの人と一緒に記念写真を撮ってもらった。

 山頂には約1時間滞在した。しかし、あっという間に1時間が経ってしまったという感じであった。まだ取材を続けているクルーと別れ、再びお兄さん達のあとについて山を下り始めた。道が滑りやすい分、下りの方が注意を要するが、もちろん上りよりもずっと早い時間で下りきり、湿原を通過し、車のところまで戻ってきた。いよいよお兄さん達ともお別れである。一期一会の名残惜しさか、お兄さん達も去りゆく車から手を振ってくれた。

 さて、一人っきりになってしまった。周囲に人影はない。




(9)下山〜能代
 私はそこで遅い昼食をとり、さらに30分ほど滞在した。いよいよ白神山地を後にする時間が迫ってきた。車のエンジンをかけ、ひたすら山下りである。ここで、弁当の空き箱を入れたポリ袋に1匹のアリが入っているのを見た。弁当を広げたとき、袋に迷い込んできたらしい。弁当を食べた場所へ戻ってアリを放す。さて、エンジン音も軽やかに出発!

 相変わらず時速20キロ程度の運転であったが順調に走りきり、真名子集落まで戻ってきた。舗装道路の感触が懐かしい。久しぶりに対向車とすれ違った。ペーパードライバーの私にとっては、山の砂利道よりも、交通量の多い一般道路の方が余程緊張してしまう(笑)。それでも何とか車の流れにのり、東能代の近くまで戻ってこれた。無数の水たまりをくぐってきた車体は泥にまみれていたので、ガソリン補給のため途中立ち寄ったガソリンスタンドで洗車も頼もうとした。しかし、スタンドのお兄さんは「レンタカーならどんなに汚してもOKだから洗車には及ばないよ」と言いたげなサインを返してきた。でも、本当に非常識なまでに泥まみれだったのだが、いいのかな(笑)。

 ところで、右折は私がこの世で一番苦手なものの一つであった。国道から東能代の駅前に行くには、交通量の激しい交差点を右折しなければならなかった。ここでヘマをしたらいけないと安全策をとり、そのまま国道を直進して左折を繰り返し、駅に至るルートをたどろうと目論んだ。この策は確かに安全ではあったけれども結果的には大ハズレで、延々20キロくらいの一大ドライブをしてしまうこととなってしまった。おかげで、この周辺の地理には結構詳しくなったのではないかと思う。そして、車を返す約束の時間より大幅に遅れ、ようやく東能代駅前に滑り込んだ。

 駅前では、レンタカー係の人がわざわざ出迎えてくれ、駐車位置まで懇切丁寧に誘導してくれた。私の下手な運転で、台風の雨の中を白神山地へ向かったのだから、結構心配してくれていたようだ。そのためか、無事に生還したご褒美に、本来払うべき延長料金はサービスしてくれた。

 予定より遅れたとはいえ、バスの時間まではまだかなりの間があった。バスは能代の市街地から発車するから、東能代〜能代間の一駅だけ、五能線の汽車に乗った。2両編成のディーゼル車は、いかにもローカルな雰囲気を漂わせる。

能代駅

能代港
(10)東京へ
 能代駅の待合室にあったテレビでは、例の小学生殺害事件の続報をやっていた。私は神戸市にも住んでいたことがあるので出身地のようなものだから、本当に人ごとではない。一緒にテレビを見ていたおじさんと少し話をしたが、私が神戸出身だと聞いて少し驚いた様子であった。でも、私だって驚いているんですけど〜。

 バスの発車までは3時間ほどの時間があった。地図を見ると能代港まで4kmもなく、歩いて行けないことはなさそうだ。昼間山にいたせいでもないが、何故か海が見たくなって、いそいそと出かけることにした。能代港に着いた時にはやや日が暮れかかっていたので長く滞在することは出来なかったが、久しぶりにかぐ磯の香りも堪能することが出来た。

 それから軽い夕食をとり、バスの中でとる夜食をジャスコの食料品売場でチョイスした。ジャスコ店内に設置されているファミリーシアターでは「もののけ姫」が上映される予定となっており、既に特別割引券が配布されていた。封切りの暁には、白神山地に最も近い「もののけ姫」上映館として、大いに賑わうことだろう。

バスターミナルの壁画
 さて、バスターミナルである。ここは、市街地の真ん中にあるはずであるが、付近の商店街はどう見ても寂れていて、旅行者の目で見ても活力を失っているようであった。ジャスコなど県外資本の大規模小売店が東京と変わりないくらいのきらびやかさで売りまくり、賑わいを見せているのと実に鮮やかな対照をみせている。この商店街も、昭和30年代から40年代にかけては大いに栄えたのであろう。バスターミナルの壁にも、その頃の栄華をしのばせる、いかにもレトロっぽい壁画が残されていた。しかし、現在は壁画のそばにゴミ袋が一つ、無造作に置かれているだけであった。

 バスは定刻にやってきた。始発から乗った客はまばらであったが、途中に停車するたびに客を拾い、高速道に乗る頃にはほぼ満席となった。一日の疲れもあって、ほどなく深い眠りについた。

 翌朝7時前、池袋の西口に到着した。いつも通りの東京の街であった。月曜日の週はじめ。間もなくラッシュアワーとなり、人々がせわしく右往左往する。私も学校へ行かねばならない。普段と変わらない日常の世界に、急速に戻されていく。つい半日前まで山の中にいたのが遠い昔のようだ。でも、ゆっくりと時間がとれたとき、じっくりと旅の思い出にひたるとしよう。






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