●「耳をすませば」FAQ
FAQ of "Whisper of the Heart"

ホームへ戻る home

ここでは、「耳をすませば」に関して寄せられた質問や
よくある疑問をQ&A形式にまとめてみました。(新着はで表します。)













本編中にお姉さんが雫に葉書の投函を依頼するシーンがありますが、あれは一体何のメタファなのでしょうか。


これには、"彼氏宛のはがき説"と"ヒッチハイクの礼状説"とがあります。
汐は物語の後半に家を出て自活をはじめますが、この理由にボーイフレンドの存在が関わっていて、葉書のシーンはその伏線であると考える見方があります。" 彼氏宛のはがき説"はこの解釈です。
が、物語の冒頭では「自立」というテーマは語られておらず、むしろ「あらゆる面で雫を上回る汐」の描写に重点が置かれるべき時点でもあります。従って、 "ヒッチハイクを当たり前のようにこなす汐" に "その礼状を忘れることなく出すマメな汐" 像=社会性(=大人)を表現していると推測するならば、"ヒッチハイクの礼状説"のほうが上手に説明出来ると思います。


雫にとって、汐姉さんはどのような存在なのでしょうか。


 雫にとって、汐姉さんは絶対的な存在でした。家庭を取り仕切る父親代わりとして、家事をバリバリとこなす母代わりとして、そして何かと指図するうっとおしい姉として君臨していました。ほとんど非の打ち所がないので、たとえ煙たくても表だった反抗は出来ませんでした。
 天沢聖司がバイオリン職人を志していることを聞いた夜、雫は自分の進路について考えました。ベッドで横になってもよく分からなかったのか、汐姉さんに進路について質問してみます。汐姉さんなら、さぞ明確な進路・ビジョンを描いているのではないかと思ったのでしょう。
 しかし、返ってきた答えは意外なものでした。

「それ(進路)を探すために大学に行ってるの。」

 自分と同学年の聖司が既に将来をしっかりと見据え、目指すべき将来に向かって進んでいるのに、あの汐姉さんは大学に入るまで明確な進路を決めていなかったのです。おそらくは、汐姉さんにも "足りない" ところもあることを知った瞬間だったかもしれません。
 雫は、聖司のように自分の可能性を試すことを欲しました。大学へ行ってバイトしかしていない(ように見える)汐姉さんとは違う生き方を模索しようとしました。だからこそ、学校の成績が下がったことで汐姉さんの追及を受けた時、雫は激しく反発したのだと思います。
 成長を遂げた雫にとって、汐姉さんはもはや絶対的な存在ではなくなっていたというわけです。


雫は日頃から牛乳をがぶ飲みしているようですが、これには何か理由があるのでしょうか。


確かに、雫はよく牛乳を買うお使いを頼まれています。一番たくさん牛乳を飲むのも、多分雫でしょう。
なぜ、牛乳をよく飲んでいるかは推定するしかありませんが、雫はクラスでも背が低い方(150p位?)なので、少しでも身長を伸ばそうとして、努めて牛乳の摂取に心がけているとからだと考えても不自然ではないかと思います。
しかし、ここでは、少し視点を変えてみましょう。お母さんと汐姉さんはコーヒーを嗜みますが、雫は専ら牛乳です。もし、雫にコーヒーを飲む習慣がないと仮定すれば、コーヒー=大人、牛乳=子供という隠喩的な意味合いが含まれ得ると考えられなくもありません。
(もちろん、麦茶は家族みんなの飲み物ですね。)


おじいさんが語るドイツでの思い出は美しすぎます。ハッタリではないですか?


おじいさん(西司郎)の思い出話は美しいですよね。おじいさんの身長は、何と雫と大差ないですから、いかに加齢によって縮んだにしても、若いときの身長も特に高いわけではなかったでしょう。まして、ドイツに行けば一層見劣りしたであろうことは否めないと思います。
しかし、性格や人間性の面では、西司郎は誰にも負けないくらいのものを持っていたはずです。外見だけで人を判断しない女性はいつの時代やどこの国にもいるもので、ルイーゼさんも、そういう素晴らしい女性だったのでしょう。ですから、おじいさんの思い出話は全くの作り話ではないと思います。
ただ、思い出中に出てくる若かりし頃の西司朗は、いかにも足が長くてスマートです。多少身長のサバを読んでいたとしても、それは美化された思い出の一つということで…。


あのでぶねこはなんのためにでてきたのかな?
もしよかったらおしえてください。


あのでぶねこは、決して人に媚びたりしません。
誰の顔色を伺うこともなく、ただ我が道を行っています。
雫も、人の顔色を伺ったり、周囲に合わせるようなことがありません。
しかし、時には弱気になったりします。迷ったりもします。
でぶねこは、そのような雫を励ますかのように、まっすぐ正面を見据えて歩いていく生き方を示しているのではないかと思います。


夕子は杉山君とど−なったの?


エンディングを細かく見ていると、最後の方で夕子と杉村が仲良く下校していくシーンが描かれています。きっとうまくいったのでしょう。


映画の途中でみんながカントリーロードの演奏をする場面がありますが、老人のひとりが吹いていた笛のような楽器は何なのでしょうか?
フルートやピッコロなのですか?


その男性(名前は「南」といいます)が演奏に使っていた笛はリコーダーという古楽器で、16〜18世紀頃にヨーロッパで用いられました。もう一人の男性(名前は「北」といいます)が演奏に使っていたマンドリンに似たリュートという楽器も中世ヨーロッパで使われていた古楽器です。

「耳をすませば」では、全般的に古楽器がよく使われています。古楽器は、近代的な楽器に比べて音が小さいものが多いのでまさに耳を澄まさないとよく聴くことが出来ません。「耳をすませば」にはもってこいの楽器ではないかと思います。


地球屋でカントリーロードを合奏したときの楽器を教えて下さい。


このシーンでは、バイオリンの他に次のような楽器が登場しました。

西司郎が担当していた楽器
ビオラ・ダ・ガンバ(チェロの前身で17〜18世紀でヨーロッパで使用)

南さん(ヒゲの男性)が担当していた楽器
コルネット(トランペットよりも小型の金管楽器)
リコーダー(いわゆる縦笛。16〜18世紀頃にヨーロッパで使用)
タンバリン

北さん(眼鏡の男性)が担当していた楽器
リュート(マンドリンに似た楽器:中世ヨーロッパで使用)

ちなみに、「南」さんの声は雫が空を飛ぶシーンの空想的な背景画を描いた井上直久氏という画家が担当されています。






「ラピスラズリ」とは、どのような鉱物なのですか?



青金石ともいい、12月の誕生石のひとつです。
ラピスラズリは、青色の地に金色に輝く粒状の黄鉄鉱を伴いやすく、それが一種神秘的な世界を感じさせるものとして、古代より現在に至るまで多くの人々を魅了してきました。
古代エジプトでは、護符として珍重されたほか、メソポタミアでは「天空と水を象徴する」聖なる石であったといいます。
ラピスラズリの産地であるバダフシャン(現在のアフガニスタン)から、メソポタミア・エジプトへ通じる道、すなわちシルクロードの西半分は、別名ラピスラズリ・ロードと呼ばれていました。


西老人が雫にプレセントした石の正体は?



それは雲母片岩といい、緑柱石(エメラルドの原石)を含む鉱物です。
緑柱石は、ベリリウムの主要な鉱石鉱物で、純粋なものは無色透明ですが、クロムを含むために鮮やかな緑色をしたものが、特にエメラルドと呼ばれます。
エメラルドは5月の誕生石で、数千年前から高価な宝石として知られていました。
天然で純粋なエメラルドはひじょうにまれといわれ、多くは雲母の小片など様々な包有物を含んでいます。
しかし、1940年代には人工的な合成に成功し、以後合成エメラルドが多く流通しています。

鉱物に関する参考文献
ビジュアル博物館・岩石と鉱物(同朋舎)
Quark(講談社)3月号
エンサイクロペディア・エンカルタ97(マイクロソフト)
鉱物の項目は、 西部伸二 さまの協力をいただきました。
2枚の写真は、鉱物科学研究所(株)の催しの際に撮影させていただきました。


ドワーフとは何を意味するのでしょうか。


地球屋で修理されていたアンティークな時計のからくりには、ドワーフが登場しました。
ドワーフのスペルはdwarfで、小人を意味します。
特定の物語に登場する固有な名称ではなく、小人一般と理解して差し支えないと思います。
『白雪姫』に出てくる七人の小人もドワーフなのだそうです。


物語のはじめのファミリーマートはどこがモデルなんでしょう。
自分はファミリーマートでバイトしているので気になってしょうがない。
知ってたら教えて。


映画でいう向原駅は、聖蹟桜ヶ丘の隣に位置する百草園駅に相当すると思われます。百草園駅は、踏切にくっつくようにホームがあるなど、映画の向原駅によく似ており、ファミリーマートもこの駅前の近くにあれば、文句なくそれがモデルになるでしょう。
それらしいファミリーマートは、百草園駅の浅川側出口から出て川の方向に数十メートル歩いたところにあるそうです。そのファミリーマートでアルバイトをしているT.Koyama氏によれば、商店街も駅から街道沿いに進んでいったところにあるとのことです。(ただ、当該のファミリーマートは比較的新しく、「耳をすませば」公開時には存在していなかったかもしれず、商店街も街道沿いに飲食店や個人商店がぱらぱらと並んでいる感じで非常に小規模なものである、とコメントされています。)
ともあれ、向原駅として描かれた駅前風景は、どこの私鉄沿線でも普通に見ることのできるありふれたものです。百草園近辺がモデルであると思うのと同じように、自分がよく利用する駅や商店街、そしてファミリーマートもモデルのように思っていいのではないでしょうか。


モデルとなったファミリーマートは、実はジブリスタジオの近所なのではないかという説を聞いたのですが…。

小金井のスタジオジブリから北へ200Mほどいった道路の向かい側に、宮崎氏御用達のファミリーマートがあります。ここで宮崎駿氏が立ち読みをしている風景や買い物た袋を片手にジブリへ帰っていく姿が見られるそうです。この店の構えは作中に出てきたそれとは異なりますが、確かにファミリーマートが出る理由の一つとしてこの件も考えられるかもしれません。(小金井市梶野町 元在住の A.K氏談。)


教室で杉村が夕子に告白の返事を断わっておくと言った後に、男子生徒が「オイ、ゆうべのサスケ見たか?すっげ〜んだ!俺 、感動した!」という台詞を言っていますが、こ「サスケ」とは一体何ですか?

サスケについては、ストーリーの展開には直接関わりの深い内容ではないためとくに取り上げませんでしたが、セリフ的には少し気になりますよね。これがどのような説があるのかについて調べてみました。

○白土三平の忍者漫画説アニメ版も制作されていたようなので、何らかの形でこれが放映されたという想定です。映画制作スタッフの中に白土三平のファンがいれば、かなり説得力のある説になります。

○時代劇ドラマ説。ズバリ「猿飛佐助」の省略形ですね。

○「みちのくプロレス」のグレートサスケ説。これも結構納得させられる説だと思います。ただ、みちのくプロレスは東京で見られるのかどうか。(^^;

○忍者戦隊カクレンジャー説忍者戦隊カクレンジャーという、ゴレンジャー系の番組に、サスケという登場人物がいるそうです。世代的には「耳をすませば」の世界に近く、後のクラスメイトの反応から推定すると、これも有力な説かもしれません。


「耳をすませば」で設定されている学校のクラス名はスタジオジブリ制作の他作品でも多用されている"3年5組"ですが、これは監督あるいは制作者の意図(思い出等)があるものでしょうか?


残念ながら、それが具体的に何を指すのについては追跡できません。しかし、3年5組については、多分、何らかの形で監督・スタッフ関係者と関係があるでしょうね。特に意図というほどのものではなく、単なる関係者ゆかりの思い出がさり気なく表現されたものだと思います。


雫がテストの中で書いていた「開発」の「発」という漢字の書き順が間違っているような気がするのですが・・・?


確かに、映画の中にあった「開発」の「発」を書くシーンを見ていると書き順は正しくないようです。正しい書き順と比較すれば、3〜5画めの順番が違っています。何らかの演出上の意図によるものか制作スタッフの単純ミスなのかは分かりません。
なお、「発」は10画のようにも見えますが正確には9画で、小学校3年生で習う漢字ということになっています。


私どもの図書館に来たお嬢さんが、「耳をすませば」で雫ちゃんが読んでいた『フェアリー・テール』という本を読みたいと言っているのですが、この本は実在するのでしょうか?


結論から申しまして、実在しないと思います。「耳をすませば」は、『りぼん』(集英社)連載の少女コミックが原作で、『フェアリー・テール』という本は原作コミックの中で雫が読む本として描かれています。原作コミックでは著者は"マイク・K・ニコルス"ということになっています。この場面では他に数冊の本も一緒に登場するのですが、いずれも明らかに架空の名前の本になっています。よって、『フェアリー・テール』およびその著者についても架空の設定ではないかと思われます。
同名の本というだけなら実在していまして、以下の本がハヤカワ文庫から出ています。ただし、この発行年は1996年(原著は1986年)であり、「耳をすませば」公開が1995年ですから、直接の関連性はなさそうです。
『フェアリー・テール(上)』レイモンド・E・フィースト,早川書房,1996
『フェアリー・テール(下)』レイモンド・E・フィースト,早川書房,1996

ご承知のように、『フェアリー・テール』は「おとぎばなし」という一般的な意味があります。ここは、単なる題名にこだわるのではなく、少女向けの童話として最もふさわしいとおもわれる「おとぎばなし」をそのお嬢さんに勧められてはいかがでしょう?






『ふとふり返ると』という本が出ていると聞きましたが、これはどのようなものですか?


『ふとふり返ると』は、「耳をすませば」の監督をつとめた近藤喜文氏によるスケッチ&写生文集で、93年〜98年にわたって雑誌連載されたイラストを中心にまとめられています。
それらのイラストは、氏の自宅および勤務先の周辺をはじめとして、様々な場所にスケッチの題材を求め、「市井を生きる人々の日常の姿」というテーマで一貫しています。
それは、氏自身が「こんな絵を描けたら」と自問し、ある時ある場所で、人々のしぐさの中に確かに存在していた個性のきらめき、その生命のあたたかさの表現を試みたものの集大成ともいうべき作品に仕上がっています。 
『ふとふり返ると』 徳間書店 1998 ISBN-4-19-860832-6 (2300円+税)


私にとっての理想の女の子は月島雫です。雫を見るとドキドキしてしまいます。こんな私は異常でしょうか。

ズバリ、キミは雫ちゃんに恋をしましたね。
でも、それは異常でも何でもありません。どんどん恋をしましょう。気にすることはありません。
キミのお父さんだって、若かった頃、同じように映画館に通ってはマリリン・モンローやイングリッド・バーグマンに恋していたかもしれないのですから。
それもまた青春。せめて、雫に見合うように、自分自身を磨いておきましょう。
そして、そういうキミに恋する女の子が現れたら、雫はスクリーン上だけということにしておいて、ちゃんと女の子の気持ちに応えてあげましょう(笑) 。


もし英語版のビデオがありましたら是非教えてください。


英語版の「耳をすませば」は、現時点では発売されていません。1997年の夏以降、アメリカ市場などでディズニーがジブリ作品のビデオを順次発売していく予定と聞きますので、今後のニュースに注目いたしましょう。


カントリーロードの原曲を収録しているCDがどうしても見つかりません。
誰のCDを探せばいいのでしょうか?



「耳をすませば」冒頭で流れた曲は、オリビア・ニュートン・ジョンが歌った「カントリーロード」です。これが収録されているのは、東芝EMIから出ている「SUPER BESTオリビア・ニュートン・ジョン」というCDで、税抜き価格は2,718円となっています。(東芝EMI TOCP-9152)
大きめのレコード店に行けば、'70年代ポップスのコーナーなどで見つけられると思います。


「耳をすませば」の原作コミックには番外編があるように聞きましたが、それはどのような内容なのでしょうか。


それは『耳をすませば 幸せな時間』といいます。『耳をすませば』原作の連載は1989年でしたが、『幸せな時間』の方は映画が公開された1995年に掲載された短編です。
『幸せな時間』は、特にバロンの役割にスポットが当たっています。
映画のバロンはストーリーの骨格たり得ず、物語の小道具に甘んじた、雫にとっての"幸せな時間"に奉仕する役回りにとどまっていました。
一方、『幸せな時間』でのバロンは、雫が"幸せな時間"に埋没したままにならないよう、強い意志を持って呼びかける存在になっています。
バロンは言いました。「思い出すんだ。"幸せな時間"の中に身を委ねていると、よほど強い意志を持たない限り、心の内側に捕らわれてしまうんだ」 と。
柊女史は『幸せな時間』の中で、映画での雫が自らの成長とともに失ってしまったかもしれない"幸せな時間"に遊ぶ原作の雰囲気を残しつつ、映画のそれを越える成長をも両立させた雫像をバロンに投影して描いたのではないかと想像しています。
『耳をすませば』 集英社 1990 ISBN4-08-853515-4
『耳をすませば 幸せな時間』 集英社 1996 ISBN4-08-853841-2


 
映画では「耳をすませば」の前にショートストーリーの作品がありました。娘がまた是非みたいと希望していますが二度と見ることはできないのでしょうか?


その作品は「ON YOUR MARK」といい、CHAGE&ASKAのプロモーション・フィルムとして制作された6分48秒の短編です。CHAGE&ASKAの1995年のツアー「スーパーベスト3」で紹介されたほか、「耳をすませば」公開時に同時上映されました。
アーティスト本人をアニメーション化してのプロモーションビデオは、現在でこそ盛んに制作されていますが、「ON YOUR MARK」が作られた当時は冒険的とされていました。
これが上映された時も、「実験」アニメーションと銘打たれていたほどです。ですが、その仕上がりは、ビートルズのアニメ映画「イエロー・サブマリン」に匹敵するともいわれています。
「ON YOUR MARK」は、限定発売された"スタジオジブリLD全集"にしか収録されておらず、「幻のビデオ」といわれていました。しかし、発売を期待する多くの要望もあって、1997年7月25日、ついに発売されることになりました。同ビデオには、CHAGE&ASKAのハリウッド進出第1弾となった「ストリート・ファイター2」のエンディング曲「サムシング・ゼア」も収録されます。
ただし、価格ほかの詳細は、現在のところ未定です。






ホームへ戻る home