描き込みが詳細な「耳をすませば」にも、特に設定されていない部分がいくつかあります。
それらの部分について、作品世界を補足しうるために妥当と思われる仮説を展開したところがあります。
天沢聖司の父親は何の職業に就いているのか、特に突っ込んだ設定はなされていません。しかし、原作では開業医として描かれていますし、映画でも職員室で先生が「あの天沢医院の〜。」と言うシーンがありましたので、聖司の父親は開業医をしていると判断して差し支えないと思います。
聖司の父親は、聖司が話すセリフの中でたびたび登場します。しかし、父親自らが喋るシーンはありませんし、その姿も描かれたか描かれなかったか分からないような扱いをされていました(*注*)。
(*注* 二学期に入った昼休み、月島雫が渡り廊下で「ヤなやつ」こと聖司とすれ違いましたが、このとき一緒に歩いていた小髭の中年紳士が、聖司の父親ではないかとされています。この紳士が来客用のスリッパを履いていたこと、雫の紳士に対する挨拶は、普段から学校にいる先生向けの礼ではなかったことから推測され得るのですが、スタジオジブリ責任編集『スタジオジブリ作品関連資料集5』(徳間書店)にある「耳をすませば」キャラクター設定のキャラクター身長対比表で、髭の紳士=聖司の父親と解説されています。おそらくは、この頃から天沢家では、聖司のイタリア行きについて深刻な対立が引き起こされており、担任と話し合いのために父親が学校まで出向いたものだと思われます。)
聖司の祖父にあたる西司朗や、雫の父親である月島靖也の、あの作品世界を左右し得る強烈な存在感に比べると、その差は一層際だちます。なぜ、聖司の父親は登場しなかったのでしょうか。
結論から言うと、聖司の父親が抱いている一種屈折した感情が「耳をすませば」の世界観に合わなかったため、と言えそうです。
これを判断する材料を得るために、西司朗の経歴を考えてみましょう。
西司朗は、戦前にドイツに留学していた。
↓
これは、相当のエリートである。
↓
当時の情勢を考えると、職人の修行をするために留学出来たとは考えにくい。
↓
"戦前にドイツ"ということは、医学を修得するために留学したものと推定するのが妥当であろう。
↓
よって、西司朗の本業は医者であったとする仮説が成り立つ。
|
ついでに、聖司の母親についても考えてみましょう。
西司朗は、聖司の母方の祖父である。
↓
すなわち、聖司の母は西司朗の娘にあたる。
↓
聖司のイタリア行きについては、家中が反対していた。
↓
つまり、聖司の母も反対であった。
↓
しかし、聖司の母は、あの西司朗の娘である。
聖司が小さい頃から実家のバイオリン教室へ通わせていたほどである。
職人への理解がないわけがない。
↓
ということは、内心は聖司を応援したかったのかも知れない。
しかし、母親はオーナー院長の妻であるという立場から、反対せざるを得なかった。
|
以上を踏まえてみると、父親の立場もあぶり出されてきます。
聖司の父親は開業医である。「天沢医院」のオーナー院長としての立場がある。故に、聖司にも医者になってもらいたい。
↓
しかし、医者以外に取り柄のない医者にはなってほしくないと願っていた。
何せ、あの西司朗の娘を嫁にもらうくらいである。
おそらくは、自分に芸術的心得がないから、医者と職人を見事に両立させていた義父(西司朗)のような生き方をひそかに尊敬しているかもしれない。
故に、息子(聖司)が地球屋に入り浸るのを黙認していた。
↓
それは、息子が義父のような「職人としての心得もある医者」になることを望んでいたからに他ならないからである。
↓
ところが、息子は専業の職人になりたいと言い出した。
これは、父親にとって、驚天動地の出来事であった。
↓
しかし、先述の理由により、職人そのものに無理解なのではなかった。
「職人で生きてゆく」ということに反対なのであった。
↓
一般に、専業の職人は苦労が多く、収入も保証されない。
義父が地球屋のオーナーをやれるのも、本業たる医者を勤め上げたことで築いた財があるからだ。ここは、やはり義父のような、医者と職人を両立させる生き方を手本にして欲しいはずである。
↓
しかし、話し合いを進めるうちに、"両立"が手本ではないことがわかった。
自分のやりたいことに向かって、"まっすぐに挑戦する姿勢"こそが手本なのであった。
義父は両立を選び、息子は専業職人を選ぼうとしているに過ぎない。
その意味では、聖司は既に義父を手本にしていたことを悟った。
やりたいことにまっすぐ立ち向かっていく聖司の情熱に負けたのでしょう。結局、最後には父親が折れ、聖司のイタリア行きを認めます。父親は、自分の過去を思い出したのかもしれません。自分は、果たして真に望んで医者になったのだろうか…などと。
ただし、認めたとは言っても、イタリア行きに関して条件をつけてきました。まだまだ未練たっぷりなのか、割り切れない感情が残っていたのでしょう。やはり、医者になってもらいたいのだ、と。
聖司の父親も、反対ならば徹底的に反対を貫き通すならば、まだ少しは存在感を込めて描かれたかもしれません。しかし、映画「耳をすませば」の世界観は、いかに自分の感情を素直に表現するかがポイントの一つでありますから、このような屈折した感情は、とても描けたものではなかったのではないかと想像しています。故に、聖司の父親は、ほとんど登場の機会がなかったのだろうと思います。
まして、母親の考えが仮説の通りだとすれば、父親以上に存在感のなかった理由も、これで頷けようものです。
その正体をひとまとめにいうと、「飽くなき向上心の追求」になろうかと思います。
雫の母による"身に覚えの一つや二つ"は、雫は母親(月島朝子)によく似ているということに着目し、その行動パターンを追いかけていくことで、おおよその推測が可能です。
さて、雫と母親は多くの点で母親にそっくりです。ざっと表にしてみましょう。
|
その他、イヤホンをしながら勉強したり、やや強情なところも似ています。ですから、二人が似ているという仮説が成り立つと見て、ほぼ間違いないと思います。
|
これが成り立つとすると、母の過去は雫の現在から推測出来ます。同時に、雫の未来についても母の現在から予測することが出来ます。
さて、映画のストーリーを改めて見てみましょう。雫は聖司がイタリアへ行っている間に物語を書き上げようとします。それは、かなりの無理を伴い、成績も急降下したため、両親に問いただされました。けれども、雫は自分が何をしているのかについては答えず、どうしてもそれをやりたい決意だけを主張します。
その流れを整理すれば、以下のようになります。
雫は、自分の能力を試してみたいという衝動に駆られた。
↓
この衝動は、自分の進路は自分で決める、ということにもつながっていた。
↓
それは、「当たり前のように高校に進学する」ことが当然のように思われている中で、あえて人と違う道を歩むことになっても厭わない決意を含んでいた。(高校へ行かない聖司の影響による。)
↓
まずはじめに、物語を書くことで自分の能力を試そうとした。
↓
しかし、学校の成績が下がってしまい、両親に真意を質されることになった。
母は、頭をかきながら、
「うーん、私にも身に覚えの一つや二つはあるけど…。」
と言いました。母は、自分がかつて歩んできた道に似た道を、娘が再びたどっていることを目の当たりにしているような、複雑な気分がありありと表れていました。
母も、ある時期には激しい創作意欲をかき立てられ、机にかじりついて物語を書いていた時期があったに違いありません。 また、ある時期には興味を持った学問分野をとことん追究したいと思ったことでしょう。けれども、当時は「女は結婚して家庭に入る」ことが当然とされていた時代、学問を追究し続けることは何かと周囲との摩擦を生んだのではないでしょうか。
母の青春時代も整理すると、次のように雫のそれと似るのではなかろうかと推測されます。
若かりし頃の母・朝子は、自分の能力を試してみたいという衝動に駆られた。
↓
この衝動は、自分の進路は自分で決める、ということにもつながっていた。
↓
それは、「女は結婚して家庭に入る」ことが当然とされていた時代において、あえて人と異なる道を歩むことになっても厭わない決意を含んでいた。
↓
その具体的な道は、結婚よりも大学、大学院に進んで自分の興味を持った学問を追究することであった。
↓
しかし、それは当時の社会情勢からみて一般的ではなかった。従って周囲との摩擦を引き起こした。「女が学問をして何になる。」(女子大生亡国論が話題になった時期でもあった。)
母は、それでも、ある程度は自分のやりたいことをさせてもらえたようなので、娘にも変な制限はさせたくなかったのでしょう。それは父・靖也もよく理解していました。結局、最終的に、両親は娘の自主性に任せることにしたわけです。娘も、向上心をもって自分の道を選び取ろうとしていたのですから。
一貫した「飽くなき向上心の追求」という文脈で、母は娘が何をやろうとしているのかを理解しました。母による、"身に覚え"の正体は、雫の姿勢の中に受け継がれていたのです。
母のうなずきが語る、雫の将来
さて、物語を書き終えた雫は、母に「とりあえず受験生に戻る」ことを宣言します。それを聞いた母は、「とりあえず、か」と呟きながら、うんうんとうなずいて見せました。それは、まさに"身に覚えの一つや二つ"となる、自分の歩んできた道を、娘の言葉の中に見い出したかのような仕草でした。
母は、大学院はとこかく、大学までは行かせてもらえたようです。一応、進学を許してもらえた手前、卒業後は「とりあえず、世間並みに結婚します。」といった具合に宣言したのではないかと思います。しかし、最初は「とりあえず結婚」するつもりだったものの、靖也との出会いによって、より積極的な意味での結婚の価値を見い出していきます。けれども、やはり大学院には進みたかったので、子供が大きくなった40代にして大学院への進学を決意し、所期の志を果たしたという感じでしょうか。
ですから、母は、娘がかつての自分と同じ道を歩もうとしているのを見て苦笑したのだと思います。ああ、雫も私と同じ道を歩んでいる、と。「とりあえず」では済まないであろうことも予想して。
「雫は、とりあえず、世間並みに受験生に戻る、と言った。けれども、素敵なボーイフレンドと出会ったりして、より積極的な意味での進学の価値を見い出すだろう。そして、しかるべき時期には、再び自分のやりたいことを目指しはじめるだろう…。」
「飽くなき向上心の追求」は、将来の雫にどのような目標を見い出させるのでしょうか。
母は大学院で何を学んでいるのか
ついでに、母が大学院で何を研究しているのかについて想像してみたいと思います。私は、ずばり「都市社会学」だと読んでいます。これなら、「耳をすませば」の世界観にとっても、最もマッチングするテーマだと思います。
母は、高度経済成長期から現在に至る、都市の変貌をずっと見てきました。その変化に驚くとともに、急速に進んでしまった都市化に起因する問題を鋭く見つめようと思ったのでしょうか。戦後日本の都市化はどのような理論体系で説明できるのか、ニュータウンで生まれる都市型コミュニティーはどのような問題点を抱えているのか、現在の都市に求められる施策は何かなど。
母の資料整理には、汐姉さんも大わらわになって協力していました。おそらくは雫も手伝わされたに違いありません。本人はいやいやながら手伝っていたでしょうが、無意識のうちに研究テーマの影響を受けていたかもしれません。それが心の中に残っていたからこそ、あの風刺に満ちた「コンクリートロード」の歌詞が生まれた…なんて想像するだけでも楽しいではありませんか。
もっとも、雫が自らの編み出した歌詞の意味を理解するのは遠い先のことになるでしょうが…。
結論だけひとことで書くと、質素な学生時代だったと思います。
質素だけれども心は豊か、希望を持って毎日を送っている、そんな青春だったと思います。
しかし、必ずしも明確な目標や進路が描ききれていた訳ではなく、順調な道のりを歩んでいた訳でもなく、迷い・挫折・試行錯誤の連続だったのでは…とも推測されます。
現在における父・靖也の振る舞いは非常に穏やかで、現在の姿から過去を想像することは困難です。そこで、長女・汐の性格から、靖也の面影を偲ぶことにいたしましょう。
汐の性格は、端的に言って、とても活発です。ヒッチハイクで新潟県から家まで戻ってくる行動力、家事をサクサクこなしていく実行力、うっとおしいくらいまでの(妹への)面倒見のよさ…。これらは、母・朝子や次女・雫のどちらにも見られません。汐の性格は、やはり靖也から引き継がれたものであろうと考えてよいと思います。
|
これが成り立つとすると、父の過去は汐の現在から推測出来ます。同時に、汐の未来についても父の現在から予測することが出来ます。
ここで、汐の性格から、父の過去を推定してみました。
|
多分、靖也の若い頃は、相当に活発で行動的であったと思います。しかし、活発さゆえに、進路を一つに絞り込むことが出来なかった可能性が高いです。故に、郷土史家と図書館勤めをのどちらが本業でどちらが趣味か分からないような状態を引きずっているのでしょう。
家庭を持ってからも、率先して家中を取り仕切るバイタリティは健在だったと思います。でも、円熟してゆく男性の例に漏れず、父も年齢を重ねていくうちに穏やかになっていきます。ここで、父が穏やかになった代わりに、娘(汐)に受け継がれていた活動的な性格が表に出てきたと考えてみてはどうでしょうか。その結果、汐が家庭内を取り仕切る役割を果たすようになったと考えれば、何故汐だけがあの家庭で活動的なのかをうまく説明することが出来ると思います。
|
悩み、苦しみ、そして数々の試行錯誤を乗り越えてきた青春時代を送ったからこそ、あの出来過ぎる位の物わかりの良さを見せる良き父親になったのでしょう。また、早々に子離れを宣言し、娘のやることにとやかく口を出さなくなったのも、娘(汐)が充分に成長し、もはや自分が家庭を取り仕切る必要がなくなったことを悟ったからなのかもしれません。
父の現在から見る、汐の将来
ここで、ついでに汐が将来どのような人生を歩んでいくのかを想像してることにします。
汐は、大学に通いながら進路を見定めていこうとしています。でも、それはなかなか一筋縄にはいかず、長いこと悩み続けるのではないかと思います。
そして、結局のところ、明確な進路を定めることが出来ず、本業を持ちながら、それとは異なる自分のやりたいことを見つけていくようになるでしょう。ちょうど、父が図書館勤めで生活費を稼いでいながら、郷土史家を本業としているように…。
さて、靖也は、大学卒業後間もない朝子と結婚しています。多分、学生時代からのつきあいだったのではないかと想像されます。ということは、朝子は自分の進路について悩み、苦しんでいる靖也と知っているわけで、あれこれと相談に乗っていたのではないでしょうか。そして、経済的な苦労を厭わず、すべて承知で靖也と結婚したのですから、靖也は、本当に素晴らしいパートナーに恵まれたものです。
ここで、汐ならば、一生独身を通してもやっていけそうに見えます。が、汐も靖也の特質を受け継いでいるのであれば、やはりパートナーがあってこそ汐らしさが引き立つというものです。ですから、本当の意味での汐の青春は、汐のアパートを訪れてくれるボーイフレンドの出現によって始まるものと思います。そして、様々な議論や相談を通じて、明確な将来像をつかみ取っていくことでしょう。
参照:月島家の出生年について
以下の表は、戦後に日本の出生数の推移をグラフにしたものです。
敗戦後まもなくベビーブームが起こり、いわゆる「団塊の世代」が誕生しました。そして、この世代の子供が「団塊2世」として第2ベビーブームの主役となりました。
靖也と汐は、ともにベビーブームの生まれであるのに対し、朝子と雫は、ベビーブームが去って出生数が急速に降下していった時期に生まれました。。つまり、靖也と汐は同輩が多いのに対し、朝子と雫は先輩が多く後輩が少ない微妙な世代に位置しています。
これで直ちに世代と性格の関係を論じられる訳ではありませんが、月島家においてそれぞれが果たしている役割を考えたとき、出生年が性格にどのような影響を及ぼし得たかについて留意しておくのも一興でしょう。