聖司は、内気な少年であった。
雫ちゃんが気になっても、話しかけることが出来ない少年であった。
図書カードに名前を書いたり、図書館ですれ違ったり隣の席に座ったりしても、話しかけることの出来ない少年であった…。
また、聖司は、自分の気持ちを素直に表わせない少年でもあった。
夏休みの学校で、偶然雫と話の出来る機会に巡りあわせても、つれない仕草をしてしまう少年であった。
雫の忘れた弁当を届けるという絶好のシチュエーションに恵まれても、からかうことでしか愛情を表現できない少年であった…。
それは、屈折した愛情表現。臆病さの裏返し。
キミの告白によれば、はじめて雫ちゃんと話すずっと以前から、彼女のことを思い続けていたんだね。
好きなんだけれども、大好きなんだけれども、つれなく振る舞ってしまう矛盾…。
正直に好きだと言えない気持ち。ほろ苦い思い青春の特権。
キミは、何度眠れぬ夜を過ごしたことだろう。
しかし、本当に雫ちゃんの心をとらえたくば、いつまでもこのままじゃあいけない。
勇気を出して自分の気持ちを伝えなければいけないんだよ。
状 態
聖司のホンネ(推定)
実際の行動
夕方。
雫、地球屋の前でムーンと一緒に座っている。
あーいい夕日だぜ。こんないい夕日は、雫ちゃんと一緒に眺めてえな。
「あの夕日は魅力的だ。でもキミの魅力にはかなわない。」
なんちってね。
聖司、自転車に乗って地球屋に向かっていた。
聖司、地球屋の前に座った雫を見かける。
しばし凍結。
およ。雫ちゃんがいてる。
ちょっと待ってんか。来るの早すぎるで。
確かに来てほしいとは思っとったけれど。
オレ、まだ心の準備が出来てへん。どうしよう。何て話しかけようか。
オレとしたことが、心臓がドキドキだぜ。おろおろ。
…今日のところはパスしようかな。
いやいや、これって待ちに待っていたシチュエーションやないか。このチャンスを逃してどうするんだ。「カントリーロード」の練習は終わっているし、作りかけのバイオリンもある。そうさ、いよいよ雫ちゃんにオレのバイオリンを聴かせる時が来たのだ。
今こそ「雫ちゃんをバイオリンでメロメロ大作戦」のスタートだ。聖司レッツゴー!!
聖司
「へぇー。月島かぁー。」
雫
「あっ。」
オレこういうスタンドプレー苦手なんだよな。次は何をしゃべろうか。話題、話題。
そやそや、ちょうどええところにムーンがおったやないか。ここはとりあえず猫の話題でもして、話をもたせるとするか。
それにしても、あのムーンがよく雫ちゃんには触らせたな。オレにはなかなか触らせてくれへんかったくせに。やっぱムーンも女の子がええんかいな。結構やらしい猫やで。
聖司
「よくムーンが触らせたな。おいムーン、寄ってかないのか。」
ムーン
「けっ、おんどれらにはつきあっとれんわ。」
ムーン去る。
雫
「あの猫、ムーンっていうの?」
おっ、雫ちゃんも猫の話題に乗って来たな。
雫ちゃんも、猫が好きみたいやな。
聖司
「ああ、満月みたいだろ。だからムーンって俺は呼んでいるけどね。」
雫
「ムーンはきみんちの猫じゃないの?」
のら猫に決まっとるやないけ。こんな可愛げのない猫を飼う物好きがどこにおるか。
でも、雫ちゃんがムーンのことを聞いてくるとは、ひょっとしてムーンが気に入ったのかもしれん。本当にうちの飼い猫やったらよかったのにな。
聖司
「あいつを引き留めるのは無理だよ。
よその家でお玉って呼ばれているのを見たことあるんだ。
他にもきっと名前があるよ。」
雫
「ふーん、渡り歩いてるんだ。
…そーか、ムーンは電車で通勤しているのね。」
ん? 突然何を言い出すねん。
雫ちゃん、ムーンを前から知っとるんかいな。
聖司
「電車?」
雫
(聖司の方にせりだして)
「そうなの、ひとりで電車乗ってたの。それであとをつけたら、ここへ来てしまったの。
そしたら素敵なお店があるでしょ。物語の中みたいでドキドキしちゃった。」
う。
何と答えたらええのか分からへん。
まさか、雫ちゃんがこないに話す娘やったなんて。ホント予想外。 でも、オレ、よく喋る雫ちゃんも好きだぜ。
しかし、雫ちゃんは既にムーンと出会っていたとは。
ムーンも電車に乗るなんて、なかなかやりよるな。それで雫ちゃんはムーンを追いかけるうちに地球屋を見つけたって訳か。何たる偶然。すげえ。
聖司
(思わずのけぞって凍結。)
「…………。」
雫
「悪いこと言っちゃったな。ムーンに、おまえ可愛くない、って言っちゃった。あたしそっくりだって。」
ムーンがお前と?全然似てないよ。
聖司
「ムーンがお前と?全然似てないよ。」
聖司、一瞬凍結。
しまった、考えたことそのまま喋ってしもた。
これって、「キミはかわいいよ。」って言ったのと同じやないけ。うわあ、照れてまう。何とかうまいフォローを考えんと。
あ、何か顔が真っ赤になってきた。一体どうしたんだ聖司。
聖司
(頭をかきながら)
「あいつは、…もう半分化け猫だよ。」
しばしの沈黙。
聖司、顔を赤らめて頭をかきながらムーンの去った方を見る。
雫も顔を赤くして、ムーンの去った方を見る。
うっ、この沈黙には困った。早く次の話題に移らねば。
何だか、雫ちゃんの前だと調子乱されっぱなしだぜ。
雫ちゃん、オレの気持ちを察してくれ。
是非、キミを地球屋に案内したいんだ。そして、オレのバイオリンを聴いてほしいんだ。キミの作詞した「カントリーロード」を弾くから、出来ればオレのバイオリンに合わせて歌ってほしいんだ…。
ああ、この気持ちをキミに伝えたい。伝えたいんだ。
勇気をふりしぼって雫ちゃんに言うんだ、聖司。
聖司
「お前…。」
雫
「あのっ…。」
同時に言い出して二人、凍結。
しばしの沈黙のあと
雫
「おじいさん元気?ずうっとお店お休みだから元気かなって…。」
ええぞ雫ちゃん、じいさんの話題があったやないか。
おかげさんで、じいさんはピンピンしてるよ。
聖司
「ピンピンしてるよ。この店、変な店だから、開いている方が少ないんだ。」
雫
「そうなの。よかった。窓からのぞいたら、男爵が見えないから、売れちゃったのかなって…。」
おっ、雫ちゃん、あの猫の人形を知っとったとは。
そうだ、あの猫を見せることにすれば、実に自然な形で地球屋の中に案内出来るやないか。何たる幸運。
さあ、そうと決まればとっとと誘導しよう。雫ちゃん、ちゃんとついてきてくれよ。
聖司
「ああ、あの猫の人形か。
見る?来いよ。」
聖司、勝手口のドアを開ける。
雫、後をついていく。
やたっ、雫ちゃん、オレについてきてくれた。うれしー。
まさか、こんなにうまくいくなんて、まるで物語の中みたいでドキドキしちゃう。
おっと。オレも何だか今日はメルヘンチック。
聖司
「ドア締めて。」
雫、地球屋のすきまから街を見る。
「空に浮いているみたい。」
やたっ、やたっ、ついに雫ちゃんを地球屋の中へ誘導したぞ。どれだけこの日を待ちこがれたことか。
こうなったらもうこっちのもんだ。
おーい雫ちゃん、早くおりておいで。
聖司
「高所恐怖症?」
雫
「ううん、高いところ、好き。素敵。」
雫ちゃんが高所恐怖症じゃなくて良かった。
この景色は是非キミに見せたかったんだ。
今は夕陽に照らされた街が一番きれいな時間なのよ。
でも、景色よりオレのことをもっと知って欲しいんだ。
さあ来なはれや、雫ちゃん。
聖司
「この瞬間がが一番きれいに見えるんだよ。
こっち。」
実際に雫ちゃんと話が出来るようになると、ずいぶんおっかなびっくりだったね、聖司君。
あのつれなかった態度は、一体どこへ行ってしまったんだ。
ともあれ、雫ちゃんを地球屋に案内出来て、おめでとう。
でも、もし雫ちゃんがあそこで男爵の話を持ち出さなかったら、キミはどういう口実で彼女を地球屋に招き入れるつもりだったんだい?