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聖蹟桜ヶ丘駅周辺 1996年撮影
撮影地点は、丘の上というよりは山の頂ともいうべき高台で、はるか遠くまで 見渡すことが出来ます。 この場所は、ここから望める景観とともにあまりに有名になってしまったので 、聖蹟桜ヶ丘を訪れるジブリファンが一度は目指す"聖地"みたいな場所になってし まいました(笑)。 他に開設されている「耳をすませば」ホームページも、ここの風景写真をこぞ って掲載していたりします。 |
「耳をすませば」は、1995年7月の公開で、物語は1994年の夏から秋にかけ
て進行したことになっています。けれども、物語の背景は、それよりも数年前の
風景をモデルにしているようです。
まず、聖跡桜ヶ丘駅周辺。これは、監督自身が認めているように、今の風景
はビルが建ちすぎたということで、わざと10年前の風景が描かれました。実際の
風景は、写真にあるように確かに過密化しています。
また、現在の図書館では蔵書のバーコード化がほとんど完了しているのに、
物語ではこれからバーコード化で大騒ぎというのは、やや遅れ過ぎの感がありま
す。
鉄道のモデルとなった京王帝都電鉄も、やはり数年前の状況をなぞっていま
す。今ではほとんどの駅で自動改札化が完了しているのに、物語では向原駅が有
人改札のままでした。雫ちゃんの乗った形式の車両は既に引退し、現在本線を走
ることはありません。この設定だけを見れば、映画はもっと早い時期、1990年初
頭にかけて公開されていてもおかしくはなかったと言えます。
京王電鉄の旧型車両
モデルとなった形式の車両は、既に本線上からは引退し、高幡不動〜多摩動物 公園間の支線を細々と走っています。まもなく、この支線上からも姿を消す運命 にあります。 |
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1989年に連載された原作が、ジブリ内ではじめて映画化のための企画検討会
議に取り上げられたのは93年の秋、公開されたのは95年の夏でした。このスケジ
ュールは結果的に見て、作品のために幸運だったと思います。もし、早々に映画
化されていたら、きっと映画の内容も大きく変わっていたことでしょう。
原作が連載された当時は、いうまでもなくバブル時代の全盛期で、土地・株
式・絵画のように、何ら生産することなく財産を殖やすことがトレンドでした。
また、何でも華やかさがもてはやされ、地道に努力することが暗いとか、ダサイ
とされる風潮さえはびこっていました。
若い世代もまた、この狂騒から無縁ではありませんでした。「耳をすませば
」に出てくる、モノを作ること、職人賛美、地道な努力といったキーワードが受
け入れられるには、やはりバブルが過ぎ去るまで待たねばならなかったように思
います。
「耳をすませば」は、まさにポストバブルの時代に出るべくして出た作品だ
ということが出来ます。バブル以前の都市景観・社会情勢をあえて用いた理由は
、バブル時代の反省を込め、地に足つけた原点に戻ろうとしたからではないかと
想像しています。
多摩丘陵の景観
その景観は常に変化しています。しかし、ほんの数年の差でも変化を変化とし て感じられる世代の幅は、案外限られているのでは? いろは坂の最上部から南東方向を撮影しました。 |
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「耳をすませば」は、確かに「若い世代」に向けられた作品です。しかし、
最もインパクトを受けたのは、リアルタイムの若い世代よりも少し上の世代、つ
まり雫ちゃんや聖司君と同世代=現在の中学生(バブル当時はまだ子供だった)
よりも上の世代ではないかと感じています。
現在の中学生は、都市景観の変化を時代の流れと認識するには経験が浅いで
すし、バーコードに至っては、生まれつきそこにあったようなものでしょう。何
でも大昔と比較するおじさん世代に至っては、今更ビルが増えても、通勤車両の
代替わりも慣れたものですし、図書館のバーコードも多分身近な問題として実感
する機会はないでしょう。
やはり、ほんの数年の経過にも時代の変化として感じる世代が、青春期を送
った風景の変化を今まさに実感したばかりの世代こそが、最も敏感にこの映画の
背景を読みとるのではないでしょうか。
世間のバブルに浮かされたまま、いつの間にか時代が変わってしまい、自分
がどういう位置にいるのか分からなくなってしまった。しかし、ピュアな感受性
の少しは残っている。ここで、「耳をすませば」の中には、ほんの数年前だが現
在では見ることのかなわない風景があり、時代に踊らされたり流されたりしない
主人公がいる。もし、自分の青春時代がバブルの真っ盛りではなく、当時の風景
の中で、このような生き方が生き方が出来たならば…。
宮崎駿氏の意図がどのようなものであったかはともかく、「耳をすませば」
はバブル時代に青春時代を送ってしまった世代の、こうあって欲しかったと思う
、ささやかな追憶を呼び覚ます作品ではなかったかと、私は思うのです。
作成中です。
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多摩ニュータウン 東寺方団地
緑が多く残り、静かな環境の街です。撮影地点では、鎖につながれた犬が昼寝 をしていました。 |
団地の風景
映画のラストシーンで登場した町並みは、このあたりの風景がとてもよく似て います。 バス停が近いですから交通の便は悪くないようですが、最寄りの駅まで歩こう と思ったら大変です。雫ちゃんえらい。 |
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給水塔の見える景観
このあたり一帯は坂道が多く、自転車で移動するにははなかなか根性が必要で す。 重い買い物袋を提げて歩くのも、かなりの労力になろうかと推察されます。 |
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聖蹟桜ヶ丘駅 いわずと知れた、映画の舞台となったモデル駅。特急列車が停車します。駅ビ ルには京王百貨店が入居しています。 映画では背景として度々登場したものの、ここで買い物をする風景はついに登 場しなかった(させなかった)のには、どのような意味があるのでしょうか…。 |
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コンビニエンス・ストア
(ファミリーマート聖蹟桜ヶ丘店) この店は、駅から団地に続く道の中間に位置しています。まぁ、どこにでもあ るありふれたコンビニの一つです。 |
おなじみ、金比羅宮
聖蹟桜ヶ丘からいろは坂を上ったあたりにあります。ある資料によれば、この 金毘羅宮は江戸時代の建立で、いろは坂とその周囲の松の樹も当時からすでに存 在していたそうです。また、丘の上には関戸駿河守某という大名の居城があった とのことで、劇中に出てきた「天守の丘」の由来はおそらくそこからきているも のと思われます。 ここ数十年の間、付近の景観は劇的に変化しましたが、金比羅宮はその変化を じっと見続けてきたのでしょう。小さいながらも落ち着いたたたたずまいを見せ てくれます。 (写真の建物は、建立当時ものかどうかはわかりません。悪しからず。) |
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都市の風景は、日々変わっていく
多摩都市モノレールの建設現場です。撮影地点は、聖蹟桜ヶ丘と高幡不動の中 間点くらいです。 団地は日本の都市景観を変えましたが、その団地の屋上をかすめて高架線が延 びていく、更なる変化を象徴的するような光景だと思います。 |
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多摩川より、聖蹟桜ヶ丘方面を望む
鉄橋は京王線、駅は向かって左側に位置します。奥は多摩丘陵です。多摩ニュ ータウンはさらに、その先になります。 どんなに流域の景観が変わっても、開発が進んでも、多摩川の水は変わること なくそこを流れ続けるでありましょう。 |
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