目下作成中です。週1回のペースで追加していくことを目標にしています。
「耳をすませば」では、雫ちゃんは何回か涙を見せてくれます。
最初は、物語を読んでいる時。雫ちゃんは、もともと物語を読むのが大好き でしたから、感受性が豊かで、すぐに本の世界へ没頭して読みふけってしまう子 だったのでしょう、映画でもそういうシーンが出てきます。おそらくは、日頃か ら分担されているであろう家事をほったらかしてスナック菓子つまみながら読ん でいました。よほど感情移入していたのか、目には涙さえ浮かべていましたが、 突然帰宅した姉のうるさい小言攻撃に、そんな感傷はどこかにケシ飛んでしまい ました。
つまり、最初に流した涙は、その程度の意味でした。換言すれば、典型的な モラトリアム少女の姿を体現しているかのような涙でした。
次に目を潤ませたのは、神社で杉村君に突然の告白を受けて、うろたえ動揺 した時です。物語をたくさん読んでいても、夕子ちゃんの恋愛の相談に乗ってい ても、自らがこのような事態に直面しようとは、全く想定していなかったのでし ょう。涙を流すほどではなかったものの、その衝撃は物語を読んだときのそれと は比較にならない位強かったに違いありません。モラトリアム少女は、大いに揺 さぶられます。
雫ちゃんは、帰宅すると机の上に置いてあった物語の本をはじき飛ばすよう にして突っ伏しました。「にぶいのは自分じゃないか。」今にして思えば、かな り象徴的なシーンです。リードオンリーの物語大好き少女から決別し、自らが( 恋愛物語の世界に)関わる領域へと踏み込んでゆくのです。
この伏線がなければ、後での屋上における彼女の劇的な精神的成長はあり得 なかったでありましょう。
次はストーリーのヤマ場、学校の屋上で聖司の決意を聞き、告白をうけ、そ して我に返った時ににじませた涙です。読書中など、自分の世界に引きこもって 流すそれとは違い、自分のこと以外は配慮する余裕のない位にうろたえている時 とも違い、ここでは他者の存在、とりわけ異性の存在を特に意識しています。
聖司君が「おまえのあの歌を歌ってがんばるからな。」と言ったとき、雫ち ゃんは思わず「私もがんばる。」と応えました。しかし、既に目標を定め、それ に向かって進んでゆく聖司君と比べ、ただ何となく毎日を過ごしているだけの自 分にも気付きます。これだけなら、既に前日の晩、地球屋の帰りに聖司君から聞 いてはいたものの、「実は、自分は以前から雫に気がついていて、図書館で隣に 座ったこともあったし、図書カードに先に名前を書くためにたくさん本を読んで きた〜」という言葉が付け加えられるに至り、ついに雫ちゃんの心の本丸が落城 します。
聖司君はずっと好意を寄せてくれていたのに、気付きかけもしなかった自分 。今まで同じ本を読んでいながら、進路や目標について聖司君とあまりにも落差 のありすぎる自分。イタリアへ行く聖司君を励ましたいのに、(自分よりがんば っている聖司君に)「がんばれ」とは言えない自分…。彼女の心中は、いかばか りなものだったでしょう。もし、このまま誰にも邪魔されなかったとしたら、彼 女はその場で泣き出してしまったかも知れません。いや、おそらくは聖司君に自 分の涙を見せまいと、駆け出してしまったことでしょう。
ここで、屋上まで上がってきたクラスメイトに、絶妙としか言いようのない タイミングで冷やかされましたから、思わず「こらーっ」とどなって追いかけま した。しかし、それは照れ隠しのために追いかけたというよりは、むしろ聖司君 の前から離れる口実だったといった方が適切ではないかと、私はひそかに思って います。雫ちゃんは、屋上の扉の中に入ったところで立ち止まり、大粒の涙を浮 かべました。多分、うしろでニヤニヤしている絹ちゃん達にも気付いていたこと でしょう。でも、雫ちゃんにとっては、絹ちゃんの前で照れてみせることよりも 、聖司君の前で見せたくなかった涙を流す事の方が大事だったのです。
この映画の中で、雫ちゃんが一番成長したところはどこかと問われれば、私 は迷わずここのシーンを挙げるでしょう。ただ物語を読むだけの少女から、恋愛 の何たるかもろくに知らなかったモラトリアム少女から、この屋上のわずか数分 間の間に、好きな異性を意識し、好きな異性の目標を意識し、自らのあまりにも ありきたりな姿を本当の意味で思い知るという劇的な変化がここで起こったから です。おそらくは、彼女の長い人生の中でも、これほどの変化を他に見出すこと は難しいのではないかとさえ思います。
ここに、無目的なモラトリアムに満たされたストーリーの前半は終わりを告 げ、試行錯誤しながら新たなアイデンティティ確立を目指そうとする後半へ突入 していきます。私は、屋上での雫ちゃんの涙はその転換点を象徴するものとして 受け止めております。(ちなみに、よく前半の見せどころと言われる、即興でカ ントリーロードを歌う例の地球屋でのシーンですが、アニメーション制作に関す る技術的な視点はともかく、純粋にストーリーの流れから見た場合、さしたる意 味はありません。)
そして、最後に見せてくれた涙は、地球屋でじいさんに自作の物語を読んで もらった後のシーン。ひたすら聖司君の背中を追いかけようとしてきて、物語と いう形を作り上げます。ここで、再び自分自身に戻って来て、現状を直視し、自 らの持つ可能性を見つめ直します。物語を書くという目標は達成したものの、さ らに大きな目標について実感を持って認識し、その目標に向かってさらに努力し ていこうとする、決意の涙であるともいえます。
なかなか感動的ではありますが、ここに出てくる要素は、実はみんな既に出 尽くしてしまっています。意地悪な表現をすれば、観客にサービスする「お約束 の涙」に近いものです。しかし、雫ちゃんがあまりにも純真で、あまりにも素直 ですから、作為的な匂いは全然感じられず、そのあたりの演出は見事としか言い ようがありません。
私たちは、狂騒に満ちたバブル景気に翻弄され、続く不景気の荒波にもまれ るうちに、いつしか純真さを忘れかけ、涙を流すことの大切さを忘れかけてはい ないでしょうか。雫ちゃんの涙が語りかけてくる意味は、私たちにとって決して 小さくないと確信しております。
杉村君は、かなり以前から、雫ちゃんに好意を寄せていました。グラウンド から目ざとく雫ちゃんの姿を見つけだし、用もないのにカバンをとってもらおう としたり、テストの後で「ヤマが当たったぜぃ」みたいなことをわざわざ言った りして、機会あらば彼女の気を引こうとしました。原作では、雫ちゃんに残暑見 舞いのはがきを出したりしています。けれども、当時の雫ちゃんは物語を読むこ としか関心がありませんでしたから、彼の懸命のアタックは、まるで効果が上が りませんでした。
野球部の友達から頼まれて夕子ちゃんの返事を迫り、彼女に泣かれてしまっ た時も、それを雫ちゃんに相談したのは、夕子ちゃんと雫ちゃんが親友同士であ ることを知っていたからとはいえ、少しでも雫ちゃんと話をするきっかけが欲し かったであろうことは容易に想像できます。この相談を持ちかける時、校内では なく放課後の帰り道に、追いかけるように声をかけるシチュエーションをとった のも、何とかして二人っきりで話す時間と場所を求める気持ちがあらわれたので しょう。
しかし、彼は鈍感な男で、しかも夕子ちゃんが自分を好きだったという予想 外の事態に対処する術も心得ていませんでしたので、彼は大層面食らいました。 彼自身、思いがけない形で雫ちゃんに自分の気持ちを告白してしまいます。けれ ども、雫ちゃんは今まで恋愛経験などなかったと思われますし、まさか杉村君か ら告白されようとは想像の範囲外にあったでしょうから、彼女を大いにうろたえ させただけで、そのあげく断られてしまいました。
杉村君は、本当に彼女が好きならば、もっと彼女の性格を研究するべきでし た。そうすれば、彼女が物語以外のこと、具体的には彼女自身が恋愛の主役にな るということにまだ関心がないことを知ったでしょう。そうでないと、ボーイフ レンドに立候補したところで、うまくいかないのは当たり前です。
ところで、実のところ、聖司君も既に雫ちゃんに心を寄せていました。雫ち ゃんに気付いてもらうため、図書カードにたくさん名前を書いたり、図書館でと なりの席に座ったりといった行動にでていました。しかし、杉村君の積極的なア タックでさえ効かなかったのですから、聖司君程度のやり方で彼女を振り向かせ ることなどは到底無理な話で、自らの存在を彼女に気付かせることすら出来ませ んでした。さらに、聖司君が雫ちゃんと初めて会話をすることが実現した時でも 、彼は何を考えたのか「コンクリートロードはやめた方がいいぜ。」などとから かったりして、マイナスの印象さえ与えてよしとしていました。
聖司君は、杉村君と比べて、はるかに消極的で自信のない少年でした。本当 は雫ちゃんに気があるのに、わざとからかったり無視したり。それもまた、愛情 表現の一種なのかもしれませんが…。杉村君とはずいぶんな違いです。雫ちゃん が地球屋を訪ねてきた帰りの別れ際、聖司君は「コンクリートロードの方もなか なかいいよ。」と言いました。彼はこのような言葉でさえも、最大限の勇気をふ りしぼって言ったのではないかと思います。まだ、雫ちゃんの気持ちを測りかね ていたのでしょう。彼にとってはその時点で精一杯の告白だったはずです。それ は半分だけ通じたようでした。「ヤなやつ」という彼女の聖司君に対するイメー ジは、何とかプラスに転じさせることに成功したわけです。
続く屋上のシーンでも、聖司君は慎重でした。雫ちゃんが「私は聖司君と同 じ高校に行けたらいいな、なんて、てんでレベルが低くていやになっちゃうね。 」と言うまでは、彼は雫ちゃんの自分に対する好意を確信することが出来ません でした。それを確信して初めて、自分が以前から雫ちゃんに気付いていたことを 言えた位でしたし。その後、彼は雫ちゃんに事実上の告白をしますが、ストレー トには好きだと言わずに「おまえのあの歌を歌って頑張るからな。」と、どこま でも言葉を濁していました。
ところが、この言葉で、二人の気持ちは充分通じ合ってしまったのです。
あんなに懸命だった杉村君にもまるで気付かなかった雫ちゃんが、このよう な遠回しの表現を事実上の告白だと悟るなんて、驚くべき進歩だと思いませんか ?
その変化の影には、皮肉にも杉村君の行動がありました。神社での杉村君の 告白は、物語以外に関心のなかった雫ちゃんの心を揺さぶり、彼女も現実の恋愛 の舞台に立てることを知らしめました。この動揺を乗り越えて、彼女は一段階成 長したわけです。この事件がなければ、雫ちゃんが地球屋へ向かうことはなかっ たでしょうし、たとえ地球屋に行ったところで、この成長がなかったとしたら、 雫ちゃんは聖司君を「ヤなやつ」と認識するだけで、聖司君は為す術がなかった でしょう。
また、屋上のシーンに至る日の朝、杉村君は登校途中、雫ちゃんと鉢合わせし ます。ここは、彼が雫ちゃんの心をとらえるために残された、またとない機会で した。しかし、彼は「もっと速く走れ」と言いますが、あろうことか、雫ちゃん の「先に行っていい。」の言葉を鵜呑みにして、彼女を見捨てて先に行ってしま いました。その後、立ち止まってしまった雫ちゃんの顔を杉村君に見せてやりた いものです。彼は自らの行動でもって雫ちゃんのボーイフレンド候補を降りてし まいました。教室では当てつけがましくも雫ちゃんを無視して夕子ちゃんに昨日 の返事をし、そして夕子ちゃんにたなびいていくのです。雫ちゃんの見せた、何 とも言えないつらそうな表情は、痛々しい限りです。
でも、これで雫ちゃんは吹っ切れたのでしょう。また一段階成長しました。 ですから、いきなり聖司君が教室に現れても、もはや動揺することなく、実に的 確な判断で屋上へ向かいました。そして、素直な気持ちで聖司君に接することが 出来たのです。
私は、杉村君に「偉大なる露払い」という愛称をつけたいと思います。彼は 、不憫にも最後まで脇役でした。しかし、もし彼がいなかったら、雫ちゃんと聖 司君が気持ちを確かめ合うことはなかったでありましょう。聖司君、杉村君に感 謝するんだよ(笑)。夕子ちゃんとも仲良くしてね。