●比較論から見た「犬夜叉」
Compare Inu-Yasha with Other Previous Comics

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 少年サンデーにおける高橋留美子作品は、「うる星やつら」「らんま1/2」「犬夜叉」の順で連載されています。これらの作品は、るーみっく作品としての共通の面白さがあり、それぞれに多くの読者を惹きつけています。けれども、設定やストーリー展開は作品ごとに大きく異なっているほか、連載された時期の違いによる社会的な背景も、作品世界や読者層の違いに影響を与えています。

ここでは、作品世界を構成する要素を抽出・比較することによって、「うる星やつら」「らんま1/2」と「犬夜叉」との違いについて考察します。


★作品世界の比較

●特殊な才能の扱い 1999/05/28


●登場人物と学校 1999/05/28


●ヒロインの制服 1999/05/28






★作品の周辺の比較

●作品の社会的位置づけ 2000/11/03


●作品鑑賞の時代的特性 1999/06/03




 
●特殊な才能の扱い


  
「うる星やつら」 「らんま1/2」 「犬夜叉」

特殊な才能の例

空を飛ぶ
電撃
水と湯で変身する
格闘技
妖術および
妖術に対抗する力

特殊な才能の由来

先天的
その種族なら誰でも
生まれつき持つ
後天的
呪泉郷につかる
修行して技を磨く
運命的
選ばれた者のみ
四魂の玉で強化
作品に占める才能の依存度




作品における才能の枠組み

才能の並立
相互に棲み分ける
才能の分有
相互に高めあう
才能の独占
相互に奪い合う
電撃や変身の術、妖術あるいはそれに対抗する力など、どの作品の登場人物も何らかの特殊な才能を持っているわけですが、その才能をどのように獲得したかという点ではそれぞれに異なります。

「うる星やつら」では、ラムが空を飛んだり電撃を出したりしましたが、これは地球人から見れば特殊な才能であるものの、その種族にとっては誰でも生得的に獲得出来るものであり、別段特殊なものではありません。それらは、先天的に得られる能力であると言えます。

「らんま1/2」では、呪泉郷につかれば変身の"才能"が得られますから、変身の能力は後天的に得られる才能であると言えます。また、乱馬や良牙が用いる技は修行によって磨かれるものですから、これも後天的に獲得される才能に含めることが出来ます。後者の獲得には一定の努力が必要ですが、いずれにしても後天的に得られる才能によって物語が進行しています

「犬夜叉」では、四魂の玉を認知出来るかどうか否かという、予め選ばれた者しか使えない才能という設定がなされていて、非常に運命的な要素が強くなっています。妖怪について考えても、兄弟で持っている才能が異なり、しかも本人には選択不可能な運命的な才能であり、本人の希望によって容易に取捨出来るものにはなっていません。

この違いは、そのまま作品の中に占める特殊な才能の割合の違いになっています。「うる星やつら」はラムの電撃がなくても作品として成立します。しかし、「らんま1/2」では早乙女乱馬の変身がなくなれば、作品の骨格とも言うべき目標が失われ、その後のストーリー展開が苦しくなります。「犬夜叉」に至っては、四魂の玉および妖術なくしては作品そのものが成り立ちません。「犬夜叉」は、妖術とそれに対抗する一種神秘的な力(才能)を軸に作品世界が成立している作品であると言うことが出来ます。


なお、サブキャラクターを含めた才能の作品に占める役割を考えると、以下のような違いが見られます。

「うる星やつら」では、それぞれのキャラクターが持つ才能は競合することなく棲み分けられています。例えば、ラム、ラン、弁天、おユキの能力はうまい具合に並立し、問題にあたっては相互の能力を補完しながら対処しますが、それぞれの才能は独立していて互いに影響しあうものではありません。

「らんま1/2」でも、それぞれのキャラクターは個性的な才能を持っており、共通の危機にあっては相互の能力を補完しあうところを見せてくれます。特に、格闘においてはお互いの技に影響を与えあい、格闘技という枠組みの中で能力を分有し、相互に切磋琢磨しながら高めあっていくところが特徴的です。

一方、「犬夜叉」の場合は、基本的に四魂の玉=特別な能力を誰が獲得するかに全ての関心が向いています。すなわち、本質的には才能を独占するためにお互いを否定しあう方向性に収斂していく性質を持っており、その点が「うる星やつら」「らんま1/2」と際だって異なっています。四魂の玉が完全な形で復活した時、これまで仲良くやってきた犬夜叉やかごめ達一行はどのようになるのか、今後の展開が注目されるところです。





 
●登場人物と学校


  
「うる星やつら」 「らんま1/2」 「犬夜叉」
学園生活の作品に占める比重



生徒と教師のつながり



生徒と生徒のつながり




作品における学園の枠組み

基本的
学園なくして作品は
成立しない
並立的
学園と学園以外の
バランスがとれている
付随的
学園を描かなくても
作品が成立する
「うる星やつら」における学校=友引高校の比重は、それなしには作品が成立しないほど大きなものがありました。展開されるストーリーも、大半は友引高校を舞台にしたものでした。個性的な生徒が大勢いるところへ温泉マーク先生を筆頭とした教師陣もまた個性的であり、教師と生徒のつながりは濃密でした。生徒同士のつながりも同様に濃密であり、互いに反目しあい争いながらも、団結するべきところは団結し、困難には一致して立ち向かう結束力も示しました。昼休みに校外で買い食いをしたい生徒と、それを阻止しようとする教師との抗争を描いた「買い食い大戦争」は、教師と生徒の関係を実に端的に描写した秀作として記憶されるところです。「うる星やつら」における学校は、作品の根幹をなす基本的な位置づけがなされていました。

「らんま1/2」における作品の中での学校の割合は、「うる星やつら」と比べると相対的に低下しました。それは格闘技という要素を軸にストーリーが展開されたため、どうしても格闘の出来るメンバーが話の中心にくるようになってしまうからです。それでも、学校で展開されるエピソードは少なくなく、校長先生が生徒をいじめるために怪気炎を上げていたなど、生徒と教師のコミュニケーションは健在でした。「らんま1/2」においては、学校の比重と学校以外の場面での比重のバランスがとれており、相互に並立的な位置づけがなされていたといえます。

「犬夜叉」になると、作品の登場する学校の比率は更に低下し、学校でのシーンはほとんど描かれなくなりした。ヒロインに恋したり心配したりしてくれる同性・異性のクラスメイトはいるものの、そのつながりは非常に淡泊です。教師に至っては、全く存在しないといってよいほどにしか描かれていません。これは、「犬夜叉」の基本的な舞台が学園ではなく戦国時代に設定されているからであり、逆に言えば学園を描かなくても作品として充分成立するという付随的な位置づけしかなされていません。ここが「うる星やつら」「らんま1/2」とは決定的に異なるところで、「犬夜叉」における学校の位置づけが今度どのように整理されていくのかが気になるところです。





 
●ヒロインの制服


  
「うる星やつら」 「らんま1/2」 「犬夜叉」
ヒロインが制服を着る頻度




制服を着る場所

学校では制服
他はトラジマビキニ
学校では制服
家庭では私服
道場では道着
時代・場所を問わず
ほとんど制服のまま

付与された意味

識別的
学校と学校以外の
場所を区別
選択的
場所と目的に応じた
服装の使い分け
象徴的
「現代少女」の象徴
として制服を着る
「うる星やつら」のヒロイン・ラムの基本的な服装はトラジマビキニであり、学校へ行くときには制服(セーラー服)を着用しました。ラムにとってのセーラー服は、異星からやってきたヒロインが地球の(日本の)社会に適応したシンボルのひとつとして理解することが可能です。諸星あたるも基本的に制服を着ていましたから、学園ドラマ=制服という古典的な要素も加味されました。しかし、ラムにとって制服とは、学校でだけ着るものだという識別的服装として捉えていたようです。そのため、学校から帰ったら直ちにトラジマビキニに戻ってしまい、学校以外の場所へセーラー服を着ていくことは滅多にありませんでした。あくまでも主はトラジマビキニであり、制服は従という位置づけでした。

「らんま1/2」では、ヒロインの天道あかねが制服を着る頻度はぐっと増えました。学校でのシーンだけではなく、朝の登校シーンや下校の途中に商店街や接骨院などに立ち寄るシーンが目立ったせいもあります。さっさと帰宅してトラジマビキニになって再び街へ飛んでいくラムの行動パターンとは対照的に、天道あかねにとって日常生活の多くは登下校の延長であり、したがって制服姿で街を歩く機会も多いということが言えそうです。そして、帰宅すれば私服に着替え、道場では道着に着替えて練習していました。天道あかねは、時と場所に応じてもっともふさわしい服装を選択的に着るキャラクターであると言えます。

「犬夜叉」における日暮かごめは、一応私服のシーンもありますけれども、制服を着ているシーンが圧倒的に多くなりました。特に戦国時代に出かける時の服装は、ほとんど制服のままです。白いセーラー服では汚れやすいでしょうし、スカートをはいていては行動に制約も出てくるでしょう。どうみても、戦国時代に出かけていく服装ではなさそうです。

かごめが常に制服を着ているのは、「うる星やつら」「らんま1/2」に比べて「犬夜叉」ではヒロインの着る制服の位置づけが大きく異なっているからであると言えそうです。ラムにとって制服は学校だけで着るものであり、放課後になるとさっさと制服を脱いでしまいました。天道あかねの制服は学校だけでなく地元商店街でも見ることが出来ましたが、これは学校への登下校で立ち寄る地域では制服姿のままであり、やはり制服=学校という基本は守られていました。

これに対して、日暮かごめは、別に制服を着ていかなくてもよい戦国時代にも日常的に制服を着ていくばかりか、戦国時代で制服が汚れたとのことで学校へ私服で登校していたりしています。すなわち、「犬夜叉」にあっては、制服=学校という図式が成り立っていないのです。これは、どのように理解すればいいのでしょうか?

ここで、あえて言うなれば、かごめは制服を少女の象徴として、それも現代少女の象徴として制服を着ているものと思われます。戦国時代でのセーラー服は、ヒロインの「現代の少女性」を一層際だたせるのです。この少女性は、私服を着ていてはインパクトはありません。まして巫女姿をしていては桔梗と区別さえつけられなくなってしまいます。やはり、かごめは制服を着ていなければならないのでしょう。

余談ですが、「うる星やつら」が連載された1980年代当時の女子高生は、放課後になると制服を脱いでいました。カバンに私服を忍ばせて登校し、放課後になると私服へ着替えて制服はコインロッカーに預け、私服姿で原宿や渋谷などの繁華街に繰り出したものでした。しかし、「犬夜叉」を連載している1990年代後半〜2000年代には全く正反対になってしまいました。すなわち、放課後も制服を着続けていることはもちろん、日曜日でさえも制服を着た女子高生が繁華街を闊歩しています。「制服=学校へ着ていくもの」から「制服=少女の特権として着るもの」への変化と符合しているのは興味深いところです。





 
●作品の社会的位置づけ


  
「うる星やつら」 「らんま1/2」 「犬夜叉」
著者の大まかな年齢区分
20代 30代 40代
作品の社会的認知度
大→小
中→中
小→大
他の作品への影響度


中?(未確定)

作品の位置づけ

ジャンル統合的
既存のジャンルの
枠組みを統合
男女差解消的
少年誌に女子の
読者を増やす
概念再構築的
新たな作品概念
の再構築

「うる星やつら」は高橋留美子女史の初めての連載作品であり、20代を代表する作品でもあり、その若さと勢いをもってサンデー誌上で連載当初から高い人気を保っていました。TVシリーズも初期からいきなり20%以上の視聴率を獲得、一大ブームを巻き起こしました。主人公のキャラクターデザインや服装が扇情的ではないかとPTAなどで槍玉にも上げられましたが、それも世間から広く注目されていた作品であった故のことと思われます。しかし、TVシリーズは、長期間の放映でマンネリ化を招いたのか視聴率の長期低落傾向に歯止めがかからなくなり、作品レベルも維持できなくなって、流れとしては中途半端なまま終了してしまいました。劇場用映画も後になるほど成績不振となり、新興の作品群に人気を奪われてしまいました。その後、プロデューサーの奮起もあってイベント向けに新作フィルムが何本か作られましたが、社会的な認知度が昔のように上昇することはついにありませんでした。

「らんま1/2」は、「うる星やつら」続く作品ということで華々しく連載が始まりましたが、女史が30代に入ったこともあってハチャメチャなエネルギーが爆発することもなく、手堅くまとめられていました。コミックこそ好調でしたが、TVシリーズについては紆余曲折があったことはよく知られています。当初こそゴールデンアワーの放映でしたが、視聴率は「うる星やつら」には及ばず、プロ野球中継のためにたびたび中断したことや裏番組との激しい競争もあって、半年で打ち切りという憂き目にあってしまいました。ゴールデンアワーを追われた「らんま1/2」は、「熱闘編」として平日夕方の時間帯で仕切り直しとなりましたが、時間帯の移動とともに低年齢層を意識した内容となり、編成の都合上、オープニングさえカットされる有様でした。しかし、作品自体は充分魅力的であったので、その後じわじわと人気を獲得する底力を見せ、現在も根強い人気を保っています。

「犬夜叉」の連載開始はどちらかというと静かであり、長いことTVシリーズ化されることもありませんでした。けれども、それだけ原作のストックが蓄積されることになり、ひとたびTVシリーズ化が決まれば大々的に制作されることになりました。TVシリーズ化が遅れたのは、作品世界の方向性も固まり、充分な準備が完了するまで待っていたからであるとも言えそうです。視聴率も大いに健闘しており、40代にさしかかった女史が切り開く新たな世界観の構築に期待が集まっています。

次に、それぞれの作品が同時代の他作品に与えた影響および作品の位置づけについて考えてみましょう。
「うる星やつら」は、ギャグ漫画とストーリー漫画にはっきりと分かれてたパターンを一掃し、ギャグにストーリー、SFに学園ラブコメなど、あらゆる要素をてんこ盛りにしたジャンル統合的な画期的作品と評価されました。TV版では更に個性的なオリジナルキャラクターが縦横無尽に活躍し、まさに前例のない新境地を開拓したとされています。その表現手法は、いかにも「留美子系」を彷彿とさせる顔立ちの登場人物やストーリー展開などの形で他の漫画家の作品やTVシリーズにも直接・間接に大きな影響を与えました。

「らんま1/2」は、いわゆる格闘技がブームとなった頃に連載され、男と女を自在に行き来する主人公の設定に恋愛と格闘の要素を組み合わせたストーリー展開には独特の味わいがありました。しかし、「うる星やつら」ほどの影響を他作品に与えるほどではなかったようです。これは、「らんま1/2」が格闘という要素において時流に乗っていたので、その意味では新境地を開拓した「うる星やつら」ほどのインパクトに乏しかったのかもしれません。しかし、「らんま1/2」における男女とも広く親しまれる作品作りは、これまで男子が多数を占めていた少年誌に女子の読者を増やすこととなり、後世において、少年漫画・少女漫画の区別がなくなっていく男女差解消的な時代の先駆的な作品として再評価されるかもしれません。

「犬夜叉」のストーリーは、タイムスリップや人智を超えた対象(四魂の玉)をめぐる争奪戦、あるいは争奪をめぐるロールプレイングなどといった、既によく知られた要素が軸になっています。しかし、それらを基本としながらも狭い枠組みに収まるものではなく、「犬夜叉」ならではのユニークな概念再構築的世界観を構築しつつあります。2000年現在、まだ連載中ということもあって、その全容は未だ見えてはいませんが、ここで確立された新しい作品概念が21世紀における他作品にどのような影響を与えていくか楽しみではあります。





 
●作品鑑賞の時代的特性


  
「うる星やつら」 「らんま1/2」 「犬夜叉」
作品の大まかな時代区分
1980年代 1990年代 2000年代
作品鑑賞の時間的自由度
メディアのキーワード テレビ
ビデオ
インターネット
メディアの変遷 Betamax・VHS
LPレコード・VHD・LD
カセットテープ
ファミコン
VHS・S-VHS
CD・LD
カセットテープ
スーパーファミコン・PCエンジン
VHS・D-VHS
CD・DVD
MD・MP3
プレステ2
作品鑑賞のキーワード 作品を記憶
作品の保存が難しかった
から、頭の中に記憶する
作品を保存
録画・保存した作品を
自分の好きな時に楽しむ
ファン同士の交流
距離と時間を超えて
作品の感想を話し合う
「うる星やつら」から「犬夜叉」まで、少年サンデーに原作の連載→単行本化というパターンは変わることなく引き継がれています。原作の楽しみ方は基本的に昔も今も同じであるといえます。しかし、TVシリーズについては大きく変わりました。

「うる星やつら」の時代は、まだビデオデッキが充分に普及していませんでした。よって、テレビで「うる星やつら」を見ようと思えば定時にテレビの前に座るしかありませんでした。もちろん映像を保存することは出来ませんから、当時の熱心なファンは音声だけカセットテープに録音して、頭の中に記憶した画像と音声を結合させながら聴き入ったものです。「少年サンデーグラフィック」という、主にTVシリーズの紹介に力を入れた雑誌がシリーズで出版されたり、「ドラマ編」と銘打ったLPレコードが発売されたりしましたが、これもビデオデッキが普及していなかった時代だからこその企画であったといえます。

「らんま1/2」のTVシリーズが放映された頃には、各家庭へビデオデッキの普及が進んでいました。テレビで放映される時間帯に用事があっても、ビデオに録画しておけば見逃すことはなくなりました。この、いつでも好きな時に見られるということは、現在でこそ当たり前のように思われていますが、当時のファンにとっては革命的な出来事でした。ちょうどその頃登場した、S-VHSやED-Betaなど高画質を売り物にした規格のビデオデッキは、よりきれいな画像で楽しみたいファンに好んで愛用されました。加えてレーザーディスクの発売は、作品を高画質で保存したいというニーズを満足させるものでした。

「犬夜叉」がTVシリーズになった2000年、引き続きビデオデッキが活躍していますが、録画媒体としては将来的にはハードディスクや録画可能なDVD等へシフトしていくと予測されています。パッケージソフトでは、早くもレーザーディスクが廃れつつあり、DVDへの転換が進んでいます。万一、TV放送を見逃しても、少し待てばDVDで発売されるものと思われますし、DVDを持っていなくてもレンタルビデオで見ることが出来ます。さらに、インターネットの回線が高速化され、番組そのものを短時間でダウンロード出来るようになれば、昔ほど「保存」したいという欲求にかられることもなくなるでしょう。キーワードは「記憶」「保存」から「交流」に移り、インターネットを使ってファン同士がリアルタイムに交流する語り合う楽しみ方が広まっていくでしょう。






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