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[2]自立を目指した少年の3年間

[1]悩みは大差ない、美恵ちゃんの物語







 
[2]自立を目指した少年の3年間
  1998/11/01

ある少年の自立願望
 子はいつの日か親元を離れていく。成人式・卒業・就職・結婚…様々な通過儀礼。だが「自立」の思うところは様々で、人の数だけ基準があると言っていい。それぞれによって多様に解釈される言葉の一つ、それが「自立」なのである。
 この少年も「自立」を考えたひとりであった。仮に吉田君と呼んでおこう。19歳。彼の人生を大きく変えた3年間は、白洋舎をやめてフリーアルバイターになったときから始まった。

少年の生活と趣味
 吉田君の両親は、藤沢市内でクリーニング業を営んでいた。一人いる姉は大学の経済学部に通っている。彼は、高校を卒業して一度はクリーニング業大手の白洋舎に就職した。何故白洋舎を選んだのかは分からない。彼は自宅のクリーニング屋を継ぐつもりはなかったし、両親にもその気はないようであったから。

 彼は、毎月給料の一部(約4万円)を両親に渡すことで、食と住を保証される生活を送っていた。私が彼を知るようになったのは、その頃のことである。彼の給料は決して高くはなかったが、未成年の小遣いとしては多いと思われた。彼はクラシックCDの収集を趣味としており、収入の大半はそれらに消えているようであった。部屋には既にかなりの量のCDが蓄積され、高価なオーディオセットも陳列されていた。

仕事を辞めた事情
 ある夏、彼が白洋舎を辞めたのを知った。誰にも相談はしなかったようだ。いかにも真面目そうな彼がそんなに大胆な事をするものかと、私は大変驚いた。家族もどうしたものかと困惑しているだろうに。

 しかし、実際はそうではなかった。私は翌日、彼の姉と1時間ばかり電話した。だが、姉の声は非情だった。

 「弟はもともとああいう性格だから、好きにさせとけばいいのよ。」
姉弟の父は、若いころから定職を持たず、かなり長いこと職を点々とする生活を送っていたらしい。今でこそクリーニング業に収まっているが、それとてそんなに昔のことではないという。そんな親の姿を見て育った彼がある日突然仕事を投げ出したとしても、別に不思議ではないのよ、と言いたげであった。

 「両親も、あまり手本には出来ない遍歴があるから、(仕事を辞めることに関して)あまり偉そうなことは言えないようだし。」
家族には、辞めた理由を「職場の冷房装置が故障し、暑さに音を上げたからだ」と言っているらしい。しかし、誰もそんな言葉を信じたりしない。

「あの子は白洋舎が嫌いだったようだし、前から辞める理由を探していたのよ。それにいいかげん、仕事に飽きたんじゃないの。」

熱中しやすく、冷めやすい性格
 確かに、彼は何かにつけ飽きっぽい性格だった。モノクロ写真に手を出したかと思うとパソコンに凝ってみたり、健康に関心があるとかで1日1万歩以上歩き始めたかと思ったらもうやめていたり。(クラシックだけは唯一の例外であったようだが。)

 何かに首を突っ込むと熱中するが、すぐ飽きてしまい長続きしないことを螻蛄(ケラ)の水渡りという。彼はまさに螻蛄の人生を歩んでいるようであった。

 ある日、彼の家に行くとコーヒーを入れてくれるという。彼はおもむろに青豆を取り出し、コンロで煎り始めた。ほどなく、香ばしい香りが漂ってきた。目の前で青豆から煎ってくれるコーヒーなど、一生の間に何度飲めるだろうか、と思った。吉田君の手作りコーヒーだって…。

 はたして、彼のコーヒーはその日を最後に再びお目にかかることはなかった。

「自立」の資金を稼ぐために
 姉があんまり弟の飽きっぽさを強調するせいもあって、白洋舎を辞めたのも彼の飽きやすい性格の延長ではなかろうか、と信じざるを得なかった。

 だが、彼は飽きたから辞めたのではなかった。確かに仕事は嫌いだったかもしれないが、給料があまりにも安いことがまず第一に不満だったそうだ。

 彼は「自立」したかったと言った。親の住む家を出て、一人暮らしを始めたかった。それが彼にとっての「自立」だと言った。そのためには、先立つものが要る。今までの仕事を続けても安月給なのでお金がたまらない。だから、もっと収入の多い仕事に変わろうと考えたようであった。

 彼はしばらくフラフラしていたが、間もなくアルバイト情報誌で仕事を見つけて働き始めた。手取りも白洋舎時代と比べて遜色ない。本当に「自立」への信念があるならば、あれこれ言っても仕方がない。しばらくは、彼の仕事ぶりを見守ることにした。

 だが、私は、彼が白洋舎を辞めたもう一つの理由として、ポツリと「仕事がいやというよりも職場での人間関係が煩わしかった」ことを挙げたことの方に興味を持った。

仕事の時間と自分の時間
 フリーアルバイターでやる仕事なんて長続きしないさ、と断じた姉の予想は見事に外れた。彼は仕事に飽きる事なく、同じバイト先で頑張り続けた。「自立」という目標があれば、集中力は続くものかと感心した。貯金も思惑どおり10万、20万とたまっていった。

 だが、頑張り続けた原因は「自立」願望だけではなかった。むしろ、ただ働くだけでよいバイトの待遇が気に入ったらしい。要するに、彼は職場の人間関係から解放された爽快感の中で仕事をしていたのだ。

 正社員として働いておれば、いやな同僚との付き合いもあるだろう。だが、フリーアルバイターでは望みさえすれば誰とも付き合う事なくただ働くだけでも許される。一歩職場を出れば自分の世界に戻れるから、拘束される間だけ働くロボットに徹するだけでよい。

 このような生活は尋常ではない、と思うだろう。だが、彼にとってはロボット時間に余計な煩わしさを抱え込み、しかも仕事が終わった後(自分の時間)までロボット時間の人間関係を引きずることのほうが尋常ではなかったのだ。

 彼の目指す「自立」は、ただ衣食住を一人でまかなうことだけではなかった。会社の干渉を排し、家族の干渉を排し、自分の時間を大切に出来る究極の空間を確保したいがための一人暮らしという目標が見えた。それが、彼にとっての「自立」だったのだ。

居心地のよさにはまれば…
 彼のそのような考えは、「とにかく一人暮らしがしたいから」などといった短絡的な思考よりはましと思う。拘束される時間は会社の時間と割り切る代わりに、自分の時間に会社の人間関係が持ち込まれるのを嫌う態度も、ある意味では立派だ。その行動は、公私の区別が曖昧でナアナア主義がまかり通る現在の日本の『カイシャ主義』に対する強烈なアイロニーと言えるかもしれない。

 ところで、彼がそんなにまで大切にする自分の時間には一体何がしたいのだろう、と思った。部屋の中という閉じた空間で、何かに熱中しては飽き、次の興味対象に熱中しては別のものに手を出すことの繰り返しを、飽きる事なく続けて行くのだろうか。

 彼は人間関係が煩わしい、と言った。しかし、それは仕事上の話である。共通の目標を持つ「友」や趣味の世界での人間関係はどうなのだろう。それすら煩わしいのか。もしかすると、彼は学校時代に友人との友人らしい付き合いがなかったのではないだろうか。

 彼は今、孤独の世界に生きていた。孤独の世界の居心地の良さに安住していた。資金がたまって一人暮らしが実現したとき、彼の世界はその内に完結してしまう。

 私は、彼が職業に従属しない人間関係を自分の時間に築いていたら、逃避するようにフリーアルバイターをやらなくても良かったのに、と思わずにはいられなかった。


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運命を変えた書店
 その年の師走も半ばを過ぎた頃、吉田君は私に「一緒に秋葉原に付き合ってくれ」と言ってきた。彼の趣味にかなう催しが上野であって、その前に秋葉原に行ってアンプを買うのだという。私は特に暇というわけではなかったが、全部付き合うことにした。

 秋葉原で、彼は店員の言い値でアンプを買った。購入するべき機種まで特定していた割には実に淡泊だった。配達の手配をしたので、箱をかついで帰ることはない。

 その足で上野に行った。催しは何が面白かったのか、よく覚えていない。会場の帰り道に書店があったので、立ち寄った。

 ここで、二つの奇跡を彼のために感謝しなければならない。一つは、専門学校に進んだ彼の高校時代のクラスメイトが先日就職を決めたことから、ちょうど専門学校の話題をしていたこと。もう一つは、その時たまたま目の前に書店があったことである。

 私は、クリスマスプレゼントと称して、専門学校案内集を買って彼に持たせた。

掘り起こされたコンプレックス
 私自身、1300円の専門学校集は彼が1行でも読んでくれれば、といった程度しか期待していなかった。宝くじを連番で買うことを考えたら安いくらいだ、とさえ考えていた。ところが、驚くべきことに、その1300円が効き始めたのである。

 彼が専門学校に興味を持ったことに、私はにわかに信じられなかった。専門学校とはどんなものかと相談してくるようになった。私は、絶対に専門学校に行くべきだ、と言いたくなる誘惑を抑えるのに苦労した。

 彼は、姉が浪人までして大学に進学するのを見ている。やはり、それなりの学歴コンプレックスがあるのだろうと思われた。まして、彼の知る高校時代のクラスメイトが専門学校に行って成功しているのだから。少なくとも、このコンプレックスが彼のやる気を引き出しているのは確かだった。

 しかし、「自立」との狭間で彼は迷った。一人暮らしのために蓄えた資金は100万円に達しようとしていた。一人暮らしを捨てて学校をとるか、学校を捨てて一人暮らしをとるか、これだけは自分自身で決めるしかない。私はここでも、彼に押し付けがましくならないよう努めなければならなかった。

スタート台の成人式
 年が明け、彼から電話がかかった。成人式に出るので写真を撮って欲しいという。私は午前中だけの約束で藤沢公民館へ行った。もちろん、それなりの正装である。

 だが、彼はいつも通りの服装だった。予備校生ルック、と言えば分かりやすいだろうか。ビシッとスーツで決めた男性の陰で、華やかに着飾った女性の陰で、彼はほとんど存在しなかったかと思うほど目立たなかった。それどころか、立入禁止の場所に入ってしまったくらいの違和感があった。私が彼なら、この場所に3分といられないだろう。さすがに彼も思うところがあったのだろうか、その夜電話がかかってきた。

 「やっぱり4月から専門学校に行くことにしたよ。」

 成人式は人生における区切りとして、最も重要な儀式の一つである。成人式を機会に「自立」していく若者は多い。彼も、彼なりの区切りをつけに成人式に行ったのだろう。そして、思惑通りだったかどうかは別にして、文字どおり今までの生活に区切りをつけた。迷いはふっ切れた。今こそ、彼は人生の再スタートを仕切り始めたのである。彼の一人暮らしの計画は、フリーアルバイター生活と共にうたかたの夢と消えた。未練もなかった。

学生の本分を尽くして
 桜咲く4月、吉田君は法律の専門学校に進んだ。一人暮らしを始めるために積み立てた100万円は、学校の入学金と授業料に充てられた。

 彼の飽きっぽい性格はすぐには直らないだろうが、勉強を投げ出すことはなかった。学校で親しい友達が出来たという電話があったから、きっと友達と励ましあうことが刺激になっているのだろう。目標を同じくする「友」の存在の大きさを、改めて再認識した。

 もう、私の出番はなかった。事実、彼の勉強が軌道に乗ってからは成績は常に上位に安定した。年下の学友とも気兼ねなく、充実した学生生活を送っているようであった。彼は勉強することが楽しい、と言った。彼の口からそんな言葉が出ようとは、半年前には誰が想像出来ただろう。夏に会ったとき、彼の顔つきは目に見えて良くなっていた。

 もちろん、プライベートな時間は大切だ。けれども、彼は自分の時間は大切にしても、そこに友達を迎え入れて語り合っていた。つまらなかったという過去の時代は超克された。今こそが、本来求めていた自分の姿に出会い、人間関係を築いているように見えた。

 そして翌年の10月。彼から藤沢市役所に内定したという電話がきた。フリーアルバイターをやめ、勉強に打ち込んだ2年間の苦労談がとめどなくあふれ始めた。

あのままフリーアルバイターを続けていたら…
 かつての吉田君のように、複雑な人間関係を避け、自分の趣味の世界に閉じこもる内向的人は決して珍しい存在ではない。内向的な彼らの性格を指して「協調性」がないからだ、と指摘するのは易しい。だが、その指摘は本当に正しいのだろうか?「協調性」さえあればいいのだろうか?付き合う人数さえ多ければいいのであろうか?

 人間関係の幅や拡がりはもちろん大切だし、「協調性」だって軽視するべきではないのはもちろんだが、もっと大切なことは、真の友人と呼べる人間関係があるかどうかの方ではないだろうか。どんなに「協調性」があって大勢の人と付き合っているように見えても、そのどれもが表面的なレベルにとどまっていたら、真の友人と呼べる人間関係はあり得ないのである。

 学生時代の友人は一生の友になるという。だが、友人と思っている相手がいたとしても、それが単に同じ学校という馴れ合いだけの表面的な付き合い以上でないならば、それは友人関係ではなく単なる仲間関係に過ぎない。卒業と同時に切れてしまうだろう。より深く、より緊密に、たとえ卒業して離ればなれになったとしてもお互いを理解し合い、変わりなく付き合うことの出来る友人こそ、真の友人、一生の友と呼べるのだ。

 吉田君と共に頑張った連中の幾人かは、卒業後も友人として頼りになるだろう。彼のこれからの人生は付き合いの幅が広がり、張り合いも生まれていくことだろう。

 彼の一言を私は忘れない。
「あのままフリーアルバイターを続けていたら、一体自分はどうなっていたことか…。」

 一人暮らしで「自立」を果たす計画は成らなかったが、彼はもっともっと納得のいく「自立」を自分の力で勝ち取ったのだ。





 
[1]悩みは大差ない、美恵ちゃんの物語
 1998/11/01

美恵ちゃんの中退
 その少女はみんなから美恵ちゃんと呼ばれていた。17歳。高校3年生の6月、美恵ちゃんは学校を中退し、石巻市内のレストランでアルバイトを始めた。私と美恵ちゃんとは別段どうという関係ではない。しかし、中退の知らせは少なからぬ衝撃であった。その理由を確かめたいと思った。7月下旬、友人Aと共に観光旅行を名目にして現地に行くことにした。

閉じた空間…愛好サークル
 仙台駅では、予想外にも十数人からなる歓迎をうけた。後で分かったことだが、彼らは美恵ちゃんが参加しているサークルのメンバーで、客人が来るので美恵ちゃんが特に呼びかけて集まってもらったのだという。サークル、といっても学校のクラブ・同好会の類ではなく、漫画を模写したり創作イラストを書いたりするのが好きな仲間で作った一種の親睦会である。学校のクラブや同好会の場合、メンバーは同じ学校の生徒であるといった場合が多い。だが、ここでいうサークルは、メンバーの学校・職業はばらばら、年齢も住所もまちまち、純粋に趣味愛好を通じて知り合った集まりという点が大きく異なっている。

 彼らのサークルでは、みんなが持ち寄った漫画家の模写や創作イラストをまとめて冊子にしていた。お互いの作品を見せあえばちょっとした品評会になり、あれやこれやの話題が盛り上がる。美恵ちゃんはサークル(という居場所)にいるのが楽しい、と言った。高校をやめた理由はこのへんにあると思った。学校はよほどつまらなかったんだな、と。

一緒にいられる安心感
 学校が同じというのは単なる出会いのきっかけに過ぎず、それだけで直ちに親しくはなれない。その上に何らかの共通の興味・話題を見いださなければならない。逆にいえば、共通の興味対象があるなば、すぐに親しくなれるし話も弾む。例えば、野球場では少なくともそこにいる人とは野球という共通の話題が分かっているので、たとえ初対面の人でも話しかけるのは容易である。コンサート会場でも同じで、いきなり突っ込んだ議論になったりもする。一般に、共通の興味対象を通じた話題は楽しく、大いに盛り上がる。

 美恵ちゃんがどのようなきっかけでサークルに入ったのかは分からない。漫画やイラストを通じた付き合いを求めてのことだろう。ただ、その場での美恵ちゃんは漫画やイラストを書くことも、それらの話題をすることよりも、仲間と一緒にいることの方が楽しいと言った。

 その日の集まりでは、漫画・イラストに関する話題は殆どなかった。客人に配慮してのことだろうか。男女の数も適当であり、いたって健全な印象を受ける。もちろん、仲間と一緒にいることよりも漫画やイラストを通じた話題をすることの方に楽しさを感じるメンバーは多いだろう。でも、少なくとも美恵ちゃんはみんなと一緒にいられる安心感の方を大切にしているものと思われた。

美恵ちゃんの家庭
 みんなと別れた後、私と友人Aは美恵ちゃんと電車に乗った。石巻には着いたが、すっかり夜も遅く、旅館を探すことにした。けれども美恵ちゃんが勧めるので、彼女の自宅に泊めてもらうことにした。これは運がいい。家族の人と中退のことについてじっくり話ができる。と思ったものの、その夜は家人がいなかったために、事情を聞くことは出来なかった。その代わり、明け方まで美恵ちゃんと話し込んだ。彼女はその場では復学すると答えた。

 美恵ちゃんの家に置かれていた政党機関紙の束が印象的であった。彼女の父親はある政党の活動に深く関わっているようであった。屋敷も地域の集会所として使用できる構造をしていた。その方面では有力者なのであろう。茶菓の出し方・勧め方や、タクシーを手配する手際の良さは、美恵ちゃんの幼いころから身についた習慣であろうことを思わせた。ちなみに、舞踊の免状が飾られた彼女の部屋はごく普通の装飾で、サークルの愛好対象に関する漫画やイラストの類は殆ど見られなかった。

嫌われるのが怖いから…
 美恵ちゃんは客人もてなしの労働力として特訓されつつも、育った環境はほとんど放任家庭であった。それが、彼女の性格に多少とも影響を与えているようであった。中退してから学校の友達と連絡はとっていないという。現在、彼女が持っている有効な人間関係はサークルでの付き合いがほとんど全てであった。そこが、くつろげる唯一の居場所だと言えた。

 ところが、既に美恵ちゃんはサークルで扱う愛好対象への興味が薄らぎつつあるように見えた。確かに漫画やイラストが好きであることには違いないだろうが、学校生活をなげうってまで好きであるとは思えなかったし、部屋の様子を見る限り、そのようにしか思えなかった。

 しかし、美恵ちゃんは高校を中退して、そこでの友達との関係を切ってしまっていた。彼女の人間関係は、事実上サークルの中で完結していた。他に居場所がないわけだから、仮に愛好対象への興味がなくなってサークルをやめてしまうと、彼女が持つ人間関係のほとんども失ってしまうことになる。彼女は愛好対象よりも人間関係の方を大切にするくらいであるから、人間関係は維持し続けようとするだろう。愛好対象への興味がなくなってしまっても、サークルに居続けるし、少なくとも嫌われないためには無理をしてでも話題を合わせ続ける努力を重ねようとするだろう。

 愛好活動を拡げる手段のはずだったサークルが、いつしか人間関係の維持のための目的と化している可能性を感じさせた。この手段が目的化した「落とし穴」にはまると、限りない悪循環に陥って愛好対象はおろか何もかも楽しいものではなくしまう。ただ嫌われるのが怖いから、人間関係を失うのが怖いから、そのためだけにこれに気付かない限り、悪循環を断つきっかけをつかむことさえ出来ないのだ。

 高校復学のしらせは、なかなか来なかった。


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大阪について来た美恵ちゃん
 翌年の3月、私は実家に帰るため東京駅のホームで大垣行き夜行電車を待っていた。そこにひょっこり美恵ちゃんが現れたのには仰天してしまった。そういえば、以前美恵ちゃんから電話があった時、帰省する話はしたが…。美恵ちゃんは大阪に住んでいるBという男に会いに行くと言った。ならば直接大阪に行けばいいのにと思いつつ、車中の人となった。夜行だからといって、別段どうということもない。

驚くべき愛好集団のネットワーク
 美恵ちゃんが参加していた仙台の愛好サークルは、プロの漫画家のキャラクターを借りた自作漫画や創作イラストまとめて冊子にする活動をしていた。それは俗に同人誌と呼ばれ、それ専門の即売会等で売りさばかれる。この活動を通じて、他の同好サークルとのつながりが生まれてゆく例は数多いという。Bもそういった縁で知り合った中の一人であるようだ。Bは2浪のうえ入学した大学を1年で中退して、今はフリーアルバイターをしているらしい。

 ちなみに、同人誌の即売会で大きなものになると、数万ものサークルが出展し、数十万人を越える客が列をなす。あまり実感がわかないが、売り手と買い手の多くは互いに顔見知りであり、同人誌を通じての付き合いも活発であるという。美恵ちゃんも全国津々浦々に同好の仲間をもっていても不思議ではないし、実際その通りであった。よく『おたく』の集団と揶揄する人がいるが、この縁自体は少しも問題ではないと思う。問題なのは、その付き合い方である。

高校をやめた理由…不器用さゆえの悲劇
 無事に大阪に着いた。美恵ちゃんはしきりにBへ電話していたが、ついに通じなかった。聞くと事前に何の連絡もしていなかったそうだ。いきなり来て驚かそうと考えていたのかも知れないが、少々浅知恵であった。

 結局、昼過ぎには「もう帰る」と言い出した。やむを得ないので、新大阪駅まで送って行くことにした。ところが、新大阪駅に着くなり、美恵ちゃんは突然大粒の涙を流して泣き出したのである。

 彼女が大阪まで来た理由は、実はBに「お別れ」を言いたかったから、だと言った。美恵ちゃんは駅のベンチで泣きながらしゃべり続けた。家庭のこと、学校のこと、愛好活動に没頭したこと。

 美恵ちゃんは学校がつまらなくて中退したのではなかった。高校2年までは皆勤賞で、友達も大勢いたという。しかし、趣味愛好を通じた出会いと付き合いがエスカレートしていった時、学校の友達と趣味仲間を天秤にかけるとほんの少しだけ趣味仲間の方が重くなっていた。

 悲劇であった。普通ならば、幅広い付き合いはより楽しめるように思うが、彼女は両立させることが出来なかった。趣味の世界では、それが仲間関係にとどまる限り、愛好していることが唯一の接点であり、付き合いを維持しようとすればするほど、それに没入していかなければならない。すなわち、それは学校を切り捨てること、そう結び付いてしまった。学校に居場所がなくて趣味の世界にはまっていったパターンならまだしも、美恵ちゃんは切らなくてもよい学校での付き合いを切りにかかったのである。

 「あんたたちはもう嫌いになったから、もう付き合わない。」とにかく嫌われようとした。しかし、学校の友達は、嫌われようとすればするほど余計に心配してくれたという。それがつらくてつらくて、そしてついに学校までやめてしまい、自らばっさりと断ち切ってしまったのである。

閉じた世界の「落とし穴」
 私は飽きることなく話し続ける美恵ちゃんを梅田の喫茶室へ連れていった。しかし、そこでも泣きながら話し続けた。美恵ちゃんは、多分身近な趣味愛好仲間の前ではこのようなことは言わないだろうと思った。その意味で私は大変光栄なことであったが、その代わり、女を泣かすひどい男という周囲の厳しい視線に耐えねばならなかった。

 学校の友達を切り捨ててまで選んだ趣味愛好の世界であったが、そこはナアナアの表面的な付き合いで満足する人達の集団であった。ありていに言えば、心の底から語り合えない人達であった。『おたく』は、それを認識すると「普通の」人のように振る舞いたがる。「普通の」ふりをすること自体、既に普通ではないのだが、それは「普通の」人の守るべき日常が空洞化し、そこに『おたく』の要素が入って来ることによって行動に現れる。「普通の」仮面を被った『おたく』(自分)の姿がばれるのが怖いから、プライベートな付き合いはしたくない。当たり障りのない話題しかしない、常にサークルを通じた付き合い、同人誌を通じた付き合いに終始する姿がそこにあった。

 とりあえず、この同人誌愛好という世界に飛び込んできた仲間もいただろう。だが、そういう人に限って、今ここにいる自分は仮の姿、自分だけは『おたく』ではないと思い込んでいる場合が多く、いっそう表面的な付き合いしかできないのであった。ほんの少し勇気があれば、仲間関係を越えてより親しくなれるのに、本音で語り合えるのに、閉じた世界の趣味愛好の接点が強すぎる悲しさか、それが出来なかった。 

 「落とし穴」にはまった自分に気がついた。「空しさ」がつのった。一度は捨てた学校生活に不満はなかったからなおさらである。それにアルバイトの無理がたたって体調を崩し、近郊の旅費を稼ぐことさえきつくなっていた。体力も、精神も限界に来ていた。

 復学するために、趣味愛好の世界を切らねばならないと思った。そして、彼女は律義にもけじめの旅を敢行したのである。

唯一ではない接点
 美恵ちゃんは、翌年に高校への復学を果たした。先生が就職先探しに奔走してくれている、という。当時のクラスメイトの大半は縁が切れてしまったが、本当の友人は、ずっと美恵ちゃんを待っていてくれた。復学した先でのクラスでも新たな友人が出来、普通の高校生活に戻っていった。

 さて、サークルの方は、そこに出入りする機会が減っていけば次第に疎くなっていき、そのまま切れていくだろう。でも、もし、単なる表面的な仲間関係にとどまらない付き合いが出来る人との関係は、サークルをやめた後でも多分残っていくだろう。

 その後、美恵ちゃんは無事高校を卒業し、小さな会社であるが正社員としてしっかりと働いている。職場の人間関係もおおむね良好だという。

 学校か趣味か、あるいは職場か、どれかの世界を唯一の居場所と決め込むことはなかったし、そこを唯一の接点にすることもなかったのだ。

最後に残ったもの
 『おたく』とは、単一の共通項、特に趣味愛好という共通項でのつながり以外に有効な付き合いがない人と考えて差し支えないと思う。共通項を失うと同時に切れてしまうのは、ただの仲間関係にすぎない。そして、『おたく』の状態では、基本的に仲間関係しか持つことは出来ない。常に趣味を通じた名目でしか付き合えないし、サークルの会合などで集まる名目でもなければ顔を合わすこともない。

 趣味愛好に没入するのは簡単である。また、趣味愛好など特定の共通項を通じて付き合うのも簡単である。しかし、それらの共通項を失った時のことを考えて付き合っている人はそんなに多くない。考えるのが非常に怖いことだからだ。

 共通の話題はとても楽しい。だからこそ、その状態に満足し、それから先のことを考えようとしなくなる。しかし、楽しい時間が永遠に続く保証はない。いつか行き詰まるかも知れない。時々不安になる。それでもなお、楽しいふりを演じている自分に「空しさ」を覚える若者は多いという。

 付き合いの相手が多ければ多いほど良いというものではない。たとえ何千という人との行き来があるサラリーマンでも、定年退職と共に付き合いもなくなってしまったならば、一体どれほどの意味があるのだろう。結局、友人と思っていた相手の殆どは会社の肩書と付き合っていた、単なる仕事仲間に過ぎなかったのだ。

 ところで、多くの若者は要領がいいせいか、同じような「落とし穴」を抱えていても穴に落ちることなく切り抜けることができる。だが、それは依然として表面的なナアナアの付き合いで満足したふりをしたいだけではないだろうか。トラブルを避け、その場その場をうまく立ち回ることが出来たら、もうそれだけで満足してしまってはいないだろうか。本当の友人と呼べる人は、そこにいるだろうか。

 美恵ちゃんは真面目さゆえに、不器用さゆえに、閉じた世界の「落とし穴」を垣間見た。しかし、美恵ちゃんはそれを見事に克服することが出来た。表面的な関係に終始しない、本当の友人関係が最後に残った。






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