●チャットにおける敬称問題 ●"荒らし"の動機 ●"荒らし"はチャットの秩序をまもる? |
●チャットにおける敬称問題 2001/05/04 チャットで発生するトラブルの一つとして敬称問題というのがある。簡単にいえば、チャットで相手を「〜さん」という敬称をつけて呼ぶべきか否かという問題のことを指す。なぜ問題になるのかというと、チャットで相手から「〜さん」をつけて呼んでもらえないことを快く感じない人がいるからである。敬称問題の意味するところは一体何なのだろうか? 最初に確認しておくが、相手をバカにすることが目的で呼び捨てにする人は、明らかに今回のテーマの対象外である。最初から仲良くする意志のない人との間で発生する問題は「荒らし問題」というカテゴリーで扱われるべきだからだ。敬称問題の本質は、「互いに仲良くコミュニケーションをとる意志はあるにも関わらず、その意志がうまく疎通できないために発生する諸問題」である。 チャット空間で互いを呼び合う時、ごく親しい間柄ではいちいち敬称をつけるまでもない。だが、どちらか一方が相手をそう思っていなければ問題が発生するだろう。チャットで敬称が必須と思っている人がいれば、そう思っていない人もいる。この認識の異なる二人がチャットを行えば問題が発生するだろう。また、下の者は上の者に敬意を払うべきという価値規範があり、同じファンという立場であれば平等という価値規範もある。チャットの参加者の間で、このどちらに重きを置いているかのズレがあれば、やはり問題が発生するだろう。 したがって、チャットにおける敬称問題とは何かについての定義付けを行うと、以下のように整理される。 ・(参加者同士の)親しさの認識相違による摩擦現象・・・・(1) ・(チャットという)空間の認識相違による摩擦現象・・・・(2) ・(関係性に関わる)価値規範の認識相違による摩擦現象・・(3) 問題発生の具体例を見る限り、「年上が年下から呼び捨てにされたことによる不快感の発露」がほとんどを占めている。敬称問題と言っても、結局のところ、大人世代の子供世代に対する感情的な怒りに端を発しているのが実状である。ガキから呼び捨てにされることは、それほどまでに不快感を呼び起こすものらしい。感情論だから、坊主が憎ければ袈裟まで憎いがごとく、チャットの管理人まで攻撃の矛先が向けられたりする。チャットのマナーが悪いのは管理人の責任だというのである。だが、己の価値規範を管理人に押し付けるべきではないし、だいいち管理人は(ガキの)保護者ではない。チャットにおける敬称問題を論じるにあたっては、まず感情論を排さなければ始まらない。 とりあえず、世代ごとの特徴を押さえておこう。主に小学生以下の子供世代は、物心がついた頃から既にインターネットがあった新世代である。反対に、主に20歳以上の大人世代は、ほぼ人格形成が終わってからインターネットが普及してきた旧世代である。中学生・高校生は、人格形成の途上でインターネットを使い始めた中間的世代であるが、中学生は子供世代に近く、高校生は大人世代に近い。インターネットの急激な普及期にあって、大人世代と子供世代ではインターネットに対する接し方が全く異なるのであるから、チャットに関する意識ひとつとっても大きな隔たりがあろうことは容易に推察される。チャットにおける敬称問題は、個人間の認識の相違はもちろん、世代間の認識の相違も大きな位置を占めていると言える。 (1)「〜さん」づけをしないのはマナーが悪いからか?・・・必ずしもそうとは限らない 敬称問題は、たいてい年下が年上に対して「〜さん」づけをしないところから発生している。一例を挙げると、小学生が社会人を呼び捨てにすることは無礼千万というのである。これをもって「小学生はマナー知らずだ」と嘆いている向きもあるが、それは実態を正確に説明しているのだろうか? なるほど、小学生は人生経験が浅いし、マナーの習得も発展途上であろう。だが、小学生は何も年上を年上とも思わないから呼び捨てにしているわけでなければ、社会人をコケにしているから呼び捨てで呼んでいるわけでもない。単に、同じファンとして敬称を省略しているに過ぎない。あるいは、親しみを込めて敬称を省略しているに過ぎない。ごく親しい間柄でいちいち「〜さん」づけなどしないのは、古今東西を問わず普遍的に見られる現象である。"呼び捨て"と"敬称の省略"とは異なる概念なのだ。だから、マナーの習得一般と「〜さん」づけするかどうかは別問題であって混同するべきではない。マナー一般については、別のテーマで検討すればよい。 どのくらいの会話を交わしたら(敬称を省略できるほどの)親しさを感じるかというのは、世代間・時代間によって大きな違いがある。世代的特徴として、一般に年齢が低くなるほど少ないコミュニケーション頻度で相手に親しみを感じるようになる。「知らない人についていってはいけません」と注意していても、子供にとっては少し話しただけで「知っているおじさん」になってしまい、誘拐事件に発展してしまう例を思い出されたい。また、時代的特徴として、昔ならただの「知人」に分類されていた関係の相手でも、「友人」としてひとくくりにされるようになっている。最近の子供はメールアドレスを交換しただけで「友人」が出来たと思っている。「友人」の定義が緩やかな方にシフトしているのだ。この流れの中で、チャットにおいて自己紹介をしあっただけで親しみを感じ、親しみを表現するために「〜さん」付けを省略したとしても、ちゃんと筋は通っている。だが、この進展についていけない古い大人世代は面食らってしまうことになる。 もちろん、理屈づくで敬称を省略するのではなく、単に「〜さん」づけをする習慣がないからつけないというような例も多いだろう。この場合、いわゆる大人の感覚で判断すると「何てマナー知らずなんだ」ということになってしまう。だが、子供世代はもともと敬称の概念が希薄であるし、子供が主体になっているチャットでは、子供なりのチャット文化が形成されていることを理解しなければならない。大人の論理を振りかざして「マナー知らずの連中」と決めつけるのは、とても正しい理解をしているとはいえないのである。 (2)チャットで必ず「〜さん」づけをしなければならないのか?・・・ローカルルールによる チャット空間において、相手を「〜さん」づけで呼ぶことは義務だとする思想がある。その思想に基づいて「〜さん」づけをルールとして義務づけているチャットも存在している。実際問題として、その方が秩序を維持しやすいし管理上も容易である。それをもって、チャットでは「〜さん」づけを義務づけるべきだという主張も存在するようであるが、全てのチャットを一色で染めるような考え方は感心しない。 そもそも、チャットで敬称をつけるかどうかはローカルルールに属する次元の問題である。それに、義務ということになると、相手に敬意を表しましょうという積極的側面より、無用なトラブルを避けるための知恵という消極的側面の方が強くなってくる。うわべだけ「〜さん」づけで呼ばせても本当に敬意を表しているかどうかは分からないし、「〜さん」づけなどしなくても敬意を表することは出来るし親しみを表すことも出来る。その意味において、敬称を義務づけるチャットがあってもいいが、必ずしも敬称を義務づけないチャットがあってもいい。 ただ、その場合でも、初対面の相手に早い段階から敬称を省略すると呼び捨てと間違えられても仕方がないので、ある程度親しくなるまでは「〜さん」づけをすることが推奨されるべきであろう。充分仲良しになり「〜さんづけしなくてもいいよ」言ってくれた後なら、敬称を省略して呼んでも問題はないと思われる。 (3)どの価値規範に重きをおくか?・・・これは世代間ギャップの問題だ 「下の者は上の者に敬意を払うべきだ」という思想は普遍的である。だが、その思想が有効なのは、対象の差異が社会的に意味を持つ空間の中だけに限られる。例えば、学校のクラブ活動では上級生・下級生という年齢の差が意味を持つから、下級生は上級生に対して敬語を使わねばならない。会社組織では年齢よりも上司・部下という職階の差の方が意味を持つから、年上の部下でも年下の上司に敬語を使わなければならない。しかし、年齢や職階が意味を持たない空間に行けば、上も下もなくなってしまう。囲碁クラブにでも出かければ、みんな同じ立場で対局するわけだ。 つまり、共通の趣味を持つファンが集まる空間においては、ファンクラブの会長と会員などといった別の役割関係でも入ってこない限り、同じファンとしての立場は水平的である。ファンとして平等だからこそ、共通の話題で盛り上がることが出来るのだ。「立場が同じであれば平等」という思想もまた普遍的であり、「同じファンであれば立場は同じ」であるがゆえ、「同じファンであれば立場は平等」なのである。(チャットで「〜さん」づけを義務づける思想も、この水平的立場がバックボーンになっている。)よって、年齢差はそれほどの意味をなさない。 加えて、チャット自体も年齢差があまり意味をなさない空間である。だから、趣味のファンサイトのチャットでは年齢差の意味がなくなっていても当然であるし、子供世代が主体のチャットではなおさらであろう。こう書くと誤解を招きそうなので補足しておくが、子供世代においても、学年の差=年齢の差を確認すること自体はお互いの重要な関心事である。「私は中2。あなたは何年?」「私は小6!」などといったやりとりは、ほとんど挨拶代わりになされていることからもそれは伺える。ただ、年齢の差を確認することは、序列や上下関係を確定させることが目的ではない。年齢の差を確認した上で、ファンとして水平的な関係を維持しようとしているのである。中2であろうが小6であろうが、同じファンとして全く平等であり対等なのだ。 ところが、大人世代になると、年齢の差が確認されれば、その差異に応じた序列や上下関係を意識する傾向が認められるようである。つまるところ、自分の方がはるかに年上と言うことを相手が認識すれば、年下の相手が自分に対して一定の敬意を表することを期待するのである。しかし、相手は自分に対して一向に敬意を表さないばかりか呼び捨てまでしてくる(敬称の省略であって呼び捨てではないのだが)と感じるので、不快感を抱いてしまうのだ。世代間ギャップによる不幸な問題発生の瞬間である。 ---------------------------------- 以上のように論じていくと、「〜さん」づけがないからといって単なるマナーの善し悪しで片づけられるほど単純な問題ではないことが分かる。敬称問題は、主に大人世代が問題にしているのだが、20歳の大人が20歳の論理と価値観を10歳児に適用して考えることだけは避けなければならない。また、10年前の10歳児と現在の10歳児では価値観が大きく異なっている。だから、現在20歳の大人が10年前の自分を思い出して現在の10歳児と比較することについても慎重であらねばならない。 チャットに様々な年齢層の人がやってくるのは当然である。チャットでは年齢の差が重要な要素ではないと書いたが、決して年齢差が無意味という意味ではない。問題なのは、その年齢差にどのような意味づけが与えられるかである。子供世代の場合、年齢差を確認することは同じファンとして楽しむことの妨げにはならないと意味づけているのに対し、大人世代では、ファンとしての水平的関係は承知しつつも、年齢差が確認されたら相応の敬意が払われてしかるべきだというふうに意味づけているのかもしれない。まさに世代間ギャップである。 問題解決のアプローチとして、以下のような方策が考えられる。 子供世代に対しては、「チャットにはそれぞれのルールがあること」「別のチャットに行ったときには、そこで定められているルールに従うこと」を理解してもらえればとりあえず充分であろう。「〜さん」づけがルールとして明記されているチャットに行ったときに、ちゃんと「〜さん」づけで呼ぶことが出来れば、たいていの問題は回避出来ると思われる。そういうルールのないチャットでも、敬意を表してもらいたがっている相手には一定の敬意を表することが出来れば世渡り上手になれるのだが、それは将来における課題ということにしておいて良いと思われる。 大人世代に対しては、ガキから呼び捨てにされた=マナーがなってないといって短絡的に怒り狂うのではなく、世代間ギャップの問題についての認識を深め、いまどきの小学生のチャットコミュニケーションの実態を把握することに努めるべきである。特に、20歳以上の世代は、大人のチャットコミュニケーションと子供のチャットコミュニケーションは全く別世界のものと考えておくくらいでちょうどよい。成人してからインターネットを始めた世代と、物心ついた頃からインターネットがある世代とでは、コミュニケーションに対する考え方もチャットに対する接し方も根本的に異なるのだ。 ともあれ、子供世代は何も悪気があって呼び捨てにしているのではないのだから、大人世代がことさら怒ったり嘆いたりすることはない。むしろ、小学生から「〜さん」づけを省略してもらえれば、世代間交流の絶好の足がかりが出来たとして歓迎するくらいの度量があってもいい。もちろん、個人的に「〜さん」付けをしてもらいたい場合は、その旨お願いをすれば良いと思う。敬称の使用の有無がルールでもって義務づけられているチャットではない限り、「〜さん」づけをするかについての個人の希望は相互に尊重されるべきだからだ。したがって、お願いをしても言うことを聞いてくれない子供に対しては、強く注意してもいいだろう。ここからはマナー一般の側面が強くなっていくからである。 いずれにせよ、大人世代は単に年上という理由だけで子供世代から「〜さん」づけをしてもらって当然などとは考えないことである。 |
●"荒らし"の動機 2001/04/17 "荒らし"は、その出現の仕方によって、おおよそ4つのタイプに分けられる。 ・通り魔型 適当なサイトを適当に荒らしていくストレス発散型の"荒らし"。 ・愉快犯型 常連の一人が、他の常連の反応を楽しむために"荒らし"をする。 ・逆恨み型 何らかの理由で常連の誰かに恨みを持つものが"荒らし"をする。 ・使命感型 荒らし依頼サイトなどの書き込みを見て正義の味方気取りで"荒らし"をする。 通り魔型は、適当に検索して見つけたサイトを標的に荒らしていくタイプである。"荒らし"の目的はストレス解消であり、ストレスさえ解消出来ればどんなサイトであっても構わない。愉快犯型は、そのチャット・掲示板の常連または常連に近い人物が"荒らし"になりすまして出没するタイプである。サイトの管理人や他の常連が迷惑がる様子を見て楽しむことが目的だと思われる。サイトの管理態勢を確かめるために荒らすという例も含まれる。逆恨み型は、サイトの管理人か他の常連の誰かに個人的な恨みを抱いていて、その恨みを晴らすことを目的に荒らしていくタイプである。掲示板やチャットで無視されてプライドを傷つけられたり、マナー違反を注意されて逆上したりして嫌がらせに走るような例が典型である。嫉妬やねたみから嫌がらせに発展する場合もある。使命感型は、荒らし依頼サイトなどで「このサイトを荒らしてくれ」という書き込みを見て"荒らし"に行くタイプである。そのサイトの管理人が横暴であったり不公平であったりするなど、それなりの問題があることも多く、それゆえに一種の使命感に燃えて"荒らし"にかかるタイプである( その割には、本当に管理人に問題があるかどうかを確かめることにはあまり関心がないことが常である)。 普通、"荒らし"というと全く未知の通り魔型を連想しがちであるが、実際にはそれほど多くはない。全く縁もゆかりもないサイトをわざわざ荒らしていく理由がないからだ。意外に多いのは愉快犯型と逆恨み型である。要するに、常連の誰かが別人になりすまして"荒らし"行為を行っている訳だ。正体を隠すための細工を施していることが多く、わざわざネットカフェからアクセスしてくる"荒らし"などは、かなりの確率で常連の誰かが犯人だと思って間違いない。 行為だけに着目すれば、どのタイプの"荒らし"であっても同じである。したがって、"荒らし"はチャット・掲示板の秩序を破壊する敵として排除しなければならない。だが、"荒らし"には"荒らし"なりの理由があることが多い。特に、常連の誰かが"荒らし"になってしまう背景には、それなりの事情というものがあったりする。三角関係のもつれから"荒らし"に走った例があった。仲間の同情を引くために、自分で自分に対して罵詈雑言を浴びせた例があった。言葉遣いを注意されて逆ギレした人が"荒らし"と化した例があった。チャットで誰からも相手にされなくて"荒らし"に走ってしまった例もあった。 "荒らし"行為を正当化することは出来ないが、なぜ"荒らし"行為に走らねばならなかったのかの動機に着目することは大切である。動機を知れば、しかるべき改善策を探ることが出来るかもしれない。 |
●"荒らし"はチャットの秩序をまもる? 2001/04/10 チャットには、時々"荒らし"と呼ばれる無法者がやって来る。"荒らし"は突然やって来て、参加者の迷惑を顧みず言いたい放題の罵詈雑言を並べ立ててチャットの秩序を破壊し雰囲気を荒らしていく。"荒らし"は、チャットの参加者にとって本当に迷惑な存在だ。"荒らし"はいないに越したことはない。 だが、そんな"荒らし"にチャットの秩序を維持する側面もあると言うと、意外に思われるだろうか? 仮に、"荒らし"が全く存在しないチャットというものを考えてみよう。そのチャットは平和そのものである。しかし、平和というものは、みんながルールを意識して守っていくことで初めて維持される。あまりに平和ボケしてしまってルールを守っていこうとする意識がゆるんでくると、ハメを外してしまう人が増えてトラブルの発生につながってしまう。秩序は作り上げていくものであって、自然に発生したり誰かから与えてもらったりするものではない。"荒らし"さえいなければチャットの秩序が維持出来るとは限らないのだ。 ルールや慣習の守り方において、人間はおおよそ三つのタイプに分けられる。 ・ルールを厳格に守る人。赤信号なら絶対に横断歩道を渡らないタイプである。 ・ルールを全く守らない人。信号なんかお構いなしというタイプである。 ・中間型の人。それなりの理由がつけば赤信号でも渡ってしまうタイプである。 このうち、圧倒的に多いのは第三のタイプである。基本的には信号を守ろうとするが、車が1台も走っていないからとか、他に渡っている人がいるからとか、何か理由がつけば赤信号でも渡ってしまう。たいていの人は、ルールの遵守と逸脱の狭間で揺れ動いているわけだ。 チャットでも、圧倒的に多いのは第三のタイプである。チャットのルールを守ろうという意識はあるが、仲間うちでの話に夢中になって新しい参加者への挨拶を忘れてしまう人は実に多い。話が盛り上がるあまり言葉遣いが荒くなったり興奮のあまり絶叫したりして、結果的には"荒らし"同然にまで雰囲気を荒ませている人も少なくなかったりする。ルールを守ることの大切さを認識している人は多いのだが、それを守り通せる人は決して多くはない。だから、全体としてルールを守る意識を持続させることは簡単ではないのだ。 ここで、"荒らし"が現れて傍若無人の限りを尽くしたとしよう。秩序の破壊による不快を目の当たりにすることで、誰もがルールを守って秩序を維持していくことの大切さに気付かされるはずだ。交通事故を目の当たりにして、信号を守る大切さを再確認することと同じである。すなわち、平和ボケにかかってルールを守る意識が忘れ去られるよりも、たまには"荒らし"がやって来て、ルールを守ることの大切さを再確認することの方が、結果的に秩序を維持する方向に働くのだ。侵略者たる"荒らし"に対抗することで、常連同士の結束を高め、チャットの雰囲気を守っていこうという意識を目覚めさせる効果もある。 つまり、"荒らし"のおかげでチャットの秩序は安定して維持される(?)わけである。 |