1998/12/22 (火) 街を歩いていると、アルバイトをしている店で扱っている服を着込んだ女性を見かけた。 しかも、上から下まで、いわゆる"売れ筋"のアイテムで固めていた。 それなりに似合っているのではあるが、もっと似合いそうな着こなしがあるようにも思えた。 しかし、"売れ筋"の呪縛には逃れ難い強さがあるのだろう、どうしても流行を追ってしまうのである。 季節が巡り、新たな流行が仕掛けられると、その女性は再び"売れ筋"商品を着込むのであろうか。 流行もいいが、それぞれにぴったりの着こなしが一番ではないかと思った。 |
1998/12/21 (月) 大家さんから電話がかかってきた。ちなみに、大家さんは隣の区に住んでいる。 「こんなアルバイト頼むのも変だけど、年内に建物の周りを掃除してくれない?」 「え? まあ、別に構いませんけど」 「周りに生えている草を刈り取って、ゴミを片づけてくれるだけでいいの。アルバイト代は家賃から引くということで。それじゃお願いね」 というわけで、年末の"アルバイト"をすることになった。 草は思いの外伸びていて、刈り取るのに思いのほか手間がかかった。トゲの灌木に皮膚を貫かれ、粘着質なツタ植物に悩まされ、猫が意味もなく走り回って、半日がかりの大仕事になってしまった。 普段使わない筋肉を酷使した結果は、翌日すぐに筋肉痛となって現れた。 |
1998/12/17 (水) 見えるときは、続くものである。 図書館のロッカー近くの通路に、二人の中学生がたむろしていた。短いスカートで体育すわりをして話し込んでいるものだから、子供の目線ならずともスカートの中が丸見えの状態であった。 どうしてもロッカーの向こう側に行く用事があったので、彼女たちの前を通り過ぎる時、「見えてるよー。」と言いながら彼女たちに手で合図をしてみた。 一人は小さな声で「きゃっ!」と叫び、あわててスカートの裾を正した。 しかし、もう一人は「(どうせ下にブルマーをはいているのだから)別にいーのよねー。」とのたまったのである。 おいおい、いまどきの娘たちは、恥じらいというものを忘れてしまったのか? |
1998/12/13 (日) その日は、普段アルバイトしている店から別のアパレル系の店へ手伝いに回された。店に専従している20代半ばの女性アルバイトもいて、一緒に仕事をすることとなった。年末セールで商品がたくさん出入りする上、倉庫の配置換えもあって、結構な忙しさである。 彼女は、いま流行している短いグレーのスカートをはいていた。それだけならどうでもいいのであるが、彼女が在庫品をチェックするためにしゃがむたび、白いパンツが露わになった。もちろん、こちらが見るつもりはなくとも勝手に見えてしまうのである。しかも、丸見えといっていいほど大胆に見えてしまうのである。その無防備さはあっけにとられるほどであった。 目線の行き所に困るのでそれとなく知らせると、すぐ隠す仕草はする。しかし、すぐ丸見えの状態に戻ってしまうのであった。 ここまで大胆なのは、もしかして彼女は自分に気があるのではないかと思った。 しかし、聞くところによると、彼女にはちゃんとボーイフレンドがいるというのである。 それにも関わらず、私にパンツを見せても平気なのである。 もしかして、ボーイフレンドを乗り換える気があるのではないのかとも思った。 しかし、どう見てもそういう気はなさそうなのである。 彼女は、単にパンツが見えても無頓着な性格なだけであった。 |
1998/11/26 (木) わが社会学研究室は、本館の3階にある。 突然、「おおっ、あれは何だ?」と叫ぶ声が聞こえた。振り返ると天井から、ポタリ、ポタリと水滴が落ちている。いかにも雨漏りの風情であったが、外は快晴であるし、水滴の勢いは時間が経つほどに激しさを増してきたから風情どころではない。上は考古学研究室であり、あわてて4階に走ったが不在であった。感電を防ぐためパソコンに覆いをかぶせ、濡れる危険のある書籍や荷物を片っ端から移動しているうちに、水滴は滝のような流れになってきた。もはや非常事態である。 ようやく、考古学研究室の女性をつかまえて鍵を開けてもらった。4階の床が水浸しであったのはもちろんであるが、水は更に4階の天井から漏れだしていたのである。5階は心理学研究室だが、そこも不在であろう事は行かなくても分かる。 ここに至って管財課のおじさんに助けを求め、やれ脚立だ工具だとてんてこ舞いのあげく、ようやく漏水をくい止めた。原因は、暖房用に張り巡らされている配管の不具合のようであった。後で聞いた話によると、水は2階の講師控室にまで達していたという。 5階がどのような惨状を呈していたか、ついに見に行く勇気を持てなかった。 |
1998/11/14 (土) 弁論部の同期Yが結婚式を挙げるので、大阪まで行ってきた。久しぶりに再会する弁論部の面々が懐かしい。新婦はYよりも年上であるが、それはそれは素晴らしい女性で、Yは一体どうやってこんないい人を射止めたのか不思議でしようがないほどであった。 Yはすっかり落ち着いた男になっていた。家庭をもつことによる責任は、かくも男を落ち着かせるのか。披露宴は粛々として進行し、そして二人は新婚旅行に旅立っていった。 学生時代、夜が更けるのも忘れて天下国家を論じたのが遠い昔の思い出になってしまった。いたずらに現状に満足することなく、若い頃に抱いていた志だけはいつまでも忘れないでいてほしいと思った。 ああ、大学の青春は遠くになりにけり。 |
1998/11/6 (金) 所用で東京都内の高校へ行ってきた。 ひときわ目についたのは、校内を歩く女子生徒のスカートの長さが、膝下、膝上10センチあたり、膝上20センチあたりと、まるで申し合わせたようにグループ分けされていたことであった。上履きの色などから見て、それはおそらく学年別に対応しているものと思われた。 聞くところによると、ある中一の女の子は、下級生なのにスカートを短くしているので上級生から目をつけられているという。いまどきの学校では、上級生は短くしてもよいが下級生はいけないという暗黙のルールが広まっているのであろうか。 さて、その高校で私とすれ違った生徒は、それこそ丈の長さに関わらず、みんな軽く一礼してくれた。教育実習にきた学生のように見てくれたのだろうか、しかし、とにかく既に自分が教師と見られてもおかしくない年齢に達してしまったことを実感した。 ああ、高校の青春は遠くになりにけり。 |
1998/10/28 (水) 所用で山形の高校へ行ってきた。 放課後のこと、校門そばの茂みを掃除していた女の子が、突然 「うわああああああああぁっ!!」 と叫んでのけぞった。 「どうかしたの?」 「そ、そこにカエルがいるんですぅ」 食用ガエルでも出たかと思ったが、それらしいものはいない。 「どこにもいないけど」 「そ、そこにいる白いの!」 そこにいたのは、白っぽい保護色になったアマガエルだった。 「私、カエル、ダメなんですぅ」 カエルをどこかに移してくれと、その子の目は訴えていた。 「じゃあ、向こうの茂みに放してこよう」 「お、お願いしますぅ」 そして、カエルが放されるのを確かめると、 「どうも、ありがとうございましたぁ」 話せたら カエルその子に 何という? |
1998/10/15 (木) 自転車で水道橋付近を走っていると、タイヤに異常が発生した。だましだまし走らせたが、新宿の手前でついにダウンしたので、最寄りの自転車屋で修理してもらうことにした。 そこの主人はとても頑固そうなオヤジであった。午後のひとときを邪魔されたというような感じで、いかにも面倒くさそうに作業をはじめた。修理の間、どのようにして間を持たせようか・・・。 ところが、私が大学院の学生であることが分かると、頑固オヤジの難しそうな顔が一転して息子の父の顔になり、 「実は、うちのせがれは今度あんたの大学の推薦入試を受けるんだよ。どうだい、受かりそうかい?」 と聞いてきた。合格するかどうかを私に聞かれても困るのであるが、そこから大学のこと、大学で出来ること、さらには資格試験のあれこれについてなど、話は大いに盛り上がった。 主人は、自転車の他の箇所も点検してくれた上、料金までまけてくれた。 |
1998/10/08 (木) 図書館で若い男が曝睡していた。 男の携帯電話が鳴った。 しかし、男は気付かなかった。 電話はしばらく鳴り続け、そして切れた。 男は曝睡し続けていた。 |
1998/10/03 (土) 秋晴れが爽やかな午後の通学路。 女の子が二人、おしゃべりしながら下校していた。よほど面白い話題なのだろう、笑って、はしゃいで、顔がほころびっぱなしだった。 ひとりが角を曲がり、二人は「バイバイ」と言って別れた。けれども、もうひとりは一人になってもニコニコした笑顔が残ったまま歩いていて、ちょうど反対方向から自転車に乗ってきた私と目があった。 その子はハッと我にかえり、次の瞬間、顔を真っ赤にして一目散に走り去った。 駆け足の 少女に秋の 高い空 |
1998/09/24 (木) 青果売場でふと目にとまった果物。その名はイチジク。 イチジクは、それほど美味な果物だとは思えない。皮はむきにくく、果実は崩れやすく、食べているうちにグジャグジャになってしまうので、上品に食べられる果物だとも思えない。 ふと、イチジクがおやつに出た幼い頃のことを思い出した。それはそれは栄養があって滋養になると聞かされ、何だか有り難いものをいただくような感じで食べた記憶がよみがえる。そういえば、前回にイチジクを食べたのはいつの頃だっただろうか。 意を決して、そのイチジクを買い求めた。 |
1998/09/10 (木) 今朝は一段と早起きをした。もうすぐ午前5時になろうかという時間であった。まだ日の出前の時間であったが、ほどなく、ゆっくり朝日が昇ってきた。(=写真) 部屋の中が少しづつ朝日に照らされてゆく。眩しい。空気も爽やかで実に心地よい。まさに"早起きは三文の得"である。 窓と玄関を開放して部屋に空気を入れ、掃除をしていた時、新聞配達の音が聞こえた。「おはようございまーす。」と新聞を届けてくれたのは快活そうな女の子であった。聞くと、今年大学に進学したばかりだという。いつも集金にはおじいさんがやってくるから気がつかなかったが、配達は彼女がやっているのだそうだ。 「おはようございまーす。」の笑顔が一段と爽やかな朝であった。 |
1998/09/01 (火) そのスーパーは翌日が定休日であった。閉店30分前となり、生鮮食料品や総菜類の半額セールが始まった。店員が半額シールを持って登場すると、おばさんたちがみるみる集結してきた。 店員は無表情に、今日中に売り切ってしまわなければならない食料品に半額シールを貼っていく。戦闘開始だ。その瞬間、左から右からおばさんの手が伸びてきて奪い合いが始まった。ズカズカと割り込むがめつさがないと、近寄ることすら出来ない修羅場が出現した。譲り合いの精神はどこにもなかった。殺気だった雰囲気だけがそこを支配していた。 ひとりのお婆さんが、後ろの方で「それをひとつ、私にも下さい。」と叫んだ。しかし、戦闘中のおばさん達の耳には入らない。みんな自分の獲物をせしめるのに必死だから、うしろのお婆さんにくれてやる分け前なんてあるわけがない。お婆さんの敗北は決定的であった。 おばさん達は、少しくらい見栄をはっても良さそうなものなのに。お婆さんも、そこまで半額にこだわらないで、さっさと買ってしまえばよかったのに。やはり、長引く不景気がそうさせるのだろうか。 ついに、見かねた店員が半額シールのダイコンをひとつ確保し、そのお婆さんにそっと渡した。 |
1998/08/17 (月) アメリカからの客人を3日ほど自室に泊めた。休み中に日本に遊びに来ており、彼とアメリカで親しくしていた日本人留学生の自宅に滞在していたが、3日ほど家を空けなければならない用事が出来たので、その間、私の部屋に来てもらったというわけである。 その客人は大学生であるが、飛び級で進学したためまだ高校生相当の年齢という。日本語は少し勉強したというが、ほとんど全く話すことが出来ない。私も英語は苦手である。特に、日本語を解しない人と3泊4日も一緒に過ごすというのは初めての経験であった。案の定、私の下手な発音では通じず、貧困な語彙と文法力では文章の組み立てもままらななかった。そこで、全身を使ったジェスチャーをフルに活用して、かろうじてコミュニケーションをとることに成功した。 昼間は留学経験のある友人に登場願っていろいろと東京観光をした。東京に住んでいると意外に観光地は回らないから、自分自身も結構東京巡りが堪能できた。そして、夜は日本のテレビ番組を見て過ごした。何故か二カ国語放送のニュースよりもバラエティ番組の方がお気に入りのようだった。 今さらながらであるが、自分の英語力のなさを痛感した4日間であった。 |
1998/08/10 (月) 昼下がりの中央線の車内。車内には「携帯電話はご遠慮下さい」のアナウンス。 そのとき、サラリーマンの携帯電話がピピピピッと鳴った。 サラリーマン氏はためらわず電話に出たが、連結器のある車両と車両の隙間へ移動し、そこで話し込み始めた。 律儀な人もいるものだなあ、と思っていたら、帰りの電車でも同じ場所で電話している人を目撃した。 ほう、そこは移動電話ボックスだったのかっ! |
1998/08/07 (金) 1階から4階へ行く用事があった。 いつもなら階段を使うが、今日は急いでいたのでエレベーターに乗ることにした。 エレベーターは2階でとまり、おばさんが乗ってきた。 乗り込んだおばさんは身を乗り出し、「早く!早く!来てるよ!」と叫んで、連れのおばさんが乗り込むまで「開」ボタンを押し続けた。この間、十数秒。 そして、おばさん達は3階で降りていった。 結局、歩いた方が早かった。(; ;) |
1998/07/29 (水) 弟分のように思っていた少年が亡くなった。19歳。 大学サークルの合宿中に事故に遭ったという。 突然の知らせに動転しながら、告別式に参列するために大阪へ急いだ。 彼と仲の良かった友人達も大勢参列し、自宅の外まであふれるほどであった。 彼を斎場まで見送った後、一成君の育った街を歩いた。 この日、関西地方は梅雨が明けたという。陽射しがまぶしく、夏の青空がどこまでも広がっていた。 哲学の好きな少年であった。昨年、彼が浪人生だった頃に会ったときも、哲学談義で盛り上がった。 人生とは何かというテーマの、結論のでない結論を求めて語り合ったものだ。 大学に入って、もっと知識を蓄えた後で改めて語り合おうと約束していたが、ついに叶わずじまいだった。 彼自身、果たせなかったことは多いだろう。いろんなことをやり残していただろう。 本当に、これからというところだったのに。 人生とは何か、改めて考えさせられた。 |
1998/07/27 (月) うちの近所にたむろしているネコの太郎くんであるが、相変わらず人間を全く恐れない。そして、どこへでも寝そべって昼寝する。 太郎くんは、いつだったか階段の真ん中に寝そべってひどい目に遭ったはずなのに、また懲りもせず向かいのアパートの階段を寝床にしはじめた。(=写真) 近所のおばさんは迷惑そうによけて通りながら、「あのネコ、体の調子が良くないのかしら」なんて言う。しかし、走るときは素早く走るし毛並みもつやつやしているから、どこか病気ということはないだろう。あえてビョーキというならば、わざわざ通行の邪魔をするかのように、飽くことなく階段の真ん中に寝そべり続ける根性そのものだ。 階段に平和が戻ってくるのは、いつのことであろうか…。 |
1998/07/17 (金) ゼミの女の子が、一万円札をしげしげと眺めて、こう言った。 「このお札には、いろんな怨念が染み込んでいるんだろうなー。」 それを聞いていた別の子が言った。 「そのお札には、オヤヂが金勘定した時につけたツバが染み込んでいるよ。」 「キャー!!」という叫びとともにお札は宙を舞った。 オヤヂ、怨念に勝つ。 |
1998/07/12 (日) 参議院選挙であるが、私は午後8時ギリギリに行って来た。辺りは暗くなっていた。 投票時間の延長は結構なことだが、投票所は地域の小学校が多く、小学校の照明設備は夜間向けに作られていないから、臨時の照明設備が大量に必要になって選挙費用がかさむといわれている。私が投票に行った小学校もその例にもれず、正門から投票箱のある体育館まで、臨時の照明が幾つも並べられていた。 投票所は閑古鳥が鳴いているかと思いきや、日中よりも混雑していると思われるほどであった。実際、投票率は全国的に上昇し、政局は大きく動いた。投票率上昇には他の要因もあったにせよ、投票時間の延長は有意義であったと思う。照明設備も無駄な経費ではなかったわけだ。 W杯サッカー・フランス大会が開催された頃、サポーターの熱気と選挙の投票率低下傾向をかけて、 フランスは近く投票所は遠い という傑作の川柳が生まれたが、現実は違った。 投票所への道は明るく、そして近くなったが、ゴールへの見通しは暗く、そして遠かった・・・。 |
1998/07/10 (金) 選挙が迫ってくると、時々懐かしい旧友から電話がかかる。普段連絡のない人からの選挙前にかかってくる電話は、おおよそどういう目的なのかピンとくるのであるが、懐かしさも先にたって、つい長話をしてしまう。 その夜は、大学時代の後輩からだった。 で、話が一段落したころ、後輩はこう切り出した。 「あの、先輩、今度の参議院選挙なんですが、○○党の△△に投票して下さいませんか」 この種の電話は大変多いし、みんなノルマに追われて大変なんだろうと同情するが、この後輩に限れば話は別だ。 「大学で雄弁会におられた先輩にこういうことを言うのは気が引けるのですが、何とかお願いしますよ。」 そこまで分かっているんなら、私は容赦しない。 「で、その△△の政策は何なんだい?」 「え、それは・・・かくかくしかじかという次第で」 「それは○○党の公約だろう?△△自身は、どのように言っているのか知っているのか?」 「ええと・・・・・・・・」 「○○党の公約は既に知っているが、財源はどうなんだ?本当に実現可能性があると思っているのか?」 「・・・・・・・・」 「そもそも、△△はどのような経歴を持っていて、どのようなを経緯で立候補したのか知っているのか?」 「・・・・・・・・」 「はい、それまで。おとといおいで。」 |
1998/07/04 (土) 真夏のような暑さが続く日の、午後の図書館。 外が一段と暑くなったためか、冷房も一段と強力になり、利きすぎるくらいにクーラーが利いてきた。館内にいる人達は少し寒そうにしている。 その時、斜め向かいに座っていた高校生が、おもむろにカバンを開けて長袖のセーターを取り出し、セーラー服の上から羽織った。ここ連日、炎天下に熱帯夜が続いているのに、用意がいいものだ。 高校生は、「あら、このくらい当然よ」と言いたげな、すました顔をして私を見た。 ア、そりゃまぁ、ごもっとも。 |
1998/06/30 (火) ここ数日、東京はうだるような暑さであった。 で、週末から週明けにかけて、北海道の紋別へ行って来た。とはいっても避暑に出かけたのではなく、日本社会学史学会という催しが紋別の道都大学で開催されたので、それに参加してきたためだ。羽田空港から東京を離れて一息、紋別に着いてみると200メートル先が見えないくらいの濃霧が発生していてとても涼しかった。朝の気温は10度くらいまで下がって寒いくらいであった。 さて、社会学史学会のメインは"パーソンズと近代性"というテーマでのシンポジウムであった。パーソンズと同時代を生きた世代は、やはり特別の思い入れがあるのだろう、大変熱い討論となった。しかし、その後の世代の研究者は結構さめたところもあって、ある若手の先生は討論が終わった後で「いやあ、実にマニアックな討論だったなー」と感想をもらされていた。ともあれ、よい勉強にはなり、オホーツクの特産品も堪能出来て、涼しさの中で心身ともにリフレッシュ出来た。 再び羽田空港。うだるような暑さが出迎えてくれた。 |
1998/06/23 (火) 東京都立労働問題研究所というところへアルバイトに行っている。そこで中小企業の経営状態を統計的に処理する仕事の手伝いをしている。不景気が叫ばれて久しいが、調査票を少し一覧しただけでも、企業の経営状態の厳しさが伝わってくる。 ところで、確かに業績の厳しい企業が圧倒的に多いのであるが、好調な企業も意外なほど多いし、順風満帆の企業さえ少なくない。いわゆる構造不況とされている業界の中にも、好調な企業は確実に存在しているのだ。テレビや新聞などマスコミは、あたかも全ての企業が不景気に苦しんでいるかのような印象を与える報道をしがちである。しかし、それが常に事実を正しく言い当てているとは限らない。 報道だけを鵜呑みにせず、いろいろな角度から総合的に判断することが肝要だと思った。 |
1998/06/13 (土) この日、東京都内のある養護学校で体育祭が開催された。あいにくの雨天であったが、競技は体育館で行われるから別段問題はない。 生徒達は、それぞれにハンディを抱えている。しかし、みんな懸命に頑張っていた。卒業生が応援にかけつけ、父兄の応援もあたたかい。先生達も張り切っていた。体育館全体が、何ともいいようのないすがすがしさに満ちていた。 いわゆる普通校の体育祭とは趣こそ異なるけれども、素晴らしい体育祭だった。 |
1998/06/12 (金) 東京・六本木のラフォーレ・ミュージアムで開かれたNTTオープン・ラボシンポジウムに参加した。このシンポジウムでは、NTTが創設した「オープン・ラボ」という探求グループの活動状況が報告された。 「オープン・ラボ」は、次世代の情報通信を睨み、情報通信が人間や社会に及ぼすインパクトや意味を追求・洞察する中で、新しい情報通信の概念を創出・技術開発を進めることを目的としており、国内外の人文・社会科学分野の客員研究員が幾つかのグループに分かれて活動しているという。 よって、技術的な側面というよりは社会的な側面から情報通信をとらえ、例えばマクルーハンのメディア論を引き合いにしながら、情報通信の高度化がもたらすメディアの空間性の変容とその根源的な意味の変化が指摘され、どのようにして理論的・実践的にアプローチしていくべきかなどが話し合われた。 会場は、国内各地や海外とISDN回線で結ばれ、スクリーンにはマレーシアなど海外からの質問風景が映し出され、発表者とのリアルタイムでの応答を実現していた。(=写真) 一応、同時通訳もついていたが、スクリーンに映し出される研究成果は全て英語で発表され、会場で配られたレジメも基本的に英語で書かれていた。 グローバル化した情報化社会を考えるには、まず英語をマスターせよということであった。 |
1998/06/05 (金) 三省堂から出ている「新明解国語辞典」を購入した。引きやすくて項目も多く、便利に使えそうだ。 それまで使っていた辞書は、同じ三省堂の「新小辞林」で、私が子供の頃に母からもらったものだ。奥付を見ると1977年発行とある。さすがに本の傷みが激しくなり、紙の劣化も進んだ上、内容的にも古さは否めなくなってきたので、このへんで代替わりをと考えた訳である。 さて、新しい辞書を買った時には古い方の辞書を処分するつもりでいたが、いざ本棚から外してみると捨てる気が起こらなかった。思えば長年にわたって世話になってきたわけだし、何だか自分の分身であるかのような愛着がわいてきたのである。 結局、古い辞書も大事にとっておくことにした。 |
1998/05/26 (火) 降り続いていた雨がやみ、青空の広がった午後の通学路。 学校帰りの中学生4人がスカートめくり合戦をやっていた。"武器"は傘である。スカートの裾に傘の柄を引っかけて、思いっきりまくりあげるのだ。 久しぶりに顔を出した太陽のせいだろうか、それとも中間試験でも終わった解放感のせいだろうか。あるいは、どうせ下にブルマーをはいているという安心感ゆえの戯れなのだろうか、それにしてもおおらかであった。近くに男子生徒がいようが通行人がいようが全くのお構いなしで、周囲の方が余程気恥ずかしそうであった。 雨上がり 少女に傘の 無邪気かな |
1998/05/20 (木) うちの近所には、たくさんのネコがたむろしている。野良猫、飼い猫、いろいろだ。 さて、その中で人間を全く恐れないネコがいる。名前はない。太郎とでも呼んでおこう。(=写真) 太郎は、いつも近所で昼寝をしている。全くの無愛想、人間が近くを通っても気にもとめない。 そのうちに、太郎は階段の真ん中の真ん中で堂々と寝そべるようになった。ほどよく涼しくて、よほどお気に入りらしい。しかし、そこを通る人間にとっては迷惑このうえない。太郎がそこに寝ていても、階段を降りるときには非常に見えにくいし、毛の色は階段のペンキの色と保護色みたいによく似ているから、さらに分かりにくい。思わず踏んづけそうになったことは一度や二度ではない。 ところで、ある日を境に太郎は階段にはさっぱり寄りつかなくなった。ついに、まともに踏まれたらしい。 かくして、階段に平和が戻ってきたのであった。 |
※これより以前の日記はありません。m(_ _)m