●「千尋」の関連テーマについて考える
Consider the Related Theme of "Spirited Away"

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このコーナーは、「千尋」から派生したテーマについて考えていきます。


●千尋の一家は、時代を反映した家族といえるか? 2001/07/02


●「千尋」は平成の「おしん」? 2001/06/26


●「子どもが働くこと」には、どのような類型があるか? 2001/06/26


●龍は、世界でどのように認知されているか  2001/07/16 ★(少しネタバレあり)







 
●千尋の一家は、時代を反映した家族といえるか?
 

「千尋」の設定資料によると、千尋の父・荻野明夫は38歳、千尋の母・悠子は35歳、そして千尋は10歳ということになっている。つまり、今年(2001年)から逆算すれば、父は1963年生まれ、母は1966年生まれ、千尋は1991年生まれということになる。

厚生省の人口動態統計によれば、1990年前後の初婚男女の年齢差は2.2〜2.5歳程度で推移しており、父と母の年齢差の3歳は平均的なところである。また、この時期の合計特殊出生率(女性が一生の間に生む子供の数)は1.54人となっており、千尋の一人っ子は特に珍しいわけではない。(1) また、荻野家は夫婦と子ども一人の核家族であり、日本の全世帯の80%以上を占める核家族世帯(単身世帯を除けば60%程度)を構成している。

ちなみに、家族が主なテーマであった「となりの山田くん」は3世代同居の大家族が描かれたが、今や3世代同居が含まれる拡大世帯は15%以下の少数派に過ぎない。しかも、妻の親と同居する山田家のような妻型居住婚はさらに少数派である。すなわち、「となりの山田くん」で描かれた家族は一見平均的な家族像に見えながら実際には極めて少ない割合しか存在しない希少な家族形態であったのに対し、千尋一家は現代日本のごく平均的な家族像を反映しているということが出来る。以上より、荻野家の家族形態はきわめて平均的なものであるとして、残りのデータを推定してみよう。

1990年前後における女性の第1子出産平均年齢は27.8歳、結婚してから第1子を出産するまでの平均期間は1.0年〜1.5年で推移している。千尋の誕生年が1991年であるから、逆算すると荻野夫妻が結婚したのは1990年頃ということになる。1990年における平均初婚年齢は男性が28.4歳、女性が25.9歳である。この時の明夫の年齢は27歳、裕子は24歳であるから、二人は平均よりも若干早く結婚したことになる。

1990年当時はバブル経済の絶頂期であり、明夫の勤務先も相当に景気が良かったであろう。ボーナスもザクザク支給され、金銭的にゆとりがあったので、まだ若いうちに結婚することが出来たのかもしれない。

その後ほどなく、バブル経済が崩壊し、長い不況のトンネルの中で不況の嵐が吹き荒れることになった。そして、2001年、荻野夫妻は引っ越しをする。どうして引っ越しをすることになったのかの理由は明らかではない。しかし、隣町にまで行かないとろくな買い物も出来ない町へ引っ越すというのは、いかにも都落ちというイメージが濃厚である。明夫の性格は楽天的で、なんでもうまくやっていけるという根拠のない自信に満ちているから運転も軽やかではあるが、実のところは配置転換か片道出向による転勤かもしれないし、ひょっとしたら勤務先をリストラされた結果の引っ越しなのかもしれない。

千尋一家の家族構成は極めて平均的であって世の中の主流を歩んでいる。バブル景気に踊らされて早く結婚し、そして不況でリストラに遭ってしまったのだとしたら、それはそれで時代と共に歩んでいる。このように考えてみると、千尋一家はつくづく時代を反映した家族であるような気がしないでもない。わがまま放題に育てられた千尋は、その極めつけ的存在として描かれているのであろう

(1)合計特殊出生率1.54とは100人の女性から154人の子どもが生まれるという意味で、未婚の女性も含む。未婚の女性を除外すると2.0前後に上昇するが、それでも1人っ子が特段珍しいという訳ではない。





 
●「千尋」は平成の「おしん」?
 


それぞれの時代を代表するおしん(右)と千尋。
千尋は、おしんの苦労を垣間見ることが出来た?
(イラスト:junkoさん)


宮崎駿監督によると、「千尋」の主人公・荻野千尋はどこにでもいそうなごく普通の女の子であるという。千尋は高貴な生まれの令嬢ではないし、傑出した美貌の持ち主でもない。もちろん、特別な才能に恵まれている訳でもなく、よくしつけられている訳でもなく、礼儀正しい訳でもない。そして、つとめて現代っ子的な気質が取り込まれている。わがままで、いつもふてくされていて、自分勝手でどうしようもない女の子という設定になっている。もちろん、それは千尋だけが特別という訳ではなく、今の時代の子どもたちは多かれ少なかれそういう特質を持っているものだ、という含みが込められている。

けれども、そのような特質は千尋を代表とする子どもたちの責任ではない。あえて言うとすれば、そういうふうに育ててきた親の責任であり、時代の価値観の責任でもある。子どもたちは、ただ時代の雰囲気に程良く適応した結果に過ぎない。わがままが即いけないという訳ではないのだ。厳しい父親像というものが消滅して久しく、厳しいしつけを行う親もいなくなった。子どもも働かなければ生きていけないような貧困とは無縁であり、あふれかえる情報にいちいち反応していたらキリがないから、ある意味で冷めている。「そんなに簡単には面白がりませんよーだ」というわけである。

そもそも、わがままというのは古い時代のモノサシを引きずっているからこそ言えるセリフであって、現代の基準においては、千尋のような子どもの方がむしろ普通であるとさえ言える。それが、今という時代なのだ。とにもかくにも、「千尋」は現代日本という時代に生きる等身大の少女を描いた作品であることは間違いない。

さて、等身大の少女が主人公の作品といえば、1983年に放映されたNHKの連続テレビ小説「おしん」が思い出される。その放映開始以来、たちまち絶大な人気を獲得し、平均52.6%・最大62.9%という驚異的な視聴率をあげて社会現象にまでなった。特に、奉公に出されたシリーズ前半の人気が高く、「おしん」といえば少女時代の艱難辛苦をイメージする人が多い。「おしん」は、国全体が貧しかった明治という時代背景を映し出す鏡であった。

いっぽう、豊かさに囲まれ、豊かさを当然のものとして暮らす「千尋」は、そのまま平成という時代背景を映し出す鏡ということになる。すなわち、少女時代の「おしん」が日本の貧しかった時代の申し子であるならば、「千尋」は日本が豊かになりきった時代の申し子と呼ぶにふさわしい。良かったかどうかは別にして、日本はわずか1世紀余という短期間に世界屈指の豊かな国に成り上がった。ほんの100年で、日本の少女は「おしん」から「千尋」になってしまった訳だ。その意味では、「おしん」と「千尋」の時代背景は何から何まで全く正反対と言って良い。共通しているところがあるとすれば、それぞれの時代背景を忠実に反映した鏡のような主人公が描かれているという点ぐらいしかない。

いまどきの少女を描いただけならば、「千尋」は「おしん」とは何の関わりもない。しかし、「千尋」ではある日突然「霊々の国」に迷い込むことで環境が激変し、少女が自ら働かなければ生きていけない状況に追い込まれるという、もう一つの共通項が用意される。これによって、背景も状況も異なるが、本人の意思に関わりなく全く違う環境の中に放り出され、生きるために働かねばならないという意味において、「おしん」と「千尋」は同じ地平に立つこととなった。両者とも働く少女の物語であり、働く少女が何かを得ていく物語なのだ。

宮崎監督によれば、湯屋で働く千尋は「生きる力」が呼び覚まされただけであって、人間的に成長した訳ではないという。だが、湯屋での仕事は、これから千尋が生きていく上で得難い経験になるはずだ。おしんも、耐えて耐えて耐え抜いた忍耐力がなければ、その後の激動の時代を生きていくことは出来なかったであろう。どのような経験であれ、それをプラスに生かしていくことは出来るのだ。

「千尋」は、子どもが働かなければ生きていけないという、現代日本では考えられない状況をあえて設定した。「千尋」は、子どもが働くというキーワードによって、平成の時代に「おしん」的なるものを復活させた作品であると見なしても差し支えないと思われる。

とはいうものの、「千尋」は労働に耐えて耐えて耐え抜いていく過程を描く物語ではない。明治と平成の時代差も考慮しなければならないし、千尋は働いたとは言っても、どちらかというと「魔女の宅急便」でキキが行ったような修業のようなものに近いという見方が出来なくもない。おしんに言わせれば、千尋の働き方は働いたうちに入らないかもしれない。だが、時代差を考慮すれば、千尋は平成の女の子としてよく頑張ったということにしておいていいだろう。





 
●「子どもが働くこと」には、どのような類型があるか?
 


千尋は、働くことで「生きる力」が引き
出された。表情もずっと良くなって、
宮崎監督を安心させたという。
やはり千尋は恵まれていたのか?
(イラスト:アイミさん)


訳の分からないまま霊々の国に一人で投げ出された千尋は、生きていくために湯屋で働くこととなった。それも、家事手伝いといった生易しいものではなくて、れっきとした「プロ」としての働きぶりが要求される仕事であった。カオナシが暴れたことで湯屋は大損したみたいではあるが、千尋は与えられた仕事を頑張ってやり遂げた。

子どもはよく学びよく遊ぶことが本業である。だが、現実には世界中で大勢の子どもが働いている。そのレベルは簡単な家事手伝いから激烈な工場労働まで様々である。昔はどこの国でも子どもは働くものであったし、「子どもが働くことは本人の経験のためにも良い」という考えもある。だが、働くことが本人のプラスになるかどうかは、あくまでも仕事の内容次第である。

子どもが働くことについて、どのような類型があるのかについて考えた時、以下の表のような類型に分けることが出来ると思う。すなわち、(1)お手伝い型、(2)奉公型、(3)児童労働型の3つである。

(1)お手伝い型
いわゆる家事手伝いであって、厳密には労働ではない。家が商売をやっていれば家業を手伝うこともあるし、報酬としてお小遣いをもらうこともあるだろうが、いわゆる賃金労働をしている訳ではないからだ。賃金労働とは、資本家に雇われ、一人前の労働力として働く(3)のような児童労働者を意味している。(1)の場合、学業を犠牲にしてまで働かされることは滅多にないが、(3)の場合は劣悪な労働条件のもと低賃金で長時間働かされるのが常である。(1)のお手伝いは、それほど厳しくはなく適度に働くことで人間的な成長が促されるような働き方であることが特徴である。

(2)奉公型
(1)と(3)の中間として、(2)のように奉公に出されるという形態がある。明治・大正期の日本は、一人でも食い扶持を減らすため、小学校を出るかでないかの年で奉公に出されるのが珍しくなかった。(おしんが酒田の酒問屋に子守奉公に出されたのは7歳の時である。)奉公先での仕事は一般に厳しく、いじめやしごきもあって子どもにとっては過酷であったとされるが、奉公先の主人から才能を見込まれれば、実業補習学校など上の学校に通わせてくれたりした。つまり、(2)の奉公は、仕事こそ厳しいが本人の才能と努力次第では将来への道が開け得るというところが特徴である。

日本が幸いだったのは、「ゆとりのある家は、貧しいけれど才能ある人材には援助しよう」という風潮とともに奉公制度があったことである。もし、子どもが単なる労働力として酷使され潰されていたとしたら、人材の育成もままならず、現在の日本の経済発展もなかっただろう。(おしんが戦後にスーパーを経営して大きくすることが出来たのは、どんなに奉公先で虐げられても、おしんの才能そのものまで潰された訳ではなかったからである。)

(3)児童労働型
国連の定義によると、児童労働は「本来学校に通って教育を受けるべき年代の子どもが、継続的に賃金を目的とする労働に従事していること」であるとされ、(1)のお手伝いや(2)の奉公とは区別される。その本質は、資本主義システムの中に最も弱い立場の労働者として児童が組み込まれ、資本家の利潤追求のために搾取されることである。資本家は児童を安価な労働力としてしか考えていないから、どんなに働いても働いた分だけ搾取され、その能力が伸ばされるということはなく、努力も報われない。逆に、危険で過酷な低賃金労働によって健康や精神の発達が妨げられて心身共に蝕まれてしまう。つまり、(3)の児童労働は、どんなに働いてもひたすら搾取されるだけで人間的成長が阻害され、将来の可能性も閉ざされてしまうような働き方を強いられている労働形態ということになる。

労働者として子どもが賃金労働に就くことは、国際的に禁止されている。しかし、1996年時点におけるILO(国際労働機関)の推計によると、国連が定義する児童労働に従事している5歳から14歳までの子どもは少なくとも1億2000万人おり、統計に含まれない労働まで含めると、2億5000万人にも達すると見積もられている。その大半はアジア・アフリカの発展途上国地域に集中しているが、児童労働の実態が明らかにされる事を嫌う各国政府の消極性もあって、その正確な数字は闇の中である。



(1)お手伝い型


(2)奉公型
(おしん)

(3)児童労働型
(途上国の賃金労働)

千尋の場合

家庭の状況
比較的裕福な家庭が多く、子どもを外に働きに出す必要はない。家族の中にあって教育・しつけの一環として働く。
貧困・子だくさんが常であり、家に置いておく余裕はない。いわゆる口減らしのために奉公に出される。
貧困・子だくさんで、現金収入にも乏しい。よって、年長の子どもが働いて家計を助けなければ生きていけない。
裕福であったが、突然生活基盤を失い、子どもが働かなければ生きていけなくなった。
(お手伝い型から賃金労働型へ急変)
主な仕事の中身 お使い、掃除、庭の草むしりなど、家事手伝いが主体。お店など家業を持つ家では家業も手伝う。
商家・問屋などに住み込んで雑用全般を行う。店の仕事を教えてもらい、その一部を任されることもある。
農場・工場などで、労働者として大人と同様に働く。それなのに賃金は安く、過酷な長時間労働を強いられる場合が多い。
湯屋に住み込んで雑用全般を行う。
(奉公型)
仕事の意味
家庭の中で一定の役割を果たすことで働く喜びを見いだす。働くことで人間的成長が促される。
仕事は全般的に厳しいが、奉公先の環境に適応しながら働くことで、将来の成功につながる忍耐力が養われる。
安い労働力として、ひたすら資本家から搾取されるだけであり、働けば働くほど人間的な成長が妨げられる。
とりあえず生きていくために働くが、環境に適応していくことで生きる力が回復してくる。
(奉公型)
将来への希望 あり
家が裕福であれば高等教育を受けられるから、職業選択の余地が広がる。
あり
永久に奉公し続ける訳ではないし、そこで認められれば将来も見えてくる。
なし
どんなに働いても搾取され続けるだけで、貧困から脱却出来るわけではない。
あり
元の世界へ戻ること、両親を助けることというモチベーションを持って働ける。
(奉公型)


千尋は奉公型
さて、「千尋」はどのように働いたのかについて考えてみると、千尋はある日突然(1)のお手伝い型から(3)の児童労働の世界に放り出された格好になっている。千尋もぶーたれながら家事手伝いの一つや二つはやっただろうが、そういう「手伝ってあげる」式の労働から一転して「働かなければ生きていけない」状況に直面する訳だ。しかも、その場所は強欲な湯婆婆が支配する湯屋である。右に左にこき使われる様は児童労働そのものである。しかし、作品を概観する限り、労働の実態は(2)の奉公型に近かったであろうと推察される。

もちろん、湯婆婆が、千尋をどのように扱おうとしたのかは分からない。もしかしたら、搾るだけ搾り取ってポイと捨てるつもりだったのかもしれない。しかし、生かさぬよう殺さぬようという位まで徹底的に酷使された気配はないし、結果的に千尋は「生きる力」が呼び覚まされ、潜在的に持っていた才能が発揮されていった。

千尋は千尋で大変な経験をし、懸命に働いたとは思われる。だが、それでもやはり、恵まれた国の子どものために作られた修業物語であるという側面があることは否めない。世界には、もっと厳しい条件下で働いている子どもたちがいくらでもいる。「生きる力」を呼び覚まされるどころか、過酷な児童労働によって「生きる力」を消耗させられている子どもたちの存在にも留意しておいていいかもしれない。





 
●龍は、世界でどのように認知されているか



必死の思いでハクを助けるようとする千尋。
千尋は小さい頃、ハクに助けられたことがあった。
(イラスト:junkoさん)


ハクは、かつて琥珀川と呼ばれる川に棲む龍の神様であった。龍は日本では馴染みが深いが、もちろん中国や西欧世界でも馴染みが深い。龍にまつわる神話は世界中に広がっている。世界中の人々にとって、龍とはどのような存在なのであろうか。

もちろん、龍は実在する生物ではなく空想の産物に過ぎないのであるが、龍ほど世界的規模で信じられてきた空想動物もいない。シェイクスピアは「見たこともないのに人は龍を恐れる」と喝破したが、それほど龍は大きな存在感を持っていた。龍は蛇に近い爬虫類であると考えられ、その形態は多種多様であるが、きらめく鱗に覆われ、カギ爪のある力強い足と敏捷に動く長い尾を持つのは世界的に共通した傾向である。コウモリのような翼を備えている形態も広く分布している。

龍の歴史は人類の文明の歴史とともに古い。古代アッシリア・バビロニア神話には、早くも龍の伝説が登場する。ギリシア神話における龍は一つのテーマでもあるし、聖書にも龍は神が創造したものであると書かれている。聖書によると、神は天地創造の5日めに、海の生き物の全てを形作って生命を吹き込んだ。この時、広大な海の支配者として巨大な龍も創造されたのである。それゆえ、歴代の聖書学者は龍の正体を突き止めようと努力してきた。しかし、龍の目撃談は数あれど、誰も龍を連れてきた人はいないし、死体さえ運ばれてくることはなかった。それでも龍の存在は信じられ、様々な想像画の形で描かれて広まっていった。

西欧における龍は、人間と対立する存在として描かれることが多い。語り継がれている伝説は、おおむね勇敢な英雄がいかに龍と戦って倒したかというパターンである。ちなみに、中世の西欧社会では龍は生物学的研究の対象であり、19世紀に至っても龍の存在が信じられていた。ビクトリア時代のイギリスの学者は、世界中の植民地で龍の手がかりになる新種の動物の発見に血眼になったという。その結果、巨大なヘビや大トカゲは発見されたが、火を噴いたり空を飛んだりする龍は最後まで捕獲されなかった。つまり、世界中が探検され尽くされるまで、龍の存在は信じられていたということになる。

東洋の文化圏でも龍は古くから信じられてきた。漢の時代の古文書には、龍の生態がかなり詳しく記述されている。西欧の龍が人間と対立することが多かったのに対し、東洋の龍は基本的に善であり、人間との関係も良好で、人間も龍に対して敬意を抱いているのが東洋の特徴である。また、東洋の龍は翼がなくても飛ぶことが出来、人間を含む様々な動物に変身出来る能力を持っている場合が多い。中国の由緒ある家系は、自分たちが龍の子孫であると主張しているところが少なくないという。

もちろん日本における龍の歴史も古い。神話の世界から既に龍は登場し、アマテラスオオミカミの弟であるスサノオミコトがヤマタノオロチと呼ばれる龍に立ち向かった話が伝承されている。民話や昔話に登場する龍も数え切れず、いわゆる龍神伝説も数多くの地方に残されている。日本の龍は全般的に地位が高く、しばしば神として奉られている。

「千尋」では、ハクは川に棲む龍の神様であり、幼い千尋が川に転落したとき優しく助け上げる役回りを演じたが、このエピソードは極めて東洋的であると言える。日本において龍は神様であり、ハクも川の守護神だったのだ。しかし、バブル景気に踊らされた20世紀末、マンション建築のために琥珀川は埋め立てられてしまい、居場所を失ったハクは流れに流れた末、湯婆婆のもとで働くようになったのであろう。

ところで、なぜ龍にまつわる神話や伝説が世界中で語り継がれているのだろうか?アメリカの科学者であるカール・セーガン博士は、龍をもとにした神話や伝説は、最も初期の哺乳動物から人間にまで受け継がれてきた恐竜の記憶に由来しているのではないかという説を唱えている。恐竜の全盛期、人類の祖先たる哺乳類は、恐竜の陰をこそこそ逃げ回る小さな生物でしかなかった。この時に刻み込まれていた記憶が人類にまで受け継がれ、世界各地の龍伝説になったというのである。真相は誰にも分からないが、何となく納得させられる説ではある。

現在、龍の実在を信じる人はいなくなったが、それでもなお世界中の人々の心の中で龍は生き続けている。それは、あたかも絶滅してしまった恐竜を信じているかのごとくである。龍ほど世界中の人々に馴染みの深い空想動物はおらず、これからも人々の心の中で生き続けるだろう。

ハクも、「不思議の町」からの帰還を果たした時には、再び龍の神様となってのどこかの川に宿るようになるかもしれない。





参考文献
潮田武彦監修『発達心理学ガイドブック』建帛社,1990
NHKインターナショナル編『世界は「おしん」をどうみたか:日本のテレビ番組の国際性』NHK, 1991
藤野敦子『発展途上国の児童労働』明石書店,1997
初岡昌一郎編『児童労働:廃絶にとりくむ国際社会』日本評論社, 1997
カール・シューカー 別宮貞徳監訳『龍のファンタジー』東洋書林,1999
ジャック・ザイプス 鈴木晶・木村慧子訳『おとぎ話の社会史』新曜社,2001




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